2017.04.14
トルコにおける国民投票――「大統領制」は何をもたらしうるのか
去る2017年1月21日、トルコで現憲法︵1982年憲法︶の改憲に関する法案︵注1︶が議会︵注2︶にて成立した。これは、現憲法下のみならず、1923年の共和国建国以来90年以上にわたって続いてきた議院内閣制の廃止と、大統領制の導入を目指すものである。今回の改憲案は、4月16日に国民投票に付され即日開票されるが、賛成票が過半数におよべば、エルドアン大統領︵Recep Tayyip Erdoğan‥在職2014年8月~︶が多くの権力を手にする新たな体制が実現し、トルコは共和国史上最大の政治的転換点を迎えることとなる。
本稿では、こうした大きな転換をもたらしうる国民投票の背景を、エルドアンと彼の出身政党である現与党・公正発展党︵Adalet ve Kalkınma Partisi, AKP︶を通して分析するとともに、改憲案の内容や、改憲が承認された際におよぼしうる影響について検討したい。
エルドアンという政治家
トルコでは、2002年11月以来AKPによる単独政権が、数か月の中断︵後述︶を除いて15年近く継続している。AKP政権は、軍を中心とする従来の﹁体制︵エスタブリッシュメント︶﹂の変革を目指し、EU加盟という大義のもと﹁民主化︵≒政治の文民化︶﹂を推進、同時に高い経済成長率を達成してきた。その一方で、2013年半ば頃からは、イスタンブル・ゲズィ公園からトルコ各地に拡大した反政府抗議運動を、暴力を用いるかたちで鎮圧、メディアや大学を含め反政府的な勢力への圧力を強めている。
このような、一見相反するような施策をとってきたAKP政権は、結党時の党首であり、2014年8月まで首相を務めていたエルドアンの強力なリーダーシップに牽引されてきた。1994年3月にイスタンブル広域市市長として政治家キャリアを開始したエルドアンは、1999年3~7月の禁錮期間︵注3︶を経たのち、2001年8月にAKPを結党、初参加となった2002年11月総選挙で全550議席中363議席︵得票率34.4%︶を獲得したことで単独政権を樹立し︵注4︶、与党党首として国政の頂点に登りつめた。以降エルドアンは、今日にいたるまですべての総選挙でAKPを議会第一党に導いている。
︻表1︼トルコにおける総選挙︵2002年~2015年︶での各党の獲得議席数と得票率
︵注︶CHP‥共和人民党、MHP‥民族主義者行動党、HDP‥人民民主党
︵出典︶トルコ統計機構ウェブサイト︵http://www.tuik.gov.tr/︶より筆者作成
エルドアンは、2003年3月からAKP党首兼首相として党と政府を率いていたが、これまで議会選出であった大統領が国民の直接選挙による選出へと変更されたことを受け、2014年8月大統領選に出馬、第一回投票で過半数︵51.8%︶を得票したことで大統領に就任した。現憲法では、大統領は依然として象徴的な役割が強く、権限は限定的であり政治的中立性が求められている。しかしエルドアンは、﹁行動的大統領︵aktif cumhurbaşkanı︶﹂を標榜し、憲法規定によってAKPの党籍は離脱しているものの、首相︵AKP党首︶をはるかにしのぐ党・政治の権力者として強烈な存在感を示し続けている状況にある。
「行動的大統領」としてのエルドアン
先に述べたように、議院内閣制を採用するトルコでは、従来から大統領の憲法上の権限はあまり大きくない。憲法第8条では、執政権は大統領と内閣に属すると規定されているが、同104条で示された大統領の権限や任務を除いては、内閣およびその長たる首相が行使してきた。
たとえば、議会の解散や閣僚の任免についての判断を下すのは首相であり、大統領はあくまでもそれを承認する立場にとどまっている。大統領は、﹁共和国と国民の一体性を代表する国家元首﹂として︵同104条︶、中立であることが求められてきたのである。大統領が議会選出であった頃には、当選には概して議会議員総数の3分の2以上の得票が必要であったため︵同102条︶、大統領候補は必然的に議会第一党以外からの支持も得なければならず、制度的にもその中立性が幾分保障されていたといえる。
しかしエルドアンは、大統領就任以前から、現憲法で求められた大統領像を打破する方向性を打ち出していた。エルドアンによると、旧来の﹁体制﹂では大統領は体制の後見︵vesayet︶として機能しており、真の意味で中立ではなかったという。直接選挙による大統領の選出は、国民の側に立った大統領の誕生を意味するとされ、実際に大統領選挙の勝利演説では、エルドアンはそれまでの後見体制の終焉と全国民の代表としての大統領となることを宣言した︵注5︶。
