「こめこ給食2024 -米粉という、あらたな選択を-」
﹁米粉﹂は学校給食の課題を乗り越える手段のひとつとして、とても有用性の高い食材のひとつです。小麦粉の代替として利用すれば、小麦粉アレルギーを持つ子どもが食べられる献立の幅がぐんと広がります。また、もちもち、サクサク、しっとりなど、様々な食感をつくりだせる米粉は、豊かな食経験の一助となるでしょう。さらには、大量調理における作業時間や作業負担の軽減など、調理上のメリットもたくさんあります。本冊子では栄養教諭・学校栄養職員の皆さんに米粉を活用していただくための基礎的な知識や活用事例を取りまとめました。
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「和食給食 食べて学ぶ日本の文化 2018 和食と健康」
かつて当たり前のように家庭の食卓で提供されていた和食。1980年代以降、食の欧米化が一気に進み、食卓に並ぶ献立も大きく様変わりしました。どんな時代のどのような食事が最も優れているのか、東北大学大学院 都築毅准教授の研究を軸に、和食と健康の関係をわかりやすく解説します。
「和食給食 食べて学ぶ日本の文化①」
和食給食応援団設立から現在までの取組をまとめた一冊。和食料理人と栄養士の先生が子どもたちの食に真剣に向き合い考えた12の献立とそのストーリーを紹介します。和食ってなに?子どもの好き嫌いをなくすにはどうしたらいいの?和食をおいしく作るコツは?そんな素朴な疑問や日々の悩みにお答えします。
東日本代表 日本料理 賛否両論 店主 笠原 将弘 味わいや食材の知識だけでなく、日本人としての教養や教育に直結するのが和食の良さだと思います。人が育つ大切な時期に週5日、6年間も食べる機会は、ある意味絶好のチャンスだと思います。ぜひ和食の良さを学校給食を通して伝えていきましょう! 1972年東京都品川区生まれ。高校を卒業後、﹁正月屋吉兆﹂で9年間修業。その後、実家の焼き鳥の名店﹁とり将﹂を継ぎ、4年半営業する。父親の代からの30周年を機に一旦﹁とり将﹂を閉店。2004年9月に現在の店舗﹁賛否両論﹂を開店する。2013年9月に名古屋店、2014年6月に広尾店を開店する。和食給食応援団東日本代表を務める。 西日本代表 京料理 たか木 店主 高木 一雄 美味しいものを提供する。同じ料理に携わる者として絶対に持っていてもらいたい感覚です。大人は気分で料理屋さんを選べますが、児童・生徒は選ぶことが出来ません。自分が最高の料理人だという気概を持って、献立立案から当日調理まで妥協なく取り組んで欲しいと思っています。そのための技術と知恵は惜しみなくお伝えします! 1972年大阪府生まれ。大阪﹁料亭北乃大和屋﹂に入店、佐名木孟氏に師事。佐名木孟氏と﹁山荘京大和﹂へ移り、副料理長を経て2005年芦屋市東山町にて﹁京料理 たか木﹂を開店。2010年から2016年まで7年連続ミシュランガイド2つ星を獲得。和食給食応援団西日本代表を務める。
