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朝倉菊雄(1903-1945)
明治36年9月7日ー昭和20年8月17日 42歳 (克文院純道義健居士)
鎌倉・浄智寺

 

 姿姿姿姿  

 終戦の翌々日、宿阿のため老母・夫人・川端康成・小林秀雄・中山義秀・久米正雄・高見順等に見守られ鎌倉養生院で死んだ島木健作はストイックな作家であった。「文学的自叙伝」に「私のなかの坊主的名性質、享楽的なものを罪悪視してしりぞけ、欠乏に堪え、身を苦しめて励むといった、聖道門的なものへの憧れれみたいなものは早くから顕著であり、それは一般に小説というものの雰囲気とは一致しないところがあるのだった。」と書いたように、その特異な時代でしか生まれなかったであろう作家であった。

  蜜柑の木の下、紫陽花の葉影に埋もれて苔蒸したちいさな墓碑があった。「島木健作之墓」、「昭和二十年八月十七日歿」と刻まれたこの墓の主は「これからやり直しだ」といって死んだ。陽当たりの悪い塋域の空間に、求道的な精神で生涯を送った作家の姿が、幽淡と偲び上がってくるような時がたった。