エルドアン大統領とダヴトオール首相︵当時︶をあしらった選挙応援マフラー︵アンカラにて2015年6月筆者撮影︶。両者の顔とともに﹁国民の男たち︵Milletin Adamları︶﹂の文字が見える。
エルドアンが﹁行動的大統領﹂としての本領を発揮し始めたのは、2015年6月総選挙に向けて与野党の動きが活発化した頃からであった。出身政党であるAKPや政府を演説において支援するとともに、半ば公然とAKP候補者名簿の作成にも関与したとされる。また、AKPのマニフェストにも、内閣および首相が持つ執政権をエルドアン大統領に公式に付与する大統領制が、﹁効率的に機能する統治モデル﹂として描かれ、その導入を目指すことが明記された。さらに、現行制度で起こりうる首相と大統領の出身政党が異なる﹁ねじれ﹂状況を避けるためにも、大統領制の導入が必要であると主張された︵注6︶。
2015年6月総選挙では、AKPが議会第一党を維持したものの過半数に届かず、また連立交渉も不調であったことから、同年11月に再度総選挙が実施された。ここでAKPは、保守政党︵注7︶である自党に比較的近い、トルコ民族主義を標榜する民族主義者行動党︵Milliyetçi Hareket Partisi, MHP︶の切り崩しと取り込み、そして6月総選挙以降に悪化した治安の回復を達成するための安定した政権運営を強調した戦略を成功させ、再び単独政権に返り咲いた︵316議席︶。
しかし、エルドアンの目標であった、大統領制導入改憲案の議会承認に必要な367議席︵国民投票不要︶あるいは330議席︵国民投票による承認必要︶には届かず、その後エルドアンおよびAKP政権は、必要な議席を確保するためMHPへの接近を積極的に進めることとなった︵注8︶。
こうしたトルコ民族主義との結びつきは、同時に、トルコ国内の少数民族で広範な自治を求めるクルド系勢力との対立を深刻化させた。政府が﹁テロ組織﹂と認定するクルディスタン労働者党︵Partiya Karkerên Kurdistan, PKK︶と治安部隊との衝突回数は顕著に増加し、クルド系政党の流れをくむ人民民主党︵Halkların Demokratik Partisi, HDP︶はPKKとのつながりを疑われ、議会第三党にもかかわらず党首を含む議会議員が相次いで逮捕される事態となり、政党政治からは事実上排除されていった。
このような状況は、必然的に社会不安と治安悪化をもたらし、2016年7月に生じたクーデタ﹁未遂﹂をある種の﹁追い風﹂として、国民の間に﹁国民の側に立つ強力なリーダー﹂を待望する空気を醸成したといえよう。
クルド語とトルコ語の両方で書かれたHDPの選挙ポスター︵ディヤルバクルにて2015年6月筆者撮影︶。現在は共同党首の二名とも、逮捕・勾留されている。
改憲で何が変わるのか
エルドアンおよびAKP政権による働きかけが功を奏し、2016年末頃までにはMHP議会議員の大多数が改憲に賛同することとなった。これにより、最終的には国民投票による承認が必要となるものの、改憲に関する法律の成立に求められる330議席を上回る議席数が確保された。2016年12月にはより具体的な改憲案が検討され、2017年1月には議会に提出された18条すべてが成立した。これらは、一括して4月16日に国民投票に諮られるが、それぞれの主な内容は以下の通りである。
︻表2︼﹁トルコ共和国憲法改定に関する法律﹂概要
︵注︶◎大統領、〇議会、△司法機関にそれぞれ主に関連するもの。―はその他
︵出典︶﹃トルコ共和国官報﹄第29976号︵Resmî Gazete︶より筆者作成
改憲の目玉となる大統領に関する条文では、国民による直接投票での選出、任期5年・2期までといった規定に変化はないが、主な変更点をまとめると次のようになる。
・執政権は大統領に属する︵第8条︶
・国内外の政治に関し議会に意見を述べる︵同上︶
・1名または複数の副大統領、閣僚および上級行政官を任免する︵同上︶
・国家安全保障政策を決定し必要な措置をとる︵同上︶
・大統領令および規則を発令する︵同上・第16条︶
・議会解散権を有する︵第11条︶
・非常事態を宣言する︵第12条︶
・予算案を提出する︵第15条︶
・党籍を離脱する必要はない︵第18条︶
これらにともない、内閣の任務などに関する憲法条文は削除となる︵第16条︶。また、議会議員の任期は4年から大統領と同じ5年に延長され、総選挙も大統領選挙と同日に行われる︵第4条︶。改憲後初の次期総選挙・大統領選挙は2019年11月3日に実施予定となっている︵第17条︶。
