もとの邸やし町きまちの、荒果てた土塀が今もそのままになっている。……雪が消えて、まだ間もない、乾いたばかりの――山国で――石のごつごつした狭い小路が、霞みながら一ひと条すじ煙のように、ぼっと黄たそ昏がれて行ゆく。 弥やよ生いの末から、ちっとずつの遅速はあっても、花は一いっ時ときに咲くので、その一ならびの塀の内に、桃、紅梅、椿つばきも桜も、あるいは満開に、あるいは初々しい花に、色香を装っている。石垣の草には、蕗ふきの薹とうも萌もえていよう。特に桃の花を真まっ先さきに挙げたのは、むかしこの一廓は桃の組といった組屋敷だった、と聞くからである。その樹の名木も、まだそっちこちに残っていて麗うららかに咲いたのが……こう目に見えるようで、それがまたいかにも寂しい。 二条ばかりも重かさなって、美しい婦おんなの虐しいたげられた――旧藩の頃にはどこでもあり来きたりだが――伝説があるからで。 通とお道りみちというでもなし、花はこの近きん処じょに名所さえあるから、わざとこんな裏小路を捜さぐるものはない。日ひな中かもほとんど人通りはない。妙とし齢ごろの娘でも見えようものなら、白昼といえども、それは崩れた土塀から影を顕あらわしたと、人を驚かすであろう。 その癖、妙な事は、いま頃の日の暮方は、その名所の山へ、絡らく繹えきとして、花見、遊山に出掛けるのが、この前通りの、優しい大川の小橋を渡って、ぞろぞろと帰って来る、男は膚はだ脱ぬぎになって、手をぐたりとのめり、女が媚なまめかしい友ゆう染ぜんの褄つま端ばし折ょりで、啣くわ楊えよ枝うじをした酔よっ払ぱらいまじりの、浮かれ浮かれた人数が、前後に揃って、この小路をぞろぞろ通るように思われる……まだその上に、小橋を渡る跫あし音おとが、左右の土塀へ、そこを蹈ふむように、とろとろと響いて、しかもそれが手に取るように聞こえるのである。 ――このお話をすると、いまでも私は、まざまざとその景色が目に浮ぶ。―― ところで、いま言った古小路は、私の家から十町余りも離れていて、縁で視ながめても、二階から伸上っても、それに……地方の事だから、板いた葺ぶき屋根へ上ってしても、実は建たて連つらなった賑にぎやかな町まち家やに隔てられて、その方角には、橋はもとよりの事、川の流ながれも見えないし、小路などは、たとい見えても、松杉の立木一本にもかくれてしまう。……第一見えそうな位置でもないのに――いま言った黄たそ昏がれになる頃は、いつも、窓にも縁にも一杯の、川向うの山ばかりか、我が家の町も、門かども、欄てす干りも、襖ふすまも、居る畳も、ああああ我が影も、朦もう朧ろうと見えなくなって、国中、町中にただ一ひと条すじ、その桃の古小路ばかりが、漫々として波の静しずかな蒼そう海かいに、船脚を曳ひいたように見える。見えつつ、面白そうな花見がえりが、ぞろぞろ橋を渡る跫音が、約束通り、とととと、どど、ごろごろと、且つ乱れてそこへ響く。……幽かすかに人声――女らしいのも、ほほほ、と聞こえると、緋ひも桃もがぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる。…… 直じ接かに、そぞろにそこへ行ゆき、小路へ入ると、寂しがって、気味を悪がって、誰たれも通らぬ、更に人影はないのであった。 気けは勢いはしつつ、……橋を渡る音も、隔へだたって、聞こえはしない。