この無題の小説は、泉先生逝去後、机辺の篋きょ底うていに、夫人の見出されしものにして、いつ頃書かれしものか、これにて完結のものか、はたまた未完結のものか、今はあきらかにする術すべなきものなり。昭和十四年七月号中央公論掲載の、﹁縷るこ紅うし新んそ草う﹂は、先生の生前発表せられし最後のものにして、その完成に尽つくくされし﹇#﹁尽つくくされし﹂はママ﹈努力は既に疾やまいを内に潜めいたる先生の肉体をいたむる事深く、その後再び机に対むかわれしこと無かりしという。果して然しからばこの無題の小説は﹁縷紅新草﹂以前のものと見るを至当とすべし。原稿はやや古びたる半紙に筆と墨をもって書かれたり。紙の古きは大正六年はじめて万年筆を使用されし以前に購あがなわれしものを偶たま々たま引出して用いられしものと覚しく、墨色は未だ新しくしてこの作の近き頃のものたる事を証あかす。主人公の名の糸七は﹁縷紅新草﹂のそれとひとしく、点景に赤あか蜻とん蛉ぼのあらわるる事もまた相似たり。﹁どうもこう怠けていてはしかたが無いから、春になったら少し稼ごうと思っています。﹂と先生の私に語られしは昨年の暮の事なりき。恐らくこの無題の小説は今年のはじめに起稿されしものにはあらざるか。
雑誌社としては無題を迷惑がる事察するにあまりあれど、さりとて他人がみだりに命題すべき筋すじ合あいにあらざるを以て、強しいてそのまま掲出すべきことを希望せり。
︵水上瀧太郎附記︶
伊豆の修しゅ禅ぜん寺じの奥の院は、いろは仮名四十七、道しるべの石碑を畷なわて、山の根、村口に数えて、ざっと一里余りだと言う、第一のいの碑はたしかその御寺の正面、虎こけ渓いき橋ょうに向った石段の傍にあると思う……ろはと数えて道順ににのあたりが俗に釣橋釣橋と言って、渡ると小学校がある、が、それを渡らずに右へ廻るとほの碑に続く、何だか大根畠から首をもたげて指ゆび示さしをするようだけれど、このお話に一ちょ寸っと要があるので、頬ほお被かむりをはずして申しておく。
もう温泉場からその釣橋へ行く道の半ばからは、一方が小山の裙すそ、左が小こな流がれを間にして、田畑になる、橋向うへ廻ると、山の裙は山の裙、田畑は田畑それなりの道続きが、大おお畝うねりして向うに小さな土橋の見えるあたりから、自おのずから静かな寂しい参拝道となって、次第に俗地を遠ざかる思いが起おこるのである。
土地では弘法様のお祭、お祭といっているが春秋二季の大だい式しき日じつ、月々の命日は知らず、不ふだ断ん、この奥の院は、長々と螺らせ線んをゆるく田でん畝ぽの上に繞めぐらした、処とこ々ろどころ、萱かや薄すすき、草々の茂みに立ったしるべの石碑を、杖笠を棄てて彳たたずんだ順礼、道どうしゃの姿に見せる、それとても行くとも皈かえるともなく煢けい然ぜんとして独り佇たたずむばかりで、往来の人は殆ほとんどない。
またそれだけに、奥の院は幽ゆう邃すい森しん厳げんである。畷あぜ道みちを桂川の上流に辿ると、迫る処怪かい石せき巨きょ巌がんの磊らい々らいたるはもとより古木大樹千年古き、楠なん槐かいの幹も根もそのまま大巌に化したようなのが々と立たち聳そびえて、忽たちまち石門砦高く、無斎式、不精進の、わけては、病びょ身うしんたりとも、がたくり、ふらふらと道わるを自動車にふんぞって来た奴等を、目さえ切きり塞ふさいだかと驚かれる、が、慈救の橋は、易々と欄らん干かんづきで、静しずかに平たいらかな境内へ、通行を許さる。
下車は言うまでもなかろう。
