八月二十六日床を出でて先ず欄干に倚よる。空よく晴れて朝風やゝ肌寒く露の小萩のみだれを吹いて葉はげ鶏いと頭うの色鮮やかに穂先おおかた黄ばみたる田たの面もを見渡す。薄うす霧ぎり北の山の根に消えやらず、柿の実撒まき砂すなにかちりと音して宿しゅ夢くむ拭うがごとくにさめたり。しばらくの別れを握手に告ぐる妻が鬢びんの後おくれ毛げに風ゆらぎて蚊か帳やの裾ゆら〳〵と秋も早や立つめり。台所に杯はい盤ばんの音、戸口に見送りの人声、はや出いで立たたんと吸物の前にすわれば床の間の三さん宝ぽうに枳から殻たち飾りし親の情先ず有あり難がたく、この枳殻誤って足にかけたれば取りかえてよと云う人の情もうれし。盃一順。早く行て船室へ場を取りませねばと立上がれば婢ひぼ僕く親戚上あがり框かまちに集つどいて荷物を車夫に渡す。忘れ物はないか。御座りませぬ。そんなら皆さん御機嫌よくも云った積つもりなれどやゝ夢心地なればたしかならず。玄関を出れば人々も砂じゃ利りを鳴らしてついて来る。用意の車五輌口々に何やら云えどよくは耳に入らず。から〳〵と引き出せば後にまた御機嫌ようの声々あまり悪からぬものなり。見返る門柳監獄の壁にかくれて流れる水に漣れん動く。韋いだ駄て天んを叱する勢いよく松まつが端はなに馳かけ付くれば旅立つ人見送る人人にん足そく船頭ののゝしる声々。車の音。端艇涯きしをはなるれば水みさ棹おのしずく屋根板にはら〳〵と音する。舷ふなべりのすれあう音ようやく止んで船は中流に出でたり。水害の名なご残り棒ぼう堤づつみにしるく砂利に埋るゝ蘆あしもあわれなり。左側の水楼に坐して此こっ方ちを見る老人のあればきっと中ちゅ風うぶうよとはよき見立てと竹村はやせば皆々笑う。新しん地ちの絃げん歌か聞えぬが嬉うれしくて丸山台まで行けば小こじ蒸ょう汽き一艘そう後より追越して行きぬ。 昔の大名それの君、すれちがいし船の早さに驚いてあれは何船と問い給えば御附きの人々かしこまりて、あれはちがい船なればかく早くこそと御答え申せば、さらばそのちがい船を造れと仰せられし勿もっ体たいなさと父上の話に皆々またどっと笑う間に船は新田堤にかかる。並んで行く船に苅谷氏も乗り居てこれも今日の船にて熊本へ行くなりとかにてその母堂も船窓より首さしのべて挨拶する様ちと可お笑かしくなりたれど、じっとこらゆるうちさし込む朝日暑ければにや障子ぴたりとしめたり。程なく新高知丸の舷げん側そくにつけば梯はし子ごの混雑例のごとし。荷物を上げ座もかまえ、まだ出帆には間もあればと岩がん亀きて亭いへつけさせ昼飯したゝむ。江上油のごとく白鳥飛んでいよいよ青し。欄下の溜池に海うみ蟹がにの鋏はさみ動かす様がおかしくて見ておれば人を呼ぶ汽笛の声に何となく心急せき立ちて端艇出させ、道中はことさら気を付けてと父上一句、さらば御無事でと子供等の声々、後に聞いて梯子駆け上れば艫ともに水白く泡立ってあたりの景色廻り舞台のようにくる〳〵と廻ってハンケチ帽子をふる見送りの人々。これに応ずる乗客の数々。いつの間にか船首をめぐらせる端艇小さくなりて人の顔も分き難くなれば甲かん板ぱんに長居は船ふな暈よいの元と窮屈なる船室に這はい込み用意の葡萄酒一杯に喉を沾うるおして革かば鞄ん枕に横になれば甲板にまたもや汽笛の音。