2013.02.22
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社会運動は「戸惑って」いるのか? あるいは、「失われたもの」をどのように取り戻すのか?
本書﹃社会運動の戸惑い ―― フェミニズムの﹁失われた時代﹂と草の根保守運動﹄︵山口智美・斉藤正美・荻上チキ︶は、2000年代前半に起こった、男女共同参画政策とフェミニズムに対する﹁バックラッシュ﹂と呼ばれた保守系反フェミニズム運動の﹁具体像﹂︵341頁︶を明らかにしようとするものである。
著者たちによれば、これまでの女性学・ジェンダー学の研究において、実際の保守運動の調査は行われておらず、そうであるがゆえに、﹁バックラッシュ﹂を担う人々について﹁当て推量﹂で論じられてきた。その結果、それらの人々は﹁自分たちとは著しく異なる他者﹂︵44頁︶だというイメージが形成されてきた。
これに対して著者たちは、﹁バックラッシュ﹂を担った様々な地方の人々に対する詳細な聞き取り調査や参与観察を通じて、﹁バックラッシュ﹂が男女共同参画やフェミニズムに対する﹁誤解や曲解﹂に基づくものでも、﹁懐古的﹂なものではないことを明らかにしようとする︵83頁︶。
ただし、著者たちの目的は、﹁草の根保守運動﹂の実態を明らかにすることにとどまるのではない。著者たちのもう一つの目的は、2000年代のフェミニズム運動のあり方を批判的に捉え直すことにある。
この時代を、これまでのフェミニズム・女性運動の成果の帰結としての男女共同参画社会基本法の制定とそれに基づく様々な政策の形成によって肯定的に評価する立場もあるだろう。しかし、著者たちの立場は、それとは正反対のものである。つまり、この時代に﹁フェミニズム言論や運動﹂が﹁豊かな変貌﹂を遂げたとは言えず︵iii頁︶、﹁自らの社会運動の歴史と役割を忘却しつつあ﹂り︵v頁︶、﹁体制保守化﹂しつつある︵330頁︶、というのが著者たちの立場である。
以上のことを明らかにするために、本書では次のような構成で分析と議論が行われている。まず、第1章では、﹁ジェンダー・フリー﹂という用語をめぐるフェミニズムと保守派の対立が描かれる。この章は、本書全体の導入にもなっている。続く第2章から第5章が、本書の中心的な部分であろう。
第2章では山口県宇部市、第3章では千葉県、そして第4章では宮崎県都城市の条例制定をめぐる、条例推進派と反対派との争いが、フィールドワークの成果に基づき、詳細に記述されている。第5章は、福井県や富山県の事例について、特に福井県の男女共同参画センター︵ユー・アイ福井︶の図書問題を中心に、男女共同参画の実態とその問題点を明らかにしようとする。本章も、何人かの保守運動家への聞き取りによって構成されている部分が多いが、議論の焦点は、保守運動の実態を明らかにすることともに、フェミニズム側の問題点を指摘することにも当てられている。
後者の問題は、第6章、第7章において、より明確に主題として取り上げられる。すなわち、第6章では、国立女性教育会館︵ヌエック︶を中心としたフェミニストの活動が﹁箱モノ設置主義﹂とされ、批判的な観点から記述される。第7章では、フェミニズムにおけるメディア・インターネット活用の展開が記述されているが、議論の焦点は、その不十分性に当てられている。
最後に、﹁結びにかえて﹂は、2000年代のフェミニズムの問題点を総括する内容となっている。そこで指摘されていることは、中央から地方への﹁トップダウン﹂の問題性、﹁ジェンダー・フリー﹂と男女共同参画における啓発事業中心性、それに由来する︿キヅカセ・オシエ・ソダテル﹀の権力性の持続、各地域において﹁地道に問題を拾い上げるプロセス﹂の重要性、﹁実証的な分析と、実効的な活動と提言﹂を行うことの必要性、などである。
本書の意義
本書の最大の意義は、詳細なフィールドワークを通じて、保守運動の実態と男女共同参画条例制定をめぐる地方政治の政治過程を丹念に描き出していることである。著者たちが述べている通り、﹁バックラッシュ﹂の実態についてこれほど詳細に描いた研究は、これまで存在しないのではないかと思われる。
たしかに、政治学者の山田真裕が指摘するように、たとえば、第3章の千葉県の事例で、保守分裂と議会との関係がよく見えないといった問題点もないわけではない︵山田 2012︶。とはいえ、全体としては、条例制定推進派と反対派の多様な立場と言動を明らかにすることによって、条例制定をめぐる政治過程を動態的に描き出すことに成功している。
また、何人かの保守運動家たちの人物像を特に詳細に取り上げることによって、﹁バックラッシュ﹂政治力を、単に﹁敵﹂とし﹁悪魔化﹂︵330頁︶するのではない形で描き出したことも、本書の功績の一つであろう。﹁相容れない﹂と思われてきた対立が果たしてどの程度本当に﹁相容れない﹂ものなのかについて慎重に考えるべきであることを、本書の記述は教えてくれる。﹁敵﹂と見られる相手にも、﹁共通点﹂﹁妥結点﹂が見つかるかもしれないのである。
本書への疑問または論点
しかしながら、本書全体を通じて評者が持ったものは、むしろ疑問、そして﹁戸惑い﹂であった。この本のタイトルは、﹃社会運動の戸惑い﹄である。しかし、評者には、筆者たち自身は実はそれほど﹁戸惑い﹂を持っていないのではないかと思われた。
むしろ、筆者たちは、2000年代の男女共同参画政策とフェミニズム運動のあり方のどこが問題なのかについて、かなり明確な認識を持っている。そして、その認識の持ち方こそが、評者には﹁戸惑い﹂をもたらすようなものであった。
以下、本書に関する疑問点をあげ、それに関する検討を行うことで、評者自身の﹁戸惑い﹂の中身をできるだけ明らかにすることにしたい。
︵1︶記述の方法をめぐって