銀座 小十 店主 奥田 透 現在の家庭では、世界の多様な食文化に触れる機会は多くても、家庭で和食の文化を受け継ぐ機会は明らかに減っています。この国の食が文化的にも価値が高いことを、もっと認識できる世の中にしなければなりません。ぜひ一緒に楽しんで学んでいきましょう! 1969年静岡県生まれ。高校卒業後、静岡の割烹旅館﹁喜久屋﹂に入店。日本料理の世界に入る。その後、京都の老舗料亭や、徳島﹁青柳﹂等で修業。2003年に﹁銀座 小十﹂を開店し、2007年から2014年まで7年連続ミシュランガイド3つ星を獲得。2015年から2016年2つ星。2011年8月に﹁銀座 奥田﹂を開店し、2013年9月にはパリに﹁OKUDA﹂を出店し、2015年、2016年連続でミシュランガイド1つ星を獲得。 事務局長 合同会社五穀豊穣 代表 西居 豊 一次産業に関わる身としてこの取り組みは立ち上げました。一次産業は、食べる人たちが価格を決める部分が多いです。ぜひ生産者に思いを馳せられる児童・生徒に育って欲しい。そういう想いから学校給食に関わっています。給食は日本の食の最後の砦だと思っています。その砦を守るためならどんな協力も惜しみません。 1982年大阪府生まれ。大阪の大学を卒業後、マーケティング会社に入社。2009年8月31日、合同会社五穀豊穣設立。農山漁村活性化のために一次産業の販路拡大を手掛ける。2011年より学校給食のごはん食化、和食化に取り組み、2014年和食給食応援団を設立。
和食給食献立開発サポート
学校に訪問しての調理
和食料理人による食育授業
栄養士・調理士向け講演・調理実演会
推進企業パートナーによる食育授業
お料理 祥雲 秋山 宜之︵岡山県岡山市︶ 1982年岡山県総社市生まれ。京都の老舗料亭﹁菊乃井﹂をはじめミシュランガイド3つ星店などで10年のキャリアを重ね、広島の福祉施設の料理長に就任。新調理システムの指導、メニュー開発に携わる。2014年に奥様とともに岡山市内に﹁お料理 祥雲﹂を開店。地元食材を活用し、古典を大切にしながら、新しい技法も取り入れ新境地を開拓している。 六雁 秋山 能久︵東京都中央区︶ 1974年茨城県水戸市生まれ。高校卒業後﹁割烹すずき﹂に入り、鈴木好次氏のもとで10年間修業を重ねる。その後﹁月心居﹂にて精進料理の神髄にふれた後、野菜の素晴らしさを知り、銀座﹁六雁﹂の料理長に就任。現在は総料理長として腕をふるう。 銀座 奥田 五十嵐 大輔︵東京都中央区︶ 1977年青森県深浦町生まれ。数々の日本料理店で修業後、2007年に﹁蕎麦 流石﹂入社。2009年、銀座﹁流石 はなれ﹂料理長に就任。2011年、﹁銀座 小十﹂に入社。2013年、﹁銀座 奥田﹂の料理長に就任。ミシュランガイド東京2016で一つ星を獲得。日本の伝統工芸を応援したいとの思いから、若手作家の作品を中心に使い、その素晴らしさを伝えている。 旗松亭 上村 秀和︵長崎県平戸市︶ 1968年福岡県福岡市生まれ。高校を卒業後、﹁南地大和屋﹂で修業。その後、泰泉閣で副料理長を経て、現在、旗松亭料理長を務める。 割烹料理 うを仁 臼井 規郎︵岐阜県岐阜市︶ 1979年岐阜県岐阜市生まれ。2000年から2004年まで﹁なだ万﹂にて修業。2010年、先代である父親の急逝に伴い実家の﹁割烹御料理 うを仁﹂を継ぐ。岐阜県及び岐阜市からの地産地消推進の認定取得。現在、本業と共に食育に関わる青少年育成活動、岐阜県の地産地消に関わる商品開発に取り組む。 泰泉閣 上船 昌幸︵福岡県朝倉市︶ 1974年福岡県糸島市生まれ。高校卒業後、福岡県﹁壱岐長谷川﹂で料理人として修業を始める。