船は早や港を出るよと思えど窓外を覗のぞく元気もなし。﹃新小説﹄取り出でて読む。宙ちゅ外うがいの﹁血桜﹂二、三頁読みかくれば船底にすさまじき物音して船体にわかに傾けり。皆々思わず起き上がる。港口浅せたるためキールの砂利に触るゝなるべし。あまり気味よからねば半頁程の所読んではいたれど何がかいてあったかわからざりしも後にて可笑しかりける。船の進むにつれて最もは早や気味悪き音はやんで動揺はようやく始まりて早や胸悪きをじっと腹をしめて専もっぱら小説に気を取られるように勉つとむればよう〳〵に胸静まり、さきの葡萄酒の酔心。ほっとしていつしか書中の人となりける。ボーイの昼食をすゝむる声耳に入りたれどもとより起き上がる事さえ出来ざる吾われの渋茶一杯すゝる気もなく黙って読み続くるも実はこのようなる静穏の海上に一杯の食さえ叶かなわぬと思われん事の口くち惜おしければなり。 一篇広告の隅々まで読み終りし頃は身体ようやく動揺になれて心地やゝすが〳〵しくなり、半なかば身を起して窓外を見れば船は今室むろ戸とざ岬きを廻るなり。百尺岩頭燈台の白はく堊あ日にかがやいて漁舟の波のうちに隠見するもの三、四。これに鴎かもめが飛んでいたと書けば都合よけれども飛とび魚うお一つ飛ばねば致し方もなし。舟傾く時海また傾いて深黒なる奔潮天と地との間に向って狂奔するかと思わるゝ壮観は筆にも言語にも尽すべきにあらず。甲かんの浦うら沖を過ぐと云う頃ハッチより飯めし櫃びつ膳ぜん具ぐを取り下ろすボーイの声八やヶましきは早や夕飯なるべし。少し大胆になりて起き上がり箸を取るに頭思いの外ほかに軽くて胸も苦しからず。隣りに坐りし三十くらいの叔母様の御給仕忝かたじけなしと一碗を傾くればはや厭いやになりぬ。寺田寅彦さんと云う方は御座らぬかとわめくボーイの濁だみ声ごえうるさければ黙って居けるがあまりに呼び立つる故オイ何んだと起き上がれば貴あな方たですかと怪けげ訝んが顔おなるも気の毒なり。何ぞと言葉を和やわらげて聞けば、上等室の苅谷さんからこれを貴方へ、と差出す紙包あくれば梨な子し二つ。有難しとボーイに礼は云うて早さっ速そく頂戴するに半分ばかりにして胸つかえたれば勿体なけれど残りは窓から外へ投げ出してまた横になれば室内ようやく暗く人々の苦にせし夕日も消えて甲板を下り来る人多くなり、窮屈さはいっそう甚だしけれど吾一人にもあらねば致し方もなし。隣りに言葉訛なまり奇妙なる二人連れの饒じょ舌うぜつもいびきの音に変って、向うのせなあが追おい分わけを歌い始むれば甲板に誰れの持て来たものか轡くつ虫わむしの鳴き出したるなど面白し。甲板をあちこちする船員の靴音がコツリ〳〵と言文一致なれば書く処なり。夢魂いつしか飛んで赴く処は鷹たか城じょうのほとりなりけん、なつかしき人々の顔まざ〳〵と見ては驚く舷側の潮の音。ねがえりの耳に革鞄の仮枕いたずらに堅きも悲しく心細くわれながら浅あさ猿ましき事なり。残夢再びさむれば、もう神こう戸べが見えますると隣りの女に告ぐるボーイの声。さてこそとにわかに元気つきて窓を覗のぞきたれど月なき空に淡あわ路じし島まも見え分かず。再びとろ〳〵として覚むれば船は既に港内に入って窓外にきらめく舷燈の赤き青き。