ネトウヨ一般に共通する特性として、
●勉強しない
●何度誤りを指摘されても頑として認めない
●とっくに否定された妄説を何度でも持ち出してくる
●議論の前提となる概念に﹁オレ様定義﹂を振り回すため会話が成り立たない
●無知なのにいつも上から目線
●中身が何であれ最後に言い返した方が勝ちだと思っている︵いわゆる﹁論破﹂w︶
●やっぱり勉強しない
といったものがあるわけだが、こちらの記事に、その典型とも言うべきコメントがついた。
朝鮮人へのヘイトが規制の対象で日本人や日本国の象徴に対するヘイトが﹁表現の自由﹂という論拠を教えてください。
常識的に考えれば両方規制の対象のはずですが?
あなたが別のところで宣ってる﹁日の丸も旭日旗も糞﹂なんて言葉はヘイトそのものですよね。
あなたが大好きな中国で国旗は糞なんて言ったら刑法犯になりますが?
あなたの所属するセクトの常識を世間のまともな人に押し付けないでください。はっきり言ってこのブログこそ一番の糞です。
日本国内において﹁日本人や日本国の象徴に対するヘイト﹂などというものが成立するわけがない。そんなものは﹁表現の自由﹂ではなく﹁形容矛盾﹂というのだ。
どうせこのコメ主は理解しようとしないだろうが、一応その根拠を説明しておこう。
ヘイト・スピーチ及びヘイト・クライムに関する研究は、アメリカでの公民権運動︵アフリカ系の人々に対する差別の撤廃を求める運動︶の流れを継承する形で進められ、1980年代頃からその定義が明確化されてきた。[1]
代表的論者のチャールズ・ローレンスは、ヘイト・スピーチを﹁人種的烙印の一形態としての攻撃﹂であり、標的とされた集団が﹁取るに足りない価値しか持たない﹂というメッセージ、﹁言葉による平手打ち﹂だと表現している。またブライアン・レヴィンは、ヘイト・スピーチは、それ自体が﹁言葉の暴力であると同時に、物理的暴力を誘引する点で、単なる﹁表現﹂を超える危険性を有すると指摘、ヘイト・スピーチと暴力の関係を、﹁人種的偏見、偏見による行為、差別、暴力行為、ジェノサイド﹂の五段階の﹁憎悪のピラミッド﹂で説明している。
このように、ヘイト・クライムもヘイト・スピーチもこの憎悪ピラミッドの中に位置づけられ、人種、民族、性などのマイノリティに対する差別に基づく攻撃を指している。このような経緯から、マイノリティに対する差別であり攻撃であるという両者の本質は共通するが、﹁ヘイト・クライム﹂は主要に有形力を伴う犯罪、﹁ヘイト・スピーチ﹂は有形力を伴わない言動による暴力を指す。︵略︶
差別に基づく言葉の暴力であるヘイト・スピーチが攻撃対象とする﹁マイノリティ﹂は、一般的に、
(一)一国においてその他の住民より数的に劣勢な集団で、
(二)非支配的な立場にあり、
(三)他の住民と異なった民族的、宗教的または言語的特徴を有し、
(四)自己の文化、伝統、宗教または言語を保持することに対して、連帯意識を黙示的であるにせよ示しているもの
とされている。また、この中でも特に重要な要素とされるのが2の﹁非支配的な立場﹂だ。[2]
この定義に照らしてみれば、同じ日本国内での少数者であっても、例えば在日コリアンが典型的なマイノリティであるのに対して、要件2が当てはまらない︵むしろ特権的存在である︶駐留米兵がマイノリティでないのは明らかだろう。
なお、ヘイト・スピーチがマジョリティ間での単なる悪口や罵詈雑言とは決定的に異なる悪質なものであるのは、それが社会における重層的な差別構造の一環としてなされるがゆえに、攻撃対象とされたマイノリティに重大な精神的ダメージを与えるものだからだ。そのダメージがどのようなものであるかは、差別者集団﹁在特会﹂が京都朝鮮第一初級学校に押しかけて拡声器でヘイトを浴びせかけた襲撃事件の例などから知ることができる。[3]
