場所 美濃 、三河 の国境。山中の社 ――奥の院。
名 白はく寮りょ権うご現んげん、媛ひめ神がみ。︵はたち余に見ゆ︶神職。︵榛はし貞ばみ臣さだおみ。修しゅ験げんの出︶禰ね宜ぎ。︵布ふ気げ田た五郎次︶老いたる禰宜。雑役の仕しち丁ょう。︵棚たな村むら久内︶二十五座の太鼓の男。〆しめ太だい鼓この男。笛の男。おかめの面の男。道化の面の男。般はん若にゃの面の男。後見一人。お沢。︵或男の妾めかけ、二十五、六︶天てん狗ぐ。︵丁ちょ々うち坊ょうぼう︶巫み女こ。︵五十ばかり︶道どう成じょ寺うじの白しら拍びょ子うしに扮ふんしたる俳やく優しゃ。一ツ目小僧の童男童女。村の児こ五、六人。
禰宜 (略装にて)いや、これこれ(中啓 を挙 げて、二十五座の一連 に呼掛 く)大分 日もかげって参った。いずれも一休みさっしゃるが可 いぞ。
この言葉のうち、神かぐ楽らの面々、踊おどりの手を休やめ、従って囃はや子し静まる。一連皆素そぼ朴くなる山やま家がび人と、装しょ束うぞくをつけず、面めんのみなり。――落葉散りしき、尾おば花なむら生おいたる中に、道どう化けの面、おかめ、般はん若にゃなど、居いならび、立たち添そい、意味なき身ぶりをしたるを留とどむ。おのおのその面をはずす、年は三十より四十ばかり。後こう見けん最も年配なり。
後見 こりゃ、へい、……神 ぬし様。
道化の面の男 お喧 しいこんでござりますよ。
〆太鼓の男 稽けい古こち中ゅうのお神楽で、へい、囃はや子しばかりでも、大抵村むら方かたは浮かれ上あがっておりますだに、面や装束をつけましては、媼ばば、媽か々かまでも、仕事稼かせぎは、へい、手につきましねえ。
笛の男 明あさ後っ日てげいから、お社やしろの御ご祭礼で、羽は目めさはずいて遊びますだで、刈かり入いれ時どきの日は短みじけえ、それでは気の毒と存じまして、はあ、これへ出合いましたでごぜえますがな。
般若の面の男 見よう見み真ま似ねの、から猿ざる踊りで、はい、一いっ向こうにこれ、馴なれませぬものだでな、ちょっくらばかり面をつけて見ます了りょ見うけんの処ところ。……根からお麁そま末つな御ごち馳そ走うを、とろろもも打ぶちまけました。ついお囃子に浮かれ出だいて、お社の神様、さぞお見苦しい事でがんしょとな、はい、はい。
禰宜 ああ、いやいや、さような斟しん酌しゃくには決して及ばぬ。料理方かたが摺すち鉢ばち俎まな板いたを引ひっくりかえしたとは違うでの、催もよおしものの楽がく屋やはまた一興じゃよ。時に日もかげって参ったし、大だい分ぶ寒うもなって来た。――おお沢山な赤あか蜻とん蛉ぼじゃ、このちらちらむらむらと飛とび散ちる処へ薄うす日びの射さすのが、……あれから見ると、近ちか間まではあるが、もみじに雨の降るように、こう薄うっすりと光ってな、夕日に時しぐ雨れが来た風ふぜ情いじゃ。朝あさ夕ゆう存じながら、さても、しんしんと森は深い。︵樹こだ立ちを仰いで︶いずれも濡ぬれよう、すぐにまた晴はれの役やく者しゃ衆しゅうじゃ。些ちと休まっしゃれ。御み酒きのお流れを一つ進じよう。神職のことづけじゃ、一いっ所しょに、あれへ参られい。
後見 なあよ。
太鼓の男 おおよ。(言交 す。)
道化の面の男 かえっておぞうさとは思うけんどが。
笛の男 されば。
おかめの面の男 御ごあ挨いさ拶つべい、かたがただで。︵いずれも面を、楽しげに、あるいは背、あるいは胸にかけたるまま。︶
後見 はい、お供して参りますで。
禰宜 さあさあ、これ。――いや、小こど児もし衆ゅ――︵渠かれら幼きが女の児こ二人、男の子三人にて、はじめより神楽を見て立つ︶――一遊び遊んだら、暮れぬ間まに帰らっしゃい。
後見 これ、立巌 にも、一本橋 にも、えっと気をつきょうぞよ。
小児一 ああ。
かくて社しゃ家けの方かた、樹こだ立ちに入いる。もみじに松を交まじう。社家は見えず。
小児二 や、だいぶ散らかした。
小児三 そうだなあ。
小児一 よごれやしないやい、木 の葉だい。
小児二 木の葉でも散らばった、でよう。
女児一 もみじでも、やっぱり掃くの?
女児二 茣蓙 の上に散っていれば、内でもお掃除 するわ。
女児一 神様のいらっしゃる処よ、きれいにして行きましょう。
女児二 お縁は綺麗 よ。
小児一 じゃあ、階段 から。おい、箒 の足りないものは手で引掻 け。
女児一 私 は袂 にするの。
小児二 乱暴だなあ、女のくせに。
女児三 だって、真まっ紅かなのだの、黄色い銀いち杏ょうだの、故わざとだって懐ふところへさ、入いれる事よ。
折れたる熊手 、新しきまた古箒 を手 ん手 に引出 し、落葉 を掻寄 せ掻集め、かつ掃きつつ口々に唄 う。
﹁お正月は何ど処こまで、
からから山の下まで、
土みや産げは何なんじゃ。
榧かやや、勝かち栗ぐり、蜜みか柑ん、柑こう子じ、橘たちばな。﹂……
お沢 ︵向って左の方かた、真まっ暗くらに茂れる深き古杉の樹こだ立ちの中より、青味の勝ちたる縞しまの小こそ袖で、浅あさ葱ぎの半はん襟えり、黒くろ繻じゅ子すの丸まる帯おび、髪は丸まる髷まげ。鬢びんやや乱れ、うつくしき俤おもかげに窶やつれの色見ゆ。素すあ足し草ぞう履りば穿きにて、その淡き姿を顕わし、静しずかに出いでて、就なか中んずく杉の巨きょ木ぼくの幹に凭よりつつ――間ま。――小こど児もらの中に出いづ︶まあ、いいお児こね、媛ひめ神がみ様のお庭の掃除をして、どんなにお喜びだか知れません――姉ねえさん……︵寂さびしく微ほほ笑えむ︶あの、小お母ばさんがね、ほんの心ばかりの御ごほ褒う美びをあげましょう。一度お供くも物つにしたのですよ。さあ、お菓子。
お沢 さあ、めしあがれ。
小児一 持って行 くの。
女児一 頂いて帰るの。(皆いたいけに押頂 く。)
お沢 まあ。何故 ね。
女児二 でも神様が下さるんですもの。
お沢 ああ、勿体 ない。私 はお三 どんだよ、箒を一つ貸して頂戴 。
小児二 じゃあ、おつかい姫だ。
女児一 きれいな姉 さん。
女児二 こわいよう。
小児一 そんな事いうと、学校で笑われるぜ。
女児一 だって、きれいな小母 さん。
女児二 こわいよう。
小児二 少しこわいなあ。
いい次ぎつつ、お沢 の落葉を掻寄 する間 に、少しずつやや退 る。
小児一 お正月かも知れないぜ。この山まで来たんだ。
小児二 や、お正月は女か。
小児三 知らない。
小児一 狐 だと大変だなあ。
小児二 そうすりゃこのお菓子なんか、家 へ帰ると、榧 や勝栗だ。
小児三 そんなら可 いけれど、皆 木の葉だ。
女の児たち きゃあ――
男の児たち やあ、転ころぶない。弱虫やい。――︵かくて森もり蔭かげにかくれ去る。︶