汽笛の吼ほゆるごとき叫ぶがごとき深夜の寂せき寞ばくと云う事知らぬ港ながら帆柱にゆらぐ星の光はさすがに静かなり。革鞄と毛布と蝙こう蝠もり傘がさとを両手一ぱいにかかえて狭き梯子を上って甲板に上がれば既に船は桟さん橋ばしへ着きていたり。苅谷氏に昨夕の礼をのべて船を下り安松へ上がる。岡崎賢七とか云う人と同室へ入れられ、宅うちへ端はが書きしたゝむ。時計を見ればまだ三時なり。しかし六時の急行に乗る積りなれば落付いて眠る間もなかるべしと漱石師などへ用もなき端書したゝむ。ラムネを取りにやりたれど夜中にて無し、氷も梨も同様なりとの事なり。退屈さの茶を啜すすれば胸ふくれて心地よからず。とかくするうち東の空白み渡りて茜あかねの一いち抹まつと共に星の光まばらになり、軒下に車の音しげくなり、時計を見れば既に五時半なり。急いで朝飯かき込み岡崎氏と停車場に馳かけつくれば用よう捨しゃ気げもなき汽車進行を始めて吐き出す煙の音乗り遅れし吾等を嘲るがごとし。珍しき事にもあらねど忌いま々いましきものなり。先ず荷物を預けんとて二人のを一緒に衡はからす。運賃弐円とは馬鹿々々しけれど致し方もなし。楠なん公こうへでも行くべしとて出いで立たたんとせしがまてしばし余は名古屋にて一泊すれども岡崎氏は直行なれば手荷物はやはり別にすべしとて再び切符の切り換えを求む。駅員の不機嫌顔甚だしきも官線はやはり官線だけの権力とか云うものあるべしと、かしこみて願い奉りようよう切符を頂戴して立ちいずれば吹き上ぐる朝嵐に藁わら帽ぼう飛んでぬかるみを走る事数すう間けん、ようやく追い付きて取とり止とどめたれど泥にまみれてあまり立派ならぬ帽の更に見ばえを落したる重ね〳〵の失敗なり。旅なればこれも腹は立たず。元もと町まちを線路に沿うて行く。道傍の氷店に入ってラムネ一瓶に夜来の渇望も満たしたればこゝに小荷物を預けて楠なん公こう祠しまで行きたり。亀の遊ぶのを見たりとて面白くもなし湊みな川とがわへ行て見んとて堤を上る。昼なれば白面の魎りょ魅うみも影をかくして軒を並ぶる小亭閑かんとして人の気あるは稀なり。並木の影涼しきところ木の根に腰かけて憩いこえば晴せい嵐らん梢を鳴らして衣に入る。枯枝を拾いて砂に嗚あ呼あ忠臣など落書すれば行き来の人吾等を見る。半時間ほども両人無言にて美人も通りそうにもなし。ようよう立上がりて下流へ行く。河とは名ばかりの黄色き砂に水の気なくて、照りつく日のきらめく暑そうなり。川口に当りて海面鏡のごとく帆船の大き小さきも見ゆ。多門通りより元の道に出てまた前の氷屋に一杯の玉壺を呼んで荷物を受取り停車場に行く。今ようやく八時なればまだ四時間はこゝに待つべしと思えば堪えられぬ欠あく伸びに向うに坐れる姉様けゞん顔して吾を見る。時これ金と云えばこの四時間何金に当るや知らねどあくびと煙たば草この煙に消すも残念なり、いざや人物の観察にても始めんと目を見開けば隣りに腰かけし印しる半しば天んてんの煙草の火を借らんとて誤りて我が手に火を落しあわてて引きのけたる我がさまの吾ながら可笑しければ思わず噴き出す。この男バナナと隠いん元げん豆まめを入れたる提さげ籠かごを携えたるが領えりしるしの水雷亭とは珍しきと見ておればやがてベンチの隅に倒れてねてしまいける。