後花園天皇(読み)ゴハナゾノテンノウ

デジタル大辞泉 「後花園天皇」の意味・読み・例文・類語

ごはなぞの‐てんのう〔‐テンワウ〕【後花園天皇】

 
1419147110214281464()()()()()()()()()()()()  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「後花園天皇」の意味・読み・例文・類語

ごはなぞの‐てんのう‥テンワウ【後花園天皇】

 

(一)()()()
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「後花園天皇」の解説

後花園天皇

 
2.12.27(1471.1.18)
26.6.18(1419.7.10)
(142864)()(),1(1428)7,,,,(),5(1433) 108,60,退1(1441)6,,2(1461),57,,1(1467)9,,西2(1470),殿,  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後花園天皇」の意味・わかりやすい解説

後花園天皇
ごはなぞのてんのう

 
[]26(1419).6.18. 
[]2(1470).12.27. 
 102 ( 142864)  ()  () 11 (1428) 1 (1429) 5 (1464)  ( )   

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後花園天皇」の解説

後花園天皇 ごはなぞのてんのう

1419-1471* 室町時代,第102代天皇。在位1428-64。
応永26年6月18日生まれ。伏見宮貞成(ふしみのみや-さだふさ)親王(後崇光院(ごすこういん))の第1王子。母は源幸子(こうし)(敷政門院)。後小松上皇の猶子となり,称光天皇の病死で皇位をつぐ。8代将軍足利義政の時代で,永享の乱,嘉吉(かきつ)の乱,各地の土一揆(どいっき),寛正(かんしょう)の大飢饉(ききん)などがあった。在位37年で皇子の後土御門(ごつちみかど)天皇に譲位し,院政をしく。上皇時代には応仁(おうにん)の乱がおきた。文明2年12月27日死去。52歳。墓所は後山国陵(のちのやまくにのみささぎ)(京都府京北町)。諱(いみな)は彦仁(ひこひと)。法名は円満智。別名に後文徳院。歌集に「後花園院御集」,日記に「後花園院御記」。
【格言など】残民争いて採る首陽の蕨(わらび)処々炉(ろ)を閉じ竹扉(ちくひ)を鎖(とざ)す 詩興の吟は酣(たけなわ)なり春二月 満城の紅緑誰がために肥ゆる(「新撰長禄寛正記」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「後花園天皇」の意味・わかりやすい解説

後花園天皇
ごはなぞのてんのう
(1419―1470)


102142864()()()()1()()()()()()()()1()()()14645()671()()21227()()


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「後花園天皇」の意味・わかりやすい解説

後花園天皇 (ごはなぞのてんのう)
生没年:1419-70(応永26-文明2)

第102代に数えられる天皇。在位1428-64年。北朝の崇光天皇の曾孫。父は伏見宮3代貞成親王。諱は彦仁。称光天皇に皇嗣がなく,後小松上皇の猶子として践祚した。学問を好み仁徳も深く,皇子後土御門天皇に教訓状を与えたり,飢饉などで庶民困窮のとき,ぜいたくにふける足利義政に戒めの和歌をおくった話が有名。陵所は京都市の旧京北町にある(後山国陵)。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「後花園天皇」の意味・わかりやすい解説

後花園天皇【ごはなぞのてんのう】

 
14281464()()()()  

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「後花園天皇」の解説

後花園天皇
ごはなぞのてんのう

1419.6.18~70.12.27

在位1428.7.28~64.7.19

名は彦仁(ひこひと)。父は伏見宮貞成(さだふさ)親王(後崇光(ごすこう)院),母は敷政門院(ふせいもんいん)幸子。1428年(正長元)称光天皇が皇子のないまま没したため,皇位が南朝系に移るのを恐れた幕府に擁され,後小松上皇の猶子(ゆうし)となり,親王宣下も立太子の儀もないまま践祚(せんそ)。64年(寛正5)譲位。67年(応仁元)出家。法名円満智。皇子後土御門(ごつちみかど)天皇に贈った教訓状「後花園院御消息」がある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「後花園天皇」の解説

後花園天皇 (ごはなぞのてんのう)

生年月日:1419年6月18日
室町時代の第102代の天皇
1471年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の後花園天皇の言及

【足利義教】より

…義教は朝廷にも積極的に介入した。称光天皇が没したあと,男子がなかったため伏見宮貞成親王の子を立てて天皇とした(後花園天皇)が,これは義教のはからいであった。南朝の後胤については極力僧侶にしむけ,または討伐して絶滅を図った。…

【伏見宮】より

…このため親王の即位はついに実現せず,さらに父天皇の没後はそれまで伝領してきた長講堂領以下の持明院統の所領も朝廷に召し上げられたため親王はすこぶる窮境に陥ったが,やがて伏見荘をはじめ若干の所領を回復して一家の存続を維持し,伏見宮創立の基を開いた。親王の後はその子の治仁王,貞成(さだふさ)親王が相承したが,一方後光厳天皇の皇統は後円融天皇,後小松天皇を経て称光天皇に至って絶えたため,貞成親王の王子彦仁王が後小松上皇の猶子に迎えられて皇位につき,後花園天皇となった。この間の事情は貞成親王の著《椿葉記(ちんようき)》に詳しいが,ここに至って皇位は崇光天皇の子孫に帰するとともに,伏見宮の地位は安泰となり,第24代博明王が1947年に皇籍を離脱するまで,およそ550年の長きにわたって相承された。…

※「後花園天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ

タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...

タコノキの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android