第71回 誰かが見ていてくれる
スタジオ4℃での﹁大砲の街﹂の制作は、美術や特効のみなさんとも机を並べて、和気あいあいと楽しいものだったが、終わってしまえば散り散りにならざるを得ない。ここで間髪入れず﹃アリーテ姫﹄につながりでもすればよいのだろうけど、そっちの方はどうも企画の営業が進んでいない様子だった。4℃内では、それよりも、せっかく﹁大砲の街﹂でひじょうに効果的なものが得られた小原さんの蒸気をうまく使ってスチーム・パンクの作品が作れないかと大友さんが発案して、急速にその企画をまとめあげるのに忙しそうだった︵これが﹃STEAM BOY﹄になってゆく︶。
この時点は1995年だったはずで、自分は30代半ばになっていた。
﹁体力で仕事できるのはここ数年かな﹂
という思いもある。思い切って、TVシリーズの仕事をたくさん、しかも絵コンテだけでなく演出も込みで、できるだけたくさん、どこまでできるか試してみたいような気分にもなっていた。
こういうときは旧知の日本アニメーションに相談してみるに限る。と、
﹁演出までとなると世界名作劇場はもう埋まってるので、﹃ちびまる子ちゃん﹄だったらどうか﹂
という返事がかえってきた。なにせこの年は﹁チャレンジしたい盛り﹂の季節だったので、引き受けることにした。﹃ちびまる子ちゃん﹄は以前、芝山努さんの監督でTVシリーズ化されていたので、パースをまったくつけない独特な構図だとか、そうした特異性に挑み甲斐を感じてしまったわけだ。今回の新シリーズは、もらった設定集の表紙などには﹃ちびまる子ちゃん1995﹄とタイトルされていた。
﹁ああ、前のやつと区別するためにね﹂
と、制作デスクの小村統一さんはいったのだが、そのまま今に至るまでこの第2シリーズは放映され続けている。
小原秀一さんから、
﹁﹃大砲の街﹄の美術で一緒だった勝井和子さんが、片渕さんに連絡してもらいたがってる﹂
という話をもらった。
﹁なんだろう?﹂
と、実はアトリエブーカの代表である勝井さんに電話してみた。
﹁マッドハウスの丸山さんが、﹃片渕須直という人を知ってるか? 探してるんだけど﹄というのよ。﹃大砲の街﹄でいっしょだったっていったら、﹃ああ、それならマッドのほうに電話してもらって﹄って。いい、電話番号いうわよ……﹂
マッドハウスのプロデューサー・丸山正雄という人の名前は知っていたが、探されるいわれにまったく心当たりがなかった。キツネにつままれたというか、よくわからないままに電話してみた。
と、
﹁ああ、﹃うしろの正面だあれ﹄ってやったでしょ﹂
と、この丸山さんという人はいう。
﹁やったっていっても、レイアウトですけど﹂
﹁ちょっとこちらへ来ていただけるといいんですけど、ご都合はどうですか?﹂
阿佐ヶ谷のとあるビルの住所を教えてもらった。
しばらくして、その場所に行ってみると、青梅街道に面した1階が酒屋のビルだった。小さいエレベーターで教えられた階まで登ると、いろんなものでゴチャゴチャになった部屋が現れた。植物の鉢植えがいっぱいあって、窓辺の方は緑色に染まっていた。
﹁その辺に座って﹂
と、丸山さんはいったのだが、植木バサミでチョキチョキ剪定しながら、だった。
﹁今、樹医になろうと思って勉強しててね﹂
﹁はあ……﹂
なかなか本題がはじまらない。
﹁さてと……﹃うしろの正面だあれ﹄ってやったでしょ﹂
﹁はあ。やったっていっても、レイアウトですけど﹂
﹁それでもいいの。虫プロのあの一連の映画は全部見てるんだけど、全部同じスタッフで作ってるはずなのに、﹃うしろの正面﹄だけちょっと違うね﹂
﹁はあ﹂
﹁で、誰のせいで変わったのかな、と思って、エンディング・クレジットの名前を全部見てみたら、この1本にだけ関わってる人の名前を見つけたの。ずいぶんさがしてたんだけど、まさか同じ﹃MEMORIES﹄の仕事やってたとはね。灯台下暗し﹂
マッドハウスでは、オムニバス映画﹃MEMORIES﹄の第2話を作っていた。﹁大砲の街﹂は第3話だった。
﹁というわけです。うちの仕事、手伝ってもらえませんか﹂
﹁……はあ﹂
﹁今やってるのは、こういう仕事とかです﹂
と、見せてもらったのは、最近作り始めたばかりという﹃あずきちゃん﹄のキャラ表だった。ああ、こういうのなら、自分にもできそう。
この際、量で仕事する、と決めてばっかりだったので、
﹁マッドハウスの仕事、やらせていただきます﹂
と、答えた。
﹁じゃあ、僕の横の机に座ってもらえるといいんだけど﹂
﹁?﹂
﹁こういう﹃あずきちゃん﹄みたいなのも含めて、たくさんの仕事が僕の前を通り過ぎてくんだけど、そのチェックを手伝ってもらえたらなあ、なあんて﹂
いったいどういう話なのだ、これは?