1998年原鶴温泉泰泉閣の料理長であった大石清剛氏の下7年間指導を受け、その後九州各地で修業を積み2011年旅館山河の料理長となる。2014年、泰泉閣の料理長に就任。地域に愛される宿作りと日本料理を志す若手育成に力を入れている。 日本料理 おかざき 岡﨑 敏彰︵宮城県仙台市︶ 1979年宮城県柴田郡生まれ。温泉旅館業を営む実家で生まれる。専門学校卒業後、﹁なだ万 エクセル東急店﹂で約5年修行。宮城・青根温泉﹁岡崎旅館﹂調理長を経て、2009年﹁日本料理 おかざき﹂を仙台市青葉区春日町に開店。現在は、仙台市内で﹁日本料理 おかざき﹂﹁日本料理 おか星﹂﹁日本料理 おかざき 西公園前﹂の3店舗を経営。仙台和食界の若き期待の星として注目されている。 ほむら 小笠原 一芸︵青森県八戸市︶ 1975年青森県生まれ。高校卒業後、東京国立エコールキュリネール辻専門カレッジを卒業後、﹁西麻布つくし﹂に入店し、3年間料理を学ぶ。その後、シドニーのイタリアンカフェにて海外の料理にも触れ、帰国後、仙台銀たなべ﹁銀粋﹂に入店。数年後、地元八戸に戻り、30歳になる年を期に地元八戸に戻り、独立し﹁ほむら﹂を開店する。 もっと見る
銀座 小十
奥田 透︵東京都中央区︶
1969年静岡県生まれ。高校卒業後、静岡の割烹旅館﹁喜久屋﹂に入店。日本料理の世界に入る。その後、京都の老舗料亭や、徳島﹁青柳﹂等で修業。2003年に﹁銀座 小十﹂を開店し、2007年から2014年まで7年連続ミシュランガイド3つ星を獲得。2015年から2016年2つ星。2011年8月に﹁銀座 奥田﹂を開店し、2013年9月にはパリに﹁OKUDA﹂を出店し、2015年、2016年連続でミシュランガイド1つ星を獲得。
元赤坂ながずみ
小河 雅司︵東京都港区︶
1979年福岡県福岡市生まれ。大学在学中に全国を旅する中で、食の素晴らしさに目覚め、和食料理人になることを決意。上京後、日本料理の名店で経験を積み、恵比寿にある紹介制の和食屋の料理長となる。その後、29歳で独立し﹁元赤坂ながずみ﹂を開業。店名の﹁ながずみ﹂は、小河氏の故郷・福岡市長住に敬意を表してつけたもの。2011年から2016年まで6年間ミシュランガイド1つ星を獲得。
鮨屋 小野
小野 淳平︵東京都渋谷区︶
1973年群馬県太田市生まれ。高校卒業後、鮨屋に憧れ地元の鮨店に入店。さらなる高みを目指すため上京し、都内で約15年本格的に修業を重ねる。2007年に恵比寿において﹁鮨 小野﹂を開店。こだわりの鮨でたくさんのお客様を魅了し、鮨業界の発展のために尽力する。2015年にはさらに理想を追求するべく﹁鮨屋 小野﹂と店名を改めリニューアルオープン。近頃は世界で握ることもある実力派。
日本料理 賛否両論
笠原 将弘︵東京都渋谷区︶
1972年東京都品川区生まれ。高校を卒業後、﹁正月屋吉兆﹂で9年間修業。その後、実家の焼き鳥の名店﹁とり将﹂を継ぎ、4年半営業する。父親の代からの30周年を機に一旦﹁とり将﹂を閉店。2004年9月に現在の店舗﹁日本料理 賛否両論﹂を開店する。2013年9月に名古屋店、2014年6月に広尾店を開店する。和食給食応援団東日本代表を務める。
日本料理 梶助
梶 太郎︵石川県小松市︶
