お伽草紙

太宰治







 


滿


 
 
  
 ()※(「酉+慍のつくり」、第3水準1-92-88)




ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
コブヲ モツテル オヂイサン
 このお爺さんは、四國の阿波、劍山のふもとに住んでゐたのである。といふやうな氣がするだけの事で、別に典據があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から發してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事實がちやんと記載せられているし、また萬葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙傳などといふものに依つても、それらしいものが傳へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戲曲があるし、逍遙などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能樂、歌舞伎、藝者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、讀んだ本をすぐ人にやつたり、また賣り拂つたりする癖があるので、藏書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし讀んだ筈の本を搜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一册の繪本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考證はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出來上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
 
 穿


 
 
 

 
 



 
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
ヤマヘ ユキマス シバカリニ
 このお爺さんの樂しみは、お天氣のよい日、腰に一瓢をさげて、劍山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飮む。實に、樂しさうな顏をしてゐる。うちにゐる時とは別人の觀がある。ただ變らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出來た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覺めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に對して何の關心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出來たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本當に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤獨を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顏を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飮んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飮みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく醉ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの惡口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
ニハカニ クラク ナリマシタ
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
アメモ ザアザア フリマシタ
 

 
宿

 ()

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
ツカレガ デタカ オヂイサン
イツカ グツスリ ネムリマス
オヤマハ ハレテ クモモナク
アカルイ ツキヨニ ナリマシタ
 ()

 
()
オヤ ナンデセウ サワグコヱ
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
 
 姿使使
 
 ()


ヲドリノ スキナ オヂイサン
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
トテモ ヲカシイ オモシロイ
 お爺さんには、ほろ醉ひの勇氣がある。なほその上、鬼どもに對し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、圓陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
むすめ島田で年寄りやかつらぢや
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか來い來い
 とかいふ阿波の俗謠をいい聲で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な聲を發し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乘つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
 とさらに一段と聲をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ輕妙に踊り拔く。
オニドモ タイソウ ヨロコンデ
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
ダイジナ モノヲ アヅカラウ
 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小聲で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ寶物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて來るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奧に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覺え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
 お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歡聲を擧げる。
アサデス ツユノ ヒカルミチ
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
 () 


 








 ()()

()()
退

 
キイテ タイソウ ヨロコンデ
「ヨシヨシ ワタシモ コノコブヲ
ゼヒトモ トツテ モラヒマセウ」
 退

()()
オニドモ ヘイコウ
ジユンジユンニ タツテ ニゲマス
ヤマオクヘ




オニハ コナヒダ アヅカツタ
コブヲ ツケマス ミギノ ホホ
オヤオヤ トウトウ コブ フタツ
ブランブラント オモタイナ
ハヅカシサウニ オヂイサン
ムラヘ カヘツテ ユキマシタ
 
 




 ()()使()滿


 
 
宿調
苅薦かりごも
亂れ出づ
見ゆ
海人あまの釣船
 


 ()()()宿


 



 


 


 


 調
 

()()宿
使姿()()
宿宿()()宿宿
姿宿尿 宿退()
 


 




 
調

 

調鹿
 
調



 
 




 
鹿


 
 



 





 調
 
調
 

 





宿


 



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鹿
 



調


 
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()
 
調
()


()
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()
 
西退()()
 ()

 



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殿
 殿

 

 
()

 

 


 


 
宿


 
 
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 ()



 





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 鹿
調
 ()


姿
 


 
 ()殿()


 

殿
調


鹿





 滿
 
 
 
 

 







 

 
宿
 

 使()()
ドウシタンデセウ モトノサト
ドウシタンデセウ モトノイヘ
ミワタスカギリ アレノハラ
ヒトノカゲナク ミチモナク
マツフクカゼノ オトバカリ
 ()滿()()尿()()
 
