特別寄稿 "sniper" magazine suspend publication. 「S&Mスナイパー」休刊に寄せて 文=安田理央 1979年の創刊の月刊誌「S&Mスナイパー」。休刊にあたり、アダルトメディア研究家・安田理央さんに文章を寄せていただきました。 | |
『S&Mスナイパー』2006年1月号 2006年1月1日発行/ワイレア出版 |
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5年前の2003年に﹁アクションカメラ﹂︵ワニマガジン︶が休刊、2004年には﹁デラべっぴん﹂︵英知出版︶﹁TOP SPEED﹂︵ex投稿写真 サン出版︶﹁アクトレス﹂︵リイド社︶が休刊。その後も﹁GOKUH﹂︵バウハウス︶﹁URECCO﹂︵ミリオン出版︶﹁Chu!﹂︵ワニマガジン︶﹁ペントジャパン﹂︵exペントハウスジャパン ぶんか社︶など一時代を築いたアダルト雑誌が次々と休刊している。少々毛色は違うが33年の歴史を持つ﹁月刊プレイボーイ﹂も年内で休刊がアナウンスされている。
もう少しマイナーな雑誌となれば、もう書ききれないほどだ。そして現在残っている雑誌も、付録のDVDに依存し、かつての誌面から大きく変貌しているものがほとんどである。
そして﹁S&Mスナイパー﹂が所属するジャンルである﹁SM誌﹂も壊滅状態だ。スナイパー以外のSM誌としてはマイウェイ出版の小説誌﹁SMマニア﹂のみ。あの﹁マニア倶楽部﹂︵三和出版︶も2006年から隔月誌になっている。他に隔月誌として﹁SM秘小説﹂︵マイウェイ出版︶、そしてSM系AVの紹介誌である﹁SMネット﹂︵サニー出版︶があるくらいだ。
かつて10誌以上がしのぎを削り、中でも﹁SMセレクト﹂︵東京三世社︶が最盛期には15万部という部数を記録した時代が夢のようである。
日本のSM誌の元祖と呼ばれるのが﹁奇譚クラブ﹂である。実話雑誌としてスタートした﹁奇譚クラブ﹂がSMを中心としたマニア、フェチ雑誌に路線を変更したのが1950年。当局の圧力などに脅かされながらもマニアの熱い支持を受ける。
コンパクトな新書版サイズと緊縛カラーグラビアの﹁SMセレクト﹂が1971年に創刊してヒットすると、後を追うように﹁SMファン﹂︵司書房︶﹁SMコレクター﹂︵サン出版︶﹁SMトップ﹂︵清風書房︶﹁SMキング﹂︵鬼プロ・大洋図書︶﹁アブハンター﹂︵のちに﹁SM奇譚﹂に改題 サン出版︶﹁SMフロンティア﹂︵三和出版︶などが次々と登場。
そして1979年に﹁S&Mスナイパー﹂が創刊する。前述のSM雑誌が、縛りと浣腸ばかりの旧態依然のSM観からなかなか抜け出せずにマンネリ化が叫ばれていた中で、﹁S&Mスナイパー﹂の誌面はあまりに斬新だった。
まず表紙はパルコのポスターを手がけていた大西洋介のイラスト。そしてコミックニューウェーブの旗手である奥平イラのポップでモダーンなイラスト口絵。さらに以降、﹁スナイパー﹂の顔となる荒木経惟による生活感あふれるグラビア。
創刊時から﹁スナイパー﹂に関わってきた編集者・真宮寺君夫は創刊コンセプトをこう語っている。
﹁当時ポケット版のSM誌を密室でこっそり読むのが醍醐味と思われていて、それを破るのはタブーとされていたんだけど、それじゃやっぱりクラいし、貧しすぎる︵笑︶。それで判型をA5の中トジにして、同じ判型の﹃SMコレクター﹄のイイところを全部盗んだ︵笑︶。あと、読者に強烈なインパクトを与えるのは、やはりビジュアル部門。時代もメディアの多様化でその方向へ向かっている。︵中略︶賭けだったけど、創刊号は売れましたよ。まぁ荒木サンの写真にも一部酷評はあったけど、概ね好評だった。原価もかかっていたし、贅沢志向、高級志向が読者のニーズにマッチしたんだろうね﹂︵S&Mスナイパー1989年1月号 SM雑誌興亡史 より︶
