日本大百科全書(ニッポニカ) 「新疆ウイグル問題」の意味・わかりやすい解説
新疆ウイグル問題
しんきょうういぐるもんだい
中国の新疆ウイグル自治区を中心としたウイグル人の独立運動をめぐる問題。
問題の背景
ウイグル人とは
二つの「東トルキスタン共和国」――つかのまの独立時代
新疆への植民、進む漢化
新疆での騒乱
1990年代――バレン郷事件、イニン事件
2009年7月ウルムチ騒乱
国際化するウイグル問題
1990年代以降の顕著な特徴は、イスラム主義のグローバル化に伴いウイグル問題が国際化したことである。海外ウイグル人のおもな組織として、「国際的テロ組織」と名指しされている「東トルキスタン・イスラム運動」(ETIM)、ウイグル人やイスラムの宣伝組織として比較的穏やかな活動を展開している「世界ウイグル会議」がある。
1992年イスタンブールで東トルキスタン民族会議が開かれ、1996年にはドルクン・エイサDolkun Isaを中心にミュンヘンに世界ウイグル青年会議が設立された。2004年には東トルキスタン民族会議と世界ウイグル青年会議が合流して、「世界ウイグル会議」ができた。初代の議長は、エルキン・アルプテキンErkin Alptekin(1939― )である。1930~1940年代に新疆省幹部であったエイサ・ユスプ・アルプテキンIsa Yusup Alptekin(1901―1995)の息子である。2006年からはラビア・カーディルが2代目議長を引き継いでいる。
カーディルは新疆で成功した企業家で、新疆の人民政治協商会議のメンバーを務めていたが、民族問題に関する言論により1999年に国家機密漏洩(ろうえい)罪で逮捕、投獄された。2005年にアメリカに亡命してからは、世界ウイグル会議の議長として活動している。
他方、テロ組織とされる東トルキスタン・イスラム運動は1997年にハッサン・マフスームHassan Mahsum(1964―2003)が設立したものだという。2003年から中国政府、アメリカ、国連から「テロリスト集団」に指定されている。中国当局は、2008年7月の昆明(こんめい)のバス爆破事件、2011年7月のカシュガルの連続殺傷事件はこの組織が関与、2013年10月天安門広場での自動車突入事件はその指示があったと発表しているが、根拠は何も示されていない。いずれにせよ、ウイグルを取り巻く状況は大変に厳しい。
[毛里和子 2018年4月18日]
『加々美光行著『知られざる祈り――中国の民族問題』(1992・新評論)』▽『王柯著『東トルキスタン共和国研究』(1995・東京大学出版会)』▽『B・アンダーソン著、白石さや、白石隆訳『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』増補版(1997・NTT出版)』▽『毛里和子著『周縁からの中国――民族問題と国家』(1998・東京大学出版会)』▽『松本ますみ著『中国民族政策の研究――清末から1945年までの「民族論」を中心に』(1999・多賀出版)』▽『星野昌裕著「党国体制と民族問題」(加茂具樹他編『党国体制の現在――変容する社会と中国共産党の適応』所収・2012・慶応義塾大学出版会)』▽『田中周著「民族名称『ウイグル』の出現と採用」(鈴木隆・田中周編『転換期中国の政治と社会集団』所収・2013・国際書院)』▽『水谷尚子著『中国を追われたウイグル人――亡命者が語る政治弾圧』(文春新書)』