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九谷焼を美術館や図録で鑑賞するための解説を行っています


   
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2.九谷焼の伝統となる様式

 古九谷の廃窯から約80年後、九谷焼は再興九谷の時代に入り、古九谷の再興を目指した青手の吉田屋窯、色絵・五彩手の若杉窯、そして赤絵金襴手の宮本窯など数多くの窯とそこで活躍した画工たちが現われ、それぞれにすばらしい伝統的様式を創り出しました(参照 九谷焼の歴史)。九谷焼は古九谷の時代に生まれた伝統的様式を源流にして、今日も盛んに作られ続けています。

青手

青手写真

 使
  使使50
  
  使
     

色絵五彩手
 
   
   17綿
     

赤絵金襴手
 
  
     
  使  

補足 作風として

粟生屋焼 陶胎の上に白化粧し透明釉をかけ、諸色の上絵の具で文様を施すもので、木工品のような独特の趣のある作風が特色です。
庄三風 庄三はそれ以前の九谷焼に見られた顔料釉薬のみで表現してきたものから、洋絵具を使った中間色によって多彩にの絵付された精緻な描画の作風技法「彩色金欄」の技法を確立させ、明治九谷を世界に広めました。
伊万里風 明治から大正にかけ人気のあった、上絵付、金彩のほどこされた染錦、九谷柿右衛門と呼ばれる柿右衛門写し、鍋島写し、染付もあり、かなり広範囲にわたり伊万里焼を本歌取りしたものがありました。特に、上手(じょうて)の古伊万里(元禄時代の作品を中心にした)を本歌取りして作られた大聖寺伊万里は、八郎手の赤絵細描や永楽和全の金襴手の技法をも受け継いできたものであるといわれます。

3.絵画的な図案・文様 へ