今いまは然さる憂きづ慮かひなし。大おほ塚つかより氷ひか川はへ下おりる、たら〳〵坂ざかは、恰あたかも芳よし野のせ世いけ經いし氏た宅くの門もんについて曲まがる、昔むかしは辻つじ斬ぎりありたり。こゝに幽いう靈れい坂ざか、猫ねこ又また坂ざか、くらがり坂ざかなど謂いふあり、好かう事ずの士しは尋たづぬべし。田たん圃ぼには赤あか蜻とん蛉ぼ、案か山ゝ子し、鳴なる子こなどいづれも風ふぜ情いなり。天てん麗うらゝかにして其その幽いう靈れい坂ざかの樹こだ立ちの中なかに鳥とりの聲こゑす。句くになるね、と知しつた振ふりをして聲こゑを懸かくれば、何なにか心こゝ得ろえたる樣やう子すにて同どう行かうの北きた八はちは腕うで組ぐみをして少しば時らく默だまる。 氷ひか川はじ神んじ社やを石いし段だんの下したにて拜をがみ、此この宮みやと植しよ物くぶ園つゑんの竹たけ藪やぶとの間あひだの坂さかを上のぼりて原はら町まちへ懸かゝれり。路みちの彼あな方たに名なだ代いの護ご謨む製せい造ざう所しよのあるあり。職しよ人くにん眞まつ黒くろになつて働はたらく。護ご謨むの匂にほひ面おもてを打うつ。通とほり拔ぬければ木もく犀せいの薫かをり高たかき横よこ町ちやうなり。これより白はく山さんの裏うらに出いでて、天てん外ぐわ君いくんの竹たけ垣がきの前まへに至いたるまでは我われ々〳〵之これを間かん道だうと稱となへて、夜よるは犬いぬの吠ほゆる難なん處しよなり。件くだんの垣かき根ねを差さし覗のぞきて、をぢさん居ゐるか、と聲こゑを懸かける。黄きぎ菊くを活いけたる床とこの間まの見みと透ほさるゝ書しよ齋さいに聲こゑあり、居ゐる〳〵と。 やがて着きな流がし懷ふと手ころでにて、冷つめたさうな縁えん側がはに立たち顯あらはれ、莞につ爾ことして曰いはく、何ど處こへ。あゝ北きた八はちの野やら郎うとそこいらまで。まあ、お入はひり。いづれ、と言いつて分わかれ、大だい乘じよ寺うじの坂さかを上のぼり、駒こま込ごめに出いづ。 料れう理り屋や萬まん金きんの前まへを左ひだりへ折をれて眞まつ直すぐに、追おひ分わけを右みぎに見みて、むかうへ千せん駄だ木ぎに至いたる。 路みちに門もんあり、門もん内ない兩りや側うがはに小こま松つをならべ植うゑて、奧おく深ふかく住すまへる家いへなり。主ある人じは、巣すが鴨も邊へんの學がく校かうの教けう授じゆにて知しつた人ひと。北きた八はちを顧かへりみて、日にち曜えうでないから留る守すだけれども、氣きの利きいた小こま間づか使ひが居ゐるぜ、一ちよ寸つと寄よつて茶ちやを呑のまうかと笑わらふ。およしよ、と苦にがい顏かほをする。即すなはちよして、團だん子ござ坂かに赴おもむく。坂さかの上うへの煙たば草こ屋やにて北きた八はち嗜たしむ處ところのパイレートを購あがなふ。勿もち論ろん身みぜ錢になり。此この舶はく來らい煙たば草こ此この邊へんには未いまだ之これあり。但たゞし濕しめつて味あじはひ可かならず。 坂さかの下したは、左さい右うの植うゑ木き屋や、屋をく外ぐわいに足あし場ばを設まうけ、半はん纏てん着ぎの若わか衆もの蛛くも手でに搦からんで、造つく菊りぎくの支した度くさ最いち中うなりけり。行ゆく〳〵フと古ふる道だう具ぐ屋やの前まへに立たつ。彌や次じ見みて曰いはく、茶ちや棚だなはあんなのが可いいな。