[2007. 2. 12] ほぼ1年ぶりに改訂しました.最近,﹁東郷ビール﹂についての誤解はずいぶん減ったように思います.これを機会に,記述をいろいろ整理しました.また,﹁国産東郷ビール﹂についてと﹁リップサービス﹂について記述しました.
※随時訂正・改訂しています.最終更新‥2007年2月12日
「東郷ビール」とは
最近は少なくなりましたが,以前から,いろいろな書物・記事に﹁フィンランドには,日本の東郷提督を記念した﹃東郷ビール﹄がある﹂という話が出ています.たとえば,もう大分前ですが,雑誌﹁SAPIO﹂1996年11月27日号に,﹁世界の移住最適都市ベスト13﹂という記事があり,第6位にヘルシンキが上がっていました.その中に,つぎのような記述が出ていました.
フィンランド人の対日感情はかなりいい.バルト海で睨みを利かせていたロシアのバルチック艦隊を日露戦争時に日本海海戦で打ち破り,これが結果的に1917年のフィンランド独立に貢献したことから﹁独立運動の恩人﹂として東郷平八郎元帥が慕われ,その顔をラベルに印刷した﹁トーゴービール﹂が今でも販売されているというほどである.
しかし,残念ながら,この話は間違いです.
確かに,﹁東郷提督の肖像をラベルにしたビール﹂がフィンランドに存在したのは事実です.しかし,それは﹁東郷ビール﹂ではなく,﹁Amiraali︵アミラーリ,﹁提督﹂の意味︶ビール﹂という,世界各国の提督の肖像がラベルになったビールのひとつなのです.シリーズの中には,有名なイギリスのネルソン提督や,日本の山本五十六提督,それに,日露戦争時のロシア海軍の司令官であるマカロフ,ロジェストヴェンスキー両提督も入っていたそうです[1].
Amiraaliビールは,1970年からフィンランド・タンペレ市のPyynikki(ピューニッキ)社が製造・販売していましたが,Pyynikki社は倒産してSinebrychoff(シネブリコフ)社に吸収され,Amiraaliのブランドも受け継がれたものの,1992年についに製造中止となりました[1-3].私は1994-95年にタンペレに住んでいましたが,私が滞在していた研究所の人によれば,研究所で国際会議を主催した際,Amiraaliビールの工場の見学ツアーを催したこともあったそうです.フィンランドに滞在中,コウヴォラ(Kouvola)という町の食堂で,Amiraaliビールの古びた看板を見つけました︵残念ながらどの提督かは覚えていません︶が,その看板以外,Amiraaliビールの痕跡はまったく見当たりませんでした.
2003年,"Amiraali Togo"ビール復活.しかし...
2002年になって,タンペレのKoskipanimo社がSinebrychoff社からライセンスを受け,Amiraaliビールを生産することが発表されました[3-6].Koskipanimo社はTampereのいわば﹁地ビール﹂の会社で,この会社のビールは直営レストラン"Plevna(プレヴナ)" [7]をはじめ,タンペレのいくつかのレストランで飲むことができます.
Koskipanimo社製Amiraaliビールも,Plevnaをはじめとする4つのレストランのメニューとしてのみ2003年に販売が始まり[3],クラスIII︵もっとも一般的なビール,アルコール度数4.7%︶の"Amiraali Togo"とクラスIV︵アルコール度数がより高いビール,アルコール度数5.7%︶の"Amiraali Nelson"がメニューに登場しました.看板や店のビールサーバには,下の写真のように,かつてのAmiraaliビールのものと同じラベルがつけられました.
私は,2003年6月にタンペレを訪れ,Plevnaに行ってきました.下の写真はそのときのものです.
Plevnaの入り口付近です.Finlayson(フィンライソン)繊維工場[8]の歴史的建物を利用しています︵写真をクリックすると拡大します︶.
Plevnaの入り口にある看板です.Amiraaliビールのネルソンラベルと東郷ラベルが出ています︵写真をクリックすると,看板だけを拡大します︶.
店内のサーバーです.2つのAmiraaliのラベルを指差しているのは私です︵写真をクリックすると,ラベル付近だけを拡大します︶.
しかし,その後2004年2月に確認したときにはPlevnaのメニューからはAmiraaliビールが消え,"Jälleenmyyjät"︵リセラー︶のページに,Amiraali Nelsonがあがっているだけになり,それも2004年12月までにはなくなりました.2004年4月にPlevnaを訪れられたタンペレ在住の読者の井出さんによると,上の写真にあるサーバからもAmiraaliビールはなくなっていたそうです.つまり,東郷ラベルのAmiraaliビールは,復活後ほんのわずかな期間販売されただけで消えてしまったわけです.
