日本歴史地名大系 「登米郡」の解説
登米郡
とめぐん
面積:四六五・七八平方キロ
県域北端中央部にあり、北は岩手県西にし磐いわ井い郡花はな泉いずみ町・東磐井郡藤ふじ沢さわ町に、東は本もと吉よし郡、南は桃もの生う郡・遠とお田だ郡、西は栗原郡に接する。郡の中央東寄りを北上川が、西方を迫川が南流し、郡域南端で旧北上川に合流する。北上川の東は北上山地に属し、桃生郡との郡境が分水嶺をなしている。この地域は山がちで田畑が少なく、山林に依存する度合が高い。これに対し、北上川の西は平坦で現在は一面の水田地帯をなし、米所として知られる宮城県のなかでも屈指の米作地帯である。海面との落差がきわめて少ない盆地状の地形のため、遊水池としての池沼も多く、その多くは近世以来近代に至る間に干拓されたが、現在も長なが沼・伊い豆ず沼や平びよ筒うどう沼などが残る。北上川・迫川の二大河川は古来何回となく流路を変えたため、両河川に挟まれた地域は洪水の都度氾濫に苦しんだ。この地方が水との絶えざる闘いから解放されたのは、第二次世界大戦後のことである。
国道三四六号が米山町・迫町・中田町・東和町をほぼ南西から北東へ通り、北上川に沿って国道三四二号が南北に縦貫する。迫町からは迫川に沿って国道三九八号が北西に向かっている。郡域西端を東北本線が南北にかすめ、南東端豊里町を気仙沼線が通っている。郡内を東西に結び、国鉄との連絡を便にする目的で、大正一〇年︵一九二一︶から栗原郡瀬せみ峰ね―南方―佐さぬ沼ま間を結ぶ私鉄仙北鉄道が営業を開始、まもなく米まい谷やを経由して登米町まで開通した。旅客のみならず米を主とする貨物輸送に威力を発揮したが、バス路線の発達と道路網の整備とともに衰退し、昭和四二年︵一九六七︶全線廃止となり、旧路線はバス専用路線に変わった。
郡名の初見は﹁日本後紀﹂延暦一八年︵七九九︶三月七日条で、﹁登米郡併小田郡﹂とあり、これ以前から存在していたことは明らかである。﹁和名抄﹂国郡部には﹁止与米﹂と訓じている。郡名については﹁トイマ﹂﹁トヤマ﹂﹁トヨマ﹂﹁トメ﹂と様々な呼び方があり、現在では郡名、国・郡に関する機関の場合は﹁トメ﹂、町にかかわるものは﹁トヨマ﹂とよび分けている。
〔原始〕
北上川の西部は同川を含めて迫川の氾濫原で、縄文海退後は遊水地帯となり、各地に湖沼が出現する。遺跡は郡東部の北上川に迫る丘陵と、迫川流域の西から延びる低い掌状丘陵上および河岸段丘上に分布する。北上川中流域には、縄文早期末頃登米郡南部まで海水が流入し古こい石しの巻まき湾を形成していたことは、ハマグリ、カキ中心の豊里町の長なが根ねう浦ら貝塚の存在で明らかである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報