お沢 ︵箒を堂の縁えん下したに差置き、御みた手ら洗しにて水を掬すくい、鬢かみ掻かき撫なで、清き半ハン巾ケチを袂たもとにし、階段の下に、少しば時しぬかずき拝む。静寂。きりきりきり、はたり。何ど処こともなく機はた織おりの音聞こゆ。きりきりきり、はたり。――お沢。面おもてを上げ、四あた辺りをし耳を澄ましつつ、やがて階段に斜ななめに腰打うち掛かく。なお耳を傾け傾け、きりきりきり、はたり。間まぢ調ょう子しに合わせて、その段の欄干を、軽く手を打ちて、機織の真似し、次第に聞きき惚ほれ、うっとりとなり、おくれ毛げはらはらとうなだれつつ仮いね睡むる。︶
仕丁 ︵揚あげ幕まくの裡うちにて――突とっ拍ぴょ子うしなる猿さるの声︶きゃッきゃッきゃッ。︵乃すなわち面つら長ながき老ふる猿ざるの面を被かぶり、水すい干かん烏え帽ぼ子し、事こと触ぶれに似たる態なりにて――大だい根こん、牛ごぼ蒡う、太ふと人にん参じん、大おお蕪かぶら。棒ぼう鱈だら乾から鮭ざけ堆うずたかく、片かた荷にに酒さか樽だるを積みたる蘆あし毛げの駒こまの、紫なる古ふる手たづ綱なを曳ひいて出いづ︶きゃッ、きゃッ、きゃッ、おきゃッ、きゃア――まさるめでとうのう仕つかまつる、踊るが手もと立廻り、肩に小こご腰しをゆすり合わせ、と、ああふらりふらりとする。きゃッきゃッきゃッきゃッ。あはははは。お馬べっ丁とうは小腰をゆするが、蘆あし毛げよ。︵振向く︶お厩うまやが近うなって、和わどのの足はいよいよ健かに軽いなあ。この裏うら坂ざかを帰らいでも、正面の石段、一飛びに翼つばさの生じた勢いきおいじゃ。ほう、馬に翼が生はえて見い。われらに尻しっ尾ぽがぶら下る……きゃッきゃッきゃッ。いや化ばけの皮の顕われぬうちに、いま一いっ献こんきこしめそう。待て、待て。︵馬まび柄しゃ杓くを抜取る︶この世の中に、馬柄杓などを何なんで持つ。それ、それこのためじゃ。︵酒を酌くむ︶ととととと。︵かつ面を脱ぐ︶おっとあるわい。きゃッきゃッきゃッ。仕しち丁ょうめが酒を私わたくしするとあっては、御おん前まえ様、御機嫌むずかしかろう。猿が業わざと御ごろ覧うずれば仔しさ細いない。途みちすがらも、度たび々たびの頂ちょ戴うだいゆえに、猿の面も被ったまま、脱いでは飲み被っては飲み、質しちの出だし入いれの忙せわしい酒じゃな。あはははは。おおおお、竜たつの口くちの清しみ水ずより、馬の背の酒は格別じゃ、甘露甘露。︵舌した鼓つづみうつ︶たったったっ、甘露甘露。きゃッきゃッきゃッ。はて、もう御おん前まえに近い。も一度馬柄杓でもあるまいし、猿にも及ぶまい。︵とろりと酔える目に、あなたに、階きざはしなるお沢の姿を見る。慌あわただしくまうつむけに平ひれ伏ふす︶ははッ、大だい権ごん現げん様、御免なされ下さりませ、御免なされ下さりませ。霊あら験たかな御おす姿がたに対し恐おそ多れおおい。今やなぞ申しましたる儀は、全く譫たわ言ごとにござります。猿の面を被りましたも、唯おみきを私わたくししょう、不ふと届どきばかりではござりませぬ、貴女様御祭礼の前日夕、お厩うまやの蘆毛を猿が曳ひいて、里さと方かたを一巡いたしますると、それがそのままに風雨順調、五穀成じょ就うじゅ、百難皆かい除じょの御ごし神ん符ぷとなります段を、氏うじ子こじ中ゅう申もう伝しつたえ、これが吉きち例れいにござりまして、従って、海つもの山つものの献上を、は、はッ、御覧の如く清らかに仕つかまつりまする儀でござりまして、偏ひとえにこれ、貴女様御威徳にござります。お庇かげを蒙こうむりまする嬉うれしさの余り、ついたべ酔いまして、申もう訳しわけもござりませぬ。真まっ平ぴら御おゆ免るされ下されまし。ははッ、︵恐る恐る地につけたる額ひたいを擡もたぐ。お沢。うとうととしたるまま、しなやかに膝ひざをかえ身みじ動ろぎす。長なが襦じゅ袢ばんの浅あさ葱ぎの褄つま、しっとりと幽かすかに媚なまめく︶それへ、唯今それへ参りまする。恐れ恐れ。ああ、恐れ。それ以もって、烏帽子きた人の屑くずとも思おぼ召しめさず、面つらの赤い畜ちく生しょうとお見許し願わしう、はッ、恐れ、恐れ。︵再び猿の面を被りつつも進み得ず、馬の腹に添い身を屈かがめ、神前を差さし覗のぞく︶蘆毛よ、先へ立てよ。貴女様み気けし色きに触ふるる時は、矢の如く鬢びん櫛ぐしをお投げ遊ばし、片目をお潰つぶし遊ばすが神罰と承る。恐れ恐れ。︵手綱を放たれたる蘆毛は、頓とん着じゃくなく衝つと進む。仕丁は、ひょこひょこと従い続く。舞台やがて正面にて、蘆毛は一気に厩うまやの方かた、右手もみじの中にかくる。この一気に、尾の煽あおりをくらえる如く、仕丁、ハタと躓つまずき四よつに這はい、面を落す。慌あわてて懐ふところに捻ねじ込こむ時、間まぢ近かにお沢を見て、ハッと身を退すさりながら凝じっと再び見直す︶何なんじゃ、人か、参さん詣けいのものか。はて、可あっ惜たら二つない肝きもを潰つぶした。ほう、町まち方かたの。……艶つや々つやと媚なまめいた婦おんなじゃが、ええ、驚かしおった、おのれ! しかも、のうのうと居いね睡むりくさって、何ど処こに、馬の通るを知らぬ婦があるものか、野のほ放う図ずな奴やつめが。――いやいや、御みど堂う、御みや社しろに、参さん籠ろう、通つ夜やのものの、うたたねするは、神の御おつげのある折じゃと申す。神慮のほども畏かしこい。……眠ねむりを驚かしてはなるまいぞ。︵抜ぬき足あしに社前を横ぎる時、お沢。うつつに膝を直さんとする懐中より、一挺ちょうの鉄かな槌づちハタと落つ。カタンと鳴る。仕丁。この聊いささかの音にも驚きたる状さまして、足を爪つま立だてつつ熟じっと見て、わなわなと身ぶるいするとともに、足あし疾ばやに樹こだ立ちに飛とび入いる。間ま。――懐かい紙しの端はし乱れて、お沢の白き胸むなさきより五寸釘くぎパラリと落つ。︶
白はく寮りょ権うご現んげんの神職を真まっ先さきに、禰ね宜ぎ。村むら人びと一同。仕丁続いて出いづ――神職、年四十ばかり、色白く肥えて、鼻び下かに髯ひげあり。落ちたる鉄槌を奪うと斉ひとしく、お沢の肩を掴つかむ。
神職 これ、婦 。
お沢 ︵声の下に驚き覚さめ、身を免のがれんとして、階前には衆の林立せるに遁にげ場ばを失い、神職の手を振りもぎりながら︶御免なさいまし、御免なさいまし。︵一度階きざはしをのぼりに、廻廊の左へ遁ぐ。人々は縁えん下したより、ばらばらとその行く方ほうを取巻く。お沢。遁げつつ引ひき返かえすを、神職、追おい状ざまに引ひき違ちがえ、帯際ぎわをむずと取る。ずるずる黒くろ繻じゅ子すの解くるを取って棄て、引ひき据すえ、お沢の両手をもて犇ひしと蔽おおう乱れたる胸に、岸が破ばと手を差さし入いれる︶あれ、あれえ。
神職 ︵発あばき出したる形かた代しろの藁わら人形に、すくすくと釘の刺ささりたるを片手に高く、片手に鉄槌を翳かざすと斉しく、威いた丈けだ高かに突つッ立たち上あがり、お沢の弱よわ腰ごしをと蹴ける︶汚らわしいぞ! 罰ばち当あたり。
