連載
家業ジモトの星
地元に根ざして活躍するファミリービジネスの経営者、後継者、起業家たちの成長ストーリーを紹介していきます。
記事一覧
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本多プラス社長 本多孝充さん/2 就職3年、「何かが足りぬ」と渡英
2024/7/7 02:02 1317文字本多プラスの本多孝充(たかみつ)社長(55)は1987年、実家のある愛知県新城市から上京した。大学受験なのに予備校にほとんど通わず、東京の街を歩き回っては、自分の好きなロックミュージックの曲や歌詞を書きためた。自分はまだ何も手にしていないけれど「人生は絶対にバラ色だ」と信じていた。 大きな夢を描き
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本多プラス社長 本多孝充さん/1 予備校で上京「絶対に成功する」
2024/6/30 02:03 1288文字本多プラス(愛知県新城市)の本多孝充(たかみつ)社長(55)は、父親から引き継いだプラスチック成形会社を「デザイン×ものづくり」の会社へと変貌させました。アートという「自分の好きなこと」を軸に会社を作り替え、下請けの多いプラスチック業界に新風を巻き起こしました。「きれいなものをつくりたい」。そんな
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/6止 「職人が輝ける場」作り続ける
2024/6/23 02:03 1307文字原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮さん(49)は2011年、若手人材育成に向け「モデリング」という手法を取り入れた。モデリングとは、最高のお手本をモデルにマネをすること。まず動画を見て一流職人の動きを記憶し、それを手本に壁を塗ってみる。 その様子を動画で撮影し、一流職人と自分を
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/5 脱「見て覚えろ」の育成法探る
2024/6/16 02:10 1282文字原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮さん(49)は2007年に社長になった頃から、左官職人の育成がずっと悩みの種だった。左官職人は全盛期には全国で30万人を数えたが、現在では6万人前後に減ったとされる。 建築市場の縮小や安価なビニール製壁材の普及に加え、「技術は見て覚えろ」式の人
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/4 独自性と高級感「店舗左官」に活路
2024/6/9 02:03 1295文字原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮(むねあき)さん(49)は2008年のリーマン・ショック後、悩みの中にいた。売り上げ確保のため単価の低い仕事も引き受けてきたが、「実は誰も幸せにしていないのではないか」と感じ始めていた。このまま価格競争の世界にいても、左官職人を疲弊させるだけで
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/3 職人の腕生かす仕事模索
2024/6/2 02:02 1294文字原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮(むねあき)さん(49)は2006年、会社の年間利益が100万円にまで落ち込み、変革の必要性に直面した。借入金は、バブル時の過剰な設備投資もあり、年間売上高6億円とほぼ同じ。「この利益だと返済に何百年もかかってしまう」。厳しい現実を突きつけられ
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/2 職人かたぎの丼勘定、変革決意
2024/5/26 02:02 1312文字女性や若者が活躍する原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮(むねあき)さん(49)は2000年、父宗彦さんの提案を受け入れて入社した。左官職人の経験がほとんどないまま、任されたのは会社の要である番頭の仕事だった。 仕事の受注から価格交渉、現場の差配、代金の回収。番頭は社長の右腕だ。
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/1 「アイデアマン」父の後継、決意
2024/5/19 02:02 1305文字原田左官工業所(東京都文京区)は、女性や若者が活躍する左官屋さんです。3代目経営者の原田宗亮(むねあき)さん(49)は、建築業界にありがちな「技術は見て覚えろ」式の職人育成法を大きく見直し、デザインを武器にした「提案型左官」の道を突き進んでいます。奈良時代には既に存在していた左官業。原田さんの「変
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ビューティアトリエグループ代表 郡司成江さん/7止 社員と会社の成長を一直線に
2024/5/12 02:03 1307文字宇都宮市を中心に美容室やエステサロンなど23店舗を展開するビューティアトリエグループは2023年、創業60周年を迎えた。母娘がタスキをつないできた会社を礎に未来をどうつくっていくか。代表の郡司成江さん(60)は「しあわせ創造企業」というビジョンを掲げ、カフェやコミュニティースペース、スイーツ、農業
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ビューティアトリエグループ代表 郡司成江さん/6 「食い違い」いまはありがたく
2024/5/5 02:07 1325文字宇都宮市を中心に美容室やエステサロンなど23店舗を展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さん(60)は30代半ばになり、創業者である母親に対し、代替わりしてほしいと感じるようになった。新規出店の費用を金融機関から借り入れるのは母親だが、時間をかけて返済していくのは自分。今後の経営の責任を
