夜叉ヶ池

泉鏡花




場所  越前国大野郡鹿見村琴弾谷
時   現代。――盛夏
人名  萩原晃(鐘楼守)
百合(娘)
山沢学円(文学士)
白雪姫(夜叉ヶ池の主)
湯尾峠の万年姥(眷属)
白男の鯉七
大蟹五郎
木の芽峠の山椿
鯖江太郎
鯖波次郎
虎杖の入道
十三塚の骨
夥多の影法師
黒和尚鯰入(剣ヶ峰の使者)
与十(鹿見村百姓)
その他大勢
鹿見宅膳(神官)
権藤管八(村会議員)
斎田初雄(小学教師)
畑上嘉伝次(村長)
伝吉(博徒)
小烏風呂助(小相撲)
穴隈鉱蔵(県の代議士)
劇中名をいうもの。――(白山剣ヶ峰、千蛇ヶ池の公達)
[#改ページ]

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晃 水は、美しい。いつ見ても……美しいな。
百合 ええ。
その水の岸に菖蒲あやめあり二三輪小さき花咲く。
晃 綺麗きれいな水だよ。(微笑ほほえむ。)
百合 (白髪のびんに手を当てて)でも、白いのでございますもの。
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百合 うございますよ。
晃 いや……お手伝いという処だが、お百合さんのそうした処は、咲残った菖蒲を透いて、水に影がしたようでなお綺麗だ。
百合 存じません。
晃 めるのに怒るやつがありますか。
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百合 ほほほ、またおきまり。……すぐお夕飯にいたしましょうねえ。
晃 手品じゃあるまいし、磨いでいる米が、飯に早変わりはしそうもないぜ。
百合 まあ、あんな事を――これは翌朝あしたの分を仕掛けておくのでございますよ。
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晃 (縁を上る)誰に遠慮がいるものか、人が笑うのは、ね、お前。
百合 はい。
晃 お互いに朝寝の時――
百合 知りませんよ。(莞爾にっこり俯向うつむく。)
 ()()()()()()()()西()()()()()()()()()()()()()()
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百合 はい、どういたすのでございますか。
晃 花にも葉にも露があろうね。
百合 ああ冷い。水の手にも涼しいほど、しっとり花が濡れましたよ。
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学円 今朝、明六あけむつの橋を渡って、ここで暮六つの鐘を聞いた。……
お百合はざるに米をうつす。
学円 やあ、お精が出ます。(と声を掛く。)
百合 はい。(見向く。)
学円 途中、なわて竹藪たけやぶの処へ出て……暗くなった処で、今しがた聞きました。時を打ったはこの鐘でしょうな。
百合 さようでございます。
学円 音も尊い!……立派な鐘じゃ。鐘楼つりがねどうあがってみても差支えはありませんか。
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 西()()
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百合 お易い事でございます。さあ、貴客あなた、これへお掛けなさいまし。
学円 御免下さいよ。
百合 まことに見苦しゅうございます。
学円 これは――お寺の庫裡くりとも見受ません。御本堂は離れていますか。
 