御おど堂うは颯さっと松風よりも杉の香か檜ひのきの香の清すが々すがしい森しん々しんとした樹こだ立ちの中に、青龍の背をさながらの石段の上に玉面の獅子頭の如く築かれて、背後の大だい碧へき巌がんより一筋水晶の滝が杖を鳴らして垂直に落ちて仰ぐも尊い。
境内わきの、左手の庵室、障子を閉して、……ただ、仮に差置いたような庵ながら構かまえは縁が高い、端はし近ぢかに三さん宝ぼうを二つ置いて、一つには横綴の帳一冊、一つには奉納の米袋、ぱらぱらと少しこぼれて、おひねりというのが捧げてある、真中に硯箱が出て、朱書が添えてある。これは、俗名と戒名と、現当過去、未来、志す処の差によって、おもいおもいにその姓氏仏号を記すのであろう。
﹁お札ふだを頂きます。﹂
――お札は、それは米袋に添えて三宝に調えてある、そのままでもよかったろうが、もうやがて近い……年頭御慶の客に対する、近来流行の、式台は悪わる冷つめたく外套を脱ぐと嚏くさめが出そうなのに御ごな内いし証ょうは煖だん炉ろのぬくもりにエヘンとも言わず、……蒔絵の名なふ札だう受けが出ているのとは些ちと勝手が違うようだから――私ども夫婦と、もう一人の若い方、と云って三十を越えた娘……分か? 女房の義理の姪、娘が縁づいたさきの舅の叔母の従弟の子で面倒だけれど、姉妹分の娘だから義理の姪、どうも事実のありのままにいうとなると説明は止むを得ない。とに角、若いから紅こう気きがある、長襦袢の褄つまがずれると、縁が高いから草履を釣られ気味に伸上って、
﹁ごめん下さいまし。﹂
すぐに返事のない処へ、小肥りだけれど気が早いから、三宝越に、眉で覗くように手を伸ばして障子腰を細目に開けた。
山さん気きは翠みどりに滴って、詣ずるものの袖は墨染のようだのに、向った背せど戸に庭わは、一杯の日あたりの、ほかほかとした裏縁の障子の開いた壁際は、留守居かと思う質素な老僧が、小机に対むかい、つぐなんで、うつしものか、かきものをしてござった。
﹁ごめん下さいまし、お札を頂きます。﹂
黒い前髪、白い顔が這うばかり低く出たのを、蛇体と眉も顰ひそめたまわず、目めが金ねご越しの睫まつげの皺が、日ひ南なにとろりと些ちと伸びて、
﹁ああ、お札はの、御随意にの預かっしゃってようござるよ。﹂
と膝も頭も声も円い。
﹁はい。﹂
と、立直って、襟の下へ一ちょ寸っと端を見せてお札を受けた、が、老僧と机ばかり円光の裡うちの日だまりで、あたりは森しん閑かんした、人気のないのに、何故か心を引かれたらしい。
﹁あの、あなた。﹂
こうした場所だ、対あい手ては弘法様の化身かも知れないのに、馴なれ々なれしいこという。
﹁お一人でございますか。﹂
﹁おお、留守番の隠居爺じゃ。﹂
﹁唯たったお一人。﹂
﹁さればの。﹂
﹁お寂しいでしょうね、こんな処にお一人きり。﹂
﹁いや、お堂裏へは、近い頃まで猿どもが出て来ました、それはもう見えぬがの、日ひよ和りさえよければ、この背戸へ山鳥が二羽ずつで遊びに来ますで、それも友になる、それ。﹂
目金がのんどりと、日に半面に庭の方へ傾いて、
﹁巌の根の木ぼ瓜けの中に、今もの、来ていますわ。これじゃ寂しいとは思いませぬじゃ。﹂
﹁はア。﹂
と息とともに娘分は胸を引いた、で、何だか考えるような顔をしたが、﹁山鳥がお友だち、洒落てるわねえ。﹂と下げこ向うの橋を渡りながら言った、――﹁洒落てるわねえ﹂では困る、罪ざい障しょうの深い女性は、ここに至ってもこれを聞いても尼にもならない。
どころでない、宿へ皈もどると、晩ばん餉げの卓ちゃ子ぶだ台いもやい、一銚子の相しょ伴うばん、二つ三つで、赤くなって、ああ紅木瓜になった、と頬辺を圧おさえながら、山鳥の旦那様はいい男か知ら。いや、尼処どころか、このくらい悟り得ない事はない。﹁お日ひよ和りで、坊さんはお友だちでよかったけれど、番傘はお茶を引きましたわ。﹂と言った。
