一
つねの年にも増して寒さもきびしく、風も吹き荒れることの多いその年の暮れであつた。この地方は、北と東に向つて開き、海も近く、そこから吹き上げて來る風は、杉野たちの部落の後ろの山で行き止まりだつた。晝も夜も山に鳴る風の音に包まれながら、山裾の地のわづかなくぼみに、杉野の家はひつそりとしてゐた。家のなかは、平和な、物靜かな空氣にあたたまつてゐた。舊暦の節季までにはまだひと月あつたが、その節季への備へがすでに一應はととのつてゐたからである。 今年の葉煙草收納の結果は、先づいいとしなければならなかつた。十二月の初めに豫定されてゐた葉煙草の收納は、役所の都合で月の終りに變つた。何月何日に幾百個の包を收納せよとの示達が、役所から村の耕作者組合にあり、組合ではこの包數を各組合員に割り當てる。その前後から夜晝休みなしの葉の選別作業が始まる。米國種葉煙草の葉分けは三通りだつた。幹の最下部の二三枚が土葉、土葉の上部の四五枚で肉の薄いのが中葉、中葉の上部の肉の厚い葉全部が本葉であつた。この三通りに區分される、乾燥した幾萬枚の葉を、その各區分に從つて、一枚一枚、その形態や葉肉の厚薄や乾燥の工合や彈力や色澤や損傷の程度やによつて品位を鑑別し、品質の近いものどうしをまとめて一つ束にするといふ葉選みの作業は、熟練を要することであつた。土葉は三十枚、中葉は二十枚、本葉は十五枚を以て一把とし、一把のうちの一枚で葉柄の上部を包み、その端を螺旋形に卷き附け、結束する、これが規則である。杉野の家の五人のうち、一番の手利きは一番年少のお道だつた。いくら經驗を積んでも敏速に行かぬものもあるが、お道のは熟練といふよりは勘のするどさだ。山のやうな葉を、人の倍の速さで、次々に處理して行く。彼女がゐなければ、杉野の家でも、ほかの家がよくさうするやうに、熟練者をその期間中傭はなければならぬかも知れなかつた。駿介も、お道の側に坐つて、見まねで少しづつおぼえて行つた。仕事に熱してゐる時のお道は、いつも妹として見てゐる彼女とはちがつた。仕事は彼女をおとなにした。わきから言葉をかけることもなんとなく遠慮されるきびしさを持つてゐた。 結束した葉は、藁製の薦の上に、兩方から十把づつ、葉の先きを互ひ違ひにして、並べた。つまり二方積一段二十把になるわけだ。その上に何段も積み重ねて行つた。何段といふ規定はなかつた。規定は目方によつた。かうして積み重ねると、その上からも下のと同じ薦をあて、繩で固くしばつてそれを一包とした。一包は五瓩以上三十瓩以下といふことになつてゐた。煙草耕作はその最初から持たねばならなかつた獨特な細々しい規則から、この包裝といふ最後の仕上げの時になつても免れることは出來なかつた。薦は藁製の新しいものに限り、古いものは決して使へなかつた。それもどんな藁製の薦でもいいといふのではなく、﹁一手二本宛四ヶ所編み縱二尺五寸横二尺一寸一枚の重量三百瓦内外﹂のものといふ風にきまつてゐた。また繩は、﹁太さ徑曲尺三分とし撚數曲尺一尺の間二十撚内外とす﹂ときまつて居り、その掛方も、﹁一筋繩にて横三ヶ所縱一ヶ所とし各一重しとなし三寸内外の餘裕を存し上部に於て堅く結束すべし﹂ときまつてゐた。かうした指示事項を見てゐると、駿介は頭が痛くなつて來るほどだつた。云はれてゐる通りに、薦や繩を編むといふことも、駿介にはまだ自信がなかつた。すべてこれら最初から最後までの細々しさの一切が、本來的に煙草耕作に結びつかねばならぬものかどうかは、駿介にはわからなかつた。しかし、煩雜を煩雜とも思はぬらしく、平氣で、默つて事を片附けて行く父のやうになることが、今の自分にとつては先づ何よりも必要だと思つた。 包裝が全部すんで、すべての作業が終つて、包を積み上げた夜は、さすがに感慨が深かつた。春から今までの辛勞のすべてが思ひ出された。しかしその思ひ出も今は甘かつた。あとはこの十四包が、いい値で引き取られて行くことを、心から祈るばかりである。今年は一段歩足らずだから、積み上げた包もわづか十四だ。しかし來年はこの三倍を積むことが出來るだらう。 いよいよ明日は收納日といふ日の前日、村の耕作者組合では、全組合員の荷をトラツクに積んでN町の收納所に搬入した。荷は、搬入場に、各個人別にまとめて積んだ。そして各包毎に、村名、氏名、納付月日、受付番號、納付包數等をそれぞれに書き込んだ荷札をつけた。 收納の當日、駒平と駿介は朝六時にはもう出かける仕度をした。收納は八時から始まる豫定だつた。しかしそれまでに荷を提出順に整頓し、遺漏の無いやうにしておかねばならなかつたから、早く向うに着くことが必要なのだ。 朝飯をすますと、駒平は裏口へ出て行つて、空を見上げた。 しかし冬の六時はまだやうやく明け初めたばかりだつた。 ﹁どうかな。今日の天氣は。﹂ 彼は戻つて來て、相談するやうに駿介を見た。 ﹁さア……いいと思ふけどなア、今日は。寒いし、それにかう靄がかかつてゐるから。﹂ この月に入つてから、餘り感じたことのなかつたこの朝の寒さだつた。さつき山羊の小屋へ行つた時、駿介の足の下では、霜柱がざくざく鳴つた。井戸端の桶には、薄氷が張つてゐた。 ﹁さうやなあ、よからうとは思ふんぢやが、靄の濃い日は朝でつかりですんぢまふことも珍らしうはないよつてなあ。﹂ 村のことだから、新聞の配達は日が上つてよほどしてからだつた。天氣豫報を見ようにも見ることは出來なかつた。 間もなく近くに住む組内の二人、石黒と菅原とが誘ひ合してやつて來た。彼等が寄ることはわかつてゐたので、駒平と駿介は待つてゐたのだつた。彼等は互ひに朝の挨拶を交し合つた。 ﹁おつさん、どうやらうなあ、今日の天氣は?﹂ 挨拶がすむと、石黒が最初に云つたのはやはり天氣のことだつた。彼等二人は、ここへ來る途中もそのことを話し合つて來たに違ひなかつた。 ﹁大丈夫や。昨日もあななええ天氣やつたけに。――あんさんも今日は行きなさるんやろ?﹂と菅原が訊いた。 ﹁ええ、行きます。わたしは何しろ初めてなんだから。收納の模樣も見ておかんことにや。﹂ ﹁さうやとも。よつく見といて、何ぞ役所に云ふことでもあつたらまた願うて下され。――ぢやあ、往なうぜ、みんな。﹂ ﹁うん、往なう。﹂ 彼等は自轉車を曳いて、下の道まで歩いた。 ﹁何時頃にすむんです?﹂ ﹁さやうさなあ。二時にはすみますやろ。この頃は日が短かいよつて、さう遲うなつちや、後になつたものはやりきれんからのう。﹂ 彼等が氣にしてゐるものは一に太陽の光線だつた。朝起きた時から今日の天氣を問題にしてゐるのも全くそのためだつた。葉煙草の賠償價格は鑑定官の鑑定によつてきまつた。鑑定は明るい光線の下で爲されることが絶對に必要だつた。當局でもその點には充分な考慮を拂つてゐた。收納所の建物の周圍は全部ガラス窓になつてゐた。殊に鑑定官が立つ鑑定臺の前の窓は、彼の腰から二間位の高さまで、總ガラス張りになつてゐた。しかしそれによつても尚、雨天や曇天の日を、晴れた日と同じ條件の下におくといふことは無論出來なかつた。晴れた日の明るい光りの下では、葉煙草は、百姓達の言葉で云へば、﹁見てくれがいい﹂のだつた。晴れた日とさうでない日とでは、葉は一等級を上下すると云はれてゐた。賠償金一瓩一圓四錢の三等品になつたかも知れないものが、その日がたまたま雨天だつたといふだけのことで、賠償金一瓩七拾四錢の四等品と認定されねばならぬとしたら、生産者にとつて諦め切れぬことではないか。 收納所までは自轉車で四十分の道のりだつた。彼等は道の途中で他部落の者とも一緒になつた。向ひ風のなかを彼等は元氣よく飛ばして行つた。走りながら聲高に話して行つた。すぐ前と後ろに連なつて話しても、その話聲を途中で切つて飛ばして了ふやうな風の強さ冷たさも、今日の彼等には一向苦にもならなかつた。風が出て來たといふことは、空がからツと吹き拂はれ、空氣の乾燥した、寒い明るい日を思はせて、却つて彼等を喜ばした。 やがて彼等は收納所に着いた。着いて暫くすると係員の手から、一人一人に、番號の附いた木札が渡つた。この木札は、各人が最初に鑑定に出す包に附けてやるものだつた。この木札は鑑定順を示してゐた。番號の早さ遲さにも何となく拘泥して彼等は互ひに仲間の番號を聞き合つたりした。 各自の荷は、各自がきめた順番によつて鑑定に送り出すことになつてゐた。それで彼等は昨日の搬入場へ來て、自分達の荷を調べ、提出順をきめるのだつた。その頃搬入場にやつて來るるものはしかし彼等だけではなかつた。明日鑑定を受ける者達がもう荷を運んでやつて來てゐた。天井の高い明るい建物の中に微塵が躍つて、薦の藁の匂ひが仄かにしてゐた。たたきの上に荷の落ちるやはらか味のある鈍い音。入り亂れる人々の足音、彼等はお互どうし餘り口をきかなかつた。何となく急き立てられるやうなざわめきのなかに自分の荷のことを思つて、彼等はだんだんに興奮して來るのだつた。 日はいつか高く上つてゐた。空は吹き拂はれたやうに晴れてゐた。彼等が豫想したやうな天候になつた。 りりりりりりりりり……りーん。 その時よく冴えた鈴りんの音が乾いた收納所のなかの空氣をふるはして響き渡つた。八時の鈴であつた。鑑定開始の合圖である。係員や人夫が出て來て、それぞれの持場についた。 駿介は、最初に荷を送り出さうとしてゐる一人の後ろに近く立つて、鑑定の行はれるさまを見ようとしてゐた。 十四間に十二間の收納所の建物は、ほぼ中央で、黒いカーテンに仕切られ、こつち側が事務所や搬入場で、向う側は鑑定所に荷造場だつた。駿介達はそのカーテンの手前に立つてゐた。作業中はカーテンが引き絞られてゐるから、鑑定は少し離れて眼の前で行はれることになる。駿介達が立つてゐるすぐ左の方に、眞中にもう一本木が渡してある點は梯子とは違ふが、梯子によく似てもつと長い形のものが、コンクリートのたたきの上にぢかにおいてある。これは送り臺であつた。送り臺の上にはもう荷が鑑定を受ける順でならんでゐる。端の方には、荷主達が、緊張した顏で待つてゐる。 送り臺が押されて行く向うには、直徑二間半の大きさで、圓形にレールが走つてゐる。鐵製のトロツコがその上を走る。レールを前にして、その左の方に鑑定臺がある。二人の鑑定官と一人の書記とが、鑑定臺をはさんで待つ。 ガラガラガラガラと音を立てて、人夫がトロツコを送り臺の方へ走らせて來た。 ﹁それツ。﹂と、口には出さないが、その氣構へで、番になつてゐる荷主とほかの者とが一緒になつて、送り臺を前に押しやつた。送り臺の上の荷は、すでに包裝の繩が解かれ假結びになつてゐる。人夫はその荷をトロツコの上へ移し、ガラガラガラとトロツコはまたつた。鑑定臺の前まで行くと、待つてゐた二人の下手間の女がそれを引きとめた。黒い上つ張りを着た彼女等は素早く假結びの繩を解き、包裝の薦を取り去り、積まれた葉を中頃から左右に開いた。同時に傍に立つた二人の鑑定官は、葉の束を一把づつ手に取つて見た。 いかにも慣れ切つたさまでちらつと一瞥し、葉の裏を返してまたちよつと見て、すぐにもとの所へおいた。一人はそれきりだつたが、他の一人は積んだ葉の下の方からもう一把を取つて見た。見終ると二人は別々に鑑定臺の上の釦を押した。すると二人の反對の側に臺に向つて腰をかけてゐる書記の前に細長い箱がおかれてある、その箱の中から外へ、ぼーつと仄かな晝の電燈の光りがもれた。箱の中を見て、書記はだまつて臺の上の紙に何かを書き込む。それを人夫に渡す。トロツコはまたガラガラと走つて荷は今度は右手隣りの量目係の方へ送られて行つた。 百姓達は硬く緊張した表情でこのさまを眺めてゐる。駿介のやうに今年始めてこの場に臨むといふものは居さうになかつたが、皆はじめて見るもののやうな眞劍さであつた。これら一連の作業は全く敏捷に、素早く行はれた。三十秒ぐらゐの間のことだつた。はじめての駿介は全く驚かされて了つた。あまりにあつけなく、ぽかんとさせられて了つた。彼は水の流れのやうになめらかに進む統一ある仕事とその素早さに感心するといふよりは何か不滿であつた。彼は鑑定といふ仕事がもつと念入りに行はれるものだと思つてゐた。耕作者が滿足するほど念入りにやつてゐたら山ほどの荷をあとに殘して日が暮れて了ふだらう。日は何日あつても足りないだらう。念入りは鑑定には必ずしも必要ではなくて、必要なのは熟練なのだ、そして熟練は當然時間を短縮する――しかしそれにしても尚駿介には早すぎる氣がした。あんなに意氣込んで來たことがかうも簡單に片附けられることで、ふいに肩透しでも食つたやうな氣がした。彼には不當の事のやうにさへ思はれて來るのだつた。あの一包にこめられたあらゆる辛勞が彼の心の底にはあるからだつた。 ﹁早いんだね、隨分。﹂と、駿介は、トロツコの音が止んだ時、小聲で傍に立つ石黒に囁いた。 ﹁ああ、どうしてもう慣れてるけんのう。﹂その言葉からは石黒の感情は汲み取れなかつた。﹁一時間に百五十包からの鑑定をすますといふんぢやけに。一段歩が六分か七分ぢやさうな。えらいもんぢや。﹂ ﹁あの釦を押すのは何かな。﹂ ﹁あの釦を押すな、すると書記の前の箱ん中の豆電燈に明しがつくんや。豆電氣はこつちからは見えんけどな。電氣は赤と白とでな、これは本葉と中葉とを區別するんぢや。その前には等級板があるけに、明しがつきや、こりや本葉の何なん等とうぢやこりや中葉の何等ぢやといふことがわかるんや。﹂ ﹁ふん……成程な。二人は相談し合ふといふことはしないんだね。何等にきめたかをお互ひに知らないんだね。﹂ ﹁知らんのぢや。鑑定官が二人ゐるな正確と公平を期すためちうことになつとるんやからね。﹂ ﹁ぢやあ、もし二人が一致しない時は?﹂ ﹁そんな時は書記が知らせるけに、見直すといふことになるんや。﹂ しかし石黒が一層聲をひそめて話すところによれば、さういふことは殆ど無いといふことだ。鑑定官がそれほどに熟練してゐるとも云へるが、一つにはまた、鑑定官の一人が主任で、他は從屬的な存在だといふことにもよつた。つまり主任の鑑定が動かし難いものになつてゐるのだ。書記は多くの場合主任の鑑定にそのまま從ふ。 送り臺は引き續き押しやられ、トロツコは走り、それはまたもとへ戻り、葉煙草の包は次々に消化されて行つた。百姓達は送られて行く荷を見、また鑑定官を見た。眼鏡をかけ髭のある鑑定官はだが彼等の方を見ることはなかつた。彼等は無用の言葉を云つたり、またどんな意味の笑ひにしろ笑ひを見せたりすることはなかつた。彼等は周圍に對しては殆ど無關心で、車が軌道を行くやうに、きまりきつたことをきまりきつたやうにやる時の事務的な冷たさを持つてゐた。その冷たさといふものは、彼等の役目柄から來るおのづからなものであり、また仕事に慣れ切つてゐるといふところから來るものであり、鑑定に對する高ぶりとも云へるほどの強い自信から來てゐるものでもあつた。仕事に敏速であることは鑑定官の生命であり、誇りだつた。鑑定臺の後ろ、窓に近く、念のために等級別の標本が備へてあるが、疑はしい時に標本に照らし合して見なければならぬといふことは、その道の專門家ともあらうものの恥であつた。二人のうち若い方の鑑定官に見られる一種の誇張は、彼が人々のさまざまな眼を感じて居り、自分の一擧一動を強く意識してゐることを示してゐた。 百姓達の關心は自分の荷の運命についてまはつた。だから、荷が鑑定官の手を離れ量目係の手に移ると、彼等の眼も亦そこへ移つた。ここでは三人が自動看貫を取りまいてゐた。二人は量目係、一人は記帳係だつた。鑑定の方からつて來た紙を人夫の手から受け取ると、記帳係は讀みあげる。 ﹁中葉の四等!﹂ その時はもう包を看貫にかけ終つた量目係は言下に應じる。 ﹁二十キロ!﹂ 記帳係は、﹁ええ、二十キロ!﹂――と復唱して記入する。 ﹁本葉の三等!﹂……﹁十五キロ!﹂……﹁ええ十五キロ﹂――淀みなく、二人の聲は一つのリズムを以て相和して行く。等級が聲高く讀み上げられる毎に、見てゐる百姓達の間にざわざわが起る。 彼等はここへ來てはじめて自分の包が何等級になつたかを、はつきり知ることが出來るのだ。彼等は眼に見えて興奮して來る。彼等は思ひ思ひの批評をはじめる。彼等は鑑定官に對して、自分達の評價を對立せしめずにはゐられない。 ﹁あれが四等かいや! さつきはあななものが三等やつたのに。あの三等より今の四等の方がずんとええやないか。﹂ その、﹁あの三等﹂の荷主がすぐ傍にゐることをも彼等は忘れて了ふ。まれに一等が出たりすると、ざわめきは大きくなる。誰だ、誰だとかたきでも探すやうにさわぎ立てたりする。豫想外の成績をあげてひそかに喜びの聲を胸のうちにあげるものもあつたが、やはり不滿をもらすものの方が多かつた。自分の包の等級がきまつて了ふと、彼等は自分の内に何かごつそりと穴があいたやうな氣持がした。何か一言云はねば氣がすまぬやうな、これだけですんで了ふといふ法はないと云ひたいやうな、さうかと思ふと萬事すんだとがつかり諦めて了ふやうな氣持でもあつた。さういふ氣持の底のあるものは鑑定に對する疑惑と不滿だつた。道々ひそかに考へて來た自分の評價には自信があつた。その自信は容易には棄て得なかつた。こんな筈はないと思ふ。そこにさうして立つてゐるまも實に多くの考へが彼等の腦裏を駈けめぐる。 どうしよう? 云つたものか、それとも默つてゐたものか?彼等はそれについてとくに強く考へる。不服の申立ての道は開かれてゐる。再鑑定を云ふことが出來る。云はうか云ふまいか? ためらひながら向うを見ると、そこに立つ鑑定官の姿といふものは大きく見える。云ひたい口をも強張らせて了ふやうな何かが彼にはある。憎まれては損だ!と彼等は考へる。しかも再鑑定を云つて、取り上げられたとして、それの實際の結果が殆ど云ふに足らぬものであることを、彼等は餘りにもよく知りすぎてゐる。それでも、たとへわづかでも、評價額が増加した場合はいい。前鑑定以下になつた場合にはどうだらう。費用までも自分が負はねばらぬ! しかし豫想外の好成績をあげるものもなくはなかつた。そして杉野の荷は少數なものの一つであつた。 彼の荷は少なかつたから、ほんの數分間で片附いて了つた。本葉は殆どが三等で、なかに四等が少しまじつた。中葉は四等が大部分だつた。土葉は六等七等だがこれは僅かであつた。そして一瓩當りの賠償額、三等は壹圓四錢、四等は七拾四錢、五等は五拾錢、六等は參拾錢、七等は拾四錢だつた。 ﹁ほう!﹂と、この結果には駒平も滿足らしくほほゑんだ。今年の出來は杉野の家としては例年になくよかつたのだが、三等がかう澤山出ようとはちよつと豫想外だつた。わづかの耕作段別だから、金額から云つて幾らの違ひでもないが、何と云つてもこれは嬉しかつた。石黒や菅原やその他部落の連中が、喜んだり羨ましがつたりした。 もう十一時に近かつた。するとその頃になつて場内が俄かに暗くなつた。日が陰つて來たのだ。ガラスに圍まれてゐる收納所の内部は明暗の變化の度合が大きかつた。これから荷を出さうといふ人々は不安な面持になつた。外へ出て空を仰いでみるものもあつた。風は依然強く時々びゆーんといふ鋼鐵板のふるへのやうな音で吹きつけて來た。しかしさつきまではからツとした高い空をつくつてゐたやうな風は、いつの間にか薄黒く濁つた汁を空一ぱいに撒き散らしてゐた。雲で一時日が覆はれてゐるといふのではなかつた。薄墨いろの空はどこまで行つてもきれ目がなかつた。彼等は場内へ戻つて來て、もう鑑定のすんだ仲間達が量目係から少し離れて立つて、話したり笑つたりしてゐるのを見ると、自然ひがんだ氣持になつた。さつきまであんなに天氣を氣にしてゐた連中が、自分の分がすんだとなると、俄かにこんなに暗くなつた場合にも氣づかぬ風で居れるのだ。後番の人々は不機嫌に默り込んで、自分達の荷を送り臺へと載せて送つた。搬入場の入口から吹き込む風は冷たく、コンクリートの床は冷えて、腰から下は冷え切つてゐた。順番を待つてふところへ交互に手をさし込んで立つてゐると、すぐに小便がたまつて來るのだつた。 量目係の手を通つた包は、必要事項の記載のすんだ用紙と共に、すぐその傍の檢査係の手に渡つた。ここでは包が各耕作者別に並べられた上で讀み合せがあつた。荷にも一包毎に、記帳係によつて票が添附されてゐる。下手間の女が、やや鼻にかかつたやうな聲で、慣れ切つた早い口調で、その票に記された包數、葉分、等級、量目について讀み上げる﹇#﹁讀み上げる﹂は底本では﹁讀め上げる﹂﹈。檢査係は手にした用紙の記入と引き合して行く。間違ひがないときまつたところで、耕作者が一人一人呼び出される。 百姓達は、煙草耕作許可證と認印とをぐるぐる卷きにした風呂敷包の固い結び目を解くのに苦勞しながら、いそいそとして呼ばれて行つた。そして認印を押し許可證を渡し、﹁等級量目票用紙﹂の複寫をもらつて歸つて來ると、大急ぎで、葉煙草賠償價格表が貼りつけてある壁の前に行つて立つた。それともらつた複寫紙とを照らし合して見さへすれば、自分が幾ら金を受け取ることになるかがわかるのだつた。一年の、葉煙草耕作勞働が、どんな實を結んだかがはつきりわかるのだつた。半紙四ツ切型のうすいペラペラしたその紙には、一包毎に等級と量目とが、カーボンで複寫してあつた。この複寫の他の一枚はあの許可證と一緒に今頃はもう事務所の計算係の手に渡つてゐるだらう。今から二三時間の後にはあの窓口で金を受け取ることになるのだ。 すんだものから順次にそこへ來て立ち、表を眺めまた手にした紙を眺めてがやがや云ひ合つてゐた。ふところから紙を出して壁にあてがひ、鉛筆を嘗め嘗め、いくらになるかを計算してゐるものもあつた。 ﹁いくらになつたんや? え?﹂と、後ろから仲間がのぞき込む。﹁えらく景氣が好ささうやないか。﹂﹁いやあ、﹂とのぞきこまれたものは照れ臭さうな顏をする。﹁どうもあかんが。すつかりどうも行かれつちまうたが、お前はどうや。﹂ 果して﹁すつかり行かれちまつた﹂かどうかは顏でわかつた。同じやうに云ひながら喜びを隱し得ないでゐるものもあつた。駿介もそこへ來て仲間の誰彼と話し、計算に行き惱んでゐる二三人のために計算をしてやつてから、もとの送り臺の所へ戻つて來た。 ﹁急にえらう暗うなつて來たなア。﹂と、彼は、ほかのものと一緒になつて送り臺を押しながら誰にともなしに云つた。 ﹁お前さんはもうすみなさつたで、安心ができますのやろ。﹂それを引き取つて答へた隣の男の言葉には思ひがけなくひがんだ調子があつたので、駿介はふいに胸をつかれた感じだつた。彼は他部落の男だつた。﹁照らうと曇らうとお前さんにはもう何ちうことはござんすまいが。﹂男はつぶやくやうに云つて、新しい荷を、どしんと送り臺の上にのつけた。 さうしておいて彼は鑑定官の方を見た。鑑定官の前には彼の荷の一つが擴げられてあつた。鑑定官の一擧一動は強く彼の注意を惹かずにはゐないが、その時彼の注意をうばつたものはまた特別だつた。いつもはあんなに敏速に一つの荷を捌いて行く鑑定官の手が、容易に今の包を行かしめようとはしないのだつた。包の中が上から下まで引つくり返して調べられてゐることは明らかだつた。何か無ければそんなに念入りであるわけはない。 その時、主任の鑑定官がわきを向いて、書記に何か云つた。鑑定臺に向つてゐた書記が、立つて、つかつかと引き絞つたカーテンの前までやつて來た。 ﹁十七番は? ゐるかね、十七番は?﹂と、彼は受附番號を云つて荷主を呼んだ。 ﹁はア、﹂と、駿介の隣のその男は、さつと緊張した顏になつて、前へ出て行つた。﹁わしですが……何でござんせうか知ら?﹂ 書記はだまつて鑑定官の方を指し示し、自分はもとの席に着いた。 十七番の男はおづおづと鑑定官の前へ進んで行つた。そしてかきまはされた自分の包にぢつと眼を注いだ。 ﹁だめだね、かう品混が多くつちや。﹂と、鑑定官は男を見るなり云つた。﹁葉分が出來とりやせんぢやないか。再調し給へ。﹂ ﹁へえ、そりやどうも。﹂と男は全く恐縮して、低く頭を下げると、擴げられた包を素早くもとに直し、また一つ低く頭を下げて包を抱へ込んで歸つて來た。彼はあがつて、心もち赤い顏をしてゐた。 ﹁頼むぜえ。あとを。品混が出やがつたけに。﹂ 同部落のものに、殘つてゐる荷を送り出すことを頼むと、彼は包を抱へたまま、急いで控室の方へ去つて行つた。 ﹁たうたう品混が出やがつたなあ。﹂ ﹁今日始めてやらう、品混は。今日はめつたに出ないと思つとつたが、野島の奴、たうとうやられよつたわ。﹂ 彼等は笑つて話しながら、仲間から品混が出た以上は、今日の歸りはおそくなるといふやうなことを思つてゐた。葉分が出來てゐないで、各種の葉がまざつてゐたりするのが品混だつた。これは再び選別して、一つの包を幾つかにしなければならなかつた。大抵はむしろ乾き過ぎてゐたが、濕氣の過ぎたものがあつても同じやうに再調を命ぜられた。これは風にあてたり、火を焚いたりして乾燥しなければならなかつた。その上で改めて鑑定に出すのだが。再鑑定はみんながすんでからのことだつた、當然金を受け取るのも最後であつた。 今日はいつもよりは少ないと云はれてゐたこの品混は、午後になつてから急に出て來た。朝のうちに出てくれれば時間がたつぷりあるから始末によかつたが、皆がもう終らうとする頃になつて出て來るのでは、役人と耕作者の兩方にとつていかにも迷惑な話だつた。それで仲間中の熟練したものが力を貸して、素早く調理をし直して行つた。 午後になると、午前中收納された葉煙草は早くも荷造りされ、積み出されて行つた。檢査ずみの荷は、一等から七等までに區分した仕切りのなかに整理されてあつたが、下手間の男女が大勢でこれを薦に包み、繩をかけ、どしどしトラツクに積み込んでしまつた。これはT市の專賣局出張所に送られ、ここで再乾燥にかかるのである。 早くに收納がすんだものにとつては隨分待たされた感じで、午後三時近くなつて、漸く賠償金の支拂ひが行はれることになつた。 支拂ひは事務所の窓口で行はれた。事務所は搬入場の入口を入つたつきあたりだつた。自分達の荷は全部運び出され、代りに明日收納される荷が運び込まれてゐる廣い搬入場に、百姓達はふるへながら立つてゐた。下がコンクリートのたたきで、周圍がガラス張りの收納所の内部は、日が陰り出してからはだんだん冷えがきつくなつて行つた。長時間そこに立ち盡し、あれこれと氣を使ひ、最後に金を受け取る頃には、彼等は何となく堪こらへ性しやうをなくして了つてゐた。黒ずんだ唇のいろをして、時々足踏みをしながら絶えず窓口の方を氣にかけてゐた。話も餘りはずまなかつた。長い間の辛勞が今報いられようとする直前の光景としては、陰氣に過ぎる感じだつた。風はやまぬらしく、窓ガラスが時々ガタガタ鳴つた。 小さな窓口の戸が開いて、顏が半分出た。 ﹁一番から十番まで。﹂ 呼ばれたものはぞろぞろと出て行つた。 彼等が金を受け取つて歸つて來ると、また次の一句切りが出て行つた。金を受け取つたものは、窓口から離れて後も、向う向きになつて、節くれ立つた指で何度も札を數へては見、數へては見した。それから袋の中や、三つ折れの大きな財布の中へ入れて、紐でぐるぐる卷きにしてしつかと縛つて、内ふところ深く押し込んだ。そしてこつちへ歸つて來ると、受け取つたものどうしで互ひに話し合つた。 ﹁どうや、なんぼ引かれた?﹂ ﹁うん……。﹂ ﹁肥料代はなんぼになつたんや?﹂ ﹁肥料代は二十五圓ばしぢやが……。﹂ ﹁なにや、二十五圓ばしか。わしはちよつと六十圓近くになつたが。﹂ ﹁そりやお前とは段別が違ふけに。わしは肥料代のほかにも、乾燥室の借入金なんぞがあるけんのう。﹂ 金の支拂ひは銀行から出張して來て、行員の手から直接なされた。いろいろなものが、賠償金の中から豫め差し引かれて支拂はれた。肥料代はその中でも大きかつた。油粕は一俵六圓だつた。一段歩につき三俵は要つた。これは勸業銀行から低利で借りて共同購入するのだから、二月頃肥料を買ひ入れ、十二月頃の收納とすると、ほとんど一ヶ年の利息がかかるわけだつた。煙草耕作者組合の書記も出張つて來てゐて、組合の諸經費もやはりこの場で引かれた。 同じ組のものの支拂ひが全部すむのを待つて彼等は歸りかけた。駿介も、父や仲間と一緒に收納所を出た。 もう四時になつてゐた。日の短い最中だし、曇つてゐるので、あたりは暗くなりかけてゐた。百姓達は外へ一歩踏み出すと、思はずぶるツとからだをふるはせるやうにして、空を仰いだ。今にも雪でも來さうな空模樣だつた。 ﹁よくまア吹きやがるなあ。﹂そんな風に云つて、手袋をはめ襟卷をし直して、鼻をくすんくすん云はせながら、自轉車をならべてある軒下の方へと行つた。横から來る風に逆らひながら、背をかがめ、顏をそむけ、ハンドルにしがみつくやうにして、村々に通ずる街道を歸つて行く彼等の後姿は寂しかつた。 ﹁さア、わしらも一つ元氣で飛ばさうかい。﹂と、駒平がチユンと手洟をかみ、襟卷の端をふところへ押し込むやうにして云つた。 ﹁ああ、行かうぜえ。早う歸つて今晩は熱い奴を一杯引つかけて、ゆつくりと寢んことにや。﹂と、菅原が云つた。 ﹁そのうち案内しますけに、どうぞ一つわしとこさ一杯やりに來ておくんなさい。﹂と、これは石黒だつた。 ﹁大きに。﹂とみな禮を云つた。﹁毎年毎年石黒の振舞ですまんのう。﹂ ﹁なんの、なんの。﹂と云ひながら、石黒は歩き出した。 組内で、段當り賠償金の一番多かつたものは、組内のものを招んでお客をするしきたりになつてゐた。この組ではそれは今迄大抵石黒にあたつた。そして今年もさうきまつた。彼等の仲間うちでは、煙草を作ることにかけて、石黒は最古參者だつた。仕事に熱心でもあつた。それだけに品物の出來もいいのだつた。 ﹁たうとう暗くなつちまひやがつた。﹂ 石黒を﹇#﹁石黒を﹂は底本では﹁石黒は﹂﹈先頭に一列になつて、風の中に向つて走り出した。二
節季に備へるためのまとまつた金としては、葉煙草からの收入のほかに、牛を賣つて得た金、百二十圓餘りがあつた。 春、田を起す前に買つた二歳の朝鮮牛は、十一月の末に、麥蒔きがすむと間もなく賣つたのだつた。買つた時には八十圓に少し缺けた。十月末からひと月餘りは、牛を引いた百姓の群が、毎日ぞろぞろ街道に續いた。春買つて秋賣る牛のためには、町から仲買人が出張して來る。杉野の家では駒平が鼻綱を引いて連れて行つた。すでにその一週間前から、牛は一切の仕事から解放され、牛舍内はつねにも増して清潔に、新しく取り替へられた敷藁はたつぷりと厚かつた。牛のからだは刷毛をもつて丁寧に梳いてやつた。食べものは、切藁、牧草、にんじん、豆粕、もやしなどある限りのものを、あるひは取りまぜ、あるひは代る代る、出來得る限りの變化で與へた。さういふ心の配りは必ずしも賣らうとするものの評價を考へての打算からばかりではなかつた。その咸境道生れの、全身赤毛で、角は珍らしく黒く、蹄も黒い牡の朝鮮牛は、がつちりした骨骼で、その頸の太さと、恰好のいい腹のひき緊り方からもその種の好さが知られる。癖のない、いかにも性質のいい奴だつた、それはここ八ヶ月餘りの間の最も忠實な働き手だつた。煙草を始めるやうになつて、いくつもの主要な勞働が一時に輻輳して來る時もあるやうになつては、ことに、牛のゐない耕作といふものは考へられなかつた。田の除草にさへ、牛に除草機を引かせるものが、この地方にも此頃ぼつぼつ見えて來てゐた。 その朝は、出て行く前に、家ぢゆうのものが牛のまはりを取りまいて、口々に何か云つては、額や鼻面を撫でたり、背や腹をぱんぱん、平手で輕く叩いたりした。毛の色艶は此頃一際よくなつたやうで、毛並に添うて何べんも撫でてやる手に傳はるあたたかな感觸は、かういふ經驗が今年はじめての駿介にはことに忘れがたかつた。八ヶ月勞苦を共にして深い親しみを感じて來てゐる生きものへの、別れを惜しむ情には深いものがあつた。ほかの者も、毎年同じ經驗を重ねて來てゐるだけに、却つて身にしむものを感じた。彼等は、一年足らずこの家の藁を食つて大きくなり、毎年秋になるとどこかへ賣られて行つた、それぞれに特徴のあつた過去の牛どもを思ひ出すのだ。 牛は頸をのばし、頭を低く垂れ、大きくゆるやかに右に左に動かし、また上を向きなどして、廣い額や大きな眼に比べて愛嬌があるほど短かく小さな角を打ち振りながら時々﹇#﹁時々﹂は底本では﹁時時﹂﹈長く聲をひいて鳴いた。やがて駒平が曳いて去り、家の下の道の向うに隱れてまでも、その聲はしばらく聞えてゐた。その道は二曲りほどして、牛どもが集る原つぱに通じてゐた。 牛を春買つて秋賣るといふのは、牛耕を必要としない冬から春の間、牛をただ遊ばせて食はして置くその費えを省くためといふよりは、一に現金を得たいがためにすることにほかならなかつた。仔牛は普通七八十圓見當のものを買ひ、百二三十圓から四十圓位に賣れば先づいいとした。豆粕を十枚位、價にして二十五六圓、それに藁を五圓は食はせるから、買値と賣値の差額がそのまま純益になるとは云へず、飼料を算入すれば結局とんとんといふのがむしろ普通であつたが、それでも厩肥が大分とれるから、この方で手間賃になると云はれてゐた。春から夏にかけてずつと現金の收入の少ない百姓は、牛を賣る日を待ち構へてゐるのだ。牛を高く賣るためには、耕作に適するやう、彼を仕込まねばならない。だから百姓は仔牛を買ふと、暇さへあれば牛を外へ引き出して、運動をさせながら、人にものを云ふやうにして教へ込み、少し慣れて來たら田へ連れて行つて訓練する。さうして漸く仕事の上でも一人前︵?︶になり、人と動物相互の間の愛情も深いものになつて來たと思ふともう手離さねばならぬといふのだから、つらいわけなのだ。秋になるまで待つことが出來なくて、秋前に賣つて了ふものも少なくはなかつた。秋前に賣れば、すぐに秋の耕作に間に合ふから、あとで賣るよりも十圓乃至二十圓は高くなる、これに惹かれるのだ。しかしその結果は田を耕す時になつてよその牛を借りて來なければならぬといふことになる。そしてその代償は自分の勞力でする。牛の一日の代りに、人間が二日又は三日、先方の最も忙しい時に仕事の手傳ひに行くといふのが習はしである。 葉煙草からの收入は、無論そのなかに來年度の經營の費用を含んでゐる。牛を賣つて得た金も新しく買ふ牛のために備へておかねばならぬ。ほかの使途にせる餘裕がこの二つからどれほど引き出せるといふわけでもなかつた。しかしこの二口のまとまつた金が、しばらくでも手の中にあるといふことは何としても大きな力であつた。飯米のほかに幾らか賣ることの出來る米はあつても急いで賣りたくはなかつた。何も思ひがけぬ金が轉げ込んだといふのではないが、豫定通りのものが豫定通りであるといふことは喜ばなければならなかつた。かうしてとくにきつい今年の冬の寒さも苦ではなかつた。これで老父の駒平が神經痛に惱み、時々寢込むといふことさへなければ、何もほかにいふことのない冬であるのだが。 風が落ちて珍らしくよく晴れた日の暮れ方、彼等は始めての麥の踏壓から歸つて來た。おむら、駿介、じゆん、お道だつた。五時にはもうほとんど暗い。駒平はこの二三日來、わるくて寢てゐた。曇れば曇つたで、風があればあるで、よく晴れればまた晴れたで、肉のなかは刺すやうに、抉るやうに、また灼くやうに痛んだ。朝は乳のやうな靄で、日が上ると同時に、だちだちだちと雨の落ちるやうな音で霜の解け出す日は、よく晴れたが、氣温がぐつと下るから、痛みはかへつてひどかつた。晝間はさほどではなく、夜になるときつと痛んだ。が、さうだからと云つて、晝間起きて動きつてゐると、恐らく冷え込むからなのであらう、報いは覿面に來て、次に來る痛みは一層激しかつた。手當てのしやうもべつになかつた。醫者にもかからず、そのやうな時には、炬燵の火をごくぬるくして、駒平は一日でも寢てゐた。食事も眼立つて細く、ぢつと眼を閉ぢて身動きもせず、口も餘りきかなかつた。苦痛を訴へるといふこともなかつた。病苦ばかりではなく、日頃の疲れが一時に出たといふふうにながめられた。﹇#﹁ながめられた。﹂は底本では﹁ながめられた、﹂﹈粗末な建方の二階は冷えるので、冬になつてからはみんなと一緒に階下に寢るやうになつた駿介は、夜なかに時々眼をさました。一眠りしたあとの若い彼のからだは快くぬくもつてゐる。裏山には今夜も風が吼えてゐる。彼は襖を一つ隔てた向うの老父の氣配に、耳をすまさないわけにはいかなかつた。かすかに鼾の聞える夜があつた。何一つ物おとの聞えぬ夜があつた。しかしまた苦痛をこらへる呻きにちかい聲を聞かなければならぬ夜もあつた。その聲は斷續しつついつまでも續いた。駿介は思はず半身を起して、闇のなかにぢつと息をひそめるやうにしてゐた。突然のことのやうに、今はじめて氣づいたことのやうに、彼はすでにかなりに傾いてゐる老父の年齡を思つた。そして自分が歸つて來てこの家に住みつくやうになつたことをよかつたとする氣持をあらためて深めるのであつた。 ﹁どうですか、今日は。お父つあん。﹂と、手足を洗つて、上へあがると、駿介は云つた。﹁ちつとは痛みはいいやうですか。﹂ ﹁うう。﹂と、駒平は云つて、大儀さうにゆるゆると起き上ると、炬燵の上に顏をこすつた。眼をしばたたきながら、戸のガラス越しに向うをすかすやうにして、 ﹁ほう、もうこんなになるんかい。俺ら、ついうとうとしとつたもんぢやけに。――今日は家ん中はよう冷える。どこもここも何やらかう乾いとるやうで。﹂ 咽喉がいがいがすると云つて、傍の茶盆を引き寄せて、冷たくなつた番茶を含んでは咽喉をカラカラいはせた。駿介は外は風さへなければ日向はずゐぶん暖かだと云つて、麥が順調にのびてゐることや、朝はあんなに土が霜に濡れてゐながら、風のために乾くのが早いのにおどろく、といふやうな話をした。臺所の方でごとごと音をさせてゐたじゆんが、その乾くといつたのを聞きつけて、家のなかもよう乾く、朝、お櫃を洗つてかけておいたのがもうカラカラだし、雨が降ると窮屈な臺所の床板の上げ下ろしも此頃は木が乾いて輕いといふやうなことを、大きな聲で云つた。感冐はかういふときにはやるんだから氣をつけなくつちや、と自身に向つて云ふやうに附け加へた。駿介は炬燵の火を繼ぎ足し、それからまた下へ降りて行つて、鷄の小舍と山羊の小舍とを見つた。 夕飯が濟むと、親子は一つ部屋に集つて、寢るまでの時間を過した。此頃は彼等は多くの晩かうであつた。一年を通じてここしばらくほんのわづかな期間が、幾らか仕事が暇だと云へる時であつた。暇だと云つても、繩を綯つたり、筵を編んだり、夜なべ仕事のないわけはなかつた。たださういふ仕事もここしばらくはやめてゐた。やがて、もうすぐ、舊正月も待たずに激しい勞働が始まる。煙草の苗床準備がそれである。それを皮切りとして、それからはもう次から次へと少しの暇も許されぬ。それまでの短かい期間を、せめては少しはゆつくりしたいといふ氣が、おのづからみんなにあつた。 母は明りのすぐ下に坐つて、膝の上に襤褸をひろげてゐた。おむらももう六十である。眞綿が厚く入つて、切地の上にところどころ小さな玉になつて下つてゐるあつたかさうなちやんちやんこを着て、背中をまるめて、老眼鏡の眼でたどりながら、かなりおぼつかなげに針を運んでゐる。眞白な髮が年寄りには珍らしくたつぷりして、かぶさるやうなので、黒くコチコチした感じの顏が一層小さく見える。眼がわるいほか、彼女には喘息の持病があつた。ふだんでも息するごとにゼーゼーかすかに音をさせてゐるが、時々首を前へのばし、背中を一層まるめてこんこん續けさまに咳をする。赤くなつて力みながら、最後に自分で咳込みをふつ切らうとするもののやうに、ガーツと大きく咳拂ひをしてやめる。しかし冬季には大きな發作は少なかつた。それが一番激しく來るのは梅雨時だつた。――じゆんは火鉢の傍へ寄つて、麥稈眞田を編んでゐた。それを編む手の甲は紫がかつて脹れ、その指先きはところどころ皸破れて赤く口を開いてゐた。じゆんは火箸の先をあたため、それで黒い皸ぐすりを熔して破れ目になすり込んだ。若い彼女は絶えず微笑を含み、生き生きとした紅い顏をして、たつたそれだけの手仕事をするのにも、全身をもつてしてゐるやうに見えた。時々はその手をやめて、傍に開いて伏せてある四月も五月も月おくれの婦人雜誌の頁をめくつたり、母や妹に向つて話かけたりした。