学円 鐘ばかり……
百合 はい。
 西()()()()()()西()()
片山家かたやまがの暮れく風情、茅屋かややの低き納戸の障子に灯影ほかげ映る。
学円 この上、晩飯の御難題は言出しませんが、いかんとも腹が空いた。
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百合 ええ?(聞返す。)
学円 いや、髪の色を見るように。
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百合 旅を遊ばす御様子にお見受け申します……貴客あなたは、どれから、どれへお越しなさいますえ?
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百合 お泊りは? 貴客あなた、今晩の。
 ()()()宿()()
百合 山また山の峠の中に、嘘のようにもお思いなさいましょうが、まったくだと申します。
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百合 里では人死ひとじにもありますッて……ひどひでりでございますもの。
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百合 まあ、私はどうしましょう、知らずにお米をぎました。
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百合 あの、湧きますのは、裏のがけでござんすけれど。
学円 はあ、はあ。……
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百合 まあ、(と微笑ほほえみ)私どもがこの年まで朝夕飲んで何ともない、それをあの、人は疑うのでございます。
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百合 …………
学円 まあさ、失礼じゃが、お幾歳です?
百合 御免なさいまし、……忘れました。……
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百合 幾干かとおっしゃって?
学円 代価じゃ。
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百合 そうまでお気が済みませんなら、少々お代を頂きましょうか。
学円 勿論ともな。
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学円 談話をせい、……談話とは?
百合 方々旅を遊ばした、面白い、珍しい、お話しでございます。
学円 その談話を?
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晃 (細く障子を開き差覗さしのぞく。)
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百合 どんなお話、もし、貴客あなた
学円 ……時にここで話すのを、貴女のほかに聞く人がありますかね。
百合 いいえ、ほかにはお月様ばかりでござんす。
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学円 そんなに礼を云うて、茶代のかわりになるのですかい。
百合 もう沢山でございます。
学円 それでは面白かったのじゃね。
百合 ……おもしろいのは、前の牡丹餅の化けた方、あとのは沢山でございます。
学円 さて談話はなしはこれからなんじゃ、今のはほんの前提まえおきですが。
 宿
 宿()()
 ()()()宿()宿
学円 気味が悪いな? 牡丹餅の化けたのではないですが。
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学円 これは、押出されるはひどい。(不承々々に立つ。)
百合 (続いて出で、押遣おしやるばかりに)どうぞ、お立ち下さいまし。
 ()()()宿()
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学円 失礼します。
晃 (蚊遣かやりの中に姿をあらわし)山沢、山沢。(ときっぱり呼ぶ。)
学円 おい、萩原、萩原か。
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晃 頭もどうかしていると思って、まあ、許して上ってくれ。
学円 ほこりばかりじゃ、失敬するぞ、(と足をいたなりで座に入る)いや、その頭も頭じゃが、白髪はどうじゃ、白髪はよ?……
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学円 ははあ……(とお百合をそっと見て)勿論じゃな、その何も……
晃 こりゃ、百合と云う。
お百合、座に直った晃の膝に、そのまま俯伏うっぷしてすがっている。
学円 お百合さんか。細君も……何、奥方も……
晃 泣く奴があるか、涙を拭いて、整然ちゃんとして、御挨拶ごあいさつしな。
と言ううちに、きまり悪そうに、お百合はと納戸へかくれる。
晃 君に背中をたたかれて、僕の夢が覚めた処で、東京に帰るかって憂慮きづかいなんです。
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晃 むむ。
 寿
晃 ああ、そうか。難有ありがたい。
学円 わしに礼には及ばない。
晃 実に済まん!
学円 さてこれはどうしたわけじゃ。
晃 夢だと思って聞いてくれ。
学円 勿論、夢だと思うておる。……
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学円 薄気味の悪い事を云うな。では、君の細君は、……(云いつつはばかる。)
晃 (納戸を振向く)衣服きものでも着換えるか、髪などなでつけているだろう。……ふすま一重だから、背戸へ出た。……
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晃 可哀想かわいそうな事を言え、まさか。
学円 ふん。
晃 この土地、この里――この琴弾谷が、一個ひとつの魔法つかいだと云うんだよ。――
山沢、君は、この山奥の、夜叉ヶ池というのを聞いたか。
学円 聞いた。しかもその池を見ようと思って、今庄いまじょう駅から五里ばかり、わざわざここまで入込いりこんだのじゃ。
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  ()()()
 
