キャビンアテンダントは次の貧困女子?「階層社会」で地に落ちた憧れの職業
いつからだろう、憧れの職業としての﹁キャビンアテンダント﹂が消えてしまったのは。
かつて、キャビンアテンダント(CA)は輝ける職業のひとつだった。語学力と美貌を兼ね備え、海外を飛び回る。知性と美しさの片方があるだけでもカッコいいのに、その2つを兼ね備えた職業があるなんて!日本の航空会社の決め細やかなサービスに、ズラリと並ぶ美人の列。海外のおばちゃんCAにうんざりした会社員から、ドラマ﹃スチュワーデス物語﹄に憧れた少年少女まで、CAはキラキラ女子代表職種だった。
ドラマが流行った当時は1983年、女性が総合職を目指せるきっかけになった男女平等参画社会基本法の16年も前。﹁頭がよくて美人の女性が、バリバリ働ける﹂﹁しかも女の幸せはゲットして、結婚も手堅いキャリア﹂を示したキャビンアテンダント。その後子どもがなりたい職業にCAがランクインしはじめ、不動の地位を築いた。
その光景が変わったのは、JALの経営破綻︵2009年︶からか。 街中からキャビンアテンダントが消えてしまった。もちろん物理的に消えてしまったのではない。﹁私、キャビンアテンダントやってて﹂と語りたがる女性が減ってしまったのだ。 私が過去数年でキャビンアテンダントの人と話したのは2回。バーで楽しく飲んでいたが、仕事の話をすると﹁派遣だからいつ切られるか﹂﹁体力がもたない﹂﹁出張も多いし、顔が疲れててモテない﹂しまいには﹁この仕事であることはあんまり人に言いたくない﹂と呟く姿が印象的だった。 キャビンアテンダントのほとんどは契約社員。語学の知識がありデスクワークでも活躍できる人材のはずが、過酷な肉体労働でキラキラからはほど遠い日常。CAと名乗れば﹁ミーハーなおばかさん﹂の扱いを受けるか﹁エリート社員の俺に相応しい相手﹂とギラギラしたチャラリーマンに寄ってこられるか。﹁そんな男と合コンするくらいなら、マッサージ受けていたい﹂と呟いた彼女に私も賛同した。下手な合コン休むに劣る。 と・同時に職場にいる﹁キラキラ女子と勘違いしたミーハーなおばかさん﹂の存在にも悩んでいるようだった。CAがキラキラ職のままだと信じてやまない層はCAにも一定数いるらしく、玉の輿を狙って外銀や起業家の飲み会へ湧いて出る。敵は内にも外にも。英語力を生かしてグローバルな仕事をしたかった彼女は、退職を検討していた。
話を聞いて、CAを未だに憧れの対象としてちやほやしてくれる場所は外銀の飲み会くらいしかないという現実に呆然とした。当時より女性の総合職も増え﹁多様なバリキャリ像﹂ができたからかもしれないが、CAは﹁憧れの賢くて美人な仕事﹂よりも﹁激務で不安定な職業﹂に変質してしまったのだ。 そして憧れイメージと同時期に消えたのが﹁高学歴女子のCA就職﹂だった。以前は東大を出た女性から短大卒まで、CAが共通の憧れでありえた。女性が総合職で行き着ける先が少なかったという理由もあるかもしれないが、教師、CA、看護師といった知的労働の中でもCAはとりわけ高い位置を手にしていた。 しかし現在、東大を出てCAになりたいという女性はそういない。CAが嫌われているというよりは、高学歴女子が正社員を志望すると契約社員が大多数であるCAを目指しにくいからだが、結果として高学歴女子が減り、CAから知的職業のイメージが失われてしまった。
高学歴女子がCAを目指さなくなったことは、単に知的なイメージを失わせた以外にひとつ影響がある。エリート層のCAの扱いである。高学歴女子にとってCAは今までの﹁友人に何人かいる﹂という身近な関係から、看護師や保育士などのように﹁サービスを受ける立場としてのみ会う職種﹂へと遠ざかったのだ。また、CAと結婚する男子もいまの40代なら﹁才色兼備を捕まえた﹂という扱いをうけたが、いまなら﹁女子の上昇婚に付き合った﹂と思われかねない。CAの"社会的階層"が高学歴・高所得者とずれ始めているのを、身近なケースでひしひしと感じる。 日本は現在久しぶりの好景気にわいているが、1度毀損されてしまったCAの職業イメージが復帰する気配はない。かつて﹁格差社会﹂という単語で日本の貧富の差が開くことへ警鐘が鳴らされたが、いまは離れた格差が戻らずにそのまま﹁階層﹂として固定される社会へと進みつつある。教師や保育士など﹁かつての知的な女性の仕事﹂が給与水準の低さで取りざたされる今、次に﹁女子の貧困﹂として紹介される職業は、キャビンアテンダントになるのかもしれない。 だが、飲み屋で愚痴るCAの数だけ、イメージ回復のチャンスがある。﹁バカだと思われる仕事をしたくない﹂という愚痴の数は、希望の数だ。日本のガラパゴス化が進む現在、外国語を話せる人材の重要性は高まるばかりである。逆にいままでが、語学ができる人を信じられないほど軽視してきた時代と言えるかもしれない。私はまた10年後に、CAが尊敬される知的職業に返り咲くだろうと、信じている。