タチマチ シラガノ オヂイサン
 それでおしまひである。氣の毒だ、馬鹿だ、などといふのは、私たち俗人の勝手な盲斷に過ぎない。三百歳になつたのは、浦島にとつて、決して不幸ではなかつたのだ。
 貝殼の底に、「希望」の星があつて、それで救はれたなんてのは、考へてみるとちよつと少女趣味で、こしらへものの感じが無くもないやうな氣もするが、浦島は、立ち昇る煙それ自體で救はれてゐるのである。貝殼の底には、何も殘つてゐなくたつていい。そんなものは問題でないのだ。曰く、
年月は、人間の救ひである。
忘卻は、人間の救ひである。
 龍宮の高貴なもてなしも、この素張らしいお土産に依つて、まさに最高潮に達した觀がある。思ひ出は、遠くへだたるほど美しいといふではないか。しかも、その三百年の招來をさへ、浦島自身の氣分にゆだねた。ここに到つても、浦島は、乙姫から無限の許可を得てゐたのである。淋しくなかつたら、浦島は、貝殼をあけて見るやうな事はしないだらう。どう仕樣も無く、この貝殼一つに救ひを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよさう。日本のお伽噺には、このやうな深い慈悲がある。
 浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたといふ。
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 姿鹿姿
 
 
 滿
 



調




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() 調姿 

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()使





 
 

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 ()姿()()

      ()鹿  


鹿




 




※(「顱のへん+鳥」、第3水準1-94-73)※(「滋のつくり+鳥」、第3水準1-94-66)() 



調
 調
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 鹿 鹿
 ※(「顱のへん+鳥」、第3水準1-94-73)※(「滋のつくり+鳥」、第3水準1-94-66)()鹿
 ※(「顱のへん+鳥」、第3水準1-94-73)※(「滋のつくり+鳥」、第3水準1-94-66)
姿


() ()()() ()    
 

 


 
 
 
 
 




 姿退滿 退()()()西
 穿
 鹿使




  

調





退
 
カゴメ カゴメ
カゴノナカノ スズメ
イツ イツ デハル
 この歌は、しかし、仙臺地方に限らず、日本全國の子供の遊び歌になつてゐるやうであるが、
カゴノナカノ スズメ
 
 


 退
 
 

 







 
 



鹿



鹿滿





 


 
 
 
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 毎日毎日、雪が降り續ける。それでもお爺さんは何かに憑かれたみたいに、深い大竹藪の中を搜しまはる。藪の中には、雀は千も萬もゐる。その中から、舌を拔かれた小雀を搜し出すのは、至難の事のやうに思はれるが、しかし、お爺さんは異樣な熱心さを以て、毎日毎日探索する。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 お爺さんにとつて、こんな、がむしやらな情熱を以て行動するのは、その生涯に於いて、いちども無かつたやうに見受けられた。お爺さんの胸中に眠らされてゐた何物かが、この時はじめて頭をもたげたやうにも見えるが、しかし、それは何であるか、筆者(太宰)にもわからない。自分の家にゐながら、他人の家にゐるやうな浮かない氣分になつてゐるひとが、ふつと自分の一ばん氣樂な性格に遭ひ、之を追ひ求める、戀、と言つてしまへば、それつきりであるが、しかし、一般にあつさり言はれてゐる心、戀、といふ言葉に依つてあらはされる心理よりは、このお爺さんの氣持は、はるかに侘しいものであるかも知れない。お爺さんは夢中で探した。生れてはじめての執拗な積極性である。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 まさか、これを口に出して歌ひながら搜し歩いてゐたわけではない。しかし、風が自分の耳元にそのやうにひそひそ囁き、さうして、いつのまにやら自分の胸中に於いても、その變てこな歌ともお念佛ともつかぬ文句が一歩一歩竹藪の下の雪を蹈みわけて行くのと同時に湧いて出て、耳元の風の囁きと合致する、といふやうな工合ひなのである。
 或る夜、この仙臺地方でも珍らしいほどの大雪があり、次の日はからりと晴れて、まぶしいくらゐの銀世界が現出し、お爺さんは、この朝早く、藁靴をはいて、相も變らず竹藪をさまよひ歩き、
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 





姿





鹿
  


 ()





 


宿






 

 
 
 
 
 

 
 






 

 

 

 
 

 
 



 


 ()()
調






 




 

 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)

調
 

※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)

 滿

 
宿

 



宿鹿
 
 
 
 





底本:「太宰治全集 8」筑摩書房
   1998(平成10)年11月25日初版第1刷発行
底本の親本:「お伽草紙」筑摩書房
   1946年(昭和21)年2月25日再版
初出:「お伽草紙」筑摩書房
   1945年(昭和20)年10月25日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「石油鑵」と「石油罐」の混在は底本通りとしました。
※このファイルには、以下の青空文庫のテキストを、上記底本にそって修正し、組み入れました。
「お伽草紙」(入力:八巻美惠、校正:高橋じゅんや)
入力:大沢たかお
校正:阿部哲也
2011年7月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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●図書カード