18日夜、前職の先輩のお通夜に行って来ました。
トイレの個室で吐血、倒れてしまい、そのまま意識を失って…とのこと、死因は動脈硬化による心不全だそうです。
15日の夜。
奥様は、19時以降携帯をずっと鳴らしてたらしいんだけど、携帯はバッグの中、バッグはデスクの足元。
会社の電話は代表電話しかわからない。そしてその代表電話は、夜は留守電。
ミッドタウンの警備(?)に電話してもロクに相手してくれなかったみたい。
結局残業中の同僚が、いつまでたっても何時間しても戻らない先輩が気になってフロア中を探しまわった結果、トイレで、どんだけノックしても反応がないドアを見つけたそうです。
トイレの個室で倒れた場合、ドアが中側に開くタイプのものは救出にものすごく時間がかかるということを初めて知りました。
連絡したくても連絡が取れない、誰に連絡すればいいのかわからない。
奥様はさぞかし無念だったと思います。
同僚の﹁何がソーシャルだ﹂という言葉が胸に刺さりました。
人生で、﹁自分のために人が集まるタイミング﹂は3回あると言いますよね。
1つは生まれた時
1つは結婚した時
1つは死んだ時
︵まぁ人によっては違うかもしれませんが︶
生まれた時はまぁ置いといて。
自分が能動的に人を呼べるのは結婚した時だけ。
自分が死んだことを、自分から能動的に人に伝える術はない。
そういうのってなんとか解決できないのかしら。
まとめると、結局ありきたりなんだけど、﹁いつ死んでも悔いのない人生﹂を送りたいと思いました。