第39回 これでおしまい
自分にできることを考えなければならない。﹃NEMO﹄は元々原作に長編映画とするだけのドラマが内蔵されていないところに企画上の問題があったのだが、レイ・ブラッドベリが主人公ニモと対になるオーメンなる新登場人物を発案したところから、混乱に輪がかかることとなった。そう思った。登場人物を原作の枠内に戻し、その中で何ができるべきか考え直すべきなのではないか。
原作にはまず主人公ニモがおり、彼は夢を見るたびにまどろみの国﹁スランバーランド﹂へ迷い込み、そこで出迎えの人物からプリンセスのもとへ案内するといわれ、夢の奥深くへ進んでゆく。そして、アンバランスな状況に陥り目を覚ます。これを繰り返す。やがてニモはプリンセスと邂逅し、いっしょに軍艦や飛行船に乗ってさらに夢の奥深い場所を目指すようになるのだが、やはりアンバランスな状況に陥り目を覚ますパターンを繰り返す。
なんのことはない。原作にはすでに、快楽原則を助長する要素として、きちんとプリンセスなる存在があるのだった。ならば、オーメンなど切り捨てても同じことはできる。その上でプリンセスを看板のような絵空事のヒロインに終わらせず、その性格をきちんと人間的に造形すればよい。その上で、彼女を絵に描いただけのお姫さまに終わらせたくなければ、ニモとのあいだに何らかの葛藤を設けるのがよい。そして、それはすぐに思いついた。ニモは、必ずしも彼に好意を持っているわけではなかった彼女のために、でも粉骨砕身し、やがて2人のあいだの葛藤が解けたとき主題は全うされる。
この当時はまだコクヨの400字詰め原稿用紙を使っていたのだったか。梗概を書いて大塚さんに読んでもらった。大塚さんとして基本的にOKなので、早速これを英文にも翻訳して関係者に回す、ということになった。
大塚さんが﹁早速﹂ということになったら、文字どおりとても迅速だ。
大塚さんは、アメリカ関係の製作秘書みたいなことをしている﹁アメリカ人のおばさん﹂が、﹁今まで出てきたストーリーで一番おもしろいといってくれた﹂という。お世辞なのかもしれないが、うれしくないわけがない。ただ、エグゼクティブ・プロデューサーのレベルでOKをもらえるかどうかがあくまで重要なのだが、これはもらえるはずがない、という気持ちもはじめからあった。レイ・ブラッドベリやら何やら投入しているところに、どこかのウマの骨が書き物を出したところで、受け付けられると期待するのは難しすぎる。
で、結果として案の定、門前払いを食らったようだった。
﹁こちらの主体性が受けつけられないのなら、これ以上は無理です﹂
と大塚さんにいったら、即座に反応が返ってきた。
﹁降りよう﹂
大塚さんが監督を降りるなら、どちらにしてもこちらの立場はない。もろともだ。
﹁降りましょう﹂
ほかに国内ものの企画でも立ててそちらでスタッフを回してゆけばよい。大塚さんは即座に気持ちを切り換えたようだった。何かアイディアはないかというので、思いつきを二、三答えたりもした。
しかしながら、会社があてがってくる目先の仕事はやはり合作で、﹃ブリンキンズ﹄という各色の光を放つ蛍の妖精みたいなものを主人公にしたアメリカのTVスペシャルを作れといわれた。
この仕事では、再びロサンゼルスへ3週間ずつ2回ほど飛ばされたが、ずっと滞米生活をしている出崎統さんにもお世話になった。藤岡さんの家にスタッフが集まって夕食をともにするときなど、出崎さんはペーペーの身でしかないこちらのために、わざわざ御飯をよそってくれ、ビールをついでくれたりするのだった。
TMSロサンゼルスの現地責任者である常田さち子さんは、元はピアニストを目指していたといい、夕食後のひととき、藤岡さん邸の暖炉の前のピアノでさち子さんが﹃鉄腕アトム﹄の主題歌を奏で、虫プロ出身の池内プロデューサーと出崎さんが声を合わせて歌うなどというひとときは、かけがえのないもののように感じられた。
藤岡さんはあいかわらず夢見がちなように、
﹁﹃NEMO﹄の音楽はジェリー・ゴールドスミスに決めた﹂
だとか、
﹁ニモの声はスピルバーグの映画に少年役で出演していたあの男の子、あれはどうか﹂
などと色んなことをこちらに喋りかけてきた。中には、
﹁テレコムの作画スタッフの1人ひとりが何が得意かリスト作ってくれ。それを活かせるようなシーンを作らなきゃならん﹂
などというものもあった。どうも相当な程度にまでディズニー流の頭になってしまっていたらしい。こういうものは、聞いたふりだけして忘れてしまうに限る。
合作の仕事のアメリカ側プロデューサーは、それでも気を遣っている面もあったのだろうが、その言葉は居丈高に聞こえた。
﹁仮に自分が君のものにOK出したとしても、あのブラックタワーが果たしてうんというかどうか﹂
などと、いう芝居がかった言葉も聞かされた。その部屋の窓からは森が見え、その森の彼方に黒い塔のような高層ビルがそびえているのが見えたのだが、それがどうもクライアントの会社の持ちビルであり、森はその地所のようだった。
プロデューサーからいいくるめられるにしても、内容に即した必然性を問うてくるのならそれでもよい。しかし、こんな具合に問答無用の位打ちで圧力をかけられてはたまったものではない。
ここへきて、以前にはもっと中学程度の英語でコミュニケーションしようという気持ちもあったのだが、どんどん英語なんか使わなくなってしまっている自分がいた。
コンテの清書を大塚さんにまで手伝ってもらっておきながらではあったが、これはもう限界、と感じたので、﹃ブリンキンズ﹄を降り、テレコムを退社することにした。
東京で退社の意思表明をしたら、途端に社長室に呼ばれてしまった。東京に戻っていた藤岡社長と川野専務が揃って慰留してくれるのだが、その言葉が﹁うちも久しぶりに国内のTVシリーズ準備中でな。だから、な﹂というのだった。そういわれるからには自分が抱えている問題の半分程度は、この経営者たちにも伝わっているに違いなかった。
いずれにしても、もう屈する膝もなかったので、﹁辞めさせてください﹂の一点張りで押し通した。
﹁それならしかたないけど、な、川野くんな、彼の連絡先、ちゃんと聞いとけよな。なんかあったら声かけなきゃならんから﹂
藤岡さんのそうした言葉はもちろん社交辞令なのだが、それなりにうれしかった。
藤岡さんの顔を見たのは、それが最後になった。