その後,2004年2月からは,ビン入りのAmiraaliビールが,ライセンスをもつSinebrychoff社[3]から販売されており,同社のサイトに説明が出ています.ラベルはNelsonだけですが,PlevnaのメニューにあったクラスIVのAmiraali Nelsonとは異なり,クラスIIIのビールです.
現在売られているSinebrychoff社版Amiraaliビールのラベルの写真︵下︶を,下の﹁生き続ける﹁伝説﹂と謎﹂の節の﹁否定する見解4.﹂を述べておられる,フィンランド在住のTosiさんが送ってくださいました.
(写真をクリックすると拡大します)
このページの下のほうに,やはりTosiさんから送っていただいた,1970年代当時のAmiraaliビールのラベルの写真があります.Tosiさんによると,現在のラベルは当時のものよりも若干大きく,また当時のような薄いアルミ箔ではなく紙製だということです.また,当時は︵Tosiさんのご記憶では︶,24本入りのケースの中にいろいろな提督のラベルのビンが入っていたそうですが,現在のものは,1ケースすべてがネルソン提督のものになっているそうで,﹁おそらく他の提督のラベルはないだろう﹂ということです.
日本で売っている「東郷ビール」
製造が中止されたはずの﹁東郷提督のラベルのAmiraaliビール﹂ですが,実は日本では現在も売られています.これは,日本での要望に対応して,日本の輸入業者がオランダ製のビールにAmiraaliビールのラベルを貼って販売している﹁復刻版﹂だそうです.横須賀の三笠公園などの,旧日本海軍ゆかりの土地でおみやげとして売られているほか,ネット上にも売っている店があります[9].
[2007. 2. 12] 最近は,日本国内で製造されている﹁復刻版﹂があるそうです.﹁pokoponにっき﹂というブログで,ラベルの写真入りで紹介されています[10].
﹁フィンランドに﹃東郷ビール﹄がある﹂という﹁伝説﹂は,Amiraaliビールの製造が中止されてからも一向に衰えず,いろいろなところで語られています.また,冒頭に引用した記事のように,﹁東郷ビール﹂と日露戦争での日本の勝利を結びつけた見解もよく見られます.それらのほとんどは単なる伝聞として語られているものですが,中にはある程度具体性のある話もあって,ネットなどで探したところ,以下のものが見つかりました.
(一)インターネット国際情報銀行 フィンランド支店・・・﹁預入れ番号‥FI100001A﹂の項︵金井誠一氏︶に,﹁大国ロシヤに領土を獲られていた頃、日本が日露戦争に勝ってくれたおかげでロシヤから解放されたので、フィンランド人は日本人に感謝をしているのだと、その時に聞かされて妙な気がしました。”トーゴー”ビールはそのフィンランド人の東郷元帥への気持を顕したものだとのことです。﹂という記述が,1972年の話として出ています.
(二)夜久竹夫氏のホームページ・・・﹁世界の街﹂のヘルシンキの項に,﹁日本人と見るとアドミラル東郷を知ってるか、と話し掛けてくる、というのは本当。何回も聞かれた.︵中略︶東郷ビールというのがあって飲んだ。﹂という記述が,1978年の話として出ています.
(三)
1997年10月6日の朝日新聞・天声人語・・・フィンランドのソルサ(Kalevi Sorsa)元首相がシンポジウム﹁新時代のきずな‥日本とEU﹂で紹介した話として,﹁この国を統治していたロシアが戦争に敗れたことで、独立の機運がにわかに高まる。翌年の一九○六年、議会法令が改正され女性に参政権が与えられた。公職に選ばれる権利も認めた世界で初の偉業だった。以来フィンランド国民は﹁トーゴービール﹂を飲んで往時をしのぶ、と元首相。日本の元帥にちなみ名付けられた人気の銘柄だという。﹂と書かれています.
一方で,このような見解を否定するもので,やはり伝聞でないものとしては,次のようなものがあります.
(一)[1]のサイトのこのページにある,在日フィンランド大使館の﹁東郷ビール問題﹂についての見解︵2000年︶・・・冒頭で﹁東郷ビールなるものは実在しません。﹂と言い切っており,また﹁日露戦争︵1904−05年︶におけるロシアの敗北がフィンランド国家独立の誘因となったという明確な論拠を見出すことはできません.むしろ,フィンランド人は日露戦争で,ロシア側の兵士として参戦し,日本軍と交戦しています.﹂とも述べています.
