森田草平(本名は米松)は1881(明治14)年、現在の岐阜市鷺山に生まれました。小説好きで学業優秀だった草平は、1895年、日清戦争による興奮の中、高等小学校を卒業すると、海軍軍人をめざして、単身上京し、攻玉社に入学。しかし、校風が合わず、退学して日本中学校に編入し、1899年に卒業しました。帰郷した草平と、同い年の従妹つねは恋に落ち、金沢の第四高等学校に入学した草平を、つねが追って来て同棲。しかし、怒ったつねの父親が担任に訴えたため、退学を命じられ、名古屋で半年過ごした後、再び上京して、第一高等学校を受験して合格。生田長江らの友人を得るとともに、与謝野鉄幹・晶子夫妻とも知り合い、本格的に文筆活動を始めました。