国民会議派(読み)コクミンカイギハ(英語表記)Indian National Congress

デジタル大辞泉 「国民会議派」の意味・読み・例文・類語

こくみんかいぎ‐は〔コクミンクワイギ‐〕【国民会議派】

インドの政党。1885年、インド国民会議を母体に結成。1920年代以降、ガンジーネルーらの指導のもとに独立運動の中心勢力となり、1947年の独立以降、1977年の総選挙でジャナタ党に敗れるまで政権を独占した。インド国民会議派

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精選版 日本国語大辞典 「国民会議派」の意味・読み・例文・類語

こくみんかいぎ‐は‥クヮイギ‥【国民会議派】

  1. インド国民会議を母体に一八八五年結成されたインド最大の政党。当初はイギリスの支配に協力し、インド民衆の漸進的改革をはかる目的で年一回開かれた政治的集会であったが、ガンジー、チャンドラ‐ボース、ネールらの下に独立運動の指導勢力となった。一九四七年の独立に際しネールが臨時政府を組織して政権を担当した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国民会議派」の意味・わかりやすい解説

国民会議派
こくみんかいぎは
Indian National Congress

インドの代表的政党。会議派(コングレス)、会議派党とも略称。

[古瀬恒介]

成立からインド独立まで


1885退AOAllan Octavian Hume18291912All-India National Congress1905WCGKBGBCBipin Chandra Pal18581932LL

 19201929193019401942退


インド独立以後


194781519501261調19645271966

 19776MBLD19511913RSSBJPBLDBKD19748

 M198078461031姿()


党勢の後退


198412508401()198911退199152110NP. V. Narasimha Rao19212004

 BJP199212620199361119953519


人民党の躍進


199645BJPAB13D19974I11

 1998312調142179

 199851113Sonia Gandhi1946 1998419991029613420045退20145退Narendra Modi1950 

 13


組織


AICC400



19699  1977 19851996

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改訂新版 世界大百科事典 「国民会議派」の意味・わかりやすい解説

国民会議派 (こくみんかいぎは)
Indian National Congress(Party)


188512S.All-India National CongressA.O.退D.86

 20︿L.B.G.B.C.1905-08︿119-2230-34︿P.J.V.J.R.G.D.11925AITUC1920AIKS193645-471930調M.A.

 4751964606748︿M.︿69︿713

 123︿︿7561877364Janatā Party80178489


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百科事典マイペディア 「国民会議派」の意味・わかりやすい解説

国民会議派【こくみんかいぎは】

 
18851M.K.19691978I.19801984I.R.199119911996BJP1998R.20041
 

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旺文社世界史事典 三訂版 「国民会議派」の解説

国民会議派
こくみんかいぎは
Indian National Congress

1885年に結成されたインド最大の政党
イギリスが反英独立運動をやわらげる目的をもってボンベイで創設したもので,民族資本家と知識階級がそのメンバーであった。そのため,初期はイギリスに協調的であったが,イギリスの帝国主義的政策が露骨になるにつれて反英的色彩を強め,1906年カルカッタ大会でスワラージ・スワデーシーの方針が決定された。第一次世界大戦後,ガンディーの指導下に大衆的反英運動を展開し,指導者への弾圧も強まった。1929年にラホール大会で完全独立を決議し,このころからネルー・ボースらの指導下に反帝・反封建運動を展開した。独立後はブルジョワ民族主義政党として,長く政権を維持した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「国民会議派」の解説

国民会議派(こくみんかいぎは)

インド国民会議派

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国民会議派」の意味・わかりやすい解説

国民会議派
こくみんかいぎは

インド国民会議派」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の国民会議派の言及

【アーザード】より

…1912年ウルドゥー語週刊誌《ヒラールal‐Hilāl(新月)》を発刊,その政治的・宗教的急進性によってムスリム青年層を引きつけた。ヒラーファト運動で理論家として主導的役割を果たした後,20年以降ガンディー指導下の国民会議派の活動に参加し,23年(臨時大会)と40年に会議派大会議長を務めた。第2次世界大戦後の対英政治交渉では,会議派内の代表的ムスリム指導者として活躍したが,ネルーら会議派の他の指導者との間に対立もあった。…

【インド[国]】より

…そのおもな流れが二つある。 ひとつは国民会議派と左翼諸党派との対立の激化である。国民会議派は古くからの民族主義政党で,おもにヒンドゥー教徒を代表していたが,1930年代半ばの国民会議派社会党の結成やインド共産党の台頭によって国民会議派に対する左からの圧力が強まり,民族運動内部の主導権争いが激化していた。…

【インド】より

…この過程を通じて,議会選挙の有権者の範囲は拡大されたが,ムスリムに独自の議席を設け,宗教徒間の対立を醸成した。一方インド人の独立運動は国民会議派が主導して進められ,ガンディーの説くサティヤーグラハという非暴力抵抗が運動の精神となったが,20年代以後には社会主義が叫ばれ,また農民運動と労働運動が独立運動の要素となった。 第2次世界大戦後,イギリス側は行政・軍事の面でインドを統治する実力を失い,高等文官を供給することができず,あらゆる官職のインド人化が急速に進んだが,パキスタンの分離を叫ぶムスリム連盟はムスリムを代表する政党と見なされ,国民会議派と激しく対立したため,インド独立は遅れた。…

【ヒューム】より

…この間,収税・農務長官などのインド政庁の要職を歴任するが,植民地行政をめぐりしばしば本国政府の意向と対立した。また婦人の教育問題など社会改革の分野でも幅広い活躍をしたが,政治権力を奪われているかぎり社会改革は徒労という考えから,インド国民会議派の創設と発展に尽力した。【四宮 宏貴】。…

※「国民会議派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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