入いらつしやいまし、と四しじ十ふか恰つか好うの、人ひと柄がらなる女によ房うばう奧おくより出いで、坐ざして慇いん懃ぎんに挨あい拶さつする。南なむ無さ三ん聞きこえたかとぎよつとする。爰こゝに於おいてか北きた八はち大だい膽たんに、おかみさん彼あの茶ちや棚だなはいくら。皆みな寒かん竹ちくでございます、はい、お品しなが宜よろしうございます、五ごゑ圓んろ六くじ十つせ錢んに願ねがひたう存ぞんじます。兩りや人うにん顏かほを見みあ合はせて思おも入ひいれあり。北きた八はち心こゝ得ろえたる顏かほはすれども、さすがにどぎまぎして言いはむと欲ほつする處ところを知しらず、おかみさん歸かへりにするよ。唯はい々〳〵。お邪じや魔までしたと兄にいさんは旨うまいものなり。虎ここ口うを免のがれたる顏かほ色つきの、何どうだ、北きた八はち恐おそ入れいつたか。餘よけ計いな口くちを利きくもんぢやないよ。 思おもひ懸がけず又また露ろ地ぢの口くちに、抱かゝ餘へあまる松まつの大たい木ぼくを筒つゝ切ぎりにせしよと思おもふ、張はり子この恐おそろしき腕かひな一いつ本ぽん、荷にぐ車るまに積つみ置おいたり。追おつて、大おほ江えや山まはこれでござい、入いらはい〳〵と言いふなるべし。 笠かさ森もり稻いな荷りのあたりを通とほる。路みち傍ばたのとある駄だぐ菓わ子し屋やの奧おくより、中ちう形がたの浴ゆか衣たに繻しゆ子すの帶おびだらしなく、島しま田だ、襟えり白おし粉ろい、襷たすきがけなるが、緋ひこ褌んを蹴けか返へし、ばた〳〵と駈かけて出いで、一ちよ寸つと、煮にま豆め屋やさん〳〵。手てには小こざ皿らを持もちたり。四しご五け軒ん行ゆき過すぎたる威ゐせ勢いの善よき煮にま豆め屋や、振ふり返かへりて、よう!と言いふ。 そら又また化けし性やうのものだと、急いそ足ぎあしに谷やな中かに着つく。いつも變かはらぬ景けし色きながら、腕うでと島しま田だにおびえし擧あげ句くの、心こゝ細ろぼそさいはむ方かたなし。 森もりの下したの徑こみちを行ゆけば、土つち濡ぬれ、落おち葉ば濕しめれり。白しら張はりの提ちや灯うちんに、薄うすき日ひか影げさすも物もの淋さびし。苔こけ蒸むし、樒しきみ枯かれたる墓はかに、門もんのみいかめしきもはかなしや。印しるしの石いしも青あをきあり、白しろきあり、質しつ滑なめらかにして斑ふのあるあり。あるが中なかに神しん婢ぴと書かいたるなにがしの女ぢよが耶やそ蘇け教う徒との十じふ字じが形たの塚つかは、法のりの路みちに迷まよひやせむ、異いこ國くの人ひとの、友ともなきかと哀あはれ深ふかし。 竹たけの埒らち結ゆひたる中なかに、三さん四よに人ん土つちをほり居ゐるあたりにて、路みちも分わからずなりしが、洋やう服ふく着きたる坊ばうちやん二ふた人り、學がく校かうの戻もどりと見みゆるがつか〳〵と通とほるに頼たの母もしくなりて、後あとをつけ、やがて木この間まに立たつ湯ゆ氣げを見みれば掛かけ茶ぢや屋やなりけり。 休やすましておくれ、と腰こしをかけて一ひと息いきつく。大だい分ぶお暖あつたかでございますと、婆ばゞは銅あかゞねの大おほ藥やく罐わんの茶ちやをくれる。床しや几うぎの下したに俵たはらを敷しけるに、犬いぬの子こ一いつ匹ぴき、其その日ひの朝あさより目めの見みゆるものの由よし、漸やつと食しよくづきましたとて、老とし年よりの餘よね念んもなげなり。