学円 それは?
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学円 (乗出でて)面白い。
晃 いや、面白いでは済まない、大切な事です。
学円 いかにも大切な事じゃ。
晃 ところで、その鐘を撞く、鐘撞き男を誰だと思う。
学円 君か。
晃 僕だよ。すなわち萩原晃がその鐘撞夫かねつきなんだよ。
学円 はてな。
晃 ここに小屋がある……
学円 むむ。
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学円 その鳴らしてならないというは、どうした次第わけじゃね?
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学円 その道理じゃ、むむ。
 ()()()()()()()()()()()()()()()穿()鹿()()()()()調()()
()()()
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学円 (黙然もくねんとして顔を見る。)
晃 (言葉途絶える)そう顔を見るな、恥入った。
 
晃 ……ますます恥入る。
 ()
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学円 萩原、(と呼びつつ、寄り)で、君はそれを信ずるかい。
 鹿()()()()()()()
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百合 (行燈あんどんを手に黒髪美しく立出づる)私、どうしたらうございましょう。
学円 や、これは……
百合 貴客あなた、今ほどは。
学円 さて、お初に……はははは、奥さん。
百合 まあ。……(と恥らう。)
晃 これ、まあ……ではない、よく御挨拶申しな、兄とおなじ人だ。
百合 (黙って手をつく。)
学円 はいはい。いや、御挨拶はもう済みました。貴女あなたくしゃみは出ませなんだか。
晃 うっかり嚔なんぞすると、蚊が飛出す。
百合 あれ、沢山たんとおなぶんなさいまし。
晃 そんなに、お前、白粉おしろいけて。
百合 あんな事ばかりおっしゃる。(と優しくにらんで顔を隠す。)
学円 何にしろ、おむつまじい……ははははは、勝手におうわさをしましたが、何は、お里方、親御、御兄弟は?
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学円 それはそれは。
晃 めいのこれを、附けつ廻しつしたという大難ぶつです。
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晃 それは困った、学校は?……先刻さっき、落着く先は京都だと云ったようだな。
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晃 分った、では案内かたがた一所に行く。
学円 君も。
晃 ……直ぐに出掛けよう。
学円 それだと、奥方に済まんぞ。
晃 何をつまらない。
百合 いいえ……(と云いしがしおしおと)貴方あなた、直ぐにとおっしゃって、……お支度は、……
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学円 結構じゃ。
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晃 さあ、が短い。明方になろうも知れん。
 ()穿()
 
学円 では、池のあたりで聞きましょう。――奥方しっかり願います。
百合 はい、内をお忘れなさいませんように、私は一生懸命に。(と涙声にて云う。)
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百合 はい、はい。
学円 やあ、どぎどぎと鋭いな。(と鎌を見る。)
 ()
百合 お気をつけ遊ばせよ。(とうるみ声にて、送り出づる時、可愛かわゆき人形袖にあり。)
晃 何だい、こんなもの。(見返る。)
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百合 (きまりわるげに、つと背向せむきになる。)
晃 ああ、それで先刻さっきから……馬鹿、嬰児ねんねえだな。
学円 何かい、ちょっと出懸でがけに、キスなどせんでもいかい。
晃 旦那方じゃあるまいし、鐘撞かねつき弥太兵衛でがんすての。
と両人連立ち行く。
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かまちにずッと雨戸を閉める。閉め果てると、戸のかぎがガチリと下りる。やがて、納戸のともしび、はっと消ゆ。
※(歌記号、1-3-28)()()()()()()()()()()()()()()()漿()()()()