1979年石川県小松市生まれ。18歳から﹁東京 なだ万﹂にて11年間修業を積み、現在﹁梶助﹂三代目料理長に就任。地元食材を主に使用し、地元九谷焼の器を用いて料理提供している。﹁梶助﹂は創業半世紀で、染色を生業としてきた初代が居酒屋を始め、割烹へと昇華した。
心根
片山 城︵大阪府枚方市︶
1975年大阪府交野市生まれ。和食店﹁銀平﹂他で10年間修業。2009年に地元である交野市で﹁心根﹂を開店。1つ1つの事に常に氣を込めることを心がけ、料理を提供している。
日本料理 つか佐
川口 順一郎︵山口県下関市︶
1969年鹿児島県奄美市生まれ。18歳で日本料理の道に入り、大阪・住吉大社にて修業。2011年12月、老舗ふぐ料理店跡にオープンした﹁日本料理 つか佐﹂に招かれ、料理長に就任。地元の新鮮な野菜や魚介類を活かし、こだわりの﹁だし﹂で提供。
日本料理 川畑
川畑 哉︵群馬県太田市︶
1968年愛知県一宮市生まれ。岐阜の老舗料亭﹁水琴亭﹂﹁たか田 八祥﹂にて修業し、2004年に奥様の実家である群馬県太田市に﹁和菜 川畑﹂を開店。2010年に移転し、﹁日本料理 川畑﹂に改名。地域に根差し、古典技法と季節感、歳時記を大切にした料理の提供を目指している。
福島 神田
神田 聡︵福島県福島市︶
1972年福島県福島市生まれ。辻学園日本調理師専門学校卒業後、﹁日本料理 神田川﹂で17年間修業。その後、福島市にて﹁日本料理 福島 神田﹂を2007年に開店する。出身高校で日本料理を教えるなど、後進の育成にも取り組む。
日本料理 喜一
北野 博一︵大阪府河内長野市︶
1956年大阪府河内長野市生まれ。高校卒業後、料理の世界に入り16年の修業を重ねる。1990年に地元に戻り、祖父が陶磁器店を開いていた地に﹁喜一﹂を開店。﹁浪速魚菜を守る会﹂の会員となり、なにわの伝統野菜や地元の食材を積極的に取り入れる。2011年から2015年まで5年連続でミシュランガイド1つ星を獲得。
日本料理 雄
佐藤 雄一︵東京都渋谷区︶
1975年茨城県生まれ。高校卒業後、箱根﹁強羅花壇﹂にて日本料理の修業を始める。その後、都内の日本料理店で料理長を経験し、13年間修業の後、2006年10月に﹁日本料理 雄﹂を開店する。伝統を大切にし、日々進化する日本料理を探求して新しい形の日本料理作りに精進している。NHK﹁キッチンが走る!﹂﹁あさイチ﹂などに出演。
南青山 とし緒
関 敏雄︵東京都港区︶
1974年埼玉県飯能市生まれ。寿司店を営む両親のもとで育ち、自然と料理人を志す。高校卒業後、京都﹁たん熊北店﹂で6年間修業。カウンター割烹や寿司店で研鑽を積み、異業種でも複数店舗の立ち上げに関わる。﹁坐来大分﹂での勤務時代に関さば・関あじなど豊後水道から届く鮮魚に魅せられる。大分県佐賀関漁港より直送流通経路を確保し、﹁南青山とし緒﹂を2009年6月に開店する。
京料理 たか木
高木 一雄︵兵庫県芦屋市︶
1972年大阪府生まれ。大阪﹁料亭北乃大和屋﹂に入店、佐名木孟氏に師事。佐名木孟氏と﹁山荘京大和﹂へ移り、副料理長を経て2005年芦屋市東山町にて﹁京料理 たか木﹂を開店。2010年から2016年まで7年連続ミシュランガイド2つ星を獲得。和食給食応援団西日本代表を務める。
御料理 与志福
高橋 憲治︵東京都世田谷区︶