お沢 あ。(階 を転 び落つ。)
神職 鬼畜、人外 、沙汰 の限りの所業をいたす。
禰宜 いや何とも……この頃ごろの三み晩四よ晩、夜よふけ小さふけに、この方角……あの森の奥に当って、化けち鳥ょうの叫ぶような声がしまするで、話に聞く、咒のろ詛いの釘かとも思いました。なれど、場所柄がらゆえの僻ひが耳みみで、今の時節に丑うしの刻とき参まいりなどは現うつつにもない事と、聞き流しておったじゃが、何と先まず……この雌めす鬼おにを、夜やし叉ゃを、眼前に見る事わい。それそれ俯うつ向むいた頬ほお骨ぼねがガッキと尖とがって、頤あごは嘴くちばしのように三角形なりに、口は耳まで真まっ赤かに裂けて、色も縹はなだいろになって来た。
般若の面の男 (希有 なる顔して)禰宜様や、私 らが事をおっしゃるずらか。
禰宜 気 もない事、この女夜叉 の悪相 じゃ。
般若の面の男 ほう。
道化の面の男 (うそうそと前に出 づ)何と、あの、打込む太鼓……
〆太鼓の男 何じゃい。何じゃい。
道化の面 いや、太鼓ではない。打込む、それよ、カーンカーンと五寸釘……あの可おそ恐ろしい、藁の人形に五寸釘ちゅうは、はあ、その事でござりますかね。︵下より神職の手に伸のび上あがる。︶
笛の男 ︵おなじく伸上る︶手首、足首、腹の真中︵我が臍へそを圧おさえて反そる︶ひゃあ、みしみしと釘の頭も見えぬまで打込んだ。ええ、血など、ぼたれてはいぬずらか。
神職 ︵彼が言ことばのままに、手、足、胴腹はらを打返して藁人形を翳かざし見る︶血も滴たりょう。…藁も肉のように裂けてある。これ、寄るまい。︵この時人々の立かかるを掻かい払はらう︶六ろっ根こん清しょ浄うじょう、澄むらく、浄きよむらく、清らかに、神に仕うる身なればこそ、この邪よこしまを手にも取るわ。御お身みたちが悪く近づくと、見たばかりでも筋すじ骨ぼねを悩み煩わずらうぞよ。︵今度は悠ゆう然ぜんとして階きざはしを下くだる。人々は左右に開く︶荒あらび、すさみ、濁り汚れ、ねじけ、曲れる、妬ねた婦みおんなめ、われは、先ず何いず処このものじゃ。
お沢 (もの言わず。)
神職 人の娘か。
お沢 (わずかに頭 ふる。)
神職 人妻 か。
禰宜 人妻にしては、艶つや々つやと所しょ帯たい気げが一いっ向こうに見えぬな。また所帯せぬほどの身みが柄らとも見えぬ。妾めかけ、てかけ、囲かこいものか、これ、霊あら験たかな神の御みま前えじゃ、明かに申せ。
お沢 はい、何も申しませぬ、ただ(きれぎれにいう)お恥 しう存じます。
神職 おのれが恥を知る奴か。――本妻正室と言わばまた聞こえる。人のもてあそびの腐れ爛ただれ汚よごれものが、かけまくも畏かしこき……清く、美しき御おん神かみに、嫉しっ妬との願ねがいを掛けるとは何事じゃ。
禰宜 これ、速 におわびを申し、裸身 に塩をつけて揉 んでなりとも、払い浄 めておもらい申せ。
神職 いや布ふ気げ田た、︵禰宜の名︶払い清むるより前に、第一は神の御ごば罰つ、神罰じゃ。御おん神かみの御みこ心ころは、仕え奉る神かんぬしがよく存じておる。――既に、草刈り、柴しば刈りの女なら知らぬこと、髪、化けわ粧いし、色いろ香か、容かたちづくった町の女が、御みど堂う、拝殿とも言わず、この階きざはしに端はし近ぢかく、小こは春るの日ひな南たでもある事か。土も、風も、山さん気き、夜とともに身に沁しむと申すに。――
神楽の人々。﹁酔よいも覚さめて来た﹂﹁おお寒さむ﹂など、皆みんな、襟えり、袖を掻かき合あわす。
神職 ……居眠りいたいて、ものもあろうず、棺 の蓋 を打つよりも可忌 い、鉄槌 を落し、釘 を溢 す――釘は?……
禰宜 (掌 を見す)これに。
神楽の人々、そと集 い覗 く。
神職 即すなわち神の御みこ心ころじゃ――その御心を畏み、次第を以て、順に運ばねば相成らん。唯今布ふ気げ田たも申す――三晩、四晩、続けて、森の中に鉄槌の音を聞いたというが、毎夜、これへ参ったのか、これ、明あきらかに申せよ。どうじゃ。
お沢 はい、(言い淀 み、言い淀み)今 ……夜 ……が、満……願……でございました。
神職 ︵御堂を敬う︶ああ、神慮は貴とうとい。非願非礼はうけ給たまわずとも、俗にも満願と申す、その夕ゆうべに露顕した。明かに邪悪を退け給うたのじゃ。――先刻も見れば、その森から出て参って、小こど児もたちに何か菓子ようのものを与えたが、何か、いつも日の中うちから森の奥に潜みおって、夜ふけを待って呪の詛ろうたかな。
お沢 はい……あの……もうおかくしは申しません。お山の下の恐しい、あの谿たに河がわを渡りました。村むら方かたに、知るべのものがありまして、其そ処こから通いましたのでございます。
神楽の人々囁 き合う。
禰宜 知っておるかな。
――﹁なあ。﹂﹁よ。﹂﹁うむ。﹂﹁あれだ。﹂口々に――
後見 何が、お霜しも婆ばあさんの、ほれ、駄菓子屋の奥に、ちらちらする、白いものがあっけえ。町での御恩人ぞい。恥しい病やまいさあって隠れてござるで、ほっても垣かきのぞきなどせまいぞ、と婆さんが言うだでな。
笛の男 癩 ずらか。
太鼓の男 恥しい病ちゅうで。
おかめの面の男 ほんでも、孕 んだ娘だべか。
禰宜 女おな子ごが正しい懐妊は恥ではないのじゃ。それでは、毎晩、真夜中に、あの馬も通らぬ一本橋を渡ったじゃなあ。
道化の面の男 女の一念だで一本橋を渡らいでかよ。ここら奥の谿たに河がわだけれど、ずっと川かわ下しもで、東海道の大おお井いが川わより大でかいという、長なが柄ら川の鉄橋な、お前様。川むかいの駅へ行った県庁づとめの旦那どのが、終しま汽いぎ車しゃに帰らぬわ。予かねてうわさの、宿しゅ場くばの娼ふん婦ばりと寝たんべい。唯おくものかと、その奥様ちゅうがや、梅つ雨ゆぶりの暗やみの夜よな中かに、満水の泥どろ浪なみを打つ橋げたさ、すれすれの鉄橋を伝ってよ、いや、四つ這いでよ。何が、いま産れるちゅう臨りん月げつ腹ばらで、なあ、流ながれに浸りそうに捌さばき髪がみで這うて渡った。その大おおきな腹ずらえ、――夜よがえりのものが見た目では、大でかい鮟あん鱇こうほどな燐ふと火だまが、ふわりふわりと鉄橋の上を渡ったいうだね、胸の火が、はい、腹へ入はいって燃えたんべいな。
仕丁 お言ことばの中なかでありますがな、橋が危あぶなくば、下の谿河は、巌いわを伝うて渡られますでな、お厩うまやの馬はいつも流を越します。いや、先刻などは、落葉が重なり重なり、水一杯に渦巻いて、飛とび々とびの巌が隠れまして、何ど処こを渡ろうかと見ますうちに、水も、もみじで、一面に真まっ紅かになりました。おっと……酔った目の所せ為いではござりませぬよ。