第一の疑問は、本書の記述の方法に関する問題である。
﹁まえがき﹂において、本書は﹁エスノグラフィー︵文化の記述︶﹂としてまとめられたものであることが述べられている︵i頁︶。エスノグラフィーであるということは、本書が﹁フェミニズムと保守系反フェミニズムとの係争﹂︵i頁︶について、できるだけ丁寧な﹁具体像﹂﹁現実﹂︵341頁︶を提供することを目指しているということを意味している。
もっとも、実際には、章によって濃淡の差はあるものの、本書の記述には、フィールドワークに基づく記述だけではなく、著者たちの2000年代フェミニズムに対する価値判断が比較的はっきりと表れている。しかしながら、本書がフィールドワークに基づく記述を謳うのであれば、その記述をもう少しフィールドワークで得られた知見に止めるべきではなかっただろうか。というのは、このような著者たちの記述スタイルが、かえって﹁具体像﹂﹁現実﹂を記述から読み取ることの妨げになっているように思われるからである。以下、もう少し具体的に述べよう。
本書の記述スタイルは、フィールドワークや文献調査に基づく記述の中に、しばしば﹁上から﹂﹁外部から﹂への、あるいは﹁啓発事業﹂中心の男女共同参画への著者たち自身の批判的な評価を差し挟むものとなっている。
たとえば、第2章における大泉山口県副知事についての記述を見てみよう。著者たちは、広重宇部市議の大泉氏に対する﹁はっきりいって許せない﹂という評価を紹介している︵64頁︶。ここで広重氏が大泉氏のことを﹁許せない﹂理由は、大泉氏が﹁外部﹂から来たからではなく、広重氏が﹁大泉副知事の発言のデータを集め﹂と書かれていることからして、副知事の﹁破壊的フェミニズム﹂︵と広重氏には思えるもの︶に求められるのではないかと思われる。著者たちも、そのことを必ずしも否定しているわけではないだろう。
しかし同時に、広重氏の反応に関する記述の中に、大泉氏のキャリアが﹁地元軽視の印象を与えた面もあっただろう﹂︵64頁︶という文章も差し挟まれている。ここで著者たちは、大泉氏に対する批判や反感が、そのフェミニズムの立場に由来するものだけではなく、中央から、外部からの人物であることにも由来することをも示唆しようとしているように思われる。しかし、少なくともこの箇所では、このことは調査結果によって論証されているわけではない。そうではなく、観察や聞き取りに基づく記述の中に、著者たちの評価的な立場が、差し挟まれているのである。
別の事例として、第5章のユー・アイふくいの図書をめぐる紛争を見てみよう。この章で著者たちは、フェミニズム側について、﹁著者の権利﹂からの運動に終始し﹁一点突破﹂で﹁現場主義に徹しきれない﹂とする一方で、﹁アンチフェミニズム﹂側を、﹁地道な活動﹂、﹁仲間達の信頼を得ながら行うという点で草の根的﹂と評価している︵243頁︶。
しかし、フェミニズム側には、地元の人々の関与は全くなかったのだろうか。本書では、支援者の多い東京で集会が行われるようになったことなどが書かれているが、このことは、たとえ相対的には少ないとしても地元に支援者がいなかったことを否定するものではない。他方、﹁アンチフェミニズム﹂側の﹁仲間達﹂として本書で具体的に示されているのも、男女共同参画推進員の数名だけである。そうだとすれば、それぞれの運動について、﹁現場主義に徹しきれない﹂とか、﹁地道な活動﹂﹁草の根的﹂などと評価できるかどうかについて、もう少し慎重な吟味が必要であるように思われる。
さらに、第7章では、たとえば1990年代以降のフェミニズムに関する書籍刊行の増加について、それが﹁学術フェミニズムの制度化﹂を進める一方で、フェミニズムを﹁市井の人には簡単にはわからないものと位置づけられる機能も果たしていった﹂と書かれている︵286-287頁︶。
しかし、学問と﹁市井﹂とをこのように相反するものとすることは、厳密な意味での﹁記述﹂というよりは、一つの立場に基づく判断であると考えられる。実際、そのすぐ次の段落には、メディアへのフェミニストの進出について述べられており、このような﹁事実﹂を、90年代を、学術的深化と﹁市井﹂への進出の両方向でのフェミニズムの展開と解釈することも可能であろう。
総じて言えば、﹁保守系反フェミニズム﹂について扱った前半︵2、3、4章︶は比較的記述に徹しているが、後半︵6章、7章︶は、フェミニズム批判という著者たちのスタンスが比較的はっきりと出ているという印象を持つ︵5章はその中間︶。つまり、後半は、﹁具体像﹂﹁現実﹂を明らかにするというよりも、﹁批判﹂の方が強く出ているのである。
もっとも、本書のこのような特徴をどう評価するかについては、二つの考え方があるだろう。一つは、この本は2000年代のフェミニズム批判の目的で書かれているのだから、そのようなスタンスが強く出ているのは当然だ、というものである。もう一つは、著者たちがエスノグラフィーやフィールドワークを謳っているのだとすれば、本書の内容も調査に基づいた記述に限定するべきではなかったか、というものである。
運動論的に見れば、前者の評価の方が妥当ということになる。しかし、学術的に見れば、後者の評価の方が妥当ということになる。学術研究として見た場合、著者たちの2000年代フェミニズムに対する批判意識は、後半においても、もう少し記述そのものに語らせる形で表現されるべきだったということになるだろう。
﹁あとがき﹂を読む限り、著者たちには、本書をどのような性格の本にするかについて﹁戸惑い﹂があったようである。そのことが、調査に基づく記述と価値判断との混合文体をもたらしたのかもしれない。とはいえ、学術書として見る限りでは、そのような記述スタイルは批判の対象となり得るのである。
︵2︶﹁ジェンダー・フリー﹂はどこまで﹁誤読﹂されたのか?