1979年東京都世田谷区生まれ。日本料理の神髄を学ぶため、京都の名店﹁桜田﹂で約10年修業を積む。その後地元に戻り、料理の道に導いてくれた祖父母の名を取り、29歳で﹁御料理 与志福﹂を創業。2010年から2016年まで7年連続ミシュランガイド1つ星を獲得。季節感と素材を大切にした丁寧な仕事ぶりで人気を集めている。
日本料理 TAKEMOTO
武本 賢太郎︵東京都渋谷区︶
1970年神奈川県横浜市生まれ。食べ歩き好きが高じて20歳で料理の世界へ入る。新橋﹁金田中 本店﹂で18年修行を積み、副料理長を経たあと、﹁向島料亭 水野﹂に料理長として就任。2009年3月、満を持して独立し、代官山に﹁日本料理 TAKEMOTO﹂を構える。
和ごころ 田じま
田島 隆史︵広島県広島市︶
1974年広島県広島市生まれ。大阪あべの辻調理師専門学校卒業。大阪のホテルニューオータニ、ベトナム・ハノイの日航ホテルなど国内外で修業後、地元の広島にて﹁和ごころ 田じま﹂を開店。学校で親子料理教室などを開催するなど、美味しくて簡単な和食のコツを伝授することにも熱心に取り組んでいる。
御料理 寺沢
寺沢 勇人︵岩手県北上市︶
1978年岩手県花巻市生まれ。幼少期より料理人の父親の影響を受け育ち、高校を卒業後飲食店に就職。一度料理の道から離れるも、30歳を前に再び料理の道に戻る。2010年より岩手県花巻市にて﹁てらさわ﹂を開店。2013年に北上市に移転し、店名を﹁御料理 寺沢﹂とする。
小料理 はせべ
中段 陽介︵広島県広島市︶
1981年広島県生まれ。料理人を志し、調理専門学校へ入学。京都の料亭で3年間修行をしたのちに帰郷。和食料理店で5年間修行し、﹁小料理 はせべ﹂を開店。しっかり芯のある出汁をひき、シンプルでも心に残る料理を目指す。
割烹旅館 若松
成田 正吾︵北海道函館市︶
1966年青森県五所川原市生まれ。京都の日本料理店で12年間料理長を務める。その後﹁割烹料亭 若松﹂に入店。刺身に醤油のムースを使うなど、基本の中に新しさもある料理が人気。自ら食材を栽培したり、堆肥作りから携わったりすることもあり、食材を追求する料理人。北海道日本料理包秀会の代表。料理長を務める。2012年ミシュランガイド1つ星獲得。
旬肴ひとしずく
西中薗 諭︵沖縄県中頭郡︶
1972年大阪府生まれ。調理師学校卒業後、23年間和食一筋で大阪や東京で腕を振るう。東京・恵比寿の割烹店では料理長を務める。食と健康を考えようと2004年に沖縄に移住。中部のリゾートホテルで4年間勤務後、﹁旬肴ひとしずく﹂を開店。泡盛マイスターの資格をもち、古酒作りもしている。
季節料理と地酒 南天
野元 真善︵新潟県長岡市︶
1980年新潟県佐渡市生まれ。長岡の調理専門学校を卒業後、小千谷の割烹を経て長岡グランドホテルの﹁季節料理と地酒 南天﹂に入店。2014年若手料理人の登竜門として知られる﹁第4回日本料理コンペティション﹂で優勝し、全国およそ200人の料理人のトップに輝いた。﹁常に新しいことに挑戦したい﹂と目標を掲げる、長岡グランドホテルの次代を担う料理人。
料理屋 あるところ
平河 直︵佐賀県唐津市︶
1982年福岡県福岡市生まれ。富山の大学で伝統工芸を学んだのち、東京の懐石や割烹料理店で6年間修業。福岡に戻り、さらに4年間割烹料理店に勤める。その後、古民家を改修し2015年に﹁料理屋 あるところ﹂を開業する。その土地の食材を素直に料理し、楽しい食卓になるような料理を目指す。
川甚本店
本間 勇司︵北海道札幌市︶