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蟹五郎 こいつにか。(と落ちたる笠を挟んでおさえる。)
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笠 おれじゃねえ、己じゃねえ。(と、声ばかりして蔭にて叫ぶ。)
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と放す。しかけにて、竹の小笠はたはたとあおってげる。
はははは飛ぶわ飛ぶわ、南瓜畠かぼちゃばたけへ潜ってそろ
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蟹五郎 神通じんずう広大――俺をはじめ考えるぞ。さまで思悩んでおいでなさらず、両袖で飜然ひらりと飛んで、はやく剣ヶ峰へおいでなさるがいではないか。
鯉七 そこだの、姫様ひいさまが座をお移し遊ばすと、それ、たちどころに可恐おそろしい大津波が起って、この村里は、人も、馬も、水の底へ沈んでしまう……
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 ()()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()()()()()殿()
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蟹五郎 帰途かえりはお池へ伴侶みちづれだ。
鯉七 月のなわてを、唄うてこうよ。
蟹五郎 何と唄う?
鯉七 ==山を川にしょう==と唄おうよ。
蟹五郎 面白い。
()()()()
鯉七 待て、見馴みなれぬものが、何やら田のあぜを伝うて来る。
蟹五郎 かッかッ、怪しいものだ。小蔭こがくれて様子を見んかい。
両個、姿を隠す。
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()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()辿()
鯉、蟹、前途ゆくて立顕たちあらわる。
鯉七 誰だ。これへ来たは何ものだ。
蟹五郎 お山の池の一の関、藪沢やぶさわ関守せきもりが控えた。名のって通れ。
 ()()()()()
鯉七 おお、聞及んだ黒和尚くろおしょう
蟹五郎 鯰入は御坊ごぼうかい。
 ()()()
蟹五郎 お使つかい、御苦労です。
 使()()
蟹五郎 さあ、御坊。
 ()
鯉七 御坊、お草臥くたびれなら、手を取りましょう。
蟹五郎 何と腰を押そうかい。
 ()()()()
鯉七 気懸りとは? 御坊。
 辿()()()
 ()
 ()()()()()()()()()()()()
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鯉七 何でまた、そのような飛んだ事を? 御坊。……
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 ()()()()()()
鯉、蟹、これを見てささやき、うなずく。
 ()()()()()()()()()()
鯰入 はあ、(とどうと尻餅つく。)
蟹五郎 お笑止だ。かッかッかッ。
鯉七 さいわい、五郎がはさみを持ちます……そっと封を切って、御覧がかろう。
 ()()()()
蟹五郎 もっとも、もっとも。
鯉七 また……(と声をひそめて)恋しゆかしのお文なれば、そりゃ、われわれどもがなお見たい。
鯰入 (わななきながら、文箱を押頂き、紐を解く。)
鯉、蟹ひしと寄る。ふたを放ってひとしく見る。
鯰入 やあ!
鯉七 ええええ。
蟹五郎 やあやあやあ!
鯰入 文箱ふばこの中は水ばかりよ。
と云う時、さっと、清き水流れあふる。
鯉七 あれあれあれ、姫様ひいさまが。
()()()()
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椿()()()()()()()椿()

白雪 ふみを読むのに、月のあかりは、もどかしいな。
姥 御前様おんまえさま、お身体からだの光りで御覧ずるがうござります。
白雪 (下襲したがさねを引いて、袖口の炎をかざし、やがて読果てて恍惚うっとりとなる。)
椿 姫様ひいさま
姥 もし、御前様おんまえさま
 ()()()()()
姥 たまたまふもとへお歩行ひろいが。
椿 もうお帰り遊ばしますか。
白雪 どこへ?……(と聞返す。)
姥 お住居すまいへ。
白雪 何?
姥 夜叉ヶ池へでござりましょう。
白雪 あれ、お前は何を言う……私の行くのは剣ヶ峰だよ。
一同 剣ヶ峰へ、とおっしゃりますると?
白雪 聞かずと大事ないものを――千蛇ヶ池とは知れた事――このおふみのとこへさ。(と巻戻し懐中ふところに納めていだく。)
姥 (居直り)また……我儘わがままを仰せられます。お前様、ここにつりがねがござります。
白雪 む、(とまなじりをあげて、鐘楼をきっと見る。)
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白雪 そんな、理窟を云って……姥、お前は人間の味方かい。
 ()()()()()()
白雪 誓盟ちかいは、誰がしたえ。
 