第二の疑問は、﹁ジェンダー・フリー﹂の﹁誤読﹂という著者たちの理解についてである。著者たちは第一章で、﹁ジェンダー・フリー﹂の概念が、その概念に言及したバーバラ・ヒューストンの議論の誤解に基づいていると述べている。
たとえば著者たちは、ジェンダー・フリー概念を紹介した東京女性財団の文書における、﹁我々が用いる意味は、︹ジェンダー・フリーの意味のうち︺第三のジェンダー・バイアスからの自由に近いだろう﹂とか、ヒューストンは﹁ジェンダー・センシティブという用語のほうにコミットしているが、それはジェンダー・フリーの戦略上の観点からである﹂といった言明について、﹁完全なる誤読﹂であると断じる。なぜなら、ヒューストンは、﹁ジェンダー・フリーは平等教育には不適切なアプローチだと批判し、ジェンダーに敏感になることを意味するジェンダー・センシティブの重要さ﹂を訴えているからである︵8-9頁︶。
しかしながら、﹁完全なる誤読﹂とまで言えるかどうかは、疑問である。まず、少々長いが、ヒューストンの論文から以下の箇所を参照してみたい。
﹁ジェンダー・フリー﹂の第三の意味は、ジェンダー・バイアスからの自由というものである。この理解では、ジェンダー・フリー教育とは、ジェンダー・バイアスを除去したものとなろう。︹改行︺この最後のもっとも弱い意味では、私たちは誰もがジェンダー・フリー教育に賛成すると言い得るだろう。性差を誤って理解し、教育におけるジェンダーの役割を不適切に正当化する伝統主義者たちでさえ、教育におけるジェンダーの差異がジェンダー﹁バイアス﹂の構成を意味するわけではないと論じることであろう。したがって、﹁公教育はジェンダー・フリーであるべきか﹂という問いの興味深い解釈は、﹁公教育はジェンダー・バイアスから自由であるべきか﹂では﹁ない﹂。この問いは争点ではない。あらゆる立場の人々が、少なくともレトリックとしては、公教育はジェンダー・バイアスから自由であるべきことについてすでに同意しているからである。問題はむしろ、このジェンダー・バイアスからの自由を達成するための最善の方法とは何かである。ジェンダーを無視したりジェンダーの差異を消し去ることを企てるべきなのか、それとも、何らかのやり方でジェンダーにきちんと注目していくべきなのか。︵Houston 1985: 359-360︶
ここでヒューストンは、﹁公教育はジェンダー・フリーであるべきか﹂という問いは興味深いものではないと述べている。しかし、その理由は、ジェンダー・バイアスの除去という意味での﹁ジェンダー・フリー﹂には誰もが同意しており、その限りで争いの余地がないから、というものである。つまり、問いとして興味深くないとしても、だからといって、﹁ジェンダー・フリー﹂が間違っていると述べられているわけではない。
もっとも、この﹁誰もが同意﹂の部分は、伝統主義者たちでさえそのように言うとされていることからして、やや皮肉が込められていると解釈することもできそうである。では、次の箇所はどうだろうか。
たしかに、ジェンダー・バイアスをなくすという意味で﹁ジェンダー・フリー﹂をとらえるならば、私たちはみな、教育はジェンダー・フリーであるべきだと考えています・しかしながら、﹁ジェンダー・フリー﹂という言葉は、ジェンダーを解消したり、組織的かつ意図的にジェンダーを無視するという別の意味も持っています。そのために私は、ジェンダー・バイアスまたは性差別をなくすために、故意に、また組織的にジェンダーを無視したり、ジェンダーを除去しようとする方針に対して、強く反対する立場に立ち、議論したというわけです。︵ヒューストン: 2006: 241︶
﹁ジェンダー・フリー﹂の特定の意味については問題視されているものの、﹁ジェンダー・バイアスをなくす﹂という意味での﹁ジェンダー・フリー﹂について、ヒューストンが完全に否定しているわけではないことがわかる。
最後に、著者たちの一人の山口が行ったインタビューにおける、以下の発言も参照しておこう。
ですから、ジェンダーに注意をはらうべきなのか、無視すべきなのかは、大きな議論の余地があるということなのです。︵日本の︶﹁ジェンダー・フリー﹂の表現としては、”freedom from gender bias”のほうがいいですね。何をしようとしているのか、完全に明確になるから。︹改行︺それを達成するためになにをしなくてはいけないかというのは、つねにオープンな、議論の必要がある問題なわけです。そして、これこそがジェンダー・センシティブという概念の価値なのです。︵マーティン/ヒューストン 2006: 213︶
評者の理解では、﹁それを達成するために﹂の﹁それ﹂は、﹁ジェンダー・バイアスからの自由﹂という意味での﹁ジェンダー・フリー﹂である。たしかにヒューストンは、﹁バイアス﹂をなくすためには個々の具体的な状況におけるジェンダーを見るべきであり、そのことを言い表すためには﹁ジェンダー・センシティブ﹂の用語の方がより適切だと考えている。別の論文の言葉を用いれば、﹁ジェンダー・センシティブ﹂は﹁移行期の問題﹂︵Houston 1985: 368︶を扱うものである。
しかし、だからといってヒューストンが、達成されるべきものとしての﹁ジェンダー・フリー﹂を否定しているわけではない。そうだとすれば、先の東京女性財団の報告書における﹁ジェンダー・フリー﹂理解も、ヒューストン自身の言っていることとそれほど隔たってはいないように思われる。﹁ジェンダー・フリー﹂概念が﹁誤読﹂されたとまで言い切ることができるだろうか。