富米野と云う男熊本にて見知りたるも来れり。同席なりし東も来り野並も来る。 こゝへ新あらたに入り来りし二人連れはいずれ新婚旅行と見らるゝ御おん出いで立たち。すじ向いに座を構えたまうを帽の庇ひさしよりうかゞい奉れば、花の御かんばせすこし痩せたまいて時々小声に何をか物語りたまう双そう頬きょうに薄紅さして面おもはゆげなり。人々の視線一度に此こな方たへ向かえば新郎のパナマ帽もうつむきける。この二人間まもなく大阪行のにて去る。引きちがえて入り来る西洋人のたけ低く顔のたけも著しく短きが赤き顔にこればかり立派なる鬚ひげひねりながら煙草を人じん力りきに買わせて向側のプラットフォームに腰をかけ煙草取り出して鬚をかい上ぐるなどあまり上等社会にもあらざるべし。これと同じ白衣着けたる連れの男は顔長く頬ほお髯ひげ見事なれど歩み方の変なるは義足なるべし。この間改札口幾度か開かれまた閉じられて汽笛の止む間もなし。人来り人去っていつまでも待合の隅に居残るは吾等のみなるぞつまらなき。ようやく十二時となりて、プラットフォームに出でんとすればこの次のなりとてつきかえされし、重ね〳〵の失敗なりける。ようやくにして新橋行のに乗り込む。客車狭くして腰掛のうす汚きも我慢して座を占むれば窓外のもの動き出して新聞売の声後になる。右には未だ青き稲田を距へだてて白砂青松の中に白堊の高楼蜑あまの塩しお屋やに交じり、その上に一抹の海青く汽船の往復する見ゆ。左に従い来る山々山さん骨こつ黄色く現われてまばらなる小松ちびけたり。中に兜かぶとの鉢を伏せたらんがごとき山見え隠れするを向いの商人体ていの男に問う。何とか云いしも車の音に消されて判らず。再三問いかえせしも訛なまりの耳なれぬ故か終ついにわからず。気の毒にもあり可笑しくもあれば終にそのままに止みぬ。後にて聞けば甲かぶ山とやまと云う由。あたりの山と著しく模様変れるはいずれ別に火山作用にて隆起せるなるべし。これのみは樹木黒く茂りたり。
蝉なくや小松まばらに山禿 たり
など例の癖そろ〳〵出で来る。大阪にて海南学校出らしき黒くろ袴ばかま下り、乗客も増したり。幸いに天気あまり暑からざればさまでに苦しからず。山崎を過ぐれば与よい一ち兵べ衛えの家はと聞けど知る人なし。勘かん平ぺいらしき男も見えず、ただ隣りの男の眼付やゝ定さだ九くろ郎うらしきばかりなり。五十くらいの田舎女の櫛くし取り出して頻しきりに髪梳くしけずるをどちらまでと問えば﹁京まで行くのでがんす。息子が来いと云いますのでなあ﹂と言葉つき不思議なるを、国はと問えば広島近在のものなる由。飾り気一点なきも樸ぼく訥とつのさま気に入りてさま〴〵話しなどするうち京都々々と呼ぶ車掌の声にあわたゞしく下りたるが群集の中にかくれたり。京に入りて息子とかの宿に行くまでの途中いさゝか覚束なく思わるゝは他人のいらぬ心配かは知らず。やがて稲いな荷りを過ぐ。伏見人形に思い出す事多く、祭り日の幟のぼり立並ぶ景色に松まつ蕈たけ添えて画きし不ふせ折つの筆など胸に浮びぬ。山やま科しなを過ぎて竹藪ばかりの里に入る。左手の小高き岡の向うに大石内くら蔵のす助けの住家今に残れる由。