出掛けに、実は春の末だが、そちこち梅雨入模様で、時々気まぐれに、白い雲が薄墨の影を流してばらばらと掛る。其そ処こで自動車の中へ番傘を二本まで、奥の院御参詣結けち縁えんのため、﹁御縁日だとこの下で飴を売る奴だね、﹂﹁へへへ、お土産をどうぞ。﹂と世馴れた番頭が真新しい油もまだ白いのを、ばりばりと綴とじ枠わくをはずして入れた。
贅沢を云っては悪いが、この暖さと、長のど閑かさの真中には一ひと降ふり来たらばと思った。路みち近い農家の背戸に牡丹の緋に咲いて蕋しべの香に黄色い雲の色を湛たたえたのに、舞う蝶の羽はね袖のびの影が、仏前に捧ぐる妙たえなる白い手に見える。遠方の小さい幽かすかな茅屋を包んだ一むら竹の奥深く、山はその麓なりに咲込んだ映山紅に且かつ半ば濃い陽かげ炎ろうのかかったのも里親しき護ご摩まの燃ゆる姿であった。傘さしてこの牡丹に彳たたずみ、すぼめて、あの竹藪を分けたらばと詣ずる道すがら思ったのである。
土手には田たぜ芹り、蕗ふきが満ちて、蒲たん公ぽ英ぽはまだ盛りに、目に幻のあの白い小さな車が自動車の輪に競って飛んだ。いま、その皈かえりがけを道草を、笊ざるに洗って、縁に近く晩の卓子台を囲んでいたが、
――番傘がお茶を引いた――
おもしろい。
悟って尼にならない事は、凡およそ女人以上の糸いと七しちであるから、折しも欄干越の桂川の流ながれをたたいて、ざっと降ふり出だした雨に気競って、
﹁おもしろい、その番傘にお茶をひかすな。﹂
宿つきの運転手の馴染なのも、ちょうど帳場に居わせた。
九時頃であった。
﹁さっきの番傘の新造を二人……どうぞ。﹂
﹁ははは、お楽たのしみで……﹂
番頭の八方無む碍げの会釈をして、その真新しいのをまた運転手の傍へ立掛けた。
しばらくして、この傘を、さらさらと降る雨に薄白く暗やみ夜よにさして、女たちは袖を合せ糸七が一人立ちで一ひと畝うねの水みず田たを前にして彳んだ処は、今しがた大根畑から首を出して指ゆびさしをした奥の院道の土橋を遥はるかに見る――一方は例の釣橋から、一方は鳶とんびの嘴くちばしのように上へ被かぶさった山の端を潜って、奥在所へさながら谷のように深く入る――俗に三方、また信仰の道に因ちなんで三宝ヶ辻と呼ぶ場所である。
――衝つき進むエンジンの音に鳴なき留やんだけれども、真上に突つき出でた山の端はに、ふアッふアッと、山やま臥ぶしがうつむけに息を吹ふき掛かけるような梟ふくろうの声を聞くと、女おん連なれんは真暗な奥在所へ入るのを可い厭やがった。元来宿を出る時この二人は温泉街の夜店飾りの濡ぬれ灯びい色ろと、一寸野道で途絶えても殆ど町続きに斉ひとしい停車場あたりの靄もやの燈を望んだのを、番傘を敲たたかぬばかり糸七が反対に、もの寂しいいろはの碑を、辿ったのであったから。
それでは、もう一方奥へ入ってからその土橋に向うとすると、余程の畷を抜けなければ、車を返す足場がない。
三宝ヶ辻で下りたのである。
﹁あら、こんな処で。﹂
﹁番傘の情人に逢わせるんだよ。﹂
﹁情人ッて? 番傘の。﹂
﹁蛙だよ、いい声で一面に鳴いてるじゃあないか。﹂
﹁まあ、風流。﹂
さ、さ、その風流と言われるのが可い厭やさに、番傘を道具に使った。第一、雨の中に、立った形は、うしろの山際に柳はないが、小野道風何とか硯すずりを悪く趣向にしたちんどん屋の稽古をすると思われては、いいようは些ちとぞんざいだが……ごめんを被こうむって……癪しゃくに障さわる。
