第46回 ふたつの映画の狭間で
最初、﹃魔女の宅急便﹄は60分の中篇、同じ長さのもう1本の映画と抱き合わせて2本立て上映、というプランだった。﹃火垂るの墓﹄と﹃となりのトトロ﹄が同じく60分の中篇2本立てプランから出発していたのと同じような座組みだった。やや違っていたのは、﹃魔女の宅急便﹄と抱き合わせられる相方のもう1本には実写を予定していたことだった。
﹁今回は若い監督による若い女性向けの2本立て﹂
﹁若い女性を動員すると客層に強みが出る。トレンディに﹂
﹁﹃魔女の宅急便﹄は若い女性を刺激するため、彼女らが憧れる理想化されたヨーロッパを舞台にする﹂
﹁併映にするもう1本は女子バレーボールの実写もの﹂
﹁その監督としてこれこれの人を使うことを考えている﹂
宮崎プロデューサーが色々と語ることを、いちいち、
﹁はあ﹂
﹁はあ﹂
と聞いていたが、最後の最後にきて、
﹁ん?﹂
となってしまった。併映映画の監督として﹁テレビで見た実写ドキュメンタリーのディレクターを考えている﹂というのだが、
﹁いや、その作品作った方のこと、ご存知ですか?﹂
﹁今までにない斬新でおもしろい映像表現を使ってる。常識に縛られてない若い人なんだろう。そういう人にぜひ映画を撮る機会を与えてみたい﹂
﹁いや、その作品を作った方、海外での評価も高い、映像方面では国際的にも巨匠クラスの人ですよ﹂
宮崎さんと鈴木さんは顔を見合わせた。
2本立て、という話はそれ以降、すっかり聞かなくなってしまった。実写とアニメーションの若い新人監督2人に競作させる、というプランはどこかに消えてしまって、﹃魔女の宅急便﹄は、80分の単独作品として作られることとなる。これで少しハードルが上がってしまった。
宮崎プロデューサーは、現場作業のメインスタッフを指名し、シナリオライターを指名し、ロケハン場所を指定した。
ここにロケハンに行け、といわれたのは、その昔、宮崎さんが東京ムービーの藤岡豊さんと2人、﹃長くつ下のピッピ﹄の映像化許諾を原作者からもらうために赴いたスウェーデンだった。
水一杯飲むにも言葉が通じず絵を描いた、などというこの旅の珍道中ぶりは以前から漏れ承っていたりもした。また、このとき見たストックホルムの市街のさまを流用して、﹃ピッピ﹄のかわりに就くことなった﹃ルパン三世﹄の﹁7番目の橋が落ちるとき﹂の舞台に流用していたことも聞いていた。﹁ルパンを捕まえてヨーロッパへ行こう﹂などというエピソードはそれ自体がこの旅をもじったものだったはずだ。そんなふうに副産物をたくさん生み出した海外旅行だったようなのだが、肝心の目的は結局完遂されてない。主人公のキャラクターが寄り目に描かれていたことで、﹃ピッピ﹄の原作者アストリッド・リンドグレーンの気持ちが躓いてしまったのだと聞いている。
宮崎さんは、藤岡さんが交渉事に挑んでいるあいだにバルト海に浮かぶゴットランドに渡って、その12世紀以来の町並みを可能な限り記憶にとどめるロケハンを行っていたのだという。スケッチブックに貼られた﹃ピッピ﹄のイメージボードを見せてもらった。1冊ほとんど丸々が、ゴットランド島の民家を描いた絵で埋められていた。
﹁ロケハンってこんなふうにやるんだ﹂
と、宮崎さんはいった。
ロケハンにはいつ行くか、といわれたのだが、イメージを得るためにできるだけ早く行きたい気持ちだとこたえた。
﹁何と何を描くのか決め込んでからのほうがいい﹂
とはいわれたが、こちらとしては宮崎さんのいう﹁若い女性が好むヨーロッパ﹂をまず理解して踏まえるためにも、早急に行ってしまいたかった。むしろシナリオ・ハンティングを自分は求めていたのだということになる。
