- 山と雪
ホーボージュン アジア放浪3カ国目 台湾後編「どしゃぶり山とやさしい隣人」
2016.07.11 Mon
ホーボージュン 全天候型アウトドアライター
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やがて空を雲が覆いパラパラと雨が降り出した。やれやれ。ため息を吐きながらレインウェアを着込む︵この時の僕は知るよしもなかったが、下山するまでこのあと一度もレインウェアを脱ぐことはなかった︶。進めば進むほど雨はその激しさを増し、視界はどんどん悪化した。目に映るのは鬱蒼とした森と草むらばかりで、心を躍らせるようなものは何もない。 9km地点を過ぎると道はいよいよ狭くなり、路面はグシャグシャにぬかるんできた。場所によっては足首のあたりまで泥に埋まるような状況だ。清泉橋のお母さんは登山口まで車が入れると言っていたが、本当だろうか?
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標高2,600mにある登山口に辿り着いたときにはすっかり日が暮れていた。林道の突き当たりにはかろうじて車がすれ違えるほどのスペースがあり、5~6台の四輪駆動車が崖にへばりつくようにして停めてある。ボディには﹁○○登山隊﹂﹁××山岳会﹂などのステッカーが貼ってあった。やっぱりここまで入ってくるのか。すごい根性だ。 ︵あー、もう無理だ︶ 集中力が途切れてしまったので、けっきょく今日はここでビバークすることにした。降りしきる雨の中でテントを建て、転がり込む。アルファ米とラーメンの簡素な食事を済ますと僕は改めて地形図を見た。1泊目は﹁耳無溪合流﹂という河原のビバーク指定地まで行くつもりだったが、登山口に辿り着くだけで終わってしまった。
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東京を出て3度目の夜を迎えようとしていたが、僕の旅はまだ始まってもいないのだ。近いと思っていた隣国が、この日の僕にはとても遠くに感じた。 咬人猫と登山道の天使 翌朝は5時半に起きたが、グズグズしていたら出発が8時を過ぎてしまった。雨の中の出発は憂鬱だ。テンションが上がらぬまま登山道へと踏み込んだ。 肩幅ほどの細いトレイルに緑の草が覆い被さっている。高さは1メートルほどだろうか。行く手を遮っていた葉っぱを何気なく手で払おうと思ったその瞬間、指先にビビビッと衝撃が走った。 ﹁イタタタタッ!﹂ 掌がビリビリ痺れている。濡れた手でコンセントに触ったような電気的な衝撃だった。蜂にでも刺されたのかと思って目を凝らしてみるが、特に刺された跡も腫れる様子もない。痛みをこらえながら前に進もうとした瞬間、もう一度電撃ショックが指先に広がった。 ﹁ギャアアアア!﹂ 今度はさっきの何倍も痛かった。そしてその瞬間に犯人がわかった。草だ。緑色をしたこのかわいらしい草に棘があるのだ。恐る恐る覗き込むと葉っぱも茎も針のような細い繊毛にびっしりと覆われていた。
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﹁台湾ではコイツのことを咬人猫と呼ぶんだよ﹂とこのあと登山道ですれ違ったハイカーがこの草の名前を教えてくれた。ホラーな名前が表す通り不用意に手を出すと噛みつかれる。﹁見かけてもぜったいに触るな﹂と何度も釘をさされた。 咬人猫︵ヤオ・レン・マオ︶はイラクサの仲間で、全身が細かな産毛のような棘で覆われている。この棘はたいへん脆く、手で触ると簡単に折れ皮膚に残る。そして棘の先端が皮膚の中でさらに砕けて中の毒液が染み出す……という世にも怖ろしい草なのだ。 ここ北二段は﹁咬人猫の山﹂として有名で、それがこの山域に厳しいイメージを植え付けていた。咬人猫だけではない。山にはアザミと野バラがやたらに多い。なんだか山じゅうトゲトゲなのである。 空には暗雲が立ち込め、足元はぬかるみ、そして両サイドには凶悪な咬人猫……。そんな異国の登山道で途方にくれていた僕の前に突如現れたのが李静宜︵リー・ナツミ︶ちゃんだった。和名みたいな響きだがれっきとした台湾人だ。 それは狭い登山道でのことだった。正面から男女4人のパーティが下山してきた。僕は登山道の脇により、すれ違うとき何気に﹁コンニチハ﹂と日本語で挨拶をしたのである。 すると最後尾にいた若い女性が﹁えっ?﹂という顔をして立ち止まった。 ﹁もしかして、日本の方ですか……?﹂と日本語で声がかかった。 ﹁は、はい!﹂びっくりしてそうこたえる。 ﹁わあ!こんなところで日本の方に会えるなんて!﹂と弾ける笑顔で答えたのが彼女だった。 ナツミちゃんは日本が大好きで独学で日本語を勉強している。日本にもよく旅行に行き、四国の石鎚山に上ったこともあるそうだ。この日は花柄がプリントされた白いレインウェアを着て、ピンク色のバックパックを背負っていた。フードからのぞく大きな瞳はキラキラと輝き、長いまつげは天空高く伸びている。 ﹁か、かわいい……﹂ それはぬかるみにさく白い花。トゲトゲの山中で柔らかく香る百合みたいに思えた。