糸七は小こど児ものうちから、妙に、見ることも、聞くことも、ぞっこん蛙といえば好きなのである。小学最初級の友だちの、――現今は貴族院議員なり人の知った商豪だが――邸やしきが侍町にあって、背せ戸どの蓮池で飯粒で蛙を釣る、釣れるとも、目をぱちぱちとやって、腹をぶくぶくと膨ふくらます、と云うのを聞くと、氏神の境内まで飛ばないと、蜻とん蛉ぼさえ易たやすくは見られない、雪国の城下でもせせこましい町家に育ったものは、瑠る璃りの丁め斑だ魚か、珊瑚の鯉、五ごし色きの鮒ふなが泳ぐとも聞かないのに、池を蓬ほう莱らいの嶋に望んで、青蛙を釣る友だちは、宝貝のかくれ蓑を着て、白しろ銀がねの糸を操るかと思った。
学問半端にして、親がなくなって、東京から一度田舎へ返って、朝夕のたつきにも途方に暮れた事がある。
﹁ああ、よく鳴いてるなあ。﹂――
城下優しい大川の土手の……松に添う片かた側かわ町まちの裏へ入ると廃敗した潰れ屋のあとが町中に、棄すて苗なえの水みず田たになった、その田の名には称となえないが、其処をこだまの小路という、小玉というのの家跡か、白昼も寂し然んとしていて訝こだまをするか、濁って呼ぶから女の名ではあるまいが、おなじ名のきれいな、あわれな婦おんながここで自殺をしたと伝えて、のちのちの今も尚なお、その手提灯が闇夜に往来をするといった、螢がまた、ここに不思議に夥おび多ただしい。
が、提灯の風説に消されて見る人の影も映さぬ。勿論、蛙なぞ聞きに出掛けるものはない。……世の暗さは五さつ月きや闇みさながらで、腹のすいた少年の身にして夜の灯でも繁華な巷は目がくらんで痩やせ脛はぎも捩ねじれるから、こんな処を便たよっては立樹に凭もたれて、固もとからの耕地でない証あかしには破やれ垣がきのまばらに残った水みず田たを熟じっと闇夜に透かすと、鳴くわ、鳴くわ、好きな蛙どもが装上って浮かれて唱う、そこには見えぬ花菖蒲、杜かき若つばた、河こう骨ほねも卯の花も誘われて来て踊りそうである。
此処だ。
﹁よく、鳴いてるなあ。﹂
世にある人でも、歌人でも、ここまでは変りはあるまい、が、情ない事には、すぐあとへ、
﹁ああ、嘸さぞお腹がいいだろう。﹂
――さだめしお飯まんまをふんだんに食ったろう―ても情ない事をいう―と、喜多八がさもしがる。……三嶋の宿で護ご摩まの灰に胴巻を抜かれたあとの、あわれはここに弥次郎兵衛、のまず、くわずのまず、竹杖にひょろひょろと海道を辿りながら、飛脚が威勢よく飛ぶのを見て、その満腹を羨うらやんだのと思いは斉ひとしい。……又膝栗毛で下げ司すばる、と思おぼ召しめしも恥かしいが、こんな場合には絵言葉巻まきものや、哲理、科学の横よこ綴とじでは間に合わない。
生芋の欠かけ片らさえ芋屋の小お母ばさんが無代では見向きもしない時は、人間よりはまだ気の知れない化ばけものの方に幾分か憑ひょ頼うらいがある、姑う獲ぶ女めを知らずや、嬰あか児んぼを抱かされても力餅が慾しいのだし、ひだるさにのめりそうでも、金きん平ぴら式の武勇伝で、剣術は心得たから、糸七は、其処に小提灯の幽霊の怖れはなかった。
奇異ともいおう、一ちょ寸っと微妙なまわり合わせがある。これは、ざっと十年も後の事で、糸七もいくらか稼げる、東京で些いささかながら業を得た家業だから雑誌お誂あつらえの随筆のようで、一度話した覚えがある。やや年下だけれど心置かれぬ友だちに、――よ原うから、本名俳名も――谷たに活かっ東とうというのが居た。
作意で略ほぼその人となりも知れよう、うまれは向むこ嶋うじ小まこ梅うめ業なり平ひら橋ばし辺の家いえ持もちの若旦那が、心がらとて俳三昧に落おち魄ぶれて、牛込山吹町の割長屋、薄暗く戸を鎖とざし、夜なか洋燈をつける処どころか、身から体だにも油を切らしていた。