ロケハンにいく費用を捻出するために、﹃トトロ﹄のセルを売る必要があった。当時のスタジオ・ジブリは会社でもなんでもなく、作品を作る都度フリーや他社からの出向者を集めて仕事させるめの﹁場所﹂に過ぎなかったので、作画その他のスタッフは全部去って空っぽになっていたのだが、田中栄子さん以下の﹃トトロ﹄班の制作チームだけは残っていた。引き続き﹃魔女の宅急便﹄を行うためだった。
制作担当の田中栄子さんとは、まだ﹃トトロ﹄が制作中だった時期に最初にお目にかかった。ジブリの﹃トトロ﹄班が入っていた吉祥寺のビルの一階の喫茶店で宮崎さんと話をしていたら、ミニスカートの若い女性が入ってきて﹁どうぞよろしくお願いします﹂と挨拶されたのだった。当時の栄子さんは﹁緊張感を保つため﹂と称していつも短いミニスカートを履いていた。
販売用のセル作りが栄子さんの制作チームの仕事となった。そのおかげで僕たちはスウェーデンに行くことができるようになった。値段をつけて売れそうなセルをより分け、背景付の豪華セットも作り、キャラクターのサイズが小さなセルは切り取ってリボンをつけてしおりにした。
﹃トトロ﹄といえば、宮崎さんは公開が始まったこの映画には若干の不安感を抱いているようだった。手塚さんもそうだったし、作家とはそういうものともいえそうなのだが、完全な自信を伴った磐石の態度で批評を受け止められるものではない。宮崎さんも、人が何かいったことが聞こえてくれば、急にそわそわしだすのだった。
﹃トトロ﹄については、
﹁メイが迷子になってから先、トトロが活躍しないまま映画が終わりまで行ってしまう﹂
というような声を、封切り直後に受け止めてしまったらしい。その部分を是正するために若干の新作場面の追加したい、と発案した。この場合、プロデューサーは原徹さんだったのだが、原さんはたしか﹁しょうがねえなあ﹂という態度だったように、かすかに覚えている。宮崎さんは追加シーンの新作を行うつもりにすっかりなっていて、絵コンテ用紙を取り出し始めていた。
﹁ちょっとこっち来て相談乗って﹂
といわれた。
﹁あのな。元のコンテのここにこういうカット挿入する﹂
妹メイが行方不明になった不安をサツキから訴えられたトトロはふたりで木のてっぺんに登る。既完成版だとここでネコバスが来るのだが、その前に一段階置く。トトロの千里眼の目がカッと開く。と、サツキの目もトトロそっくりにカッと開く。トトロと同じ形の目で千里眼になったサツキの視野がはるか遠方にまで延び、迷子になって泣いているメイを見つける。そこでトトロはネコバスを呼び出し、以降の展開は元のとおりに戻る。
﹁千里眼の見た目の視野の表現、これカメラワークどうすればいいと思う?﹂
というのが、こちらへの相談だった。ものすごい移動量を持った奥行き移動のカメラの動きをどうやったら作り出せるか、というのだ。カメラワークに関してはまだしも信頼を置かれていたようだった。
ワンカットのカメラではなく、ポン、ポン、ポンと数カットつなぐ、という案を提案してみた。ウォルフガング・ペーターゼンの﹁Uボート﹂でワンカットに見える長大な移動カットが、実は数カットの集積であるのと同じようにやろうというわけだ。
﹁なるほど﹂
宮崎さんはいって、切りかけの絵コンテに消しゴムをかけ、こちらの提案に沿うようにその場で描き直した。
この﹃トトロ﹄の追加修正は結局行われていない。なんとなく﹃トトロ﹄を褒める声が多く聞こえてくるようになって、宮崎さんの安堵感が満たされてしまったのだった。