もっとも、著者たちが﹁ジェンダー・フリー﹂概念の使用を批判する理由は、以上のような意味での﹁誤読﹂だけに求められるわけではない。その他に、次の三つの理由が存在する。第一に、この用語が﹁個人の意識レベル﹂に焦点を当てており、このことが啓発事業中心の男女共同参画につながるとともに、保守派の批判を招きやすくしたと考えられることである。第二に、そもそも﹁ジェンダー﹂概念や﹁ジェンダー・バイアスをなくす﹂という考え方自体が疑わしく思われることである。第三に、いずれにしろ、﹁わかりにくい﹂ということである。
第一の啓発事業について、その何が問題であるのかについて、実は著者たちは、本書でそれほど多くのページを割いて論じているわけではない。しかし、ある箇所から、著者たちが意識啓発では﹁制度の変革﹂を射程に入れることができないと考えていることがわかる︵4頁︶。著者たちは、意識や﹁通念﹂︵17頁︶に焦点を当てることと、﹁実践や構造﹂に焦点を当てることとを相反することと捉えているようである。
しかし、これはやや単純化された理解ではないだろうか。たとえば、著者たちは本書で、大沢真理の﹁ジェンダー﹂と﹁男女共同参画﹂理解は﹁意識啓発路線に合致している﹂と述べている︵17-18頁︶。しかし、著者の一人の山口の別の論文では、﹁大沢は﹃ジェンダー・フリー﹄を、実質上は﹃政策面でのジェンダー・バイアスをなくす﹄という意味でとらえて﹂おり、これは﹁心と意識の問題﹂とは異なるとも述べられている︵山口 2006: 261︶。
そうだとすると、大沢は﹁社会的文化的に作られた性﹂についての﹁通念﹂として﹁ジェンダー﹂に注目することを通じて制度を変えていくことを考えているということになる。﹁通念﹂を問題にすることは必ずしも制度変化を無視することにはならないのである。
さらに言えば、ジェンダー研究において、﹁ジェンダー﹂は個人の﹁意識﹂だけの問題として捉えられているわけでも、諸個人の﹁意識﹂と社会的な﹁通念﹂とが同じものとして理解されているわけでもない。
社会学者の江原由美子は、ジェンダーについて、次の三つの意味を持つ﹁非つねに多義的な概念﹂だとしている。第一に、社会文化的に形成された﹁男らしさ﹂﹁女らしさ﹂などの性別特徴あるいは﹁性別﹂アイデンティティの意味である。第二に、社会通念の中に分けもたれた﹁男らしさ﹂﹁女らしさ﹂などについての観念や言説の意味である。私たちが第一の意味での性別特徴・アイデンティティを知覚するのは、知覚そのものとは区別された社会通念や言説の効果とされる。第三に、男女間の社会関係を﹁権力関係﹂という視点から把握する研究上の視点という意味である。第二の意味での社会通念や言説は、それに接する男女に﹁異なる権利と義務﹂を課す。第三の意味でのジェンダーは、ここに、権力現象あるいは﹁支配﹂を見出す視点を指す︵江原2001: 59︶。
江原のジェンダー理解は、次の意義を持つと考えられる。第一に、﹁知覚﹂や﹁意識﹂の次元と﹁通念﹂や﹁言説﹂の次元とを区別することで、ジェンダーを論じることが単に意識を論じることなのではないということを明らかにしていることである。第二に、ジェンダー概念の多義性を踏まえつつ、それが﹁権力﹂や﹁支配﹂に関わるポイントを明確にしようとしていることである。
ただし、著者たちは江原の議論を取り上げているわけではないので、江原以外の論者の用法は﹁意識﹂に偏重していたのだと主張することもできる。しかし、著者の一人の山口は別の論文で、経済学者の大沢真理のジェンダー︵フリー︶の用法について、単純に意識の問題としてではなく、﹁政策面でのジェンダー・バイアスをなくす﹂ことを意味しており、﹁社会のあり方を見直そうといったような意味も込めているのだろうと思われる﹂と述べている︵山口 2006: 261︶。﹁ジェンダー︵フリー︶﹂の用語の使用が﹁意識偏重﹂だったのかどうかは、もう少し慎重に評価されるべきではないだろうか。
第二の理由について、問題著者の一人の山口は、別の論考︵山口 2006: 258︶で、﹁ジェンダー﹂は必ずしも﹁悪い﹂働きだけをするものではないと主張している。それは、共通のアイデンティティを作り、それに基づいた社会変革の動きをもたらすものだからである。﹁女としての連帯﹂は、﹁女﹂のアイデンティティを前提とするものとして、今日では論争的な問題であるかもしれないが、ここではその点は措いておこう。ここで指摘しておくべきことは、この場合の﹁ジェンダー﹂は、江原の定義では第一の意味に相当するものだろうということである。﹁ジェンダー﹂を批判的に見ようとする場合には、この意味での﹁ジェンダー﹂が問題にされているわけではない。
第三に、著者たちが﹁ジェンダー﹂を問題にする時には、この概念が﹁わかりにくい﹂ことも含まれている。ただでさえ研究者の間で定義が一致しない上に、外来語であることがわかりにくさに拍車をかけ、だからこそ批判のターゲットにされやすかったというわけである。この問題提起にはたしかに一理ある。というのは、上記の江原の議論からもわかるように、たしかに﹁ジェンダー﹂の用語は一義的な理解を許さないものだからである。
実際、著者たちが参照している大沢真理による次の著名な一節、すなわち、﹁﹃男女共同参画﹄は、”gender equality”をも超えて、ジェンダーそのものの解消を志向する﹂という一節も、今から見ると、﹁ジェンダー﹂の多義性を正確に反映したものではないように思われる。
つまり、﹁gender equality﹂と言う時の﹁ジェンダー﹂は端的に﹁男女﹂の意味であると思われるのに対して、﹁ジェンダーそのものの解消﹂と言う時の﹁ジェンダー﹂は、江原が定義したような意味での﹁ジェンダー﹂である。後者の﹁ジェンダーの解消﹂は前者の﹁男女の解消﹂ではない。しかし、このような用語の並べ方では、その前の文章で﹁社会的・文化的に形成された性別︵ジェンダー︶に縛られず﹂という一節があるにもかかわらず、批判者が﹁男女の解消﹂との解釈を導く余地があったと言えるだろう。
︵3︶﹁トップダウン﹂は﹁失敗﹂を説明するか?