ヘイト・スピーチは、このような差別構造の一部としてなされるからこそ、その一瞬の言葉による攻撃のみならず、幾世代にもわたる社会全体からの差別と暴力の恐怖、苦痛をよみがえらせるが故に、また、今後も自分にそして次世代の子どもたちに対しても一生繰り返されるかもしれない絶望を伴うが故に、マイノリティの心身に極めて深刻な害悪をもたらす。
︵略︶
社会心理学者クレイグ・ヘンダーソンは、被害者に共通する心理的影響を、①継続する感情的苦悩、②自信喪失、③逸脱感情︵自分は﹁普通﹂とは違っておりマイノリティであるから狙われたという自己認識︶、④自分を責める、などを具体的に挙げている。
京都朝鮮第一初級学校の事件における被害は、中村一成のルポで明らかにされた︵略︶夜尿や夜泣きがはじまった子や、廃品回収の拡声器の音に﹁ザイトク来た!怖い!﹂と泣きじゃくる子、現在も一人では外出できない子がいる。また、校門前にかけつけた保護者の一人である金尚均氏︵龍谷大学法科大学院教授︶は、﹁人間じゃない﹂と面罵され、言葉を失った。本名ではなく日本名︵通名︶で通った日本の小学校で﹁チョンコ﹂と差別された過去に引き戻され、努力して積み上げてきた自己肯定感が一挙に奪われたという。
金尚均氏の苦悩は、現在朝鮮学校に通う子どもたちも負わされている。︵略︶大阪、京都など各種の自治体による調査結果によれば日本の小学校に通う在日朝鮮人の子どものうち八割から九割は、日本名を名乗っている。自らの国籍、民族そして名前をどう名乗るかという葛藤を日常的に子どもの頃から背負わされているのである。このような構造的な差別の中で、その属性を無価値と罵倒するヘイト・スピーチは、どれだけ子どもたちの心をえぐるだろう。
例のコメ主はこんなこと↓も書いているが、日本社会の問題を論じているのに中国在住日本人など持ち出してどうするのか。また、﹁グローバルなインターネット﹂などと言っても、日本語でやりとりされるネット空間では日本人が圧倒的なマジョリティであり、それは現実の日本社会と変わらない。︵むしろ、自称﹁普通の日本人﹂がはびこっているだけ更に悪い。︶現実を一切踏まえずに書き散らされる屁理屈など無意味だ。
人の言葉を借りなきゃヘイトが何かもまともに説明できないんですか?ww
要するに威気高にネトウヨを叩くvergilさんは実は何も分かってないってことですね。
って言うか、自分に都合の悪い意見をヘイト呼ばわりして言論弾圧を図っているだけですね。まさしく左翼の本性です。
念のため日本では日本人が多数派だからヘイトにならないってんなら明らかに間違いです。そんなもん相対的だからです。
例えば中国に居住している日本人は中国ではマイノリティだしヘイト被害の対象です。日本国内でも局所的には在日のほうが日本人より多い場所もあります。グローバルなインターネットで他者に明らかな憎悪表現するならそれは間違いなくヘイトスピーチです。なのでここはヘイトブログ、それもかなり悪質なヘイトブログです。
ところで、細々と個人ブログを書いているだけの私に、どうやったら﹁言論弾圧﹂などできるのか。そんな方法があるなら教えて欲しいくらいだww
[1] 師岡康子 ﹃ヘイト・スピーチとは何か﹄ 岩波新書 2013年 P.39-40 [2] 同 P.40-41 [3] 同 P.53-54
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[1] 師岡康子 ﹃ヘイト・スピーチとは何か﹄ 岩波新書 2013年 P.39-40 [2] 同 P.40-41 [3] 同 P.53-54
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