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﹁本当に気をつけてくださいね﹂ 別れ際、長いまつ毛に雨粒を貯めながら彼女はそう言った。 ﹁大丈夫。君のためにも必ず無事で戻るからね﹂ 僕は︵心の中で︶そういって彼らと別れた。登山の最中にこんなにも後ろ髪をひかれる思いをしたのは、この時が初めてだ。
台湾のハイカーの実力はヤバイ 12時過ぎに17kmの分岐点に到着した。見ると三人の中年男性が巨大なザックを降ろして休憩していた。ちょうどいい。彼らに道を聞いてみよう。 ﹁甘薯峰方面に行くのはこっちでいいんですか?﹂ ﹁そう。そこの崖を下っていくんだ﹂眼鏡をかけた男性がそう答えた。 ﹁ちょうど笹ヤブが切れたところだよ﹂同じ顔をした男性が言葉を受ける。 このふたりは陳育冠︵ローバー・チェン︶さんと陳育亮︵ユイリャン・チェン︶さん。台中に住む双子の兄弟で、顔も背格好もしゃべり方もそっくりだった。そしてもうひとりは学生時代の友だち。若い時からずっと一緒に遊んでいた男子3人組がオジサンになり、いまも会社の休みを合わせてはこうして野山を歩き回っているのだという。
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﹁みなさんはどこから来たんですか?﹂地図を広げて尋ねてみた。 ﹁うーん……。なんて言えばいいのかな﹂ローバーさんが地図を眺めて困っている。 ﹁この地図のずっと外側から来たんだよ﹂とユイリャンさんが言葉を継ぐ。 聞くと彼らは﹁北一段﹂と呼ばれる北部高山の縦走ルートを踏破し、そのまま北二段に入ってきたそうだ。今日ですでに縦走も8日目。昨晩は甘薯南峰のビバーク指定地で泊まり、朝早く出発してさきほどここに着いたという。この人たちは僕が丸2日かけて歩こうとしているルートをわずか半日で踏破してきたのである……! 尋常じゃないスピードと8日間も無補給で歩き続ける強靱さに僕は舌を巻いた。台湾のハイカーの実力はヤバイ。彼らはこれから登山口まで一気に下り、そこからは地元のクルマに回送してもらうそうだ。詳しく聞いてみるとそれは例の王先生のことだった。 ﹁あなたも帰りは迎えに来てもらえばいい﹂ ﹁あ、でもその人英語がぜんぜん通じないみたいなんですよ﹂ ﹁だったら俺が代わりに電話してあげるよ。下山したら連絡ちょうだい﹂ ﹁いやいや、さっき別の人にお願いしたから大丈夫です﹂僕はさきほどの顛末を簡単に話した。 ﹁なあに、万が一の保険だと思えばいいさ﹂ そう言ってローバーさんは電話番号を紙に書いて渡してくれた。 ﹁それに……﹂ユイリャンさんがこう付け加えた。 ﹁夜更けや明け方に若い女性に電話をするのは気が引けるだろ? その点俺たちなら気兼ねいらない。24時間いつでも電話くれ﹂ ﹁とにかく無事の下山を祈ってるよ!﹂
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しかし僕の予想よりはるかに崖は崩れやすかった。﹁あっ……﹂そう思った瞬間、右足をかけていた岩が崩れ落ち、僕はバランスを失った。﹁やばい!﹂とっさに目の前の大岩に飛びつく。すると今度は左足の岩が崩れ落ちてしまったのだ。 岩を抱えたまま僕は宙ぶらりんになった。 足がかりを探すが、いくら蹴り込んでもつま先はグリップしない。岩を抱えた腕を離すこともできず、僕はそこで進退窮まってしまった。 最後はぶざまにずり落ちながら、それでもなんとか難所をクリアすることができたが、これは僕にとって大きな戒めとなった。 ﹁絶対に無理をしない﹂ 山では当たり前のことを︵恥ずかしながら︶僕はまた学び直した。 丸太橋をわたり、河原でビバーク 地図に﹁耳無溪合流營地﹂︵耳無川合流ビバーク地︶と記載されている場所は、行ってみるとただの河原だった。2つの川が合流する脇にテントが張れそうな砂浜がいくつかあり、誰かがビバークをした痕跡があった。川には丸太が何本か渡してあり、僕はその上をヨタヨタと渡って營地に渡った。