禰宜 棚村 。(仕丁の名)御身 は何 の話をするや。
仕丁 はあ、いえ、孕はら婦みおんなが鉄橋を這はい越こすから見ますれば、丑うしの刻とき参まいりが谿河の一本橋は、気けもなく渡ると申すことで。石段は目につきます。裏づたいの山やま道みちを森へ通かよったに相違はござりますまい。
神職 棚村、御身まず、その婦 の帯を棄てい。
禰宜 かような婦の、汚らわしい帯を、抱いているという事があるものか。
仕丁 私 が、確 と圧 えておりますればこそで、うかつに棄てますと、このまま黒蛇 に成って り廻りましょう。
禰宜 榛 (神職名 )様がおっしゃる。樹 の枝へなりと掛けぬかい。
仕丁 樹に掛けましたら、なお、ずるずると大蛇 に成って下 ります。(一層胸に抱く。)
神職 棚村、見苦しい、森の中へ放 し込め。
仕丁、その言 の如くにす。――
お沢 あの……︵ふるえながら差出す手を、払いのけて、仕丁。森に行く。帯を投げるとともに飛とび返かえる。︶
神職 何 とした。
仕丁 ずるずるずると巻きましたが、真黒な一ひと幅はばになって、のろのろと森の奥へ入はいりました。……大おお方かた、釘を打込みます古杉の根へ、一念で、巻きついた事でござりましょう。
神職 いずれ、森の中において、忌いまわしく、汚らわしき事をいたしおるは必ひつ定じょうじゃ。さて、婦。……今きょ日うは昼から籠こもったか。真まっ直すぐに言え、御おん前まえじゃぞ。
お沢 はい、︵間ま︶はい、あの、一いち七しち日にちの満願まで……この願ねがいを掛けますものは、唯一ひと目め、……一度でも、人の目に掛かかりますと、もうそれぎりに、願ねがいが叶かなわぬと申します。昨ゆう夜べまでは、獣けものの影にも逢あいません。もう一ひと夜よ、今夜だけ、また不思議に満願の夜よといいますと、人に見られると聞きました。見られたら、どうしましょう。口くち惜おしい……その人の、咽の喉ど、胸へ喰くいつきましても……
神職 これだ――したたかな婦 めが。
お沢 ええ、あのそれが何なにになりましょう。昼から森にかくれました方が、何がどうでも、第一、人の目にかかりますまいと、ふと思いついたのです。木の葉を被り、草に突つッ伏ぷしても、すくまりましても、雉きじ、山やま鳥どりより、心のひけめで、見つけられそうに思われて、気が気ではありません。かえって、ただの参さん詣けい人にんのようにしております方ほうが、何なんの触さわりもありますまいと、存じたのでございます。
神職 秘 しがくしに秘め置くべき、この呪詛 の形代 を(藁人形を示す)言わば軽々 しう身につけおったは――別に、恐多 い神木 に打込んだのが、森の中にまだ他 にもあるからじゃろ。
お沢 いいえ、いいえ……昨ゆう夜べまでは、打ったままで置きました。私わたしがちょっとでも立離れます間まに――今日はまたどうした事でございますか、胸むな騒さわぎがしますまで。……
禰宜 いや、胸騒ぎが凄 じい、男を呪詛 うて、責殺 そうとする奴が。
お沢 あの、人に見つかりますか、鳥とり獣けものにも攫さらわれます。故障が出来そうでなりません。それで……身につけて出ましたのです。そして……そして……お神かんぬし様、皆様、誰どな方た様も――憎い口く惜やしい男の五体に、五寸釘を打ちますなどと、鬼でなし、蛇じゃでなし、そんな可おそ恐ろしい事は、思って見もいたしません。可かわ愛いい、大事な、唯一人の男の児こが煩わずらっておりますものですから、その病を――疫やく病びょうがみを――
﹁ええ。﹂﹁疫病神がみ。﹂村むら人びとらまた退しさる。
神職 疫病神を――
お沢 はい、封じます、その願掛 けなんでございますもの。
神職 町にも、村にも、この八里四方、目もっ下か疱ほう瘡そうも、はしかもない、何の疾やまいだ。
お沢 はい……
禰宜 何病じゃ。
お沢 はい、風邪 を酷 くこじらしました。
神職 (嘲笑 う)はてな、風に釘を打てば何 になる、はてな。
禰宜 はてな、はてな。
村人らも引入れられ、小首を傾くる状 、しかつめらし。
仕丁 はあ、皆様、奴凧 が引掛 るでござりましょうで。
――揃 って嘲 り笑う。――
神職 出来た。――掛かかると言えば、身みたちも、事件に引掛りじゃ。人の一命にかかわる事、始末をせねば済まされない。……よくよく深く企たくんだと見えて――見い、その婦おんな、胸も、膝ひざも、ひらしゃらと……︵お沢、いやが上にも身を細め、姿の乱れを引ひきつくろい引つくろい、肩、袖、あわれに寂しく見ゆ︶余りと言えば雪よりも白い胸、白い肌はだ、白い膝と思うたれば、色もなるほど白しろ々じろとしたが、衣服の下に、一ひと重えか、小袖か、真白い衣きぬを絡まといいる。魔の女め、姿まで調ととのえた。あれに︵肱ひじ長く森を指さす︶形かた代しろを礫はりつけにして、釘を打った杉のあたりに、如い何かような可けが汚らわしい可いま忌いましい仕しか掛けがあろうも知れぬ。いや、御お身みたち、︵村人と禰ね宜ぎにいう︶この婦おんなを案内に引ひっ立たてて、臨場裁断と申すのじゃ。怪しい品しな々じなかっぽじって来こられい。証拠の上に、根から詮せん議ぎをせねばならぬ。さ、婦、立てい。
禰宜 立とう。
神職 許す許さんはその上じゃ。身は――思う旨むねがある。一度社宅から出直す。棚たな村むらは、身ととも参れ。――村の人も婦を連れて、引ひっ立たてて――
村人ら、かつためらい、かつ、そそり立ち、あるいは捜し、手近きを掻かき取とって、鍬くわ、鋤すきの類たぐい、熊手、古箒など思い思いに得ものを携う。
後見 先へ立て、先へ立とう。
禰宜 箒で、そのやきもちの頬 を敲 くぞ、立ちませい。
お沢 ︵急に立って、颯さっと森に行く。一同面おもてを見合すとともに追って入いる。神職と仕丁は反対に社宅―舞台上うえには見えず、あるいは遠く萱かやの屋根のみ―に入いる。舞台空むなし。落葉もせず、常じょ夜うや燈とうの光幽かすかに、梟ふくろう。二度ばかり鳴く。︶
神職 ︵威儀いかめしく太た刀ちを佩はき、盛装して出いづ。仕丁相従い床しょ几うぎを提ひっさげ出いづ。神職。厳おごそかに床几に掛かかる。傍かたわらに仕丁踞つく居ばいて、棹さお尖さきに剣けんの輝ける一流の旗を捧ささぐ。――別に老いたる仕丁。一人。一連の御ごへ幣いと、幣ゆいたる榊さかきを捧げて従う。︶
お沢 ︵悄しょ然うぜんとして伊だて達ま巻きのまま袖を合せ、裾すそをずらし、打うちうなだれつつ、村人らに囲まれ出いづ。引添える禰宜の手に、獣けものの毛皮にて、男おと枕こまくらの如くしたる包つつみ一つ、怪あやしき紐ひもにてかがりたるを不ぶ気き味みらしく提さげ来り、神職の足近く、どさと差置く。︶