…… 桃も桜も、真まっ紅かな椿も、濃い霞に包まれた、朧おぼろも暗いほどの土塀の一ひと処ところに、石垣を攀よじ上のぼるかと附くッ着ついて、……つつじ、藤にはまだ早い、――荒庭の中を覗のぞいている――絣かすりの筒袖を着た、頭の円い小柄な小僧の十余りなのがぽつんと見える。 そいつは、……私だ。 夢中でぽかんとしているから、もう、とっぷり日が暮れて塀越の花の梢こずえに、朧おぼ月ろづきのやや斜ななめなのが、湯上りのように、薄くほんのりとして覗のぞくのも、そいつは知らないらしい。 ちょうど吹倒れた雨戸を一枚、拾って立掛けたような破れた木戸が、裂きれめだらけに閉とざしてある。そこを覗いているのだが、枝ごし葉ごしの月が、ぼうとなどった白しら紙かみで、木戸の肩に、﹁貸本﹂と、かなで染めた、それがほのかに読まれる――紙が樹の隈くまを分けた月の影なら、字もただ花と莟つぼみを持った、桃の一ひと枝えだであろうも知れないのである。 そこへ……小路の奥の、森の覆おおった中から、葉をざわざわと鳴らすばかり、脊の高い、色の真まっ白しろな、大柄な婦おんなが、横町の湯の帰かえ途りと見える、……化粧道具と、手てぬ拭ぐいを絞ったのを手にして、陽気はこれだし、のぼせもした、……微ほろ酔よいもそのままで、ふらふらと花をみまわしつつ近づいた。 巣から落ちた木みみ菟ずくの雛ひよッ子のような小僧に対して、一種の大なる化けち鳥ょうである。大女の、わけて櫛くし巻まきに無雑作に引ひっ束たばねた黒髪の房々とした濡色と、色の白さは目覚しい。 ﹁おやおや……新坊。﹂ 小僧はやっぱり夢中でいた。 ﹁おい、新坊。﹂ と、手拭で頬ほっ辺ぺたを、つるりと撫なでる。 ﹁あッ。﹂ と、肝を消して、 ﹁まあ、小お母ばさん。﹂ ベソを掻かいて、顔を見て、 ﹁御免なさい。御免なさい。父おとっさんに言っては可い厭やだよ。﹂ と、あわれみを乞いつつ言った。 不気味に凄すごい、魔の小路だというのに、婦おんなが一人で、湯帰りの捷ちか径みちを怪あやしんでは不いけ可ない。……実はこの小母さんだから通ったのである。 つい、︵乙︶の字なりに畝うねった小路の、大川へ出口の小さな二階家に、独身で住すまって、門かどに周易の看板を出している、小母さんが既に魔に近い。婦おんなでト筮うらないをするのが怪しいのではない。小僧は、もの心ついた四つ五つ時分から、親たちに聞いて知っている。大女の小母さんは、娘の時に一度死んで、通夜の三日の真夜中に蘇よみ生がえった。その時分から酒を飲んだから酔って転うた寝たねでもした気でいたろう。力はあるし、棺かん桶おけをめりめりと鳴らした。それが高島田だったというからなお稀け有ぶである。地獄も見て来たよ――極楽は、お手のものだ、とト筮うらないごときは掌たなごころである。且つ寺子屋仕込みで、本が読める。五経、文もん選ぜんすらすらで、書がまた好よい。一度冥めい途どをってからは、仏教に親したしんで参禅もしたと聞く。――小母さんは寺子屋時代から、小僧の父親とは手てな習らい傍ほう輩ばいで、そう毎々でもないが、時々は往ゆき来きをする。何ぞの用で、小僧も使いに遣やられて、煎せん餅べいも貰もらえば、小母さんの易をトみる七星を刺しし繍ゅうした黒い幕を張った部屋も知っている、その往ゆき戻もどりから、フトこのかくれた小路をも覚えたのであった。 この魔のような小母さんが、出口に控えているから、怪あやしい可おそ恐ろしいものが顕あらわれようとも、それが、小母さんのお夥なか間まの気がするために、何となく心ここ易ろやすくって、いつの間にか、小こど児もの癖に、場所柄を、さして憚はばからないでいたのである。