先ずとなせ小こな浪みが道みち行ゆき姿すがた心に浮ぶも可お笑かし。やゝ曇り初そめし空に篁たかむらの色いよ〳〵深くして清く静かなる里のさまいとなつかしく、願わくば一度は此こ処こにしばらくの仮りの庵いおりを結んで篁の虫の声小お田だの蛙かわずの音にうき世の塵に汚けがれたる腸はらわたすゝがんなど思ううち汽車はいつしか上り坂にかゝりて両側の山迫り来る。山田の畔あぜにしれいのごとき草花面白きは何と云うものにや。この辺りまで畑打つ男女何ど処ことなく悠長に京びたるなどもうれし。茶畑多くあり。春なれば茶摘みの様さま汽車の窓より眺めて白手拭の群にあばよなどするも興あるべしなど思いける。大おお谷たにに着く。この上は逢おう坂さかなり。この名を聞きて思い出す昔の語り草はならぶるも管くだなるべし。さねかずらとはどんなものかしらず、蔦つた這はいでる崖に清水したゝって線路脇の小溝に落つる音涼し。窓より首さしのべて行手を見るに隧ずい道どう眼前に然ようぜんとして向うの口銭ぜにのまわりほどに見ゆ。これを過ぐれば左に鳰におの海うみ蒼くして漣水色縮ちり緬めんを延べたらんごとく、遠山糢も糊ことして水の果ても見えず。左に近く大津の町つらなりて、三みい井で寺ら木立に見えかくれす。唐から崎さきはあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ堅かた田だも石山も粟あわ津づもすべて判らず。九つの歳とし父母に従うて東海道を下りし時こゝの水楼に魚はやの塩焼の骨と肉とが面白く離るゝを面白がりし事など思い出してはこの頃の吾なつかしく、父母の老い給いぬる今悲しかり。さては白はく湾わん子しと共に名古屋に遊びし帰途伊勢を経て雪夜こゝに一夜を明かせし淋しさなどもさま〴〵偲ばる。草津の姥うばが餅もちも昔のなじみなれば求めんと思ううち汽車出でたれば果さず。瀬せ田たの長なが橋はし渡る人稀に、蘆ろて荻きいたずらに風に戦そよぐを見る。江心白帆の一つ二つ。浅き汀みぎわに簾すだ様れようのもの立て廻せるは漁すなどりの業わざなるべし。百むか足でや山ま昔に変らず、田たわ原らと藤う太たの名と共にいつまでも稚おさなき耳に響きし事は忘れざるべし。湖上の景色見飽かざる間に彦根城いつしか後になり、胆いぶ吹きや山まに綿雲這いて美み濃の路じに入れば空は雨模様となる。大垣の商人らしき五十ばかりの男頻しきりに大垣の近況を語り関せきが原はらの戦いくさを説く。あたりようやく薄暗く工こう夫ふて体いの男甲かん走ばしりたる声張り上げて歌い出せば商人の娘堪えかねてキヽと笑う。長なが良らが川わ木曽川いつの間にか越えて清洲と云うに、この次は名古屋よと身みじ支た度くする間に電燈の蒼白き光曇れる空に映じ、はやさらばと一行に別れてプラットフォームに下り立つ。丸まる文ぶんへと思いしが知らぬ家も興あるべしと停車場前の丸万と云うに入る。二階の一室狭けれども今こよ宵いはゆるやかに寝るべしと思えば船中の窮屈さ蒸むし暑あつさにくらべて中々に心安かり。浴後の茶漬も快く、窓によれば驟しゅ雨うう沛はい然ぜんとしてトタン屋根を伝う点滴の音すゞしく、電燈の光地上にうつりて電車の往きかう音も騒がしからず。