今から百年ばかり前のことだ、仏蘭西はエルメンノンヴィユに近い一小村モンタニーの、或るお祭の日の黄たそ昏がれ時、アドリンもその辺の娘達と草の上で踊るために出て来た。当時十八才のヂェラルド・ド・ネルヴァル――後世狂詩人として知られた男と――アドリンは図らずも一緒に踊ることとなつた。踊り終つてヂェラルドは彼女の頬に接唇し、彼女の頭髪に桂をかざしてやつた。彼は彼女が、今は昔恋の罪のために父君から塔の中に幽閉せられるやうになつた姫に関する悲しい歌をうたふのを聞いた。 以来アドリンは彼によつて忘れられないものとなつた。後に彼はアドリンが出家して死んだと聞いたが、その面影は彼に残つて生きつづけ、其後彼は他の女を愛したが、それはかのアドリンの化身としてであつた。 ヂェラルドは狂つた。二三度顛狂院に送られもした。最後には或る雪の凍つた朝木賃宿の窓の横木に首を縊つた。――笑つちや不可ねえ、狂人といふものは恐らく諸君のやうに結構な適従性を持つて生れなかつたのだ。時代とか社会とか謂はれる随分偶然的な機構は、諸君のやうな結構な適従性を持つてゐるのであつてみればなんらの怪々たるものでもないが、それのない人にとつては、時々刻々の妖怪と見えるかも知れない。 豆腐売りのラッパが聞こえる、今夜は豆腐が要るのだからラッパが近づくのを待つて呼びとめる――それならば文句はない。然し若し豆腐売りのラッパは斯々の時刻に斯々の音色を以て鳴り亙ると知つてゐたにしてからが、それが鳴り出した時仮りに或る郷愁の裡にゐて、それが聞こえることがその郷愁の空を彩る一幻想としてしか知覚されない状態に人が常住あるとしたら、﹁間抜ケ野郎、また今晩も豆腐が食へやしねえぢやねえか﹂といふことになる他はない。 蓋し斯の如き間抜ケ野郎によつて、実感は実践的意味といふものから可なりに遠いであらう。――そんなベラ棒な話があるものかと云はれるかも知れないが、勿論さうなるまでには彼にとつてのみの秘密である幾多の暗面、個人の長々しい心的歴史を経過するのである。そしてその結果が今﹁間抜ケ野郎﹂となつたのである。それは意志の問題であるといふよりも構造の推移、即ち物質の問題の如くではないか。 ヂェラルドの詩を見るに、個々の実感は余りにそれ自身として強烈であつて、観念と結合しない。豆腐売りのラッパに酔ふとしてまことに随一だが、それを呼びとめるとしていとも間抜ケ野郎である。詩の各句各節はまことに興味深いそれを聯結する力は、漠然たる類型如きものである。 芸術よりも、その日暮しは千倍も豊富である人、多情多恨夢は荒野を駆け廻りながら、実はといへば陋巷の一室に暗然影を抱いて寝ぬる人、――所詮ヂェラルドは陶酔の一形式として存する。 左に彼の詩数篇を訳さう。