第三の疑問点は、果たして何が﹁失敗﹂を説明するのかという問題である。ここでまず断っておくべきことは、本書のフィールドワークに基づく記述は条例制定の成否の要因を説明することを目指しているわけではないということである。
しかしながら、著者たちが指摘する2000年代のフェミニズムの問題点の中には、条例の成否とまでは言わなくとも、条例に対する反発を強める要因と筆者たちが考えているであろうと推定されるものが、いくつか含まれている。とりわけ、﹁中央から地方へのトップダウン﹂︵334頁︶は、しばしば条例反対派にとって条例に反対する理由となっていたように記述されている。他方で、反対運動は、地元に根差した草の根的性格を持つものとして描き出されている。
しかし、﹁トップダウン﹂だから﹁バックラッシュ﹂が起こったと説明できるかどうかについては、なお検討の余地がある。たしかに、本書における宇部市︵第2章︶、千葉県︵第3章︶の事例は、﹁トップダウン﹂要因によって反対が強まった事例として読める。しかしながら、都城市︵第4章︶の事例は、明らかにこれらとは異なっている。都城の場合、中央や外部からの影響が比較的少なく、﹁下から﹂、地元内部での動きの中で制定された条例であったにもかかわらず、結局、市町村合併を契機に﹁改正﹂されたからである。
著者たちの理解では、都城市の事例から得られるのは、審議会方式の限界という問題である。しかし、審議会方式の限界は、宇部市や千葉県の事例でも指摘されている。だとすれば、主たる問題は﹁トップダウン﹂か否かではなく、︵のちに述べる︶地方政治における二元代表制という制度的特徴を踏まえた戦略の不十分性ということではないのだろうか。
また、著者たちによる﹁トップダウン﹂批判は、地域の実情を無視した画一的な条例策定への批判にも連動しているように思われる。しかし、著者たちの示す事例は、条例の内容が画一的でなければよかったとも言えない、ということを示唆しているように思われる。すなわち、都城市の条例は﹁性的指向﹂の文言を用いて、性的少数者の権利擁護の姿勢を明確にした﹁全国で初めての条例﹂であった︵151-152頁︶。
﹁性的指向﹂の文言は、男女共同参画社会基本法でも用いられていない。このような条例制定を、著者たちは、﹁歴史に残る意義があった﹂、﹁条例づくりを通じて市民の問題意識は培われ、実態調査も行われ、人びとのネットワークも強まった﹂と積極的に評価している︵196頁︶。しかし、この事例が同時に示唆しているのは、著者たちが指摘する﹁ジェンダー・フリー﹂などの用語の曖昧さや﹁トップダウン﹂といった要因がなくとも、保守運動から見て内容が何らかの意味で﹁過激﹂と映れば大きな問題になる、ということではないだろうか。
そもそも条例制定において、地元だけの議論でそれが実施されると考えることは難しい。それは、ある程度自治体間の相互参照によって形成されるという性質があるのではないだろうか︵伊藤 2006︶。実際、著者たちは、保守運動においても、宇部市の条例が﹁モデルとして全国の保守運動家たちに参照された﹂ことを指摘している︵329頁︶。条例制定の過程において﹁丁寧な語り合い﹂﹁地道に問題を拾い上げるプロセス﹂︵333頁︶が重要であることについては、評者も同意する。しかし、外部からの影響が必然的に﹁トップダウン﹂となってそれらを阻害するのかどうかは、一概には言えないのではないだろうか。
︵4︶﹁地域から﹂の課題
第四の疑問は、三点目と連関している。つまり、﹁地域﹂﹁足もと﹂に即した場合にどのようなことが考えられるのか、ということである。著者たちは、﹁外部から﹂﹁中央から﹂﹁上から﹂の男女共同参画のあり方を問題にしている。そのため、事例の記述においても、地元に根差していない行動に対する批判的な叙述が散見される。たとえば、都城市の事例では、尾辻かな子大阪府議の訪問について、﹁地元との連携が弱いままに外から声をあげ、やってくる運動の課題が明らかになった面もあった﹂と書かれている︵191頁︶。
しかしながら、評者には次のような疑問が残った。すなわち、それでは実際に﹁地域﹂﹁地元﹂に根差すと、どのような性差別是正の展望が見えているのだろうか、と。とりわけ、評者には、本書から見えてくるものはむしろ、﹁地域﹂﹁地元﹂には伝統的な男女観、社会観が根強く残っているということであるように思われた。
第5章の富山県における男女共同参画の取組についての記述では、ある﹁バックラッシュ派﹂の人物が男女共同参画推進員として作成した寸劇は、﹁高齢者を大事にしよう﹂﹁家庭は大切なもの﹂﹁親の介護は子供がするのは当然﹂﹁生活が苦しくても専業主婦としてしっかり子育てするのが立派な仕事﹂などの主張が盛り込まれたものであり、それは、高齢者の聴衆には﹁違和感のないものであったと思われる﹂と書かれている︵211-212頁︶。
