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III 帝劇開場
 明治四十四年(一九一一)三月、東京・丸の内の皇居の濠端に帝国劇場が誕生した。
 これまでの劇場は木造であったが、帝国劇場は白煉瓦の建物、石とコンクリートで出来た日本最初の洋風建築だった。
 諸外国の劇場は十九世紀までに国立または市立になり、国家または市民の格式を誇示するに足る都市の中心建築になっていた。
 西使使西姿
 
「女天下」大正九年七月上演。
 
 
昭和一二年九月、帝劇関係者の集合写真。
東京会館で写す。
西
[上下とも『帝劇の五十年』より]
 
 大劇場の設立は、この相談会で決まり、九ヵ月後に早くも第一回発起人会へとこぎつけた。
 第一回発起人会には孝は出席していない。その理由を高野正雄氏は、太郎の“帝劇入り”を引き換えに自分は下りることにしたと考える。(前掲書三八頁)
 明治四十年(一九〇七)二月二十八日、創立総会が開かれ、役員選挙によって益田太郎は帝国劇場株式会社の取締役の一人になる。台湾製糖取締役の仕事と帝劇重役兼劇作家の併合を並立させるに至る。
 西
 帝劇は開場に当たって専属歌舞俳優の引き抜きを行った。引き抜きに携わったのが西野専務を中心に元・時事新報社記者伊坂梅雪(のちの帝劇幕内主任)が指導して進められた。
 
 こういう足を運ばなければならない仕事に付けて太郎の専念したのは女優養成であった。
 簿
 こうして日本における女性解放の歩みは第一歩を踏み出す。
 
益田太郎冠者作の「おってくさん」の脚本
[清島利典蔵]
 
 
 帝劇重役として太郎が試みたもう一つの仕事は、管弦楽部の設置であった。劇場に管弦楽部が設けられる。
 
 
 西







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