白雪 知っています。(とつんとひぞる。)
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椿 ()()
鯉七 (立上がり一方を)やあ、いずれも早く。(と呼ぶ。)
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虎杖 虎杖入道いたどりにゅうどう
鯖江 鯖江さばえノ太郎。
鯖波 鯖波さばなみノ次郎。
この両個、「兄弟のもの。」と同音に名告なのる。
塚 十三塚の骨寄鬼こつよせおに
蟹五郎 藪沢やぶさわのお関守は既に先刻より。
椿 ()()()()()()()()()
影法師、おなじ姿のもの夥多あり。目も鼻もなく、あたまからただ灰色の布をかぶる。
影法師 影法師も交りまして。
とこの名のる時、ちらちらと遠近おちこちに陰火燃ゆ。これよりして明滅す。
鯉七 身内の面々、一同参り合せました。
鯰入 はばかりながら法師もこれに。……
 
姥 や、彼方あなたへお返事につきまして、いずれもを召しました?――仰せつけられまする儀は?
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椿 あれ、お姫様。
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蟹五郎 美濃の国には、名だたる揖斐いび川。
姥 二個ふたつの川の御支配遊ばす。
椿 百万石のお姫様。
姥 我ままは……
一同 相成りませぬ。
姥 お身体からだ
一同 大事にござります。
 ()()()()()退()退
()()()()()()()()
お退きというに、え……
()()()()退()()()()()()
()()()()()()()
()()()
()()
 ()()()()()
姥 やしろの百合でござります。
白雪 おお、美しいお百合さんか、何をしているのだろうね。
姥 恋人の晃の留守に、人形を抱きまして、心遣こころやりに、子守唄をうたいまする。
白雪 恋しい人と分れている時は、うたを唄えば紛れるものかえ。
姥 おおせの通りでござります。
一同 姫様ひいさま、遊ばして御覧じませぬか。
 ()()()()()()()()
姥 (はらはらと落涙して)お嬉しゅう存じまする。
白雪 (椿に)お前も唄うかい。
椿 はい、いろいろのを存じております。
 ()()()鹿
椿 まあ……お前さんが、身勝手な。
一同 (どっと笑う。)――
白雪 人形抱いて、私も唄おう……剣ヶ峰のおつかい。
鯰入 はあ、はあ、はッ。
白雪 お返事を上げよう……一所に――椿や、文箱ふばこをお預り。――みなも御苦労であった。
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()()()()()
()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
村一 内へ隠れただ、内へ隠れただ。
村二 真暗まっくらだあ。
初雄 あかりを消したって夏の虫だに。
管八 踏込ふんごんで引摺出ひきずりだせ。
()()
()()()
百合 何をおしだ、人の内へ。
管八 人の内も我が内もあるものかい。鹿見一郡六ヶ村。
初雄 焼土やけつちになろう、野原にげようという場合であるです。
 ()()()()()()()()() ()()()()()()
百合 ええ。(と震える。)
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 
管八 何だとう?
初雄 貴女あなた、お百合さん、何ですか。
百合 叔父さん、後生でございます……晃さんの帰りますまで。
 ()()()()()()()
管八 言うことをかんとくくり上げるぞ。
 ()
管八 お神官かんぬし、こりゃいかんでえ?
宅膳 引立ひったててうござる。
管八 来い、それ。
と村のもの取込むる。百合げ迷う。
風呂助 らちあかんのう。わしにまかせたが可うござんす。
とのさばりかかり、手もなくだきすくめてつかみ行く。仕丁しちょう手伝い、牛の背にあおむけざまに置く。
百合 ああれ。(ともだゆる。)
()()()()()()()
嘉伝次 宅膳どん、こりゃ、きものを着ていていかい。
 ()()()()()
嘉伝次 その事じゃっけね。
初雄 皆、急ぐです。
管八 諸君努力せよかね、はははは。
一同、どやどやときかかる。
 ()()()()()()()()()()
 ()()()()
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)()()()()()()()()()()
()()()()()
晃 帰れ、君たちア何をしている。
 ()
晃 俺をこの村に置かんと云うのか。
 ()()()()()()()
村二三 ひやひや。(と云う。)
村四五 撞木野郎しゅもくやろう丸太棒まるたんぼう。(と怒鳴る。)
 ()()()
村二三 そうだ、そうだとも。
 ()
村四五 出てけ、出て行け。(と異口同音くちぐち。)
 ()()()()()
()()()姿()
管八 (悪く沈んだ声して)おいおい、おい待て。
晃 (構わず、つかつかと行く。)
管八 待て、こら!
晃 何だ。(とつつと返す。)
管八 きさま、村のものは置いてけ。
晃 ちりひとっも持っちゃ行かんよ。
管八 そのおんなは村のものだ。一所に連れてく事は出来ないのだ。
晃 いや、この百合は俺の家内だ。
嘉伝次 黙りなさい。村のものじゃわい。
 ()()()()()
 ()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()()()()()()()()西
()()()()()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()
管八 黙れ、うるさい。うぬが勝手な事を言うな。
初雄 一体君は何ものですか。
学円 わしか、私は萩原の親友じゃ。
宅膳 やぶから坊主が何をぬかす。
 ()()()()()()()()()()()()()()()
これがために一同しばらくためらう。……代議士穴隈あなぐま鉱蔵、葉巻をくゆらしながら、悠々と出づ。
 ()()()()()()()()()()()()()()()
力士真先まっさきに、一同ばらりと立懸たちかかる。
学円 わししばれ、(と上衣うわぎを脱ぎ棄て)かほど云うても肯入ききいれないならむを得ん、わしを縛れ、牛にのせい。
 ()()()()()
 