昔からこうした男には得てつきものの恋がある。最も恋をするだけなら誰がしようと御随意で何処からも槍は出ない。許いい嫁なずけの打ぶっ壊こわれだとか、三社様の祭礼に見初めたとかいう娘が、柳橋で芸げい妓しゃをしていた。
さて、その色にも活かっ計けいにも、寐ねお起きにも夜昼の区別のない、迷めい晦かい朦もう朧ろうとして黄昏男と言われても、江えど戸ッ児こだ、大たい気きなもので、手ぶらで柳橋の館――いや館は上方――何とか家やへ推参する。その芸しゃの名を小玉といった。
借りたか、攫とったか未だ審つまびらかならずであるが、本望だというのに、絹糸のような春雨でも、襦じゅ袢ばんもなしに素すあ袷わせの膚はだ薄うすな、と畜生め、何でもといって貸してくれた、と番傘に柳ばしと筆ぶとに打つけたのを、友だち中へ見せびらかすのが晴曇りにかかわらない。況いわんや待望の雨となると、長屋近間の茗みょ荷うが畠ばたけや、水車なんぞでは気分が出ないとまだ古むかしのままだった番町へのして清しみ水ずだ谷にへ入り擬ぎ宝ぼ珠しのついた弁慶橋で、一振柳を胸にたぐって、ギクリとなって……ああ、逢いたい。顔が見たい。
こたまだ、こたまだ
こたまだ……
こたまだ……
その辺の蛙の声が、皆こたまだ、こたまだ、と鳴くというのである。
唯、糸七の遠い雪国のその小提灯の幽霊のう場所が小玉小路、断然話によそえて拵えたのではない、とすると、蛙に因ちなんで顕著なる奇遇である。かたり草、言ことの花は、蝶、鳥の翼、嘴くちばしには限らない、その種子は、地を飛び、空をめぐって、いつその実を結ぼうも知れないのである、――これなども、道芝、仇花の露にも過ぎない、実を結ぶまではなくても、幽かすかな葉を装い儚はかない色を彩っている、ただしそれにさえ少からぬ時を経た。
明けていうと、活東のその柳橋の番傘を随筆に撰んだ時は、――それ以前、糸七が小玉小路で蛙の声を聞いてから、ものの三十年あまりを経ていたが、胸の何どこ処かに潜み、心の何処にかくれたか、翼なく嘴なく、色なく影なき話の種子は、小机からも、硯からも、その形を顕あらわさなかった、まるで消えたように忘れていた。
それを、その折から尚なお十四五年ののち、修禅寺の奥の院路みち三宝ヶ辻に彳たたずんで、蛙を聞きながら、ふと思おも出いだした次第なのである。
悠久なるかな、人心の小さき花。
ああ、悠久なる……
そんな事をいったって、わかるような女おん連なれんではない。
﹁――一つこの傘を廻わして見ようか。﹂
糸七は雨のなかで、――柳橋を粗ざっと話したのである。
﹁今いった活東が弁慶橋でやったように。﹂
﹁およしなさい、沢山。﹂
と女房が声ばかりでたしなめた。田の縁に並んだが中に娘分が居ると、もうその顔が見えないほど暗かった。
﹁でも、妙ね、そういえば……何ですって、蛙の声が、その方には、こがれる女の小玉だ、小玉だと聞こえたんですって、こたまだ。あら、真ほん個とうだ、串じょ戯うだんじゃないわ、叔母さん、こたまだ、こたまだッて鳴いてるわね、中でも大きな声なのねえ、叔母さん。﹂
﹁まったくさ、私もおかしいと思っているほどなんだよ、気の所せ為いだわね、……気の所為といえば、新ちゃんどう、あの一斉に鳴く声が、活東さんといやしない?……
かっと、かっと、
かっと、……
かっと、……
それ、揃って、皆して……﹂
﹁むむ、聞こえる、――かっと、かっと――か、そういえば。――成程これはおもしろい。﹂