妹のお道は壁の一方に小机を寄せて、その前に小學生のやうにきちんと坐つて、本に向つてゐた。彼女は父親似の、眼尻の少し釣り上つた、額が男の子のやうな顏立ちで、何よりも本の好きな娘である。 駿介は父と向ひ合つて、炬燵に入つてその上に本をひろげてゐた。彼はこのごろの貴重な暇を得て、毎晩かうして本を開いた。はじめ彼はなんとなく不安を感じた。生活の激變、激しい肉體的な勞働は、生理的にも頭腦を硬化させ、細胞の組織を一變し、キメが粗くなつて書物による知識の吸收、緻密な論理の追求といふことが今までのやうなわけにはいかぬのではないか、といふやうな危惧を感じたのである。が、さうした危惧は全く意味のないことだつた。むしろ事實はその反對であるとさへ云へた。肉體的な勞働は彼に活力を與へ、彼の細胞をリクリエートしたものだらう。一時書物から離れてゐたといふことは、結果から見れば、いいこと、あるひは必要なことであつたとしか思へなかつた。新しく讀み出した彼の頭腦は溌剌として、新鮮な水を含む海綿のやうにどんらんにすべてを吸收した。彼の精神はいつのまにか、彼自身も知らぬまに、いろいろな垢と夾雜物とが拂拭されてゐた。それは肉體になぞらへて云へば、チブス後の復活したそれのやうなものだつた。日々の新しい生活に對して清新な感動をもつて立ち向つて來たやうに、書物の世界に對しても同じやうな感動をもつて踏み込んで行くことが出來た。もう長らく彼はこのやうな状態からは遠のいてゐた。何を讀んでも物倦く、つまらぬ。理解は一通り行き屆いてゐながら、對象と自分との間には幾重にも何か眼に見えぬ煙幕のやうなものが立ちこめてゐる――一年前、歸郷する前後の彼はそのやうな状態にゐたのだつた。かつて中學から高等學校へかけて、夜を徹してまで外國の文學や哲學などに讀み耽つたあの感激、情熱といふものはどこへ行つてしまつたのだらう? 當時からわづか二三年後にはもうこんな状態だ。この無感動、この衰弱といふものは一體どこから來たものであらうか? それは一時は誰にでも來るやうな、青年期の病氣の一つなのであらうか? それともそれはもつと時代的な社會的な意味を持つたものなのであらうか? かつてのあのやうな時期は何人にももう二度とはつて來ないのであらうか?――駿介は寂しい氣持でそのやうなことを幾度も思ひ返した。ところが、その失つてゐた時期を、思ひがけなくも、彼は今再び取り返すことが出來たのである。 夜更けまで讀んで彼は容易に眠くはならなかつた。晝の疲れにも倒れなかつた。夜が更けるにつれて肩のあたりに忍び寄る寒さも何ほどのことにも感じなかつた。やや讀み疲れると、久しく無沙汰してゐる、東京の親しかつた二三の友達に手紙を書いたり、古い葛つゞ籠らから祖父の代からのいろいろな書きつけや帳面を引つぱり出して來て見たり、古い寫眞帳をくりひろげて見たりした。それらのものも充分に彼を樂しますことが出來た。彼は見ながら、熱い番茶を幾杯も代へて、うまさうに飮んだ。 彼が今讀んでゐるのは、農業の經濟的方面や技術的方面に關する書物だつた。それらは今の彼が日々生きて行くために必要とされる知識だつた。そのあるものは、今日獲得されれば、すぐその翌日、實際の仕事のなかに生かされるといふふうだつた。さきに云つたやうな彼と對象との間の隙間の無さ、新しい知識への感動は、おそらくはもつとも手近に、右の關係から來てゐるものにちがひなかつた。 ﹁お父つあん、やつぱり一度醫者に見せたらどうですか。﹂ 壁の方に向いて横になつてゐた駒平が、寢返りを打つて、こつちの明るい方に顏を向け、物憂ささうに眼を見開いた時、本の上から顏をあげて駿介が云つた。駒平はしかし、ゆつくりした口調で答へた。 ﹁あきやせん。俺らのこの病氣にや醫者はなんちや役に立たんが。﹂ ﹁そりや治り切るなんてことはないでせうが、いくらかでも痛みが薄らぐだけでもいいんだから。﹂ ﹁今までにも何度も醫者にはかかつたが、何せえもう十年このかた毎年毎年のことぢやけんのう。村の醫者にやむろん、赤十字の醫者にもかかつたし、手療治なんぞも、ええと云つて人の教へてくれるもなア大抵やつてみた。けど、どれもこれもあきやせん。藥をもらへば、その當座だけはちよつとええが、ほんの當座だけぢや。第一、醫者はみんなこちとらには出で來けんことばかり云ふで、どもならん。やれ仕事をやめて温泉さ行けとやら、電氣をかけに毎日半年がほども通へとやら。――結局、まアかうして温ぬくとうにして、ぢつとして寢とるが何よりぢや。﹂ ﹁そりや、結局は、からだの無理からばかり來てゐることなんだから。﹂ ﹁何も餘計な手はかけんと、温とうにしてぢつとしとつて自然とをさまるのを待つとるのが一番ぢや。そのうちにや氣候も温とうなるし……しかし、これでようしたもんぢや。おつ母さんと俺らとは代り番こぢや。おつ母さんの喘息もやつぱしこつちから醫者に愛想づかしせんならん病氣ぢやが、もしもこれが俺らと一緒の時であつて見い、えらいことになる……天道人を殺さずとはようしたもんぢやがな。﹂ 駒平はゆつくり半身を起して、傍の煙管をとつた。ぢゆーツと終ひの方で脂の音をさせて一服うまさうに吸ひ終つた。それからふところからずつとなかへ手を入れて、腰にあててゐた懷爐を取り出した。 ﹁じゆん、これ、ちよつくら。﹂と云つて、そつちの方へ押しやつた。じゆんは古い懷爐灰を棄て、新しい懷爐灰に火をつけて、ふーつと息を吹きかけた。赤い火花がパツと散つた。 外は靜かであつた。裏山には珍らしく音が絶えてゐた。月が高く上つて、空を差してゐる葉の落ち盡した木々の枝々の交はりもはつきりそれと知れる明るさである。そのなかで空氣中の水氣が玉に結ばれ、凍つて行く。さういふ外の澄んだ靜けさが家のなかにまで浸み入るのだつた。新しく仕替へた懷爐に腰のあたりが熱いぐらゐになると、からだのほかの部分に、ことに襟元にかへつてぞつとするやうな寒さを感じた。 ﹁じゆん! もつともつと炭をくべろや。藥罐をちんちん云はせにや。寢る前にみんな熱い砂糖湯でも飮んで、少しなかから温ぬくとまらにや。﹂と、駒平が云つた。 ﹁もう少しここを繕らうて了うてから。﹂と、おむらが獨りごつやうに云つて、なほも針を進めようとしたが、丁度その時絲の終りに來たらしく、針を明りの方へ高くかざして、新しく絲を通さうとしたが、弱つた眼に針めどは動いてしばしも止まらなかつた。傍に居て火鉢に炭を繼ぎ足してゐたじゆんがそれを見て、すぐに代つて通してやつた。 こつちから母の横顏を見てゐた駿介は、毎日見慣れてゐる母の顏に今はじめて氣づいたことがあるやうに思つた。知つてゐたことのなかに新しく何か見たやうに思つた。彼は母の傍へ寄つて行つて、﹁おつ母さん、ちよつと。﹂と云つて、手を輕くその肩において顏をのぞき込んだ。おむらは、﹁何ぢや、駿は。お醫者さんの眞似かいな。﹂と云ひながら、さう云はれるままに、その小さな顏を明りの方へ近く持つて行つた。駿介は母の眼にぢつと見入つた。やや褐色がかつた黒目のなかの瞳。しかし黒い筈のその瞳は黒くはなかつた。黒いどころか白濁してゐた。右の瞳はすつかり白い薄皮に覆はれ、左のそれも半ば白く變つてゐた。 ﹁おつ母さん、これで見えるんですか。﹂と、駿介はおどろいて云つた。 ﹁うん、だんだん見えんやうになつて行きよる。﹂ おむらは當り前のことを云ふやうに云つて、云はれるままに左の眼を閉ぢた。 ﹁何も見えやせん。そこらへんがぼんやり黄色に見えるだけや。﹂ 駿介はその顏の前に近く手をやつて、上に下に振つて見た。おむらは、薄暗いところに、何か黒いものが動いてゐるだけだと云つた。それから右の眼を閉ぢた。 ﹁こつちはまアどうにか見えるが。顏をずつと近く持つて行きや、大抵見えんこたアない。それでも去年から見りやずツと見えんやうになつたがのう。一年一年見えんやうになつて行きよる。﹂ 他ひ人と事のやうに靜かに云つて、また膝の上の襤褸を取り上げた。 ﹁底そこ翳ひですね……白ぞこひつて云ふんですね。それに違ひないけれど、何とかしなけりや。﹂ ﹁こりや年寄りの眼やけに。年を取りや大抵のをなごはかうなる。まるで見えんけりや困るけど、どうにか見えとるうちは、高い錢かけたり、暇だれしたりするには及ばんこつちや。﹂ 病氣や醫者の話から、ふと氣づいたらしく駒平が云つた。 ﹁駿、お前、今度目歸つて來てから、森口の息子に會つたかいや。﹂ 彼については、前に足を怪我したとき父から聞いて知つてゐた。 ﹁いや、まだ會はないんです。これから世話にもなるんだし、一度會つて挨拶をしとかなくちやと思つてゐるんだけど、訪ねて行くとなると何だか億劫で……それに暇もなかつたしするもんだから。一度自轉車で行く姿を見かけたことがあつたけれど。﹂ ﹁一度會つておくがええ。何と云うても森口は村ぢや有力者やけに。――それにお道のこともあるよつて、今度會つてお前から一つ頼んどいてくれんかな。﹂ ﹁お道のことを――ああ、さうですね、そりや森口に頼んでもいいわけですね。﹂と云つて、駿介は隅の方で默つて机に寄つてゐるお道を見た。 高等科を卒へたお道は、看護婦にならうとしてゐるのだつた。それは誰から云はれたのでもなく、自分自身の發意からだつた。彼女は町へ行つた時に、その方面の受驗に必要な本を買つて來て、わづかな暇も無駄にせずに讀んでゐた。そのさまには何か眞劍なものが見られた。無邪氣なこの年頃の娘のなかに伸びつつあるそのやうな意志的なもの、自分のおかれてゐる境遇をさとつて、ひとりで自分の道を切り拓いて行かうとしてゐる姿を、駿介ははじめて見たもののやうに思つた。はじめは誰にも相談せず、自分ひとりで考へながらやつてゐるやうなのが、いぢらしくもあり、また健氣でもあつた。一體に、ふだんから、思つてゐることをさう賑やかに言葉や色に出す方ではなく、だがさうかと云つてただ内へ内へと籠る一方といふのではなく、考へたことはすぐにも行ひとしてあらはれるから賑やかである必要がない、とさういつたやうな子であつた。明るく外に向つて開け擴げたじゆんの性格とはちがつてゐた。さういふお道を、駿介はしばらく默つてわきからいたはりの眼で見護るやうにしてゐたが、ある時はじめて彼女の志望について妹と話した。それまでお道は駿介にあまり馴染まなかつた。やつと小學校に入つた年頃に別れて、それからはずつと別れ別れにくらして來た兄だつた。時々渡り鳥のやうに立ち歸つて來るかと思ふと、すぐに慌ただしく去つてしまふ。その度毎にぐんぐん伸びて、顏にも姿にもものの云ひぶりにも昔の兄のおもかげは殆ど殘らなかつた。さういふ存在が、昔から何の疑ひの餘地なく自分に深いつながりがあるものときめられて、今もかうして一つ家に寢たり起きたりしてゐるといふことが、時には何やら不思議な感じであつた。向ひ合つて坐つてゐると、胸が壓され、息がつまりさうな氣のすることがあつた。薄鬚が生え、面皰が一つ二つ熟んでゐる顏を見、青年に特有な汗ばんだ肌のにほひを嗅いで、憎しみと敵意のやうなものを感じさへした。それは血のつながりの深さから來てゐる複雜な一種の感情で、愛情とは裏と表の關係にあるものであつたが、もとよりお道にはそんな自覺はなかつた。そしてただ掻き亂すやうな不思議な感情の經驗に苦しんだ。駿介の東京からの土産を小さな子供のやうに有頂天になつて喜び、彼が着いたその日から、戲談口をきき合ひ、會はずにゐた何年間かが何の障害にもなつてゐない、かへつて親しさを増し深めるものになつてゐるじゆんのやうには、到底素直で蟠りなしにあることは出來なかつた。 ところが、一週間足らずゐて、駿介が歸つてしまふと、お道はまた思ひがけない、新たな氣持を味はふのだつた。彼女は空虚を感じた。そしてさういふ氣持の原因がやはり駿介にあることを認めなければならなかつた。彼女はそれを感じた。すると兄へのなつかしさが、非常に深く激しいものとして一時に甦つて來るのであつた。 その兄が今度は一時的にではなく、ずつと自分達と一緒に住むやうになつても、なほしばらくは人が普通兄に對して持つやうな氣持を素直には持てなかつたのである。駿介が、彼女の志望としてゐるものについて話しかけて來た時、お道は赤くなつて口ごもつた。しかしお道が兄に對して何でも思つてゐることが云へるやうになつたのは、それ以來のことであつた。急に兄に對してよりかかる氣持を深めて行つた。駿介ははじめ看護婦などではなく、もつとほかに何かないかと思つた。彼はあまり看護婦などは好まなかつた。しかし、好まぬと云つたところで、では一體何がほかに、小學校しか出てゐない田舍の娘のためにあるのであらう。彼は勵ましの言葉を云つた。そして必要な二三の書物を買つて與へもした。 ﹁今は何を讀んでゐるんだい?﹂と駿介は訊いた。お道は開いてゐる本の背を、チラとこつちの方へ向けて見せた。それは有名な博士が書いた生理學の講義であつた。ラヂオの講演をもとにして、平易に、しかし要領よく人體の生理全體に亙つて書いた本であつた。駿介はそれと、もう一册机の上にあつたのとを手に取つて見た。他の一册といふのは看護學の本で、試驗問題集が附録になつてゐた。どつちも、彼女の手に渡る前に、もう何人もの人手を通つて來たらしい、綴とぢもグヅグヅになつてゐるやうな本であつたが、それでも彼女が讀んだあとといふものはよくわかるのだつた。それは繰り返しよく讀まれてゐた。試驗問題のあるものの上には、赤鉛筆で○や△などのしるしがあつた。﹁人事不省ノ徴候及其處置ヲ述ベヨ﹂﹁手指ノ消毒方法ヲ記セ﹂﹁シャイネ・ストック氏呼吸現象ヲ詳記セヨ﹂――さう云つたやうなものであつた。それを見てゐると、駿介は、突然のことのやうに、自分のこの妹に對するいたはりのなほ足らなかつたことを感じた。彼女のこれらの勉強に、自分も力を協せ得べき筈だといふことを思ふのだつた。 ﹁シャイネ・ストック氏呼吸現象つてのは何かな。かうして見るとずゐぶんむづかしさうな問題もあるんだね。﹂と駿介は問題集の頁をめくりながら云つた。お道は微笑しただけで默つてゐた。するとじゆんが云つた。 ﹁お道はわしなんぞとは違うて頭がいいけに、そのくらゐのもんはなんちやないがな。春には試驗を受けて見たがええ。たんだの一囘で受かるやらう。﹂ ﹁そりや駄目や。學科には自信があつたとて、實地の經驗がないによつて。﹂ ﹁やつぱし、講習所さ入らないかんのかいな。﹂ ﹁なんだね……講習所でなくつても、一年以上、醫者の所で看護婦見習をしたといふ證明がありさへすりやいいわけなんだらう?﹂と、駿介が訊いた。 ﹁ええ、さう。﹂ ﹁どつちがいいかなあ。講習所だと家から通へるといふことがあるが……。﹂ 駿介は考へ込んだ。﹁講習所は郡の醫者が交代で來るんだらう? 大きな病院のやうなとこなら、かへつてその方がいいんぢやないかなあ。﹂ 駿介はやはり森口愼一に一度會つておかうと考へた。妹のことを頼み、それに父と母のことについても一應訊いておきたいと思つた。森口愼一などと云つても、同じ村から出たインテリの一人としての關心があるだけで、昔から別に親しかつたわけでもなく、それぞれ自分の考へといふものを持つやうになつてからは會つて話したこともなく、それだけにこつちからわざわざ訪ねて行つて會ふといふことになると億劫で、なんとなく氣の進まぬことであるのだが。 ﹁本はどうだい、今持つてゐるだけぢや足りないんだらう? 是非いるつていふものがあつたら云つてみないか。﹂ ﹁看護學の本がね、﹂と、お道は、兄が手にしてゐる本の方を眼で指しながら云つた。﹁それぢやあんまり簡單すぎるんや。それに古すぎるし……。もう少し新しうて、詳しいのが欲しいんやけど。﹂ ﹁成程な、こりや古いや。﹂駿介は、本の奧附のところを開いてみた。﹁大正二年か。――お道の生れるずつと前ぢやないか。﹂ 彼女はそれを、町の古本屋の、均一本のなかから探し出して來たのであつた。 ﹁ぢやあ、何ていふのがいいの。﹂ ﹁吉井つて云ふ博士の二册になつた本がええさうやけど、なんぼにも値段が高いによつて。﹂ ﹁いくらだい。﹂ ﹁上卷が四圓で下卷が五圓やさうな。﹂ 町には醫學の學校がなかつた。その方面の本を古で揃へてゐるといふ本屋なども思ひ當らなかつた。駿介はやはり東京の知合ひの誰かに云つて頼んでやらうと考へた。五圓以上といふ金は、今の彼等にとつては實に大金だが、出來るだけ早くその願ひはかなへさせてやりたいと思つた。 ﹁もう寢ようぜ、みんな。﹂と、駒平がその時ねむさうな聲で云つた。﹁もう遲いけに。今晩はずゐぶんよう冷える。﹂ みんな立ち上つた。おむらは膝のあたりの絲屑を拂ひ、襤褸を風呂敷に包んで、針箱や針立てと一緒に押入れのなかにしまつた。お道は本や雜記帳をのせた小机を持ち上げて次の部屋へ立つた。駿介は炬燵を部屋の片隅に押しやつた。じゆんがそのあとから箒で掃いて行つた。 ﹁ああ、さうさう、忘れとつた。﹂と、のべられた布團の上に、眞先に横になつた駒平が、思ひ出して云つた。﹁暮れ方にお前が歸る少し前に、廣岡の親爺が寄つて行つた。何か駿に頼みがあるさうな。﹂ ﹁頼みが? わしに。﹂ ﹁ああ。また明日にでも來るさうな。﹂ ﹁廣岡の親爺がわしにつて。何かな。﹂ ﹁何か知らんが。――わしは丁度少し痛み出して來た時だもんで、何も話さずにすぐ歸つたが――けど、駿、お前これから追々と忙せはしなうなるぜ。村の者ら、なんだかんだといろんなことをお前なんぞのとこさも持ち込んで來ようわい。そりや、今から覺悟しとらな。――面倒なことが多いにきまつとるが、短氣は出さんがええ。一々短氣を出しとつたら、村には住めんよつて。何もかも勉強ぢやけに、そのつもりでやるがええ。根氣のええのが一番やけんのう。﹂三
父のこの言葉は、駿介自身が、内々氣づき始めてゐたことに關してゐた。 此頃、村の人々の自分を見る眼が、自分への對し方が、何となく變つて來たらしいことを、折に觸れて、駿介は感じさせられてゐた。道を行く。村人に逢ふ。﹁お疲れさんで。﹂﹁毎日えらう吹きよりますなあ。﹂そんな挨拶を交して別れる。普段と何の變りもない、隣り同士の普通の挨拶ながら、言葉つきや、それを云ふ時の彼等の全體の感じに、何か今までとはちがつたものが感じられるのだつた。氣のせゐだといふやうなことではない。また人の多く寄り集るところ、たとへば小間物、雜貨などを商なふ、村一番の店の野田屋へ行く。日暮れ方のさういふ店さきはことに混んでゐる。土間に立つもの、上り框に腰を下すもの、かみさん達のなかに、土に汚れた男達の姿もまじつて、廣い店さきも所狹いほどである。軍手とか地下足袋とかシヤツのボタンとか、藁紙とか、さういつた買物をすませた後も彼等はすぐには立ち去らうとはしない。一服つけながら大聲で話し合つてゐる。一つには、土間の、大きな鐵の火鉢に惜しげもなくくべた炭の火が眞赤なので、店の前を通るものは、日暮れなど、用がなくてもちよつと立ち寄つて行かうといふ氣になるのだ。戸を開けて入ると、炭火と人いきれとにムツとするほどで、臭いやうなにほひも寒風に吹かれて遠道を歩いて來た身にはなつかしかつた。もう一時間近く、火鉢の前に大きくはだかつて、顏を眞赤にほてらせながら、股火をしてゐるものがある。股引など、火にあたりはじめはかへつて濕りが出て肌にも餘りいい氣持とはいへないのが、その頃になるとハシヤハシヤして來て、直接火にあたるところばかりではなく、全身、背なかの方までぬくぬくして來て、とろとろしたいい氣持で、すぐには容易に立てなかつた。濡れた地下足袋を脱ぎ、底の泥をこそげ落し、穴の明いた眞黒な軍手と一緒に、火箸や爐せんで支へをして火鉢の縁にならべ、ひどい臭氣をさせてゐるものもある。 さういふ人々の後ろに立つて、駿介はためらつてゐるやうに見えることがあつた。まつすぐ人々の間を行き、ずつと前へ立つて、商品の間をこまめに立ちつてゐる小娘を呼んで、必要な品物を云ふ、ただそれだけのことだ。が、さういふ自分の動きが何となくあたりの空氣を變へてしまひさうな氣がするのだつた。それは今でもなほ百姓達の集つてゐる所へ出ると、どうしても自分に拘泥する氣持が殘るためであつた。自分と彼等との相違、彼等の世界を向うに見て、そこにまだ溶け込めきれぬ自分を感ずることから、駿介はなほ脱却することが出來ないのだつた。脱却しようとして脱却出來るものでもない。それには長い月日をかけねばならぬ。さう思つてゐる駿介は、しかし、自分の存在があたりにかもし出す雰圍氣、周圍に與へる影響については非常に敏感だつた。時としては神經質すぎるほどだつた。たとへば今の場合にしても彼が入つて行く。人々は彼の姿を見、聲を聞いて、何となくハツとわれにかへつたやうな氣持になる。今まで夢中で話してゐたり、高笑ひしてゐたりする聲がやむ。急にあたりを見して、﹁ああ、すつかり話し込んでしまうた。遲うなつた。どれ、去いのうか。﹂と云つて立ち上る。――と云つた風にさせるものが、何か知ら自分の側にあるとすれば、――入つて行つたものがほかのものならさうはならぬのに、自分だとさうなるといふものがあるとすれば、彼はそれを避けたかつた。別にどうといふことはないが、避けたかつた。 そんな氣持のうちにやがて彼は前に立つた。店の小娘は堆い品物のかげに半ばかくれてこつちに背なかを向けてゐた。すると腰をかけて、火鉢にささりこんでゐた男が、すぐに駿介に氣づいて、にこにこと笑ひかけて來た。 ﹁ああ、杉野のあんさん。お寒うござんす。まア、こつちさ寄りまあせ。﹂彼は膝を開き、重い火鉢を片方にずり寄せて、坐るための場所をつくつた。﹁さア、寄りまあせ。ずつと。どうもえらい寒さだて。﹂ これは他部落の男である。顏は見知つてはゐたが、名は記憶にない。今まで格別に言葉を交したこともない。 彼が云ふと、今まで彼と話してゐた二三人のものも、それと氣づいて、口々に挨拶の言葉を云つた。頬冠りしてゐた手拭ひを取つて、丁寧に小腰をかがめたものさへあつた。なかには全然見知らぬものもある。駿介が挨拶を返してゐると、一人が、店の奧へ向つて、いかにも世話燒きらしく、 ﹁ねえさん、ねえさん。お客さんだぜえ。こつちだ、こつちだ。早くしなよ。﹂と、大きな聲で怒鳴つた。 買物をすましてからも、駿介はそこに腰を下し、皆としばらく世間話に打ち興じてから歸つた。歸る時、戸を閉めてから、チラと後ろを振り返つて見ると、ガラス戸の向うに、なほ居殘つてゐる人々がみな、云ひ合したやうに、こつちを、自分を、見送つてゐた。自分が去つたあと、自分のことが人々の噂に上るだらうといふことを駿介は感じた。たつた今人々と取り交された何氣ない話の間にも、やはり駿介は、人々の自分に對する態度が何か特別な關心によつて裏づけられてゐることを感じたのである。 これに似たやうな經驗は、村の共同風呂などでもあつた。 明らかに駿介は、多數の村人たちの眼に、特別な注意をもつて見られ始めてゐた。この變化は、今までは普通一般の隣人として格別氣にも止めず、せいぜい淡い好奇心をもつて見るに止つた駿介の上に、何か新しい發見をしたと云つたやうなものだつた。そして駿介は、人々の自分に注ぐこの注意の眼が、反感や惡意からのものではなくて、却つて反對に、一種の尊敬と、敬愛と、親身な感じを伴なつたものであることを感じたのである。 この思ひがけない新事實は、一體、何に基因してゐるのであらう? この新事實の發生は、少くとも駿介自身がはじめてそれに氣づいたのは、ほんの十日ほど前のことに過ぎなかつた。近頃、何かそのやうな結果を生ずべき原因が、自分の身に就てあつたであらうか? 深く考へて見るまでもない。そこにはただ一つ、煙草の耕作段別の擴張について、自分の微力が幾らかの足しになつたといふことが同じ部落の人々に、さらにそこから他部落の人々にまで廣く傳へられたといふことがある。駿介は、未だに、果して自分の力があの結果に幾らかでも與つたものかどうか、一體、自分の陳情がどれほどの力を持ち得たのかと疑つてゐる。しかし兎も角、思ひあたることと云つてはほかにはないのだ。田舍において、人と物についての噂がひろがる速さといふものは人々が往々想像してゐる以上である。煙草の一件などは、噂話としても恰好なものであつたに違ひはない。それは彼等の經濟に關する事柄だけに、熱情をもつて語られたであらう。ある場合には嫉妬をさへ誘ひ出したことであらう。そしてそこには必ず駿介の名が伴つたことも間違ひない。話が口から口へ傳はり、外へと擴がるにつれて、誇張の度も大きくなり、いろいろな附會も行はれたことであらう。…… 附會されたに違ひないものをあれこれと想像し、自分が實際とは似ても似つかぬ大きな存在にされてしまつてゐるのではないかと思ふと、駿介は、ただ苦笑ではすまされぬものを感じた。人々の間に、何時しか創り出されてゐる滑稽な自分の姿を思つて彼は赤面した。羞恥と同時に不安と不快をも感じた。そしてそれは彼をそのやうに取り扱ふ人間に對してといふのではなしに、己れ自身に對してであつた。 その責任がどこにあるかは問はず、そのやうな世間的評價を得てゐる自分自身に對して彼は激しい嫌惡を持つた。昔から彼はかういふ男であつた。學生時代から、自分の實質以下に買はれることにはむしろ平氣であつたが、實質以上に買はれることがあると非常に氣にした。彼はひどく羞恥し、もしもその評價に多少でも甘えてゐるやうな自分に氣づく時には、ひどい自己嫌惡に陷つて、暫くは仕事が手につかぬほどであつた。學校でもだから派手な存在ではなかつた。今は一頃ほど、内攻的ではなくなつたまでだ。彼の少年期から青年期へかけての環境は、彼の生得の性情を一方へと深めた。どんな意味ででも彼は自分の足もとを見つめないでは、先へ踏み出すことは出來なかつた。絶えず細かな自己省察を必要とされた。美徳を勵んだわけではない。彼としてはただ、さうでなくては生きることが出來なかつたまでのことだ。教壇の倫理ではなしに、日々生きるための必要物として少年時からさういふ實踐道徳を強ひられて來た彼の人間は、おのづからほかの學生達と異つてゐた。彼は朗らかでもなく、所謂青年らしくもなく、時には利己的にさへ見えた。それで一部の學生からは嫌はれた。それが誤解であつたともなかつたとも云へない。さうした外觀が、駿介のすべてでなかつたことだけは確かだと云へる。 誤られた評價に逢つた時の、今までの彼の對應策は、だから一つしかなかつた。益々消極的になつて行くことである。この上とも心して不必要な出しやばりは避けるやうにすることである。さうしてそんな評價を受ける機會を少くすることだ。 だが、今日の彼は果してそれですませるであらうか? 過去の彼はいかにも明哲保身の道にかなつてゐた。それはそこではいかにも一つの徳であつた。しかし今の彼は必ずしも保身を唯一の目的としてはゐない。何よりも先づ彼の過去は、外に向つて行動しないといふことを特徴とした。不當な評價といふ、その評價は何等かのさういふ行動あつてのものである。だから先づその行動を切つて捨てればいい。不當な評價を與へた他人をではなしに、つねに自身を嫌惡した駿介はその意味ではまことに正當なのであつた。だがそれは過去の彼であつて、現在の彼は行動を生命としてゐる人なのである。社會に積極的に働きかけることをもつて生きる道としてゐる人なのである。 一度、社會に向つて何等か働きかけようと決意したものが、その行爲と、行爲の主體に對する世間の評判に、それがどのやうなものであるにしろ、引きされるといふのは本來無意味なことだと、氣持の上だけにしろ蹈ふん切りをつけるまでには、駿介は尚よほどの思考と感情の浪費を續けなければならなかつた。そしてそれは必ずしも、世間の買被りがそんなにも氣になるやうな駿介にのみ特別なこととも云へなかつた。現代の知識青年が、行爲の世界に入らうとする時、彼は思ひもよらぬ障害や蹉跌の原因を、主として自分の内部に見つけておどろかなければならぬのだつた。 そんな心の動きを感じながら、一方、自分に對する農民の態度から、駿介はある強い感動を受けた。そしてそれはすべての障害に打ち克たうとする勇氣を彼に與へるものであつた。此頃の彼は、敢て珍らしからぬ﹁ものの道理﹂が、實生活のなかで、一つ一つ確認されて行くのを見るとき最も感動し、新鮮な喜びを感じるのであつた。村の人達が、生活の利害に關してそんなにも敏感に反應するといふことは、輕侮の心を起さしむるどころか、駿介には美しく見えた。今までの駿介は、學校を途中で止して歸つて來た風變りな男として、村の一部のものの好奇心をそそつただけであつた。讀み書きはたつしやだらうから、何かの時には役に立つ、せいぜいそんなふうに見られてゐただけだつた。ところが今、彼等の生活利益に直接交渉を持つ人間として現れて來たので、彼等は改めて駿介を見直し、自分達に緊密なつながりあるものとして心にはつきり刻みつけたのだつた。これは駿介の、何よりも喜び感謝しなければならぬことである。 とりわけ駿介が喜んだのは、今度のことをきつかけに、村の青年の一部が、彼に興味を持ち、彼に近づき、彼と語りたいとねがひはじめたと知つたことだ。寺田と源次を介して、彼等に近づく機會を得たいといふ望みを、駿介はかねてから持つてゐたが、まだその時を得なかつた。今こん日にち村の青年達が、自分等の現在についてどう考へ、どんな夢想を抱き、部落や村や縣から廣く國までの社會の動きをどんな眼で見てゐるかといふことは、容易にうかがひ得ないことであり、それだけにまた知りたい、魅力のあることでもあつた。それでゐながら、お互ひに氣忙しく、源次とさへもゆつくり寛いで話したことがない。 四五日前のある日、晝から雨が降つた。雨は途中から霙に變つた。午前中、僅かに伸びた蠶豆の畝うね間まの土を鋤き返してゐた駿介は、丁度それが終つた時に來た雨だつたので、工合がよかつた。少し濡れて歸つて來て、午後からは仕事を休んだ。しばらく炬燵で温ぬくまつてから髮床へ行つた。 床屋は雜貨店野田屋の筋向ひにあつた。駿介が、齒がちびて角かどがまるくまくれ上つてゐる足駄に、雨に解けはじめた凍つた道の泥を後ろにはね返しながら歩いてゐる時に、床屋の親爺の鹿本嘉助は、持ち前のがらがらしたつぶれ聲で、しきりに戲談を云つては皆を笑はしてゐた。客の顎にあてた剃刀に眼が向く時と、店の片側の縁臺に腰かけたり坐つたりして待つてゐる客の方に顏が向く時とが、半々ぐらゐである。口はほとんど休む時がない。仰向いてゐる客は、剃刀が顏の上を走る合間に、同じ顏の上に飛ぶ唾をも感じた。しかし客も、さういふことを一向苦にする樣子もなく、剃刀がちよつとでも顏から離れたなと思ふと、すぐに口をきいたり、聲を立てて笑つたりして、話のなかに割つて入らうとした。口元をおさへられながらも、もぐもぐと口を動かして、嘉助は剃刀を持つた手をしばらく手持無沙汰でゐなければならなかつた。鏡の前にならべた二つの椅子と向ひ側の縁臺との間隔はほんの僅かで、奧行きもそれに應じて狹い所へ、四人も五人もが詰めてゐた。しかし彼等のすべてが、刈つたり剃つたりしてもらふ客ではなかつた。たわいなくしやべつたり、將棊をさしたりするためだけにやつて來る。入れ代り立ち代りやつて來る。雨の日はことにさうだつた。 ひどく不健康な肥り方をしたおかみさんが、白い上つ張りの紐を結ぶ手を後ろへまはすのも大儀さうに、奧から出て來て、亭主の助太刀に取りかかつた。青くふくれた顏をして、欠伸を噛みながら、革砥の音をさせた。すんだ一人が出て行つてしばらくすると、﹁おお寒む、寒む﹂と一向寒さうにもない元氣な聲で云ひながら、また一人入つて來た。コール天のズボンにジヤンバーを着た、二十三四の若者である。將棊をさしてゐる若ものと背中合せに、縁臺の端に腰を下すと、すぐに親爺と話をはじめた。 ﹁ああ、おつさん、タンクを新調したんだね。﹂ 入つて來るなり、先づ最初にそれを云はせるほど、いかにもこのすべてが古ぼけたなかに、新しい桶は眼についた。洗ひ場に据ゑられた、風呂桶を小さくした樣な木の桶である。蛇口から勢よく迸り出る湯のけむりにも、新しい木の香はしみてゐさうだつた。これはこの店としては確かに瞠目に値する出來事だつた。これまでは、漬物桶のやうな桶から、如露で水を汲み出しては、客の頭にふりまいたものだ、冬は汲みおきの水が冷たくて、ふるへ上つた。首を縮め、背なかをまるくしてこらへてゐる客を尻目に見ながら、如露を持つ手を上げ下ろししてゐる嘉助はいかにも心地よささうに、樂しさうであるので、 ﹁ひどい親爺だ。盆栽と間違へてゐやがる。﹂と、云つて恨むと、﹁なにを。一つだつておらとこの鉢植ゑと取り替へつこの出來る頭があるかさ。﹂と酬いた。嘉助には盆栽の趣味があつたのである。 ﹁ほう……鏡までも新しくしたんだね。こりやどうも。﹂と、若い男の工藤はまた云つて驚いて見せた。 ﹁しかし、片一方とはどうしたもんだ。どうせ取り替へるんなら、二つ一緒にしたらいいに。﹂ 二つの姿見のうちの一方は、依然古いままであつた。下のあたりは水銀が剥げてゐて、鏡の用をなさなかつた。罅の入つてゐるところもあつて、紙など貼りつけてあつた。工藤は伸び上つて新しい方の鏡面をのぞき込み、顎を撫でまはしながら、 ﹁やつぱしなア、新しいだけあつて自分のらしい面つらに寫らあ。﹂と笑つた。 ﹁減らず口叩きやがつて……さう何もかも一ぺんに行くもんか。段々とやらんことにや。﹂と、親爺はそれでも得意さうだつた。 ﹁椅子もそのうちにや轉椅子にするこつたね……何にしても、おつさんも今度は金がかからあな。したが、さうせんことにやね……。﹂ 工藤は云ひさして意味ありげに笑つた。それに氣づいてかどうか、むすつとしてしまつた親爺には構はずに、 ﹁山ノ上︵部落︶に今度出來た店のおやぢはありやどこのもんかね……この村の出ぢやあるめえが。﹂ ﹁知らねえな。﹂と、親爺はやはりむつつりしてゐた。 ﹁年は四十かな……もう少し出てるかな、何にしてもめつたに愛想のいいおやぢだ。﹂ ﹁ありや町のもんよ……山ノ上の谷口の親戚やさうな。﹂と、將棊の盤に見入りながら、もう一人の青年の黒川が云つた。 ﹁おい、黒川、お前んとこさも刷り物をして來たらうが……お前、もう行つて見たんか。﹂ ﹁いや、まだや。﹂ ﹁おら、こないだ試しに行つてみた。なアに、まだ別に刈るほどぢやなかつたんだが、丁度町さ行く時だつたもんで。なかなか氣張つてるぜ。轉椅子の三つもあつて、レーザーも舶來なのだ。パリン、パリンつていい音がしやがる。蒸しタオルで蒸したり、ゴムの吸ひふくべみたいなもんで顏中撫でしたり、どうしてもうすつかり町並よ。﹂ ﹁道具ばかし揃へたかて、腕がなまくらぢや。﹂と、こらへかねて嘉助が憤然として云つた。﹁なまくらな職人に限つて、衞生だの何だのといつて、體裁ばかり張りたがるもんよ。﹂ それを云はせたかつたので、思ふ壺にコトンとはまつて來たので、工藤はニヤニヤ笑ひだした。後ろを振り返つて、黒川と、ほかの二人の青年、桐野、塚原と顏を見合してクスクス笑つた。 ﹁素人さ……商賣に失敗したもんで床屋なんぞおツ始めたんだ。當節は床屋もえらく嘗められたもんさ。﹂ ﹁素人だなんて、免状がなくちや店は出せんやないか。﹂ ﹁免状さへ取りやそれでいいつてのかね?……何に限らず一緒に出來るかね、一體、餓鬼の時分から苦勞して叩き上げたものと、ほかの方で食ひ詰めて來て、まア仕方がないこれでもやらうかつてものとがさ。﹂ 青年達の笑ひは、しかし、小馬鹿にした笑ひではなくてかへつて親愛のこころのこもつたものだつた。ここの店のあるじ鹿本嘉助は偏屈もので通つてゐる。若い頃方々の土地を渡りあるいて、十五年前、四十を過ぎてから生れた村に歸つて來た。背中一面の倶梨伽羅紋々とうかれ節と、盆栽趣味とが自慢である。仕事の腕の自慢は云ふまでもない。何でも新しいやり方や流行に對しては一應反對して見なければ氣がすまない。が、勿論ただそれだけのことである。店の内部を思ひ切つて古くさくしておくのなども、金もないし、競爭相手もない村ではそれですむといふことが第一だが、そんな風にして何にともなく拗ねてゐる樣さまに、自己陶醉してゐるのだといふこともある。仕事の方でも例へば西洋剃刀は絶對に使はない。レーザーといふ言葉すら嫌ふ。やかましく吟味した日本剃刀で、長い時間かかつて、毛穴を一本一本、その根まで掘り起すやうにして剃る。﹁お前さん方、レーザーなんどで、さらさらさツとやつてもらつて、一體それで髯を剃つてもらつたやうな氣がするのかね?﹂と云ふ。しかし腹はきれいだし、生活の見聞はこのあたりでは廣い方で話は面白いし、人の泣言は表面は馬鹿にしながら喜んで聞き、その馬鹿にすることのなかにたとへ一いつ時とき﹇#ルビの﹁いつとき﹂は底本では﹁ひつとき﹂﹈でも却つて人を力づけるやうなものがあり、時には經驗がものを云つて實際に助けになることもあるので、人々に愛され親しまれてゐる。青年達は、彼の若い頃の無軌道ぶりと流れ歩いた諸國の物語とが、誇張と修飾とをもつて語られるのを喜んで聞いた。 ﹁ともかくこの店も時勢に合ふやうに少しづつ改造して行かんことにやだめだね。……第一あんなものを今時まだ後生大事と飾つておくなんて……ひどい時勢おくれだ! 先づあれを引き下ろすことから始めにや。﹂と、丁度その時桐野との勝負を終へた黒川が、將棊盤をわきの方へ押しやり、こつちへ向き直つて云つた。ちよつとしたことを云ふにもすぐ激したやうな口調になる若ものである。彼が見上げた所は、姿見の上で、そこには三尺ほどの横額がかかつてゐた。﹁至誠﹂の二文字が讀まれた。 皆、その額の方を見上げた。嘉助も見た。彼はすぐに眼を返して、黒川をじろつと見て、それから默つて鋏を動かしはじめた。怒りがはつきり彼の顏に現れてゐた。椅子には、新しく塚原がかけたばかりのところだつた。 ﹁さうだなア。あの額があそこつからおれ達を見下ろしてるつていふのは妙なものだなア。額なんてものは書いた人間のねうちだ。代議士でも大臣でも縣の出世頭でも、腰繩がついちまつちやおしまひだものな。﹂乙種の農學校を二年まで行つた、ニツケルの縁の眼鏡をかけた青年の桐野が、黒川の相槌を打つた。 ﹁ちげえねえや、胸糞のわるくなる話だ。だが至誠とは皮肉だな。ははははは。﹂工藤のその笑ひはひどく人の癇にさはるやうなものだつた。 嘉助は、憤懣に堪へかねたもののやうに、怒鳴り返した。 ﹁笹沼さんが罪人だつて! 何時誰がどこでさうきめたんだ。云つてもらはうぢやないか。﹂ しかし桐野は負けてはゐなかつた。 ﹁罪人だとは誰も云ひやしない。腰繩がついたとだけおらあ、云つたんだ。﹂ ﹁いいか、お前もな、農學校まで行つた男だ。ちつとはものの理解は出來とる筈だ。餘り人に嗤れるやうなこたア云はんがええぜ。罪人か罪人でないかは何できまるんだ? こりや裁判できまるこつたぜ。ほかのこととは違ふんだ。裁判前にはめつたなことは云はんがええ。人間、誰かて誤解を受けるといふことはある。わしももう二十年の餘も昔の話だが……。﹂ ﹁しかし、火のない所に煙は立たんといふ譬もあるからな。﹂ 何でもない言葉も、工藤から出るとへんに神經にさはり、嘉助はそれきり默つてしまつた。 落款のある片隅には、何かの染みが紋樣をなして殘つて、この店の唯一の異彩であつた﹁至誠﹂の横額も何時の間にかくすんでしまつた。彼等はそれぞれの氣持で、この額がはじめてここに掲げられた時の騷ぎを思ひ起してゐた。後には大臣になつた笹沼重行氏がこれを書いた當時は政務次官だつた。自分の選擧地盤のこの地方に遊説に來て、この村にも足をとどめたある日、ひよつこり嘉助の店へ來て、髯をあたつてくれといふのだつた。これは驚きだつた。嘉助はしかし當り前の客とはどこがちがふと云つた傲岸な面構へで仕事にかかつたが、棚の上に、いかにも持主の愛情がそれと感じられるやうな盆栽を見た笹沼氏が、氣輕な調子で話しかけて來た時には、嘉助の人の好さや、無性な感激性は忽ちさらけ出されないわけにはいかなかつた。笹沼氏にも盆栽の趣味があつた。顏がすんでからも、腰をかけて休み、嘉助が汲んで出した澁茶を啜つて、笹沼氏は話し、嘉助の表現に從へば、二人は趣味の共通が取りもつ縁となつて、その場で意氣投合したのだつた。別れ際に嘉助はいつもの無遠慮な調子で、記念に先生の書が欲しいといつた。