(二)フィンランドに長く在住されている読者の井出様からいただいたお話︵このサイトの﹁フィンランドは親日国か﹂のページのこの部分に掲載しています︶・・・﹁日本と聞いて日露戦争を連想するフィンランド人はまずいないし,東郷平八郎などまるで知られていません.﹂と述べています.
(三)Finnish-Japanese Societyの会報の編集長を務めるなど,日本と関わりのある仕事をしているHannu Aronsson氏のサイト[11]の,1994年のネットニュースへの書き込み・・・Amiraaliビールと日露戦争の関係について,Aronsson氏は"As to the beer, it is probably more a funny coincidence than a historical fact ;-)"︵そのビールについては,歴史上の事実というよりもおそらくおもしろい偶然の一致といったところでしょう︶と述べています.
(四)Living in Finland・・・フィンランドで・・・の項にあるNo.10 東郷ビール (14/Oct./01)という記事によると,このサイトの作者のTosiさんは1971年にフィンランドでウェイターをされていたそうで,﹁誰も東郷ビールとは言わなかったし、日本人の私がビールを客に持っていっても誰もなんの反応も示さなかった。﹂と述べています.
上記サイトは現在工事中で,﹁フィンランドで・・・﹂の項はサイトからなくなっています.作者のTosiさんから﹁No.6 東郷ビール (29/Aug./00)﹂の記事のファイルを送っていただきましたので,お許しを得て当サイトで公開します.こちらをクリックすると別ウィンドウで開きます.
また,2003年のAmiraaliビールの復活について述べているフィンランドのウェブページを,下の﹁参考ウェブページ﹂にいくつかあげていますが[3-6],東郷提督や日露戦争とフィンランドとの関係について触れているものはみつかりませんでした.
Amiraaliビールと日露戦争の関係を肯定する見解のうち,1.と2.は1970年代の話です.これは私の想像ですが,このころ,何かのきっかけで東郷提督と日露戦争の話がフィンランドに広まっていて,関心をよんでいたのかもしれません.ただ,﹁否定する見解4.﹂も1970年代のもので,実際のところは不明です.
また,大変興味深い﹁肯定する見解3.﹂ですが,ソルサ氏が講演した1997年時点ではAmiraaliビールは既になく,ソルサ氏が首相として活躍していたのは1970, 80年代ですから,この話もそのころのことを語っているのかもしれませんが,これはソルサ氏の講演の全体を聞かなければわかりません.
ソルサ氏の演説について,1997年当時の朝日新聞を調べてみましたが,上の﹁天声人語﹂以上の内容はわかりませんでした.シンポジウム﹁新時代のきずな‥日本とEU﹂については,駐日欧州委員会代表部が発行する広報誌﹁ヨーロッパ﹂1997年11/12月号に記事が掲載されています︵左記サイトでPDF形式で読むことができます︶.なお,ソルサ氏は2004年1月に亡くなられました︵Boston Gloveの記事︶.
この件について,フィンランド在住の井出様からは﹁﹃肯定する見解3.﹄は,Amiraaliビールは1970年代に発売されたものなのに﹃1906年以来フィンランド国民はトーゴービールを飲んで往時をしのぶ﹄と言っている点で,決定的におかしいのではないか﹂というコメントをいただきました.
ところで,最近の小中学校の社会科資料集の一部に,﹁日露戦争の際,日本の勝利を記念して,フィンランドでは東郷ビールが売り出された﹂という記述があり,Amiraaliビールの写真が掲載されているものがあるそうです.Amiraaliビールは1970年に発売されたものですから,これは全くの﹁伝説﹂で,誤りです.これについては,[1]のサイトで詳しく検証されています.
また,話が引用されるうちにだんだん変わってきて,おかしな話になっているものもあります.私は,1992年から98年まで,九州工業大学に勤めていたのですが,その同窓会の会報﹁明専会報﹂1997年11,12月号の記事に以下のような記述がありました.
九州工大資料館には東郷さんの大きな油絵が掲げてあります.この油絵とそっくりのラベルを貼った東郷ビールがスウェーデンから発売されています.スウェーデンやトルコなど当時ロシアから圧迫された国々の国民は,今でもこの大勝利を喜んでいるようです.
