日本大百科全書(ニッポニカ) 「荷田在満」の意味・わかりやすい解説
荷田在満(かだありまろ)
かだありまろ
(1706―1751)
江戸中期の国学者。荷田春満(あずままろ)の甥(おい)。のちに春満の養子となり、妹蒼生子(たみこ)とともに江戸に出て、荷田家の学問興隆に努めた。有職(ゆうそく)学に詳しく、田安宗武(たやすむねたけ)の知遇を得た。宗武より歌論を求められ、﹃国歌八論﹄︵1742︶を提出したが、宗武と意見の対立をみる。当時在満のもとで学んでいた賀茂真淵(かもまぶち)を﹃国歌八論﹄論争に加え、宗武に出仕できる機会を用意した。著書には﹃大嘗会儀式具釈(だいじょうえぎしきぐしゃく)﹄など。﹃白猿(しろざる)物語﹄﹃長月物語﹄などの擬古文がある。在満の墓所は妹とともに東京・浅草の金龍寺にある。
﹇萱沼紀子﹈
﹃三枝康高著﹃賀茂真淵﹄︵1962・吉川弘文館︶﹄▽﹃山本嘉将著﹃賀茂真淵論﹄︵1963・初音書房︶﹄
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