相撲

寺田寅彦






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 ()※(「析/日」、第3水準1-85-31)
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 大学生時代に回向院えこういんの相撲を一二度見に行ったようであるがその記憶はもうほとんど消えかかっている。ただ、常陸山、梅ヶ谷、大砲、朝潮、逆鉾さかほことこの五力士のそれぞれの濃厚な独自な個性の対立がいかにも当時の大相撲を多彩なものにしていたことだけは間違いない事実であった。それぞれの特色ある音色をもった楽器の交響楽を思わせるものがあった。皮膚の色までがこの五人それぞれはっきりした特色をもっていたような気がするのである。これとは直接関係のないことであるが、大学などでも明治時代の教授たちには、それぞれに著しくちがったしかもそれぞれに濃厚な特色をもった人が肩を比べていたような気がするが、近ごろではどちらかと言えばだんだん同じような色彩の人ばかりがそろえられるといったような傾向がありはしないかという気がする。これは自分だけのひが目かもしれないが、しかしそうなるべき理由はあると思われる。昔は各藩の流れをくんで多様な地方的色彩を帯びた秀才が選ばれて互いに対立し競争しまた助け合っていた。しかし後にはそうではなくて先任者が順々に後任者を推薦し選定するようになった。従って自然に人員の個性がただ一色に近づいて来るという傾向が生じたのではないかという気がする。どちらがいいか悪いかは別問題であるが、昔の人選法も考えようによってはかえって合理的であるかもしれない。学風の新鮮を保ち沈滞を防ぐためにはやはりなるべく毛色のちがった人材を集めるほうがかえっていいかもしれないのである。同じことは他のあらゆる集団についても言われるであろう。
 それはとにかく、ある時東海道の汽車に乗ったら偶然梅ヶ谷と向かい合いの座席を占めた。からだの割合にかわいい手が目についた。みかんをむいて一袋ずつ口へ運び器用に袋の背筋をかみ破ってはきれいに汁を吸うて残りを捨てていた。すっかり感心して、それ以来みかんの食い方だけはこの梅ヶ谷のまねをすることにきめてしまった。
 ラジオの放送を聞きながらこんな取り止めもないことを考えていたのであった。
 相撲と自分との交渉は洗いざらい考えてみてもまずあらかたこれだけのものに過ぎない。相撲好きの人から見たら実にあきれ返るであろうと思われるほどに相撲の世界と自分の世界との接触面は狭小なものである。しかしむしろそういう点で自分らのようなもののこうした相撲随筆も広大な相撲の世界がいかなる面あるいは線あるいは点において他の別世界と接触しうるかということを示す一例として、一部の読者にはまた多少の興味があるかもしれないと思った次第である。





底本:「日本の名随筆 別巻2 相撲」作品社
   1991(平成3)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第九巻」岩波書店
   1961(昭和36)年6月初版発行
初出:「時事新報」
   1935(昭和10)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:富田倫生
校正:かとうかおり
2003年3月6日作成
2011年4月19日修正
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