神職 神のおおせじゃ、婦おんな、下におれ。――誰たぞ御みあ灯かしをかかげい――︵村人一人、燈とうを開ひらく。灯ひにすかして︶それは何だ。穿ほり出だしたものか、ちびりと濡ぬれておる。や、︵足を爪つま立だつ︶蛇へびが絡からんだな。
禰宜 身みどもなればこそ、近う寄っても見ましたれ。これは大たい木ぼくの杉の根に、草にかくしてござりましたが、おのずから樹きの雫しずくのしたたります茂しげみゆえ、びしゃびしゃと濡れております。村の衆は一目見ますと、声も立てずに遁にぎょうとしました。あの、円まる肌はだで、いびつづくった、尾も頭も短う太い、むくりむくり、ぶくぶくと横にのたくりまして、毒どく気きは人を殺すと申す、可おそ恐ろしく、気味の悪い、野のづ槌ちという蛇そのままの形に見えました。なれども、結んだのは生なま蛇へびではござりませぬ。この悪念でも、さすがは婦おんなで、包つつみを結ゆわえましたは、継つぎ合あわせた蛇の脱ぬけ殻がらでござりますわ。
神職 野槌か、ああ、聞いても忌いまわしい。……人目に触れても近寄らせまい巧たくみじゃろ、企たくんだな。解け、解け。
禰宜 ︵解きつつ︶山犬か、野狐か、いや、この包みました皮は、狢むじならしうござります。
一同目を注ぐ。お沢はうなだれ伏す。
神職 鏡――うむ、鉄かな輪わ――うむ、蝋ろう燭そく――化粧道具、紅べに、白おし粉ろい。おお、お鉄はぐ漿ろ、可い厭やなにおいじゃ。……別に鉄かな槌づち、うむ、赤あか錆さび、黒錆、青錆の釘くぎ、ぞろぞろと……青い蜘く蛛も、紅あかい守やも宮り、黒蜥とか蜴げの血を塗ったも知れぬ。うむ、︵きらりと佩はい刀とうを抜きそばむると斉ひとしく、藁人形をその獣けものの皮に投ぐ︶やあ、もはや陳ちんじまいな、婦おんな。――で、で、で先ず、男は何ものだ。
お沢 (息の下にて言う)俳優 です。
――﹁俳やく優しゃ、﹂﹁ほう俳優。﹂﹁俳優。﹂と口々に言い継ぐ。
神職 何 じゃ、俳優 ?……――町へ参ってでもおるか。国のものか。
お沢 いいえ、大阪に――
禰宜 やけに大胆に吐 すわい。
神職 おのれは、その俳優 の妾 か。
お沢 いいえ。
神職 聞けば、聞けば聞くほど、おのれは、ここだくの邪じゃ淫いんを侵す。言うまでもない、人の妾となって汚れた身を、鏝こて塗ぬり上うわ塗ぬりに汚しおる。あまつさえ、身のほどを弁わきまえずして、百四、五十里、二百里近く離れたままで人を咒の詛ろう。
仕丁 その、その俳やく優しゃは、今大阪で、名は何と言うかな。姉あね様。
神職 退さがれ、棚村。恁かかる場合に、身らが、その名を聞き知っても、禍わざわいは幾分か、その呪の詛ろわれた当人に及ぶと言う。聞くな。聞けば聞くほど、何が聞くほどの事もない。――淫いん奔ぽん、汚濁、しばらくの間まも神の御みま前えに汚らわしい。茨いばらの鞭むちを、しゃつの白しろ脂あぶらの臀しりに当てて石段から追おい落おとそう。――が呆あきれ果てて聞くぞ、婦おんな。――その釘を刺した形かた代しろを、肌に当てて居いね睡むった時の心持は、何とあった。
お沢 むずむず痒 うございました。
禰宜 何なんじゃ藁人形をつけて……肌が痒い。つけつけと吐ぬかす事よ。これは気が変になったと見える。
お沢 いいえ、夢は地獄の針の山。――目の前に、茨に霜の降ふりましたような見上げる崖がけがありまして、上あがれ上れと恐しい二つの鬼に責められます。浅ましい、恥しい、裸はだ身かみに、あの針のざらざら刺さるよりは、鉄かな棒ぼうで挫くじかれたいと、覚悟をしておりましたが、馬が、一ひと頭つ、背うし後ろから、青い火を上げ、黒くろ煙けむりを立てて駈かけて来て、背中へ打ぶつかりそうになりましたので、思わず、崖へころがりますと、形かた代しろの釘でございましょう、針の山の土が、ずぶずぶと、この乳ちちへ……脇わきの下へも刺ささりましたが、ええ、痛いのなら、うずくのなら、骨が裂けても堪こたえます。唯くわッと身うちがほてって、その痒かゆいこと、むず痒さに、懐ふと中ころへ手を入れて、うっかり払いましたのが、つい、こぼれて、ああ、皆さんのお目に留とまったのでございます。
神職 はて、しぶとい。地獄の針の山を、痒がる土どこ根んじ性ょうじゃ。茨の鞭では堪こたえまい。よい事を申したな、別に御ごば罰つの当てようがある。何よりも先ず、その、世に浅ましい、鬼畜のありさまを見しょう。見よう。――御お身みたちもよく覚えて、お社やし近ろぢかい村むら里ざとの、嫁、嬶か々か、娘の見せしめにもし、かつは郡こおりへも町へも触れい。布ふ気げ田た。
禰宜 は。
神職 じたばたするなりゃ、手て取どり足取り……村の衆しゅにも手てつ伝だわせて、その婦おんなの上うわ衣ぎを引ひき剥はげ。髪を捌さばかせ、鉄かな輪わを頭に、九つか、七つか、蝋燭を燃ともして、めらめらと、蛇の舌の如く頂かせろ。
仕丁 こりゃ可 い、可い。最上等の御分別 。
神職 退さがれ、棚村。さ、神の御みこ心ころじゃ、猶ため予らうなよ。
――渠かれら、お沢を押おっ取とり込めて、そのなせる事、神職の言げんの如し。両手を扼とりしばり、腰を押して、真ま正面に、看かん客かくにその姿を露呈す。――
お沢 ヒイ……(歯を切 りて忍泣 く。)
神職 いや、蒼あおざめ果てた、がまだ人間の婦おんなの面つらじゃ。あからさまに、邪じゃ慳けん、陰悪の相を顕わす、それ、その般はん若にゃ、鬼きじ女ょの面を被せろ。おお、その通り。鏡も胸に、な、それそれ、藁人形、片手に鉄槌。――うむその通り。一度、二度、三度、ぐるぐると引廻したらば、可よし。――何なんと、丑うしの刻ときの咒のろ詛いの女にょ魔まは、一本歯ばの高たか下げ駄たを穿はくと言うに、些ちともの足りぬ。床しょ几うぎに立たせろ、引上げい。
渠かれは床几を立つ。人々お沢を抱だきすくめて床几に載のす。黒髪高く乱れつつ、一ひと本もとの杉の梢こずえに火を捌さばき、艶えん媚びにして嫋しな娜やかなる一個の鬼きじ女ょ、すっくと立つ――
お沢 ええ! 口く惜やしい。︵殆ほとんど痙けい攣れん的てきに丁ちょうと鉄槌を上げて、面おもて斜めに牙きば白く、思わず神職を凝視す。︶
神職 ︵魔を切るが如く、太た刀ちを振ふりひらめかしつつ後あと退ずさる︶したたかな邪気じゃ、古今の悪あく気きじゃ、激はげしい汚濁じゃ、禍わざわいじゃ。︵忽たちまち心づきて太刀を納め、大おおいなる幣を押おっ取とって、飛とび蒐かかる︶御おん神かみ、祓はらいたまえ、浄めさせたまえ。︵黒髪のその呪のろ詛いの火を払い消さんとするや、かえって青き火、幣に移りて、めらめらと燃上り、心火と業ごう火かと、もの凄すごく立たち累かさなる︶やあ、消せ、消せ、悪あく火びを消せ、悪火を消せ。ええ、埒らちあかぬ。床ゆかぐるみに蹴けお落とさぬかいやい。︵狼うろ狽たえて叫ぶ。人々床几とともに、お沢を押おし落おとし、取包んで蝋燭の火を一度に消す。︶