折をりから子こを背せなに、御ごし新ん造ぞ一いち人にん、片かた手てに蝙かう蝠もり傘がさをさして、片かた手てに風かざ車ぐるまをまはして見みせながら、此この前まへを通とほり行ゆきぬ。あすこが踏ふみ切きりだ、徐そろ々〳〵出で懸かけようと、茶ちや店てんを辭じす。 何どうだ北きた八はち、線せん路ろの傍わきの彼あの森もりが鶯あう花くわ園ゑんだよ、畫ゑに描かいた天てん女によは賣ばい藥やくの廣くわ告うこくだ、そんなものに、見み愡とれるな。おつと、また其その古ふる道だう具ぐ屋やは高たかさうだぜ、お辭じ儀ぎをされると六むづヶしいぞ。いや、何なにか申まをす内うちに、ハヤこれは笹さゝの雪ゆきに着ついて候さふらふが、三さん時じすぎにて店みせはしまひ、交かう番ばんの角かどについて曲まがる。この流ながれに人ひと集つどひ葱ねぎを洗あらへり。葱ねぎの香かの小をが川はに流ながれ、とばかりにて句くにはならざりしが、あゝ、もうちつとで思おもふこといはぬは腹はらふくるゝ業わざよといへば、いま一ひと足あし早はやかりせば、笹さゝの雪ゆきが賣うり切きれにて腹はらふくれぬ事ことよといふ。さあ、じぶくらずに、歩あ行るいた〳〵。 一ちよ寸つと伺うかゞひます。此この路みちを眞まつ直すぐに參まゐりますと、左さや樣う三みか河はし島まと、路みちを行ゆく人ひとに教をしへられて、おや〳〵と、引ひき返かへし、白しら壁かべの見みゆる土どざ藏うをあてに他たの畦あぜを突つツ切きるに、ちよろ〳〵水みづのある中なかに紫むらさきの花はなの咲さいたる草くさあり。綺きれ麗いといひて見みか返へり勝がち、のんきにうしろ歩ある行きをすれば、得えならぬ臭にほひ、細ほそき道みちを、肥こや料しむ室ろの挾はさ撃みうちなり。目めを眠ねむつて吶とつ喊かんす。既すでにして三みし島まじ神んじ社やの角かどなり。 亡なくなつた一いち葉えふ女ぢよ史しが、たけくらべといふ本ほんに、狂きち氣がひ街かい道だうといつたのは是これから前さきださうだ、うつかりするな、恐おそろしいよ、と固かたく北きた八はちを警けい戒かいす。 やあ汚きたねえ溝どぶだ。恐おそろしい石いし灰ばひだ。酷ひどい道みちだ。三さん階がいがあるぜ、浴ゆか衣たばかしの土どよ用うぼ干しか、夜や具ぐの裏うらが眞まつ赤かな、何なんだ棧さん橋ばしが突つツ立たつてら。叱しつ! 默だまつて〳〵と、目めくばせして、衣えも紋んざ坂かより土ど手てに出いでしが、幸さいはひ神かん田だの伯を父ぢに逢あはず、客きや待くまちの車くるまと、烈はげしい人ひと通どほりの眞まつ晝ぴる間ま、露ほし店みせの白しろい西すゐ瓜くわ、埃ほこりだらけの金きん鍔つば燒やき、おでんの屋やた臺いの中なかを拔ぬけて柳やなぎの下したをさつ〳〵と行ゆく。實じつは土ど手ての道だう哲てつに結けち縁えんして艷えん福ぷくを祈いのらばやと存ぞんぜしが、まともに西にし日びを受うけたれば、顏かほがほてつて我がま慢んならず、土ど手てを行ゆくこと纔わづかにして、日ひか蔭げの田たま町ちへ遁にげて下おりて、さあ、よし。北きた八はち大だい丈ぢや夫うぶだ、と立たち直なほつて悠いう然ぜんとなる。此この邊あたり小こぢんまりとしたる商あき賣なひやの軒のきならび、しもたやと見みるは、産さん婆ば、人にん相さう見み、お手てが紙みしたゝめ處どころなり。