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この夜は狭い砂地にテントを張り、ゴウゴウと唸る川の音をバックに眠りについた。雨はまだ降り続いている。もういいかげんウンザリだった。 翌朝は6時に起きてテントをたたんだ。雨は止まない。ずぶ濡れのテントをずぶ濡れのバックパックに詰め込んで、僕は南薯峰をめざして登攀を開始した。 ここから先にはもう水場がない。2泊3日分の飲料水6リットルを詰め込むとパックはまたずしりと重くなった。少しでも荷物を軽くするため、後半用の食糧やカメラの三脚、濡れた着替えなど不要なものをドライバッグに詰め込み、岩の下にデポした。サルやタヌキに狙われなければいいのだけれど……。 ここからの登りは急峻だった。いきなり鎖場が続き、四苦八苦する。普段ならなんてことないんだろうが、どしゃ降りでなにもかもがツルツル滑る。
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深い霧の中を無言で進んだ。もう誰ともすれ違わない。この山域にいた登山者はすべて下山してしまったようだ。たったひとりの山の中を、たったひとりで登り続けた。 標高2,800mの森の結界 午後3時に﹁2,800營地﹂と呼ばれる場所に着いた。森の中に20畳ほどの平らな広場があり、そこに覆い被さるように大木が生えていて、外界から身を守る結界を作っていた。テントを張るにはいい場所だった。 ︵どうしよう︶ 正直気持ちが揺れていた。まだ日没まで時間はある。今日のうちにもうすこし進んでおきたかった。このままでは甘薯峰どころか甘薯南峰にすら辿り着かない。明日は雨が止むかもしれない。だったら今のうちに稜線まで出たい。僕はまだ希望を捨てきれなかった。 ︵ど、どうしよう︶ 気付くとレインウェアのフードの中にカタカタと変な音が響いていた。それは僕の奥歯が鳴る音だった。しばらく立ち止まっていただけなのに身体が芯まで冷えてしまっていた。ここは標高2,800m。考えてみれば八ヶ岳や雲ノ平より上にいるのだ。身体が冷えて膝までガクガク震えだした。戦意喪失。セコンドのかわりに僕は自分でタオルを投げ込み、今日はここでビバークすることにした。
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狭い前室にかがみ込んで、泥だらけの登山靴を脱ぎ、ドブのような靴下をはぎ取とる。窮屈なソロテントの中で裸になり、速乾タオルで身体を拭った。ドライバッグの中から乾いた肌着を引っ張り出して着替えたが、乾いた靴下はあと1足しかない。夏の太陽が懐かしい。
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ついに撤退を決意する
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7時になっても雨は止まなかった。この時点で撤退を決意した。この荒天で森林限界を超えるのは危険だ。山の稜線上であの風がやって来たら生命に関わるトラブルになる。そもそもこの雨では視界はまったく効かないだろう。そんな中を歩くことになんの価値も魅力も感じられなかった。 9時までじりじりと待っていると、一瞬だけ雨足が弱まった。このすきに急いでテントを撤収をした。 登りと比べれば下山は楽だった。木の葉がツルツル滑ったが、それにさえ注意すれば順調だった。雨は止まず、視界は効かなかった。ここまで雨が続くともう山に対する期待も後悔もない。
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僕は慎重に歩を進めた。河の真ん中に差しかかるとゴウゴウという轟音に包まれ、河が暴れる音以外なにも聞こえなくなった。まるで水中にいるみたいだ。でも集中していたので怖くはなかった。一歩ずつ前に出ること。水圧と体重のセンターでバランスをとり続けること。それだけを考え、僕は歩いた。 ほどなく僕は対岸に渡りきった。足元には濁流ではなく、ねずみ色のザレ岩が広がっていた。 ﹁地面だ﹂ ほんの数分間の徒渉だったのに、永遠のように長く思えた。一歩一歩がやたらと遠かった。バックパックを地面に降ろすと、へなへなとその場にへたり込んでしまった。 下山した僕を待っていたものは……