約束して去つた笹沼氏をあてにして待つてゐる嘉助を人々は嗤つたが、月を經て、人々も忘れかけた頃、それはほんとうに送られて來た! するとまた人々は、その驚きを率直に現すよりも、あれも選擧のための備への手なのだと云つた。しかし嘉助は年を取り、苦い人生經驗の多くを嘗めても、なほ、人の好意は好意として、その裏は探らずに、そのまま眞直ぐ受けて喜ぶ子供らしさを持つた、少數の人間の一人だつた。これは何でも一度は人の意見に反對して見なければ氣がすまぬやうに見える彼の一面と、決して矛盾するものではなかつた。かうした人間といふものは、そのために後に手痛い目に逢ふことがあつても、それを幾度も繰り返してさへも、一向に性懲りのないものである。裏切られたと知つた瞬間、子供の泣きツ面のやうな妙な顏をするが、すぐにけろツとして、相手の人間の眞直ぐなところとばかりつきあつて、またも騙されるやうな因をつくる。勿論彼は損をするが、他人の知らぬ喜びと幸福のなかに、そのためにひたることも出來るのである。嘉助は、誰にでも笹沼氏の人物を稱揚して止まなかつた。笹沼氏の政派や、彼の政治的意見などは、嘉助にとつては問題ではなかつた、笹沼氏の經歴やその人物に對する世評の如きも問題ではなかつた。彼はただ彼が話し合つたその間かんの印象を頑固に信じてゐるのだつた。やがて幾らも經たぬうちに、笹沼氏が大臣となるに及んで、村人達も驚かねばならなかつた。遠くからわざわざ﹁至誠﹂の文字に敬意を表しに來るものもあつた。しかし時は再び囘轉した! 政界と財界の利け者達が、數珠つなぎになつた事件が起り、笹沼氏の名もそのなかにあつた。 怒りを押し鎭めながら、嘉助は云つた。 ﹁笹沼さんはまだ罪人ぢやないぞ。未決に入つただけですぐに罪人だなんどと誰も云へるこつちやないが。明日にも青天白日の身で出て來るかも知れやせんのだ。だがまた、赤い着物を着にやならんことになるかも知れん。どつちともわしにやむろん分らん。わしには今度の事件がどんなものやら、新聞を讀んだかててんで見當もつきやせん。どつちになるものやら分らんが、どつちになつたかてわしには大差ないこつちや。わしはあの額は決して下ろさんぞ。よしんば笹沼さんが罪人ときまつたかてそれが何ぢやろ。わしは大臣が書いた書だから云うて、あの額を飾つとくんぢやないぜ。大臣だから懸けておく、罪人になつたから引つ込める。人間のつきあひはそななもんぢやなからうが。わしはえらい政治家と附き合つたんぢやないわ。わしはお互ひに好きな鉢植ゑの話をしてあの御人が好きになつたといふまでだ。お前らが何と云はうと、滅多にあの額は下ろすこつちやないぞ。﹂ 嘉助はこつちを睨ねめ附けるやうにした。青年達は彼の興奮にすつかり驚いてしまつた。いつものやうに戲談で受けて、茶花して、わきへ逸らしてしまふことが出來なかつた。それで何となくばつがわるくて、口を噤んでしまつた。 座が白けて來たので、それを救はうとして、黒川が、工藤の方を向いて、 ﹁こないだの、清川んとこの娘の婚禮の道具は大したもんだつて云ふやないか。﹂ ﹁ああ。手傳ひに行つた山田のおつ母が、衣裳を見てぶつたまげて、蟲干しに何日かかるべつて心配しとつたが、おれもトラツクに荷物を積みながら、これが皆米の俵の化けたのかと思ふと、何だか妙な氣がしたよ。﹂ 工藤は百姓の伜だが、運送店で働いてゐるのだ。それで話題もぐつと明るく華やかな方に變つて行つたので、青年達は再び調子に乘つて喋り出した。その清川の娘の嫁入つた先の話も出て、花嫁は料理に堪能で、西洋料理、支那料理なんでもござれだが、肝腎の飯を炊くことを知らない、飯炊きは女中の仕事ときまつてゐたからだ、といふやうなことが笑ひ話にされた。嫁取りといふことから、話はいつか猥雜な方に移つて行つた。隣村の製絲工場の女工と、村の青年との關係がひとしきり噂された。 雨はよほど小降りになつて來たらしい。ガラス戸の向うが明るくなつて來た。嘉助は火鉢に炭をつぎ足し、大きな鐵瓶に水をつぎ足した。そこへ入口に足音がした。入口に敷いた石の上に、泥のつまつた足駄の齒を打ちつけてゐる音がした。戸が開いて、駿介が入つて來た。 駿介は親しみ深い笑ひを浮べて皆に挨拶した。話したことはなくてもどこかで見知つてゐない顏はなかつた。青年達は急に居ずまひを直し、すつかり默りこんでしまつた。駿介はこの店へはまだ二度目か三度目だ。どうも不潔な氣がして來る氣にはなれなかつた、頭を刈るのはいつも用事で町へ出たついでにしてゐた。さういふことが一向苦にならなくなつたのもやつと此頃のことである。 少し待つてゐると塚原が立つたので、そのあとへ掛けた。長く伸ばし、手入れもせずに亂れてゐる髮の上に手をあてて、嘉助は、 ﹁どう刈るかね? あんさん。﹂ ﹁今日はひとつ坊主に刈つてくれませんか。﹂ ﹁全體短くかね? 丸坊主にかね?﹂ ﹁ええ。﹂ ﹁そいつは惜しいや。これまでにするには大へんだぜ。あとで悔みなさんなよ。﹂ 駿介が構はぬといふので嘉助は刈りはじめた。 ﹁あんさん、今までどうしておらの店さ來なかつた。﹂ ﹁べつにどうしてと云つて……町さ行つた時、そのついでにすまして來るもんだから。﹂ ﹁村さ來たら、村のものを贔屓にするもんだ。﹂ ぶつつりと云つたその調子は思はず微笑ませた。それまでひつそりとしてゐた後ろの青年達もクスクスと笑つた。嘉助はその方をじろつと見て、 ﹁お前方、ばかに默りこんでしまつたぢやないか。何も杉野の兄野が來たからつて、そんなに急におとなしくなることはねえぜ。意氣地のねえ人方だ。陰でばかり威ゐ張ばつても、自分等よりちつとでも豪えれえ人間の前さ出るともう口も利けねえ。急に眞面目な話も思ひ出せめえ。遠慮なくさつきの話の續きをやつたがいいや。﹂ そして自分は駿介を相手に話しはじめた。東京も變つたらうなと云つた。どこに住んでゐたかと訊いて、上野の公園の近くにゐたことがあると聞くと、廣小路を中心に天ぷらや壽司の店の名をいろいろあげて、知つてゐるかと訊いた。床屋の話もした。どこそこの親爺の剃刀の腕がいいのだといふやうなことを話した。床屋の渡り職人の生活の佗しさが彼の話から想像されて、駿介は嘉助に親しみを感じた。しかし嘉助の東京は、殆ど震災前の東京だつた。駿介が聞き上手なので彼は益々おしやべりになつた。遊びや喧嘩の話もしだした。話すに從つて若い頃の思ひ出が壓倒するのだ。急に話題を變へて、 ﹁あんさん、あんたは、笹沼さん達の事件をどう思ひなさる!﹂と、彼にはそれが餘程氣になるらしい。 ﹁どう思ふつて……。﹂ ﹁罪になると思ひなさるかね?﹂ ﹁さア、そりやわかりませんね。しかし證據が薄弱だといふやうな説もあるしするから。﹂ 事件の性質のやや詳しい噛み碎いた説明は、嘉助を納得させ、喜ばした。 ﹁さうだらう、それに違えねえ!﹂と、意氣込んだ。後ろを振り返つて、﹁どうだ、お前達、今のをよつく聞いとけよ。﹂と云つた。 頭がすんでからも、駿介は、引きとめられ、そこに腰を掛けさせられた。上機嫌の嘉助は、自分で縁のかけた茶碗に澁茶を汲んで來て、駄菓子を添へてみんなに出した。また話がはずみ、――と云つても、殆ど嘉助の一人舞臺で、その間に挾む駿介のどんなちよつとした言葉でもが、嘉助の熱烈な共鳴を受けるのだつた。青年達はだまりこんでもぢもぢしてゐた。今まで股をはだけて鐵の火鉢のふちにかけてゐた足の持つて行き場にも困つた。彼等のその遠慮はいろいろなものから來てゐた。初對面の人間だからといふ、ただそれだけではなかつた。駿介に對する尊敬はあつたが、どこかおれたちはちがふといふなじめぬものを感じてゐた。しかし、警戒よりはやはり親しさが勝つた。駿介は自分に興味を抱き、自分とかうしてゐる時間を喜び、そこに何かを期待してゐるらしい彼等を感じとつた。彼等はただ表現を持たぬのだ。駿介は二三話しかけてみた。彼等は彼等同士笑つたり、顏を見合せたり、端はしだけ切つて取つたやうな言葉を何か云つたりした。 ﹁あんさん、お前さんのとこさ今度、杜むろ松のきの小つちやな鉢を一つ持つて行かう。勉強しなさる机の端にでもおいて、本を讀んで厭あいた時には見なさるがいい。なかなかええもんだぜえ。厭いたら何時でもほかのものと代へて進しんぜる。﹂ さういふ嘉助に禮を云つて駿介は立ち上つた。皆に挨拶して足駄をつつかけてゐると、一人が後ろから云つた。 ﹁杉野さん、今度、晩げにでも暇な時に一時寄せていただきます。﹂ それらの青年のうち一番年若で、初々しい圓顏の塚原であつた。何時でもみんなで遊びに來てくれと駿介は云つて、そこを出た。 出て行く彼を見送つてから、嘉助は振り返つた。そして云つた。 ﹁いい若いもんだ! お前らもつまんねえ遊びをするひまがあつたら、杉野の兄のとこさ行つて話を聞くんだな。學校さ行つて學があるといふばかしぢやねえ、ものの理解といふものがよう出で來けとる。そんでゐて知つたかぶりをするでなし、餘計なことをくつちやべるでなし、若いがよう出來とる人間だ。苦勞しただけのことはあらあ。おらあ、あそこの親爺とは古くから親ちかしくしてゐるが……。﹂四
年があけて十日程經つた。役所の正月休みの時も過ぎたので、駿介はある日、地方專賣局のある町まで、自轉車で行つた。彼は役所に高野光太郎氏を訪ねた。 彼は世話になつた高野氏に逢つて、一度禮を述べておかねばと思つたのだつた。彼は、そしてまた増段してもらつた煙草耕作者は皆、増段といふことに感謝してゐた。この感謝のこころは傳へたかつた。この結果は、或ひは何も駿介の願出のせゐではないかも知れなかつた。駿介如きものの願出によつて役所が動いたなどと考へることは、じつはあまいのであるかも知れなかつた。それは役所の既定の方針であつて、駿介如きものが願出ようが出まいが、遲かれ早かれさうした結果になるべきものであつたのかも知れなかつた。あたかも丁度そこへ駿介は願ひ出て行つて、彼はまぐれ當りをしたのである。どうやらこの方が事實に合つてゐるらしいし、少くともさう考へた方が、單純な人間との譏りはまぬがれる。のこのこ禮になど行かうものなら、却つて、うぬぼれるな、馬鹿な奴だ、と嗤はれるのがおちな氣がする。それだけの顧みはあつたが、駿介は構はず出かけて行つた。このやうな場合、彼は相手の氣持に深く立ち入り、あれこれと豫想し、附いてまはるといふことを欲しなかつた。相手がどう思はうとこつちの氣持だけを傳へればいいのだ。彼はむしろ、相手に善意のみを感じて單純に喜べる人間であることを欲した。喜べなかつた時にはそれはそれでよく、どう繕つてみる要もないことだが、素直に喜び得た時には、あとからたとへさまざまなちがつた氣持が動くとしても、當初の單純さに從つて行動したかつた。これは何も反省の拒否ではない。彼は生きて行く上の態度としてこの單純さを信じてゐた。さうして行つた方が、相手からなほ多くのとくが引き出されるなどといふこととは違ふ。 道がわるいので七里の道は長かつた。霜解けの道はじくじくして、車輪の囘轉は重かつた。しかし南側が崖になつてゐるやうな所は、霜が淡雪のやうに白くおいて、辷つて轍に落ち込むと薄氷が音して碎けた。崖の土が崩れて大きなうつろになつてゐる所には、七八寸の氷つら柱らがいくつも下つてゐた。それでも山からの水はその崖を傳つてちよろちよろ流れてゐた。風を切つて行く顏の一部分は無感覺になるまで冷えながら、内からのほてりに彼はのどが渇いて來た。自轉車を下り崖に身をすり寄せ、顏をさかしまにして、流れが小さな瀧になつて、空間をまつすぐ下へ落ちてゐるところで、直接口へ受けて飮んだ。口に含むと齒に痛いほどの冷たさで、腹の底まで冷えて行く快さに、思はず太い息をついた。その水に、何か落葉か枯草のやうなにほひが染んでゐると思つた。 殺風景な役所の建物は今日はことに寒々として見えた。庭に、年を經た鼠もちの木が一本、くすんだ緑で立つてゐるのを見て、駿介はこの前ここへ來た時のことを思ひ出した。見覺えのある受附も、休みが續いて、まだ仕事に身が入らぬといつた顏をしてゐた。 しばらく待たされたのちに、高野氏に逢ふことが出來た。 ﹁ああ、あなたでしたか。﹂と、片手に駿介の名刺を持つて出て來るなり、彼はさう云つたが、それは別に、名刺では思ひ出せず、顏を見てはじめて思ひ出した、といふ風でもなかつた、そして受附の窓口の前へ立つてゐた駿介を、この前の時もそこで話した、應接間へ案内した。 ﹁何かまた、用事でしたか?﹂と、彼は、席に着くなり、テーブルの上の兩手の指を組んで、正面から駿介の顏を見て、云つた。 ﹁ええ……。﹂と、駿介は云ひ淀んで、ちよつとつまつた恰好になつた。 高野氏は相變らず瘠せてゐて、堂々としてはゐなかつた。そして、人に接する態度もこの前の時と同じだつた。それは今後何度逢つてみてもいつも同じで、又、駿介ならぬほかのどんな人間に對してもやはり同樣であらうと思へるものであつた。それは駿介にはじめ無愛想と思はせ、次に無愛想といふよりは、かういふ所の勤め人らしく、事務的が身についてゐるのであらうと思はせたものであつたが、その何れとも違ふことを、今日逢つてみて感じた。それは何と云つていいかわからないが、兎も角、人間の生き地ぢからそのまま來るものであることが第一に感じられた。學問や社會的地位や職業などから來るものが、人間の生地に染み込んで、それぞれの人柄をつくる。渾然としてゐる場合は勿論、學問や職業からのものが、より強くにほつて來る場合も、生地は示されない。しかし高野氏に於てはさまざまなあとから附け加つた筈のものよりはただちに生地を感じさせた。それほどにその生地が、何かぎらぎらしたものだといふのではなく、反對に却つてくすんだものだが、あとから附け加つたものがその生地をどう修飾することも出來ないでゐることだけは確かだつた。恐らく彼は異なつた經路を辿り、今とは異なつた職業にあるとしても、依然、今と同じ肌合の人間であるだらう。非常に純粹な人間か、田舍者のあるものなどに見られるものだ。何れにしてもかうした人間が、人として僞りのない、信頼できる者であることを、年の割にはいろいろな人間に接して來てゐる駿介は知つてゐた。かうした人間は、自分が思つただけ、感じただけのことしか云はないだらう。お世辭などは、無論云はぬが、またたとへば、氣の毒な相手の氣持に負けて、心にもないことを口走つてあとで後悔する、といふやうなこともないだらう。從つてまたこつちの心にもない言葉を聞く耳も持たない。當世のある人々をしてそれでは何か物足りぬと感じさせるやうなものがある。――ふと駿介は、高野氏の人間に、自分と同じ土のにほひを嗅いだ。 ﹁――今日はべつに用事でお伺ひしたのではないのです。昨年は突然お訪ねして、御無理をお願ひしたものですから、お禮を申し上げたいと思ひまして。――お蔭樣でどうもいろいろ有難うございました。﹂ ﹁ああ、あの事ですか。いや、あれは何も私の力でもなんでもないのです。﹂と、彼はあつさり云つた。 ﹁役所としてもこの地方の煙草畑は増段の方針でゐるところなのです。しかし外部からの刺※﹇#﹁卓+戈﹂、U+39B8、196-上-5﹈があるとないとではやはり違ひますから。それであなたがああ云つて來て下すつたといふことは、非常に好かつたのです。 どうも、といふ氣持で駿介は輕く頭を下げた。 ﹁さうすると何ですね。あなたも今年からはいよいよ自分で煙草を始められるわけですね。﹂ ﹁ええ。﹂ ﹁煙草はえらいですよ。夏の暑いさかりに芽を摘む時なんか、木と木との間をまるで這ひるやうにしてやるんです。着物のはしにちよつと觸れただけでも葉の裂けることがありますからね。煙草の脂やにと汗が一緒になつて眼にしみる。からだ中、どこもかしこも脂でべとべとになる。手拭ひでふけば拭いた手拭ひが黄いろに染まる。その手を洗ふ間もなく、――洗つたところでさつぱりとはなりやしないが、その洗ふ間も惜んでその手でつかんで握り飯を食ふ、まだ口のなかをもぐもぐさせながらまた這ひ込んで行く。何しろ忙しい眞最中ですからね。煙草ばかりぢやないですからね。水田だつてまだ除草が殘つてゐたり、ボルドウ液を撒いたりしなきやならん時なんだから。それからまた乾燥が始まつてからがえらい。不眠不休ですよ。過勞と睡眠不足で眞黒になつて瘠せてしまふ……。﹂そして彼は附け加へた、﹁からだは充分注意しなきやいけませんよ。倒れつちまひますからね。﹂ 駿介は心に驚きをもつて高野氏の顏を見た。彼の言葉には實感が籠つてゐたからである。 ﹁ええ、――私も去年は少しばかり手傳ひをしたものですから。﹂ ﹁ああ、さうでしたね、お父さんの畑を。﹂少し間をおいて高野氏は云つた。﹁――私は子供の時は家で煙草をやらされたものですから。忙しい時には學校を休んでやらされました。﹂ ﹁ああ、さうでしたか?﹂と、駿介は感動して云つた。彼には高野氏の人柄のもととか、そのほかいろいろなことが一時にわかつた氣がした。 ﹁失禮ですが、どちらですか、おくには。﹂ ﹁S――縣です。﹂と、高野氏はずつと南の方の國の名を云つた。﹁K――煙草の名でしられてゐる、煙草の産地です。﹂ やはり農家の出なのだな。それについて駿介はもつと訊きたい氣がしたが、無躾であると思つてやめてしまつた。 ﹁私の故郷などとはちがつて、この縣などは、煙草産地としてまだ新進の方ですから、それでまアいろいろやりいいといふこともあるわけです。殆ど米國種ですからね。年々少しづつでも段別も殖えてゐます。役所の方でも殖やさうといふ方針だし、耕作者の方はまだまだ殖やしてもらふことを望んでゐるんですから。﹂ ﹁私の村なども、煙草を始めたのはまだここ七八年來のことのやうです。私の子供の頃にはおぼえがありませんから。﹂ ﹁この縣でも西の方ではだいぶ以前から作つてゐたんです。勿論内地種でしたが。近頃東の方でも作るやうになつて、昭和五年から八年までの間に、縣全體で一躍三百町ほど殖えましたが、これは全部米國種なのです。﹂ ﹁どうして近頃は米葉ばかりなのですか。﹂と、これは幼稚な質問だといふ氣がしながら、駿介は訊いた。 ﹁消費、需要方面の變化ですよ。――昔は刻みばかりでしたね。それが世界大戰後の好景氣の頃から、百姓まで紙卷を吸ふやうになりましたが、それもはじめは口付がおもだつたのが、今は兩切が全盛です。一時煙草といへば敷島を思ひ出したほどのあの敷島など、今ではまるで影を消して、その代りに兩切りの新裝品がたくさん出てゐるでせう。これは無論安いからですよ。上級品から下級品へ移つて來たわけです。それに嗜好の變化といふこともあります。これは食物の變化に伴つてゐるわけで、淡白な刻みや口付よりも、味の濃く強い兩切の方が、今の人間に喜ばれるのは當然でせう。そしてこの兩切の原料は外國種なのです。刻みや口付は内地種ですが。しかし外國葉の輸入はできるだけふせがねばならんでせう。内地産の外國種といふものがそこで重要になつて來たわけです。この地方が煙草産地の新進だといふのもさういふことです。――あなた方は國の産業から云つてもなかなか重要な任務の擔當者ですよ。﹂高野氏は微笑した。 ﹁すると、昔からの内地種の高級品の産地といふものはどうなりますか? さういふ地方の農民は困ることになりやしませんか?﹂ ﹁さうです、さうです。﹂と、高野氏は強くうなづいた。﹁困ることになるんです。これは私共の最も頭を惱ましてゐる問題の一つなんです。從來のままでやつて行ける所もあるが、どうしても新しい品種に轉換しなければならぬ所も多いのです。しかしどこでもがうまく轉換できるとは限らない。いろいろな條件がいることですからね。米國種は大體寒い所はだめです。病害にも弱いのです。それから乾燥方法が内地種の聯干とは違つて火力乾燥ですから、乾燥室に金がかかり、今迄よりも固定資本が要つて、下層農民にはなかなか作れないといふこともあります。その上從來の内地葉の高級品に比べて、米葉の賠償金がよほど安い。内地種一瓩二等品なら一圓八十錢とすると米葉は一圓四十錢といふやうな工合にですね。――それらのいろんなことのために轉換がうまく行かなくて、昔有名だつた煙草の産地で沒落したといふ所もずゐぶんあるんです。私の郷里などはその一つですが。作りたくもまた作らせたくも、さうすることが出來ない。さうかといつてまるでほかのものに轉換しても煙草ほどの收益はあげられない。勞働はえらいけれど、うまく行けば煙草ほどの現金收入の得られる仕事は今の農村にはさうたんとはありませんからねえ。さういふとこの百姓は實に氣の毒なことになるんです。うまく轉換できるやうにわれわれとしてもいろいろ研究はしてゐますが。﹂ ﹁あの……專賣制度﹇#﹁專賣制度﹂は底本では﹁專賣度度﹂﹈といふことになると、どうしても免れ得ないことなのかも知れませんが、耕作者に對する取締規則といふものはずゐぶんきびしいものですね。私達のやうな初心なものには煩瑣にすぎるやうな氣のすることもありますが、それからどうも納得の出來ないことも……農業技術上の事とは別に、さういふ制度上の事も、今お話になつたやうな事柄について障害になつてゐるといふことはないものでせうか。﹂ 今日はまだ二度目の面會だが、さういふことを樂な氣持で駿介に云はせるだけのものが、高野氏の側にあつた。 ﹁さうですね、さういふことは確かにあるでせう……何か此頃特にお氣附きになつたことはありますか。﹂ ﹁ええ……取締りといふことではありませんが、たとへばかういふことは如何でせうか。乾燥は私の方だと大體八月下旬には終ります。ところが收納は去年は十二月もよほどしてからでした。はじめは月初めだといふことでしたが、變更になつて。かう遲くなると葉煙草の品質がぐつと落ちてしまふと云つてみんなボヤいてゐます﹇#﹁ゐます﹂は底本では﹁るます﹂﹈。折角丹誠して仕上げ、黄變も彈力も申し分なく出來たものが、そのいい状態に於て納められないで、風に當り乾きすぎ、適當な濕度を失つて、品質が落ちてから納めることになりますから。そのために等級が下つて、賠償金が少くなるのですから、大きな痛手です。なんとかならないものでせうか?﹂ ﹁さうですね、確かにそれは問題ですね。……さういふことは役所の側だけのことで、それも制度をどうかうするといふやうなことはないのですが、……しかしまた單純に事務上のことでもなく、事は豫算にも關してゐますから……﹂ そのあとを高野氏は何故か言ひ淀み、そのまま口を噤んでしまつた。 ﹁役所の仕事といふものはとかく難しいですよ。﹂と、高野氏は微笑した。﹁云ふまでもないことですが、私なら私がどう思つても、自分一人の仕事ぢやありませんから。よく、係りがちがふから、とか、そのやうに話しておきませう、などといふのを役人の常套的な、無責任な逃口上とだけ取られ勝ちですが、實際誠意はあつてもさうしか云へない場合は多いのです。しかしそれにもかかはらず、あなた方からかういふことを云つていただくといふことはいいことです。私などもなかなか思つた通りのことはやれません。一頃はどうも役人は面白くないと思ひましたが、此頃はまたさうでもありません。自分ではべつにずるくなつたのでも、諦めたのでもないつもりですが、一ぺんに成就する事柄といふものは何に限らずない。十とを思つたことが一つしか實現出來なくても、やるべきことはやらなくちやならない、自分にやれるだけのことは力を盡してやつて行かうといふ平凡なところに落ち着いてゐるのです。﹂彼はチラと腕の時計を見て、それから駿介の顏を見た。﹁私も無理をして學校をやつたのですが、あなたのやうに、家へ歸つて百姓をした方がましだと考へたこともありましたがね。﹂と云つてまた微笑した。今迄の彼になかつた、人懷こい顏になつた。 ﹁これからも時々お話にいらつしやい。そしてお氣づきのことは遠慮なく仰つて下さい。﹂ さう云つて高野氏は立ち上つた。駿介も立ち上つた。叮嚀に禮を返して、彼は戸外へ出た。五
町へ來たついでに、本屋へ立ち寄つて、新刊の棚を見て行くことを、駿介はたのしみにしてゐた。ここはふだん行き慣れてゐる、縣廳のある町ではない。中等以上の學校とてもべつになかつたから、本屋の棚は貧しかつた。が、それでもそこには遠い國の中央からの文化のおとづれがあつた。駿介はむさぼるやうな眼で一段々々棚を見て行つた。心を惹かれる書物があると、手に取つて見た。ケースをすべり出る本のしつとりとした重さ。新しい紙と活字のインクのにほひ。はじめて人の手に開かれる分厚い本の頁は、小口でくつつき合つてゐて、彼の手の下でパラパラと鳴つた。その頁をひらく、皮の厚く硬い荒れた指先も、全體の風體そのものも、本屋の店先などには似つかはぬやうなものに、わづか一年足らずのうちに變つてしまつてゐた。それに伴つて書物といふものに對する彼の感じも亦變つてゐた。彼には新刊と思へたが、事實はかなり以前の發行で、箱の上に薄く埃の溜つてゐるのをプツと息で吹き拂ひなどして、手にした本を、何か貴重なものでも扱ふやうに再び棚のなかにおさめた。今日は、通俗醫學書の詰つてゐる棚も探して丹念に見た。妹のことを思つたのである。しかし彼のふところは乏しかつた。 雜誌を一册買つて、間もなくその店を出た。外は、わびしく和やかな冬の日ざしがあたたかだつた。道路に落ちるものの影を見るともう晝過ぎだつた。彼は眼についたうどん屋へ入つて行つた。一杯のうどんかけで腹ごしらへをすまし、葉の屑がゴミのやうに浮いて來る番茶を、縁の缺けた大きな湯呑みに注いで息を吹き吹き飮んでゐると、いい工合にからだがなかからあつたまつて來た。のんびりとした氣持になり、店にはほかに客とてもなかつたので、買つて來た雜誌を漫然と開いて見たりなどしながら、しばらく休んだ。 歸りの道は非常にゆつくりと踏んで、短い冬の日ざしがもう陰りはじめた頃に彼は家へ歸つて來た。入口を入ると、上り口に腰をかけて、母と話してゐる男の後ろ姿があつた。 ﹁ああ、お歸んなさんし。――お邪魔さして貰うとりましたです。﹂ 足音に振り向いて、少し腰を浮かしかげんにしながら男は云つた。 ﹁まア丁度ええとこさ歸つて來た。お引き止めしといて、ほんとによござんした。﹂ 母は云つて、それからしきりに上れとすすめ始めた。 同じ部落の廣岡卯太郎だつた。過度の勞働に背骨がまがり背中がまるくなつてしまつてゐるやうな彼は、今日はことに着ぶくれておかしな恰好だつた。何枚も重ねて着た上に、何かけものの皮を鞣して裏打ちにした袖なしを着てゐた。子供がよくするやうに、眞綿をまるくしたのを首に捲いて、一口云ふ毎にこんこんと咳き入つた。 ﹁どうもすつかり風邪を引き込みましてなあ。今度の風邪はなかなかにしつこいもんで……もう疾うにお伺ひしてお願ひせんならんことがあつて氣になつとつたんぢやが。﹂ 五十餘りの、瘠せて狐のやうな顏をした貧相な彼は、いかにも病後らしく一層老いて、疲れて元氣がなかつた。 彼等は上へ上つて、向ひ合つて坐つた。 ﹁何時ぞや、一度訪ねて見えたと親父さんに聞いて居りましたが、その節は留守にしてえらう失禮しました。そのうちまた見えられることと思つてゐましたが、一向見えなさらんもんで……何かわたしに用事でも。﹂ ﹁ええ……あんさんに一度よつく聞いてもらうて力になつて戴きたいことがありましてな、それで伺つたのぢやが。こないだ伺つたあの次の日からすつかり寢込んぢまひまして……わしにはまるで珍らしいこつてす。……ナニ、ほかのこつてはありません、わしらの旦那伊貝さんの田圃のこつてすが。﹂ ﹁ああ、さうですか。――それでどういふ?﹂ ﹁八幡さんの森の陰にあたるへんに伊貝の土地が少しばしあるが……御存知かな?﹂ ﹁はア……あのあたりですか。﹂と、駿介は、云はれた伊貝の土地といふのはどこか知らなかつたけれど、八幡さんの森の陰といへばあのへんだと頭のなかに思ひ浮べた。 ﹁あすこでわしは伊貝から借りてほんの少しばし作つとりますが、そのわしのすぐ隣りで畑浦――御存知でせうがな。――あれがまた作つとりまして、一段歩ほどぢやが、これがまた、伊貝の田圃です。ところがな畑浦が去年の秋限り、その田圃を作るのを止めて了ひましてな。﹂ ﹁へえ、どうしてですか。何かまた年貢の問題ですか。﹂ ﹁年貢は年貢ぢやが……自分の方から投げ出したんですわ。﹂ ﹁ほう、自分の方から。﹂と、駿介は、これはまた珍らしいといふ氣がした。この土地飢饉に惱んでゐる地方で、どういふ理由があるにしろ、自分から作ることを止めるといふのは近頃餘り聞かないことではないかと思つた。それに駿介の知つてゐる畑浦はやはり一人の貧農だつた。年貢のことでたとへどう縺れようと、自分からあつさり土地を手離せるやうな身分ではなかつた。 ﹁一體どんな風に縺れたんです、年貢のことが。﹂ ﹁別に縺れたといふわけぢやありません、――作つとつちや引き合はんけに、損が行くばつかしぢやけに、それで投げ出したんですわ。そりや實際、畑浦で無うても投げ出したくもなりますわ。わしが借りとるぶんも同おんなじやうな田圃でなあ。どうも大した年貢なんです。若いうちはええが、年を取つてからだが弱つて來るちうと、なんぼにも根氣が續かんけんなあ。バカバカしい、こななえらい目えして、といふ氣持ばかしさきに立つやうになるんですわ。なんぼ田圃飢饉ぢやからとて、こななえらい目えしてこなな田圃まで作らんならんこたアないと思ふのは、わしかて此頃しよつ中のことですわ。別して去年みたやうに出來のわりい年にぶちあたるとなあ。したがいよいよ投げ出さうとなるとやつぱし未練が出で來けて……あなな田圃ぢやからとて、全く作らんとなりややつぱし困ることになるんぢやからして。それどこか、人の投げた田圃まで欲しいといふ氣まで起すことになるんです。﹂ ﹁一體、その年貢といふのはどの位なんです?﹂ ﹁石三なんですわ。﹂ ﹁はア?﹂と、これには駿介は一寸出端を折られた感じだつた。一段歩に一石三斗の年貢は、それほどに驚かねばならぬ高額であるとは駿介には思へなかつた。この地方で一段歩に六俵は普通だから、石三の年貢はそのほぼ半分である。收穫高の半分の年貢といふのはこの地方では一般に普通のことである。いや、この地方のみならず、日本全國を通じて、小作料の平均額はほぼさういふものとされてゐる。廣岡の歎きと訴へから、何か法外なものを豫想させられてゐた駿介は、やや意外な氣がした。勿論この小作料の平均額は現在がさうだといふことである。現状がそのままで果して合理的であるかどうか、それを檢討しようとする立場にもいろいろあるわけだ。大學教授、農林省の官吏、産業組合の理論家、小作組合運動者などが、合理的な小作料といふものを求めて、いろいろな説をなしてゐる。しかし今駿介の眼の前にあるのは、病み衰へた一人の老貧農に過ぎない。彼が世間の平均以下を求める強い主張を云はうとするのだとは思へなかつた。 ﹁はア石三ですか。それで……そこはどれくらゐ取れるんですか、やはり六俵ぐらゐですか。﹂ ﹁二俵半ですわ。﹂ ﹁ええ?﹂と駿介は今度はまたひどく驚かされた。我耳を疑ふやうに聞き返した。 ﹁ええ? いくらですつて?﹂ ﹁二俵半ですが。﹂と、廣岡は同じ言葉を繰り返した。 ﹁二俵半て云ふと……﹂と、駿介は口ごもつた。――﹁ぢや、一石ですか。﹂ ﹁はア、一石なんですわ。﹂ 風邪でつぶれてしまつた喉から押し出すやうにして嗄れた聲で老人は答へた。急にこんこんと咳き入つて、喉をゴロゴロと鳴らした。強く咳拂ひをして、からんで來た痰を切つてそのままぐつと呑んでやつて、袖で口のあたりを拭ふと、しよぼしよぼした眼を瞬いて駿介を見た。 驚いて、すつかり驚いてしまつて、駿介はすぐにはものを云ふことが出來なかつた。彼はさきに聞いた一石三斗といふ年貢と、たつた今聞いた全收穫の高が一石であるといふことを、どう結びつけるべきであるか、咄嗟には分らなかつた。それで彼は色々考へて見たが、やはり納得の行くやうな考へがどうにも思ひつかなかつた。ふと彼はどつちかが思ひ違ひしてゐるのではないかと思つて一石といふのはやはり一段歩の全收穫量なのかと訊ねてみた。答へは勿論さうだといふことだつた。それを聞いてしまつてから彼は、年貢だけを一段歩の標準で云つて、全收穫をほかの單位で云ふわけはあるまいし、問はでものことを訊いたと思つた。が、それにしてもやはり彼には分らず、一段歩に二俵半といふ異常に少い全收穫量もさることながら、年貢が全收穫量よりも多いといふことは一體どういふことなのか、どうしてさういふことがそもそも可能なのか、考へがつかなかつた。かういふことは自分は見たことも聞いたこともないが、この地方では別に怪しむに足りぬことなのであらうか。農村の實情についての無知識を曝露することになるが、彼は訊いて見るのほかはなかつた。 ﹁わたしにはどうも分らんのですが……年貢が、全體の取れ高よりももつと多いといふことは一體どうなんです? どうしてそんなことが出來るんですか。足りない年貢は一體どうして拂ふんですか。それよりも、第一、それぢや何のために一體そんな田圃を作つてるんですか。あなたはさつき、こんな田圃でもやつぱり、全く作らんとなると困ると仰つたが……。﹂ ﹁困るんです、そりややつぱし作らんとなりや困るんですわ。﹂と、老人はこつくり頷くやうに頭を二度三度下げて云つた。﹁裏作がありますんで。年貢の足らん分は、借りてでも買うてでも納めます。﹂ ﹁裏作が……ああ、さうですか。﹂ 迂闊であつた駿介は、何もかにも一遍でわかつた。 ﹁裏作だけが目的なわけなんですね……表作はその全部が年貢にも足りんほどでも、人から借りて足たし前まへをせんならんほどでも、裏作があるもんだから、その收益が云ふに足りんほどのものでも、それをあてにして、作つてゐるといふわけなんですね? それでそんな田圃からも離れられないと云ふわけなんですね?﹂と、駿介はひどく興奮して云つた。 ﹁さう、さう、さうなんですわ。﹂と、廣岡も、駿介の興奮にひきこまれるやうに、急き込んで云つた。 駿介はしばらく默つてゐた。廣岡も默つてゐた。少ししてから、 ﹁で、裏作は何を作つてるんです。やつぱり麥ですか?﹂ ﹁ええ、わしは麥と煙草をやつとります。﹂ ﹁麥と煙草……兩方ですか。すると稻とで三毛作なわけですね。﹂ ﹁さうですわ。三毛作なんです。一番に麥を植ゑて、こりや夏前に刈りませうが。その次あ、煙草の本畑になります。これも夏うちに乾燥がすみますわな。それからがいよいよ水田ですわ。大あわてにあわてて……忙がしいこつてす、まるで瘠せ馬の尻を引つぱたくみたいなもんで……。﹂ ﹁忙がしいでせうね!﹂と、駿介は思はず溜息をついた。 駿介は、東京を中心とする地方の、關東の諸地方の農村を思ひ出してゐた。學生の頃、彼も時折ハイキングのコースなどを辿つたこともあつたが、その道々眼にした田舍の風景は、その頃こそ別に氣にも止めずに見過してゐたが、今思ひ出してみればたしかに彼の郷里とは違つてゐた。秋の終りから冬の間中、田圃の多くは、秋に稻を刈つた時のままの姿で放置されてゐた。切株がすつかり黝ずんで、田の上には水がじくじくして、所によつては切株の上近くまでをひたしてゐた。それらは深田や瀦ちよ水田や濕田で、水捌けがわるく、裏作は出來ないのだつた。ところが彼の郷里では排水設備だけは完備してゐた。それで田もそのほとんどが乾田だつた。そのことと氣候の温暖とが相俟つて、三毛作さへも可能であるわけだ。さうでなければまた、わづか三段か四段の土地で、どうにか一家をやつて行くといふことは考へられぬことであらう。 ﹁まるで瘠せ馬の尻を引つぱたくみたいなもんで……。﹂廣岡のこの言葉が、駿介の耳から離れなかつた。廣岡はその形容で自分達と土地の双方を云つたのかも知れない。駿介には、瘠せて骨ばつた、さうしてその上を鞭打たれて赤裸かになつたやうな馬の尻と、甘あま土つちが薄く、すつかり養分を吸ひ取られて、カサカサになつてしまつたやうな瘠地の肌とが、この上ない相似性をもつて眼に見えて來るのだつた。 ﹁……だとすると、作物の出來だつて自然良くないといふことになりませうが。﹂ ﹁さうです、さうですとも――急がなきやなりませんから、麥だつて、早目に刈つて了はにやなりません。もつとも麥は少し早目の方が却つてええなんどと云ふ者もあるにやありますが……煙草も本畑への移植がほかとはずんと後れるよつて、どうしても晩作ぢや。しかもそいつを、あとに肝腎の稻が待つとるよつて、人のよりも早うにすまさにやならん。自然、もう少し熟さにやならん、今摘んだんぢやあかんちうことが、みすみす分つとる葉までも急いで摘んでしまふことになります。結局は云はんとも知れとることですわ。乾燥しても黄變がよういかんけに、ろくな葉は出來よりやしません……稻だつてさうですわ。なにせえ、八月になつてから植ゑ附けるんだによつて、しつかり實の入るひまもなも無いやうなもんです。さつき二俵半と申したですが、ありやええ時のこつてす。去年なんざアひどくつて……そんで、わしらとこぢやしよつ中青米です。實の入らん青米ですわ。こりやあんさんなんぞ食うたこたアありませんぢやろが。苦にがうてただ炊いたんぢや食へやしません。そんななア、碎いて、蓬よもぎのなかさ入れて、團子にして食ふんですわ。さうすりや苦みが消えますよつて。……わしら米麥半々の麥飯なんぞ食うたこたアありやしませんぜ。いつだつて、二升の麥に三合の米入れて炊くんですわ。味噌つくる麹にや、碎け米のほか使つたこたアありやしません。……なんしろ、さうで無うてさへ瘠せた田圃を、後から後からと苛めるんやけに。肥えるひまなんぞありやしません。土地だつて生きもののひとつこつてす。たまにや養分をやつて休ませんことにや。﹂ ﹁元來が惡田で普通なみには取れないんですね。それでそれだけぢや間に合はないから裏作をやつてひどく無理をする。それで益々土地は瘠せる……三毛作だと云ふことと土地が瘠せてゐるといふことと、兩方から來るんですね、たつたそれしきや取れないといふのは。﹂ ﹁さう、さう、さうなんですわ。﹂ ﹁どうなんでせう、どうしたつて普通にはなれない惡い土地なんでせうか?﹂ ﹁そりや惡い土地にや違ひやしません。ぢやが、金と時間をかけて甘土を肥やしさへすりや、良うならん土地なんてものもありやしませんわ。﹂ 廣岡はぶつつりと云ひ切つた。云はれて了つてから、いかにも分りきつたことを訊いたものだと駿介は思つた。そして、その分り切つた事がその通り廣岡の手によつて出來るのであれば、何も問題は無いのだつた。 ﹁八月も餘程經つてから稻を植ゑるとなると、それはどこから持つて來て移植するんですか? 無論苗代からぢやないでせうし。﹂ ﹁そりや、ほかの田圃の稻を取つて來てそこさ移すんです。……稻の苗はかう、八寸四方の四角に植ゑますやらう、﹂廣岡は手を上げて、ものを植ゑ附ける恰好をして見せた、﹁そん時、その四角の眞ん中に一本づつ餘分に植ゑつけておくんです。その一本づつを後になつて引つこ拔いて來て、さつきの、煙草のあとの田圃さ植ゑるんです。その引つこ拔くのがまたえらいぜえ、八月の末にもなりや、もうしつかと根を張つてゐるけんのう。汗と泥とでびしやびしやぢやが。﹂ ﹁……それで何ですか、畑浦の投げ出した田圃といふのは、今もそのままになつてるわけですか?﹂ ﹁さうです、そのままになつとりますわ。今でも刈株が殘つとります。暖かうなりやぺんぺん草が生えるこつてござんせう。﹂ ﹁それでも年貢は下げんのですか? たとへ僅かでも作れば出來る土地を遊ばせておくといふ法はないですね。村のためにも、大きくは國のためにもならんことですがね。何よりもこの土地の狹い地方に勿體ない話だ。――年貢を下げて作らせるやうにすれば、小作人が喜ぶばかりぢやなく、第一自分もとくだらうと思ふが。﹂と、駿介には伊貝の氣持がどうにも解げせなかつた。﹁しかしどうもそれぢやほかに望み手もないわけだ。﹂ ﹁さうなんですわ。それぢやなんぼにもみんなよう辛抱し切れんけに。何しろ年貢を金で買うて納めにやならんのやけに。それで普段は田圃の取り合ひをしくさる連中までがそこばつかしは御免を蒙つとります。わしが畑浦のと似たやうな田圃をどうにか辛抱して作つてをれるのは、全く煙草があるからですわ。米と麥とで年貢がすませりやまアよろしい、煙草が儲けになりや、と諦めとるんです。煙草だけ目當てに土地を借つとるやうなわけです。煙草を作つとらん畑浦が投げ出したなア無理ありません。