お沢 (崩折 れて、倒れ伏す。)
神職 ︵吻ほっと息して︶――千慮の一失。ああ、致いたしようを過あやまった。かえって淫邪の鬼の形ぎょ相うそうを火で明かに映し出した。これでは御ごば罰つのしるしにも、いましめにもならぬ。陰惨忍にん刻こくの趣は、元来、この婦おんなにつきものの影であったを、身ほどのものが気付かなんだ。なあ、布ふ気げ田た。よしよし、いや、村の衆しゅ。今度は鬼女、般若の面のかわりに、そのおかめの面を被せい、丑うしの刻とき参まいりの装しょ束うぞくを剥はぎ、素すは裸だかにして、踊らせろ。陰を陽に翻すのじゃ。
仕丁 あの裸はだ踊かおどり、有難い。よい慰み、よい慰み。よい慰み!
神職 退 れ、棚村。慰みものではないぞ、神の御罰じゃ。
禰宜 踊りましょうかな。ひひひ。︵ニヤリニヤリと笑う。︶
神職 何さ、笛、太鼓で囃はやしながら、両手を引ひっ張ぱり、ぐるぐる廻しに、七なな度たびまで引廻して突放せば、裸らた体いの婦おんなだ、仰向けに寝はせまい。目ともろともに、手も足も舞まい踊ろう。
﹁遣やるべい、﹂﹁遣れ。﹂﹁悪魔退散の御ごき祈と祷う。﹂村人は饒しゃ舌べり立つ。太鼓は座につき、早はや笛きこゆ。その二、三人はやにわにお沢の衣きぬに手を掛く。――
お沢 ああ、まあ、まあ。
神職 構わず引ひき剥はげ。裸はだ体かのおかめだ。紅あかい二ふた布の……湯ゆ具ぐは許せよ。
仕丁 腰巻 、腰巻……(手伝いかかる。)
禰宜 おこしなどというのじゃ。……汚 れておろうかの。
後見 この婦なら、きれいでがすべい。
お沢 (身悶 えしながら)堪忍して下さいまし、堪忍して下さいまし、そればかりは、そればかりは。
神職 罷まか成りならん! 当とう社やしろの掟おきてじゃ。が、さよういたした上は、追おっ放ぱなして許して遣る。
お沢 どうぞ、このままお許し下さいまし、唯お目の前を離れましたら、里へも家へも帰らずに、あの谿たに河がわへ身を投げて、死しんでお詫わびをいたします。
神職 水は浅いわ。
お沢 いいえ、あの急な激しい流れ、巌いわに身から体だを砕いても。――ええ、情なさけない、口くち惜おしい。前さっ刻きから幾いく度たびか、舌を噛かんで、舌を噛んで死のうと思っても、三日、五日、一目も寝ぬせいか、一枚も欠けない歯が皆弛ゆるんで、噛かみ切きるやくに立ちません。舌も縮んで唇くちびるを、唇を噛むばかり。︵その唇より血を流す。︶
神職 いよいよ悪鬼の形ぎょ相うそうじゃ。陽を以って陰を払う。笛、太鼓、さあ、囃せ。引立てろ。踊らせい。
とりどりに、笛、太鼓の庭につきたるが、揃 って音 を入 る。
お沢 ︵村人らに虐しいたげられつつ︶堪忍ね、堪忍、堪忍して、よう。堪忍……あれえ。
からりと鳴って、響くと斉ひとしく、金こん色じきの機はたの梭ひ、一具宙を飛とび落おつ。一同吃きっ驚きょうす。社殿の片かた扉とびら、颯さっと開ひらく。
巫女 ︵階きざはしを馳はせ下くだる。髪は姥おば子こに、鼠ねず小みこ紋もんの紋もん着つき、胸に手箱を掛けたり。馳せ出いでつつ、その落ちたる梭を取って押おし戴いただき、社頭に恭礼し、けいひつを掛く︶しい、……しい……しい。……
一同茫ぼう然ぜんとす。
御みど堂う正面の扉、両方にさらさらと開ひらく、赤く輝きたる光、燦さん然ぜんとして漲みなぎる裡うちに、秘密の境きょうは一面の雪せっ景けい。この時ちらちらと降りかかり、冬ふゆ牡ぼた丹ん、寒かん菊ぎく、白しら玉たま、乙おと女めつ椿ばきの咲さき満みてる上に、白しら雪ゆきの橋、奥殿にかかりて玉ぎょ虹っこうの如きを、はらはらと渡り出いづる、気けだ高かく、世にも美しき媛ひめ神がみの姿見ゆ。
媛神 ︵白がさねして、薄うす紅こう梅ばいに銀のさや形がたの衣きぬ、白しろ地じ金きん襴らんの帯。髻もとどり結いたる下さげ髪がみの丈たけに余れるに、色紅くれないにして、たとえば翡ひす翠いの羽はねにてはけるが如き一ひと条すじの征そ矢やを、さし込みにて前まえ簪かんざしにかざしたるが、瓔よう珞らくを取って掛けし襷たすきを、片はずしにはずしながら、衝つと廻廊の縁に出いづ。凛りんとして︶お前たち、何をする。
――︵一同ものも言い得ず、ぬかずき伏す。少しおくれて、童どう男だんと童どう女じょと、ならびに、目一つの怪しきが、唐から輪わと切きり禿かむろにて、前なるは錦にしきの袋に鏡を捧げ、後あとなるは階きざはしを馳はせ下くだり、巫み女この手より梭ひを取り受け、やがて、欄らん干かん擬ぎぼ宝うし珠ゅの左右に控う。媛神、立たて直なおりて︶――お沢さん、お沢さん。
巫女 ︵取次ぐ︶お女じょ中ちゅう、可おそ恐ろしい事はないぞな、はばかり多おおや、畏かしこけれど、お言葉ぞな、あれへの、おん前まえへの。
お沢 はい――はい……
媛神 まだ形かた代しろを確しっかり持っておいでだね。手がしびれよう。姥うば、預ってお上げ。︵巫女受取って手箱に差置く︶――お沢さん、あなたの頼みは分りました。一念は届けて上げます。名高い俳やく優しゃだそうだけれど、私わたしは知りません、何ど処こに、いま何をしていますか。
巫女 今きょ日う、今夜――唯今の事は、海うみ山やま百里も離れまして、この姉あねさまも、知りますまい。姥が申上げましょう。
媛神 聞きましょう――お沢さん、その男の生命 を取るのだね。
お沢 今さら、申上げますも、空恐 しうございます、空恐しう存じあげます。
媛神 森の中でも、この場でも、私 に頼むのは同じ事。それとも思い留 るのかい。
お沢 いいえ、私わたしの生いの命ちをめされましても、一念だけは、あの一念だけは。――あんまり男の薄情さ、大阪へも、追おい縋すがって参りましたけれど、もう……男は、石とも、氷とも、その冷たさはありません。口も利きかせはいたしません。
巫女 いやみ、つらみや、怨うらみ、腹立ち、怒おこったりの、泣きついたりの、口く惜やしがったり、武むしゃぶりついたり、胸むな倉ぐらを取ったりの、それが何なんになるものぞ。いい女が相そう好ごう崩くずして見っともない。何も言わずに、心に怨んで、薄情ものに見せしめに、命の咒のろ詛いを、貴あな女た様へ願がん掛がけさしゃった、姉あねさんは、おお、お怜りこ悧うだの。いいお娘こだ。いいお娘こだ。さて何なんとや、男の生いの命ちを取るのじゃが、いまたちどころに殺すのか。手を萎なやし、足を折り、あの、昔田たの之す助けとかいうもののように胴どう中なかと顔ばかりにしたいのかの、それともその上、口も利かせず、死んだも同様にという事かいの。
お沢 ええ、もう一層 (屹 と意気組む)ひと思いに!
