随筆難

寺田寅彦




 随筆は思ったことを書きさえすればよいのであるから、その思ったことがどれほど他愛のないことであっても、またその考えがどんなに間違った考えであっても、ただ本当にそう思ったことをその通り忠実に書いてありさえすればその随筆の随筆としての真実性には欠陥はないはずである。それで、間違ったことが書いてあれば、読者はそれによってその筆者がそういう間違ったことを考えているという、つまらない事実ではあるがとにかく、一つの事実を認識すればそれで済むのである。国定教科書の内容に間違いのある場合とはよほどわけがちがうのではないかと思われる。尤も、いわゆる随筆にも色々あって、中には教壇から見下ろして読者を教訓するような態度で書かれたものもあり、お茶をのみながら友達に話をするような体裁のものもあり、あるいはまた独り言ないし寝言のようなものもあるであろうが、たとえどういう形式をとったものであろうとも、読者としては例えば自分が医者になって一人の患者の容態を聞きながらその人の診察をしているような気持で読めば一番間違いがないのではないかと思われる。随筆など書いて人に読んでもらおうというのはどの道何かしら「訴えたい」ところのある場合が多いであろうと思われる。
 少なくも、自分の場合には、いつもただその時に思ったことをその通りに書いてゆくだけであるから、色々間違ったことを書いたり、また前に書いたことと自家撞着じかどうちゃくするように見えることを平気で書いたりしている場合がずいぶん多いことであろうと思われる。読者のうちにはそういうことに気がついている人は多いであろうが、わざわざ著者に手紙をよこしたりあるいは人伝ひとづてに注意をしてくれる人は存外きわめて稀である。
 つい先達せんだって「歯」のことを書いた中に「硬口蓋こうこうがい」のことを思い違えて「軟口蓋」としてあったのを手紙で注意してくれた人があったが、こういうのは最も有難い読者である。
 ずっと前の話であるが、『藪柑子集やぶこうじしゅう』中の「嵐」という小品の中に、港内に碇泊ていはくしている船の帆柱に青い火がともっているという意味のことを書いてあるのに対して、船舶の燈火に関する取締規則を詳しく調べた結果、本文のごとき場合は有り得ないという結論に達したから訂正したらいいだろうと云ってよこした人があった。しかしそれは訂正しないでそのままにしておいた。この小品は気分本位の夢幻的なものであって、必ずしも現行の法令に準拠しなければならない種類のものでもないし、少なくも自分の主観の写生帳にはちゃんと青い燈火が檣頭しょうとうにかかったように描かれているから仕方がないと思ったのである。
 去年の暮には、東京の某病院の医員だという読者から次のような抗議が来た。
「(前略)しかところ続冬彦集六八頁第二行に、『速度の速い云々(速度の大きいに非ず)』と有之これあこれは素人なら知らぬ事物理学者として云ふべからざる過誤と存じ候、次の版に於ては必ず御訂正ありし 失礼を顧みず申上ぐる次第に御座候 敬具」
 なるほど、物理学では速度の大小というのが正当で、遅速をいうならば運動の遅速とでもいわなければ穏当でないかと思われる。それでもしこれが物理学の教科書か学術論文の中の文句であるとすれば当然改むべきはずであるが、随筆中の用語となると必ずしも間違いとは云われないかもしれない。紺屋の白袴、医者の不養生ということもあるが、物理の学徒等が日常お互いに自由に話し合う場合の用語には存外合理的でないものが多数にあって、問題の「速度のはやい」などもその一例である。この場合の「速度」は俗語の「はやさ」と同義であって術語のヴェロシティーと同じではないのである。例えばまた「のろい週期」などという言葉も平気で使うが「長い週期」というよりも日常会話にはこの方が実感があるから自然にそんな用例が出来るのであろうと思われる。「のろい振動の長い週期」を略して「帝展」「震研」流に云ったものと思えば不思議はないのである。従って、「速度のはやい」なども実感を強めるための俗語として「速度の大なるすなわち運動の速い」の略語として通用を許してもそれがために物理学は何の損害をも受ける心配はないかと思われる。それで、負惜しみのようではあるが、物理学を専攻する人間でも、座談や随筆の中ではいくらか自由な用語の選択を寛容してもらいたいと思うのである。
 この抗議のはがきの差出人は某病院外科医員花輪盛としてあった。この姓名は臨時にこしらえたものらしい。
 この三月にはまた次のような端書はがきが来た。
「始めて貴下の随筆『柿の種』を見初めまして今32頁の鳥や魚の眼の処へ来ました、何でもない事です。試みに御自分の両眼の間に新聞紙を拡げて前に突き出して左右の眼で外界を御覧になると御疑問が解決せられるのです。御試みありたし、(下略)」
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()()()()()()()※(「月+昔」、第3水準1-90-47)()()()
 
 稿()()()()()
 
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底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
   1997(平成9)年3月5日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
   1985(昭和60)年
初出:「経済往来」
   1935(昭和10)年6月1日
※初出時の署名は「吉村冬彦」です。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「常山くさぎはな」の「の」は、底本編集時に「常山くさぎ〔の〕はな」の形で補われたものです。
入力:砂場清隆
校正:青野弘美
ファイル作成:
2006年6月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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