一いつ軒けん、煮にし染め屋やの前まへに立たちて、買かひ物ものをして居ゐた中ちう年どし増まの大おほ丸まる髷まげ、紙かみあまた積つんだる腕くる車まを推おして、小こぞ僧う三さん人にん向むかうより來きか懸ゝりしが、私し語ごして曰いはく、見みねえ、年ねん明あけだと。 路みちに太たら郎うい稻な荷りあり、奉ほう納なふの手てぬ拭ぐひ堂だうを蔽おほふ、小ちさき鳥とり居ゐ夥おび多たゞし。此こ處ゝ彼かし處こ露ろ地ぢの日ひあたりに手てな習らひ草ざう紙しを干ほしたるが到いたる處ところに見みゆ、最いともしをらし。それより待まつ乳ちや山まの聖しや天うでんに詣まうづ。 本ほん堂だうに額ぬかづき果はてて、衝つと立たちて階きざはしの方かたに歩あゆみ出いでたるは、年と紀しはやう〳〵二はた十ちばかりと覺おぼしき美びじ人ん、眉まゆを拂はらひ、鐵か漿ねをつけたり。前まへ垂だれがけの半はん纏てん着ぎ、跣はだ足しに駒こま下げ駄たを穿はかむとして、階かい下かについ居ゐる下げそ足くば番んの親おや仁ぢの伸のびをする手てに、一ちよ寸つと握にぎらせ行ゆく。親おや仁ぢは高たか々〴〵と押おし戴いたゞき、毎まい度ど何どうも、といふ。境けい内だいの敷しき石いしの上うへを行ゆきつ戻もどりつ、別べつにお百ひや度くどを踏ふみ居ゐるは男なん女によ二ふた人りなり。女をんなは年と紀し四十ばかり。黒くろ縮ちり緬めんの一ひとツ紋もんの羽はお織りを着きて足た袋び跣はだ足し、男をとこは盲めく縞らじまの腹はら掛がけ、股もゝ引ひき、彩いろどりある七しち福ふく神じんの模もや樣うを織おりたる丈たけ長ながき刺さし子こを着きたり。これは素すは跣だ足し、入いり交ちがひになり、引ひき違ちがひ、立たち交かはりて二ふた人りとも傍わき目めも觸ふらず。おい邪じや魔まになると惡わるいよと北きた八はちを促うながし、道みちを開ひらいて、見みは晴らしに上のぼる。名なにし負おふ今いま戸どあたり、船ふねは水みづの上うへを音おともせず、人ひとの家いへの瓦かは屋らや根ねの間あひだを行ゆき交かふ樣さま手てに取とるばかり。水みづも青あをく天てんも青あをし。白しら帆ほあちこち、處とこ々ろ〴〵煙えん突とつの煙けむりたなびけり、振ふりさけ見みれば雲くももなきに、傍かたはらには大たい樹じゆ蒼あを空ぞらを蔽おほひて物ものぐらく、呪のろひの釘くぎもあるべき幹みきなり。おなじ臺だいに向むか顱うは卷ちまきしたる子こも守りを女んな三さん人にんあり。身から體だを搖ゆすり、下げ駄たにて板いた敷じきを踏ふみ鳴ならす音おとおどろ〳〵し。其そのまゝ渡わた場しばを志こゝろざす、石いし段だんの中ちう途とにて行ゆき逢あひしは、日ひが傘ささしたる、十二ばかりの友いう禪ぜん縮ちり緬めん、踊をど子りこか。 振ふり返かへれば聖しや天うでんの森もり、待まつ乳ち沈しづんで梢こずゑ乘のり込こむ三さん谷やぼ堀りは、此こ處ゝだ、此こ處ゝだ、と今いま戸どの渡わたしに至いたる。 出でますよ、さあ早はやく〳〵。彌や次じ舷ふな端ばたにしがみついてしやがむ。北きた八はち悠いう然ぜんとパイレートをくゆらす。乘のり合あひ十じふ四しご五に人ん、最さい後ごに腕わん車しやを乘のせる。船ふね少すこし右みぎへ傾かたむく、はツと思おもふと少すこし蒼あをくなる。丁とんと棹さををつく、ゆらりと漕こぎ出だす。 船せん頭どうさん、渡わた場しばで一いち番ばん川かは幅はゞの廣ひろいのは何ど處こだい。先まづ此こ處ゝだね。