彼は人気者になら誰とでも会いたがった。しかし、人気者は誰も彼に会おうとしなかった。いうまでもなく彼は一介の無名の市井人だった。
野坂参三なら既にして人気者であり、民主主義の本尊だから、誰とでも会うだろう。彼はわざわざ上京して共産党の本部を訪問した。ところが、党員が出て来ていうのには、
﹁野坂氏は多忙で誰とも会いません。用件は私が伺いましょう﹂
用件はなかった。すごすご帰る道、仙台に板垣退助の娘がいることを耳にした。板垣退助こそ民主主義である。彼は仙台へ行った。宿につき女中にきくと、
﹁誰方とでもお会いになります。いえ、誰方にも名刺を下さいます。私もいただきました﹂
見せて貰うと、洗濯屋の名刺のように大きな名刺で﹁伯爵勲一等板垣退助五女……﹂という肩書がれいれいしくはいっていた。
彼はがっかりして会わずに帰った。