1970年北海道稚内市生まれ。中学校時代の恩師の勧めで寿司店にて約2年修業。その後、東京の和食店などで腕を磨き、2006年札幌加森観光﹁川甚本店﹂の料理長となる。料理人として食の安全・安心にこだわり、できるだけ農薬の少ないものや産地を吟味し、新鮮な食材を生かして調理することを日々心掛ける。
御料理 まつ山
松山 相三︵福岡県北九州市︶
1981年福岡県北九州市出まれ。北九州市小倉の創作和食の有名店にて、30歳までに独立することを目指して修業を積み、2011年8月に﹁御料理 まつ山﹂を開店。素材にこだわり、地元客に愛される名店。2014年ミシュランガイド1つ星を獲得。
ごだん 宮ざわ
宮澤 政人︵京都府京都市︶
1975年神奈川県川崎市生まれ。18歳で修業を始め、﹁入舟﹂﹁柿傳﹂などの名門で修業し、2007年32歳で独立。2007年京都四条堺町にて﹁じき 宮ざわ﹂、2014年東洞院松原にて﹁ごだん 宮ざわ﹂を開店。﹁じき 宮ざわ﹂で2010年から2016年まで7年連続ミシュランガイド1つ星を獲得、﹁ごだん 宮ざわ﹂で2016年ミシュランガイド1つ星を獲得。
お料理 宮本
宮本 幸代︵大阪府大阪市︶
1983年福岡県久留米市生まれ。中村調理製菓専門学校卒業後、大阪の日本料理店で7年間修業。2012年には、同じ中村調理製菓専門学校の卒業生であるご主人とともに、﹁お料理 宮本﹂を開店。2014年から2016年まで3年連続でミシュランガイド2つ星を獲得。
お料理 宮本
宮本 大介︵大阪府大阪市︶
1981年熊本県熊本市生まれ。中村調理製菓専門学校卒業後、大阪の有名日本料理店にて長年修業。2012年には、同じ中村調理製菓専門学校の卒業生である奥様とともに、﹁お料理 宮本﹂を開店。2014年から2016年まで3年連続でミシュランガイド2つ星を獲得。
鈴なり
村田 明彦︵東京都新宿区︶
1974年東京都江東区生まれ。祖父がふぐ屋を営んでいたことから料理人を志す。老舗日本料理店﹁なだ万﹂で13年間修業を積み、2005年﹁鈴なり﹂を創業。遊び心を加えた独自性溢れる品々で古典に縛られないオリジナルの和食を追及。2012年から2016年まで、5年連続ミシュランガイド1つ星を獲得。気さくな人柄で、テレビをはじめ各種メディアでも活躍中。
なすび亭
吉岡 英尋︵東京都渋谷区︶
1971年東京都清瀬市生まれ。東伊豆﹁つるやホテル﹂、鎌倉の懐石料理﹁山椒洞﹂、日本料理﹁蝦夷御殿﹂などで修業。﹁永田町瓢亭﹂で首相官邸出前料理番を任される。2000年に29歳で独立し、恵比寿にて﹁なすび亭﹂を開店。
日本料理 旬菜 和田
和田 大地︵岩手県遠野市︶
1969年岩手県遠野市生まれ。高校卒業後、秋田市﹁日本料理 入舟﹂にて10年間修業。2002年から遠野市のホテル﹁アエリア遠野﹂にて6年間料理長を務め、2008年に自身の店﹁日本料理 旬菜 和田﹂を開店。岩手県、東北の食材を活かす日本料理を軸に、より多くの人に本当の日本料理の素晴らしさを気軽に味わえる場を提供していくことを目指している。
美味いもん屋 わ多なべ
渡邉 達也︵福島県いわき市︶
1973年福島県生まれ。道場六三郎氏に師事。﹁銀座ろくさん亭﹂﹁懐食みちば﹂での修業の後、長崎・金沢での経験を積み帰郷。2008 年いわき市平にて﹁美味いもん屋 わ多なべ﹂を開店。