どこをどう巡ってこんな話になったのでしょうか.スウェーデンはロシアと戦って敗れ,フィンランドを失ったことはありますが,ロシアに圧迫されたことはありません.
﹁日本の東郷提督の図柄のビール﹂が外国にあるというのは,日本人にとっては,確かに誇らしく気持ちの良い話です.このように﹁伝説﹂が生きつづけるのは,それほど親日的な国があるのならあって欲しい,という願望があるのかもしれません.このことについては,フィンランド独立と日露戦争の関係の問題もあわせて,このサイトの﹁フィンランドは親日国か﹂というページで述べていますので,こちらもご参照ください.
ラベルの謎
上記のレストラン"Plevna"の写真にあるAmiraaliビールのラベルには,東郷ラベル・ネルソンラベルともに日本語で﹁フィンランドにて醸造 100%モルトビール﹂と書いてあり,さらに東郷ラベルには﹁東郷平八郎提督に敬意を表して﹂とやはり日本語で書いてあります.また,Yahoo!掲示板で知った情報では,南日本新聞のコラム﹁南風録﹂の1988年5月17日付で,上記の,Amiraaliビールの東郷ラベルに書いてある日本語の台詞について触れられているそうです.
一方,前節の﹁否定する見解4.﹂を述べておられるTosiさんからお送りいただいた,1970年代当時にフィンランドで売られていたAmiraaliビールのラベルの写真には,下のとおり,日本語の文字はありません.
(写真をクリックすると拡大します)
また,日本で現在売られている﹁復刻版東郷ビール﹂のラベル[9]や,﹁かさぱのすとちぱの﹃あんてーくし!﹄﹂[12]というサイトにある東郷ラベルのAmiraaliビール︵缶︶,あるいは[1]のサイトにあるHorn提督のラベルにも,このような日本語文字はありません.もしかすると,かつてのAmiraaliビールの日本向け輸出用製品に日本語文字付きのラベルをつけていて,Plevnaで出しているラベルがそれを複製しているのかもしれません︵ただ,Plevnaのラベルは,﹁復刻版﹂のものとちがって"EXPORT"の文字は入っていないものです︶.
この件については,私のほうでは調べがついていませんが,[1]のサイトの作者のJussiさんからご意見をうかがいました.﹁多分1980年ごろ,日本で何種類かのラベルのAmiraaliビールを見て,そのうち東郷ラベルのものを買ったが,そのラベルには日本語の文字はなかった.だから,上の説は違うのではないか﹂ということでした.
なお,PlevnaにあったAmiraaliビールのラベルは,以前のAmiraaliのラベルとは,細かいところで以下のように異なっています.
ラベルの左側の文字
以前のもの
PYYNIKKI, TAMPERE︵﹁タンペレ・Pyynikki株式会社﹂︶
Plevna
OY, TAMPERE︵﹁タンペレ・Koskipanimo株式会社﹂︶
ラベルの右側の文字
以前のもの
VALMISTETTU ALKO:n LUVALLA︵ALKOのライセンスのもとで製造︶
Plevna
VALMISTETTU OY SINEBRYCHOFF AB:n LUVALLA︵Sinebrychoff株式会社のライセンスのもとで製造︶
ラベルの周縁部の﹁JR線の地図記号﹂のような模様︵上記のJussiさんにご指摘いただきました︶
以前のものは黒色,Plevnaは青色
なお,"OY", "AB"はそれぞれフィンランド語,スウェーデン語で﹁株式会社﹂の意味です.また,"ALKO"とは,当時フィンランドにあったアルコール専売会社のことです.
芸者チョコレート
フィンランドには,日本に関係のある有名な商品がもうひとつあります.それが,Fazer社の"Geisha"チョコレートです.
現在売られている"Geisha"チョコレート.上記のTosiさんに写真を送っていただきました(クリックすると拡大します).
Fazer社のサイト[13]には社史が載っており,以前はここに﹁1908年 Geisha発売﹂と書いてあって,お寺のような図案の当時の包み紙も出ていました.そこで,私は﹁発売時期からして,こちらの方こそ日露戦争を記念したものである可能性があります﹂とここに書いていました.
しかし,この社史には,現在は,Geishaだけでなく商品の発売時期の記述はなくなっています.一方,サイトにある"Student Material"という書類(PDF)によると,﹁1950年の"Fazer's Best"アソートには,Geisha︵1910年発売,1981年にTokyoに改名︶が入っていた﹂という記述があります︵9ページ︶.また,同書類の11ページには,﹁Geishaは1962年発売﹂という記述があります.さらに,Brand Historyのページでは,Geishaは1964年発売となっています.なお,Tokyoという商品は,現在のFazerの商品リストには見当たりません.