まるで年貢を納めるためだけに土地を借つとるやうなもんですけに。﹂ ﹁それにしても畑浦も思ひ切り好すぎたなあ、伊貝さんによつく理解の行くやう頼み込んで見たらよかつたのに。餘り話しても見なかつたんでせう?﹂ ﹁差配の沼波には話したんです。伊貝の旦那には話しやしません。なかなかさう心易う話せるもんぢやござんせん。――それでなあ、杉野のあんさん、﹂と、廣岡は改めて杉野の名を呼んで、駿介を見た。 ﹁折入つてあんさんに一つお願ひぢやが、聞いておくんなさるまいか。やはりわしらぢやあかん、やつぱし學のある人でなけにやあかんよつて、一つ是非にと思つて、それで今日はお邪魔に上りましたやうなわけですが……。﹂ ﹁わたしが皆さんのお力になれるかどうかはわかりませんが……それでどういふ――﹂ ﹁畑浦が投げ出した田圃をわしが作りたいんですが……わしに作らして貰へるやう伊貝の旦那にあんさんから一つ願つて見て下さらんでせうか。﹂ ﹁ほう、あなたが作りますか、その田圃を。﹂と、云つて、駿介は云ふべからざる一種の感動を受けた。 廣岡はさういふ小作地を作ることの苦痛をなげきを以て述べて來た。しかも彼は畑浦のやうにその土地を投げ出さうとするどころか、人が投げ出した最惡の田をまで拾つて耕さうといふのだ。さうせずには居れないのだ。それほどまでに土地を欲してゐる。それほどまでに土地に結ばれて生きてゐるのだ。この事實が何よりも先づ強く駿介の心を打つた。 しかし廣岡とても新しくその土地を耕すに當つては、今迄の條件を改善して貰ふことを願はないわけにはいかなかつた。さうして貰はなければ安心して土地は作れなかつた。そしてそれについて駿介の助力が願はれるのだ。今迄の通りの條件でいいといふのなら、伊貝にして見れば畑浦から廣岡に乘り代へるだけのことだから、廣岡自身の交渉で事はすむだらう。しかし状態の改善といふことになるとさうはいかなかつた。 ﹁あんさんが力を入れて下さつて、それでいよいよ駄目ときまりや、わしもすつぱりと諦めますわ。そん時は今まで通りでも結構やけに、わしに作らして貰へるやう頼んで見て下さるまいか。﹂ 廣岡はさうまで云ふのであつた。 駿介は義憤をさへも感じた。これほどまでに眞摯な生活者の願ひといふものは少ない。そしてこれはまた單純な小作料の減免ともちがふ。事柄は小さくても、國と社會にとつて重要な農村の生産力がなほざりにされてゐるのを救ふといふことでもある。廣岡がたとへそれでいいと諦めたところで、決して今迄通りの條件が許されていいといふわけのものではない。 駿介は暫く默つて、火鉢の灰のあたりを見つめてゐた。やがて顏を上げて、廣岡を見て云つた。 ﹁わたしは伊貝さんといふ人には一度も會つたこともありませんが……いいでせう、話して見ませう。わたし直接にか、誰か人を介してか、……兎も角、話してみませう。云ふことが通るかどうかは分らないことですが。﹂ ﹁どうぞまア何分よろしうお願ひ申し上げます。﹂ 廣岡は、膝の上においた兩手をきちんと揃へて、低く頭を下げた。 ﹁畑浦の方は伊貝とはもうすつかり手が切れてゐるんですね? この話に對して畑浦の方からべつにどうといふことはありませんね?﹂と、駿介は訊いた。 ﹁ええ、ええ、そりやもうすつかりけりのついとる事ぢやけに。﹂ 二三世間話をして、やがてあたりが暗くなりかけた頃に、廣岡は歸つて行つた。 駿介はかなり興奮してゐた。廣岡の話の内容、彼からものを頼まれたこと、そしてそれを引き受けてしまつたことに對して興奮してゐた。﹁いいでせう、話して見ませう﹂とはつきり肯うけがうた自分の言葉に對しても興奮してゐた。何しろかうしたことは始めての經驗であつたから。 彼は廣岡に、もつと詳しく訊いておかねばならぬことがあつたやうな氣がした。また頼まれて、その場ですぐに受け合つたのは、少し輕はずみではなかつたかと云ふやうな氣もした。それまでにもう少し何か考へて見ねばならぬことがあつたのではないか。少し考へさせてくれ、とでも云つて、一先づ彼を歸すのが至當であつたのではないかとも思つた。 しかし、事は何しろ餘りにもはつきりしてゐた。事柄そのものは、誰も疑ふ餘地がなかつた。いやしくも、常識のある人間ならば、それがどうでなければならぬかについては、異論などあるべき筈がないと云へる性質の事柄だつた。 今のところ、かうした問題が起つた時に、駿介が、意見を尋ねたり、相談したりすることが出來るのは、父の駒平だけである。學問なぞはないけれど、父の圓滿な常識と、生活が生んだ叡智と、六十年の經驗と、圭角のとれた練れた人柄とに、駿介は信頼してゐた。 ﹁お父つあん、今日、廣岡の親爺さんがやつて來ましてね。﹂と、それから間もなく駒平が外から歸つて來ると、駿介はすぐに云つた。そして夜になつて寛いだ時に、廣岡が持つて來た話の内容を父に告げた。 ﹁わたしは初耳だつたけれど、そんなことがあるんですねえ。ちよつと驚いたな。﹂ ﹁ありや札つきの田圃やけんなあ。何も畑浦がはじめてぢやないわ。今迄入れ代り立ち代りして何代も代の代つて來とる田圃でな。あれぢや今に作るものが無うなるやらうと、人事ながら氣になるんぢや。﹂ 事實を知つてゐる駒平は別に驚きもしなかつた。しかし無關心ではなかつた。炬燵の上に片頬を寄せて、壁の方を見てゐる眼は、考へ深さうな色を見せてゐた。彼は廣岡がそのやうな話を、餘人ならぬ自分の息子の所へ持つて來たといふこと、そのやうな相談を持ちかけられた自分の息子の身の上について考へてゐるのだつた。 ﹁無論こんなことはどこにもここにもあるといふやうな話ぢやないでせう。﹂ ﹁そりや、ない。﹂ ﹁何も難かしい理窟なんぞぢやない、世間一般の常識に外れたことだと思ふがなあ。小作料が何に基づいてきめられ、どのやうにして今の平均に落ち着いてゐるかについては色々説明もされるでせうが、何れにしたつて全體の收穫量が根本の基準でせう。全收穫量がこれこれだから、その何割を地主、何割を小作、といふ風に分けてるんでせう。さうでなくちや兩方が立つて行かんのだから……全收穫量より多い小作料なんて聞いたことも見たこともありやしない、徳川時代だつて、五公五民とか七公三民とか云つたんですからね。﹂ ﹁うん。﹂ ﹁何でせう、伊貝の土地だつて何も一率に一石三斗といふわけぢやないんでせう。多いところは多いやうに少いところは少いやうに取つてゐるんでせう。﹂ ﹁そりや、さうぢや。上田で七、八俵取れるとこは石六斗の年貢ぢや。大體このへんの年貢は石二、三斗から石六斗までやから……。﹂ ﹁そんなら廣岡の田圃だつて全收穫が二俵半なら一俵と少しの年貢にするのが常識でせうがね。﹂ ﹁一石二三斗はこのへんぢや安い年貢の部ぢやけに、そのなかさ籠めて了うたんぢやらう。﹂ ﹁そんな無茶なこと。﹂ 駿介は、父が、今日に限つた事ではないが、彼の感情にそのまま乘つて來ないのが、今日は非常に物足りなかつた。 ﹁それは何ぢや、地主は裏作のことも勘定さ入れてるからのことなんぢや。表作だけやつたらむろんそななこと絶對に出來るこつちやないが……。﹂ ﹁しかしまともな年貢の所にだつて裏作はあるんだから。――そんなふうに云やあ、裏作にも年貢をかけるといふことになるぢやありませんか。それぢや世間一般の仕來りにも反するでせう。麥年貢なぞ取つてるとこ、今でもどこかにありますか。﹂ ﹁今ぢやもう恐らくなからうわい。昔はあつたもんぢやが。﹂ ﹁さうでせう。しかし廣岡の場合は麥年貢よりももつと無理ですからね。また煙草を作るからと云つて、それに對して別に年貢をかけるといふ者もないんだし。一體どうしたんでせう、持つてるものにして見りや、ほんの僅かなことぢやないですか。世間なみにしてやつたらどういふもんでせうかね。﹂ ﹁持つてる者ぢやからこそ、僅かが僅かにならんのぢや。それを僅かと云ふやうやつたら、物持ちにやなりやせん。﹂ ﹁したが結局とくでせう、伊貝にしたって﹇#﹁伊貝にしたって﹂はママ﹈さうした方が。田圃に草を生やしておくより。﹂ ﹁廣岡や、似たやうな二三のものの問題としてだけ考へるんぢやないによつて。持つとる者は持つとる者らしく先の先までも考へとるもんぢや。年貢を上げるといふこたア造作ない、下げるといふこたア大變ぢや、ほかのものへも響くよつて――響かいでも響くやらうと考へるによつて。廣岡の年貢の負かつたなああした特別の田圃やからと思ふものだけやつたら世話ないが、その特別といふことよりや負かつたといふ事だけを一途に思ひ詰めて、今度は我身の上を考へる者もあるわけぢや。伊貝なんざさうした先々までも考へとるんぢや。してまた地ちし主ゆなりやそりや當り前のこつちやからして。物持ちも辛いわ。﹂ 成程さうしたものかと頭で納得することは容易だが、さうした物持ちの心理といふものは、駿介にはまだどうもぴつたりとは來ない。 ﹁伊貝の今の主人公といふのは一體どんな人なんです。﹂ 村切つての有力者である伊貝の名は、子供の頃から聞いて知つてはゐるが、長年の間郷里を離れてゐた駿介はその當主の人となりについては、噂話の程度にしか知ることがなかつた。 ﹁どんな人かと云うて……。﹂駒平は簡單な言葉ではうまくは云へぬらしかつた。 ﹁幸藏といふ人はまだ隱居してるわけぢやないんですね、もうだいぶの年でせうが、實權はやはりあの人が……。﹂ ﹁ああ、ああ、隱居どころか、まだまださかんなもんぢや。さうさな、もう六十七八にならうわい、さあ、わしとどつちが上だつたやら……。﹂ 駒平はそこで駿介の顏にぢつと見入つた。 ﹁それで何かい、お前はその廣岡の頼みといふのを聞いてやるつもりなのかい。﹂ ﹁ええ……﹂と、駿介は何か非常に強い決心を要求されるやうな氣がした。﹁聞いてやらなければならないと思ひますが。わざわざああやつて訪ねて來て、くれぐれも頼んで行つたんですから。出來るか出來ないかわかりませんが。わたしには荷が勝ちすぎたことかも知れないし……お父つあんはどう思ひます。﹂ ﹁そりや、見込まれて力になつてくれろと云はれりや、引き受けんわけには行かんやらうなあ。荷が勝ち過ぎるかどうかはやつて見にやわからん。結果は今からあれこれ思うて見る要もない。何もかも經驗ぢや。﹂彼はきつぱりと云つた。 ﹁ぢやが、伊貝は難物ぢやて。﹂ そして駒平は、伊貝幸藏の人となり、彼の村に於ける有力な地位について大體の話をした。駿介は心を留めて聞いてゐた。聞き終つて彼は事の解決が、必ずしもた易くはないであらうことを、改めて思ひ知らされたのである。 ﹁だが、何れにしても爭ひにだけはならんやうにせえ。理を説くよりや、情に訴へるこつちや。どこどこまでも下手に出て歎願するんぢや。なんというても小作は弱いもんぢやけに。爭ひになることは、どんな場合にも避けるやうせんならんぞ。﹂ ﹁しかしそんな人柄の人ならむしろ理詰めで押して行つた方がいいんぢやないかと思ひますがえ……勿論僕は爭ふつもりはありません。また爭ひになるわけはありません、廣岡がああまでおとなしく出てゐるのですから。しかし廣岡は諦めることが出來てもどうも僕の氣はすまないなあ。理を説いて、情に訴へて、それでも聞かれないとなると……。﹂ ﹁その時は默つて引き下るまでのこつちや。﹂駒平は低いが非常に強い調子で云つた。﹁こつちが眞心こめて説いて、願つて、それで聞かれにや仕方ないわ、それきり默るまでのこつちや。それ以上云へば爭ひにならうが。しかしそんな爭ひは要もないこつちや、止めたがええ。﹂ ﹁ぢやあ、負けになるわけですね。﹂ ﹁何が負けぢや。﹂殆ど斷乎として駒平は云つた。﹁お前はそれを負けと思ふんか? わしはさうは思はん。物の道理は説けば必ず人に聞かれるものとは限りやせん。聞かれる時もありや、聞かれん時もある。聞かれんのはこつちのせゐばかりぢやないぞ。それをどうしてすぐに負けだと云ふんや。そななことにお構ひなく正しい物の道理といふもなアいつだつてあらうが。たとへ今聞かれんからとて、おのれの云ふことがその理に合つとりさへすりや、いつかはきつと聞かれる時が來べき筈のもんぢやらうが。さう思はにや、何も出來やせんぞ。聞き入れられん時にや、默つて引つ込む。用もない爭ひはせん、まだその時は來んのぢやによつて。﹂ その平凡な信條を、駒平は確信に滿ちて語つた。それは彼の内からの聲として、ほとんど信念にまでなつてゐる響きを傳へたので、駿介はぐつと押された。駒平の言葉とその内容だけなら、老獪な、獨善的な處世哲學とでも何とでも云へるやうなものであつたが、それが六十歳の彼の肉體を通した、おのづからな聲として出て來たので、その場では駿介は反對することは勿論、批評がましいことも云へなかつた。さうしてその限りでは、父の云ふことは正しいのだと思つた。意見が、抽象的に表現され、問題にされてゐる限りでは、正しいとも正しくないとも云へぬ、特定の場合に特定の生きた人間の肉體を通した聲として聞いて、始めてそれが云へる、さういふことがある。駿介は新しい父を見たやうに思つた。 自分はそれでよからう、やるだけのことはやつたのだからと、自分はそれで滿足することは出來よう、しかし當の廣岡はどうなる? 遂に未解決に終つた現實に引き續き向ひ合つて行かなければならない廣岡はどうなる? 彼は諦めてゐるからそれでいいといふのか? しかし最後に、當然、右の考へが鋭く迫つて來た時に、駿介ははたと當惑した。まだ時が來ないのだからと云つて、すますことの出來るのは自分達であつて廣岡ではない。廣岡の現實は差迫つたものなのだ。 駿介は、自分達が、自身も氣づかないやうな欺瞞︵自己と他人と双方に對する︶に落ち込まうとしてゐるのではないかとの懼れを感じた。しかしその懼れを父に向つて云ふこともなしに、深く事の重大さを思ひ詰めてゐた。 ﹁顏も知らぬ私がいきなり伊貝に會つたりするよりも、誰か伊貝と懇意な村の有力者に頼んでもらつた方がいいかも知れませんね。どうでせう?﹂ ﹁うん、さういふ適當な人があればなあ。﹂ ﹁村長はどうでせう? 岩濱さんには、私は二度ほど會つて――煙草の許可が下りるやうに願ひに行つた時と、その後お禮に行つた時と會つて、たつたそれだけだけれどいろいろ打ち解けて話して、あの人は私には非常に好意を持つてくれてるらしいんです。しきりに遊びに來い、遊びに來いと云つてくれるんです。東京に勉強に行つてる同じ年頃の息子があるせゐでもあらうけれど、……あの人はどうでせう?﹂ ﹁村長か、……岩濱さんはええ人やけどなあ、田舍には珍らしくものの理解のよう出で來けた人ぢやが、人間がおだやかに過ぎとる上に、伊貝のこととなるとのう。云ふべきことも云はんとく、といふことがあるんぢや。伊貝との間に、一寸の隙間や縺れが出來ても村會がやり惡うなるけんのう。村會へ出とるもんの大半は伊貝の言葉一つでどうにもなるんぢやけに。――しかし、一應話して見ることはそりやええやらうな。﹂ ――その夜、寢床へ入つてからも、駿介の頭は長い間冴えてゐた。 杉野駿介は社會主義者ではなかつた。學生時代には讀書の世界で學説として一應の知識を得たに止まり、將來の進路がそれによつて動かされるといふまでの大きな影響を、社會主義諸學説からは遂に受けることなくて終つた。それは彼の境遇や、性格や、特に當時の社會状勢に因つた。だから今の彼の行動の世界にまで衝き動かす動機と感情には、ならびにその行動が生み出す結果の見透しには、社會主義的なものはなかつた。何に限らず彼にはまだイズムはないのだつた。 廣岡卯太郎がもたらした話が、駿介の内に惹き起した感情は、あらゆるイズム以前のもの、もしくは以後のものであつた。それは階級的なものでもなかつた。また駿介といふ個人にのみ起り得る何か特別なものでもなかつた。健全な常識と人間的關心を持つ者ならば、誰であらうと同じものをその話から感ずるに違ひないと思はれるものであつた。それは全く一般的な、ただ人間的なものであつた。 廣岡の周圍の人々は、今まで何等怪しむところがなかつたのであらうか? 彼等は常識と人間的關心とを持たぬのであらうか? さうではない。ただ彼等には力が、あるひは意志がなかつたのだ。自分の手に負へないと知ると、見て見ぬふりをして過ぎる。それに人間は慣れ易いものだ。はじめはどう思はうと、やがては、それが當り前の事ででもあるやうに思はせられて行く。 新鮮な、みづみづしさにある今の駿介の心情は、人々がどんなに些細と見る事柄に向つても、純粹な正常な健康な動きを見せる。しかし彼も亦彼の周圍の人達と同じく乾いた心になり、何を見ても聞いても當り前だ、世のならひだと思ふやうにならぬとは限らない。駿介はそれを懼れてゐる。その意味からも見て見ぬふりは出來ない、あるひは内にのみ籠つてはならぬ。そのやうなみづみづしさ、若々しさの保たれる道は、對象への積極的な働きかけのなかにあることを駿介は知つてゐる。 ﹁わしらのところぢやしよつ中青米です。……二升の麥さ三合の米入れて炊くんですわ。﹂廣岡の訴へは駿介の耳に殘つてゐた。しかしもつと強く彼の想像の眼に浮んで來るのは、草が生えるままに放置されてゐるといふ田圃だつた。物の生産を少しでも増加させることにみんな躍起となつてゐる今日の農村に、そんな土地がたとへ少しでもあらうとは、信ぜられぬことであつた。 ともかく早速明日にでも行つて話して見ようと、からだが温まり、次第に眠くなつて行く頭に人の好ささうな村長の顏を思ひうかべながら、駿介は思ひ續けた。六
翌日、夜になつてから、駿介は、村長の岩濱をその自宅に訪ねた。朝のうちに、村役場の小使の久作に逢つて、あらかじめその旨を傳へておいてもらつたのだつた。 前夜、駿介が駒平から聞いたところによつて、伊貝幸藏の人物の大體の輪郭は想像された。駒平は總括的な人物論の形では、彼の人物を語りはしなかつた。いかにも彼の人物を示唆するやうな、一つ二つの事實を物語つたのみであつた。 六十の聲を聞いた年に、伊貝幸藏は、長らく大阪の方で女工をしてゐた女が村へ歸つて來たのをかこつて、妾とした。もう三十にちかい、ちつとも美しくはない、ただ身體が牛のやうに頑丈で、疲れることを知らぬといふやうな女であつた。小學校に通ひ出す頃の、父てて無しの女の子を一人連れてゐた。伊貝は本妻に死に別れてゐたわけではなく、本宅には、老いて愈々氣性の激しくなつて來たやうな妻と、中學を出てぶらぶらしてゐる長男と、甲種の農學校に通つてゐる次男とがあつた。上の子供達はみんな女で、もうそれぞれに身の始末はつけてあつた。 妾宅は本宅から五町ほど離れた所にあつた。この村は大したこともなしにすんだが、數年前まではこの地方も小作問題で何かと騷がしかつた。年貢は思ふやうに寄らず、土地の價格は下つて、先は見えたと早合點した地主のなかには、土地から家屋敷を全部賣り拂つて都會へ去つたといふものさへぼつぼつあつた。尤もさういふものは殆ど總て、息子が都會へ出て、相當にやつてゐるといふやうな家であつたが。土地ぐるみさういふ家の一つを伊貝は買つてあり、それがそのまま妾宅になつたのだつた。だから家としては立派であつた。 家は立派であつたが、その大きな構へのなかに子とただ二人住むことになつた女は、他はたの眼からはひどくみじめであつた。そして年と共にそのみじめさは増して行くやうであつた。元來が何年都會に居つても、つひに町風にはなり切れぬ土臭い女とはじめから見えてゐたが、それでも村へ歸りがけの頃には、顏に白いものを塗り、擦れ違へば女らしいにほひもあつて、暗がりに村の若者達の心を唆かすぐらゐのものはあつた。しかし今の彼女の風體からは、人は女らしい何ものをも感ずることは出來なかつた。彼女はなりもふりも構はず、ただ眞黒になつて働いた――いや働かせられた。その家に附いてゐる、そして彼女が耕作しなければならない土地の廣さは、屈強な男手を中心とする一家の經營としてもなほ足りるほどのものであつた。そしてそこからの收穫物を、彼女は普通の小作人同樣に、伊貝の倉庫に運んだ。彼等と異なる所はただ、收穫の半ばを小作料として持つて行くのではなしに、全收穫量をそのまま運ぶといふことであつた。母子が必要とする飯米味噌醤油その他は、月々の終りに本宅の臺所口まで顏を出し、そこで正確に量つた上で、渡されるのだつた。 時々彼女が村の本通りに姿を現すと、人々は袖を引き合ひ、眼くばせしては嗤つた。そして伊貝の心事を勝手に憶測してはあやしんだ。田舍で妾といふのは、働かすためのものであるやうなのはよく見られることではあつたが、それにしても伊貝の心事には人々の解しかねるところがあつた。彼女が本通りに姿をあらはすのは、その一人子のためであることが多かつた。彼女は村のどんな貧しい農婦にも劣る風體のまま、店先に立つて、メリンスの切れや、赤い鼻緒の立つた下駄などを買つた。一つものを買ふにもよくよく思案して、店の者に嫌はれるほど長い時間をかけた。しかし日頃は殆ど無表情な彼女の顏に、あれやこれやと迷つてゐるその時だけ、人間らしい感情が動いて、見る者の心にいぢらしいやうな思ひを誘つた。そのためにあらゆる辛抱をし、この一筋にと縋つてゐるものの正體を改めて見たやうな氣がした。 村の産業組合の理事長をしてゐる伊貝は、毎日晝から組合の事務所に姿を見せた。そしてその歸り途にはその家へ立ち寄つた。しかしその家に寢泊りするといふことはなかつた。 本宅に何か取り込んだ、人手の要ることでもあると、彼女は行つて忙がしく立ち働いた。女中達の間に混つて、氣性の激しい老妻のきついとげのある言葉を頭から浴せられ、追ひ立てられた。そこでのどんな僅かな貰ひものでも、例へば仕事のあとのお茶請けの駄菓子のやうなものでも、彼女は必ず塵紙に包んで持つて歸つた。 そのまま數年經つて、彼女の一人子も小學校を卒業する年頃になつた。彼女に同情を持つ村の人々は我が事のやうにほつとした。母親もここで始めていくらかは輕い息が出來るだらう。娘ももうどうにか一本立ちが出來る。家にゐて母親を助けてもいいが、しかしそれよりはすぐ隣村に工場が二つあつた。製絲の工場と貝ボタンの工場とで、貝ボタンはドイツに行くのだといふことだつた。はじめ三十人ぐらゐだつた男女の職工は、少しづつふえて今では五十人近くなつてゐた。そのどつちもが、毎年春には、小學校を出たての少女を求めてゐた。工場に寢泊りするものもあつたが、通ひのものもあり、年寄りのまだ元氣な家などでは、百姓仕事は年寄りに任せておいて、夫婦して白い上うはつ張ぱりを着て自轉車で通ふといふ風だつた。――しかし人々が驚いたことには、彼女の一人娘は、彼女も亦自轉車で三里ほど離れた町に通ひ始めたけれども、それは女學校の制服姿をもつてであつた。 同時に母の方は産業組合に姿をあらはすやうになつた。一日のうち何時間かを組合の事務所で立ち働くやうになつた。それまでゐた小使ひがやめてしまつたのとそれとは一緒であつたから、彼女がその小使ひの代りといふわけかも知れなかつた。拭掃除から茶を汲んで出すことから、一寸した使ひ走りまでがその仕事であつた。事務所の汚穢を汲み取つてゐるやうな彼女の姿もあつた。それは畑に掘つた溜ためまで運ばれねばならぬ。しかし彼女は組合の方にかかりきりになつたわけではなく、畑仕事から解放されたわけでもなかつた。今迄の畑のうち幾らかは他の小作に出すことになつたが、新たな仕事の加重であることには違ひなかつた。それで彼女は一日のうち僅かな時間しか事務所に居れなかつたから、自然小使ひの仕事である雜用まで自分達の上にかかつて來るし、それに第一伊貝の前であつて見れば、彼女に用事を云ふにしても云ひ惡くて、事務所で働く人達は少からず弱つた。しかし苦情を云ふことは出來なかつた。一切は、云ふまでもなく伊貝の考へによつて行はれたことであつたから。 このことと、さきの、彼女の娘が女學校に通ひ出したといふこととの間に有る一つの關係が、廣く村人達の間に知れるやうになるには、長くはかからなかつた。 娘が小學校を出るよほど以前から、母は娘をなんとかして女學校へ通はしてくれと、伊貝に願ひ出てゐた。彼女の態度は眞劔であつた。そして執拗であつた。はじめふふんと鼻の先であしらつてゐた伊貝は、遂に叱責的な斷乎とした一言でけりをつけようとしたのだが、彼女はそれでも引き下らなかつた。繰り返し繰り返しうるさく云つた。今迄伊貝の決定的な一言をただ默つて聞き、それに從つて動き、口を返すことの全然なかつた彼女としては全く始めてのことであつた。自分の生涯の不幸の大きな原因は、女學校を出なかつたことにあると、無智な女らしく一途に思ひ込んでゐるやうなところが見えた。 流石の伊貝も遂に根氣負けしてしまつた。彼は女の願ひを聞き入れることになつた。娘は女學校へ通ひ始めた。そして母は産業組合へ。 母は新しい勞働によつて月々幾らかの金を得ることになつたが、その金は勿論伊貝といふ個人から出るのではなく、組合から出るのであつた。が、その金が現金の形では彼女の手には渡らぬのだつた。それは組合の會計から伊貝の手へ、そして伊貝の手許で保管せられた。娘の授業料その他の學資はそのなかから出された。そして母も娘も、伊貝の恩惠としての學資ででもあるかのやうに、伊貝に向はなければならないのだつた。 伊貝はこの村にばかりではなく、隣りの郡の村にも相當面積の土地を持つてゐた。 それは近年になつて、一時に得た土地であつた。數年前、地主小作間の揉め事が最も頻繁だつたその地方で、土地の値段が下る一方だつた時、狼狽した地主の間には土地を賣りに出すものが出て、それを伊貝は買つたのだつた。非常に安い値段で買つた。ところが近頃、農村の状態が再び平靜に歸して見ると、昔賣つた土地に對して激しい執着を感じ、早まつた自分等の過去を後悔するものがぼつぼつ出て來た。それらの人達は、失地の囘復について、熱心に伊貝に懇請しはじめた。伊貝は徐ろに聞いて、さて値段の交渉に入つたが、曾つて彼が買ひ取つた時の値段に較べれば、今度彼が賣らうとする云ひ値はまことに法外なものであつた。聞いた彼等は驚いたり怒つたり悲しんだりした。しかし時の變りを楯にとつて、頑として一歩も引かぬ伊貝の前には施す術もなかつた。しかし土地はどうしても欲しかつた。ある人々は諦めてしまつたが、ある人々は到底諦めることが出來なかつた。今はもう損得の問題ではなかつた。昔わがものであつた土地を、どうしてももう一度わがものにしなければならぬといふただその一筋の氣持であつた。伊貝にそのやうに云はれ、そのやうに傲然として居られると、益々焦り出すのだつた。まことに土地の魅力、土地への執着といふものは、それを失つたときに一層痛切であるらしく、それには地主たると耕作農民たるとの差は格別ないものらしかつた。伊貝はさういふ足もとを十分に見拔いてゐるのである。かうして無理をして土地を買ひ戻した地主達は、いきほひ小作にも辛く當つて來るだらう。折角もとにもどつた村の平靜が、再びかき亂されるやうなことにならねばいいがと、先々のことを考へ、心ある人々は憂へてゐるのである。 駒平は、伊貝といふ人物について、かうした一二の面を駿介に語つたのであつた。 駿介は、村長の岩濱に逢ふ前に、明るいうちに、問題の伊貝の小作地といふのを見ておいた。それから同じやうな惡田で現在廣岡が作つてゐるといふ土地も。それらの土地はそれぞれ相接してゐた。三方が低い丘にかこまれ一方だけが開いて道路に向ひ、開いてゐる方から向うへ段々に高く、僅かに傾斜をなして、先へ行くにつれて幅が狹くなつてゐるやうな土地であつた。廣岡の分には、ほかと較べてひどく發育のわるい麥が植つてゐた。それに隣る、小さく幾つにも不規則に仕切られた、一段歩ほどの田圃は、稻を刈つたあとそのままの姿で、田のおもては霜解けに濡れて、黒い切株のまはりや、株と株との間には、細長く伸びたままに寒さに立ち枯れた枯草が、わびしく風に吹かれてゐた。 岩濱は心待ちに待つてゐたところなので、訪ねて行つた駿介はすぐに客間に通された。 ﹁やあ、よくお出かけでしたな。﹂ 眞白な髯を、將軍乃木の肖像に見るやうな型に刈り、品のいい細面で、笑ふと眼尻に皺が一ぱいに寄つて、それがまた何ともいへぬ柔和な相を示した。駿介は彼を見るごとに﹁翁さぶ﹂といふ言葉をよく似つくものとして思ひ出す。物慾にも恬淡に、次第に世外の人らしくなる顏に親しみは感じながらも、村長としての彼はどうかと時折思はないわけにはいかない。名もない小村の長であるとしたところで、ほかの何者であるよりも﹁力の人﹂であることを要求される場合が、決して少くはないであろうと思はれるからだ。そして岩濱の風貌からは、さういふ時に、思ひがけない意志的な半面が發揮されるだらうといふことは、どうも想像されぬのである。 元來が懇切な人柄の上に、彼はその若い時代に、駿介の祖父には世話になつた一人であつたから、駿介を粗略に扱ふやうなことはなかつた。 頬がうす紅に艶々して、白い髯との對照が美しいほどだつた。向ひ合つて坐つた時、かすかに酒の香があつた。 ﹁しばらくでしたな。――どうもあんたは逢ふ度毎に變つて見えるもんだから……さう云つちや何だが、眼に見えて村の青年らしうなつて行きよる。肥柄杓擔いで通つてももう別段振り返つて見る者もあるまいといふやうになつてしまうたが。﹂ ﹁早くさうなりたいんですけど、なかなか。﹂ と、駿介は笑つた。 ﹁物好きな人や。この人はほんまに。﹂ と、もう一度親しみ深い眼で駿介を見て、始めて氣附いて、﹁ああさうか、何だか滅多に變つとると思つたら、……髮を短うに刈りなすつたんぢやな。﹂と笑つた。 ﹁精一さんは……この休みにはお歸りぢやなかつたんですか。﹂と、駿介は遊學中の彼の息子のことを云つた。 ﹁ええ、休みにはどこやらの工場へ通つて實習するんだとか云ひよつてな。そんなにまでせんならんもんかと思ふんぢやが。﹂ ﹁さうでせうね。そりや忙しいでせう、工科はやつぱり。……あと一年ですか。﹂ ﹁さやう、まだ一年ありますわ。しかし今にして思へば奴を專門學校さ入れといてよかつたとつくづく思ふとります。奴を東京に出すときには、專門學校にせうか、大學にせうかと思ひ煩うて、家ン中でもいろいろ意見が別れて、えらう揉めよつてなあ。結局わしの意見通りきまつたが、果してその三年でもが容易なこつちやない。あと一年、息せき切つて漸く天てつ邊ぺんの見えるとこまでこぎつけて來たといふやうなわけで。﹂ しかしその一年といへども油斷がならない。最後になつてぐれてしまつた上原の息子の哲造のやうなのや、途中で投げ出して了つてその心事を諒解するに苦しむ眼の前の駿介のやうなものもある……彼はさう思つてゐるかも知れなかつた。 ﹁それにしても駿介さん、何度もいふことだがあんたは一體どうしたんぢや。わしは考へれば考へるほど惜しい氣がしてならんが……實際、この頃の若い人は何を考へとるもんか、わしらには全く見當もつかんやうなことが多てなあ。﹂ 駿介はこの老人に對しては自分の事は殆ど語つてゐない。今もそれについては默つて、その先の彼の言葉を引き取つて、 ﹁しかしもう一寸の御辛抱です。精一さんは學校を出さへすりや、あつちこつちから引つ張りだこなんだから。機械の方は今は實際素晴らしいんですから。﹂ ﹁ほんとうに精一等もさうなりますかしらん。﹂ 老人は嬉しさうな、同時にまた心配さうな色を押し隱さうともしなかつた。 二人はそれから暫くの間、東京の學生生活のことや、學生の就職の状況などについて話し合つた。その話が一段落ついた時、老人は彼の趣味である、そして相當に深く凝つてゐる俳諧について語りはじめた。彼は立つて隣の部屋から生きば半ん紙しを綴ぢた帳面を持つて來た。表紙には墨で、草堂句集とある。彼自身の作品集である。彼はやや恥らひながら、しかし嬉しさうに、何等かの藝に遊びはじめた初心者が、誰に向つても自分をひけらかさずにはゐられない無邪氣さで、それらの句の三四を駿介に披露した。そして駿介の意見を問うた。駿介は答へられずにゐたが、意見を聞くのが何も主眼ではないから、なほ先へ先へと話は進んだ。彼は又立つて、次の間から短册などを持つて來て見せた。諸國を歴遊して、彼の許へ草鞋を脱いだ宗匠達の句であるといふ。さういふ方面には暗い駿介の眼にも、眞に力量あり、名ある人々のものとも見えなかつた。 ﹁どうも下手の横好きと云ひますかな。――いや、すつかり自分勝手な話になつて。﹂短册を帳面の間に挾み、老人はそれを机上の片側へ押しやつた、﹁お話があるのでしたな。それから承らにやならんのだつたが。――してどんな御用件です?﹂ そこで駿介は、彼の用件を話し始めた。 話の途中から彼は相手の顏色を氣にしないではゐられなかつた。すると話すことが段々話しにくくなつて行つた。彼の話に影響された相手の氣持が、こつちに傳はつて來るのであつた。それはやはり彼がそれとなく恐れてゐたやうなものであつた。さういふ話を聞くことを迷惑とする、避けたいといふ老人の氣持であつた。事實を事實としてその前に眞直ぐに立つことを囘避する。そつとわきをすり拔けて通りたい、決して狡さではないが、いかにも弱々しい氣持であつた。 だが駿介は話すだけのことは話してしまはないわけにはいかなかつた。 ﹁……それで廣岡は私のところへそれを云つて來たんです。何とか一つ伊貝さんにお願ひしてみてくれまいかといふんです。何でまた私なんぞの所へ云つて來たものかと思つてるんですけれど、しかし事情を聞いてみればいかにも尤もなことで、同情しないわけにはいかないんです。それで私もつい引き受けてしまつたやうなわけですが、考へて見ればどうにも私一人の力には餘ることです。世の中の經驗には疎いんだし、伊貝さんには、一面識もなし、第一伊貝さんが私のやうなものを相手にかういふ問題について話してくれるかどうかも疑問です。それで私は結局、あなたにお願ひするほかはないんですが……。御面倒でも一つあなたから、伊貝さんに、廣岡のことをお願ひしてみていただきたいのですが……いかがでせうか。﹂ ﹁さあ、そりや。﹂と云つて、岩濱は、話の間中、火箸の上にあててゐた手のひらを引いて、瀬戸の火鉢の縁を二度三度こすつた。そのしぐさが、いかにも無樣な、能のないものに見えた。 ﹁いかがでせうか。﹂と、駿介はまた繰り返した。 ﹁いや、お話の次第はようく分りましたが、﹂と、しばらくしてから岩濱は云つた。﹁その件につき、直接わしから伊貝さんに話すといふことは何かとこれで差支へのあることでなあ。﹂ ﹁はア。﹂ ﹁わしが村長でなけにやいい。わしが村の公職にあるもんでなけりや問題はないが……。お話の件は、何というてもやはり一つの私事ぢやけんのう。さうした地主と小作との間の私事に、村長の職にあるもんが、最初つから間に入つて行くといふことは少しく穩當を缺くと思ふんぢや。小作人のために村長が小作田を取り持つといふことはどうもなあ。それに年貢引き下げのこともこれには絡んどるけに、わきからは村長が小作の肩ア持つとるやうに見えんこともなし……また一度さうしたことがありや、決してそれ一つぢや濟まん。さうなりや一方にしてやつて一方にしてやらんといふわけには行かんが、村長がさうしたことに一々かかづらうてゐるわけには行きやせん。きりも際限もないこつちやからして。ぢやによつてそれはやはり當事者の間で先づ話し合うて見て、どうしても話し合ひがつかん時に、事情によつてはわしらが間に入るといふのが、これがまアものの順序やらうと思ふ。そしてそれなら無論今までにも數多く例はあることぢやから。さうぢやらうと思ふが……。﹂ ﹁當事者が對等で話し合ふといふことが出來れば、無論それに越したことはありませんが、それが出來るやうなら、そして願の筋が聞き入れられる見込みがつくやうなら、廣岡も最初から私なんぞの所へは話を持つて來はしまいと思ひます。ものの順序としては仰有る通りにちがひありませんが。﹂彼はそれは一片の形式論に過ぎぬと思つた。それでその通りに云つた。﹁話し合うて見て、話し合ひがつかん時にとなりますと、その時にはもう兩方の間が大分に縺れとるんぢやないかと思ひます。爭ひになぞなつちや困りますし、矢張﹇#﹁矢張﹂は底本では﹁失張﹂﹈最初から間に立つていただいた方が……村長の資格でなく、個人の資格でといふわけには參りませんか。﹂ ﹁さういふのこそ形式的です。村長の資格とか個人の資格とか、われわれの頭にはあつても、村の者は誰もそんな風に分けては考へませんよつて。﹂ ﹁私はこれは決して廣岡一人の私事だとは思はないんですが。﹂ 私事であつても一向構ひはしないではないか、とは思つた。私事だから村長の職にあるものが、最初から間に入ることが出來ない、といふことは駿介には理解しかねることであつた。村長の仕事といふものを單に村役場の關係にだけ限つて考へてゐるのであらうか。このやうな事柄の圓滿な解決のために力を盡さないで、何が村長であり、何が村の有力者であらう。それともいよいよ爭ひにでもなり、村一般の耳目を集める問題となつた時に、それは初めて﹁公事﹂たるの性質を備へ、村長が關係するに適當な事件を得たとでもいふつもりであらうか。かういふことに一々口を挾んでゐてはきりがない、などといふことは無論駿介は信じはしない。 ﹁普通の地主と小作の間の問題といふこととは少し違ふと思ふんです。小作が普通に、年貢が高いから負けてくれ、といふこととも違ふ、私事と公事といふことを云ひますと、これは立派に公事であると思ひますが。表面はいかにも、耕作地の不足してゐる百姓が、不利な條件を忍んでも新しく小作地を得たいと望んでゐるといふ、ただそれだけのことですが、事柄の實際は、たとへ小さくても農村の生産力の問題に關係してゐると思ひます。作りたいと熱心に希望してゐる人間があり、作ればものの出來る土地があるのですから、この二つを耕作が最も圓滑に行くやうな状態の下に結びつけることが必要なんです。廣岡が諦めて、どんな條件でもいいから作らしてくれと云つたからとて、本人がさういふからそれでいいといふわけのもんぢやない、それぢや生産は決して圓滑には行かないんですから。また伊貝さんにしても、自分の土地だから、どうしておかうが勝手だ、草を生やしておかうが勝手だといふやうなことは決して許されないことです。さう考へて來るとこれは單に當事者だけの問題ではないと思ひますが。村の問題であることは勿論、社會全般の、國家の問題として、その見地からだつて充分ものは云へると思ふんですが。﹂ これに對して岩濱は何も云はなかつた。相手を突つぱねての沈默ではなしに、正直な彼は駿介の云ふことを認め、その上で何も云ふことが出來ないのであつた。かういふ岩濱を眼のあたりに見て、駿介はこの弱々しい好人物の本質をはつきり見たやうに思つたが、それにしてもかうまで彼が伊貝に遠慮しなければならぬといふのは殆ど不思議であつた。ほかの理由は僞りではないにしても、要するに附け足りだ。言葉に言ひ出さぬところにほんとうの理由があると駿介には感じられた。 同時に駿介は、この對談そのものをやや馬鹿馬鹿しく感じはじめて來た。無理をしてまで岩濱老人を勞さねばならぬ理由が一體どこにあるのであらうか? 氣の進まぬ彼を強ひ、云ふ通りにしてもらつたところで、結果は推して知るべきであらう。村にほかに心當りがあるならば、廣岡とても何も自分のやうなものの所へすぐやつて來たりはしないであらう。 ﹁――では、ともかく、私が直接伊貝さんにお逢ひしてお願ひして見ようと思ひます。その話の上で、何れまたお力をお借りしなければならないことになると思ひますが、その時には何卒宜敷お願ひ申します。しかし私はまだ伊貝さんを全然知りませんので、紹介の手紙でも一つお書き下さいませんか。﹂ ﹁ああ、そりやええとも、そりやもう。――﹂ 駿介にさう出られると、岩瀬はいかにも濟まないらしく云つた。 それから今日の用件を離れて、打ち寛いで話した。さうして話せば實に物分りのいい好々爺で、古い頃の村の話は殊に面白くもあり、爲にもなり、時の經つのを忘れた。夜食を御馳走になり、夜更けて駿介は家へ歸つた。七