こうなれば宿帳つけに来し男の濡れ髪かき分けたるも涼しく、隣室にチリンと鳴るコップの音も涼しく、向うの室の欄干に倚よりし女の白き浴ゆか衣たも涼しげなり。昨日よりの疲れ一時に洗い去られしようにてからだのび〳〵となる。手を拍うちて床とこをのべさせ横になれば新しき浴衣の肌さわりも快く、隣室の話声遠きように聞えし後は魂いずこへか飛んで藻ぬけの殻となり電燈消しに来し事もいつか知らず。円まどかなる夢百里の外に飛んで眼覚むれば有明の絹燈蚊か帳やの外に朧おぼろに、時計を見れば早や五時なり。手洗い口すゝぎなどするうち空ほの〴〵と明けはなれたるが昨夜の雨の名残まだ晴れやらず、蚊帳をまくる風しめっぽきも心悪からず。膳に向かえば大野味噌汁。秋しゅ琴うき楼んろうに仮かぐ寓うの昔も思い出さしむ。勘定をすませ丸く肥え太りたる脊せい低き女に革鞄提さげさして停車場へ行く様、痩馬と牝豚の道みち行ゆきとも見るべしと可お笑かし。この豚存外に心利きたる奴にて甲斐々々しく何かと世話しくれたり。間もなく駆け来る列車の一隅に座を構えて煙草取り出せばベルの音忙せわしく合図の呼子。汽笛の声。熱あつ田たの八やつ剣るぎ森陰より伏し拝みてセメント会社の煙突に白湾子と焼芋かじりながらこのあたりを徘はい徊かいせし当時を思い浮べては宮みや川がわ行の夜船の寒さ。さては五い十す鈴ずの流れ二ふた見みの浜など昔の草枕にて居眠りの夢を結ばんとすれどもならず。大おお府ぶ岡崎御ご油ゆなんど昔しのばるゝ事多し。豊橋も後になり、鷲わし津づより舞まい坂さかにかゝる頃よりは道ようやく海岸に近づきて浜はま名なの湖窓外に青く、右には遠えん州しゅ洋うなだ杳ようとして天に連なる。漁舟江心に向かいてこぎ出せば欸あい乃だい風に漂うて白砂の上に黒き鳥の群れ居るなどは﹃十いざ六よい夜に日っ記き﹄そのままなり。浜松にては下りる人乗る人共に多く窮屈さ更に甚だしくなりぬ。掛かけ川がわと云えば佐さ夜よの中なか山やまはと見廻せど僅かに九歳の冬此こ処こを過ぎしなればあたりの景色さらに見覚えなく、島田藤ふじ枝えだなど云う名のみ耳に残れるくらいなれば覚おぼ束つかなし。金かな谷やの隧ずい道どう長くて灯を点とぼしたる、これは昔蛇の住みし穴かと云いししれ者の事など思い出す。静岡にて乗客多く入れ換りたれど美人らしきは遂に乗らず。東の方は村むら雨さめすと覚しく、灰色の雲の中に隠見する岬こう頭とういくつ糢も糊ことして墨絵に似たり。それに引きかえて西の空麗うるわしく晴れて白砂青松に日の光鮮やかなる、これは水彩画にも譬たとうべし。雨と晴れとの中にありて雲と共に東へ〳〵と行くなれば、ふるかと思えば晴れ晴るゝかと思えばまた大粒の雨玻はり璃ま窓どを斜に打つ変幻極まりなき面白さに思わず窓まど縁べりをたたいて妙と呼ぶ。車の音に消されて他人に聞えざりしこそ仕合せなりける。
大井川の水涸かれ〳〵にして蛇じゃ籠かごに草離々たる、越すに越されざりし﹁朝あさ貌がお日記﹂何とかの段は更なり、雲くも助すけとかの肩によって渡る御侍、磧かわらに錫しゃ杖くじょう立てて歌よむ行あん脚ぎゃなど廻り燈籠のように眼前に浮ぶ心地せらる。街道の並木の松さすがに昔の名残を止むれども道脇の茶店いたずらにあれて鳥とり毛げは挟さみ箱ばこの行列見るに由よしなく、僅かに馬まご士う歌たの哀れを止むるのみなるも改まる御み代よに余命つなぎ得し白髪の媼おうなが囲い炉ろ裏りのそばに水みず洟ばなすゝりながら孫玄やし孫ゃごへの語り草なるべし。