﹁違和感のないもの﹂であったことは恐らくそうなのであろう。そこで問題は、このような﹁地域の聴衆﹂から出発して、どのように性差別の問題を訴えていくことができるのか、ということである。仮に﹁男女共同参画とはそのようなものではない﹂と言えば、それは、著者たちが2000年代男女共同参画及びそれを支えるフェミニズムの問題点の一つとして批判する、︿キヅカセ・オシエ・ソダテル﹀活動になってしまうのではないだろうか。そのような﹁意識啓発﹂を回避するフェミニズムの活動は、﹁高齢者を大事にしよう﹂や﹁家庭は大切なもの﹂といった﹁地域﹂﹁地元﹂の人々の感覚と相反しない形で展開される必要があるのだろう。
その際に問題となり得るのは、フェミニズムの考える﹁性差別﹂が、果たしてそのような人々の考える﹁性差別﹂と一致するものであるのかどうか、という点である。そして、一致しない場合に、フェミニズムはどうするべきなのかということである。
たとえば、先の寸劇では、﹁夫の職場には女性の課長がおり、女性の活躍という男女共同参画のメッセージも、そつなくはいっていた﹂とある︵211頁︶。つまり、﹁公的領域﹂における男女平等について、保守派とフェミニズムは合意できる可能性があるということである。
しかし、フェミニズムは、﹁公的領域﹂における平等を妨げているのは、家族などの﹁私的領域﹂における男女間の役割分担だとも指摘してきた。フェミニズムにとっては私的領域において女性が主として家事・育児・介護などを担わなければならないことは、﹁性差別﹂の重要な構成要素または原因そのものである。
しかしながら、保守派活動家はもちろん、﹁地域﹂﹁地元﹂の人々にとってもそれが﹁性差別﹂であるかどうかはわからない。そうだとすれば、﹁キヅカセ・オシエ・ソダテル﹂を回避するフェミニズムは、取り組むべき課題を﹁公的領域﹂に限定するべき、ということになり得る。その時、フェミニズムは、自らの立場を限定することを求められるだろう。その﹁フェミニズム﹂が著者たちの考えるそれと合致するものであるかどうかは、疑問であるように思われる。
︵5︶政府と社会を媒介するということ
第五の疑問は、政府と社会との媒介経路をどのように考えるかというものである。本書の重要な貢献として、社会運動が﹁草の根﹂からの政策革新を試みる場合に、日本の地方自治の政治制度の特徴を踏まえるべきことを示唆していることがある。具体的には、条例制定における﹁審議会方式﹂への︵批判的︶注目である。つまり、本書では、審議会を通じた条例づくりが各地で批判の対象になったことが描かれているのである。
ここで確認しておくべきことは、日本の地方政治における二元代表制という制度的特徴である。審議会方式が議会からの批判に遭遇する可能性は、このような制度的特徴ゆえに高まると考えられる。日本において、中央レベルの議院内閣制とは異なり、地方レベルでは、首長︵執行府︶と議会︵立法府︶とが独立しており︵選挙で別々に選出され︶、正しくチェック・アンド・バランスの関係にある。そのため、男女共同参画に限らず、議会多数派と首長︵およびその影響下の諸機関︶が対立することはあり得ることである。
そこで問題は、このような二元代表制の下で、﹁草の根﹂からの政策革新を行うためにはどうすればよいのか、ということである。政治的決定を行うためには、社会と政府とが、何らかの回路によって媒介されることが必要である。その際、もしも著者たちが示唆するように二元代表制の一方︵首長サイド︶にだけ依拠する戦略に問題があるとすれば、当然、二元代表制の他方、すなわち議会と政治家と社会︵あるいは運動︶との間をどのように媒介するのかということが重要な課題となるはずである。
とはいえ実は、著者たちがフェミニズム運動は議会・政治家へのアプローチを真剣に検討すべきだとまで考えているかどうかは、本書の記述の範囲内では、それほど明確ではない。たしかに著者たちは、保守派が﹁議会制民主主義自体を重視する方向性﹂を持っていると指摘している︵194頁︶。しかし、フェミニズム側もそのような方向性を共有するべきだと述べることは、慎重に回避されているように見える。
フェミニズムがどのような政治的回路を利用するべきなのかについての著者たちの立場を示していると思われる表現は、﹁丁寧な語り合い﹂や﹁地道に問題を拾い上げるプロセス﹂︵333頁︶、あるいは﹁実効的な活動﹂︵334頁︶などに止まっている。あるいはここに、第7章のテーマであるメディアやインターネットの積極的活用も含まれるのかもしれない。しかし、フェミニズムと政党や政治家との関係についての提案らしきものは見当たらない。
その理由として推測されるのは、次の二つである。第一に、著者たちは、政党や政治家との回路を作ることを﹁体制保守化﹂︵330頁︶への道と考えているのかもしれない。そもそも社会運動にとって、既存の議会制民主主義との関係をどのように考えるかということは、根本的かつ永遠の課題であるように思われる。
たとえば、最近ある雑誌で行われた小熊英二と湯浅誠の対談を見てみると、両者の立場の違いがまさに社会運動と既存の制度との関係をめぐる立場の違いを如実に表していることがわかる︵小熊・湯浅 2012︶。湯浅が議会や行政の中に入って﹁調整﹂に関わることの重要性を説くのに対して、小熊は、既存の行政や議会制民主主義のあり方そのものを問題にしなければならないと述べている。湯浅が民主主義の﹁面倒くささ﹂を説くのに対して、小熊が運動の﹁楽しさ﹂を強調するべきと述べるのも、実に対照的である。