今日訪ねよう、明日訪ねようと思ひながら、駿介の、伊貝訪問の日は、一日一日と延びてゐた。 色々な氣持が駿介に働いてゐた。全然未知な人を始めて訪問する際に誰でもが感ずる億劫な氣持といふだけのものではなかつた。相手の伊貝は、年齡、閲歴、境遇、性格、趣味、教養、思想の何れから云つても一つとして共通點を持たぬ人間だつた。同じ村に住んでゐながら、全く觸れ合ふことのない離れ離れの世界に住んでゐる二人であつた。駒平の話を思ひ返して見る毎に、駿介の氣持は重くなつた。駿介には、伊貝の性格といふものは、一寸見當がつかなかつた。彼が今まで接觸したり、見たり聞いたりして來た人間の中にはそれに近いものすらも思ひ浮ばなかつた。駒平の話の斷片から、次々に想像の翼が延びて、益々えたいの知れぬものに伊貝の人間が形造られて行くのであつた。それに彼が持つて行かねばならぬ要件が要件である。若い駿介が二の足を踏んでゐるのは無理がなかつた。想像の世界でだけこねまはしてゐるから伊貝の人間が愈々不可解な、時には怪物じみたものにさへなつて來るのだ。さういふ幻想をぶちこはすためには早く逢つて見ることが必要なのだ。逢へば何でもない人間であることがわかるだらうし、この一點を突きさへすれば、脆くも陷落するといふ弱點だつて見拔くことが出來るだらう。――さう思つては見るのであつたが。 部落の中でも特に近く往き來してゐる煙草の耕作者仲間に逢つた時など、駿介は廣岡のことを話してみた。そして彼等と話したといふことは駿介に必ずしもいい心理的影響を與へなかつた。話を聞いても彼等は一向に何の感動をも示さなかつた。何も初めて聞くことではなく、知り盡してゐる事實だからと云へばそれまでのやうでもあるが、駿介が何とかしたいといふ考へに對しても同じやうに冷淡であるのは意外であつた。間接には自分達の利害にも關係する事柄に對して、一向に冷淡であるのは意外であつた。ここで駿介は、今迄彼が見て來たところとは矛盾するやうな彼等の一面を見た。成るか成らぬかも分らぬ、事の初めに當つては常にさうなのかとも思へた。うまく行つた結果だけに對して興奮するのかも知れない。しかしこの場合の彼等の冷淡には、ほかに原因があることが段々に分つて來た。彼等のあるものは、單に消極的に心を動かさぬと云ふだけではなくて、露骨な反對感情をすらも駿介に示した。餘計なことをしなさるな、といふ心だつた。駿介のむきな若い心は嗤はれてゐるやうであつた。 村での煙草耕作者の多くは、自作、自作兼小作で、耕作農民中の上層の部分で、暮し向きも比較的らくな方であつた。これは煙草耕作には、固定資金がかなりいるところから來る結果であつた。そのなかで小作一方でひどく貧しい廣岡などは、ごく少數の例外であつた。部落の耕作者仲間の間でも、彼一人は何かにつけて區別されてゐた。そしてこの區別はどこまでも區別として殘しておきたいといふ心理が、云はず語らずの間に人々には働いてゐるらしいのだつた。自分達に何かのとくがあるといふわけでもない。しかしたださうであることを望む心があるのだ。廣岡も自分達も共に均霑し得る利益ならば何も云はない。しかし廣岡一人が浴し得る利益となれば、それがどんな小さな、またどんな性質のものであらうとも、何となく心平らかならぬものがある。劣つてゐるものが、自分達の域に少しでも近づくことに對する不快がある。 駿介は、去年の夏の葉煙草乾燥の時、廣岡一人が、それが當然の約束のやうに非常にわるい乾燥場所を與へられて、人も我も怪しまずにゐた奇妙な風景を、その時もおかしなことに思つたことを、今になつて又思ひ出した。 それには廣岡といふ人間の人柄もある。彼が外そと見みも内も元氣のいい、あたりの者に愉快を感じさせるやうな、その元氣で相手を壓して了ふやうな、さういふ人間であるならば、人々にそんな氣持を抱かしめるやうな餘地は無いのだ。しかし廣岡といふ人間はおよそそれとは反對な存在だつた。見る者をして、陰氣な、じめじめとした感じを抱かしめる貧相な存在だつた。みじめなしよぼしよぼしたものは、同情を起さしめるよりも、却つて苛立たしい氣持を起させる。いぢめてやりたい氣持を人に起させる。 兎も角、彼等の態度がそのやうであることは、駿介には愉快ではなかつた。周圍の人間がそんな考へでゐるのを知ると、一方には反撥し、だからこそこの自分が委囑されたのだといふ氣持を強めるが、一方にはまた萎縮する氣持が兆すのもやむを得ないことであつた。 さうかうしてゐるうちに、家の仕事の方も段々忙がしくなる時にさしかかつてゐた。苗代地の冬起し、煙草の苗床の準備並に播種の時が相前後した。 苗代は去年は誘はれるままにほかの家と共同で持つたが、今年は別々だつた。今年は苗の仕立を新しいやり方でやつて見ることになつてゐた。從來の水田苗代に代つて乾田苗代が近年この地方にも段々行はれるやうになつて來てゐた。乾田苗は水田苗に比して優良であることが、經驗から段々わかつて來た。乾田苗の莖は勁く、根本は太くしつかりしてゐて、移植する時もいたまないし、植ゑ附け後は非常に速く根附き、發育は早いと云はれてゐた。どこの地方にも行はれると云ふわけにはいかぬことだが、この地方の土地の條件は、乾田苗代を可能ならしむるばかりか、必要とさへしてゐた。苗代時期にも、表土の充分乾き切る所を隨所に得られるといふ好條件に惠まれてゐた。また水田苗代であれば、播種の時から移植の時まで絶えず水を灌がなくてはならないが、溜池によつて灌漑するこの地方では、水は出來るだけ節約することが必要であつた。どの點から云つても、乾田苗代は有利な方法であつた。 駿介は父と共に苗代地の土を打ち起した。その土地は排水がわるく表土が乾きにくいといふやうな所ではなかつたが、今のうちによく打ち起し、日光や空氣を通して、乾かしておくに若くことはなかつた。駿介は最初の力強い一鍬を田の中へ入れた。黒い稻株が打ち下す鍬の先に掘り起され、白つぽく乾いてゐるやうな土の表面と、眞黒な濕りを持つた下の方とが、ムクムクと反轉して行くのを見ると、彼は新鮮な喜びを感じた。その喜びは色々な要素から成り立つてゐた。子供の時、泥にまみれて遊ぶことが特別な歡喜であつた。わざわざ深いぬかるみに入つたり、泥んこで團子やそのほか樣々な物の形を作つたり、手や足が土にまみれることが多ければ多いほど喜びを感じた。遂には何かの衝動に驅られて、着物のまま土の上を轉げまはり、仰向けに寢て、手や足をバタバタさせたりした。また少年の彼は、夏草が背丈ほどにも繁つた野原に寢轉んだり、堆く積んだ乾藁のなかに首を突込んだりして、夏草や乾藁の匂ひで胸一ぱいに膨らませることを喜んだ。草のなかに寢轉んでゐると、風に靡いてゐる草の先はそのまますぐに青い空にくつついてゐる。誰あれも自分がここにかうして寢轉がつてゐることなんか知りやしない、すぐ近くの道路を歩いて行くものからだつて見えやしない、といふことがいやが上にも彼の歡喜をそそる。何か祕密めいたぞくぞくするやうな氣持だ。しかし、さうしてぢつとしてゐるうちにはやがて自分がどこにどうしてゐるかをも忘れてしまふ。空も青草もその青草のかげの翅のある蟲も自分の身體も何もかにもが一つになつてしまふ。さうしてうとうとと眠りに落ちて行く。――秋も末になると、祭りがある。祭りの夜、小屋掛けの芝居を見ての歸るさは、丁度いい工合に疲れてゐる。人混みのなかにゐたのと、今見た芝居のあくどさ、ねつつこさに刺※﹇#﹁卓+戈﹂、U+39B8、223-下-14﹈されて、頭はのぼせたやうにぼつとしてゐる。大人達に外れて一人ぶらぶら夜道を來て、向うの田の畔に積み上げた藁グロの黒々と立つのを見ると、もうそこへ走つて行かずにはゐられない。べつたり土の上に腰を下し、手も足も投げ出し、藁のなかに首を突つ込むやうにして寄りかかる。毎日いい天氣が續いたあとで、それにまだ露が下りる時刻ではないから、どこもここもよく乾いてゐる。乾いた藁の匂ひに胸が膨らんで來るうちに、段々氣も冴え冴えとして來る。夜空には星が輝いてゐる。何の物音も聞えない。初めは餘りに何もかにもが澄んでしんとしてゐて、生きて息をしてゐるのは自分ばかりで、自分の存在だけが際立つてゐて、恐こわいやうだが、次第にその世界にも慣れて來る。慣れて來るといふのは、離れてゐたあたりと自分とが段々一つになつて行くことだ。夜つぴてでもかうしてゐたいと思ふ。するとやがて自分がどこにどうしてゐるのかをも忘れてしまふ。…… 遠い遠い日の夢だ。あの頃のああした喜びは二度と歸つて來べきものでもない。しかし今鍬を振り土を掘つてゐる時の喜びには、少年の日のあの喜びにどこか通じたもののあることを駿介は感じた。二つのものは無論ちがふ。しかし今かうしてゐるとふとゆくりなくも少年の日の喜びが再び胸に歸つて來るのは、つまりはその兩者の間に共通したものがあるからだと思つた。自然から汲み出す、あるひは自然と一つになる喜び、原始に惹かれるこころには共通なものがあつた。 そこにはまた季節の喜びがあつた。湯氣でも立ちさうな温かさうな黒土に彼は逸早く春を感じた。これが稻作についての最初の勞働であると云ふこと、我家の稻作は、今年からはじめて、その生産の全過程が自分の勞働によつて貫かれるのだと云ふこと、その自覺から來る喜びも亦大きかつた。 それらすべての綜合から成る一つの力強い感情は極めて自然に胸に溢れて來た。この極めて自然にといふことの自覺は、駿介に二重の歡喜を與へた。新しい生活に入つた當初、彼は世間での所謂勞働の喜びの概念に對して反撥を感じてゐた。本來美しかるべきその言葉は、それが云はれる時のさまざまな政策的な動機や、ふざけた精神によつて冒涜されてしまつてゐた。人の勞働でうまい汁を吸つてゐるものや、勞働を手なぐさみにしてゐる、勞働の嚴しさを身を以て知らぬものに限つてその言葉を使つた。それを云ふ時、齒の浮くやうな甘たるさがあつたり、鼻持ちならぬ臭氣を發したりして、それを云ふ者のほんとうの腹は、勞働と勞働する者とを輕蔑してゐるのだと云ふことを彼等自身曝露してゐた。そしてそれ故にこそ駿介は自らの勞働によつて勞働の眞實の喜びに觸れることに向つて大きな期待を持つてゐた。勞働が持つあらゆる苛酷さと嚴しさを通り、甘皮を剥いたそれの核心に觸れた上での喜びを期待してゐた。しかしさうした境地といふものは容易には來なかつた。喜びはたしかにあつた。それは抑々初めての彼の勞働、父を助けて井戸を掘つた時からしてあつた。蚊の群に襲はれ、不眠を強ひられながらの葉煙草の乾燥、雜地の開墾、堆肥用の落葉集めなどの諸勞働に伴つた苦痛のなかにもそれはあつた。しかし祕かに思ふ時、その喜びを感ずるといふことのなかにはなほ無理があつた。その喜びを感じようがために、感じたいがために、心を奮ひ起してゐるといふやうなところ﹇#﹁いふやうなところ﹂は底本では﹁いやうなところ﹂﹈がどこかにあつた。肉體的の勞働は、いな、肉體的な勞働を基礎としてゐるこのやうな生活は今の自分にとつての活路であると彼は信じてゐる。從つてそこには喜びがなければならぬと思ふ。またどうしても喜びを感じたい。さういふ風に強ひられたものがあつたのである。 それが何時の間にか變つて來てゐた。事の性質上、何時からと截然と句切りをつけて云ふことは出來なかつたが、今の彼は以前とは變つてゐた。言葉では云ひ難い、人には傳へ難い變化をひとり感じて駿介は嬉しく思つた。彼はこれで落ち着いたのだなどとは思はなかつた。勞働の苛酷さ嚴しさを人並にくぐつて來たなどとは戲談にも云へることではなかつた。今後またどのやうに變るかも知れなかつた。しかし今到達したこの境地すらも、そこからのささやかな歡喜すらも、去年の夏以來の自らの歩みによつて初めて得られたものである。それはほかのどんな方法によつても得らるべきものではなかつた。さう思へば、この到達を貴重に思ひ、自ら愛し育んで行かうとの氣持が、強く深い感情として駿介に湧き上つて來るのであつた。 苗代地の耕起が濟むと、直に、煙草の苗床の準備であつた。 苗床は本畑一段歩の分が一間に四間の廣さとして、今年の耕作段別は二段歩だから、二つ作らなければならなかつた。駿介はかねて山から伐り出しておいた材木をもつて、苗床の周圍に立てる柱と、この柱を横に貫く貫ぬ木きとを作つた。柱と貫木とをもつて、苗床の床框が成るわけだつた。框で仕切つた内側は藁で圍ひをして、それからその中へ先づ落葉を踏み込んだ。秋に苦勞して山から運び、小屋に貯へてあつた落葉の板をほぐし、大籠に入れ、これを背負つては何囘にも運んだ。この落葉の床は厚さが一尺にも及び、一坪に三四十貫は要るのである。充分踏み込んでからその上によく腐らした堆肥と厩肥を混ぜて五六寸の層を作つた。次は二寸ほどの厚さに土を敷いた。この土は何を措いても先づ水捌けがいいといふことが必要だつた。それで山から礫の比較的多く混つてゐる土を運ばなければならなかつた。最後は播土である。これは土に油糟と木灰とをよくかきまぜたものである。 二月に入つてから、この播土に種子を播いた。播いたその上を落葉と堆肥とで覆うて蓋肥とした。この上にさらに、早くからそのために織つておいた薦をかぶせて、かうして苗床の處置は一應終つた。 此頃の駿介は、朝は五時に起き、起るとすぐに鷄と山羊に餌をやり、家の表裏の掃除をすます。鷄はその後ずつとふえて八羽になつてゐた。掃除がすむ頃には妹達の手によつて飯の仕度が出來てゐる。飯がすんでも外はまだすつかりは明けきらない。窓から首を出して見るとすぐ眼の前の裏山もかくれるほど眞白な靄のやうなもので濁つてゐる。その靄のかげんと、家のなかを洗ふ水のやうな空氣の肌への感じで、ああ今日もいい天氣だなといふことがわかつた。すると朝毎に新しい彈むやうな生々とした力を感じた。 その冷い朝の間ま一時間ほど、すつかり仕事に出て行くばかりの恰好になつて、駿介は本を讀んだ。本を讀む姿勢は色々であつた。ほのぼのとしたあたたかみの傳はつて來る朝の竈の前に蹲まつて讀んだり、上り口に腰をかけたまま讀んだりした。彼は以前から、きれいに片附けた机の前に坐つてでなければ本を讀めぬといふ環境に慣れて來た人間ではなかつた。東京で岡島の家に使はれてゐた時には、道を歩きながら讀み、使ひに行つて返事を待つ間の玄關先きででも讀んだ。事情は今もその頃と殆ど變つてはゐない。 同じ頃、臺所の後片附けをした妹達は、茶の間へ來て坐つて、手内職にと此頃はじめた絹手袋のミシン縫ひにかかる。町の會社の出張所が近頃この村に出來たのである。娘相手の農家の副業とすれば、會社としては非常に安いものになり、女工を傭つたりするには及ばぬことである。それは手ミシンを向うで貸してくれ、裁斷した切地を渡されて、ただ縫ふだけである。手間賃は一ダース八錢だつた。絲はこつち持ちで、それは一ダースに二錢ほどかかるのだつた。仕事にかかると二人の妹は口もきかず、僅かな時間をも惜んで一心だつた。本を讀みながら、朝の靜かな空氣を動かして手ミシンがカタカタ云つてゐるのを聞くと、佗しく和やかな氣持を誘はれた。 年寄りは若いものと相前後して起きることがあり、その頃になつてもまだ寢てゐることもあつた。息子にもたれかかるといふのではないが、息子がしつかりして來て、力になつてくれてゐるといふ氣持は、何よりも親達にゆるゆるとした腰をのばさせた。襖一つ向うに漸く起きようとしてゐる氣配や、年寄りらしいしはぶきの聲にも安らかなものが感じられた。 さうかうしてゐるうちに朝の最初の光が射す。白い靄はまだ晴れ切らない。空は天心から青み渡つて行つて、山の上あたりはまだ靄にかすんでゐる。しかしそれはもはやただ白く濁つただけのかすみやうではない。その向うには空の青い地が透いて見える。そこへ明るく黄色い光りが滿ち渡るのだから、玻璃板をすかして見たやうな輝きになる。この朝の光りを見るや否や、駿介は仕事に出る。 彼は最初に煙草畑へ行く。夜ぢゆう上にかぶせておいた苗床の薦をすつかり取り拂つてやる。それがすむと戻つて來て、今度は堆肥を麥畑へ運ぶ。その頃は駒平も仕事に出て來るから、父と一緒の仕事になる。麥畑に堆肥をふり、また土をかける。十時になると彼一人また煙草の方へ行つて、苗床に水をかける。この水は午後の二時には二度目をかける。そして四時半頃、短い冬の日がかげり出す頃には再び薦をかぶせてやる。 苗床のかうした管理は、種子が發芽し、成長して、本畑に移植するやうになるまで續くことである。二月も半ばを過ぎれば暖かい春めいた日ざしの日が二日や三日は續いた。何もかにも新しいはじめての經驗に、駿介もこの季節のやうな若々しい力に溢れた。八
ある夜、床屋の親父の嘉助が駿介を訪ねて來た。彼はかねて駿介に約束した杜むろ松のきの鉢植ゑを持つて來てくれた。青の淡色で長方形の淺鉢に、二株の寄植ゑであつたが、それはいかにも可愛らしい小品だつた。去年植替へたばかりだから當分植替へはしなくていい、水さへやつてゐてくれればいいとの事だつた。駿介は喜んで彼の好意を受けることにした。 しかし嘉助がわざわざやつて來たのは、そのためばかりではなかつた。彼はかねてから一度駿介の所へ遊びに行きたいと、口癖のやうに云つてはゐたが、今日來たのはただの遊びではなかつた。彼は用事を持つてゐた。 ﹁兄さん、今日はひとつ相談に乘つておもらひしたいことがあつて來たんだが、どうだらうか。﹂ いい加減雜談に時を過してから、彼は云つた。 ﹁何です、相談て。何か面倒なことですか。﹂ ﹁いやあ、何も面倒なことなんぞぢや。したが人助けになることだもんだからね。﹂ ﹁人助け? そりや結構ですね。何ですか、一體。﹂ ﹁乘つてくれるかね、ぢやあ。﹂と、除ろに云つて、 ﹁森口醫者の息子、あれは駿介さん、よう知つてゐなさるんぢやらう。﹂ ﹁ああ、愼一さんですか。べつにさうよく知つてゐるといふほどではないが。﹂ ﹁したが、お友達ですやろ。﹂ ﹁いや友達といふよりはずつと先輩なんです、向うが。さあ、もう隨分長く逢つてゐないんでねえ。村へ歸つてまだ一ぺんも逢つて話してゐないんだから。﹂ ﹁一ぺんも逢つてゐない? 村へ歸つてから。何とそりやまあ。﹂彼は仰山に驚いて見せた。 ﹁そんな法つてあるもんでねえな。そんなとこは兄さんもまだ若わけえなあ。村さ住むやうになつたらやつぱし村のものとの附合ひといふことも考へんことにや。森口なんぞには顏を出しておいたがいいんだ。何かにつけてその方がええ。知らんなら兎も角、知つとりなさる仲なんだから。﹂ ﹁ええ、私もさう思つてはゐるんだが。歸つて來た當座すぐに逢つておけばよかつたんだけれど、何となくそびれつちまつた恰好でね。段々時が經つてしまふと一層億劫になつて。﹂ ﹁一體、お前さんとこぢや、醫者はどこさかかつてなさる。﹂ ﹁やつぱし佐久間と森口の兩方なんでせうが、わたしが歸つて來てから、生憎と、誰も醫者にかかるやうな病氣はしないもんだから。――それで何です? 森口に何か用事でもあるんですか。﹂ ﹁うん、お前さんがあそこの息子の先生と親ちかしいやうなら、ひとつ口を利いてお貰ひしたいと思ふことがあつてね。もつともわしから話したつていいことなんだが、お前さんからなら、一層好都合だなんどと思つて。﹂ 嘉助の話といふのはかうであつた。 貧しい小作農の長森といふのは、子澤山で有名だつた。妻のお石は殆ど毎年生んでゐるとはた眼に見られるほどに、次々に生んでばかりゐた。よく死なしもして、死なすために生むのかと嗤はれるほどであつたが、それでも今家には、やつと親の手助けがどうにか出來るやうになつた年頃の長女を頭に七人もゐた。そしてお石は今年四十一だつた。四十の聲を聞いて、もう生まぬかと、本人もわきのものもほつとした氣持でゐるらしかつたが、その時はもう、激しく働きながら生み續けに生んで來たお石の身體はガタガタだつた。多産なだけあつて、いかにもがつちりとして元氣だつた彼女の、急な弱り方が去年あたりから人々の眼につき出した。いや、弱りと故障は、もうここ數年出て來てゐるのだつた。ただ今までは無理が利いた。人にそんな氣配は見せずに押し通して來ることが出來た。周圍に弱りを見せたら、周圍のそれに對して示す反應が逆にこつちに響いて、自分は倒れてしまふだらうといふことを、本能的に彼女は感じ取つてゐた。それで張つて來れた意地を、此頃では張り通すことが出來なくなつた。 去年あたりから彼女はしきりに病むやうになつた。ちよつとしたことで倒れて、三日も四日も寢つくやうになつた。今迄とちがつて、醫者の厄介にもなるやうになつた。もつとも長森は今までも醫者の出入りの多い家だつた。しかしそれは親達ではなくて子供達だつた。長らく病んだのちに死んで行つた子供達もあつたし、生存してゐる者達も弱かつた。その上に今度は母親である。 その藥價の支拂ひといふものが、長い間滯りに滯つて來てゐる。村には醫者が二軒あつた。そのどつちにも、かなりの不義理を重ねてしまつた。それで隣村の醫者にかかるやうになつたが、ここでも不義理をして、頼みに行つてもおいそれとは來てくれないし、また厚かましく頼みにも行けなくなつた。この地方の村々には、東北地方の僻村などとちがつて、醫者は多い。少し大きな村には三軒はある。しかしそのすべてに、近くの方から、次々にかかつて見るといふことは流石にお石にも出來ない。またたとひ恥を忍び、鐵面皮になり得たとしても、醫者の方で警戒する。長森のさういふ噂は、もうかなりに廣く知れわたつてしまつてゐるのだ。 村には醫者に對するわるい習慣があつて、それは﹁癒つた時拂ひ﹂あるひは﹁癒らにや拂はん﹂といふことだつた。藥價の支拂ひをのばすために押す横車であつた。醫者の藥が果してどれほどの效果があつたかもわからず、癒り切らぬままに推移する慢性病の場合は勿論、治療の結果がはつきりしてゐる場合でも、その癒りやうが自分の思つた通りでないと醫者に楯つくものがあつた。醫者にかかるとき、何日ぐらゐで癒るかといふことをしつこく聞いた。最初からあとでの口實のためにしようとする狡いものもあつたが、醫者であればそれがはつきりと云へぬ筈はない、はつきり云へる醫者はいい醫者だし、云へぬ醫者はわるい醫者なのだと本當に信じてゐるものもあつた。病氣の性質から、さういふことは云へぬ場合もあるのだと、いくら醫者が説明してやつても聞き入れなかつた。仕方なく氣休めの言葉を何かかにか云ふと、その言葉を後生大事と覺え込んでゐて、醫者にかかつてゐる間、一日一日暦をめくつて、その約束の日に近づくのを、千秋の思ひで待ちかねてゐた。やがてその日が來る。しかも尚續いて醫者にかからねばならぬやうだと、彼等は騙されたと思ふのである。陰では騙りだの藪醫者だのと罵つた。本當に怒つて醫者の前で大きな聲を立てるものもあつたが、それは正直なもので、意識的なのは却つて素知らぬ顏をしてゐた。しかし、そのどつちもが、約束の日が來ても癒らぬ以上、それまでの藥價は拂ふには及ばぬ、それは當然のことだと云ふのだ。 醫者の支拂ひは普通半期半期であつた。その頃になると俄かに病苦を訴へるものも亦少くなかつた。以前に診てもらつた病氣がまだ癒つてはゐないと云はうとするのである。 お石の場合はさういふのではない。彼女が支拂はぬといふのは、全くただ貧しさの故で、寸毫の惡意もなかつた。彼女が醫者を轉々と變へて歩くのは、むしろ彼女の氣の弱さや、善良さをあらはすものであつた。不義理を重ねたところには、平氣な顏をして行くことが出來ないのである。醫者の家の玄關の把手を押す時の彼女は、うす氷の上を踏むやうな思ひだつた。それ故にこそ村の二軒の醫者も目をかけてゐたが、さうさう何時までもそんな風でやつて行くわけにも行かなかつた。彼女一人ではない、ほかの者等のこともある。考へて見れば、彼女と、もつと狡さうに見えるほかの者達との間にだつて、さう大きな違ひがあるわけでもなかつた。狡さうに見える者達だつて、やはり貧しさの故に拂はぬと云ふに過ぎない。彼等はただ幾らか氣が強いのだ。氣の強さを頼んで、彼等らしい、色々な理窟を云ふのである。 そのお石が近頃また病んでゐるのである。今度の病氣は、ひどく下腹が張つたり、引釣つたりするのだつた。不意に差し込むやうな痛みが來た。時々吐き氣を催した。立眩みをするといふことが珍らしくはなかつた。下腹に痛みが來る時には、出血を伴ふことさへあつた。 お石は不安であつた。近頃の彼女は一寸した身體の不調にも、甚だしい精神の動搖を感じた。何か非常な不幸の前兆のやうな豫感がして、さうすると一層心臟がドキドキして、一所にぢつと坐つたり立つたりしてゐることが出來なかつた。彼女の實感では身體の水分が乾上つて行くやうで、聲が上ずつたり、物を持つ手がふるへたり、視線が定まらなかつたりした。彼女の小さな眼はきよときよとして、追ひ詰められた動物のやうに恐怖にふるへてゐた。 お石は一度醫者に診てもらひたかつた。彼女はどんな醫者をも信じてゐた。醫者の言葉さへ聞けば、身體中のしこりが溶けるやうに今の不安が消えて、ゆつたりと落ち着いた氣持になれることをお石は知つてゐた。醫者が氣休めに云ふ言葉をも、そのままに信じて疑はず、有難がるやうな女だつた。今迄何人かの小さな子供達が、突然思ひもかけない死の轉機を取つたやうな時にも、それを醫者の罪として考へたことは一度もなかつた。その醫者を思ふ心が今度は特に痛切であつた。お石は今迄世話になつた幾人かの醫者の顏と、その診察室とを腦裡に思ひ浮べて見た。しかしその何れもが、踏むべき敷居として、彼女の前には高きに過ぐるのであつた。 お石は思ひ餘つた。不吉な豫感と恐怖とは益々募つた。その時お石は嘉助を思ひ出した。お石はかねてから、嘉助とは親しい間柄であつた。何かにつけて嘉助に泣言を聞いてもらひ、嘉助の強がりを聞いて慰めを得てゐるやうな一人であつた。で、今度も彼女は嘉助を訪ねた。そして訴へたのである。 嘉助は同情した。先生にいいやうに話して取り成してやるから安心しろと云つて歸した。それはつい今しがたのことであつた。 ﹁どうも可哀想なもんだからね。長森の家といふのは亭主がやくざで、女房が働きものなんだ。今女房に萬一のことでもありや、あの家は滅茶苦茶やからね。なアに、あの女がぢかに先生のとこさ行つて頼んだかて、厭だ、診るわけにはいかんなんて云ふこたアありやせんさ。人の命にかかはるこつちやからね。だもんで圖々しい奴らはみんなさうするんだ。醫は仁術と云ふことにつけ込むんさ。したが長森の女房にやそれが出來ん。しをらしいやうなもんだ。で、わしは今晩にも森口の先生んとこさ行つて頼まうと思うたが、わしはあの息子の先生のことはよう知らん。老先生は先月からずーつと京都の方さ行つてゐて、留守だと聞いているもんでね。そこで思ひついたのがあんたのこつた。これはあんたからの方がようはないかと思うてね。一つ行つて話してみてくんなさるまいか?﹂ さう嘉助は駿介に云つた。駿介は無論この頼みを請け合つた。 嘉助が訪ねて來たのはまだ宵の口であつた。駿介は今晩これからすぐに森口を訪ねることにした。まだ仕事着姿でゐた駿介は、手足を洗ひ、着物を着替へ、大急ぎで茶漬けをかつ込んだ。訪ねる家へ一緒に行くわけではないが、嘉助は一緒に出ようと云つてその間待つてゐた。 間もなく、暗くなつた夜道へ二人は連れ立つて出た。 駿介は菠薐草の束を風呂敷に包んで下げてゐた。それは非常によく出來た菠薐草で、駿介自身の丹誠に成るものであつた。何か手土産を持つて行きたいと思つた駿介は、咄嗟のこととて何も考へつかず、拔いて來て土間の隅においた菠薐草を泥のついたまま下げて來たのであつた。 ﹁家にゐるだらうね、森口さんは?﹂ ﹁そりやゐなさるよ。お醫者ぢやもの。それに老先生もお留守のことだし。﹂ ﹁一體どうなの。森口さんの醫者としての評判は。﹂ ﹁どつちかね? 息子さんの方かね、それとも――﹂ ﹁息子さんの方。﹂ ﹁そりや、評判のいいもわるいもないが。なんしろ、東京の大學を出とる醫學士の醫者なんてものは、この近在には一人だつてないからね。あの先生さ注射の一本も打つて貰やあ、どんな病氣だつてその場で吹つ飛んぢまふやうに思ふだらうからね。愛想つ氣のないとこなんぞ、却つて有難く見えるかも知れねえね。﹂ ﹁愛想つ氣の無い方なのかね。﹂ ﹁ああ、無愛想な方らしいね。だから餘り親切でないなんて云ふものもあるがね。﹂ 駿介は、かつて父から、森口愼一が、田舍の家を嗣がなければならぬ境遇に不滿であり、その父との間もとかく圓滿を缺いてゐると聞いたことがあつたのを思ひ出した。 今日これからの訪問を思ふにつけても、駿介は、彼が寄託されてゐるもう一つの事件、廣岡のことを思ひ出さないわけにはいかなかつた。それは此頃の彼の心に絶えず一つの鈍い重みとしてのしかかつてゐるものだつた。彼は引き受けてそのままになつてゐるこの寄託に對する毎に、ひどく憂鬱であつた。彼の責任感は疼いた。怯懦な氣持の重さに引きずられて、彼はまだその解決のための第一歩すら踏み出してはゐない。 道が本通りと交叉してゐる所で、二人は別れた。 ﹁ぢやあ、また後程。歸りには寄りますからね。﹂ ﹁どうぞよろしう。遲うなつても寄つて下され。起きてますによつて。﹂ 嘉助は左へ、本通りの方へ折れた。駿介は眞直ぐ前へ道を横切つて行つた。 間もなく森口の家の前へ出た。古風な冠木門のわきの潜門を彼は中へ入つて行つた。玄關は二つあつた。新しく建つた診察室にすぐ續く玄關と、古くからの住宅の方のとであつた。その後の方の戸を開けて、駿介は案内を乞うた。 女中が名を聞いて奧へ引つこんで少しすると、長い廊下の奧の方から、 ﹁ええ、誰だつて?﹂と訊き返す若い男の聲が聞えた。續いて、患者ぢやないのか、と云ひ、それに對して何か云ふ女の聲は聞えなかつたが、﹁なに杉野。﹂と云ふ聲ははつきり聞えて、すぐに廊下をこつちに來る足音がした。 出て來た森口は禮を返して、半信半疑らしく、そこに立つてゐる見慣れぬ男を見た。名を聞いてすぐに腦裡に兆した男の姿を、確かめようとするもののやうだつた。 ﹁ああ、やつぱり君だつたのか。﹂彼は叫ぶやうに云つた。顏ぢゆうが綻びた。﹁さア、まあ上つて下さい。﹂彼は手を取らないばかりにした。そして駿介が下駄を脱いで式臺に足を掛けた時、森口は大きな聲で女中を呼んで何か云ひ附けながら、廊下をずんずん先の方へ行つた。駿介は、下げて來た風呂敷包を、そのわけを云つて、女中に渡して、森口の後に續いた。 座敷に向ひ合つて坐つて二人は、その瞬間、何れも共通の思ひのなかにあつた。彼等は彼等が最後に逢つた時は何時であつたかと思ひ返してゐた。しかしそれはうすぼんやりとした印象のなかに消え去つてしまつてゐた。そのことは過去に於ける彼等の交友關係が、さほどに濃密なものでなかつたことを示してゐた。何れにしてもそれは彼等の學生時代であつた。それ以來今日までの間にはさまる時の經過を、二人はそれぞれ相手の身の上について思つた。彼等は互ひの變化を認め合つた。 ﹁どうして今迄訪ねてくれなかつたんです。つい眼と鼻の間にゐるのに。﹂ 彼はもうすつかり醫者であつた。いかにも學校出たての若い醫者らしい風格が、さうして和服姿で寛いでゐても身についてゐた。 ﹁どうもつい來そびれてしまつて……お歸りになつてゐるつてことは、もうずつと前に伺つてゐましたが。餘り長くお目にかからないでゐると、どうしても億劫になつてしまつて。﹂ ﹁僕も君のことは聞いてゐたんです。志村君からね。﹂ ﹁志村君にはよくお逢ひですか。わたしはずゐぶん長く逢ひませんが。﹂ ﹁さうですつてね。僕もさう始終といふわけではないけれど。﹂ それでも時々逢つてゐるとすれば、志村の方から訪ねて來ることもあるのだらう。近くでゐながら、その時駿介を訪ねることはしない。志村は避けてゐるのであらう。そして、その氣持は駿介としても同樣であつた。彼は志村と氣拙い別れ方をしたなどとは思つてゐなかつた。次に逢ふことの障害となるやうな感情を持ち合つて、別れたなどと思つてはゐなかつた。ただ彼等は二人ともに自分自身について自信がなかつたのだ。逢へば何となく苛立つばかりである。そのあとの氣持は何とも云ひ難いものだ。しばらく離れて各自がその信ずる處に從つて、各自の世界をもつと堅固な基礎の上に築きたい。ある程度それが出來てから逢ひたい。それまでは孤獨であることが必要である。さういふ氣持が自分にもあるし、志村にもあるのだと駿介は思つてゐた。又、森口を訪ねるのを億劫に感じてゐたといふのも、同じ氣持からのことだと彼は感じた。 ﹁君のことばかり云つて、僕が君を訪ねなかつたのを云はないのは滑稽だが、志村がね、まだ當分、訪ねない方がいいんだらうなんて云ふもんだから……。﹂ ﹁さういひましたか、志村君が。﹂と、駿介は微笑した。 ﹁さう云ふんですよ。久しぶりで逢つていきなり議論になつちやふからつてね。﹂と、森口も笑つた。 ﹁此頃どうですか、志村君は。何れ東京へ行くと云つてましたが、止めにしたんでせうか。﹂ ﹁此頃は落ち着いてゐますよ。身體もずつとよくなつたし、やつぱり何か一つ仕事を始めるとね。﹂ ﹁仕事? 仕事つて何を始めたんですか。﹂ ﹁へえ、君はまだその事も知らなかつたのかな。したつて、上原さんといふのは、君とは近いんでせう。﹂ ﹁ええ、上原はさうですが――上原の小父さんにも隨分長く逢ひませんが、あの人が何か――﹂ ﹁上原さんはね、今度縣で始めた、縣史編纂掛りの主任になつたんですよ。それで志村君は囑託になつてその下で働くことになつたわけです。去年の秋あたりから、ぼつぼつ仕事にかかつてゐるらしいんだが。﹂ ﹁ああ、さうでしたか。﹂ 上原の小父にさういふ話があるといふことは駿介もかつて聞いたことがあつた。縣史は明治三十年代に一度編纂されたことがあつたが、それはいかにも杜撰きはまるもので、新しい編纂の必要は早くから云はれてゐた。二年前に縣會の決議となり、豫算を組み、縣の學務部に縣史編纂掛りをおいて、いよいよその仕事を始めることになつたが、肝心の編纂主任について色々行き惱んだ。結局、郷土史の研究でその業績を廣く認められてゐる上原が、慫慂されて、その任に就くことになつたが、上原は彼一流の綿密さでプランを立てて見て、五ヶ年の繼續事業とするなら引き受けようと云つた。豫算では三ヶ年の繼續事業であつたのである。上原は三年では到底滿足な仕事は出來ないと主張した。飽く迄讓らなかつたので、そこでまた行き惱んでゐたのだつた。それまでのことを駿介は耳にしてゐた。今引き受けたと聞けば彼の要求は通つたのであらう。新聞にも出ただらうが、駿介は見逃してゐた。この正月もらつた年始状の端にも、その後どうしてゐるか、たまには遊びに來るやうに、とは書いてあつたが、縣史のことについては何もなかつた。 ﹁プランを聞いて見るとね、だいぶ大掛りのものらしいですよ。索引や年表を除いて四卷ださうです。縣には一應資料は集つてゐるさうだが、そのほか民間の資料も可能な限り見たいと云つてるんです。僕んところの土藏の二階にあるものもかなり參考になるらしいんでね、それで志村君がやつて來るんですよ。身體のことで前にもちよいちよい來てはゐたが……。此頃は丈夫になり、氣持も明るくなつて、戲談口の一つも利くやうになりましたよ。﹂ 志村がどういふ氣持からその仕事に携はるやうになつたとしても、今の彼にとつてそれはいいこと、必要なことだと駿介は思つた。 ﹁どうか君、今日はゆつくりして行つてくれ給へ。﹂ そしてその森口の言葉と同時位に、襖が開いて、女中が酒の仕度をして運んで來た。森口が何時家人に云ひ附けたものか、駿介は氣づかなかつた。すすめられるままに彼は盃を二つ三つ干した。 ﹁君も此頃では飮やるんでせう。激しい勞働をするものにとつては生理的な必要物らしいからね。﹂ ﹁激しい勞働﹂などと云ひながら、森口はしかしそこから駿介の今の生活に觸れて行かうとするのでもなかつた。彼は手酌でぐいぐい飮んだ。彼に醉はれる前に、肝心の話は耳に入れておかなければならなかつた。 ﹁實は今日は少し用事を持つて上つたんですが。﹂ 駿介が話し出した用件を、森口はふむふむと聞いてゐた。患者の長森の名は彼の記憶にあつた。聞き終ると、﹁ぢやあ、明日にでも寄越してくれればいいです。﹂と無造作に云つた。そしてそれつきり話を他へ持つて行かうとした。駿介が云つたことを、一體どれだけの注意をもつて心に留めたか、と疑はれるほどであつた。しかしそれは誠意を缺いてゐるのではなくて、何だそんなことか、そんなことは何もわざわざ斷るには及ばないぢやないか、何時でも來てくれたらいい、といふこころが色に現れたのであることが知れた。駿介が追つかけるやうにして念を押すと、彼は分つた、分つたといふやうに頷いて笑つた。そして話をまたさつきのところへ持つて行つた。 ﹁――その仕事のことでね、志村君は毎週一囘土曜日に上原さんの所へ色々打ち合せをしに行くんです。あんな黴臭い古反古のなかに首を突つ込んで、實際よくやつてゐると思ふよ。仕事が違つて了つてからの彼のことは餘り知らなかつたが、彼にはああいふ詮索癖みたいなものがもとからあつたのかな。﹂ ﹁兎も角非常に丹念な人ですからね。むしろ彼の得意な領域でせう。經濟史をおもにやつてゐて、學生時代にもう立派な論文があつたくらゐですから。﹂ ﹁道理で。好きでやつてゐる、熱意さへ持つてやつてゐるとしか見えないもんだから。――しかし上原へ行くのは苦手らしいですよ。今、息子さんが歸つて來てゐるんで、その人にひどくやられるらしいんです。此頃の志村は餘り人と議論はしたがらないらしいから。﹂ ﹁息子つていふと、――哲造さんですか。﹂ ﹁さう。君はよく知つてゐるんですか。﹂ ﹁いや、殆ど知らないんです。﹂ ﹁ひどい懷疑派らしいねえ。これは僕の想像だけれど、曾つての君對志村といふ關係が、今は志村對上原になつてゐるんぢやないかと思ふんだが。話の模樣を聞いてみると。﹂ ﹁さうですか。﹂ ﹁ところでどうなんです。君の此頃は、もうすつかり落ち着いて了つたんですか。﹂ 森口は漸く話をそこの所へ持つて來た。同時に彼の顏には適度の醉が現れてゐた。舌は滑かになり、聲は段々高くなつた。 駿介は一寸答へられなかつた。すつかり落ち着いて了つたのかといふ云ひ方のなかには、幾らか皮肉な調子が嗅ぎ取れなくもなかつた。 ﹁本當に落ち着いて居られるんならえらいけどなあ。僕は尊敬するけどね。――本當ですか。本當に君は田舍に歸り切りに歸つて來たんですか。このまま田舍に落ち着くんですか。﹂ ﹁ええ、落ち着くつもりなんです。﹂ ﹁そりや君、つもりでせう。そのつもりで歸つて來たんでせう、しかし一年經つて見てどうです。一年前と變つてゐませんか。一年前の意氣込んだ氣持を今も持ち續けてゐますか。﹂ ﹁變つたとしても惡く變つて來てゐるとは思ひませんね。意氣込んだ氣持といふものがあつたとすれば、それはもつと沈潜したものになつてゐると思ひます。興奮状態はさう長くは續くわけはないから。しかしそれだけ強くなつて來てゐると云へると思ひますね。﹂ ﹁それは正直なところですか。無理をしてゐる、もつと突つこんで云へばごま化してゐるといふところはありやしませんか。慘めな氣持を味ひたくはないと云ふ……この轉換が、この生活が失敗だつたとすればやり切れないことだ、それを自分に感ずることは堪らないといふ氣持があるから、深い底の方は見ないことにする、恐いものは見ないやうにして、そつと手前の方ですましておくと云ふやうな――﹂ ﹁さうだとすると、卑怯な、勇氣を缺いたことになりますが、僕は自分ではさうではないつもりです。見るもの聞くもの感じるものを、自分に都合が惡いからと云つて、拒否するといふことはない。僕にとつての問題はさうではなくて、その見たり聞いたり感じたりしたことの本當の意味を自分は果して掴んでゐるかどうか、或ひは、自分は本當に見なければならぬ、感じなければならぬものを、見たり感じたりしてゐないのではないか、――さういふことだと思ふんです。そしてもしさうだとしてもそれは、今の卑怯な氣持からではなくて、ただ僕がまだあらゆる意味に於て未熟だといふに過ぎない、もつと年を經、苦勞を積み、勉強をすれば段々分つて來るだらうといふ、極めて單純な、まともなことに過ぎないと思つてゐるのです。﹂ ﹁…………﹂ ﹁そりや色んな氣持といふものは起ります。しかしそれは氣持ですからね。感覺的なものを輕視していいわけはないし、夫々に根を持つてゐるといふ意味ではみな眞實なものだが、さうかと云つて互ひに矛盾し合つて起つて來るそれらを皆一樣に大切に思はなければならぬといふことはないでせう。