改めて記憶にインプットされた棚橋隧道
いやはや、およそ20年ぶりに訪れた狭隘トンネルは、私の記憶以上に凄いトンネルであった。まさか大正時代にまで遡るものだとは思ってもみなかったし、まずそこに至るまでがかなりサバイバルな感じの道路になっていた。ぼやけていた記憶の輪郭がはっきりし、改めて棚橋隧道を脳内に留めることができてなによりだ。
ちなみに20年前の旅行はその後も続き、台風の豪雨を浴びつつ走ったり、神戸で宿泊地を巡って友達とケンカになった挙句、明石大橋の下で互いの自転車を接触させて転倒したり︵神戸には例の上司の友達が住んでいるとのことで、お世話になるつもりらしかったが私は嫌だった︶、まぁ、紆余曲折ありながらも9日目にして無事下関にたどり着くことができた。
私たちは下関駅ビルの食事処で﹁ふくふく定食︵1000円︶﹂を食べて満足し、帰りはママチャリを宅配便で送り、自分たちは青春18切符で帰宅したのであった︵下関を始発で出たら、終電で帰ってこれた。自転車で9日かかったみちのりを1日で戻ってこれる、鉄道は偉大だ︶。
ちなみに20年前の旅行はその後も続き、台風の豪雨を浴びつつ走ったり、神戸で宿泊地を巡って友達とケンカになった挙句、明石大橋の下で互いの自転車を接触させて転倒したり︵神戸には例の上司の友達が住んでいるとのことで、お世話になるつもりらしかったが私は嫌だった︶、まぁ、紆余曲折ありながらも9日目にして無事下関にたどり着くことができた。
私たちは下関駅ビルの食事処で﹁ふくふく定食︵1000円︶﹂を食べて満足し、帰りはママチャリを宅配便で送り、自分たちは青春18切符で帰宅したのであった︵下関を始発で出たら、終電で帰ってこれた。自転車で9日かかったみちのりを1日で戻ってこれる、鉄道は偉大だ︶。