デジタル大辞泉 「白雉」の意味・読み・例文・類語 はくち【白雉】[年号] 飛(あす)鳥(か)時代、孝徳天皇の時の年号。650年2月15日~655年1月?。びゃくち。 はく‐ち【白×雉】 白色のキジ。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「白雉」の意味・読み・例文・類語 はく‐ち【白雉】 (一)[1] 〘 名詞 〙 白色のキジ。突然変異として出現することがあり、古代には瑞祥とされた。 (一)[初出の実例]﹁但馬国献二白雉一﹂(出典‥続日本紀‐和銅六年︵713︶一一月丙子) (二)[その他の文献]︹後漢書‐光武紀︺ (二)[2] (一)[ 一 ] 孝徳天皇の代の年号。穴門(あなと)の国司が白いキジを献じたところから大化六年︵六五〇︶二月一五日改元、白雉五年︵六五四︶一〇月に天皇が没し、翌年斉明天皇が即位するに及んで用いられなくなった。 (二)[ 二 ] 孝徳・斉明朝の私年号。白雉元年は孝徳天皇壬子年︵六五二︶に相当し、斉明天皇六年︵六六〇︶まで約九年継続したという。 しら‐きじ【白雉】 〘 名詞 〙 鳥「はっかん(白鷴)」の異名。〔多識編(1631)〕 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「白雉」の解説 はくち【白雉】 日本の元号︵年号︶。飛鳥時代の650年から654年まで、孝徳(こうとく)天皇の代の元号。前元号は大化(たいか)。次元号は朱鳥(しゅちょう)。650年︵大化6︶2月15日改元。穴戸(あなと)︵長門︶国︵山口県︶の国司・草壁醜経(くさかべしこぶ)から白雉(しろきぎす)︵白いキジ︶が献上されたことを瑞祥として改元が行われたとされる︵祥瑞改元︶。﹃漢書(かんじょ)﹄を出典とする命名。652年︵白雉3︶、新宮の難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)︵難波宮︶が完成した。また、最初の班田収授(はんでんしゅうじゅ)が終わり、戸籍が作成された。653年︵白雉4︶から翌年にかけて2次にわたる遣唐使が派遣され、吉士長丹(きしのながに)や高向玄理(たかむこのくろまろ)らが唐に渡った。孝徳は654年︵白雉5︶に難波宮で崩御し、翌年に先帝の皇極(こうぎょく)天皇が重祚(ちょうそ)して、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で斉明(さいめい)天皇として即位した。斉明は新たな元号を定めなかったため、686年︵朱鳥1︶7月20日までの32年間、元号は断絶した。なお、白雉の元号の使用について疑問視する学説もある。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の白雉の言及 【元号】より …大化以前において法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背の銘や︽伊予国風土記︾逸文の道後温泉の碑文などによって法興という年号のあったことが知られるが,これは公式に定められたという徴証がなく,逸年号もしくは広い意味で私年号というべきであろう。650年(大化6)白雉と改元されたが,654年(白雉5)孝徳天皇の没後年号はとだえ,天武天皇の末年に朱鳥の年号が定められたが,これもあとが続かず,701年(文武5)に至り,対馬から金が貢上されたのを機に大宝の年号が建てられた。この建元と同日に新たに制定された令(いわゆる大宝令)の一部が施行された。… ※「白雉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」