実際に今、創刊当初の﹁スナイパー﹂を見てみると確かに表紙や巻頭のイラスト、荒木経惟のグラビアなどは既存のSM雑誌とは明らかに違う新しさを感じるが、巻頭小説は団鬼六であり、挿絵や後半のグラビアも﹁SMセレクト﹂が作ったSM雑誌のフォーマットそのままである。その後の﹁スナイパー﹂のテイストを期待すると肩すかしを食うかもしれない。
とはいえ、この新しいタイプのSM雑誌は大きな拍手を持って迎えられた。そして80年代はそれまで読者にとってフィクションに過ぎなかったSMの世界がノンフィクションに変わりつつある時代でもあった。
後に長期連載﹁髭の交遊録﹂﹁髭のサロン﹂で﹁スナイパー﹂のリアルプレイ面を牽引することになる早川佳克三代目編集長は当時をこう振り返る。
﹁とにかくSMをリアルなものとして読者に示したかった。ちょうどSMクラブが出てきた頃だったんで毎月紹介したり、マニアの人にコミットして、企画をひろいあげたりした。当時、そうやってSMの現場に注目する雑誌は他になかったからねぇ﹂︵前出 SM雑誌興亡史 より︶
﹁スナイパー﹂が創刊された1979年は東京麻布に日本初のSMホテル﹁アルファーイン﹂がオープン。前年には大阪十三﹁アマゾン﹂、赤坂﹁ブルーシャトー﹂、中野﹁中野クィーン﹂といったSMクラブが相次いで誕生している。日本のSMは読んだり、見たり、妄想するものから、自分で体験するものへと移行する時期であった。﹁スナイパー﹂のリアル志向は、そこにぴったりとハマり、また﹁スナイパー﹂がマニアのリアル志向に火をつけたという面もあるだろう。
リアル志向にくわえて﹁スナイパー﹂のもうひとつの大きな特色がサブカルチャー志向である。創刊号からの大西洋介、荒木経惟らの起用から始まり、吉田カツ、宮西計三、北方謙三、内藤陳、高橋源一郎、田中康夫、種村季弘、中沢慎一、尾辻克彦︵赤瀬川原平︶といったそうそうたるメンバーが寄稿。イラストやコミックでも岡崎京子や桜沢エリカ、友沢ミミヨ、山野一といったわかる人にはわかる鋭い人選。さらに映画、音楽、本などSMにこだわらないレビューが詰まった﹁SHOW TIME﹂などは、一般カルチャー誌でも類を見ない先鋭的なセレクトで、ここだけチェックするという非SM読者もいたほどだ。
﹁スナイパー﹂は﹁写真時代﹂︵白夜書房︶と並んでアダルト雑誌のサブカルチャー面を担う存在であった。
ちなみにSMとサブカルチャーという組み合わせは﹁別冊スナイパー﹂を前身とする﹁SMスピリッツ﹂︵ミリオン出版 1983年︶、﹁TOPAZ﹂︵英知出版 1993年創刊︶など、いくつかの雑誌が挑んでいるがいずれも短命に終わっている。
SMといっても﹁スナイパー﹂は別格、いやアダルト雑誌の中でも﹁スナイパー﹂だけはちょっと違うというイメージは80年代半ば以降、確固たるものになっていた。﹁スナイパー﹂は、アダルト雑誌の中では珍しいブランド化に成功していたのである。
しかし、それがまた﹁スナイパー﹂が休刊にまで追い込まれてしまった原因のひとつにもなった。
雑誌、とりわけアダルト雑誌の危機が叫ばれ始めたのは90年代終盤のことだ。90年代前半はヘアヌードブーム、ブルセラブーム、風俗嬢ブームといった熱い波が次々と押し寄せてバブル崩壊の影響は、さほど感じられなかったアダルト雑誌業界だが、90年代後半から急速に普及したインターネットは雑誌というものの存在を確実に脅かすものだった。
サブカルチャーの失速が囁かれたのもこの頃だ。それまでのサブカルチャーは、どこかアカデミックなインテリジェンスの裏付けが感じられるものだった。エロなこと、アナーキーなことをやっても、実際には深い意味が読み取れるというような﹁文化臭﹂が感じられた。