何なん町ちや位うぐらゐあるねといふ。唾つば乾かわきて齒はの根ねも合あはず、煙きせ管るは出だしたが手てが震ふるへる。北きた八はちは、にやり〳〵、中ちう流りうに至いたる頃ころほひ一いつ錢せん蒸じよ汽うきの餘よ波は來きたる、ぴツたり突つツ伏ぷして了しまふ。危あぶねえといふは船せん頭どうの聲こゑ、ヒヤアと肝きもを冷ひやす。圖はからざりき、急せかずに〳〵と二にの句くを續つゞけるのを聞きいて、目めを開ひらけば向むか島うじまなり。それより百ひや花くく園わゑんに遊あそぶ。黄たそ昏がれたり。
言いひつくすべくもあらず、秋あき草ぐさの種くさ々〴〵數かぞふべくもあらじかし。北きた八はちが此この作さくの如ごときは、園ゑん内ないに散ちらばつたる石せき碑ひ短たん册じやくの句くと一いつ般ぱん、難なん澁じふ千せん萬ばんに存ぞんずるなり。
床しや几うぎに休いこひ打うち眺ながむれば、客きやく幾いく組くみ、高たか帽ばうの天あた窓ま、羽はお織りの肩かた、紫むらさきの袖そで、紅くれなゐの裙すそ、薄すゝきに見みえ、萩はぎに隱かくれ、刈かる萱かやに搦からみ、葛くずに絡まとひ、芙ふよ蓉うにそよぎ、靡なびき亂みだれ、花はなを出いづる人ひと、花はなに入いる人ひと、花はなをめぐる人ひと、皆みな此この花はなより生うまれ出いでて、立たち去さりあへず、舞まひありく、人ひとの蝶てふとも謂いひつべう。
などと落らく雁がんを噛かじつて居ゐる。處ところへ! 供ともを二ふた人りつれて、車しや夫ふて體いの壯わか佼ものにでつぷりと肥こえた親おや仁ぢの、唇くちびるがべろ〳〵として無いち花じゆ果くの裂さけたる如ごとき、眦めじりの下さがれる、頬ほゝの肉にく掴つかむほどあるのを負おはして、六ろく十じふ有いう餘よの媼おうな、身みの丈たけ拔ばつ群くんにして、眼まなこ鋭するどく鼻はなの上うへの皺しわに惡あく相さうを刻きざみ齒はの揃そろへる水みづ々〳〵しきが、小こも紋ん縮ちり緬めんのりうたる着きつ附け、金きん時どけ計いをさげて、片かた手てに裳もすそをつまみ上あげ、さすがに茶ちや澁しぶの出でた脛はぎに、淺あさ葱ぎ縮ちり緬めんを搦からませながら、片かた手てに銀ぎんの鎖くさりを握にぎり、これに渦うづ毛けの斑ぶちの艷つや々〳〵しき狆ちんを繋つないで、ぐい〳〵と手たづ綱なのやうに捌さばいて來きしが、太ふとい聲こゑして、何どうぢや未まだ歩あ行るくか、と言いふ〳〵人ひとも無なげにさつさつと縱じう横わうに濶くわ歩つぽする。人ひとに負おぶはして連つれた親おや仁ぢは、腰こしの拔ぬけたる夫をつとなるべし。驚す破は秋あき草ぐさに、あやかしのついて候さふらふぞ、と身みが構まへしたるほどこそあれ、安やす下げし宿ゆくの娘むすめと書しよ生せいとして、出でき來あ合ひらしき夫ふう婦ふの來きたりしが、當たう歳さいばかりの嬰あか兒んぼを、男をとこが、小こ手てのやうに白しろシヤツを鎧よろへる手てに、高たか々〴〵と抱いだいて、大おほ童わらは。それ鼬いたちの道みちを切きる時とき押おして進すゝめば禍わざはひあり、山やまに櫛くしの落おちたる時とき、之これを避さけざれば身みを損そこなふ。兩りや頭うとうの蛇へびを見みたるものは死しし、路みちに小こど兒もを抱だいた亭てい主しゆを見みれば、壽ことぶき長ながからずとしてある也なり。ああ情なさけない目めを見みせられる、鶴つる龜かめ々/々\と北きた八はちと共ともに寒さむくなる。