ムサーワート党(読み)ムサーワートとう(英語表記)Musavat

改訂新版 世界大百科事典 「ムサーワート党」の意味・わかりやすい解説

ムサーワート党 (ムサーワートとう)
Musavat


1911︿1917︿17︿19173101︿185629204

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のムサーワート党の言及

【アゼルバイジャン】より

…03年のロシア南部のストライキ,第一革命の序曲となった04年のバクー・ゼネスト,第1次大戦前夜の14年ゼネスト等,バクー労働運動は全ロシアの頂点に立つものであり,全国的な高揚の画期をなす重要な役割を演じた。 1917年首都の二月革命の後,各都市にソビエトと社会団体執行委員会(有産諸団体とソビエト諸団体の連立地方権力)が形成され,さらに民族主義党派ムサーワート党(1911結党)を中心とする民族ソビエトも形成された。臨時政府が置いたザカフカス特別委員会は無力であった。…

【アルメニア】より


[革命政権の樹立]
 1917年ロシアの首都ペトログラードでおこった二月革命の後も,アルメニアは基本的にザカフカス全体の動向の枠内にあり,アルメニア人活動家もティフリス,バクーをその場としていた。首都の十月革命に対してダシナクツチュン,グルジア・メンシェビキ,アゼルバイジャンのムサーワート党等の民族主義諸派は17年11月ティフリスでザカフカス委員部を形成した。そしてトルコ軍の侵攻下に18年4月ザカフカス連邦共和国の独立を宣言したが,帝国主義諸列強の干渉の中で内部矛盾を深め,三つの国に分裂,5月ダシナクツチュンはアルメニアの独立を宣言した。…

※「ムサーワート党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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