しかしそうしたサブカルチャーは90年代後半から急速に廃れ始める。﹁サブカルは売れない﹂という声が雑誌界のあちこちから聞こえはじめた。サブカル系週刊誌として名を馳せた﹁SPA!﹂︵扶桑社︶もサブカル色を減らして路線を変更。90年代半ばに雨後の竹の子の如く現れた﹁ワイアード﹂︵DDPデジタルパブリッシング︶﹁デジタルボーイ﹂︵毎日コミュニケーションズ︶﹁CAPE X﹂︵アスキー︶﹁GURU﹂︵翔泳社︶などのデジタル系カルチャー誌は軒並み廃刊。実践的なPC、IT情報誌にとって変わられた。他のサブカル誌でも芸能方面にシフトしていくなど、路線変更が目立った。
AVでも90年代にもてはやされたドキュメンタリー色の強い作品や実験的な作品が敬遠され、ストレートなエロを打ち出す作品が好まれるようになった。
そしてアダルト雑誌の世界でも、モノクロページがなくなり全てカラーという雑誌が多くなってきた。アダルト雑誌ではモノクロページはストレートなエロではない、読み物として面白い原稿やアナーキーな企画を取り扱う伝統があり、それがサブカルチャー的な匂いを振りまいていた。﹁カラーで裸を見せていれば、モノクロでは好きに遊んでいい﹂というのが当時のアダルト雑誌編集者の意識だった。そしてそこから吉田戦車や竹熊健太郎、常盤響や吉田豪など数多くのサブカルチャーのクリエイターが巣立っていったのだ。
モノクロページが無くなるということは、アダルト雑誌から、そうしたサブカル色が消えるということを意味している。現在のアダルト雑誌では、ストレートなエロ以外のグラビアや企画は、ほとんど掲載されていない。
なぜサブカルチャーが衰退したのかを語ると単行本一冊くらいの原稿が必要になってしまうので、ここではアダルト雑誌におけるサブカル要素がどこへ行ったのかを述べるにとどめよう。それは﹁GON!﹂や﹁実話ナックルズ﹂︵共にミリオン出版︶、﹁BUBKA﹂︵コアマガジン︶といったいわゆる﹁裏モノ雑誌﹂に受け継がれたのだ。こうした裏モノ雑誌を発行しているのは、ほとんどがアダルト系出版社だ。つまりアダルト雑誌のサブカルチャー部分を切り離して雑誌化したともいえる。
またアダルト雑誌特有の、すこし危険な匂いのするB級︵Z級?︶サブカルチャー要素は2ちゃんねるに代表されるインターネットのアングラ的サイトにも流れた。犯罪スレスレの面白さでは、雑誌はネットにはかなうはずもない。匿名性の高いネットとは違って、危険な橋は渡ることができないのが商業雑誌だ。かつてアダルト雑誌が持っていたいかがわしい魅力も、今や失われてしまったのだ。
アダルト雑誌には、今や﹁エロ﹂しか残っていない。そんな流れに対抗し続けたのが﹁スナイパー﹂だった。長年の伝統であったA5版中綴じから平綴じへとリニューアルした2006年の時点でも表紙は当然、大西洋介だったし、綴じ込みワイドイラストの吉田カツ、キャメル岡山︵永江朗︶や松沢呉一のコラム、そして﹁SHOW TIME﹂も健在だ。
しかし﹁スナイパー﹂の部数が相当落ち込んでいるという噂を聞いたのも、これより随分前だった。雑誌がリニューアルするということは、すなわち売れ行きが悪いということだ。﹁スナイパー﹂が平綴じにリニューアルすると聞いた時には、﹁ああ、やっぱり﹂と思った。
それから一年後の2007年1月号、﹁スナイパー﹂の表紙が遂に大西洋介のイラストから、写真へと変わった。﹁スナイパー﹂と言えば大西洋介のリアルイラストレイションという28年の伝統に終止符が打たれたのだ。それでもまだこの時点では内容に大きな変更はなかった。
しかし2008年1月号のリニューアルでは連載が大幅に打ち切られてしまった。吉田カツのイラストも240回を超える長寿連載である天野哲夫の﹁ある異常者の体当たり随筆録﹂も、あの﹁SHOW TIME﹂もなくなってしまった。