この対談に照らした場合、本書の著者たちは、どのような立場と位置づけることができるだろうか。著者の一人の山口は、別の論文で行政発信・学者主導型の﹁男女共同参画﹂の中で、﹁運動にあったラディカルさやパワー、そしておもしろさも、だんだん消えていってしまったような気がする﹂と述べている︵山口 2006: 264︶。同じことは、行政だけではなく、議会や政治家についても当てはまり得る。しかし、それは、政府や議会制民主主義の中に入ることの代償である。﹁面倒くささ﹂︵湯浅︶と﹁楽しさ﹂︵小熊︶のどちらを取るのか。それはそのまま、議会制民主主義と運動との回路をどのように作るのかという問題につながっている。
第二の理由として、そもそも女性や性的差別に関する問題が、政治家にとって、それほど重要とは認識されていないという問題もあげることもできそうである。先に、著者たちが、保守派は議会制民主主義自体を重視する方向性を有していると書いていることに触れた。しかし、本書から同時にわかるのは、保守派の場合にも、議員たちが必ずしもジェンダーや男女共同参画に関わる問題に関心を持っているわけではないということである。
たとえば、ある保守系メディアの編集者によれば、多くの保守系議員は、票になりにくいために、教育問題、女性問題、家庭問題に興味関心を持っておらず、関心を喚起しようとしても﹁ほとんど振り向く人がいない﹂ので、興味を引き付けるべく、あえて﹁極端な表現﹂を使用したということである︵84頁︶。
このことが示しているのは、男女共同参画や女性に関わる政策課題は、そもそも議員にとって優先順位が決して高くない問題だということである。中央政府レベルの政治過程の話ではあるが、政治学者の堀江孝司も、政治アクターのほとんどにとって﹁女性イシュー﹂は﹁マイナーなテーマ﹂であることに注意を促している。マイナーであるがゆえに、女性に関する争点については、他の︵より優先度の高い︶政策に従属して政策決定が行われたり、取引の材料にされたりすることがあると言う︵堀江 2005: 3︶。
﹁審議会方式﹂が用いられてきた背景には、このような政策課題としての優先順位の差異を、政治過程のアクターたちがある程度認識していたことがあるのかもしれない。ともあれ、政党・政治家との回路を形成する際には、そのような関心の低さないし優先順位の低さを逆転させるような戦略とは何かが問われるのではないだろうか。
︵6︶﹁対話﹂の条件
第六の疑問として、﹁対話﹂は可能なのか、あるいは、﹁対話﹂を行うとはどういうことなのか、という問題をあげておきたい。つまり、本書で明らかにされた保守派の﹁具体像﹂をきちんと見ると、﹁論点ごとの正面からの対話﹂︵327頁︶が可能になると言えるのか、ということである。
著者たちは、﹁実生活の面では様々な妥協点も見つかるようになる﹂︵331頁︶と述べている。第2章では、保守系メディアの編集長が保守派とフェミニズムの対立構造を﹁不毛﹂と言い、﹁その対立から双方が何かを学ぼう、対立軸から共通軸を探そう、そして社会をより良くしていこうといった前向きな発想がないのではないか……対立そのものが目的化すらしてしまったのではないか﹂と述べたとも書かれている︵99頁︶。﹁対話﹂のためには、このような相互的な姿勢が必要であることは疑いない。
ただし、その場合には、﹁差別をなくす﹂︵219頁︶という観点で、あるいはフェミニストが考える意味での﹁差別﹂や﹁ウーマン・リブ﹂的価値観を当然の基準として対話ができるとは限らない、という認識をフェミニズム側が持たなければならないだろう。
たとえば、著者たちは、﹁保守系のアンチフェミニストは、性別役割分業への信念が強く、それを実践している﹂と思い込んでいたが、実際にはそういう実践は見られなかったと書いている︵94頁︶。また、﹁根本的な女性差別の状況や女性の経験について、フェミニストたちが十分に伝えることができていないのではないかという思い﹂︵97-98頁︶を持ったようである。
しかしながら、フェミニストの側から﹁根本的な女性差別の状況や女性の経験﹂が提起されれば、﹁保守系のアンチフェミニスト﹂がそれを受け入れるとは限らない。何が﹁差別﹂であるかは、それ自体論争的な問題である。フェミニストにとって、﹁根本的な女性差別﹂や﹁女性の経験﹂であるものが、そうではない人々にとっては、そのようには認識されないというのは、十分に予想されることである。
そうだとすれば、﹁対話﹂のためには、フェミニストが﹁根本的な女性差別﹂と認識するものを、それをいかに伝えようとも、そうではないと認識する人々もいるというところから始めなければならないのではないかと思われる。その時、フェミニズムは、どこかの部分で問題の限定や妥協を行う必要が生じるはずである。﹁対話﹂を掲げるならば、このことをも併せて認める必要があるだろう。
︵7︶﹁係争﹂が問題なのか?