どれにもこれにも忠實に一々引きされてゐたんぢや、やり切れない。感情の動きなんていふものは一つには習慣みたいなもので、かなりだらしのないものだから、これに對しては意志的な努力を差し向けることが、必要だと思ふんですが。それは決して壓力を加へて眞實を阻むといふやうなことぢやないんです。ただその意志的な努力も結局は生活に根を持つたもので、ただ觀念の上で氣張つて見た所で何にもならない、生活の上に確固とした目的が立つて、それに向つてひた向きであれば、感情の上にも自ら整理が行はれて健康であり得ると云ふやうなものです。その點でも私は昔は駄目でしたが今はいいわけです。﹂ ﹁ぢやあ、生活の上の確固とした目的といふ、その根本的な點での動搖は無いわけですか。﹂ ﹁動搖……といふやうなことがあるとしても、そのために却つて確信が強まるといふやうな――つまり最初からその解決を疑はないし、それが解決した時には自分は今の方向に益々強まつて行くだらう、とさういふ見通しの上に何時も立つてゐるのです。さういふ點ではひどく樂天的ですよ。﹂ ﹁ふむ、一つの信念になつてゐるわけだね、もう。﹂ ﹁…………﹂ ﹁どうも僕には納得の出來ないところがあるな、つまりその信念になつてゐるといふところだが……しかしまアいい、君は君の信ずる通りやつて行くだらう。――君は百姓に成り切れりやいいんだ。﹂ ﹁さうです。﹂ ﹁しかし僕はどうだ? 百姓には田舍しかない。今のこの農村を離れて百姓はない。君はもうちやんと縛り附けられて了つてゐる。それが君の強味だ。そう腰を据ゑられさへすれば君は幸福なもんだよ。しかし僕は醫者だ。醫者は何もここでなきやならんと云ふわけはないんだからね。﹂ ﹁…………﹂ ﹁君はインテリの皮を一枚一枚剥いで行きやいいんでせう。剥ぐことはじつに難しからうが、方向は一直線だ。僕はさうはいかないよ。インテリでも、地主の伜か何かで、上納米目あてに田紳として田舍に居る分にやいいが、僕等の若さで、醫者といふ仕事を持つて田舍にゐなければならんといふことは實際やり切れないことですよ。﹂ ﹁さうですかしら。﹂ ﹁若い醫者としての夢、希望、野心、さう云つたものは何一つ滿されやしない。仕事の上で何か一つの業績を上げようと云ふことだつて出來やしない。研究室の便宜も無いんだから。せめて近くに大學のある町でもありや助かるんですけどね。何しろ環境がこんなぢや。君が百姓に成り切るやうには、僕が田舍醫者に成り切るといふわけにはいかないんだ。醫者とは違ふ何かに成ることぢやなくて、醫者としては駄目なものに成り下つて行くと云ふことなんだから。それが見す見すわかつてゐながら、かうしてゐなきやならんと云ふのは、やり切れないことですよ。﹂ ﹁僕等には醫者の仕事と云ふものはよく分らないけれど、素人考へだけれど、さう諦めて投げて了はなきやならんものでもあるまいと思ひますが。﹂ ﹁といふと?﹂ ﹁若い醫者としての夢、希望、野心、さういふものを田舍醫者だつて滿される、いや田舍醫者ならこそ滿されるといふものがあるんぢやないかといふやうな氣がしますが。例へばその地方に特有な病氣とか、農民に最も多く見られる病氣と云つたやうなものがあるでせう。また何か新しい研究とか、發見とか云ふことではなくても、――さういふことだけが何も醫者としてのえらい仕事ぢやないんだから――例へば今の農村は醫療設備の方からいふと實に貧しい、衞生思想も遲れてゐる、醫者は居ても新しい學問をした醫者は少い、さういふ状態だから、自分の個人の力だけでも出來るだけの事をしてその缺を補つて行く、罹らなくてもいい病氣に罹り、死ななくてもいい病氣で死んで行く状態を少しでも改め、さういふ人間を一人でも多く救ふことが出來ればそれほど素晴らしいことはないでせう。さうだとすれば、ただ患者を診て癒すといふ日常の仕事のなかにこそ情熱を感じることが出來る。そしてそれが今日の醫者としてのほんとうの――﹂ ﹁そりや君、折角だけれど僕等は、さういふことは實際聞き飽きてゐるんだ。毎年の卒業生の中にはさういふ理想家といふものが少なからず居てね、丁度いま君が云つたとそつくりそのままの事を云つて、抱負を持つて田舍へ落ちて行くんだけれど、二年と一所に踏み止つて居たものはない。都會に居て、學生時代に想像してゐたやうなわけにはいかないんだよ。そりやさういふ連中の意志の弱さを責めることは出來よう、しかし責めて見たところでどうなりますか? その連中だつて何も特別弱い人間なわけぢやないんで普通な人間なんですからね。そして誰にでも普通以上を要求したつて無理なことですからね。問題はさういふ普通の人間が、やつて行けないやうな状態に、今日の農村があるといふことです。彼が自分の成長を欲する醫者である以上は、ね。僕は何も經濟的のことばかり云つてゐるんぢやありませんよ、そのほかの實に樣々な事柄です、彼の醫者としての發展を消極的にか積極的にか阻害するやうな。――すると、さういふ状態がわるい、田舍がどんどん優秀な醫者を吸收し、彼等が安んじてそこに止まり得るやうな状態に先づしなければならぬといふことに當然なるでせう。しかしそれは社會の組織とか制度とかの問題です。醫者の問題ぢやありません。僕等は技術家なんだから。﹂ ﹁それが醫者の問題ぢやないと云はれるんですか?﹂ ﹁無論醫者に關係のある問題ではあります。しかし醫者が積極的にどうかうしようといふ問題ぢやないと云ふのです。そりや、少し前にはさういふ問題も醫者の領域と考へた人もありましたがね。しかしそこへ首を突つ込んだ人達の成行きといふものは彼等はこの目で見て來てるんだから。彼等は飽迄もただの技術家として止まればそれでいいんです。やつて行けるやうになつたら行く、それ迄は行かない。社會改革的な意味で醫者が社會の先に立つ必要なんぞ何もありやしないんだ。﹂ ﹁さうですか、そんな風に考へてゐられるんですか。――それではたとへば未開の地の開發に於ける醫者の大きな役割などは醫者本來の仕事ではないと仰るんですか?﹂ ﹁僕は何も特別な場合の事を云つてゐるんぢやありませんよ。普通一般のことを云つてるんですよ。さういふ人は醫者として尊敬されるべきでせう。しかし誰にでも普通以上は要求出來ぬと僕はさつきも云つてゐるのです。――誰だつて物質的には惠まれた方がいいし、學位も、社會的な名も欲しいにきまつてますからね。どんな醫者だつて貧乏人よりは金持を、非常識な人間よりは物の分つた人間を、汚ない人間よりはきれいな人間を患者にすることを好みますからね。――また例へば、君なんぞは實に馬鹿げたことのやうに思ふかも知れないが、うまいコーヒーの一杯も飮みたいとか、うまいものを食ひたいとか、明るい夜の街を歩きたいとか、きれいな女を見たいとか、さういふことが實際には實に大きなことなんです。都會生活に慣れたものにとつちやね。田舍の生活に堪へられなくなつて逃げ出す原因の大きなものは案外さういふ卑近なものではないかと思ふくらゐです。ことに醫者にとつてはある程度の享樂は生理的な必要かも知れない。よく醫者は遊ぶと云ふでせう。何しろ醫者は一日中、病人相手ですからね、どうしたつてさういふことになるんです。――さういふ實際を見なくつちや。﹂ ﹁そりやさういふことはあるでせう。しかしそこまで考へなくちやならない、そこまでさういふ人と一緒についてらなくちやならないとなりや、僕はもう何もいふことはない、引き下るまでですね。――僕はいつも何かやらうといふ意志を持つた人間について云つてゐるんですから。今の農村の醫療状態を考へて、これに對して何等か積極的に働きかけるために農村に居を据ゑようといふ人間について云つてゐるので、さういふ人に、都會的な感覺的な享樂が許されぬといふことは、これは最初から既定の約束でせう。さういふことは最初から覺悟してゐべきことでせう。﹂ ﹁君は理想家だよ。だから僕がさつきも云つたやうに、君は結局、限られた特別な人間にあてはまることだけを云つてゐるといふんだ。﹂ ﹁さうでせうか。僕はさうとは思ひませんが。例へば感覺的な享樂的な要求といふものだつて、僕は非常に簡單に考へてゐるんです。習慣だと思つてゐるんです。日常の生活を少し意志的に規律することでどうにもなると思つてゐます。そしてそれは何も難かしい、特別な人間にだけ可能なことではない。大切なのは、簡粗な清潔な秩序ある勤勞生活です。朝は早く起き、冷水で身體を拭ひ、清潔な食ひ物を食ひ、よく筋肉を勞して働き、物事は何でも自分自身の頭で納得の行くまで考へ、一日の課程は必ず仕上げてのち眠る、といふやうな平凡な事がらの持續的な實行です。過去と未來との双方に無用に引きずりされることなしに、その日その日の生活を一つ一つ土臺石をおくやうにして積んで行くことです。僕自身はさういふ平凡な單純な一種の努力主義を自分の生活の信條としたいと念じてゐるのです。ある人々には少し現代離れがしてゐるやうに思はれるでせうが。しかしさういふ生活にあつては不健康な要求は起ることが少いし、またよし起つても意志を働かして抑へることが割合に容易だと思ふのです。無理な克己をせずに強ひられざる禁欲が出來るのです。禁欲は別に苦痛にはならない。そして僕は、別に禁欲主義者ではないが、さういふ風にして得られる禁欲は、――といふよりはその基礎をなす生活ですが――それは望みを持つ我々には必要であり、大切であると思つてゐるのです。﹂ ﹁…………﹂ ﹁僕はあなたが、今の若い醫者が田舍に住みにくいといふことに就て云はれたことは皆その通りだと思ひます。そのなかでも經濟的に惠まれぬといふことは矢張最も大きな原因ぢやありませんか。しかしそれはこれから田舍へ新しく足場を持たうといふ人のことで、あなたはさういふ人とはまるで違ふんですから。醫者としてあなた位しつかりした足場に立つてゐる人なんていふものは今日さうたんとあるわけはない。僕がさつき云つたやうな仕事のやれる條件は、少くともその外部的な條件はあなたには實に申し分なく揃つてゐる。僕などはあなたにそれをお願ひしたいのですが――﹂ ﹁君はまるで僕の親父そつくりなことを云ふ。﹂と、森口は笑つた。 ﹁この事に關する以上、僕はお父さんに左袒します。﹂と、駿介も笑つた。 ﹁僕の親父にとつては、十代續いた醫者としての家名、それもこの土地に於けるそれが絶對唯一のものなんですからね。ただそれだけなんです。そのために今君が云つたやうなことまで色々云つて僕を誘はうとするんです。此頃ぢや、早く嫁を持たせたら、といふやうな常套を考へて色々やつてゐる……。﹂ ﹁今はお留守ださうですが。﹂ ﹁そんなことのために京都へ行つてるんですよ。﹂ 話が途切れた。もう大分時が經つてゐるので駿介は歸ることにした。﹁どうも初めて來て議論なんかしつちまつて﹂と、駿介は辭去の挨拶を述べた。森口はまだいい、まだいいと云つてしきりに引き止めた。その引き止め方は、決して口先きだけのものではなかつた。 玄關までの廊下を歩きながら、駿介はもう一度、お石のことを云つて頼んだ。 ﹁ぢやあ、これから是非時々來てくれ給へ。僕の方からも行つてもいいが、君は忙しくてゐるだらうから……。﹂と、見送りながら森口は、本當に心殘りがするやうであつた。 夜は暗く、冷く、少しばかり飮んだ酒のために、身内から一層冷えて來るやうであつた。 ひどく遲かつたけれど、約束通り嘉助の店へ寄つた。戸に掛けた白いカーテンの向うは明るく、戸を叩くとまだ起きてゐた嘉助はすぐに立つて來た。中へ入れといふのを、遲いからと立話ですました。嘉助は明日の朝早速、お石を、森口の所へやるやうにすると云つた。九
翌日の午後、駿介は何時もよりは少し早目に畑から歸つて來た。そしてじゆんに云つた。 ﹁お前、煙草の水をやつといておくれ。おれ、ちよつと森口さんのところへ行つて來るから。――お父つあんは茄子の種播きなんだ。﹂ 彼は妹の手甲、脚絆の身支度に氣附いた。 ﹁あ、どこかへ行くんだつたのかい?﹂ ﹁わたし、山さ行つて粗朶を少し集めて來ようと思つて……。﹂ ﹁ひとりでかい。﹂ ﹁いいえお道と。﹂ 先に仕度をすまして下へおりてゐたお道が、その時庭の方から入つて來た。 ﹁ぢやあ、そつちはお道だけにせえや。﹂ 焚きものは、笹でも落松葉でも手近にあるものを何でも寄せ集めては焚いてゐた。しかしさういふものだけでは間に合はぬので、時々山へ木を集めに行つた。自由に入つて木の採れる山といふのは限られてゐて、そこまではかなりの道のりだつた。地上に自然に落ちて積んだ細枝を集めることだけが許されてゐた。一戸當りの分量が、年毎に少くなつて行くやうだ。粗朶も粗末には出來なかつた。 駿介とお道とは連れ立つて出た。二人は途中まで一緒に行けた。お道が先に立つて行つた。手甲に黒い脚絆をはき、白い手拭ひを姉さん冠りにして、負おひ臺だいを擔いでさつさと先を行く彼女は健氣な頼もしいものに見えた。荒い縞の膝きりの仕事着を着た後姿は、小さく可憐といふよりは、はしつこく、輕快で、肩にした負臺にも負けてゐるやうには見えなかつた。彼女はもう充分に大きかつた。後ろから見ると姉のじゆんと殆ど見境のつかぬ程であつた。歩幅の大きな兄の足が後ろからついて來てゐると思ふせゐか、時々スタスタと小走るやうに急いでそれからまた普通の歩みになつた。 長い間離れて暮し、歸つて來て一緒に住むことになつた時にはもう年頃になつてゐる妹を見た駿介の、妹に對する感じは、一般の兄妹の間のものとは多少違つてゐた。妹に、妹と同時に一人の女を感ずることが普通の兄の場合よりも多いと云ふことかも知れなかつた。彼には二人の妹が日常立ち働いてゐる何でもない姿が、非常に美しく見えることがあつた。米を磨いだり、竈の下を焚きつけたり、かじかむ手先で一心に麥稈眞田を編んだり、手ミシンを動かしたり、きりつとした野良着姿に着替へて立つたり、あるひは風呂から上つて軟らかくなつた手足を炬燵のなかに入れてうつとりとしてゐたりする、さういふやうな日常のすべての彼女等の動作が、駿介には生き生きと美しく、見ることで温かな幸福が感ぜられた。さうした動作のなかの一寸した動きや線などに、ハツと思はず眼を見張らさせられるやうな鮮やかなものを感じて驚くことがあつた。幸福な感じと云つてもそれは家庭的な愉悦とはまた別な豐かな感じであつた。しかしふと氣づいて、自分にこのやうな妹が二人もあるといふことを今さら思ふと、何か不思議な感じに打たれるのであつた。 通りが少し廣くなつた所で、駿介は少し急いでお道と並んで歩いた。 ﹁今日、森口さんに逢うたら、お道のことも相談して見ようと思ふんだ。ゆうべは酒を飮んでゐたし、それにほかの話がはずんで話すまがなくて了つたもんだから。﹂ ﹁わたしのことつて、あの、病院のこと。﹂ ﹁うん。﹂ ﹁そのことやつたら、森口さんに云はんかてええわ。﹂ ﹁え、どうして。﹂ ﹁わたし、病院へは入らんと、うちから養成所へ通ふけに。﹂ ﹁うちから養成所へ。さうかい、さうするかい。﹂ 彼女がさうきめたのは別にほかの理由からではなかつた。田舍の娘らしく人なかへ出て行くことに氣おくれしたといふやうなことではなかつた。彼女は家のことを思つたのだつた。煙草を作つてゐる農家で、たとへ女手でも働き手が一人減るといふことは大きなことだ。殊に今年は段別もふえた。選別に於て素ばしこい熟練者の彼女が居なくなれば、今年は杉野の家では當然人を一人雇はなくてはならないだらう。 看護婦の養成所は、郡内の村々を、一學期毎に移動し、自轉車で通ふことが出來、時間も午後一時から三時か四時迄であつた。それに、家の仕事の忙しい時には、休むことだつて出來た。 お道はその小さな胸で、家にゐて養成所へ通ふ場合と、病院へ看護婦見習で入る場合との、負擔の大小、自家に及ぼす影響について比較してみただらう。それについて別に改まつて駿介には相談はしなかつたが。そして自分の胸一つで一つの方へきめてしまつた。しかしきめたからと云つて、その時すぐに家の者に向つて發表するといふこともない。訊かれた時か、云ふ必要が來た時にはじめて云ふ。その決定に到達するまでの思考の經過などは別に云はずに、決定だけを云ふ。そしてそれを云ふ時には、當り前に、簡單に云ひながら、非常に確かな感じを聞くものに與へる。それはその方がいいといふ感じを與へる。何か助言すべき立場の兄にしても、別に何も云ふことも無い。 さういふ一々がきはめて自然な所に駿介はこの妹のしつかりした性格を感じた。聞かぬ氣で考へたことをぢつと腹に持つてゐるといふやうなところがあるが、それも何かギスギスした少女らしからぬものに支へられてゐるといふのでは無い。駿介はどのやうな社會へ出て行つても、この妹は大丈夫だらうとの安心が持てるのだつた。 ﹁たねちやんとこのおつ母さんはどこが惡いんやろ。﹂ ﹁今日森口さんに診てもらつた筈なんだがね。それでおれはどんな風だつたか一寸聞いておかうと思つて行くとこなんだが……。﹂ お石の娘のたねとお道とは學校友達だつた。しばらく行つて、道が分れてゐるところで二人は別れた。 森口の家の前まで來ると、門口に、オートバイが乘り手を待つばかりにしておかれてあつた。さうか、丁度往診の時間だつたな、と駿介は思つた。彼が砂利を踏んで門のなかを途中まで行つた時に、玄關の戸が明いて、黒い鞄を下げた森口が出て來た。 ﹁あ、お出かけですか。﹂と、駿介はすぐに引き返した。 昨日は久しぶりに實に愉快だつた、と森口は云つて、駿介がまだ云ひ出さぬうちに、 ﹁昨日の話の患者ね、あれは今朝來ましたよ。﹂ ﹁あ、さうですか。そりやどうも。――して、どんな風なんです?﹂ ﹁あれはどうも婦人科の方ですね。僕は專門外なもんだから。――このへんの醫者はみんな何でも診るらしいが、僕はさうはしたくないんでね。それで西山︵村︶にはそつちの方をやつた醫者がゐるんです。横川つて云ふんですが。知つてるでせう、名前だけは。あれは向うで開業する前にしばらく僕の家にゐたことがあるんです。それで僕が手紙を書いて、横川の方へ行くやうに云つておきましたから。﹂ ﹁そりやどうも色々有難うございました。﹂ 病氣のことは詳しく訊いて見たところで仕方のないことだから、駿介はそれ以上は訊かなかつた。森口は駿介の心になほ引つかかつてゐるらしいものを察して、 ﹁費用の方のことは大丈夫です。心配ありませんよ。患者の經濟状態を書いて、とくに僕から頼んでおきましたから。横川には僕の家からはその位のことは云へるんです。開業する時にも父からは色々助すけて貰つてゐるんだから。全然ただといふわけにはいかんでせうが……、しかしそれでも無理な時には遠慮なく云つて下さい。僕がいいやうにしますから。﹂ 駿介は厚く禮を云つた。往診に出る前の路上での簡單な立話をすまして、二人は別れた。 駿介は歸りに嘉助の所へ寄つた。お石は今朝早く嘉助から聞いて、森口を訪ね、その歸りにこれから横川へ行くと云つて嘉助の所へ立ち寄つた。それで嘉助は時を見計らつて、近頃傭ひ入れた小僧をお石の所へ走らせて、横川での樣子を聞かせた。駿介が嘉助を訪ねた時は、丁度その小僧が少し前に歸つたといふところだつた。その報告に、横川ではよく診てくれて、毎日通うことになつたといふことだつた。西山まではさほど遠くはなく、乘物の便もあつたし、都合がよかつた。 駿介と嘉助は、萬事好都合に運んだことを互ひに喜び合つた。 駿介は元氣が出て來た。小さな事柄ではあつたけれども、物事が順調に都合よく行つて、關係者一同が滿足し、喜ぶことが出來たといふことは彼には實に愉快だつた。彼はこの愉快な、晴れ晴れとした氣持に乘じて、かねて懸案の、廣岡の問題を一擧に解決して了はうと思つた。彼は伊貝に逢ひに行かうと思つた。 しかし伊貝への紹介を貰はうと思つて、駿介が再び村長の岩濱を訪ねた時に、彼は伊貝が所用あつて二三日前に大阪方面に赴いて、まだ歸つてゐないと云ふことを聞かされた。十日間ぐらゐは向うにゐるつもりだらうと云ふことであつた。駿介は腰を折られたやうな氣がした。しかしまた何となくほつとした氣持でもあつた。何れ逢ふのであるから、紹介状だけはもらつて歸つた。 さうして彼はまた仕事の忙しさに取り紛れ、一週間がまたたく間に經つた。その間彼は誰にも逢はなかつた。するとある夜、絹手袋のミシン縫ひに使ふ絲を買ひに野田屋へ行つたお道が、お石のことを聞いて歸つて來た。 ﹁兄さん、たねちやんとこのおつ母さんがやつぱり惡いんだつて。﹂ ﹁なに、お石さんがかい。﹂ ﹁ええ、わたし今店の前でたねちやんに逢うたの。兄さんに話を聞いて居つたもんやけに、見舞を云うて訊いて見ると、おつ母さんはちつとも良うはならんのやさうな。横川さんにかかつてから却つて惡いぐらゐなもんやさうな。﹂ ﹁却つて惡いぐらゐ? それで寢込んどるのか。﹂ ﹁いいえ、起きとるんやと。起きて働いとるから良うならんやらうとたねちやんも云うとつたけれど。﹂ たねはお道に、兄さんには云はんといて、と云つたといふ。 翌日、駿介は嘉助を訪ねた。訊いてみると嘉助は何も知らぬといふ。嘉助は醫者にかかつてゐるといふだけで安心して、その後お石を訪ねもしなかつたし、お石の方からも亦訪ねて來なかつた。嘉助は、なに、病氣はみんな一週間や十日で癒るとは限るまいし、と云つて別に氣にも止めずにゐるやうであつたが、駿介は何となく氣になつた。惡いことが起りさうな氣がしてならなかつた。駿介は豫感は信じる方だつたので、兎も角一度お石を訪ねて見ることにした。 駿介はお石に逢ふのは今が始めてであつた。隣の部落だから家も人間も見て知つてはゐた。一緒に行かうといふ嘉助を、仕事の手をあけるには及ばないと止めて、一人でその家の方へ歩いて行つた。するとその家の前まで行き着かぬうちに、彼が行く道を向うから、猫車を押して來る一人の女に出逢つた。お石の家はこつちから行つて道の左側で、女がその家から出て來たのを、駿介は遠くから見て知つてゐた。 ﹁長森さんですか。﹂と云つて、駿介は狹い道をわきへよけるやうにして挨拶した。﹁おはじめてですが。私は杉野です。﹂ うつむいて、ゆるりゆるり重い足取りで猫車を押して來た女は驚いて顏を上げた。 ﹁ああ、杉野のあんさんでしたか。これはこれはまア。﹂と、お石は小腰をかがめるやうにしたが、猫車の柄を押してゐる手を下におくことは出來なかつた。その小さな車には三俵もの米が積んである。お石は、 ﹁此度はどうもえらいお世話樣をいただきまして。﹂と云つて、顏に無智な善良な女のものである羞恥の色を浮べた。その顏は殆ど血の氣を失つた憔悴し切つたものであつた。唇までが土氣色であつた。喘ぐ息をおさへながら出す苦しさうな聲や、口中にわく生唾や、髮の亂れがへばりついてゐる額の汗のねばねばなどが、駿介には自分のもののやうなせつなさで感じられた。 ﹁駄目ぢやありませんか。休んでなくつちや。そんな無理な仕事なすつちや。﹂ 駿介は思はず叱るやうな調子で云つた。猫車にこれだけの重量を積んで行くといふことは容易なことではなかつた。少くとも駿介如きにはまだ出來ることではなかつた。猫車の構造は車輪が一つなのである。上に荷物を載せる臺があり、車には柄がついてゐて、普通の車は車に背を向けて引いて行くのを、これは前へと押して行くのである。非常に狹い田舍道をも、かなりの量の荷をつけて行くことが出來るやうにと工夫されたものである。人が押して行くのを見るといかにも造作無ささうだが、慣れるまではただ一つの車輪が今にもぐらりと行きさうで、中心を取つて行くことが容易ではなかつた。それは力を要したが、また力だけのものでもなかつた。ぐらりと横に引繰り返ることは事實よくあつて、引繰り返つた以上は荷物をつけたままではもとへ直せるものではない。 ﹁横川さんにはずつと通つてゐますか。﹂ お石は低い聲で、ええ、と答へて改めてこの間からの禮を云ひ始めた。駿介はどういふ風な病氣なのか、醫者にかかつてからの樣子はどうかといふことを訊いてみた。お石の云ふことは曖昧であつた。初めは、人に知られたくないやうな病氣のせゐかと思つたが、少し話してゐるうちに醫者も話してくれないし、自分にもよくわかつてゐないのだといふことがわかつた。治療としては毎日洗滌してもらつてゐるだけだといふ。 ﹁自分の感じではちつともよくはならないんですね。﹂ その問をさうだと肯ふまでには、お石は氣の毒なほどに色々餘計なことを云つて言葉を紛らしてゐた。何かの罪をでも承認させられるかのやうであつた。辯解でもするやうな云ひ方で、以前からの樣々な不快な症状が、輕快せぬどころか、却つて惡くなつて行くやうだといふことを認めた。しかしそれを云つたあとで、それ等はみな、身體を横たへて休んで居らねばならぬのに、さうした養生を守らぬ自分に罪があるので、いささかも醫者のせゐではないといふことを、くどいほど繰り返して云ふことを忘れなかつた。 そんな所の立話では、長話をしてゐるわけにはいかなかつた。間もなく駿介は、お大事に、と云つて別れた。 それにしてもお石は、あの三俵の米をどこへ持つて行くのであらうか? 駿介は歸る途中そのことを考へた。精しらげるために水車場に持つて行くのだとは思へなかつた。三俵一時にではあるし、それと彼女の行く方向は違つてゐた。お石は飯米として今迄取つておいた米を賣りに行くのだとしか思へなかつた。よほど來てから後ろを振り返つて、お石がどの道に向つて折れ曲つたかを知つた時、駿介は自分の考への當つてゐることを知つた。 その晩、駿介はまた森口に逢つた。 駿介は自分の疑心を素直に森口に語つた。駿介は醫者の横川を全然知らなかつた。彼の人間も醫者としての手腕をも全然知らなかつた。だから駿介が横川を信用出來ぬ醫師ではあるまいかと疑つた時、その疑ひには確かな根據はなかつた。それはただの感じだつた。しかしこの場合駿介は自分の感じを重んじた。お石の病氣の惡化、或ひは少しもよくならぬことが、必要な安靜を取らぬといふことにばかりあるのではないやうな氣がした。その氣持は横川を語るお石のぽつりぽつりした話を聞いてゐるうちに起つて來た。横川の手腕のほどはわからない。しかし彼は、はじめから施療ときまつてゐる患者に對しては冷淡であるやうな、そしてそのために手腕そのものも鈍つてしまつたやうな醫者の一人ではないのか。 ﹁横川さんといふ人をとやかく云ふやうでわるいけれど。ことに僕が全然その人を知らぬくせに、あなたが患者をさし向けて下すつた人のことを批評するのは間違つてゐるのですが。しかし患者に云ひ聞かせてもいいことを、否むしろよく納得させることが必要でさへあるやうな事をまで、餘計なことを訊くな、と云はないばかりなのは、――もつともあの女は決してそんな風には云ひはしなかつたけれど、それは僕の飜譯なんだけれど、どうも感心しないんです。あのやうな、まア無智といつていい女には、病氣についてもよくよく安心の行くやう説き聞かせてやることが必要なんぢやないですかね。そんなやうな態度は、診立てや治療にも決して無關係だとは云へないと思ふんですが。﹂ 森口は別に氣を惡くしたやうには見えなかつた。 ﹁僕も横川といふ人物は餘り知らないんでね。この家に居て親父を手傳てゐたのは、僕の學生の頃で、その頃僕は東京で家にはゐなかつたんだし。僕が歸つて來てからは、時々向うから親父の所へ來るので、僕も逢つて世話話をする位なもんなんです。婦人科だもんで向うへしたが、或ひはこりや僕の失敗であつたかも知れない。なに婦人科だつて僕が診れんといふわけはないんだが、田舍の醫者は、内科も外科も産婦人科も耳も鼻も眼を何もかも一緒で、誰も怪しまないんだが、僕はまだすつかりさうは成り切れんもんだから……そんなことを云つては居れない、追々僕もさうなつてしまふでせうけれどね。﹂ 彼はしばらく考へるやうにしてから、かう云つた。 ﹁ぢや、かうしませう。一度藤崎さんに診て貰ふやうにしませう。﹂ ﹁ああ、藤崎さんに。さうですか、さうして戴ければ。﹂ 縣廳のある町に産婦人科の病院を持つてゐる藤崎氏の名を知らぬものは少い。人格、識見、力量の兼ね備はつた醫者として知られ、この地方の名士の一人である。 森口はすぐに手紙を書かうと、机の上に紙を展げにかかつた。藤崎氏は森口の學校の先輩である。 ﹁藤崎さんのことは此間も、一番さきに僕の頭に浮んだんだけれど、何しろ少し遠いでせう。通ふといふことになると大へんですからね。それでああしたんです。﹂ 彼は手紙を書き始めた。 その手紙を持つて、その翌日、駿介はお石に附き添つて、町の藤崎病院へ行つた。 お石は藤崎氏に診て貰つた。診察がすむ間駿介は待合室で待つてゐた。五十には尚少し間のありさうな、立派な顏をしたその醫者は、森口の添書を駿介の手から受け取つて披いて見た時の態度から云つても、駿介に充分な信頼を抱かしめることが出來た。 間もなく看護婦が呼びに來たので、彼はそのあとについて行つた。診察室の前の廊下に藤崎氏は立つてゐた。お石はまだ部屋に殘つてゐるものか、見えなかつた。藤崎氏は、 ﹁あなたは、長森さんの御親戚の方ですか。﹂と訊いた。駿介は事實を云つた。森口の友人である彼が、この患者を、今日ここに連れて來るまでのことを簡單に物語つた。藤崎氏は頷きながら聞き終つて、 ﹁さうですか。――實はあの患者は、手術をしなければならんものですから。﹂ ﹁手術を?﹂ ﹁ええ。あれは子宮外姙娠なんです。もう一寸のことで大變なことになるんでした。破裂して了つたらそれまでですからね。いい時にゐらして下すつたものです。﹂ 駿介は思はずどきりとした。しかしすぐによかつた、よかつたといふ、喜びとも安心とも云へる氣持に心が躍るやうだつた。 お石を待たせて、駿介は大急ぎで村へ歸つた。そして彼女の夫の萬次を連れて、再び病院へ戻つて來た。萬次は愚圖で働きがないと世間からも云はれてゐる男である。今朝、お石を連れて病院へ行くといふ時に、駿介は初めて彼と逢つて話をした。彼は自分の妻の病氣について大して心を勞してもゐない風だつた。駿介に云はれ、周圍の者が色々心配してくれるのを見て、初めてそんなものかと思ふ樣子であつた。しかしそれから四時間の後、病院への乘合の中で、萬次はこの寒空に汗ばむ額を手拭ひでおさへながら、落ち着きなく窓外を見やつてゐた。 病人の手術は、藤崎氏の執刀で、その日のうちに行はれた。 手術後の疲れと安心から、うとうとしてゐるお石の蒼白い顏を見て、駿介はその日は夜になつてから歸つた。經過は非常に良好であつた。退院の日まで、時々來ては見舞つた。嘉助と一緒に來たこともあつた。退院する頃になると、どす黒いものが底に澱んでゐたやうなお石の顏の青さがきれいに澄んで、乾いた皮膚も何となくしなやかになつたやうに見えた。顏はかなり瘠せた。しかし肉が落ちたのではなくて、それが彼女の常態の顏なのであつた。入院前には、病氣と過勞とから心臟をいためて、顏にむくみが來てゐたのであつた。異常姙娠が手術的に處置され、安靜にして寢てゐる間に、もともと機質的に缺陷のあるわけではない心臟はすぐに平常に復した。貧血状態も去つた。 病氣で寢てゐる間も、苦勞性のお石の心にかかつてひと時も離れない心配事があつた。このやうに立派な病院の一室に、このやうに鄭重な取扱ひを受けるといふことは、まるで夢のやうなことである。さう思へば思ふほど心配は大きかつた。これら一切の諸掛りは一體どうなるのか。しかしさうした心配は一切無用だと、彼女がそれに就て何も云ひ出さぬうちに、さうした心配が患者の囘復にどんなに有害であるかを知り盡してゐる醫者から云はれ、駿介や嘉助からも云はれて、彼女は本當に安心した。それを聞いたあとは、何もかも忘れた深い深い眠りに落ちた。眠りから覺めては、皆の言葉を思ひ出して涙をぼとぼとこぼしてゐた。人前をも憚からなかつた。 安心し切つた彼女の眼の落ち着きは、彼女の容貌を以前とはまるで變へて了つてゐた。駿介は人間の容貌が短い期間に、このやうに大きな變化を示すことが出來るものとは思はなかつた。それは時には、例へば床の上に半身を起して、家から連れて來られた末ツ子を膝の上に遊ばせてゐる時などは、美しくさへあつた。それは精神的な美しさでさへあつた。深く沈んだ、人の心を和め温かめるやうなものがその姿にはあつた。 肉體に必要な休養と、心の平安と滿足と感謝とが、どんなに人を美しくするかを駿介は初めて生きた實際として見たと思つた。それは貧しい農婦の上に現れたものだけに、特に際立つて見えた。だがこの状態はお石の上に何時まで續き得るものなのであらうか? 貧窮と過度の勞働と、心の不安と焦躁とが人をどんなに醜くするかをも、駿介は同時に見たことになる。 お石の手術料や入院費等は、藤崎氏の好意で、殆ど無料だつた。しかし規則もあつて全然無料であるといふわけにもいかなかつた。その分は森口が進んで全部負擔してくれた。 お石が退院してから、駿介は、今度のことにつき、森口の所へ改めて禮を云ひに行つた。 ﹁喇叭管姙娠て、さう診斷が難かしいものなんですか?﹂ ﹁ええ。初期には診斷が困難なものです。ただの炎症か何かに思つて處置してゐたんでせうね。﹂ 二人は暫らくそんな風に病氣の話をした。 ﹁今度は君のおかげで、幸に人一人の命を救つたけれども、ああいふ病人は決して特別の場合ぢやない、あんなのはざらにあると思はんけりやなりませんからね。﹂と森口は云つた。 ﹁ええ。﹂ ﹁貧窮の程度だつて五十歩百歩です。病氣になつた時にすぐ醫者の所へ來れる患者などはずつといい部類なんだから。無理をして押し通し通せる病氣もあるし、押し通し得ない病氣もある、――先達てもね。ひどく血を吐いたから來てくれと云ふんです。行つて見ると肺です。それも實にひどいんです。よく若い人に見るやうな、それまでさう惡くもなくてゐて突然喀血したといふやうなのとは違ふんです。それがさうして倒れる直前まで畑に出て鍬を振つてゐたといふ。聞いてみると勿論咳も痰もひどく熱も高かつたが、年寄りが、そりや痰た咳んだから醤油食ふな、といふんで、本人もそのつもりで鹽氣を出來るだけ斷つて通して來たといふんです。まるで滅茶ですね。しかしこれだつてただ無智といふだけですませますか? 假りに肺病だといふことが本人にはつきりわかつてゐたとしたら、では醫者にかかつたでせうか? 却つてかからなかつたんぢやないかといふ氣がするんです。――二三日前にも子供が眼が惡いからといふ、診ると惡いどころぢやない、角膜軟化でもう手遲れです。ヴイタミンAの不足から來る奴です――よく都ま會ちぢや、田舍の人は健康だ、丈夫だ、と云つて、何かのお説教の材料にまでしてゐますが、僕が醫者になつて歸つて來て、田圃道を歩いて見て驚いたのは、病人ばかりが眼につくことです。バセドウ氏病で眼が飛び出してゐるやうなものでも、眞黒になつて田圃の眞中にゐさへすりや、人は健康だといふんでせうからね。田舍の人が丈夫だといふのは、無理を押し通す力の強さ、といふことなんです。――あの女は幸に、君といふ人に巡り合ふことが出來た。僕もなんとか力を盡すことが出來た。しかし君は同じやうな誰でもにあの女に對すると同じ手を差しのべることが出來ますか? また僕は醫者だから經濟的な能力のないみんなにああしてやるべき義務があると云ふことになりますか? さういふことを考へると僕は實に憂鬱になるんだ。﹂ ﹁…………﹂ ﹁この間の晩、君と話しましたね、僕は田舍にゐることがいやだといふことの理由を色々と云つた。君から云へば薄弱だとしか思へないやうな理由を色々とあげた。君はそれに對して、田舍醫者としても情熱をもつて事に當り得る仕事があるといふことを云つたが、僕も實にさうだと思ふですよ。しかし僕が醫者として田舍に居辛く思ふことの最大の理由は、あの晩は云はなかつたが、矢張君の云ふその仕事をずつと考へて行つたその先にあるものなんです。人は心理的に一番壓迫を受けてゐるもののことは云はずに逃げてしまひ、その他のことを尤もらしく云ふといふことがあるものらしい。相手が自分と同じ立場に立つてものを云つて來た時に、それに素直に賛成しないで、却つて自分を反對の立場においてものを云ふ、といふことを往々やるものらしい。あの晩の僕はさうだつた。しかし實際は今云つた通りだ。僕は最初から醫者、技術家といふものの限界を感じてるんだ。いや、既に實際においてその限界にぶつかつてゐると云つた方がいい。僕はこの二年間に少しは色んなことをやつて來てゐるからね。君があの女に對してやつたやうなことを。しかしその度毎に深くなつて行くのはどうしやうもないやうな感じです。そしてかういふ感じから脱け出したいために田舍を出たいと考へて來る。今け日ふ日びの醫者はどこへ行つたとて同じ感じを免れませんが、それでも都會では見たくないものを常に見なければならぬとは限らないし、社會施設だつてあるから、紛れます。田舍ぢや全貌がまるだしなんだから……そして總てが自分一人にのしかかつて來る感じなんだから。――それとも君は僕に、技術家以上のものたれと要求するんですか?﹂ 駿介は答へられなかつた。若い醫者としての森口の惱みは、この前の晩とは異つたものとして駿介に來た。この前の晩以來、駿介の心の底には森口に對して一つの評價があつた。自分が持つてゐる程度の社會感覺をも持たぬ人間として森口を考へたことを駿介は恥ぢた。森口は默つて彼の任務と考へる所を實行して來たのである。ただその行爲は彼の恩顧を受けたもの以外には餘り知られてゐなかつた。森口の人柄にもよるし、恩を受けながら、特別な取り扱ひを受けたと人には思はれたくないといふ彼等の心理にもよる。 それでも尚駿介は、森口に向つて云はずにはゐられなかつた。 ﹁僕にも分らない。僕にだつてあなたがわかつてゐるぐらゐのことしか分らない。しかしそれでも僕はあなたがかうして田舍に留まつてゐてくれることを願はずにはゐられないのです。ほかの醫者がゐてもあなたがゐなければ、當然死んでゐるべき筈の人間が、あなたのお蔭で一人でも生きたとすればそれは素晴らしいことではないでせうか。あのお石といふ女が、僕等の手で救はれなかつた時のことを考へて見るだけで充分だと思ひます。さういふ誇りと喜びは醫者の持つものとして大きなものではないでせうか。この地方の醫者として留る時、あなたは特別な人物です。掛替へのない人物です。しかしあなたがほかのどこかの土地へ行つた時、あなたは普通の人物です。醫者としてえらくなつたとしても、この土地に於ける程に特別な存在であることは出來ないと思ひます。醫者といふものの社會的な人間的な職分からしてあなたはどつちを取るか? 僕は敢えてさう云はずにはゐられないのです。勿論あなたはすべてを行ふことは出來ない。あなたには限界がある。しかしあなたが一個人であるといふ當り前な約束から來る限界を憂ふる必要はないでせう。またあなたが技術者以外の何かである必要もないと思ふ。政治家などである必要はないと思ふ。自分の能力に從つてやれるだけのことをやるほか、どつちみち道はないでせう。﹂ さう云ひ終つた時、駿介の心には何か滓のやうなものが殘つた。彼は云ひ切つたけれど割り切れぬものがあつて心に殘つた。殊に最後の一句はひつかかつた。事に當る當の本人が自分ではないといふこと、醫者でない自分が、實際に困難な一々の場合を想像することが出來ないといふことが、彼の心理に働き、彼の言葉の力を削ぎ取つてゐた。 森口は默つて聽いてゐた。十