女房のいうことなぞは滅多に応といった事のない奴が、これでは済むまい、蛙の声を小玉小路で羨んだ、その昔の空腹を忘却して、図に乗のり気ぎ味みに、田の縁へ、ぐっと踞しゃがんで聞きき込こむ気で、いきなり腰を落しかけると、うしろ斜めに肩を並べて廂ひさしの端を借りていた運転手の帽子を傘で敲たたいて驚いたのである。
﹁ああ、これはどうも。﹂
その癖くせ、はじめは運転手が、……道案内の任がある、且かつは婦おん連なれんのために頭に近い梟の魔まよ除けの為に、降るのに故わざと台から出て、自動車に引添って頭から黒扮装の細身に腕を組んだ、一ちょ寸っと探偵小説のやみじあいの挿絵に似た形で屹きっとして彳たたずんでいたものを、暗夜の畷なわての寂しさに、女連が世辞を言って、身近におびき寄せたものであった。
﹁ごめんなさい、熊沢さん。﹂
こんな時の、名も頼もしい運転手に娘分の方が――そのかわり糸七のために詫わびをいって、
﹁ね、小玉だ、小玉だ、……かっと、かっと……叔母さんのいうように聞こえるわね。﹂
﹁蛙なかまも、いずれ、さかり時の色事でございましょう、よく鳴きますな、調子に乗って、波を立てて鳴きますな、星が降ると言いますが、あの声をたたく雨は花はな片びらの音がします。﹂
月があると、昼間見た、畝うねに咲いた牡丹の影が、ここへ重かさなって映るであろう。
﹁旦那。﹂
﹁………﹂
妙に改った声で、
﹁提灯が来ますな――むこうから提灯ですね。﹂
﹁人通りがあるね。﹂
﹁今時分、やっぱり在ざい方かたの人でしょうね。﹂
娘分のいうのに、女房は黙って見た。
温泉の町入口はずれと言ってもよかろう、もう、あの釣橋よりも此方へ、土を二三尺離れて一つ灯ともれて来るのであるが、女連ばかりとは言うまい、糸七にしても、これは、はじめ心着いたのが土地のもので様子の分った運転手で先まず可よかった、そうでないと、いきなり目の前へ梟の腹で鬼火が燃えたように怯おびえたかも知れない。……見えるその提灯が、むくむくと灯ともれ据すわって、いびつに大おおきい。……軒へ立てる高たか張はりは御存じの事と思う、やがてそのくらいだけれども、夜の畷なわてのこんな時に、唯ばかりでは言い足りない。たとえば、翳かざしている雨の番傘をばさりと半分に切って、ややふくらみを継つぎ足たしたと思えばいい。
樹蔭の加減か、雲が低いか、水すい濛もうが深いのか、持っているものの影さえなくて、その提灯ばかり。
つらつらつらつらと、動くのに濡ぬれ色いろが薄油に、ほの白く艶つやを取って、降りそそぐ雨を露に散らして、細いしぶきを立てると、その飛ぶ露の光るような片輪にもう一つ宙にふうわりと仄ほのあかりの輪を大きく提灯の形に巻いて、かつそのずぶ濡の色を一息に熟じっと撓たわめながら、風も添わずに寄って来る。
姿が華きゃ奢しゃだと、女一人くらいは影法師にして倒さかさに吸込みそうな提灯の大おおきさだから、一ちょ寸っと皆声を※の﹇#﹁口+恭﹂の﹁共﹂に代えて﹁俣のつくり−口﹂、U+35AD、378-12﹈んだ。
﹁田の水が茫ぼうと映ります、あの明あかりだと、縞だの斑だの、赤いのも居ますか、蛙の形が顕あらわれて見えましょうな。﹂
運転手がいうほど間近になった。同時に自動車が寐ている大おおきな牛のように、その灯影を遮ったと思うと、スッと提灯が縮まって普通の手提に小さくなった。汽車が、その真似をする古狸を、線路で轢ひき殺ころしたという話が僻地にはいくらもある。文化が妖怪を減ずるのである。が、すなおに思えば、何かの都合で図抜けに大きく見えた持手が、吃びっ驚くりした拍子にもとの姿を顕わしたのであろう。
