信じるより他は無いと思う。私は、馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムに拠よって、夢の力に拠って、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ、帯がほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、言うもので無い。信頼して、ついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭に於いても、また友と友との間に於いても、同じ事が言えると思う。 信じる能力の無い国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生活をすすめて行くのが一等正しい。人の事をとやかく言うよりは、自分のていたらくに就ついて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。 信じて敗北する事に於いて、悔いは無い。むしろ永遠の勝利だ。それゆえ人に笑われても恥ちじ辱ょくとは思わぬ。けれども、ああ、信じて成功したいものだ。この歓喜! だまされる人よりも、だます人のほうが、数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね。 不平を言うな。だまって信じて、ついて行け。オアシスありと、人の言う。ロマンを信じ給え。﹁共栄﹂を支持せよ。信ずべき道、他に無し。 甘さを軽蔑する事くらい容易な業は無い。そうして人は、案外、甘さの中に生きている。他人の甘さを嘲ちょ笑うしょうしながら、自分の甘さを美徳のように考えたがる。 ﹁生活とは何ですか。﹂ ﹁わびしさを堪える事です。﹂ 自己弁解は、敗北の前兆である。いや、すでに敗北の姿である。 ﹁敗北とは何ですか。﹂ ﹁悪に媚びし笑ょうする事です。﹂ ﹁悪とは何ですか。﹂ ﹁無意識の殴打です。意識的の殴打は、悪ではありません。﹂ 議論とは、往々にして妥協したい情熱である。 ﹁自信とは何ですか。﹂ ﹁将来の燭光を見た時の心の姿です。﹂ ﹁現在の?﹂ ﹁それは使いものになりません。ばかです。﹂ ﹁あなたには自信がありますか。﹂ ﹁あります。﹂ ﹁芸術とは何ですか。﹂ ﹁すみれの花です。﹂ ﹁つまらない。﹂ ﹁つまらないものです。﹂ ﹁芸術家とは何ですか。﹂ ﹁豚の鼻です。﹂ ﹁それは、ひどい。﹂ ﹁鼻は、すみれの匂いを知っています。﹂ ﹁きょうは、少し調子づいているようですね。﹂ ﹁そうです。芸術は、その時の調子で出来ます。﹂