議会解散権は、議会も議席総数の5分の3の賛成を満たすことで行使できるが、いずれにしても同時に大統領も失職し、総選挙・大統領選挙がやはり同日に実施される︵第11条︶。また、大統領は党籍を離脱せず、政党党首を兼ねることも可能となるため、議会多数派と大統領の所属政党が一致した場合には、大統領は事実上議会をコントロール下に置くことが可能となる。
大統領令の発令や非常事態の宣言については、従来よりもその内容が大幅に拡充されていることに注意が必要である。これまでは、大統領令は大統領府に関するものに限定されていたが、改憲案では執政にかかわる様々な事柄を対象としている。また非常事態についても、従来2種類の区分を撤廃し、あわせて戒厳令を廃止すること、ならびに宣言を閣議決定から大統領個人の決定へと変更することに、特徴がみられる︵第12条・第16条︶。
これらに加えて注目すべきなのは、予算案の提出権が大統領にあるという点である︵第15条︶。大統領が議会に提出した予算案は、予算委員会にて精査されたのち、議会の承認を受けて成立する。しかし、改憲案では予算委員会の構成についての言及はなく、大統領に近い委員で占められる余地も残っている。
司法機関と議会の変化
このような大統領への権限の付与に比して、司法機関や議会の独立性や影響力は、著しく縮小される傾向にある。
司法機関は、大統領による人事権の増大にともなって、その独立性に揺らぎが生じる可能性がある。まず、裁判官や検察官の人事をつかさどる裁判官検察官高等委員会は、名称から﹁高等﹂が削除され、委員も22名から13名へと削減、同委員会の委員長を務める法相と常任委員を務める法務省事務次官を除いた委員の選出も、大統領︵4名︶・司法諸機関︵計16名︶によるものから大統領︵4名︶︵注9︶・議会︵7名︶へと変更される︵第14条︶。
あわせて、大統領令も含め違憲審査を担当する憲法裁判所についても、裁判官が17名から15名となり、大統領がその大半である12名を任命することとなる︵第16条︶。こうした司法機関の構成に対して加えられた変更の影響は、改憲案第1条にある司法の中立性規定のみでは補いきれない程に大きいといえる。
議会に関しても、議会が大統領や副大統領・閣僚を罷免することは、大統領自身が議会解散を決定することに比べ、制度上非常に困難となっている点が重要である。議会において、大統領や副大統領・閣僚に対する審問を発議する際には議席総数の過半数が、また審問の開始には同5分の3以上が必要である︵第9条・第10条︶。
審問は、議員によって構成される委員会にて行われ、議会はそこでの報告書をもとに弾劾裁判所へ提訴することもできるが、これには議席総数の3分の2以上が求められる︵同上︶。さらに、弾劾裁判は憲法裁判所によって実施されるが、先に述べたように裁判官の多数は大統領によって任命されることに留意すべきであろう。
こうした司法機関や議会の﹁弱体化﹂を含む制度上の変更は、単なる大統領制の導入以上に重要な政治的転換をもたらしうるものといえる。つまり、改憲によって大統領は多くの権限を得るのみならず、総選挙・大統領選挙の同日実施などの、議会多数派と大統領の所属政党の一致をうながす仕組みゆえに、憲法規定以上に議会に影響力を行使しうる可能性も得るのである。
また、司法機関も人事を通して大統領の影響下に置かれうることから、改憲案が承認されすべての条文が施行された際の大統領は、非常に大きな権限を様々な場面で行使可能となる。これはまさに、エルドアンやAKP政権のいう﹁トルコ型大統領制︵Türk tipi başkanlık sistemi︶﹂であり、理念的な大統領制が権力分立を導くものであるならば、﹁トルコ型﹂は権力集中を志向するものであるといえよう。
国民投票とトルコのゆくえ
2月下旬に活動が解禁されて以降、改憲案賛成派も反対派も各地でキャンペーンを展開し国民投票における有権者の支持獲得を目指している。現状では、賛成/反対のいずれかが圧倒的に優位な状況にはなく、各種調査機関でも拮抗が予想されている。
賛成派は、AKPとMHP議会主流派、そしてエルドアン自身も精力的に活動し、その主張や演説について連日報道が行われている。AKPは直近の2015年11月総選挙で50%近くを得票し勝利したものの、同年6月総選挙では得票率は40%程度にとどまっていた︵表1を参照︶。
この差は主に、6月総選挙時にマニフェストに掲げられた大統領制導入に反対しながらも、11月総選挙では安定を求めた人々であると考えられる。また、議会主流派が賛成に回っているMHPも、議会外や従来の支持層には、大統領制導入に否定的な人々が数多くいるといわれている。賛成派にとっては、これらをどのように取り込んでいくのかが、キャンペーンの最終段階まで残る課題となるだろう。
