日本歴史地名大系 「多賀町」の解説
多賀町
たがちよう
多賀町
たがまち
[現在地名]川越市幸町 ・大手町
江え戸ど町の通り︵川越街道︶と南みなみ町の通りを結ぶ東西の横道に沿う両側町。北裏は本ほん町・南裏は志し義ぎ町。城下一〇ヵ町のうち当町と鍛か冶じ町・志義町・上かみ松まつ江え町・志し多た町を下五ヵ町と称した。桶作職人が開いたので箍たが町と名付けられ、のち字を改めたといい、古くから桶大工役銭を出し、その他の諸役は免除されていた︵風土記稿︶。一七世紀後半頃の川越城図に﹁タカ町﹂とみえ、両側とも町屋である。元禄一五年︵一七〇二︶の河越御領分明細記では多賀町とみえ、町の長さ五八間、家数一三・店数一七、男七三・女五一。宝永二年︵一七〇五︶の川越惣町中御伝馬小役御国役帳によれば南側一〇名︵うち名主勘次郎は免除︶、北側四名で、桶大工丸役三・半役七・大工丸役二の計八軒半の国役を負担した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報