が、学校をなまけて、不思議な木戸に、﹁かしほん﹂の庭を覗くのを、父親の傍輩に見つかったのは、天てん狗ぐに逢あったほど可恐しい。 ﹁内へお寄り。……さあ、一緒に。﹂ 優しく背せなを押したのだけれども、小僧には襟首を抓つまんで引立てられる気がして、手足をすくめて、宙を歩あ行るいた。 ﹁肥ふとっていても、湯ざめがするよ。――もう春だがなあ、夜はまだ寒い。﹂ と、納戸で被ひ布ふを着て、朱の長なが煙ぎせ管るを片手に、 ﹁新坊、――あんな処に、一人で何をしていた?……小母さんが易を立てて見てあげよう。二階へおいで。﹂ 月、星を左右の幕に、祭壇を背にして、詩経、史記、二十一史、十三経注ちゅ疏うそなんど本箱がずらりと並んだ、手習机を前に、ずしりと一杯に、座ざぶ蒲と団んに坐すわって、蔽おいのかかった火桶を引寄せ、顔を見て、ふとった頬でニタニタと笑いながら、長のど閑かに煙たば草こを吸ったあとで、円い肘ひじを白くついて、あの天眼鏡というのを取って、ぴたりと額に当てられた時は、小僧は悚ぞ然っとして震ふる上いあがった。 大川の瀬がさっと聞こえて、片側町の、岸の松並木に風が渡った。 ﹁……かし本。――ろくでもない事を覚えて、此こい奴つめが。こんな変な場処まで捜しまわるようでは、あすこ、ここ、町の本屋をあら方あらしたに違いない。道理こそ、お父とっさんが大層な心配だ。……新坊、小母さんの膝ひざの傍そばへ。――気をはっきりとしないか。ええ、あんな裏土塀の壊れ木戸に、かしほんの貼はり札ふだだ。……そんなものがあるものかよ。いまも現に、小母さんが、おや、新坊、何をしている、としばらく熟じっと視みていたが、そんなはり紙は気けも影もなかったよ。――何だとえ?……昼間来て見ると何にもない。……日の暮から、夜へ掛けてよく見えると。――それ、それ、それ見な、これ、新坊。坊が立っていた、あの土塀の中は、もう家うちが壊れて草ばかりだ、誰も居ないんだ。荒庭に古い祠ほこらが一つだけ残っている……﹂ と言いかけて、ふと独ひとりで頷うなずいた。 ﹁こいつ、学校で、勉強盛りに、親がわるいと言うのを聞かずに、夢中になって、余り凝るから魔が魅さした。ある事だ。……枝の形、草の影でも、かし本の字に見える。新坊や、可こ恐わい処だ、あすこは可恐い処だよ。――聞きな。――おそろしくなって帰れなかったら、可よい、可い、小母さんが、町の坂まで、この川土手を送ってやろう。 ――旧藩の頃にな、あの組屋敷に、忠義がった侍が居てな、御主人の難病は、巳み巳み巳み巳み、巳の年月の揃った若い女の生いき肝ぎもで治ると言って、――よくある事さ。いずれ、主人の方から、内証で入費は出たろうが、金か子ねにあかして、その頃の事だから、人買の手から、その年月の揃ったという若い女を手に入れた。あろう事か、俎まないたはなかろうよ。雨戸に、その女を赤はだ裸かで鎹かすがいで打ったとな。……これこれ、まあ、聞きな。……真まっ白しろな腹をずぶずぶと刺いて開いた……待ちな、あの木戸に立掛けた戸は、その雨戸かも知れないよ。﹂ ﹁う、う、う。﹂ 小僧は息を引くのであった。 ﹁酷むごたらしい話をするとお思いでない。――聞きな。さてとよ……生肝を取って、壺つぼに入れて、組屋敷の陪ばい臣しんは、行水、嗽うがいに、身を潔きよめ、麻あさ上がみ下しもで、主人の邸へ持って行く。お傍そば医いし師ゃが心得て、……これだけの薬だもの、念のため、生肝を、生しょうのもので見せてからと、御ごぜ前んで壺を開けるとな。……血ちぎ肝もと思った真まっ赤かなのが、糠ぬか袋ぶくろよ、なあ。