その光景が変わったのは、JALの経営破綻︵2009年︶からか。 街中からキャビンアテンダントが消えてしまった。もちろん物理的に消えてしまったのではない。﹁私、キャビンアテンダントやってて﹂と語りたがる女性が減ってしまったのだ。 私が過去数年でキャビンアテンダントの人と話したのは2回。バーで楽しく飲んでいたが、仕事の話をすると﹁派遣だからいつ切られるか﹂﹁体力がもたない﹂﹁出張も多いし、顔が疲れててモテない﹂しまいには﹁この仕事であることはあんまり人に言いたくない﹂と呟く姿が印象的だった。 キャビンアテンダントのほとんどは契約社員。語学の知識がありデスクワークでも活躍できる人材のはずが、過酷な肉体労働でキラキラからはほど遠い日常。CAと名乗れば﹁ミーハーなおばかさん﹂の扱いを受けるか﹁エリート社員の俺に相応しい相手﹂とギラギラしたチャラリーマンに寄ってこられるか。﹁そんな男と合コンするくらいなら、マッサージ受けていたい﹂と呟いた彼女に私も賛同した。下手な合コン休むに劣る。 と・同時に職場にいる﹁キラキラ女子と勘違いしたミーハーなおばかさん﹂の存在にも悩んでいるようだった。CAがキラキラ職のままだと信じてやまない層はCAにも一定数いるらしく、玉の輿を狙って外銀や起業家の飲み会へ湧いて出る。敵は内にも外にも。英語力を生かしてグローバルな仕事をしたかった彼女は、退職を検討していた。
話を聞いて、CAを未だに憧れの対象としてちやほやしてくれる場所は外銀の飲み会くらいしかないという現実に呆然とした。当時より女性の総合職も増え﹁多様なバリキャリ像﹂ができたからかもしれないが、CAは﹁憧れの賢くて美人な仕事﹂よりも﹁激務で不安定な職業﹂に変質してしまったのだ。 そして憧れイメージと同時期に消えたのが﹁高学歴女子のCA就職﹂だった。以前は東大を出た女性から短大卒まで、CAが共通の憧れでありえた。女性が総合職で行き着ける先が少なかったという理由もあるかもしれないが、教師、CA、看護師といった知的労働の中でもCAはとりわけ高い位置を手にしていた。 しかし現在、東大を出てCAになりたいという女性はそういない。CAが嫌われているというよりは、高学歴女子が正社員を志望すると契約社員が大多数であるCAを目指しにくいからだが、結果として高学歴女子が減り、CAから知的職業のイメージが失われてしまった。
高学歴女子がCAを目指さなくなったことは、単に知的なイメージを失わせた以外にひとつ影響がある。エリート層のCAの扱いである。高学歴女子にとってCAは今までの﹁友人に何人かいる﹂という身近な関係から、看護師や保育士などのように﹁サービスを受ける立場としてのみ会う職種﹂へと遠ざかったのだ。また、CAと結婚する男子もいまの40代なら﹁才色兼備を捕まえた﹂という扱いをうけたが、いまなら﹁女子の上昇婚に付き合った﹂と思われかねない。CAの"社会的階層"が高学歴・高所得者とずれ始めているのを、身近なケースでひしひしと感じる。 日本は現在久しぶりの好景気にわいているが、1度毀損されてしまったCAの職業イメージが復帰する気配はない。かつて﹁格差社会﹂という単語で日本の貧富の差が開くことへ警鐘が鳴らされたが、いまは離れた格差が戻らずにそのまま﹁階層﹂として固定される社会へと進みつつある。教師や保育士など﹁かつての知的な女性の仕事﹂が給与水準の低さで取りざたされる今、次に﹁女子の貧困﹂として紹介される職業は、キャビンアテンダントになるのかもしれない。 だが、飲み屋で愚痴るCAの数だけ、イメージ回復のチャンスがある。﹁バカだと思われる仕事をしたくない﹂という愚痴の数は、希望の数だ。日本のガラパゴス化が進む現在、外国語を話せる人材の重要性は高まるばかりである。逆にいままでが、語学ができる人を信じられないほど軽視してきた時代と言えるかもしれない。私はまた10年後に、CAが尊敬される知的職業に返り咲くだろうと、信じている。