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翌朝もまた雨だった。でももう荒天を嘆いたりしない。とにかく登山口をめざして歩き続けた。 ﹁15k﹂と呼ばれるポイントまで下ると僕はスマホを取り出し、ビーターさんやナツミちゃんたち、そして双子の兄弟に無事であるとメールを打った。 ﹁予定を1日繰り上げ、いま15km地点まで降りてきました。山はずっと雨だったけど、僕は無事です﹂ すぐにナツミちゃんからレスが着いた。 ﹁よかった!みんな心配していたんですよ!﹂ 仕事中にもかかわらず、連絡を待ってくれていたようだ。 ﹁ちょっと待っていて下さいね。このあいだ話した王さんに電話をしてみます﹂と絵文字付きのメールが届く。 しばらくするとスマホがシャリリーンと鳴って、再びナツミちゃんからメールが届いた。 ﹁王さんと連絡が取れました! 今日は身体が空いているので迎えにいってくれるそうです。2時間後に林道の9km地点でピックアップしてくれます!﹂ これを読んだときの喜びったら! 僕は雨の中で踊り出したくなった。 シャリリーンと音がして、今度は双子の兄弟からメールが入る。
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ピョーン。清泉橋のお母さんからはLINEが入った。 ﹁ほんと無事でよかった!﹂ 跳ね回るパンダのスタンプが画面に現れた。10日の昼に僕と別れたあと山麓の村でも毎日毎日激しい雨が続いた。あまりの大雨に心配になったお母さんは、地元警察に僕の捜索願いを出しに行ったという。 ﹁でも警察の人が“頼りがないのは無事の証拠”って言ってなぐさめてくれて、なんとか納得して待っていたの。だからこうして無事に降りてきてくれて本当によかった!﹂ スタンプのパンダはうれし泣きをしていた。 うれし泣きをするのは、僕のほうだ。 大丈夫。台湾の人たちは、超絶に親切だ
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9km地点に僕を迎えに来てくれた王先生は良く日焼けしたオジサンだった。クルマは昔の三菱デリカを改造したえぐいヤツで、深い轍も底なしのぬかるみもへいちゃらだった。しかし﹁登山者相手の白タク稼業﹂というのはどうやら仮の姿で、本当は地元の有力者らしい。僕らをお寺に送り届けるとそこに置いてあった自家用車のポルシェ・カイエンに乗り換えて何処かへ消えてしまった。僕らの隣国はなかなかミステリアスだ。 お寺の宿舎でシャワーを浴び、表の水道で泥だらけの登山靴と、雨の臭いが染みついた汚れ物をザブザブ洗った。あてがわれた個室には16人分の二段ベッドが並んでいたが、僕はそこに細引きを張り巡らせてすべての洗濯物を干した。もちろんずぶ濡れのテントと湿った寝袋も。部屋中に雨の臭いと川の臭いが充満して、僕はまだ山の中にいるような気持ちになった。
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ベッドは硬かったが、ここは天国だった。寝返りを打っても水たまりに落ちないし、トイレに行くときにレインウェアを着込む必要も無い。雨はまだ降り続いていたが、雨音はここまで届かなかった。洗った髪を乾かすまもなく、僕は深い眠りに落ちた。深い深い眠りだった。 翌日、窓から差し込む朝日で目が覚めた。太陽の光って、こんなに眩しいんだ。窓を開けると青空が広がっていた。それは夢にまでみた南国の青空だった。
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洗濯物をバックパックに詰め込み、帰り支度を整えると宜蘭行きのバス停に立った。山を仰ぐとクッキリとした稜線が見渡せた。空はどこまでも高く、雲はキラキラと輝いている。帰途についたとたん晴れるなるなんて運がないが、なぜか僕は満足していた。山行は散々たるものだったが、僕は素晴らしい旅をした。 僕はこれまでたくさんの国々を旅してきた。地球はもう4周半ぐらいしている。そしていろんな土地でいろんな人に助けられた。 どこへ行ってもみんな親切で、僕はいつもいつもありがたさで胸をいっぱいにして帰国する。 でも、正直に言おう。 こんなに、誰もが、ここまで、親切にしてくれる国は初めてだ。もちろん山の中ということもあるだろう。野宿の旅ということもあるだろう。でも、それにしても驚いている。台湾の人たちのやさしさは尋常じゃない。 日本人です、と言った瞬間から前のめりで、大きな笑顔で、両手を広げて助けてくれる。忙しくても、疲れていても、急いでいても、必ず立ち止まって話を聞いてくれる。