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ビューティアトリエグループ代表 郡司成江さん/5 後継者として、母=社長と激論
2024/4/28 02:04 1288文字宇都宮市を中心に美容室やエステサロンなど23店舗を展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さん(60)は32歳になった1996年、美容師として店に立つのはやめ、経営者としての力を磨いていくと決意した。「自分の仕事は社員を輝かせること」と割り切るようにしたのだ。 「ビューティアトリエの『一番
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ビューティアトリエグループ代表 郡司成江さん/4 「現場は社員に」ハサミ置く
2024/4/21 02:03 1226文字宇都宮市を中心に、美容室やエステサロンなど23店舗を展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さん(60)は30代に入ったばかりの頃、いくら美容師として技術を磨いても、自分が店長を務める店舗の売り上げがさっぱり伸びず、悩んでいた。「あの人の頑張りが足りないからだ」。誰かのせいにしたい気持ちが
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ビューティアトリエグループ代表 郡司成江さん/3 パリコレで活躍も 売り上げ不振
2024/4/14 02:04 1327文字宇都宮市を中心に美容室やエステサロンなど23店舗を展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さん(60)は1989年、ロンドン留学から実家の家業に戻り、会社のナンバー2であるマネジャーになった。美容師とお客さんが個別に接点をつくる予約制・指名制の英国と、多くのお客さんをこなすために来店順に美
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ビューティアトリエグループ代表 郡司成江さん/2 実家に入社、全否定の「オーラ」
2024/4/7 02:03 1304文字宇都宮市を中心に美容室やエステサロンなど23店を展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さん(60)は、大学卒業後に「一流のヘアメークになりたい」とロンドンの有名美容室ヴィダルサスーンの美容師学校に入学した。技術を身に付けて美容師になる。しかし、実家を継ぐかどうか、気持ちはまだ固まっていな
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ビューティアトリエグループ代表 郡司成江さん/1 ロンドンで美容師修業
2024/3/31 02:04 1280文字人材は会社の宝と思っていても、実際にどうすれば、より良い人材育成ができるのだろう。宇都宮市を中心に美容室やエステサロンなど23店舗を展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さん(60)は、会社のビジョンと社員一人一人の幸せとの方向を合わせることで「強くて温かい組織」をつくってきました。その
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豆腐店 8代目「染野屋半次郎」 小野篤人さん/9止 出会い生かし、変化し続ける
2024/3/24 02:05 1323文字小野篤人さん︵51︶が妻の実家だった豆腐店﹁染野屋﹂︵茨城県取手市︶を1999年に引き継いでから25年がたった。当初は家族3人で営む﹁近所のありふれた豆腐店﹂だったが、移動販売をテコに成長し、現在は海外も含め従業員は約170人。売上高は年20億円にまで増えて、地球環境保護と豆腐店の事業承継という自 -
豆腐店 8代目「染野屋半次郎」 小野篤人さん/8 地域の味継ぐ「一匹オオカミ」養成
2024/3/17 02:04 1307文字妻の実家だった豆腐店﹁染野屋﹂︵茨城県取手市︶を継ぎ、成長軌道に乗せた小野篤人さん︵51︶は、自分を奮い立たせるために二つの﹁使命﹂を自らに課すことにした。まず大豆の使用拡大や不耕起農法を通じ、少しでも良い地球環境を残すこと。もう一つは、後継者不在で廃業する豆腐店の事業承継だ。 1960年ごろ、全 -
豆腐店 8代目「染野屋半次郎」 小野篤人さん/7 新たな「使命」不耕起農法
2024/3/10 02:01 1315文字妻の実家だった豆腐店「染野屋」(茨城県取手市)を1999年に継ぎ、後継者不在だった本家筋の「半次郎商店」も承継した小野篤人さん(51)は、移動販売の軽トラックを次々に増やして関東から東海へ進出を果たした。 「後はこの仕組みを全国に敷き詰めるだけだ」。染野屋を継いで10年。途端に先が見えたような気が
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豆腐店 8代目「染野屋半次郎」 小野篤人さん/6 経営危機乗り越え「本物」に
2024/3/3 02:04 1275文字江戸末期創業の豆腐店「染野屋」(茨城県取手市)の8代目経営者、小野篤人さん(51)は業績悪化に苦しんでいた。元々の強みだった「ヤンチャな社風」が上場準備の過程で薄れていったのに加え、東日本大震災による風評被害、国産大豆の価格高騰が襲いかかり、赤字を垂れ流すようになっていたのだ。 「どう計算しても2
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豆腐店 8代目「染野屋半次郎」 小野篤人さん/5 上場意識、消えたヤンチャな社風
2024/2/25 02:03 1313文字本家筋の豆腐店﹁半次郎商店﹂の工場を借り受け、生産力を大きく拡大した2004年、染野屋︵茨城県取手市︶の小野篤人さん︵50︶はそれまでの5年間、自分一人でやってきた移動販売を強化すると決めた。工場の費用を賄うには売り上げを伸ばす必要があったからだが、店舗の開設ではなく、移動販売を選んだのは、自ら作 -