巫女 お姫様、お聞きの通りでござります。
媛神 男は?
巫女 これを御覧遊ばされまし。(胸の手箱を高く捧げ、さし翳 して見せ参らす。)
媛神 花の都の花の舞台、咲いて乱れた花の中に、花の白拍子 を舞っている……
巫女 座頭俳優 が所作事 で、道成寺 とか、……申すのでござります。
神職 ははっ、ははっ、恐れながら、御おん神かみに伺い奉る、伺い奉る……謹つつしみ謹み白もうす。
媛神 (――無言――)
神職 恐れながら伺い奉る……御神慮におかせられては――畏 くも、これにて漏れ承りまする処におきましては――これなる悪女 の不届 な願 の趣 ……趣をお聞き届け……
媛神 肯 きます。不届とは思いません。
神職 や、この邪よこしまを、この汚けがれを、おとりいれにあい成りまするか。その御ごり霊ょう、御みた魂ま、御神体は、いかなる、いずれより、天あま降くだらせます。……
媛神 石垣を堅めるために、人ひと柱ばしらと成って、活いきながら壁に塗られ、堤つつみを築くのに埋うずめられ、五穀のみのりのための犠いけ牲にえとして、俎まないたに載せられた、私わたしたち、いろいろなお友だちは、高い山、大おおきな池、遠い谷にもいくらもあります。――不断私わたしを何と言ってお呼びになります。
神職 はッ、白寮権現 、媛神 と申し上げ奉る。
媛神 その通り。
神職 そ、その媛神におかせられては、直 ぐなること、正しきこと、明かに清らけきことをこそお司 り遊ばさるれ、恁 る、邪 に汚れたる……
媛神 やみの夜よは、月が邪よこしまだというのかい。村里に、形のありなしとも、悩み煩らいのある時は、私わたしを悪いと言うのかい。
神職 さ、さ、それゆえにこそ、祈り奉るものは、身を払い、心を払い、払い清めましての上に、正しき理ことわり、夜よるの道さえ明かなるよう、風も、病やまいも、悪あしきをば払わせたまえと、御おん神かみの御みま前えに祈り奉る。
媛神 それは御勝手、私 も勝手、そんな事は知りません。
神職 これは、はや、恐れながら、御おん声こえ、み言葉とも覚えませぬ。不肖榛はし貞ばみ臣さだおみ、徒いたずらに身すぎ、口すぎ、世の活計に、神職は相勤めませぬ。刻苦勉励、学問をも仕つかまつり、新しき神道を相学び、精しょ進うじ潔んけ斎っさい、朝あさ夕ゆうの供くも物つに、魂の切きり火び打って、御みま前えにかしずき奉る……
媛神 私わたしは些ちっとも頼みはしません。こころざしは受けますが、三さん宝ぽうにのったものは、あとで、食べるのは、あなた方がたではありませんか。
神職 えっ、えっ、それは決して正しき神のお言葉ではない。︵わななきながら八はっ方ぽうを礼らい拝はいす。禰ね宜ぎ、仕しち丁ょう、同じく背そむける方かたを礼拝す。︶
媛神 邪よこしまな神のすることを御覧――いま目まのあたりに、悪魔、鬼畜と罵ののしらるる、恋の怨うらみの呪のろ詛いの届く験しるしを見せよう。︵静しずかに階きざはしを下おりてお沢に居い寄より︶ずっとお立ち――私わたしの袖に引添うて、︵巫み女こに︶姥うば、弓をお持ちか。
巫女 おお、これに。(梓 の弓を取り出す。)
媛神 ︵お沢に︶その弓をお持ちなさい。︵簪かんざしの箭やを取って授けつつ︶楊よう弓きゅうを射るように――釘くぎを打って呪の詛ろうのは、一念の届くのに、三みつ月き、五いつ月つき、三年ねん、五年、日と月と暦こよみを待たねばなりません。いま、見るうちに男の生いの命ちを、いいかい、心をよく静めて。――唐から輪わ。︵女の童わらべを呼ぶ︶その鏡を。︵女の童は、錦をひらく。手にしつつ︶――的まと、的、的です。あれを御覧。︵空そらざまに取って照らすや、森しん々しんたる森の梢こずえ一ひと処ところに、赤き光朦もう朧ろうと浮き出いづるとともに、テントツツン、テントツツン、下した方かたかすめて遥はるかにきこゆ︶……見えたか。
お沢 あれあれ、彼処 に――憎らしい。ああ、お姫様。
媛神 ちゃんとお狙 い。
お沢 畜生 !(切って放つ。)
一陣の迅 き風、一同聳目 し、悚立 す。
巫女 お見事や、お見事やの。︵しゃがれた笑わらい︶おほほほほ。︵凄すごく笑う。︶
吹ふきつのる風の音凄すさまじく、荒波の響きを交う。舞台暗黒。少しば時らくして、光さす時、巫女。ハタと藁人形を擲なげうつ。その位置の真上より振袖落ち、紅くれないの裙すそ翻り、道成寺の白拍子の姿、一たび宙に流れ、きりきりと舞いつつ真まっ倒さかさに落つ。もとより、仕掛けもの造りものの人形なるべし。神職、村人ら、立騒ぐ。
お沢 ああ、どうしましょう、あれ、︵その胸、その手を捜ろうとして得ず、空むなしく掻かい捜さぐるのみ。︶
媛神 それは幻、あなたの鏡に映るばかり、手に触 るのではありません。
お沢 ああ唯貴女のお姿ばかり、暗い思 は晴れました。媛神 様、お嬉しう存じます。
丁々坊 お使いのもの!︵森の梢に大だい音おんあり︶――お髪ぐしの御おん矢や、お返し申し上ぐる。……唯今。――︵梢より先ず呼びて、忽ち枝より飛び下くだる。形は山やま賤がつの木きこ樵りにして、翼つばさあり、面おもては烏から天すて狗んぐなり。腰に一いっ挺ちょうの斧おのを帯ぶ︶御矢をばそれへ。――︵女の童わらべ。階きざはしを下おり、既にもとにつつみたる、錦の袋の上に受く。︶
媛神 御苦労ね。
巫女 我折 れ、お早い事でござりましたの。
丁々坊 瞬またたく間まというは、凡およそこれでござるな。何が、芝しば居いは、大おお山やま一つ、柿かきの実みのったような見物でござる。此こや奴つ、︵白拍子︶別べっ嬪ぴんかと思えば、性しょうは毛むくじゃらの漢おのこが、白おし粉ろいをつけて刎はねるであった。
巫女 何を、何を言うぞいの。何ごとや――山にばかりおらんと世の中を見さっしゃれ、人が笑いますに。何を言うぞいの。