一方、反対派は、野党第一党である共和人民党︵Cumhuriyet Halk Partisi, CHP︶、HDP、MHP議会反主流派が中心となり、改憲は独裁体制や国民間の分断を導くとして運動を展開している。これには、多くの労働組合やトルコ弁護士連合会などの組織も同調しているが、反対派勝利を確信できるほどの成果はあげられていない。
また、治安が著しく悪化しているHDPの地盤・トルコ南東部での投票率にも不安を残している。そしてそもそも、野党勢力はこれまでの選挙で﹁無敗﹂を継続しているエルドアンに有効な対抗策を打ち出せていない。トルコにおいて過去6回実施された国民投票では、反対票が過半数を獲得したのは1度きりである点︵注10︶なども、反対派にとってはひとつの不安材料となりうるだろう。
︻表3︼トルコにおける過去の国民投票結果
︵出典︶トルコ統計機構ウェブサイトより筆者作成
国民投票で改憲案が承認されなかった場合には、賛成/反対の票差によって、早期総選挙の実施や政界再編、あるいは大小の突発的な衝突も起こりうる可能性があるが、承認された場合には、まず、大統領の党籍離脱に関する条文の廃止が実施される見込みである︵注11︶。
﹁建国の父﹂初代大統領アタテュルク︵Mustafa Kemal Atatürk︶ですら成しえなかった、国家元首・執政府の長・議会第一党党首を兼ねる人物がトルコ共和国史上初めて誕生し、﹁体制﹂を完全に塗り替えることになるのか、それとも違う道を模索することになるのか。いずれにしても、今後のトルコと周辺地域の情勢を大きく左右することは間違いないだろう。投票のゆくえに注目したい。
︵注1︶﹁トルコ共和国憲法改定に関する法律﹂︵法律第6771号、2017年1月21日承認︶
︵注2︶トルコの議会︵トルコ大国民議会︶は一院制で、議席総数は550議席である。
︵注3︶1997年12月に政治集会でイスラームを称揚する詩を朗読したことにより、宗教・人種間の敵対心を扇動した罪に問われ︵刑法第312条︶、実刑判決が下った。
︵注4︶トルコの選挙制度は比例代表制であるが、全国での得票率が10%を超えない政党は議会に議席を持つことができない。2002年11月総選挙では、AKPとCHPのみが得票率10%を超えたため、両党は得票率以上の割合で議席を獲得した︵表1を参照のこと︶。
︵注5︶Hürriyet, 11 August 2014.
︵注6︶AK Parti [AKP], Yeni Türkiye Yolunda Daima Adalet Daima Kalkınma (2015), pp.38-39.
︵注7︶AKPは、そのルーツや党幹部の個人的信条からイスラーム主義的な政党とみなされる傾向があるが、党としては﹁保守民主主義︵muhafazakâr demokrasi︶﹂を標榜しており、これまでの政策もイスラーム主義的というより中道右派に近い。
︵注8︶岩坂将充﹁トルコにおける2015 年総選挙とエルドアン体制の政策変容﹂、﹃中東レビュー﹄第3号、2016年。また、トルコにおける大統領権限の変遷については、岩坂将充﹁議院内閣制における政治の﹃大統領制化﹄―トルコ・エルドアン体制と大統領権限の強化﹂、﹃日本比較政治学会年報﹄第18号、2016年、も参照のこと。
︵注9︶改憲後は、法相と法務省事務次官の任免は大統領が行うことから、大統領選出委員は実質6名となる。
︵注10︶唯一、反対票が過半数を獲得した1988年国民投票では、翌年に予定されていた地方選挙の1年前倒しが問われていた。
︵注11︶改憲案のうち、第2条・第4条・第7条は同日実施となる総選挙・大統領選挙の行程開始後、それ以外の第17条を除く条文は、新しく選出された大統領の任務開始後に施行される︵改憲案第18条︶。したがって、首相府の廃止と本格的な大統領制の導入は、2019年に予定されている同日選挙後となる。
プロフィール
岩坂将充
北海学園大学法学部教授。博士︵地域研究︶。 ビルケント大学大学院経済社会科学研究科︵トルコ︶、 および上智大学大学院外国語学研究科満期退学後、 日本学術振興会特別研究員︵PD︶、 同志社大学高等研究教育機構准教授を経て、現職。 専門は現代トルコ政治研究︵民主化・政軍関係・対外政策︶、 比較政治学、中東イスラーム地域研究。著作に﹃ よくわかる比較政治学﹄︵ミネルヴァ書房、2022年、 岩崎正洋・松尾秀哉との共編著︶など。