翌朝、駿介はいつもの時間に快い眠りから覺めた。床の中にゐた時から、ひどく暖かだと思つた。起きて少し動いてゐるうちにもう汗ばんで來た。 ﹁馬鹿にあつたかだなあ。今日は。まさかおれのからだのせゐぢやないだらうな。﹂ と、彼はお道に云つた。 ﹁ええ、今日はえらうぬくといわ。﹂ ﹁まるで時を間違へたやうだな。﹂ 雨かな、と思つて空を見たが、空はまだほとんど暗い。雨らしい樣子もなかつた。 ﹁じゆん!﹂と、彼は外に向つて呼んだ。裏口からじゆんが馬穴に水を入れて、下げて入つて來た。 ﹁今日、お父つあんの代りにおれが行くからな、古崎へ。煙草の方はお前してくれろよ。﹂ ﹁大丈夫? 一人で。――はじめてやらうが、兄さんは。﹂ ﹁はじめてぢやない。お父つさんに附いて行つたことがあるよ。﹂ 古崎は二里ほど離れてゐる一寸した町で、鐵道が通じて居り、女學校がある。白砂の濱で聞えた海岸の景色が美しいので、夏には人の多く集る所である。この邊の百姓はこの町に肥を取りに行く。杉野の家でも行く。 この數日、駿介はお石の事にかまけて、家の事が人任せになつた。さういふことがあつた後には反作用的に家事に熱心になるのが常であつた。肥取りには今迄いつも父が行つた。駿介も附いて行つたことはあるが、肥桶を車の上に乘せたり、歸りの車を父に代つて引くことがあるくらゐで、汲み取りの仕事には從はなかつた。父を手傳ふといふよりは、何でも見習つておかねばならぬといふ考へからついて行くと云つた方があたつてゐた。 しかしこの仕事を今迄父にだけさせておいたのは不當だつた。彼が代つてやらぬといふ法はなかつた。車に乘せる肥桶は擔ひ桶よりは少し丈が小さく、近頃は昔より一層小さくなり、杉板の厚みは薄くなり、洗つて乾してでもおけばとても肥桶なんぞとは見えない綺麗作りになつた。それは桶を乘せて運ぶ車の、荷馬車から手車への變化に應じてゐるものだつた。荷馬車は近頃餘り見られず、手車は普通よりは長目の荷車だつた。しかしそれでも、内容物の一ぱい詰つた桶一個の重量は、十貫はあらう。八荷あるひは十荷を積んで引くにはずゐぶんの力がいる。若者がゐないならともかく、若者がゐながら年寄りの仕事にしておく法はないのである。 駿介は、間もなく起きて來た父にも、 ﹁お父つあん、今日、古崎へはわたしが行きますから。﹂と云つた。 ﹁さうけ。お前ひとりでええかな。﹂今日は自分が從のかたちで附いて行かうかといふことを駒平は云つた。 ﹁なに、いいですよ、ひとりで。――じゆん、辨當を作つてくれよ。辨當は竹行李のを持つて行くから。塗箱のぢやなく。﹂ 飯を食つて少し休んでから駿介は出掛けた。今日は始めてのことだから、八荷だけにした。車を引いて行くうちにあたりがだんだん白んで來た。町がまだ眼ざめぬうちに汲取りをすますやうにしないと、人々に嫌はれる。それで今朝はいつもよりは早く起きたつもりであつたが、この分だとさうはいかぬと思はれた。それに不慣れなために、時間を多く食ふといふこともある。 依然暖かであつた。雨を持つてゐる濕つぽいやうな暖かさではなしに、ほんとうに春が來たやうな、肌ざはりのいい、のんびりした暖かさであつた。しかし餘りに急に來たので、からだの組織がだらけて行く不快さであつた。二月の中頃から彼岸頃までは、氣候が屡々變調する。突然、四月過ぎ五月はじめ頃のやうな陽氣になつたかと思ふと、また俄かに冬の寒さが來る。空から白いものを見たりする。今日もさういふ日の一つだと思つた。駿介ははじめ襟卷と手袋をしてゐたのを、汗ばんで來たので取つた。が、少しすると、車の引手を持つ手がねちやつくので、手袋だけははめて行つた。 前、後ろを見ても、同じ車が行くのは見當らなかつた。彼が引く車の車輪の音だけが靜かな朝の空氣を破つた。暫くするとその音に、もつと大きな他の音が後ろの方から追ひつくやうに重なつて來るので、振り返つて見ると、空の荷馬車が一臺だつた。そしてそのもつと後ろには、駿介のと同じ車が二臺前後して來るのが見えた。何か急いでゐるやうな荷馬車はすぐに、ガラガラと大きな音をさせて彼を追ひ越して行つた。バラスが路面にはみ出してゐるやうな道なので、音は殊更に大きく、通り拔ける時、馬の手綱を取つてゐる男が何か云つたのも駿介には聞きとれなかつた。駿介は返しに、大きな聲で朝の挨拶を云つた。車の音は間もなく遠ざかつて行つた。するとそれが消えたと思ふと、すぐ耳のわきに若々しい話聲がして、振り返つて見る間もなく、二人の學生服の青年が背中にリユクサツクを負つて、輕くはずむやうな足取りで通り越して行つた。朝靄の中から生れ出たやうで、駿介にはそれがいかにも新鮮な感じだつた。リユクサツクを背負つた學生や、さういふキビキビした若い聲は久しぶりなだけに一層だつた。白砂の濱で聞えた町はもうかうした人々を呼ぶ頃になつてゐるのであらう。彼はそこにも季節を感じた。青年達の後ろから何か話しかけてみたいやうな愉快な氣持になつた。 兩側の畑にはぼつぼつ百姓の姿が見えはじめた。この邊になるともう村も違ふし、知つた顏も全然なかつた。人の畑の麥や蠶豆などの生長の樣子が注意されて、自然自分の畑のものと較べて見るやうな氣持になつた。道の右側が溜池の土手に盛り上つてゐる所へ來ると、その土手に白い花をつけた木が一本、ぱあつと浮き上つて見えた。近づいて見ると梅の相當な古木であつた。花はもう終らうとしてゐる。根もとから少し離れて下に、地藏尊が裸のままに祀つてある。雨にさらされて赤い涎かけの色もさめてゐる。公園の芝生のやうに柔かさうな美しい枯草に緻密に蔽はれてゐた。駿介は晝の辨當が、歸りにここで使へるやうだと好都合だと思つた。この枯草の上でなくたつていい。土手の向う側だつていい。そこは水が見えるし、水際には背黒鶺鴒がゐて尾を振つてゐることだらう。 しかしこの梅に一杯に梅が生なつたらどうするのだらう。それは一體誰のものになるのだらう。そんなことも考へながら彼はその土手の下を通つた。 間もなく道は海岸に沿うて曲つた。海は右側に、かなり高くなつてゐる道の下の方に、すぐ近く見えた。眼界が展けると同時に、磯の香がぷんと強く鼻をついた。丁度雲が出て朝の光りを包んで了つた海上には、きらきらした輝きはなかつたが、ゆつたりした春の海らしいおだやかさがあつた。波の引く音も聞えるか聞えぬか位であつた。小さな入江を成したその一廓だけの漁師町である。まだ舟は出てゐない。網がひろげて干してある。時々來る生臭いにほひは、その網の目を通して來る風のやうな氣がする。砂の上に石を組み、その上に据ゑた大きな鐵の釜から白い湯氣が上つてゐる。附け紐をだらりと下げた子供が艫ともに腰をかけて無心に朝の海をながめてゐた。 やがて海の代りにまた畑になつた。道は突き出た岬の根もとの所を通つてゐる。そこを過ぎて少し行つて、駿介は古崎の町へ入つた。 靜かな朝の町へ彼は入つて行つた。小さな町はまだ大方は眠つてゐるやうだつた。駿介が肥を取る家の並びは町の中心から少し外れた所であつた。しもた屋があり、また商家があつた。彼は朝起きることの早い商家から取つて行くことにした。 それでも早い家はもう起きてゐた。表がしまつてゐる家でももう起きてゐるかも知れない。それで駿介は、どの家へも、先づ表から、 ﹁お早うございます。掃除屋です。﹂と聲をかけてから、柄の長い柄杓を持つて、家のわきについてまがつた。便所は大抵石で土臺がしてあつて、その土臺の一部が、一尺足らずの幅に切られ、取り外しもし、はめ込みも出來るやうになつてゐた。それが汲取り口だつた。取り外し得る石の表面は兩方から抉り込み中央だけ高くしてそこが把手だつた。駿介は柄杓を側に立てかけ、その石を取り外してから、表へ行つて、桶を持つて來た。 駿介はまだまるで慣れてゐなかつた。汲み取ることは今日が始めてだし、汚物の臭ひにもまだ慣れてゐなかつた。彼は百姓になつてまる一年だが、彼の百姓は世間一般の百姓に較べて、まだまるで綺麗事だつた。駒平は息子を急には汚物の中に押しやりはしなかつたし、駿介自身もことさらに避けるわけではなくても、進んで近づくこともしなかつた。しかし彼は自分がさういふ百姓であることを知つてゐたし、それでいいともそれですませるとも思つてはゐなかつた。下肥を扱はぬ百姓などといふものはなかつた。 彼が柄杓の音をカラカラ云はせてゐると、家の奧の方に人の動くけはひがあつて、間もなくすぐわきのガラス戸が明いて、丹前姿の女が顏を出した。 ﹁掃除屋さん、すつかり取つて行つて下さいよ。いつも少し殘つてゐるよ。﹂それからおや、といふやうな顏をした。 ﹁いつもの掃除やさんとはちがふんだね。﹂と云つて、ピシヤリと音を立てて戸をしめた。 昔は三度に一度は車の上に季節の青物をのせて持つて來て、その一把二把を臺所口におき、頭を下げて肥を取らせてもらつた。それが今はこの地方でも汲む方が月に拾錢づつもらふことになつてゐた。出してゐた方がもらふ方になり、拾錢が間に入ると、相互の態度も亦一變した。大都市の市營の汲取人夫のやうなことはないが、それでも汲む方は昔のやうに頭は下げなかつたし、他方はまた、それ迄は愛想の一つも云つたのが、ひどくつけつけものを云ふやうになつた。來やうが遲いとか、取り方が汚ないとか、始終何かかにか叱言があつた。 駿介は一軒の家で豫想外の時間がかかつた。慣れぬ上にいい加減には事の濟ませぬ性質だからである。底の方は到底見えぬ壺の中を、不自由にしか動かぬ柄杓をカラカラ云はせながら、抄へるだけ抄はうとした。彼の嗅覺はたやすくは鈍ることは出來なかつた。彼は殆ど肉體的な苦痛を感じた。額や脇の下や背筋に感ずるねばつこい汗は今日の特別な暖かさのせゐばかりではなかつた。臭ひは氣體を傳つて來るのではなくて、臭ひそのものが眼に見えぬ氣流となつて、眼にも鼻にも皮膚にも滲み入るかと思はれた。彼はぼーつとした氣持になつて、一杯になつた桶を擔ひ棒で擔つた。肩に來る痛さで彼のあらゆる感覺は蘇つた。天秤を擔ぐことには幾らか慣れてゐた。野に掘つた井戸から畑に水を運ぶ仕事で經驗ずみだつた。それでも時として足もとの覺束なげに思はれることもあつた。 まだ豫定の家をすつかりまはらぬうちに、段々日が高くなつて來た。町では丁度朝飯の時刻である。 ﹁いやな時に來るね、汚穢屋は。﹂と彼は一度ならず怒鳴られなければならなかつた。 ﹁それ、蜜柑の皮の乾したのがあつたつけ。あれを火鉢に燻べておおきよ。﹂などと叫んでゐる聲も聞えた。日が高くなると暑いくらゐであつた。季節外れの大きな蠅が一匹、羽音をさせてしつこく桶のまはりを飛んで離れなかつた。 冬は矢張溜る量が多いと云はれてゐた。その通りで、豫定して來た家を全部まはらぬうちに桶は大方滿ちて了つた。車を引くにはもうひどい力がいる。彼は流れる汗を拭ふまもなく、車を引いて最後の家へつた。 そのあたりは家もまばらな、木の多い靜かな界隈であつた。彼は一本の木の下に車を止めて、汗を拭いてゐた。道の向うから、若い背廣姿の男が、着飾つた若い女を連れて、ぶらぶらした足取りでやつて來る。男は帽子を冠らず、髮を濡羽色に、きれいに後ろに撫でつけてゐる。手には空氣銃を持つてゐる。寫眞機や何かではなくて、空氣銃といふところが田舍だと、駿介は微笑させられた。專門學校を出たての若いサラリーマンといふところであらう。この町にだつて銀行の出張所ぐらゐはある。ふと駿介は今日が日曜であつたことに氣づいた。そして今朝がたのリユクサツクの學生を思ひ出した。 二人の男女は駿介をじろじろ見ながらわきを通つて行つた。通り過ぎて少しした時、後ろで、﹁眼鏡をかけたりなんかして。﹂と囁くやうに云つた女の聲を聞いた。くすくす笑ふやうな聲も聞いたと思つた。駿介はしかし振り返つても見なかつた。彼は別に腹もたたなかつた。 田舍へ歸つてから、薄暗い明りの下で、ちやんと机に寄るでもなく本を讀むことが多くなつたせゐであらうか。駿介は此頃眼が近くなつてゐた。それでニツケルの縁と安物のレンズで間に合した眼鏡をかけてゐた。眼鏡をかけた汚穢屋、これは通りすがりの眼には笑つて見たくなるやうなものかも知れない。 駿介は一つ殘つた空の桶を下げてその家の裏手へまはつた。 やがてそこをすましてから駿介は歸途についた。小さな町ながらちまたには車馬が行き交うてゐた。つぶてのやうに飛んで來る小僧の自轉車は殊にあぶなかつたから、彼は注意しながら本通りを横切り、村々に通ずる街道へと出た。 車は重かつた。今までにも父に代つて引いたことはあつたが、今日はことに重いやうな氣がした。それだけ疲れてゐるのであらう。ややうつむき加減にして、ぐつと力を入れると、顏に力みが來て、眼に血が寄り、顳がぷくつとふくれる。所々で休みながら行つた。たばこを吸はぬ彼は休んでゐる間が手持無沙汰で、少し息をつくとすぐに又引き出すといふ風だつた。それでも豫定通り、晝飯は、朝來る時氣をつけておいた梅の木のある溜池の土手で食ふことになつた。梅の木の下ではなく、土手の向う側で、池の水際の石の上に腰をかけて食つた。じゆんの作つた辨當の菜は、ゆうべの殘りの蒟蒻と里芋の煮しめであつた。あれほど働いたあとなのに、いつものやうに食慾がなかつた。 やがて家へ歸りついた。 肥溜は家の側に肥桶小屋があつた。小屋には、高さ五尺、差渡し六尺の大きな桶が二つ、地中に埋めてあつた。畑の縁にも同じやうな桶がいくつか埋めてあつた。歸ると駿介はすぐに車の桶を下ろしにかかつた。兩側に出てゐる短い二つの把手についた繩をつかんで下す。重いから身體にすれすれに、抱きかかへるやうになる。 ある一つの桶を下してしまつてから、駿介はハツと氣づいた。彼の股引の膝から少し上が、汚物にしととに濡れてゐるのだ。勿論下す時、彼は桶を傾けたりはしなかつた。ただそれは桶の底の一部が觸れた所であつた。不審に思つて眼をあげて車を見ると、車の簀子板の上も亦しととに濡れてゐる。 桶は漏つてでもゐるのであらうか? 彼は益々不審の思ひを抱いた。それで次々に殘る七つの桶を下に下して見た。そして彼は知つた。八つの桶が四つづつ二側に並べてある。その一方の側の三個の底が全部濡れてゐるのだつた。が、果して桶の底が漏るのかどうかは、むろん中身を一度全部あけて見てからでなければ、調べるわけにはいかなかつた。 しかし駿介はまたすぐにもう一つの新しい發見をした。 漏つてゐるのは、底は兎も角、今すぐに眼につく所では桶の側がはなのであつた。一つの桶の側の一ヶ所或ひは二ヶ所から、細い紐のやうな線を成して、水が垂れてゐるのだ。 その漏れ出て來る元を、駿介はさぐりあてた。 板と板の合せ目が、何かの原因でひずみをなし、隙間が出來て、そこから漏れ出てゐるといふやうなことではなかつた。それは小さな圓い穴であつた。桶の側を成してゐる杉板を貫いてゐる圓い穴なのであつた。その大きさは、尖の細い錐で揉んだとほぼ同じ位のものだつた。 これは何かの蟲によつて作られた穴とも思へない。その形から考へるなら、これは明らかに人爲的に作られた穴だ。それは疑ひない。 ではそれは一體何時作られたものだらう。今朝車にのせた以前にか? 以後にか? 何も一々調べてから車にのせたわけではないが、それ以前にであるとは思へなかつた。 彼は家にゐる誰かを呼んで訊いてみようと思つた。何かの心當りがあるかも知れない。彼は聲をあげようとした。――が、すぐにもう少し自分で調べて見てからと思ひ返した。 不意にある一つの考へが、稻妻のやうに彼の腦裡に閃いた。彼はまさかと思ひ返した。が、もしやといふ考へを到底棄て切ることは出來なかつた。疑惑を確かめようとする方法に思ひ至ると彼は迷つたが、それでも兎も角やつてみることにした。 彼は桶を小屋へ持つて行つて、その内容物を少しづつ柄杓で抄つては、肥溜へあけた。彼が尋ね求めるものは、若し桶の中に存在するとしても、細小なものであつた。それは水中では沈下すべき性質のものである。しかし桶の中は單純な水ではない。それは必ず桶の底に沈んでゐるとは限らない。むしろ夾雜物のために、途中で妨げられてゐると見た方がいい。彼は萬一の場合を頼んでゐるのである。 第一の桶は無駄だつた。第二の桶も無駄だつた。柄杓で段々に抄つて行つて、殘り少くなると、彼は桶の下を持つて、傾けて、柄杓の中へあけた。さうして完全に底を干す瞬間は、彼の全身が期待で一杯になる時であつた。その期待が二度ともすつぽかされて、彼は失望した。が、第三の、調べるべき最後の桶は、夾雜物の量も少い、殆ど水ばかりのものであつた。しかもその桶には二つ穴があいてゐた。捜し得る可能性は最も多いわけであつた。彼は非常に愼重に事を進めて行つた。 最後に桶を傾けた時、彼の期待に輝いた眼は、柄杓の中に流れ込まうとしてゐる殘り少くなつた水に、危ふく一緒に流されさうになり、流されまいとしてたゆたうてゐる一つの黒い小豆粒大のものを見た。彼は手の汚れるのを意とせず、指先でそれをつまみ上げた。 駿介の豫想は外れなかつた。それは鐵か鉛かの小さな丸であつた。それは空氣銃の丸であるに違ひなかつた。 駿介はその丸を掌にのせてしばらく見詰めてゐた。それからそれを地上に落した。そして井戸端に手を洗ひに行つた。 彼は腹からの憤りをおさへることが出來なかつた。洗ひながらもその洗つてゐる手の先がふるへるやうであつた。はじめ黒い丸が空氣銃の丸であるとはつきり知つた時、自分の豫想がぴたりと當つたと知つた時、彼は笑ひたいやうな氣がした。彼には事柄が餘りにも馬鹿馬鹿しかつた。しばらくでもその上に心を留めるだけのねうちのない事、まして腹を立てなぞしたら、こつちが汚されるだけのやうな氣がした。それでふふんといふ面持で、丸を地上に落して手を洗ひに來たのだが、彼の心は到底それですますわけにはいかなかつた。馬鹿げたことと笑ひに消さうにも、穴のあいた桶はどうにもならず眼の前にある。桶の新調といふことは少なからぬ現實の負擔である。 しかしさういふ經濟上の事は實は次の次なのだ。腹立ちの一つの根據として頭のなかで思ふだけだ。心が苛立たしく煮えて來るのは、さういふいたづらをする人間の心事を思ふことからだつた。さういふ人間の心事といふものは駿介にはわからなかつた。別に何等の惡意もない、子供のやうないたづらだと云つてすまして了ふことは出來る。しかしあの男は子供ではない。あの男が第一何故さういふことを思ひついたのか、思ひついてそこに何等それを制止する心理が働かぬのか、それを敢て實行して了つた時に何故愉快であることが出來るのか、――愉快でなければ五六囘も同じ行爲を繰り返すことは出來ないだらう――さういふことになると、駿介には、わかるやうでわからなかつた。一通りの心理學的な説明はついても、あとには必ず滓のやうなものが澱むのだつた。意味のないいたづら。これは時にはおそるべきものだ。人間性の隱微な所に深く根ざしたものから來るものらしい。――どうも人間がちがふんだ、ああいふ人間は彼はさうとでも云ふよりほか仕方がなかつた。 空氣銃の丸を桶に向つて打ち込んだ時の、あの男の一擧一動が、駿介の眼には見えるやうだつた。駿介が立ち去るや否や、あの男は立ち止り、連れの女を返り見て、何か意味ありげに笑つて見せただらう。彼はその考へを、駿介の顏を見た瞬間から思ひついたのに違ひない。女も亦意味なく笑ひ返しただらう。やがて銃を取り上げた彼の顏には、鈍い、どす黒い、たるんだやうな表情がある。別に狙ひを定める必要もなく、無造作に打つ。何か餘計ものを打つちやりでもするやうな調子に打つ。ぷすつといふやうな冴えない音がする。昔から見ればずつと薄くなつた杉板から出來てゐる桶の側にはたやすく穴があく。汚水が漏れ始める。女は咽喉の奧でくつくつといふやうな聲を立て、化粧した顏の半分をシヨールに埋めて身體をくねらせるやうにする。男はにやにやして、そのにやにやは女の座興にまでなつたことに得意を感じたからであるが、新に丸込めしてはぷすつと打つ……。 ふと駿介はある一事を思ひ出した。 彼が東京で平山の家に家庭教師として通つてゐた時のことだつた。平山の息子を中心とするグループが、その家に集つて、いつものやうに取り止めない雜談に興じてゐるのに逢つた。彼等の熱心な話は、常に、駿介などの思ひもよらぬ途方もない所で行はれてゐるのだが、その時はどういふきつかけからか、蕎麥屋の出前持のことが話されてゐた。つまり出前持が、幾つもの丼や蒸籠を、自分の身の丈ほども高く積んで肩に載せて、平氣で自轉車を乘りす、あれがどう考へて見ても奇體だといふのである。そのうち、あの今にも落すか落すかと思つて見てゐても、遂に落さぬのがどうにも癪だ、といふものが出て來た。うん、と他の者が相槌を打つた。すると、あれが引つ繰り返るのを見たら愉快だらうなア、痛快だらうなア、といふものが出て來た。引つ繰り返して知らん顏してゐたら一層痛快だらうぜ、と他の一人が云つた。さうだな、ちやんと仕組みをしておいて、物蔭からでも、轉ぶかどうかと固唾を呑んでゐるのはスリルだからな。――スリルはよかつたな、ハハハハハとみんなが笑つた。そんなことが出來るか、と遂に一人が出來るならやつて見たいもんだぜという氣持を込めて云ふと、他の一人が、出來なくつてさ、この家の勝手口から、表道路へ出る所の溝板の上へバナナの皮でも取り散らかしておかうもんならそれつきりさ、と云つた。それから尚もみんなしてガヤガヤと、ほんとうにさういふことをやりかねまじき調子で話し續けてゐた。 その話の結末がどうなつたかを駿介は知らなかつた。つまり勢の赴く所實行に迄なつたか――まさか、實行されたとは思へず、駿介はこの學生達は特別なんだと思つた。餘りの馬鹿馬鹿しさに、親しい者との間の茶飮話にもならず、そのまま忘れてしまつてゐた。﹁意味のないいたづら﹂といふ點で共通な、今日の事件に逢ふ迄は思ひ出すこともなかつた。 しかし今日は、ただ馬鹿げたことと笑つては了へぬ氣持に駿介はなつてゐた。あのやうな﹁意味のないいたづら﹂の心理は、特別ではなく、人間に根深いもので、社會の色んな所で色んな行爲として現れてゐるのだと思つた。彼が見た二つの最も單純な、また最も馬鹿げたものだ。もつと複雜な勿體ぶつた、時には眞面目でさへある外見をもつて行はれ、社會的に大きな影響を持つものさへもあるのだと思つた。そして社會的事實の中からさういふものを思ひ出さうとした。――それは無智には違ひないが、何に根を持つた無智なのであらうか。彼にはわからなかつたが、今日彼が逢つた一事件は、人間の肉體的な勤勞が、今日の社會では、それとは無關係な世界からいかに下等な方法で、意味なく侮辱されることもあるかといふ、特殊具體的な事實として深く彼の腦裡に刻みつけられたのであつた。 穴のあいた肥桶は、眞綿を細くして穴へ詰めて、當分そのまま使ふことにした。十一
駿介は愈々伊貝に逢ふことになつた。 駿介はあらかじめ岩濱村長からの紹介状を同封した手紙を送つて、訪ねて行く日を通知した。その手紙を書くのに、彼は夜寢る前のかなり長い時間を費した。卷紙に毛筆で書くのは不慣れだつたし、文體も彼が日頃書き慣れてゐる手紙文とは違はねばならなかつた。文章の細かな所にも實に氣を使つた。相手が無學な一老爺でないことは、産業組合の理事長といふ彼の公職からも、世間が彼について云ふ所からも知れた。すべての形式に拘泥する人間でないといふことも決して云へぬことであつた。相手の人間が詳細にわからぬ以上は、形式は重んぜられねばならなかつた。 最後に彼が思ひ惱んだのは面會の日をきめるに當つて、向うの都合を訊いてやるがいいか、それとも何日何時にお訪ねするから宜敷お願ひするといふやうにしたがいいか、どつちにしようかといふことだつた。禮儀から云へば前者の方だが、返事を書くことを億劫に思ふ人もあるし、それよりも體ていよく面會を謝絶する餘地を與へるといふおそれがあつた。彼はそのことに暫く引つかかつてゐたが、結局あとの方を取ることにした。 手紙は三度も四度も書き直した。彼は今時の青年としては手跡に巧みな方であつたが、鍬を取るやうになつてからは拙くなつたのが自分にもわかつた。さういふことも氣にし出すと氣になるのだつた。何時の間にか汚れた手の指紋が卷紙の片隅についたといふやうなことで、折角書いたのを書き直したりした。神經質になるときりがなかつたが、彼はそれほどまでに、伊貝との面會を、話の成否を、重要視してゐたのである。 手紙を出してからも、都合が惡いといふやうなことを云つて來はせぬかと、その日の夕方が來るまでは氣がかりだつた。 さうして駿介はその日の夜、きめた時間に伊貝の邸宅の玄關に立つたのである。どれ程も待たされることなく客間に通された時に、彼ははじめてホツとした。 この茅葺の家は近頃の粗末な建物ではなくて、百年の餘を經て益々その堅固さと床しさとを見せてゐるやうな田舍の舊家の一つだつた。通された八疊の客間にもいかにもさういふ家の一間らしいすんだ落ち着きがあつた。やがて茶を持つて來た女中が引き下つた部屋の中を見し、床の間の壁にかかつてゐる幅ふくの七言絶句の最初の一句がどうにか讀めたと思つた時に、廊下に足音としはぶく聲とがした。その足音はちよこちよこといかにも忙せはしげなもので、しはぶきも續けさまに二度三度大きくやつて、それがいかにも聞えよがしで、これから俺がそこへ行くぞ、と云つてゐるやうにも聞えた。襖があいて人が入つて來たので、入口からやや斜めに坐つてゐた駿介が身を開いて、入つて來る方に向つて會釋しようとする間もなく、 ﹁やア。﹂と、言葉がかかつた。そして矢張小さくはしつこいやうな身體の動かしやうで、すつと通つて、紫檀の机の向うに座を占めると、まだ挨拶も交さぬ駿介の顏を、眞正面からじろじろと見た。駿介が咄嗟に切り出しやうもない感じでゐると、ははははと笑つて、 ﹁やあ、これはこれはようこそ。﹂と、初對面の挨拶をはじめた。駿介も挨拶を返した。 ひどく人を食つてゐるやうにも、氣さくな面白い所のある好々爺のやうにも見えた。外見はいかにも貧弱な一老爺に過ぎなかつた。小さくて、瘠せてゐて、頭髮は眞白で、そのせゐか顏は殊更赤くて、酒飮みらしく口元に締りがなく、そこはいつも濡れてでもゐさうであつた。眼は大きく、少し反ツ齒であつた。反ツ齒が與へるはしつこい感じにふさはしく、彼はいかにもせかせかと話した。 ﹁あんたのことは岩濱君からざつと聞きました。杉野の家にあんたのやうな息子さんがあるとはついぞ知らんかつた。東京の學校を途中に止して歸られたんやさうなが、それは惜しいことを。ぢやが、村のためには或ひは却つてええことかも知れんて。あんたのおぢいさんの杉野伊與造氏とわしとは敵味方ぢやつた。こりや、縣會での話ぢや。もつとも年は親子ほども違うたでな。議席で顏を合しとつたのはほんの僅かの期間のことぢや。それにわしはたつた二期しか縣會には出やせんし、そのうちに伊與造氏は亡くなられた。縣會に限らず、一體に選擧騷ぎなんぞに血道をあげるもんぢやないわ。家の財たか産らを皆無うにするで。杉野の家はその手本ぢやぞ。ははははは。したがお前さんはよう伊與造氏に似とる。顏かたちは生き寫しぢや。伊與造氏はきつい人であつたがな、お前さんもか? お父つあんはたつしやかな? 近頃はめつたに逢ふこともないが。してまた今日は何の用事で見えられた、わざわざ。﹂ 彼はそんな風に抑揚のない調子で一息に云ふと、ぴたつと止めた。相手の意志や、自分の言葉によつて誘はれる相手の感情などは、全然無視してゐた。云ふだけ云ふと訊かうとすることのために、だまつて耳を向けてゐるといふ風だつた。 しかし駿介は驚かされてゐた。彼は伊貝がこんなに一見愛想よくしやべり出すやうな人間であるとは想像してはゐなかつたのである。彼は氣が樂になつた。何れにしてもそのやうに相手の方から云ひたいことを云ひ、聞きたいことを尋ねて、會話をむしろ相手がリードして行くといふ方が、駿介としては對し易かつた。最初からどこにも取り附く島のないやうな場合だつて駿介は想像してゐたのである。 ﹁岩濱さんから何かお聞きになりませんでしたでせうか?﹂ ﹁いんや、何にも。岩濱君からは、近頃村へ歸つた有望な青年ぢやけに一度逢うてやつてくれといふことでな。それに何か話もあるとか。それでほかならん杉野の息子なら、そりや逢はずばなるまいと思うてな。﹂ ﹁實はお願があつて伺つたのですが……しかしそれは私自身の事ぢやないのです。お宅に作らしていただいてるなかに廣岡といふのがありますが……。﹂ ﹁あんた、小作のことか。﹂ 聞かれた廣岡の名には答へず、さう云つた。聲の調子も變り、じろつと横顏を見られたやうに思つた。駿介は相手の顏から少し視線を逸らしてゐたのである。 ﹁小作の事だつたらそりや沼波に話してくれたらいいが。﹂ ﹁ええ。岩濱さんからもさうは云はれましたが、しかしその事がなくても一度あなたにはお目にかかりたいと思つてゐたものですから。﹂ 事實は沼波に話したところで、却つて多くの時を要するばかりであらう。最後の決定は伊貝にあるのだから、とさう思つたに過ぎない。 ﹁それで廣岡がどうして君に。﹂ どんな話かと聞くことよりさきにさう云つた。小作のことと云へば訊かなくてもわかつてゐる、といふ心のやうにも見える。 ﹁廣岡と父とは特別懇意にしてゐる、それでだと思ひますが。﹂ 自分は近頃村の人々の一部からある眼をもつて見られ始めて來てゐる、それについて自分の口から云ふことは出來なかつた。 するとその時駿介は伊貝の表情が、今迄見せなかつた動きを見せたと思つた。瘠せて尖つてゐる彼の顏に、何となく相手をひりつとさせる鋭いものが動いた。話ながらも彼は顏の向きを色々にする、それでこつちから見る角度が變る、その時どうかすると一種の精悍さが現れるのだつた。そしてそれは始終動いて止まぬ出目と、物を云はぬ時も唇の合間からのぞいてゐる、年寄りにしては白い反ツ齒と、その二つが作るものである。伊貝は駿介の顏を眞直ぐに見て云つた。 ﹁お前さん、今つから、小作の片棒擔いで走りるな、どうも感心せんこつてすなあ。﹂ 伊貝はわざとらしくいい言葉で云つた。﹁……こつてすな――。﹂と語尾を長く引つぱつた所には、今迄の彼とちがつた樣々な表情があつた。早くもそこには警戒と嫌惡と敵意と侮蔑と嘲笑とがあつた。彼の顏は笑つてゐた。 ﹁いいえ。さういふわけではありません。﹂ あわてて打ち消すやうに云つて、駿介の顏も笑つてゐた。しかしその笑ひは覆ひ得ない狼狽の故に、みじめにも笑止にも見えた。彼はしまつた、といふ氣持だつた。話はまだ初しよ端つぱなから相手にそのやうに出られたので、歩調が亂れてしまつた。東京から村へ歸つた學生上りの青年が、小作に何か頼まれて地主の所へやつて來る、――何も聞かずに、ただそれだけのことですぐにもある一つの想像と解釋とが持たれる。成程そんなものかと、駿介は今はじめて思ひ知つた。廣岡の名など最初に出したのが拙かつたか。廣岡は多くを自分に語つてゐるわけではなく、自分に語らぬどんな縺れが伊貝との間に伏在してゐるか知れないからだ。しかしこのまま彼に突つぱねられてはならない……。 ﹁お宅の土地に去年の秋から遊ばせてある土地がございますね。八幡樣の裏手の方に。﹂ しばらく默つてゐた後に、今までとはまるで無關係なことでも語るやうに、駿介は云つた。 ﹁ええ、ありますわ。﹂ ﹁あれはどうなさるおつもりですか。勿體ないと思ひますが。﹂ ﹁春にでもなつたら、傭でも入れまつさ。沼波はそのつもりで居るんやらうと思ふ。﹂ ﹁傭を入れちや合ひませんでせうが。失禮ですが、あの土地では。﹂ 伊貝はまたじろつと駿介を見た。何をぬかすか、と云はんばかりだつた。しかし伊貝は默つてゐた。駿介の云ふ通りだと、彼が思はぬ筈がない。 ﹁小作には作らしなさらんのですか。﹂ ﹁無論作らせますわ。わしは地ちし主ゆぢやけに。﹂ 彼は駿介を意味あり氣に見た。 ﹁年貢さへきちんと納める者やつたら作らせます。わしは地主ぢやけにな。﹂ 地主ぢやけにな、を繰り返し、それから、﹁お前さんにだつて作らせますぞ。年貢さへ間違はにや。﹂と云つて、突然大きな聲で笑つた。 ﹁私にでなく、廣岡に作らせて下さい。﹂ 間髮を容れず、駿介は切込んだ。そして伊貝を見た。伊貝は默つて、ゆつくり駿介を見返してから、 ﹁ほう。﹂と、顎を突き出すやうにして云つて、何か感心したやうな、とぼけたやうな顏をした。 二人は一寸の間默つてゐた。 ﹁そりや、無論廣岡だとて構はんが。﹂ ﹁是非とも一つ廣岡に作らせてやつて下さい。御承知のやうに廣岡は少ししか作つてゐないのです。家族も多いですし、あれぢやとてもやつて行けるわけがありません。煙草があるものですから、まアどうにか凌いで來れたのですが、それで色々にして作らしてもらふ田圃を求めてゐますが、村の今の状態ぢやおいそれと望みが適ふわけはなし。――廣岡は現在丁度あそことは地續きの田圃を作つてゐることでもありますから――、しかし廣岡があすこを作るためには……。﹂ ﹁うん、……それで?﹂と、伊貝は駿介の言葉を受けて、そのあとに何かを期待するかのやうであつた。 ﹁そのためには、今迄のあすこの御年貢通りぢや、とても作れつこはありません。廣岡でなくほかの誰でも……、假に私が作らしていただくにしても、御年貢の點をもう少し何とか考へていただかなくちや、作れないと思ひます。﹂ 駿介は遂にそれを云つた。彼は語氣をも強めず、平然とそれを云つてのけたが、心では樣子如何にと相手を見極めるやうな氣持であつた。すべてはこの一事にかかつてゐた。 ﹁ふむ、なるほど。﹂と伊貝は云つた。 駿介は半信半疑のままに緊張した。 ﹁ぢやあ、仕方がない。廣岡にや止めてもらふんだね。﹂ 駿介はぐつと言句につまつた。 彼等はどつちからともなく顏を見合つた。ちらつと彼等の眼が合つた。瞬間にしてその眼は離れた。それきりまたしばらく沈默した。氣拙さが二人の間に來た。 その氣拙さのなかにしかし駿介は活路を直觀したのである。このやうな氣拙さの出所を駿介は直觀した。伊貝がただ冷然と駿介を突つぱねる、それだけからはこのやうな氣拙さは生れなかつた。突つぱねることに充分な強さがあり、確信があればこのやうな氣拙さは生れなかつた。伊貝は、かういふ際に、相手に氣兼ねしたり、氣の毒を感じたりするやうな人間であるとも思はれない。 伊貝とちらと眼を合した瞬間に、駿介の心にはひびくものがあつたのである。伊貝を見た駿介の眼はいはば單純な眼であつた。相手の言葉にはつとして、思はず見たといふ眼であつた。だが伊貝の眼はさうではなかつた。彼の眼は相手の心を探らうとする眼であつた。腹に一物ある眼であつた。今云つた言葉と本心とが必ずしも一致するものでないことを、そのまま示してゐるやうな眼であつた。彼の眼は、彼が強さと確信とを以て駿介を突つぱねたのではないことを示してゐた。言葉と心とが違ふ時、屡々このやうな氣拙さは生れるのである。 脈はたしかにある。駿介にはそのやうに感じた。 しかし彼は伊貝の矛盾に感附いた素ぶりは色には出さなかつた。都會人の神經と感覺ならば、駿介が何を感じたかに伊貝は氣附かずにはゐなかつたであらう。しかし伊貝は氣附かぬらしかつた。そこで駿介は改めて廣岡のために辯じはじめた。 駿介は最初のうちはひたすらに情に訴へた。それは主として廣岡の家の經濟状態を述べることであつた。廣岡にとつて新しく一段歩の小作が許されるといふことはどういふことであるかを説いた。猫額の小作地をでも欲せぬものはないが、今日それを恐らく誰よりも必要としてゐるものは廣岡だし、與へられて誰よりも感謝し、長く恩に着るのも亦廣岡であらうと説いた。 しかし話してゐるうちに若い駿介は次第に熱して來た。勢の赴くところ、彼は到底さういふ控へ目な發言におのれを止めておくことは出來なかつた。相手がそれまでに何等か動かされたらしい色を示せばともかく、伊貝にその素ぶりはなかつた。駿介は途中で一時おのれを抑へ、言葉を切つた。その隙に伊貝が何か新しい考へを云つてくれるかと期待したのであつた。しかし伊貝は默つてゐた。それで駿介はそのあとを續けないわけにはいかなかつた。彼は相手の情にばかりではなく理に訴へはじめた。このやうな話合ひに於て理詰めで行くといふことは危險であつた。情に訴へてゐる時、相手は恩惠を垂るべきものとして高い地位におかれる。理が語られ始める時、兩者の關係に變化はないながら、相手の心理に於ては自分が對者と對等にまで引き下げられたと思ふ。時にはより一段下に落され、何か説教でもされてゐるかの感を懷く。だから腹の中では成程と納得させられたとしても素直にさうだとは云へない。道理であればある程彼は窮地に追ひ込まれた氣がして、相手の正しさを認めるよりは反撥するだらう。遂には相手を憎み出すだらう。特に伊貝のやうに、狹い社會で、尊大な風に慣れて來てゐるものに對しては、その事は惧れねばならなかつた。 しかし駿介ははじめた。彼は先づ彼自身が考へ、そして社會がまた常識として認めてゐる公正な小作料といふものについて云つた。單位段別につき耕作者が負擔する生産費と、地主が負擔する諸掛りとを、具體的に精密に數字としてあげ、そこから小作料の妥當な額を割出して行くといふ準備は今日の彼には無かつたし、又その必要があるとも思はなかつた。彼はただ、それがどういふものであらうとも、そのために片方だけが立つて、片方は立つて行けぬやうなものなら、それは公正とは云へぬであらうといふことを強調した。そして、伊貝の他の土地については別問題とし、廣岡の小作地の一部、及び今放棄されてゐ、それを廣岡が作らしてくれと云つてゐる小作地についてだけ云へば、そこのこれまでの小作料は決して公正とは云へぬ、といふことをはつきり述べた。 ﹁それでは小作が立つて行かぬと思ふんです。あの田圃を今迄作らしていただいてゐたものが、去年限りで向うから御免を願つたといふのはよくよくのことだと思ひます。今時向うからさうして來るなどといふことはあるもんぢやありません。廣岡が今迄やつて來れたのは全く煙草があるからのことです。しかし、これだつて今のままではどうなるかもわかりません。﹂と、駿介は強い言葉で云つた。伊貝の白い眉はしかし動かなかつた。 駿介は年が四十も違ふ彼に向つて、農事に從つてまだ一年の自分がかういふ調子でものを云ふことを、自分ながら烏滸がましくも感じた。伊貝が一言も云はず、默つてゐるのも恐らくはさういふものを感じてゐるのだらう。しかし彼は尚云ひ續けた。彼は土地を遊ばせておくといふ法はないではないかと云つた。それはあなたのためにも損ではないか、そしてまたあなた一人の損には止まらぬではないか、とも云つた。 伊貝の表情は變らなかつた。駿介の話が一段落ついた時、彼は最初の言葉をかう云つた。 ﹁誰かて損したいものが一人でもあるもんかな。得とくはしたいぞ。したが得取らうと思やあ、早まつちやならんけんのう。﹂ 彼のその語調は、むしろおだやかであつた。駿介は意外であつた。彼は何かもつと激しい言葉を豫想してゐた。怒りか冷笑かを豫想してゐた。わしの田圃をわしがどうしておかうと勝手ぢや、ぺんぺん草を生やしておかうと勝手ぢや、餘計な世話は燒くな、と、そのくらゐのことは云はれると思つた。駿介は若々しく激して來てゐる自分から相手を考へてゐたのだが、伊貝のみならず一般に六十歳を越えたやうな田舍の老爺は、さう敏速に、小刻みには相手の言葉に對して感情の上に反應は示さぬ、彼等の神經がさうだといふのであらうか。しかしさうとは云へぬ表情の動きはすでに今迄にも見た。だとすると、冷靜であるのはやはりそこに冷やかな打算が働いてゐるのであらうか。 だが、得とく取らうと思へば早まつてはならぬとはどういふことを云ふのであらう? 駿介はこれを單純に解釋した。一段歩の惡田をでも遊ばしておくことは無論伊貝の本意ではないのだ。小作人の方から契約の打ち切りを云はれたのなど、彼としても決して有難いことではないのだ。小作人に耕作せしめる以外に、何等かより有效な利用法が考へられるやうな土地でもない。だから早まつてはならぬとは、單に、伊貝の方から云ひだす條件にそのまま從ふ小作人の出現を待つといふことに過ぎないだらう。讓歩などしたくない、焦らずに待つといふのだ。どつちにした所で一體どれだけの違ひなのだと云ひたい氣がするが、それでは財といふものは成らぬのかも知れぬ。それとも額そのものが何も問題ではなくて、讓歩するかどうかといふその事自體が重大なのかも知れぬ。單なる面目といふよりは、駒平が指摘したやうな一般への影響の問題として。 しかし何れにしても、伊貝の考へがその程度の所にあるとすれば、駿介としては與し易かつた。伊貝の求める所がわかつたといふこと、そしてそれが駿介の求める所と同じ線上にあるといふこと、これが先づ第一であつた。さうである以上は、あとはただいかにして妥協點を見出すか、兩方がどう歩み寄るか、といふことだけではないか。脈がある、との駿介の直感は當つたらしかつた。 ﹁やつて行けん、やつて行けん云うたかて、裏作があるやないか。現に廣岡は煙草でええ儲けをしとる。寒い地方とは違うて二毛作、三毛作でも出來るんぢやから、みんなそれぞれに工夫してやつたがええ。それが出來んのは本人に働きが無いからのこつちや。﹂と、伊貝は續けて云つた。 ﹁みんな色々工夫はしてゐるでせう。しかしなかなかさう思つた通りにはいきません。假に廣岡があの田圃を請うけ作さくするにしたところで、すぐに煙草が作れるわけではありませんし。またたとへ百姓の働きで、土地をよく生かして使ひ、どんなに收益を擧げたにしたところで、それは飽迄もその百姓の働きのせゐなのですから、ほかと平均の取れぬ年貢が課せられるわけはないと思ひますが……まして實際はあの田圃ではとてもそんなうまい收益をあげるといふわけにはいかないのですから。﹂ 駿介はここに一つの地主心理を見た。伊貝は小作人に働きがないからと云ふ。しかしいざ實際に小作人が働きを示して收益が増したとなると、伊貝は今度は前言を忘れてしまひ、それは人間の勞力とは無關係な、土地の生み出す力のせゐだとばかり思ひ込んでしまふ。土地に本來固有な生み出す力のせゐだから、それだけ増加した果實はおのれに歸屬すべきだと考へる。ここの矛盾を駿介は剔抉したい欲望を感じたが、口まで出かかつて出なかつた。痛い所を衝かれて硬化せぬ人間といふものは少いだらう。駿介は伊貝を遣り込めるために來たのではないし、まして爭ふために來たのではなかつた。 伊貝は段々物を云はなくなつて來た。駿介はやや迷つた。もはやこの男を相手に云ふ必要はない、と投げてゐるのか、それとも何かほかのことを考へてゐるのか。そのもどかしさは駿介をしてなほいくらか語らしめたが、それ以上伊貝から確定的な何かを引き出すことは出來なかつた。 ﹁まア、沼波からもよく話を聞いた上で、考へておきませうわい。﹂ 最後にそれを云はせたことで、駿介は一先づ滿足しなければならなかつた。拒絶ではなくて尚考慮の餘地を殘されたことに滿足し、また一應の成功と思はなければならなかつた。假令それが儀禮的に云はれたことではあつても、そこにはまた次の日を約束することが出來たから。 ﹁また伺はせて戴きます。今日は初めて伺つて大へん失禮致しました。﹂ ﹁いや、どうも。﹂ かうして駿介はその家を辭した。十二
