フィリッピンから脱出したのは、最後の輸送機で杉山を脱出させよと言う命令で
同期生が機長として輸送機で迎えに来て、現地の参謀からピストルを突きつけられて
乗せられたからだそうです。
父が脳溢血で倒れた時、広島から重い心臓病を押して同期生の方が訪ねてこられ、
﹁自分が機長として迎えに行った。
杉山の当時の部下は杉山が自分たちをおいて逃げたといまだに思っている者が多い。
しかし、フィリッピンから脱出する前の年から杉山には内地への転属命令が出ており、
後任も着任していた。戦場に慣れている整備隊長の杉山がいないと飛行機が飛ばない
ことを危惧して、飛行隊長らから頼まれ、また、杉山も今の状態で戦場を離れたくない
との思いからお互いに命令を握りつぶして戦場に残っていた。
先に脱出した上官らからその事情を聞き、杉山が脱出してこなければ命令を握り
つぶしていた自分たちも困るから必ず杉山を連れてこいと命令されて私は杉山を
脱出させに向かった。
そんな事情だから、後年あなたがお父さんの部下たちから批判されたとしても
何も恥じることはない。お父さんは、部下のことをくれぐれも頼むと言って、後ろ髪
を惹かれる思い出飛行機に乗ったのだから。﹂
と言い残して帰ってゆかれました。
だから、父は、行き先のわからないまま飛行機に乗ったのだと思います。
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