さらにこの号をよく見ると表紙裏に分厚い段ボールが貼り付けられていることに気づく。そう、この号からDVDが毎月付録に付くことになったのである。そしてその段ボールの厚さ分のページ数が減少しているのだ。
これは他のアダルト雑誌でも見られる﹁リニューアル﹂だった。すなわちページ数を減らして︵多くの場合はモノクロページ︶、代わりにDVDを付録につけて値段を上げる。﹁スナイパー﹂も、正にこの定石通りのリニューアルを行なったのだ。値段は1600円から2000円に上がり、ページは約280ページから200ページを切るまでになっていた。かつては中綴じの限界を超える300ページの雑誌だった﹁スナイパー﹂が、ずいぶんスリムになってしまったのだ。
正直な感想を言えば、もうこの時点で﹁スナイパー﹂という雑誌の役割は終えていたように思える。いや、ほとんどのアダルト雑誌が付録DVDに頼らなければならない現状では、その全てが存在価値を失っていると言ってもいい。もはやアダルト雑誌はDVDの付録のブックレットに過ぎないのではないか。DVDを書店で売るためだけの方便となっているのではないか。
﹁スナイパー﹂には一つの都市伝説な噂があった。それは広告量の多さだ。﹁スナイパー﹂はSMクラブなどの広告が大量に入っているから、その収益だけで一千万円以上あり、たとえ全く売れなくても採算が取れるのだという話を、業界のあちこちで聞いた。
これをネガティブな話として受け取る人もいるかもしれないが、実は日本のほとんどの雑誌が広告で成り立っている。特にファッション誌などは部数が多すぎると広告効果が減ってしまうため、わざと部数を調節しているなどという話もあるほどだ。
そうした雑誌業界の中で、アダルト雑誌とマンガ雑誌だけは広告に頼らない収益構造になっていた。マンガ雑誌の場合は連載を単行本にしてからの二次収入が高いためであり、アダルト雑誌の場合はイメージの問題で広告が集まりづらいからという事情があった。つまりエロ雑誌は実売が勝負という、ある意味で雑誌界でもっとも潔い商売をしていたのである。
しかし、ここ数年の実売の落ち込みから、エロ雑誌でも広告に頼る傾向が目立ってきた。数年前には﹁出会い系サイトの広告がいっぱい取れるような雑誌を作ろう﹂などという企画も聞いたし、﹁DMM﹂︵ジーオーティー︶や﹁NAO DVD﹂︵三和出版︶のように300円前後なのにDVD付という信じられないような超低価格の雑誌は、AVの広告が誌面の3分の1程度を占めているから可能なのだ。
﹁スナイパー﹂はいち早くアダルト雑誌に一般的なビジネスモデルを導入していたと言える。
だから﹁スナイパー﹂は、大丈夫。業界の誰もがそう思っていた。ちょっと売れなかったとしても、広告でなんとかなる、と。
2008年10月、﹁S&Mスナイパー﹂の休刊が伝えられた。この原稿の冒頭で筆者はあまり驚かなかったと書いたが、それでも大きな寂しさはあった。またひとつ重要な雑誌が消えてしまうという感情と共に、これで広告に頼るアダルト雑誌というビジネスモデルの危うさが証明されてしまったからだ。
DVDを付けてもダメ、広告に頼ってもダメということだ。アダルト雑誌は、これからどこへ向かえばいいのだろうか。﹁スナイパー﹂の休刊は、様々な意味でアダルト雑誌の終焉を象徴するものになりそうだ。 文=安田理央
安田理央 エロ系ライター、アダルトメディア研究家、パンク歌手、ほか色々。この夏、ついに四十代に突入ですよ。もう人生の折り返し地点かと思うと感慨深い。主な著作に「エロの敵」「日本縦断フーゾクの旅」「デジハメ娘。」など。趣味は物産展めぐり。でも旅行は苦手。 |
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