以上のことから,20世紀初頭にあったGeishaと,現在のGeishaチョコレートは別のものではないかと思います.Geisha発売の事情については,これ以上の調べはついていないのですが,どなたかご存じないでしょうか.
いずれにせよ,Geishaチョコレートは﹁日本﹂というものを興味本位に扱っている印象を受け[14],日本人としてはあまり気分がよくないせいなのか,日本では﹁東郷ビール﹂のように語られることはないようです.
なお,私はFazerのmaitosuklaa︵ミルクチョコレート︶が好きで,フィンランド滞在から帰国してしばらくした後の自分の結婚式の披露宴では,フィンランド在住の知人からmaitosuklaaを送ってもらって,招待客に配って歩きました.ですが,Geishaは中にヘーゼルナッツクリームが入ったチョコレートで,私はこのような﹁詰め物入りチョコレート﹂が苦手なので,あまり好きではありませんでした.
ここに以前,Geishaの﹁詰め物﹂を﹁キャンデーのようなもの﹂と書いていましたが,上記のTosiさんから,キャンデーではなくヘーゼルナッツクリームだとのご指摘をいただきました.Tosiさんによると,この﹁ヘーゼルナッツクリーム入りチョコ﹂を考案したのは,Fazer社の創業者の孫だそうです.
思うこと
この﹁﹃東郷ビール﹄という伝説﹂のページをはじめて作ったのは1996年で,もう10年以上も前のことになります.この間,ネットの普及で情報が行き交うようになったためなのか,冒頭に書いたような﹁東郷ビール伝説﹂を見ることは少なくなりました.この間にいろいろ思い至ったことを,ここに書いてみます.
結局,﹁東郷ビール﹂はあるのかないのか? このページを読んだある知人から,﹁結局,結論はどうなんだ?﹂と言われたことがあります.
私は,このページにあげた,現在得られている情報から﹁日露戦争での東郷提督の活躍を記念した﹃東郷ビール﹄が,今でもフィンランドで売られている,というのは誤り﹂とは言えると考えています.しかし,﹁東郷提督のラベルのビールがあったのは事実なんだから,それを﹃東郷ビール﹄とよんでも差し支えないだろう﹂と主張する人もいるようです.私はその主張にまったく賛成しませんが,﹁どうしてもそう思いたければ,自分の責任でそう思っていればよい﹂くらいには考えています.
私は,歴史学者ではありませんが,研究者の一人です.だからこそ,このページの内容を,自分の主義主張に依存しない,なるべく客観的な記述とするようにこころがけています.ですから,﹁結局,結論はどうなんだ?﹂と言われるのもしかたないと思っています.﹁日本人なんだから,日本の提督を記念したビールがあるという﹃いい話﹄は,真偽以前に喜んで受け入れるべきだ﹂という考えにはまったく賛同しません.しかし,一方でソルサ氏の発言のような﹁﹃東郷ビール﹄などない﹂という主張に不利な証拠も隠さずに出しています.
日露戦争のとき,﹁東郷ビール﹂が売り出されなかった,という証拠はないのではないか? 確かにその通りです.
一般に﹁東郷ビール﹂として紹介されている﹁東郷ラベルのAmiraaliビール﹂は,日露戦争の時に売り出されたものではないことは確かですが,それとは別の﹁東郷ビール﹂はなかった,という証拠はありません.こればかりは,﹁なかった﹂ことを証拠によって証明することは不可能ですから,どうしようもありません.
ただ,以前,﹁日露戦争当時のフィンランドの新聞を調べたが,日本の戦勝を喜ぶ記事は出ていない﹂という話に対して,﹁当時のフィンランドはロシアの支配下にあったのだから,そんな記事が出せないのは当たり前﹂という反論が出されていたのを,ネット上の掲示板で見たことがあります.もしそうだとすれば,ロシアの支配下で﹁東郷ビール﹂を売り出すことなど不可能だったのではないか,とは思います.ロシア海軍の日本海海戦100周年式典を報じる2005年5月27日の朝日新聞の記事によると,ロシアでは,100年後の今でも,このときの敗戦は﹁屈辱﹂ととらえられているようです.