自分たちもずぶ濡れで疲労困憊してるのに︵もし僕が7泊8日の大縦走を終えて下山中だったら、しかもどしゃぶりで日没が迫ってたら、絶対に立ち止まったりしないだろう︶まるで小さな子供が迷子になってるのを見捨てられないように、まるで親友のためにあれこれ世話を焼いてやるみたいに、心を向けてくれるのだ。 山の中だけじゃない。台北でも宜蘭でも街中でも食堂でも駅でも路肩でもたくさんの人が僕に声をかけ、支えてくれた。いまこうして思い出すのは、台湾のひとたちの笑顔ばかりだ。 ﹁ジュンさん、なんの心配もいらないよ。台湾の人たちは超絶に親切なんだ。ちょっと信じられないぐらいね﹂ 入山申請に四苦八苦していたころ、台湾好きの友人にそう言われたことがある。最初は何をいっているかわからなかったが、いまの僕は100%同意する。そしてもし台湾を旅したいと思っている人がいたら、まったく同じ言葉をかけると思う。
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僕らは隣国のことを知らなすぎる。こんな近くにこんな山深い自然があることを。こんな近くにこんなやさしい人たちがいることを。 もし君がどこか海外の山を登ってみたい、バックパックを背負って旅をしてみたいと考えているなら、隣国台湾をおすすめする。山は深く道は険しいけれど、必ずいい旅になるはずだから。 我答應。約束します。
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完全保存版!!台湾登山への道 かなり長いぜ、心してかかれ! 今回僕が向かった南薯峰は百名山の中でも難易度の高い山域だったけど、それ以上に大変だったのが渡航までの日々。登山計画の立案と入山許可の申請手続きが超タイヘンだったのだ。でもじつは手順さえ踏めば誰でも乗り越えられる山だった。ここでは僕が実際に行ったアレコレを再現してみよう。 山をどう決め、どう情報を得たか 最新の情報を収集するならやはりインターネットが一番。地名や山域を漢字検索できるので、僕ら日本人は西欧人よりかなり有利だ。 ■﹁登山補給站﹂は台湾版のヤマレコのようなサイトで情報収集の第一歩。﹁登山行程記録﹂というコーナーには最新の山行記録がどんどんあがっている。 ■台湾の山やその他フィールド、植物などの情報が集約されている﹁台湾生態旅游﹂もおすすめ。山の写真がたくさん掲載されているので﹁この景色を見てみたい﹂というような直観で行き先を検討できるのだ。
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■絶対に手に入れるべきなのが上河文化股份有限公司が発行している﹁台灣百岳導遊圖﹂だ。サイズも使い勝手も日本の﹁山と高原地図﹂にそっくり。全20冊あり、百名山の1/25000地形図が全山網羅されている。コースタイムやキャンプ地の情報が載っていて、地図のほかにエリアガイドがセットになっている。台北へ旅行にでかける友達がいれば買ってきてくれるように頼んでみよう。僕は台北の﹁台北山水﹂にメールを出し、取り置きをしてもらった。
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②インターネットの翻訳ツールを駆使しながら、規則を熟読する。同意したらチェックボックスに✓を入れ﹁我同意﹂ボタンをクリック。
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……と思ったらまだ甘かった。な、長いぜ! ⑩さらに、台湾の警察の﹁入山案件申辦系統﹂で﹁入山許可証﹂の申請をする。以前は郵送か現地申請のみだったので、これでもかなりラクになったらしい。だからツベコベいわず前に進め! こちらも入山5〜30日前の申請が必要だ。
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台湾で実際に立ち寄ったフィールドやアウトドアショップ、スーパー、飲食店など、さまざまな旅の情報を落とし込んだオリジナルの地図をAkimamaスタッフが用意してくれた。スマホやタブレットにGoogleマップが入っていれば、自分がいまいる現地情報と合わせて台北や宜蘭で地図を使うこともできる。また右上の□マークからは拡大地図へ移ることもできる︵これはPCの方が見やすい︶。今回はGPSの軌跡が一部うまく取り出せなくて、山中の行程記録が未完成になっている。 旅の相棒 Gregory バルトロ65
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