このあたりの景色北ほく斎さいが道中画譜をそのままなり。興おき津つを過ぐる頃は雨となりたれば富士も三み保ほも見えず、真青なる海に白浪風に騒ぎ漁すなどる船の影も見えず、磯辺の砂雨にぬれてうるわしく、先手の隧ずい道どうもまた画中のものなり。
此処小駅ながら近来海水浴場開けて都府の人士の避暑に来るが多ければ次第に繁昌する由なり。岩いわ淵ぶちの辺甘かん蔗しょ畑ばたけ多くあり。折から畑に入るゝ肥料なるべし異様のかおり鼻を突きて静岡にて求めし弁当開ける人の胸悪くせしも可笑しかりける。沼津を過ぐれども雨雲ふさがりて富士も見えず。
御ごて殿ん場ばにて乗客更に増したる窮屈さ、こうなれば日の照らぬがせめてもの仕合せなり。小おや山ま。山やま北きたも近づけば道は次第上りとなりて渓流脚下に遠く音あり。一いち八はつの屋根に鶏鳴きて雨を帯びたる風山田に青く、車中には御殿場より乗りし爺が提さげたる鈴虫なくなど、海抜幾百尺の静かさ淋しささま〴〵に嬉しく、哀れを止むる馬士歌の箱根八里も山を貫き渓たにをかける汽車なれば関せき守もりの前に額ひたい地にすりつくる面倒もなければ煙草一服の間に山北につく。ひとしきり来る村雨に鮎の鮓すし売る男の袖しとゞなるもあわれ。このあたり複線路の工事中と見えたり。山霧深うして記号標の芒すすきの中に淋しげなる、霜夜の頃やいかに淋しからん。
これより下り坂となり、国こ府う津づ近くなれば天また晴れたり。今越えし山に綿雲かゝりて其処とも見え分かず。さきの日国府津にて宿を拒まれようやくにして捜し当てたる町外れの宿に二階の絃歌を騒がしがりし夕、夕陽の中に富士足あし柄がらを望みし折の嬉しさなど思い出してはあの家こそなど見廻すうちにこゝも後になり、大おお磯いそにてはまた乗客増す。海水浴がえりの女の群の一様に大なる藁帽子かぶりたるなど目に立つ。柵の外より頻しきりに汽車の方を覗く美びぜ髯んこ公うのいずれ御ごぜ前んらしきが顔色の著しく白き西洋人めくなど土地柄なるべし。立派なる洋館も散見す。大おお船ふなにて横須賀行の軍人下りたるが乗客はやはり増すばかりなり。隣りに坐りし静岡の商人二人しきりに関西の暴風を語り米相場を説けば向うに腰かけし文いれ身ずみの老人御殿場の料理屋の亭主と云えるが富士登山の景況を語る。近頃は西洋人も婦人まで草わら鞋じにて登る由なりなどしきりに得意の様なりしが果ては問わず語りに人の難儀をよそに見られぬ私の性分までかつぎ出して少しば時しも饒しゃ舌べり止めず、面白き爺さんなり。程ほどが谷や近くなれば近き頃の横浜の大火乗客の話わへ柄いを賑わす。これより急行となりたれば神奈川鶴見などは止らず。夕陽海に沈んで煙波杳ようたる品川の湾に七砲台朧おぼろなり。何の祝宴か磯辺の水楼に紅燈山形につるして絃歌湧き、沖に上ぐる花火夕闇の空に声なし。洲崎の灯影長うして江水漣れん清く、電燈煌こうとして列車長きプラットフォームに入れば吐き出す人波。下駄の音靴のひゞき。
︵明治三十二年九月︶