ところで,﹁南京大虐殺を語るスレ!Part4﹂というネット掲示板の588番以降で,東郷ビールについて議論︵?︶されていますが,598番の発言者は﹁Amiraaliビールよりも前に発売された﹃東郷ビール﹄﹂の存在について触れています.しかし,それがどういうものであるかは,とうとう最後まで述べられていませんでした.
※588番の発言者は当ページの内容をそっくり引用していますが,引用元について一言くらい触れていただいてもよいかと思うのですが...
リップサービス これが問題をややこしくしています.
在フィンランド日本大使館員を務められた小池政行氏の著書﹁踊る日本大使館﹂︵講談社,ISBN4-06-210003-7,2000年︶に,1987年1月に中曽根首相︵当時︶がフィンランドを訪問した際の話が出てきます.それによると,小池氏は晩餐会での中曽根首相のスピーチを執筆し,若き日の中曽根氏が,ベルリンオリンピック・陸上競技での日本選手とフィンランド選手との大接戦の様子をラジオで聞き,フィンランド人観衆の大声援にこめられた愛国心に感銘をうけた,というエピソードを,その中に盛り込んだそうです.そして,氏はその後に次のように述べています.
総理がベルリンオリンピックの中継をラジオで聞いていたかどうかは知らなかったが、スピーチの原稿に︵首相側からの︶訂正はまったく入ってこなかった。
このような﹁リップサービス﹂は,外交という国と国とのお付き合いの現場では,ごく普通のことのようです.上であげたソルサ首相のスピーチも,すべて真に受けるべきではないものなのでしょう.
なお,この中曽根首相のフィンランド訪問のとき,フィンランドの首相だったのが,上に出てきたソルサ氏です.この訪問のしばらく前に,中曽根首相が﹁日本は防衛努力を怠るとフィンランドのようにソ連のお情けを請う国になる﹂と発言し,在日フィンランド大使が遺憾の意を示すという事件がありました.また,この年は,-30℃の気温が連日続く猛烈な寒さになりました.同書には,その寒さの中の空港での中曽根首相とソルサ首相の対面での,小池氏の通訳としての機転が書かれています.
おまけその1・その他の「東郷○○」
﹁東郷ビール﹂ならぬ﹁東郷焼酎﹂は実際にあります.これは,東郷提督の地元である鹿児島県の薩摩酒造[15]の製品です.
私は,2005年秋に,広島県江田島市の海上自衛隊第一術科学校︵旧海軍兵学校︶[16]を見学し,校内のコンビニで﹁東郷焼酎﹂を買いました.
私は,1998年にも,鹿児島でこの焼酎を買ったことがあります.2004年11月に鹿児島を訪れる機会があったので探してみましたが,見つかりませんでした.
また,鹿児島には,Amiraaliビールによく似た企画の商品として,鹿児島の偉人をラベルにした﹁薩摩の偉人﹂という焼酎があります.これは,東郷平八郎,西郷隆盛,島津斉彬,大久保利通,黒田清隆の5人の肖像をラベルにした小ビンのセットで,小正醸造[17]の製品です.私は,2003年1月に鹿児島で買いました.
(写真をクリックすると拡大します)
一方,岡山県には﹁東郷酒造﹂[18]という酒造会社があり,﹁東郷﹂という日本酒を出しています.この名前は,この会社が創業した1905年に起きた,日本海海戦の勝利を記念したものだそうです.
また,戦前は﹁東郷ハガネ﹂という鋼材がありました.海軍軍人が,これをもじって﹁東郷バカネ﹂と陰口をいっていた,といわれています.これについては,ネット上にさまざまな情報がありますので,検索してみてください.
おまけその2・フィンランド語の「兵隊の位」
Amiraaliという言葉は,英語のadmiralと同じで,「提督」すなわち海軍の将官を意味します.他にも次のような例があり,外来語がどのようにフィンランド語化されるかを示す良い例になっています.下のように,有声子音の無声化(G → K)や子音語尾へのiの追加が起こります.
フィンランド語
| スウェーデン語
| 英語
| 日本語
|
Amiraali
| Amiral
| Admiral
| 提督
|
Kenraali
| General
| General
| 将軍
|
Majuri
| Major
| Major
| 少佐
|
Kapteeni
| Kapten
| Captain
| (陸軍)大尉
|
くわしくは,フィンランド国防軍[19]のウェブサイトをごらんください.
また,東郷ビールに関する情報をお教えいただいた,Jussiさん,えつろさん,井出さん,Tosiさんに感謝いたします.
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