伊貝訪問の日から二三日の間、駿介の頭はともすればその日の事に支配されがちであつた。彼はその日の會見の結果を、成功とも不成功ともはつきりきめるわけにはいかなかつた。しかし成功ではなかつたとしても、取り返しのつかぬ失敗ではなかつたと思ふことは出來た。ある點では彼は新しい勇氣をも感じた。あのやうな問題を提ひつさげて、あのやうな人物と話すといふことは、無論駿介にとつては最初の經驗であつた。一體に彼は人前に出て辯舌をふるふ、といふことを得手とするたちの人間ではなかつた。ただでさへ氣が重くなる事なのに、今度の場合は特に他ひとの生活の重要事に關してゐた。しかし彼は出かけて行つて、必ずしも相手にし易いとは云へぬ人間を相手にして、云ふだけの事は云ふことが出來た。傍眼には何でもないことも、彼自身にとつては愉快でもあり、自信附けられる事でもあつたのである。
その翌朝早く、彼は廣岡をその家に訪うた。そして昨夜の顛末を逐一話した。少し間をおいてもう一度訪ねてみる、それで埒があかなければ尚續けて三度でも四度でも訪ねてみる、根氣よく當つてみるつもりだから、あんたも急がず待つてゐてくれ、と云つた。
﹁どうかな。やつぱり沼波にも一度話して頼んでおいた方がよくはないかしら。﹂と相談すると、廣岡は考慮の餘地もないやうに、
﹁あかん、あかん、そりやあかん。わしは沼波にはまるきり信用がないよつて。﹂と云つて手を振つた。格別ひどい不義理をしてゐるわけではないが、自分の貧乏は有名だから信用がないのであらう、邪推かも知れないが、ひどく嫌はれてもゐるやうだ、と云つた。
﹁でも、伊貝は當然沼波に話すでせう。その時沼波がどう出るかは非常に大切だと思ふが。﹂
﹁沼波に話して埒があくもんやつたら、わしがぢかに沼波に話しましたやろ。何も兄さんに頼んで伊貝に掛け合うてもらふには及びませんかつたやろ。﹂
廣岡は頑固に、どこまでもそれを嫌つた。
家へ歸つて駿介はいつものやうに駒平に相談してみた。駒平は一寸考へてから、それは別に必要はないだらうと云つた。伊貝に逢ふ前に沼波に話すことを嫌つた以上は、逢つた後にも話す必要はあるまいと云つた。伊貝からいきなりかういふ話があるんだが、と聞かされた時と、駿介からじつは伊貝さんにもお話しておきましたが、と聞かされた時と、その二つの場合に沼波の味はふ無視されたといふ不快は結局同じものだらう、と駒平は云つた。成否の鍵はさういふ所にはない、廣岡を凌いで熱心にあの土地を求めるものが出て來るかどうかだ、今までのままの條件でもいいといふやうなものが出て來れば厄介なことになる、もし競爭相手が無ければ、假令沼波が嫌つてもどうしても、結局廣岡に耕作させずにはゐられなくなるのだ、と彼は云つた。
﹁誰かさういふ競爭相手の出る可能性はありますかね?﹂と、駿介はやや不安を感じて訊いた。うつかりしてゐたが、これは一番大切な事に違ひない。
﹁さア、まるで出んとは云へんやらうが、今迄通りでええからといふものはまア無からうわい。廣岡と同じことを云ふんやつたら、廣岡の方が先口ぢやからして。﹂
駿介はしばらく待機の姿勢でゐることになつた。
さうして日は忙しく過ぎて行つた。俄かに寒く、また俄かに暖かく、一日毎にでも變るやうな氣まぐれな氣候がしばらく續いた。が、そのうちに雨が多くなつて來た。さうして一雨毎に氣候がゆるんで、そのゆるみ方は自然で、そのまま落ち着いて行くやうに思はれた。野面は晝になつても尚ぼんやり霞んでゐて、花曇りか春霞みがもうやつて來たかと思はせるやうな日があつた。麥の伸びは朝毎にびつくりするほどで、株と株との間に透いて見えてゐた畝の土も殆どかくれて見えない。土入れの土も此頃は粗く厚くなつた。紫げ雲ん英げの莖は次第に多くの葉をつけて地を這ひ、近寄つて見ると早いものはやがて花梗になるべきものをもう軸から抽き出してゐた。菜種や紫雲英は暖かになるにつれてこやしを多くむさぼつた。水もぬるんで來た。溜池の岸近くには大きな蟇が手も足も投げ出してぽつかり浮いてゐるのが見られた。叢に野鼠が何かに驚いたやうな音を立てる時、水の中のものは物倦げに僅かに手足を動かした。
人間も妙に人肌が戀しく、夜の出歩きが懷かしまれる時に向つてゐた。駿介の所へは村の青年達の遊びに來る夜がだんだん多くなつて來た。彼等は曾つて床屋で顏を合した四人の青年、その友人の四五人であつた。彼等は三人四人と誘ひ合しては遊びに來た。一週に一度、十日に一度、時には一週に二度位、誰か彼かやつて來た。何か遊び事でもして時を過す、といふのではなく、火鉢を圍んで話をするだけだつた。その話もいつもさうスラスラと出るわけではなかつた。しかし彼等はそこへ來て、さうして坐つてゐるだけである滿足が得られるらしかつた。殺風景な、がらんとした、疊も敷いてないやうな駿介の二階が、彼等にとつては何かであるらしいのであつた。それは彼等が、彼等の若い心のはけ口をいかに乏しくしか持つて居らぬかを語つてゐた。そして駿介も亦その二階へ彼等を迎へる夜を、何となく心待ちするやうになつて行つた。夕闇の迫る野面や歸りの道で、今夜あたり誰か來る頃だと思ふと、仕事の手は早くなり、歸りの足はおのづから急がれた。
その晩は夕飯がすんで暫くすると五人の青年が訪ねて來た。工藤、桐野、塚原、彼等の仲間でその日新顏の柴岡、それに源次であつた。このやうに五人も揃つて來るといふことは珍らしかつたので、駿介は非常に喜んだ。殊に柴岡といふ青年が一緒であるといふことが彼に興味と期待とを抱かせた。彼についてはかねがね集つて來る者達から噂を聞かされてゐた。それは彼等の間で一番讀書好きで、文學が好きで、自分も歌を詠んでゐるといふ青年であつた。駿介は當然彼に、ほかの人々とは違ふ地方青年の一つの型を想像し、興味を持たされてゐた。駿介の所へみんなが集るやうになる最初のきつかけを作つた年少の塚原が、彼らしい純眞な氣持から一番柴岡に推服してゐるらしく、屡々彼のことを云つた。それを聞いてゐるほかの青年達が、朋輩の一人が譽められる時によくあり勝ちな感情を示さぬことも氣持がよかつたし、そのことからも柴岡といふ青年の人間が知れると思つた。なぜなら、工藤や今晩は來てゐないが黒川などといふ若ものは、思つたことを、それが友達の惡口になるからと云つて、云ひたくてうづうづするのに腹の中にぢつと貯へておくほどの美徳は到底持ち合せてゐないからだ。仕事の休みの日には頭髮を油で煉り固めて、縮緬まがひの惡く光る人絹の帶を思ひ切り廣く卷きつけて、四人五人誘ひ合してタクシーを安く交渉して、町の遊郭に乘りつける、集つて來る連中も到底その例外ではないのだが、柴岡もさういふ彼等と同じレベルなら、塚原のむきな推服などはむしろおかしくて、歌の一つも詠むといふやうなことが却つて工藤や黒川に皮肉な一矢を飛ばさせる原因にならずにはゐないであらう。さうかといつて、全く彼等と交渉を絶つた別世界に、一人何か超然としてゐるやうなのも亦、何か云はれずにすむこととは思へなかつた。
今度連れて來る、今度連れて來る、と彼等は云つてゐた。それが延び延びになつてゐたのは柴岡の意志ではなかつた。歌でも詠む青年らしく、神經質に氣重だといふのではなく、父が感冐をこじらせて容易に床から出られずにゐるといふこともあつて、柴岡は仕事のため夜もさう自由には家を外には出來ないのだつた。
みんな何かかにか短く挨拶の言葉を云つて二階へ通つた。工藤だけが少しあとへ殘つて、はじめ桐野と偶然行き逢つた、それから二人で話して、段々に誘ひ合してやつて來た。黒川だけは反對の方向だからやめにした、といふやうなことを話した。駿介と、立つたままでそこで話してから、何かもぢもぢしてゐたが、一寸脇の方へ向いて、
﹁田島んとこの娘が家さ歸つて來たつてさ。﹂と云つた。
﹁ええ?﹂と、一寸間をおいてから、臺所の板の間にしやがんで、茶盆に茶碗を揃へてゐたじゆんが振り返つた。聲は耳に入つても、それが自分に云はれたのだとは、すぐには氣づかなかつた。
﹁何で? 病氣でか?﹂
﹁さうだつて。﹂
﹁何病氣やらう。﹂
﹁やつぱり肺病だ云ふぞ。﹂
﹁まア……おとろしこつたのう。﹂
それで滿足して工藤は二階へ上つて行つた。そんなふうにでも、じゆんに向つて直接口のきけるのは、集つて來る青年達の中では工藤一人であつた。しかし彼もまだ名を呼んで話しかけるといふことは出來なかつた。それでじゆんもそこにゐる席でなど、工藤が誰に向つて話しかけてゐるのかわからず、うつかり駿介がそれを引き取つて答へてあとで氣附くといふことなどもある。
茶を持つて二階へ行つたじゆんが、降りて來ると、聲を少しひそめて、
﹁柴岡からも來てるのね。みんな入る時わたし見なかつたもんだから。﹂と云つた。
﹁お前、知つてるのかい。﹂
﹁あそこのお父つあん、家へ來たことあるやないか。青物の市場を作るとかいふ話で、お父つあんとこへ。﹂
﹁さうだつたかな。﹂と、これは駿介には思ひ出せなかつた。
﹁あすこの息子なら、兄さんと同じぐらゐの年やらう。兄さん、學校で知つとりやせんか。﹂
﹁さア……しかし、あそこらは第二ぢやないか。﹂
これも思ひ出せなかつたが、顏を合して話して見ればどうかわからなかつた。當然なことだが青年達と話してゐるうちに、互ひの幼な顏が髣髴として來て、小學校で一級か二級、上下であつたと發見することが珍らしくはなく、そこから色々な話が賑はふのだつた。駿介が小學校へ上るやうになつた丁度その年に、第二小學校が出來て、この方は尋常科ばかりであつた。
二階からは話聲も聞えず、靜かであつた。
﹁みんな樂にしてくれませんか。でないと何だか固苦しくつて。﹂
駿介は二階へ來て、坐ると笑ひながらさう云つた。蓆の上に薄べりを敷いた部屋に、大きな男が五人、默つて、かしこまつたやうにして坐つてゐた。もう來慣れて、駿介と輕い口をきき合ふ者もあるのに、坐りがけにはいつもこのやうであつた。大きな瀬戸の火鉢をやや遠卷きにしてきちんと坐つてゐた。その上に手をかざすほどではなくても、夜は、火の赤い色を見ないとまだ何となく寂しかつた。
﹁今日は柴岡君を連れて來ました。﹂と、桐野が自分の隣りを見た。それで駿介は、さつき下で挨拶した青年と改めて向ひ合つて、頭を下げた。駿介と同年輩位で、細い立縞の着物をキチンと着て、血色のいい顏は氣持よく圓い感じの、別にこれと云つて特徴のない篤實さうな青年だつた。
﹁工藤君、こないだ町へ行つてひどい目に逢つてね。﹂
﹁何です。﹂
駿介は古崎へ肥汲みに行つた時のことを話し出した。聞き終るとみんな思はず笑ひ出してしまつた。しかしすぐに呆れるやら、憤慨するやら、怪しむやらで、思ひ思ひの感想が出た。どこの何奴だらう、といふことになつた。
﹁どんな奴? 顏は覺えてゐるだらうね?﹂と、工藤が訊いた。
﹁さア、どんなと云つたつて別に特徴のある顏でもないから。逢へばわかるだらうけれど。﹂
﹁ひとつ探し出して、取つちめてやりてえな。﹂と、桐野が云つた。
﹁探し出すつて、わかるかね?﹂と、源次が訊いた。
﹁わからいでいか! よそのもんならだが、あの町のもんときまりや、一日でおれは片をつけて見せる。おれは町の隅々までも知つてんだから。どこにどんな奴がゐるかだつて。﹂
あながちそれは工藤の壯語とばかりも思へなかつた。狹い田舍町のことだ。隅々と云つても知れたものだ。住んでゐる人間にも動きがない。それに工藤は、運送屋といふ職業柄からも、その町のことはよく知つてゐるのだらう。
﹁そんなことをする奴ア、まあ大抵近頃東京からでも來た奴にきまつてゐる。東京の學校を出て月給取になつたホヤホヤさ。しかし他縣のものがあんな田舍町へわざわざ來るわけも一寸あるまいから、矢張あの近在の出に違ひはねえ。あの近在で伜を中等以上の學校へ出したものと云やあそれだけでももう目星がつく。そんなことをする奴は、どうせ、百姓の苦しみも有難味も知らねえやうな家の子さ、どうだね、この探偵眼は?﹂工藤は仔細らしく見し、みんなの顏を等分に見た。﹁若い月給取風の男だといふんだらう? 銀行や保險會社の出張所とか、さうしたところはあの町にはほんの數へるだけしかありやしねえ。さういふ勤め口の方から云つたつて簡單にわかるこつた。どうだ、やつて見ようぢやないか、杉野さん。﹂と、彼は駿介の顏を見た。
駿介はただ微笑を浮べてゐるだけだつた。
﹁さういふ奴は、一度さういふことで味を占めると、二度三度と必ず繰り返すもんだ。懲らしめておかねえと癖になる。﹂
﹁そりやさうだね。たまらねえな、いい氣になつてさうポンポンやられちや。﹂と、桐野が云つた。しかし彼はいかにも愉快さうだ。﹁今度の日曜あたり、今度は俺が一つ肥車引いて出かけてみるかな。物陰にかくれてゐて、現場をめつけて、それツと云ふと飛び出すのよ。どうだ、塚原、一緒にいかねえか。﹂
﹁ハハハハ﹂と塚原は若々しい氣持のいい聲で笑つた。
﹁そんな奴、頭つから黄金佛にしてやりやいいんだ。﹂と、桐野が調子に乘つて氣負つて云つたので、工藤を除いたみんなが笑ひ出した。
﹁その時も女がくつついてゐるかな。女がゐたらどんな顏をするだらうな。﹂と、源次が云つたので、笑ひは愈々大きくなつた。
﹁笑つちやだめだ。眞面目な話だ。﹂と、工藤がたしなめるやうに云つた。﹁一日おれさかたつて行つて暇つぶしをすれば、それで大抵けりがつくだらうよ。どうだね、杉野さん。行つてみないかね?﹂彼は話をもとへ返した。
﹁うん……それも面白いが、しかしまアそれまでにしなくても。﹂
﹁ええ? やる氣はねえかね。﹂工藤は駿介の顏を見たが、駿介が依然にこにこ笑つてゐるだけなので、
﹁さうかね﹂と云つて、湯呑みを取つて番茶を飮んだ。
﹁どうも御本尊が動かねえとあつちや仕方がねえな。おれ一人ですむことなら明日にも出かけて行くんだが。何せね首實檢のいるこつたから……。﹂
彼はしかし言葉ほどには不滿さうに見えなかつた。こつちがやるといへば無論云つたとほり一生懸命やるだらうが、さうはしなくても、色々に自分の意見を積極的に出して、みんなを謹聽させ、納得させるといふだけでも充分愉快であり、滿足であるらしかつた。
その頃になるともうみんなあぐらをかき、樂な姿勢を取つてゐた。氣持にも固苦しいものがなく、次第にほぐれて來てゐた。
﹁寺田、お前、今年の夏も藺刈りさ行くのか?﹂と塚原が訊いた。
﹁うん、行くわ。﹂
この地方の農民は、特に青年は、毎年夏に、内海を渡つて、對岸のO縣へ藺刈りに雇はれて行くものが多かつた。藺刈りは七月中で、雇はれて働く期間はわづか一週間ほどだが、彼等にして見ればまとまつた感じの金が入るので、無理にも手を作つて、海を渡るのだつた。
﹁お前、口入れ屋か農會か?﹂
﹁わしは始めつから農會の紹介よ。口入れ屋は手數料があるけんな。﹂
﹁去年は何ぼになつた?﹂
﹁うん、まア二十圓足らずのとこや。﹂
少し默つてゐてから、塚原は、
﹁わしも今年は行つて見るかなア。﹂と云つた。源次は塚原より一つしか上でないが、十六の年から大人に伍して行き始めて、今年は四年目である。身體は實にがつしりしてゐて、大人びてゐてどこかまだ少年らしい塚原よりは、日常の農事に於ても大人であらうといふことは察せられた。
﹁藺刈りはえらいさうな。﹂
﹁うん、えらいぜえ。腰の骨がまるで折れるやうだが。﹂
じゆんが煎餅と駄菓子を盛つた盆と、番茶の土瓶とを下げて入つて來た。火鉢の鐵瓶の蓋を取つて見て、湯のあるのをたしかめると、默つて下りて行つた。
塚原がその時ふと氣附いたやうに、わきに置いてあつた風呂敷包を取つて膝の上にあげた。包を解いて、取り出した二册の本を駿介に見せるやうにすると、﹁どうも長々ありがたう。﹂と云つて、立つて部屋の向うの隅の方へ行つた。そこには小さな本箱が一つあり、それに餘つた本は幾らもあるわけではないが、壁に寄せ掛けて積み重ねてあつた。塚原はその重ねてある上に、二册を置いて席へ戻つた。
﹁本立てを一つ作らにやいかんな。粗末なものでもいいから。﹂と、桐野が云つた。
﹁うん、作らう作らうと思つてるんだけれど、暇が無いもんだから。﹂
﹁今度、いい板が目つかつたら、わしが作つてやるわ。﹂
桐野は器用なたちで、素人だが大工を仕事の一つにしてゐる。部落の者が家を建てる時には、彼は安い手間で雇はれて行く。
﹁ああ、本立てで思ひ出したけど、さつきの肥桶の話。﹂本立てと肥桶の對照がおかしかつたので皆笑つた。桐野も笑つて、﹁今度わしが直してあげつから、それまで下手にいぢらんどいて下さいよ。今綿が詰めてあるつて云つたね。﹂
﹁うん、さう。﹂
﹁下手に板を張つて釘なんぞ打ちなさるなよ。釘なんぞ使はんで穴をふさぐやうにせにや駄目なんだから。﹂
﹁さう、どうも有難う。﹂
駿介はそれまで一言も云はず、皆の話をにこにこしながら聞いてゐた柴岡の方を向いて云つた。
﹁柴岡君、あそこに少しありますから、何か讀みたい本があつたら遠慮なく持つて行つて下さい。何もありませんがね。ことに近頃のものは。﹂
﹁ええ、どうも有難う。﹂
﹁ことに文學ものは少いが。﹂
﹁いいえ、わしら選り好みして讀むやうな贅澤なことを云つちや居られんよつて。何でもええですわ。ちやんと筋の通つた本でありさへすりや。﹂
﹁本もいいが、本は讀まにやならん、讀まにやならんと始終思ふが、讀み出すとどうもすぐに眠うなつてな。﹂工藤が云ふと皆笑ひ出した。﹁柴岡、お前、眠うないのか。﹂
﹁そりや、むろんわしかて眠い時は眠いが。﹂
﹁一體何時讀むんだ。﹂
﹁何時と云つて別に皆と違つて特別の時間があるわけはないが。夜少し遲うに寢るとか、朝少し早うに起きるとか、……、そんな當り前のことのほかには別に何もないが。﹂
﹁その當り前のことがなかなかになあ。﹂
﹁第一、わしは別にさう本など讀んどりやせんぜ。﹂
﹁いや、讀んどる、讀んどる。﹂と、桐野が云つた。
﹁僕も何とかして本は買ひたいと思つてるんだけれどね。東京の友達へでも云つてやつて、いい本を安く手に入れるやうにでもして。さうしてこの二階に皆の小さな文庫のやうなものでも出來るやうだとどんなにいいかと思つてゐるんだけれど、何と云つたつて先立つものは金だから。﹂
﹁それや餘程の金持ででもなけりや、一人ぢやとても出來るこつちやないから、みんなで少しづつでも出し合ふやうにしてやれるとなア。もつともそれにしたつてこの人數ぢやだめだ。仲間がもつともつとふえんことにや。﹂柴岡が云つた。
﹁話して見たら、案外賛成者が多いんぢやないかな。﹂
青年の一部がどんなに書物に心惹かれ、讀書の時間を欲してゐるかを知つた時ほど、駿介が喜びと同時に心の痛みを感じたことはなかつた。塚原の所で駿介はそれを發見した。ある時近くを通りかかつて、駿介は彼の家へ立ち寄り、云はれるがままに彼の部屋へ上つた。そしてさういふ彼の生活を知つたのだつた。彼は祖父が持つてゐたといふ、昔漢籍を入れるに用ひた高さ三尺餘りの桐の本箱を一つ持つてゐた。それにはちやんと蓋も附いてゐた。塚原はやや恥らひながら、しかし嬉しさうに、その蓋を取つて彼の藏書を駿介に見せた。ただ一列の積み重ねではあるが、本はその箱の中に殆ど一杯だつた﹇#﹁だつた﹂は底本では﹁たつた﹂﹈。それらの本は、農業の技術と經營に關するもの、通俗的な所謂修養書、歴史物語とか偉人傳の類、その他いろいろだつた。有名な著者のものがあり、また駿介など全然聞いたことのない著者の書もあつた。昔はやつて、名前もすつかり忘れてゐた本が、思ひがけなく過ぎ去つた時代を語り顏なのもあつた。しかし總じてそれらの本がどんなに鄭重に保存され、いたはられ、愛撫されてゐたことであらうか。彼等の中には新本として塚原の手に入つたものは少ない。多くの人々の手を經たのちに彼の手中に來たものが多い。だからそれ等はひどく汚損してゐた。そして今、その綴のゆるんだものは綴が締められ、見返しの裂けたものは新に見返しが貼られ、本文の紙の裂けた所へは質のいい日本紙を細く切つてこれを貼り、表紙の失はれたものには新に表紙が附けられてゐた。名も無き著者の、恐らく書きなぐつたであらう一夜漬の册子も、その所有者の愛の故に、何か價値あるもののやうにさへ見えるのであつた。
塚原はこれらの本の外に、本箱には入らぬ一山の雜誌を持つてゐた。大衆雜誌から、高級と云はれる綜合雜誌まで取りまぜであつた。何れもよほど月を經た古雜誌である。この古雜誌に對する彼の態度も、單行本の場合と別に變りはなかつた。
塚原はもう一つ、新聞の切拔帖を持つてゐた。これは心に止つた記事を、切り拔いて、雜記帖に張りつけたものである。
まことに新聞も雜誌も、彼にとつてはただ一度讀んで讀み棄ててしまふべきものではなかつたのだ。それ等はすべて一樣に、彼にとつては勉學のための貴重な資料であつたのだ。文字による知識の吸收はこれらのものによるのほかはなかつた。價値あるものと價値なきものとの選擇の眼がたとへ彼にあるとしても選擇する自由は彼には無かつた。彼はどんなものでも手に入るものはだいじにした。そしてそれ等から能力を盡して最大限に養ひを吸收しようとした。血や肉のみならず、骨までもしやぶらなければらなかつた。かの名も無き著者や、今日の新聞雜誌を輕蔑する者も、かういふ塚原を嗤ふことは出來ないだらう。
そして塚原はノートブツクを持つてゐた。讀んだものの梗概を記したり、時には讀後の感想を書いたりした。何しろ讀みたい欲は旺んなのに、讀みものは少なかつた。そのやうにして、一つものを何度にも色々と味はつて見るのほかはないのだつた。
彼はこのやうにして學んでゐる。何のために! 何のためにと問はれて恐らく彼は困るだらう。ただ知識欲を滿したいといふ、渇くやうな純粹な望みだけなのだから。
かういふ塚原の姿に駿介は感動した。彼はいぢらしいやうな氣持で胸が熱くなつた。思はず涙ぐんだ。
そして彼自身は何か書いて活字にしたといふ經驗はないが、ものを書くといふことの責任の大きさを思はずにはゐられなかつた。これらの著者のどの一人でもが、自分の書いたものがこのやうな青年に、このやうにして讀まれてゐることを想像したことがあるだらうか。事實を知つてさうして赤面せぬものが一人でもあるだらうか。
彼はまたこの一貧農青年と對照的に、かの大學生のあるもの達を思はないわけにはいかなかつた。かの大學生達。健康な清新な純粹な、喘ぎ求めるやうな知識欲は遂にもはやいかな刺※﹇#﹁卓+戈﹂、U+39B8、277-上-10﹈によつても喚起さるることがないか、あるひは甘んじてその欲求を他の諸々の欲求と交換してしかも尚依然として學生服を身につけてゐなければならないといふ大學生達。
知識欲は書物を食つて生きてゐるやうな生活の中に於てのみ、純粹に保たれ、絶えず新鮮に喚起されると考へたならば間違ふだらう。さういふ生活のなかでは屡々知識欲も亦變態的であつたり、頽廢的であつたりする。しかし青年達のかうした知識欲の行末は? そこに思ひ至ると駿介は、いかんともし難い鐵壁につき當らないわけにはいかないのだ。
﹁どうも若い奴等、女の尻ばかり追つてるんで仕方がねえや。あれぢや本も讀むまいつて。﹂と、工藤が云つた。
﹁工場が惡いんだね。近くに工場が出來てから一層風儀がわるくなつたと年寄りなんぞは云つとるが。﹂と、桐野が云つた。
隣村に、しかしこの村と境を接したすぐ近くに工場が二つあつた。製絲の工場と、貝ボタンの工場であつた。通ひもあり、この村からも通つてゐる。直接には飮食店の繁昌などとなつて現れて、この工場の存在はあたりに活氣を與へてゐる。
﹁何だな。家の建築の方から云つても工場の影響といふものは大きいと思ふな。此頃村ぢや家を建てるつていへば、萱ぶきの百姓家をやめて、町の家みたいなのを建てるのが多くなつて來ただらう。ありや、その方が簡單だつてこともあるが、あれを始めたな矢張工場へ通つて給料もらつとつた奴だよ。さういふのは何でも百姓臭えことがいやになるんだな。さういふ家が段々擴まつて行つたんだ。現にこの家だつてその方だよ。﹂
﹁いいこともありや、わるいこともあるさね。村の衆が少しでも雜誌なんぞでも讀むやうになつて來たのにや、工場のおかげといふこともあるんだ。こんな村でも雜誌だけはずゐぶん賣れるんだからな。大抵女工さんが買ふんだ。月が後れると本屋ぢや引き取つて古本にして並べとく。それがいつかは村へはけて行くんだ。そりや娯樂雜誌と婦人雜誌だけどもな、それでも讀んだ方がよからうが。それだけ讀書力もつくし、世の中のこともわかるけんな。もしもあの古雜誌がなけりや、村の一般のものは﹃家の光﹄のほかには何一つ讀みよりやせんぞ。﹂と、柴岡が云つた。
﹁﹃家の光﹄は讀まれてゐますか?﹂と、駿介が訊いた。
﹁そりや大したもんですわ。出るのを待ちかねて皆信用組合さ行くんです。何せえ、二十錢ですけんなあ。それで頁數は多し、すべての方面にわたつて一通りのことは書かれてあるんですけに。それに金と時間の上からこの一册で無理にもたんのうせんならん者が大部分なんです。﹂
﹁君は雜誌は何を讀んでるんです。歌の雜誌以外は。﹂
柴岡が、すぐには答へずにゐると、桐野がわきから引き取つて云つた。
﹁柴岡は、中央公論、改造、文藝春秋なんぞばかりですよ。﹂
﹁あれらは一册づつしきや來ませんね。村の店には。﹂
﹁さうです。無くなつとりや、杉野さんが買つたものと見當つけて間違ひこ無しですわ。﹂
﹁君は?﹂
﹁わしは買ひはしません。借りて讀むんです。﹂
﹁店からですか。﹂
﹁さうです。ちやんと契約が出來とつてね、借賃は期限づきは五錢、無期限……といふのは本屋が元へ返すまでですがそれだと十五錢なんです。﹂
﹁へえ、そんなうまい話があるんですか。讀み滓が返本になつて歸るわけですね。わしもやるかな、一つ。﹂駿介は笑つた。
﹁だから杉野さんの買ひなさる時にや、少し遲う買つて下さるとわしには都合がいいんです。早く讀んで返しときますけに。――雜誌社にはわるいがどうも仕方ありませんが。歌の雜誌に金を毎月送らんならんですが、こつちの方は嚴しうてね。金がきれると歌を送つても雜誌には載らんもんですから。﹂
桐野がその時ふところから一册の雜誌を出した。そして柴岡の方をちらつと見て、にやにやしながら、それを駿介の膝の上にのせた。
﹁杉野さん、柴岡の歌の雜誌つていふのはこれです。柴岡の歌が載つとりますが、名歌かどうか一つ見てやつて下さい。わしらにはわからんよつて。﹂
柴岡は桐野の手からその雜誌が駿介の膝に移るのを見た。
﹁見て戴けるやうなもんぢやありません。まだ始めたばかりで。﹂
彼はやや顏を赤らめたやうであつた。しかし落ち着いてさう云ふと、今までの姿勢のままでゐた。そしてそれきり默つてゐた。彼はあわてて手をのべてその雜誌を引つたくるといふやうなことはしなかつた。また、駿介に讀まれる場合を豫想して今から色々と辯解めいたことを云つて豫防線を張つておくといふこともしなかつた。彼はそのやうに卑屈でもなかつたし、てれたりもしなかつた。また得意でもなかつた。ただいつも通りであつた。それは駿介に非常にいい感じを與へたし、また彼を感心もさせたのであつた。
﹁今日君に返すつもりで持つて來たんだが。﹂と、桐野は柴岡の顏を見た。
﹁是非見せて下さい。もつとも僕は歌はわからないから批評なんかは出來ないけれど。――雜誌は拜借しといていいですか?﹂
﹁ええ、どうか。﹂と、柴岡は云つた。
それからも話は次々に多方面にわたつた。彼等はしきりに駿介から東京の話を聞きたがつた。それは今迄にもう何度も話されたことなのだが、同じことを何度でも繰り返して聞きたがつた。彼等のうち大阪まで行つたものはあつても、東京へ行つたといふものは一人もなかつた。彼等はただ漠然と中央の都市の空氣を思ひ、聞く毎に何か新しい氣がし、そこからさまざまな空想の翼をのばしてゐるらしかつた。彼等が都會での食ふための生活について聞くことにも熱心だが、直接には彼等に何のかかはりもないもの、例へば學生生活に非常な興味を持つたりするのはかなりに意外な氣がした。
話の間に源次が立つて、壁の一方に掛けてある新聞の綴り込みを取ると、部屋の隅の薄暗い所へ行つて、ひろげて、一心に讀んでゐた。源次の家では月極めで新聞を取ることが出來ない。月一圓二十錢の大阪の新聞が、ここでは配達料が加はつて、一圓三十錢である。二三軒の家が組んで、一つ新聞をし讀みにしてゐるところもある。
ラヂオが欲しいと誰かが云ひ出した。しばらくはそのことについて熱心に語られた。近頃、電氣會社が、ラヂオの機械の月賦販賣を熱心に宣傳してゐるのである。秋までには何とかして据ゑ附けたいと、各々自信ありげに自分の見込みを語り合つた。柴岡は縣の奬勵品の富有柿を作つてゐるので、その收穫をあてにしてゐる。桐野は大工としての臨時收入をあてにしてゐる。工藤は月々の給料を少しづつ溜めて行くのほかはない。しかし彼は晝のうち運送店にゐる間は、仕事の合間には聞くことが出來るのだ。店には新聞も二種あるし、雜誌も何かあるし、その點は惠まれてゐる。塚原はさうなると愈々どうしても、藺刈りに行かねばならぬと思つてゐる。しかし藺刈りに行つて何程かを得たとしても、その金が果して彼の自由になるかどうかは、彼の場合には疑問だ。が、源次となるとその點はもう今からはつきりしてゐる。どのやうな手段によつて得ようと、彼自身が自由に出來る金といふものはない。源次の家にラヂオが据ゑ附けられるのは果して何時のことか。
突然、塚原が、眞面目な顏を上げて云つた。
﹁杉野さん、お願ひがありますが……。﹂
﹁ええ? 何なの。﹂
﹁こないだ黒川に一ぺん話して見ただけで、まだみんなに相談してみたわけぢやないんですが、わしだけの考へですが……、わしらに一つ英語を教へて頂けませんか。﹂
﹁英語を?﹂
すると他のものも、そりやいい、と云ひ出した。塚原に賛成し、彼ほどの熱心さを以てではないけれどもみな同じ希望を云つた。
﹁今時英語ぐらゐ知らなくつちや、と思ふんです。難かしいことは分らなくてもいいし、分るわけもありませんが。﹂彼等はさういふのだ。
これは駿介には意外だつた。彼等がさういふことを云ひ出す氣持は、分らなくはなかつた。分りすぎるほど分つた。學生生活に彼等が豫想外の興味を抱くといふこととも互ひに照應してゐることであつた。それだけに駿介は咄嗟にはどう答へていいか分らなくて、﹁英語を?﹂と云つたきり暫く默つてゐた。
﹁そりや英語を勉強することが不必要だとは云はないが……。﹂彼は百姓には英語なんかいらぬ、とは、たとへさう思つたとしても、云へなかつた。またたとへ必要だとしても、新聞や雜誌を讀むことさへ思ふに任せぬ彼等がやりおほせるわけはないから、止めたがいい、といふ風にも云へなかつた。﹁英語を勉強するに費す勞力で、もつとほかに勉強しなけりやならんことがありやしないかな。英語を覺えるといふことは隨分時間を食ふことだし、一寸やめてゐてもすぐ後へ戻るといふやうなこともあつて……、それよりは……。﹂
﹁もつとほかにつていふと、どういふやうなことですか。﹂塚原が訊いた。
﹁例へば、農業經營の上の科學的知識とか、經濟についての實際的な知識とか、農村の生活の上に必要な、政治や法律に就ての一般知識とか……。﹂
彼等は同意とも不同意ともつかぬ面持で暫く默つてゐた。しかし塚原は、顏に熱心な色を浮べ、語氣にもその氣持を見せて、前言を主張した。
結局その話はその場でははつきりしたまとまりを見せなかつた。
晩くなつたので、その晩はそれでみんな歸ることになつた。立ち上る時、駿介は、
﹁今度何時か一度みんなでどこかへピクニツクにでも行かうぢやないか。餘り暑くならないうちに。﹂と云つた。
﹁ピクニツクつて遠足か。﹂と、桐野が云つた。
﹁さうですな。そりやええですな。ただ皆が揃ふといふ日がなかなか……。﹂と、柴岡が云つた。
﹁天長節あたりはどうだらう?﹂
﹁ええ……苗代で忙しい最中だけど。杉野さんは煙草もあるし。﹂
﹁さうだな。結局秋まで延びてしまふのかも知れないね。﹂
みんなどやどやと二階を下りた。駿介は、
﹁わしも一寸出る。﹂と云つて、下駄をつつかけた。閉め切つた部屋で、六人の人間の人いきれと煙草のけむりとに、彼の頭は少しぼうとしてゐた。夜の風に少し吹かれたいと思つた。
﹁いつも出ましてどうも晩うまで。﹂
﹁大きにお邪魔さんでござんした。﹂
﹁お休みなさんし。﹂
青年達は口々に云つて、まだ起きてゐる家の者らに、小腰をかがめて挨拶して下へ下りる。家の者らも一々それに返す。さういふ時の青年達は、二階での彼等とは違つてゐる。言葉つきから態度から違ふ。駿介に對する時、彼等はやや氣取つてゐるやうに見える。時には一寸生意氣にさへ見える。しかしそれらは嫌味ではなく、微笑ましいばかりである。いい意味での青年の客氣といふものが無邪氣に出るのである。言葉も地方語と標準語とをちやんぽんにして使ふ。非常に丁寧な言葉づかひをしてゐたかと思ふと、急に投げやりな、村の人間よりは町の人間に近い云ひ方をする。しかしそれが駒平やおむらに對する時、彼等は忽ち普通一般の村の若い衆に歸つて了ふのである。
先に外へ出た桐野が戻つて來て、皆を送り出して、まだ暗い土間に立つてゐたじゆんと顏を合した。
﹁ランプを忘れつちまつて……。﹂
じゆんは上へあがつて、戸棚の上においてあつた電氣ランプを持つて戻つて來た。明りをつけてみて、電池にまだいのちがあるのを確かめてから、
﹁まだ大丈夫。﹂と云つて、桐野に手渡しした。
﹁構やしませんか? お借りしてつて。﹂
﹁ええ。もう一つあるよつて。﹂
﹁なにね、道は暗うても構やせんのだけど、途中で駐在にでも呼び止められつと厄介だから。﹂
禮を云つて彼は出て行つた。五人のうち桐野の家が一番離れてゐた。
源次だけすぐに皆に別れて、あとの者は自轉車を押して暫く歩いて行つた。夜になると冷たい風が却つて快かつた。
﹁どこへ行かうか? S――へでも行つて見ようか?﹂と駿介はさつきの話を續けて、古戰場で名高い島山の名を云つた。
﹁さうだね。あそこでもいいな。あの下はしよつちゆう通つても、子供の時登つたきり登つたこともないからね。﹂と、工藤が云つた。
道の十字になつた所まで一緒に行つて、そこで皆に別れて、駿介は歸つて來た。
ああいい氣持だ!と、駿介は聲に出して云つて、小さな流れにかけた橋の上を渡つた。せせらぎは下の方で澄んだ音を立ててゐた。冬の間よりも水嵩が増して來たやうに思はれた。その音からも闇のなかに浮動してゐる眼に見えぬもののけはひからも、彼は春を感じた。
彼は深く息を吸ひ込み、さうしてまた大きく吐いた。頭は清々しく晴れ渡つて行つた。彼はゆつくり歩いて行つた。彼は青年達のことを考へ續けてゐた。
﹁英語を習ひたい﹂と、彼等が云つたことは何でもないやうなことだが、考へて見れば重大なことでもある。彼等がどんなにものを知りたがつてゐるか、しかしその知識欲は方向を與へられてゐない。現實に滿たされもしない。滿たされぬことは愈々方向を失はしめて、ものに觸れては起り、起つては消え、氣紛れな取り止めもないやうな觀さへ呈する。今日英語を云ひ出した彼等は、明日はまた何か違つたものを云ひ出すかも知れない。
彼等が、自分達の生活に直接關係を持たぬやうな知識に對して心惹かれるといふことは、決して非難すべきことでも否定すべきことでもないのだ。元來知識欲は一般にさういふ風にして發現するものなのだ。生活に結びついた知識といふものを、狹く卑俗にだけ解釋して青年のさういふ知識一般への情熱を壓迫し扼殺して了つてはならないだらう。彼等は今事毎に興味と疑問とを持ち、何でも見たい聞きたいと望んでゐるが、その底には、彼等自身氣づいてはゐないが、確かに純理を求める心が働いてゐるのだ。この要求は尊重さるべきものだ。彼等が百姓の青年だからと云つて、彼等のこの面が輕視されていいといふ理由は絶對にない。――彼等が、時として自分達の實生活に對して冷淡であり、これを蔑視するかに見えることがあるのも、やはり同じことから來てゐる。當然彼等は觀念的なのである。しかし觀念的であることは青年の特權だ。最初から觀念的であつたことのない青年などといふものは一體どんな存在であらうか。時代の青年が盡く何等かの意味で觀念的であることを止めたならば、一體どういふことになるだらう。
彼等をそのやうに理解しつつ、その上で現在の生活に冷淡であつたりこれを蔑視したりする彼等は飽迄もさうであつてはならぬことが云はれなければならぬ。彼等の純理を求める心と、自分達の現在を深くみつめる眼とが乖離してはならぬことが云はれなければならぬ。彼等が求め彼等に與へられる知識がどんなに彼等の實生活に直接關係を持たぬやうに見えても構はないが、しかも終局においては、それらはやはり彼等の農民としての自覺を深めることに役立つものにならなくてはならないだらう。
駿介は彼等の知識欲に方向を與へ、少しづつでも現實にこれを滿して行くために、自分が何かしなければならぬと思つた。彼等は皆村では優秀な青年達と云はねばならぬ。眞面目な、何ものかより高いものを求めてゐる若もの達だ。求めるものが適當な時に與へられなければ求める氣持は枯渇して了ふ。駿介はしかし自分を顧みて自分の無力を痛感した。何をどのやうにして與へたらいいのか? 自分の持つてゐるもので彼等に與へ得るものは殆どなかつた。むしろ色々聞くことの方が多いと思つた。
彼が確信をもつて云ひ得ることはただ次の一事のみであつた。
﹁ただ彼等の友達にならう。彼等の最もいい友達にならう。彼等を教へようなどとは思ふまい。しかし自分にあつて彼等に無いものは彼等に傳へ、その反對の場合は彼等から聞かう。さうだ、彼等から多くを聞くやうにしよう。むしろ聞くことによつて彼等にその求めてゐるものを得させることも出來るのではないか?﹂
家へ歸つて來て、床へ入つてから、駿介は柴岡が加入してゐる短歌の雜誌といふのを讀んだ。それは或る名のある歌人の主宰してゐる雜誌であつた。柴岡の歌は六首選に入つてゐた。
金策に出でてひねもす歸らざる老父 を思ひつつ夜の戸とざす
柿の實の初生り賣りて得し金を神にそなへて額づくわが老父
わがのぼる脚榻 に昨夜 の霜おけり高き小枝 に柿の實ちぎる
柿の實は乏しくなれり柿の落葉あつめて今宵火を焚きにけり
ほか二首であつた。