人ひとの難なん儀ぎも構かまはばこそ、瓢へう箪たん棚だなの下したに陣ぢん取どりて、坊ばうやは何ど處こだ、母かあちやんには、見みえないよう、あばよといへ、ほら此こ處ゝだ、ほらほらはゝはゝゝおほゝゝと高たか笑わらひ。弓ゆみ矢やは八ちま幡んもう堪たまらぬ。よい〳〵の、犬いぬの、婆ばゞの、金きん時どけ計いの、淺あさ葱ぎの褌ふんどしの、其その上うへに、子こか抱ゝへの亭てい主しゆと來きた日ひには、こりや何い時つまでも見みせられたら、目めが眩くらまうも知しれぬぞと、あたふた百ひや花くく園わゑんを遁にげて出でる。
白しら髯ひげの土ど手てへ上あがるが疾はやいか、さあ助たすからぬぞ。二にに人んの乘り、小こく官わん員ゐんと見みえた御ごふ夫う婦ふが合あひ乘のり也なり。ソレを猜そねみは仕つかまつらじ。妬やきはいたさじ、何なんとも申まをさじ。然さりながら、然さりながら、同おな一じく子こも持ちでこれが又また、野やら郎うが膝ひざにぞ抱だいたりける。
わツといつて駈かけ拔ぬけて、後あとをも見みずに五ごろ六くち町やう、彌や次じさん、北きた八はち、と顏かほを見み合あはせ、互たがひに無ぶ事じを祝しゆくし合あひ、まあ、ともかくも橋はしを越こさう、腹はらも丁ちや度うど北きた山やまだ、筑つく波ばおろしも寒さむうなつたと、急いそ足ぎあしになつて來くる。言こと問とひの曲まが角りかどで、天てん道だう是ぜか非ひか、又また一ひと組くみ、之これは又また念ねん入いりな、旦だん那なさ樣まは洋やう服ふくの高たか帽ばう子しで、而そして若わか樣さまをお抱だき遊あそばし、奧おく樣さまは深ふか張ばりの蝙かう蝠もり傘がさ澄すまして押おし並ならぶ後あとから、はれやれお乳ちの人ひとがついて手てぶらなり。えゝ! 日につ本ぽんといふ國くには、男をとこが子こを抱だいて歩あ行るく處ところか、もう叶かなはぬこりやならぬ。殺ころさば殺ころせ、とべツたり尻しり餅もち。
旦だん那なお相あひ乘のり參まゐりませう、と折をりよく來きか懸ゝつた二にに人んの乘りに這はふやうにして二ふた人り乘のり込こみ、淺あさ草くさまで急いそいでくんな。安やすい料れう理り屋やで縁えん起ぎ直なほしに一いつ杯ぱい飮のむ。此こ處ゝで電でん燈とうがついて夕ゆふ飯めしを認したゝめ、やゝ人ひと心ごこ地ちになる。小こに庭はを隔へだてた奧おく座ざし敷きで男なん女によ打うち交まじりのひそ〳〵話ばなし、本ほん所じよも、あの餘あんまり奧おくの方はうぢやあ私わたし厭いやアよ、と若わかい聲こゑの媚なまめかしさ。旦だん那な業なり平ひら橋ばしの邊あたりが可ようございますよ。おほゝ、と老ふけた聲こゑの恐おそろしさ。圍かこ者ひものの相さう談だんとおぼしけれど、懲こりて詮せん議ぎに及およばず。まだ此こつ方ちが助たすかりさうだと一いつ笑せうしつゝ歸き途とに就つく。噫あゝ此この行かう、氷ひか川はの宮みやを拜はいするより、谷やな中かを過すぎ、根ねぎ岸しを歩あ行るき、土ど手てより今いま戸どに出いで、向むか島うじまに至いたり、淺あさ草くさを經へて歸かへる。半はん日にちの散さん策さく、神しん祇ぎあり、釋しや教くけうあり、戀こひあり、無むじ常やうあり、景けいあり、人ひとあり、從したがうて又また情じやうあり、錢ぜにの少すくなきをいかにせむ。
明治三十二年十二月