最後の疑問は、2000年代におけるフェミニズムと反フェミニズムとの係争をどのように評価するかということである。著者たちは、この係争をどのようなものとして捉えているのだろうか。本書から伝わってくるのは、﹁バックラッシュ﹂はフェミニズム側の問題点のゆえに激化した、というメッセージである。
逆に言えば、曖昧な用語を使わず、﹁下から﹂、﹁意識啓発﹂ではない形で運動を行っていれば、﹁バックラッシュ﹂は起こらなかったと、著者たちは述べたいのではないかと思われる。別の論文において山口は、﹁ジェンダー・フリー﹂概念の曖昧さが﹁誤解されやすいような糸口を与えたことは、否定できないのではないか﹂と述べている。しかし、その前段では、﹁保守派は﹃男女平等﹄だろうが何だろうが攻撃したいというのが本音﹂だろうとも書いている︵山口 2006: 272︶。
評者としては、﹁ジェンダー・フリー﹂が﹁糸口﹂なり﹁きっかけ﹂であったとしても、原因はやはり男女共同参画基本法が制定され、男女共同参画に関する政策形成・執行体制が中央・地方の両方の政治において整備されることによって、保守派にとって反対するべき大きな争点として認識されたことに求められるのではないかと考える。そうだとすれば、やはり﹁係争﹂は不可避だったのではないだろうか。
と言うよりも、一般的には政治レベルでそれほど関心を持たれない男女共同参画に関わる事柄が政治的争点になったということは、そのこと自体、フェミニズムの﹁成果﹂と言い得るように思われる。﹁係争﹂は、一方だけにとって﹁問題﹂である限りにおいては発生しない。他方にとっても﹁問題﹂であるがゆえに﹁係争﹂なのである。
もちろん、その﹁係争﹂の中身が、﹁過激な﹂表現が飛び交う中で、お互いを﹁悪魔化﹂していくものであったこと、国法学者のカール・シュミットが言うような意味での友/敵関係に陥ったことは問題であった。しかし、それは﹁係争﹂そのものが問題だったということではなく、それがより適切な形で構造化されなかったことの問題である。
第三の疑問の箇所で述べたように、著者たちの調査が示しているのは、﹁トップダウン﹂ではなく地域の事情に即した独自の内容を持つ条例制定の場合にも、反対運動が生じているという事実である。そうだとすると、ここから得られる知見は、フェミニズムに関する問題が重要な争点として反対者にも認識されたがゆえの係争の不可避性ではないだろうか。
そして、政治とは、友/敵関係とは異なるとしても、異なる立場の人々の衝突やぶつかり合いを含むものである。そうだとすれば、フェミニズムにとっての2000年代の評価も修正可能であるように思われる。つまり、比較的大規模なレベルでの係争をもたらしたがゆえに、2000年代はフェミニズムにとって決して﹁失われた時代﹂ではなかった、と。
おわりに ―― 何が失われ、何が得られたのか?
本書は、評者に多くの﹁戸惑い﹂を与えるものだった。しかし、そのことこそが翻って、本書の意義を示していると言えるだろう。なぜなら、優れた著作とは、読み手に多くの問いを投げかけ、思考することを喚起するものだろうからである。
それにしても、﹁失われた時代﹂を取り戻すとはどういうことなのだろうか。著者たちにとっては、行政と学者主導ではないフェミニズムの社会運動を取り戻すことであろう。しかし、それはふたたび制度の外部に立つことを意味するのだろうか。すでに述べたように、政府や制度の内部か外部かという問題は、社会運動につねに付きまとう問題である。その時、外部→内部→外部……という循環を繰り返すことが、失われたものを取り戻す道だろうか。
評者は、フェミニズムの社会運動にこの内部/外部の二者択一を乗り越える道を期待したい。そのためには、政府について、政治について、本書の知見を踏まえつつ、フェミニズムの立場からさらに議論を深める必要があるのではないだろうか。
参考文献
伊藤修一郎︵2006︶﹃自治体初の政策革新――景観条例から景観法へ﹄木鐸社。
上野千鶴子・宮台真司・斎藤環・小谷真理ほか︵2006︶﹃バックラッシュ!――なぜジェンダー・フリーは叩かれたのか?﹄双風舎。
江原由美子︵2001︶﹃ジェンダー秩序﹄勁草書房。
小熊英二・湯浅誠︵2012︶﹁社会運動のつくり方――世界を自分で変えるには﹂﹃atプラス﹄第14号。
堀江孝司︵2005︶﹃現代政治と女性政策﹄勁草書房。
マーティン,ジェーン/バーバラ・ヒューストン︵2006︶山口智美︵聞き手︶﹁ジェンダーを考える﹂上野ほか︵2006︶所収。
山口智美︵2006︶﹁﹃ジェンダー・フリー﹄論争とフェミニズム運動の失われた10年﹂上野ほか︵2006︶所収。
山田真裕︵2012︶﹁山口・斉藤・荻上﹃社会運動の戸惑い﹄読書会における討論﹂関西学院大学先端社会研究所2012年度定期研究会第6回報告スライド。
http://www.slideshare.net/MasahiroYamada1/ss-15693301
Houston, Barbara (1985) “Gender Freedom and the Subtleties of Sexist Education,” Educational Theory, Vol. 35, No. 4.
プロフィール
![](https://synodos.jp/wp2/wp-content/uploads/2013/03/tamura.jpg)
田村哲樹
1970年生まれ。名古屋大学大学院法学研究科教授。政治学・政治理論。著書に﹃熟議民主主義の困難﹄︵2017年、ナカニシヤ出版︶、﹃政治理論とフェミニズムの間﹄︵2009年、昭和堂︶、﹃熟議の理由﹄︵2008年、勁草書房︶、﹃国家・政治・市民社会﹄︵2002年、青木書店︶、﹃ここから始める政治理論﹄︵共著、2017年、有斐閣︶、﹃政治学﹄︵共著、2017年、有斐閣︶、﹃政治において正しいとはどういうことか﹄︵共著、2019年、勁草書房︶、ほか。