麝じゃ香こう入いりの匂袋ででもある事か――坊は知るまい、女の膚はだ身みを湯で磨く……気取ったのは鶯うぐいすのふんが入る、糠袋が、それでも、殊勝に、思わせぶりに、びしょびしょぶよぶよと濡れて出た。いずれ、身勝手な――病やまいのために、女の生肝を取ろうとするような殿様だもの……またものは、帰って、腹を割さいた婦おんなの死体をあらためる隙ひまもなしに、やあ、血みどれになって、まだ動いていまする、とおのが手足を、ばたばたと遣りながら、お目めど通おり、庭にわ前さきで斬きられたのさ。 いまの祠ほこらは……だけれど、その以前からあったというが、そのあとの邸だよ。もっとも、幾たびも代は替った。 ――余りな話と思おうけれど、昔ばかりではないのだよ。現に、小母さんが覚えた、……ここへ一おと昨と年し越して来た当座、――夏の、しらしらあけの事だ。――あの土塀の処に人だかりがあって、がやがや騒ぐので行ってみた。若い男が倒れていてな、……川向うの新地帰りで、――小母さんもちょっと見知っている、ちとたりないほどの色男なんだ――それが……医いし師ゃも駆附けて、身から体だを検しらべると、あんぐり開けた、口一杯に、紅も絹みの糠袋……﹂ ﹁…………﹂ ﹁糠袋を頬ほお張ばって、それが咽の喉どに詰つまって、息が塞ふさがって死んだのだ。どうやら手が届いて息を吹いたが。……あとで聞くと、月夜にこの小路へ入る、美しいお嬢さんの、湯帰りのあとをつけて、そして、何だよ、無理に、何、あの、何の真似だか知らないが、お嬢さんの舌をな。﹂ と、小母さんは白い顔して、ぺろりとその真まっ紅かな舌。 小僧は太い白蛇に、頭から舐なめられた。 ﹁その舌だと思ったのが、咽喉へつかえて気絶をしたんだ。……舌だと思ったのが、糠袋。﹂ とまた、ぺろりと見せた。 ﹁厭いやだ、小母さん。﹂ ﹁大丈夫、私がついているんだもの。﹂ ﹁そうじゃない。……小母さん、僕もね、あすこで、きれいなお嬢さんに本を借りたの。﹂ ﹁あ。﹂ と円い膝に、揉もみ込むばかり手を据えた。 ﹁もう、見たかい。……ええ、高島田で、紫色の衣きものを着た、美しい、気高い……十八九の。……ああ、悪いた戯ずらをするよ。﹂ と言った。小母さんは、そのおばけを、魔を、鬼を、――ああ、悪戯をするよ、と独ひと言りごとして、その時はじめて真顔になった。 私は今でも現うつつながら不思議に思う。昼は見えない。逢おう魔まが時からは朧おぼろにもあらずして解わかる。が、夜の裏木戸は小こど児もご心ころにも遠慮される。……かし本の紙ばかり、三日五日続けて見て立つと、その美しいお嬢さんが、他よ所そから帰ったらしく、背せなへ来て、手をとって、荒れた寂しい庭を誘って、その祠ほこらの扉を開けて、燈明の影に、絵で知った鎧よろいびつのような一具の中から、一冊の草双紙を。…… ﹁――絵えと解きをしてあげますか……︵註。草双紙を、幼いものに見せて、母また姉などの、話して聞かせるのを絵解と言った。︶――読めますか、仮名ばかり。﹂ ﹁はい、読めます。﹂ ﹁いい、お児こね。﹂ きつね格子に、その半身、やがて、たけた顔が覗のぞいて、見送って消えた。 その草双紙である。一冊は、夢中で我が家の、階はし子ごだ段んを、父に見せまいと、駆上る時に、――帰ったかと、声がかかって、ハッと思う、……懐ふと中ころに、どうしたか失うせて見えなくなった。ただ、内へ帰るのを待兼ねて、大通りの露店の灯とも影しびに、歩あ行るきながら、ちらちらと見た、絵と、かながきの処は、――ここで小母さんの話した、――後のでない、前の巳巳巳の話であった。 