 ()() 
  ()鹿()()()()()()()()()()()()()()()()()()
時に村人は敬礼し、村長はあごで、有志は得意を表す。
晃 死ね!(と云うまま落したる利鎌とがまを取ってきっとつきつく。)
鉱蔵 わあ。(と思わず退さがる。)
 ()()
退
し、しからずんば決闘せい。
一同その詰寄るを、わッわと遮りとどむ。
() ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()
 ()()()()()()()()()()
博徒伝吉、おどしの長ドスをひらめかし、乾児こぶん、得ものを振って出づ。
伝吉 畳んでしまえ、畳んでしまえ。
乾児 合点がってんだ。
晃 山沢、危いぞ。
()()()()()()退()()()
一同 遣れ遣れ、遣っちまえ、遣っちまえ。
 ()()()() 
晃 大事な身体からだだ、山沢はげい、遁げい。
()()()()()()
伝吉退く。時につぶてをなげうつものあり。
晃 (額にきずつき血をおさえて)あッ。(と鎌を取落す。)
 ()()
晃 しまった!(と鎌を捩取もぎとる。)
百合 晃さん――御無事で――晃さん。(とがっくり落入る。)
一同色沮いろはばみて茫然ぼうぜんたり。
  ()()()()()()
学円 (沈着に時計を透かして)二時三分。
 ()()()()()()()
学円 (沈思の後)うむ、打つな、お百合さんのために、打つな。
晃 (鎌を上げ、はた、と切る。どうと撞木しゅもく落つ。)
()()()()()()()()()()()()
鉱蔵 鐘を、鐘を――
嘉伝次 助けて下され、鐘をいて下されのう。
宅膳 救わせたまえ。助けたまえ。
()()()
()
晃 波だ。
()()()()()
()()()()()()()()()()()()()
()()()()()()()()()()
白雪 うば、嬉しいな。
一同 お姫様。(と諸声もろごえすごし。)
白雪 人間は?
 ()()()()
一同 (どっと笑う)ははははははは。
 ()()()()
()()()()()()()()()()
()()
()()()()()
()
(――幕)

大正二(一九一三)年三月






7
   199571241
 
   194217831
5-86



2002222
2015417

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JIS X 0213



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