丁々坊 何か知らぬが、それは措おけ。はて、何なんとやら、テンツルテンツルテンツルテンか、鋸のこぎりで樹きをひくより、早はや間まな腰を振ふり廻まわいて。やあ。︵不器用千万なる身ぶりにて不ぶざ状まに踊りながら、白拍子のむくろを引ひん跨またぎ、飛越え、刎はね越こえ、踊る︶おもえばこの鐘うらめしやと、竜りゅ頭うずに手を掛け飛ぶぞと見えしが、引ひっかついでぞ、ズーンジャンドンドンジンジンジリリリズンジンデンズンズン︵刎はね上あがりつつ︶ジャーン︵忽たちまち、ガーン、どどど凄すさまじき音す。――神職ら腰をつく。丁ちょ々うち坊ょうぼう、落着き済まして︶という処じゃ。天井から、釣つり鐘がねが、ガーンと落ちて、パイと白拍子が飛込む拍子に――御おん矢やが咽の喉どへ刺ささった。︵居いずまいを直す︶――ははッ、姫君。大おお釣鐘と白拍子と、飛ぶ、落つる、入いれ違ちがいに、一ひと矢や、速すみやかに抜取りまして、虚こく空うを一飛びに飛返ってござる。が、ここは風が吹きぬけます。途みちすがら、遠州灘なだは、荒あら海うみも、颶はや風ても、大おお雨あめも、真の暗やみ夜よの大おお暴あ風ら雨し。洗いも拭ぬぐいもしませずに、血ぬられた御矢は浄きよまってござる。そのままにお指さし料りょう。また、天を飛びます、その御矢の光りをもって、沖に漂いました大たい船せんの難破一艘そう、乗組んだ二百あまりが、方角を認め、救われまして、南なむ無だい大ごん権げ現ん、媛神様と、船の上に黒く並んで、礼らい拝はい恭礼をしましてござる。――御ごり利や益く、――御ごき奇ど特く、祝しゅ着うじゃくに存じ奉る。
巫女 お喜びを申上げます。
媛神 (梢を仰ぐ)ああ、空にきれいな太白星 。あの光りにも恥かしい、……私 の紅 い簪 なんぞ。……
神職 御おん神かみ、かけまくもかしこき、あやしき御神、このまま生いの命ちを召さりょうままよ、遊ばされました事すべて、正しき道でござりましょうか――榛はし貞ばみ臣さだおみ、平ひらに、平に。……押して伺いたてまつる。
媛神 存じません。
禰宜 ええ、御神 、御神。
媛神 知らない。
――「平 に一同、」「一同偏 に、」「押して伺い奉る、」村人らも異口同音にやや迫りいう――
巫女 知らぬ、とおっしゃる。
神職 いや、神々の道が知れませいでは、世の中は東西南北を相失いまする。
媛神 廻ってお歩あ行るきなさいまし、お沢さんをぐるぐると廻したように、ほほほ。そうして、道の返事は――ああ、あすこでしている。あれにお聞き。
「のりつけほうほう、ほうほう、」――梟 鳴く。
神職 何、あの梟鳥 をお返事とは?
媛神 あなた方 の言う事は、私 には、時々あのように聞こえます。よくお聞きなさるがよい。
――梟、頻 に鳴く。「のりつけほうほう」――
老仕丁 のりつけほうほう。のりたもうや、つげたもうや。あやしき神の御おん声こえじゃ、のりつけほうほう。︵と言うままに、真まっ先さきに、梟に乗のり憑うつられて、目の色あやしく、身ぶるいし、羽はば搏たきす。︶
――これを見詰めて、禰宜と、仕丁と、もろともに、のり憑つかれ、声を上ぐ。――﹁のりつけほう。――のりつけほうほう、ほう。﹂
次第に村人ら皆憑うつらる――﹁のりつけほうほう。ほうほう。ほうほう﹂――
神職 言ごん語ご道断、ただ事ごとでない、一ひと方かたならぬ、夥おび多ただしい怪異じゃ。したたかな邪気じゃ。何が、おのれ、何が、ほうほう……
︵再び太た刀ちを抜き、片手に幣を振り、飛とびより、煽あおりかかる人々を激しくなぎ払い打ち払う間あいだ、やがて惑乱し次第に昏こん迷めいして――ほうほう。――思わず袂たもとをふるい、腰を刎はねて︶ほう、ほう、のりつけ、のりつけほう。のりつけほう。︹備考、この時、看かん客かくあるいは哄こう笑しょうすべし。敢あえて煩わしとせず。︺︵恁かくして、一人一人、枝々より梟の呼び取る方ほうに、ふわふわとおびき入れらる。︶
丁々坊 ははははは。(腹を抱 えて笑う。)
媛神 姥 、お客を帰そう。あらしが来そうだから。
巫女 御意 。
媛神 蘆あし毛げ、蘆毛。――︵駒こま、おのずから、健かに、すとすと出いづ。――ほうほうのりつけほうほう――と鳴きつつ来きたる。媛神。軽く手を拍うつや、その鞍くらに積めるままなる蕪かぶ、太だい根こ、人にん参じんの類るい、おのずから解けてばらばらと左右に落つ。駒また高らかに鳴く。のりつけほうほう。――︶
媛神 ほほほほ、︵微ほほ笑えみつつ寄りて、蘆毛の鼻はな頭づらを軽く拊うつ︶何だい、お前まで。︵駒、高たか嘶いななきす︶︹――この時、看客の笑しょ声うせいあるいは静まらん。然しからんには、この戯曲なかば成功たるべし。︺――お沢さん、疲れたろう。乗っておいで。姥うばは影に添って、見送ってお上げ――人里まで。
お沢 お姫様。
巫女 もろともにお礼をば申上げます。
蘆毛は、ひとりして鰭爪 軽く、お沢に行く。
丁々坊 ははは、この梟、羽を生はやせ。︵戯れながら――熊手にかけて、白拍子の躯むくろ、藁人形、そのほか、釘、獣皮などを掻かき浚さらう。︶
巫女 さ、このお娘 。――貴女様に、御挨拶 申上げて……
お沢 ︵はっと手をつかう︶お姫様。草くさ刈かり、水みず汲くみいたします。お傍そばにいとう存じます。
媛神 ︵廻廊に立つ︶――私わたしの傍そばにおいでだと、一つ目のおばけに成ります、可こ恐わい、可恐い、……それに第一、こんな事、二度とはいけません。早く帰って、そくさいにおくらし。――駒に乗るのに坐っていないで、遠慮のう。
お沢 (涙ぐみつつ)お姫様。
巫女 丁 どや――丑 の上刻 ぞの。(手綱 を取る。)
媛神 ︵鬢びんに真まし白ろき手を、矢を黒髪に、女にょ性しょうの最も優しく、なよやかなる容儀見ゆ。梭ひを持てるが背うし後ろに引添い、前なる女の童わらべは、錦の袋を取とり出いで下より翳かざし向く。媛神、半ば簪かざして、その鏡を視みる。丁々坊は熊手をあつかい、巫み女こは手綱を捌さばきつつ――大おお空ぞらに、笙しょう、篳ひち篥りき、幽ゆうなる楽がく。奥おく殿でんに再び雪ふる。まきおろして︶――
――幕――