私は今でも、不思議に思う。そして面影も、姿も、川も、たそがれに油を敷いたように目に映る。…… 大正…年…月の中旬、大たい雨うの日の午うまの時頃から、その大川に洪水した。――水が軟やわらかに綺麗で、流ながれが優しく、瀬も荒れないというので、――昔の人の心であろう――名の上へ女をつけて呼んだ川には、不思議である。 明治七年七月七日、大雨の降続いたその七日七晩めに、町のもう一つの大河が可おそ恐ろしい洪水した。七の数が累かさなって、人ひと死じにも夥おび多ただしかった。伝説じみるが事実である。が、その時さえこの川は、常とこ夏なつの花に紅べにの口を漱そそがせ、柳の影は黒髪を解かしたのであったに―― もっとも、話の中の川かわ堤づつみの松並木が、やがて柳になって、町の目めぬ貫きへ続く処に、木造の大橋があったのを、この年、石に架かけかえた。工事七分という処で、橋はし杭ぐいが鼻の穴のようになったため水を驚かしたのであろうも知れない。 僥さい倖わいに、白昼の出水だったから、男女に死人はない。二階家はそのままで、辛うじて凌しのいだが、平屋はほとんど濁流の瀬に洗われた。 若い時から、諸所を漂さす泊らった果はてに、その頃、やっと落着いて、川の裏小路に二階借がりした小僧の叔お母ばにあたる年とし寄よりがある。 水の出盛った二時半頃、裏向むきの二階の肱ひじ掛かけ窓まどを開けて、立ちもやらず、坐りもあえず、あの峰へ、と山に向って、膝ひざを宙に水を見ると、肱の下なる、廂ひさ屋しや根ねの屋根板は、鱗うろこのように戦おののいて、――北国の習なら慣わしに、圧おしにのせた石の数々はわずかに水を出た磧かわらであった。 つい目の前を、ああ、島しま田だま髷げが流れる……緋ひが鹿の子この切きれが解けて浮いて、トちらりと見たのは、一ひと条すじの真まっ赤かな蛇。手箱ほど部の重かさなった、表紙に彩さい色しき絵えの草紙を巻いて――鼓の転がるように流れたのが、たちまち、紅べにの雫しずくを挙げて、その並木の松の、就なか中んずく、山より高い、二三尺水を出た幹を、ひらひらと昇って、声するばかり、水に咽むせんだ葉に隠れた。――瞬く間である。―― そこら、屋敷小路の、荒廃離落した低い崩くず土れど塀べいには、おおよそ何百年来、いかばかりの蛇が巣くっていたろう。蝮まむしが多くて、水に浸った軒々では、その害を被ったものが少くない。 高台の職人の屈くっ竟きょうなのが、二人ずれ、翌日、水の引際を、炎天の下に、大川添ぞいを見物して、流ながれの末一里有あま余り、海へ出て、暑さに泳いだ豪傑がある。 荒海の磯いそ端ばたで、肩を合わせて一息した時、息苦しいほど蒸暑いのに、颯ざあと風の通る音がして、思わず脊筋も悚ぞ然っとした。……振返ると、白浜一面、早や乾いた蒸いき気れの裡なかに、透すきなく打った細い杭くいと見るばかり、幾百条とも知れない、おなじような蛇が、おなじような状さまして、おなじように、揃って一尺ほどずつ、砂の中から鎌首を擡もたげて、一斉に空を仰いだのであった。その畝うねる時、歯か、鱗か、コツ、コツ、コツ、カタカタカタと鳴って響いた。――洪水に巻かれて落ちつつ、はじめて柔やわらかい地を知って、砂を穿うがって活いきたのであろう。 きゃッ、と云うと、島が真まん中なかから裂けたように、二人の身から体だは、浜へも返さず、浪なみ打うち際ぎわをただ礫つぶてのように左右へ飛んで、裸はだ身かで逃げた。 大正十五︵一九二六︶年一月