﹁南無、観世音……﹂
打念じたる、これを聞かれよ。……村方の人らしい、鳴きながらの蛙よりは、泥すっ鼈ぽんを抱いていそうな、雫しずくの垂る、雨蓑を深く着た、蓑だといって、すぐに笠とは限らない、古帽子だか手拭だか煤けですっぱりと頭を包んだから目鼻も分らず、雨脚は濁らぬが古ぼけた形で一濡れになって顕あらわれたのが、――道巾は狭い、身近な女二人に擦違おうとして、ぎょッとしたように退すさると立直って提灯を持もち直なおした。
音を潜めたように、跫あし音おとを立てずに山際についてそのまま行ゆき過すぎるのかと思うと、ひったりと寄って、運転手の肩越しに糸七の横顔へ提灯を突つき出だした。
蛙かと思う目が二つ、くるッと映った。
すぐに、もとへ返して、今度は向う廻りに、娘分の顔へ提灯を上げた。
その時である、菩薩の名を唱えたのは――
﹁南無観世音。﹂
続けて又唱えた。
﹁南無観世音……﹂
この耳近な声に、娘分は湯上りに化粧した頸くびを垂れ、前髪でうつむいた、その白おし粉ろいの香の雨に伝う白い顔に、一ひと条すじほんのりと紅を薄くさしたのは、近々と蓑の手の寄せた提灯の――模様かと見た――朱の映ったのである、……あとで聞くと、朱で、かなだ、﹁こんばんは﹂と記したのであった。
このまざまざと口を聞くが、声のない挨拶には誰も口へ出して会釈を返す機を得なかったが、菩薩の称号に、その娘分に続いて、糸七の女房も掌を合わせた。
﹁南無観世音……﹂
また繰返しながら、蓑の下の提灯は、洞ほらの口へ吸わるる如く、奥在所の口を見るうちに深く入って、肩から裙すそへすぼまって、消えた。
﹁まるで嘲あざ笑わらうようでしたな、帰りがけに、またあの梟めが、まだ鳴いています――爺い……老爺らしゅうございましたぜ。……爺も驚きましたろう、何しろ思いがけない雨のやみに第一ご婦人です……気味の悪さに爺もお慈悲を願ったでしょうが、観音様のお庇かげで、此方が助かりました、……一息冷汗になりました。﹂
するすると車は早い。
﹁観音様は――男ですか、女でいらっしゃるんでございますか。﹂
響ひびきの応ずる如く、
﹁何とも言えない、うつくしい女のお姿ですわ。﹂
と、浅せん草そう寺じの月々のお茶湯日を、やがて満願に近く、三年の間一度も欠かさない姪がいった。
﹁まったく、そうなんでございますか、旦那。﹂
﹁それは、その、何だね……﹂
いい塩あん梅ばいに、車は、雨もふりやんだ、青葉の陰の濡色の柱の薄うっすり青い、つつじのあかるい旅館の玄関へ入ったのである。
出迎えて口々にお皈かえんなさいましをいうのに答えて、糸七が、
﹁唯ただ今いま、夜よあ遊そびの番傘が皈もどりました――熊沢さん、今のはだね、修禅寺の然るべき坊さんに聞きたまえ。﹂
天狗の火、魔の燈――いや、雨の夜の畷なわてで不思議な大きな提灯を視みたからと言って敢あえて図に乗って、妖怪を語ろうとするのではない、却かえって、偶然の或ある場合にはそれが普通の影象らしい事を知って、糸七は一ひと先まず読どくしゃとともに安心をしたいと思うのである。
学問、といっては些ちと堅かた過すぎよう、勉強はすべきもの、本は読むべきもので、後日、紀州に棲すまるる著名の碩せき学がく、南みな方かた熊くま楠ぐす氏の随筆を見ると、その龍燈に就ついて、と云う一章の中に、おなじ紀州田辺の糸いと川かわ恒こう太だゆ夫うという老人、中年まで毎度野諸村を行商した、秋の末らしい……一夜、新鹿村の湊みなとに宿る、この湊の川上に浅谷と称たとうるのがある、それと並んで二木嶋、片村、曾根と谿谷が続く二谷の間を、古来天狗道と呼んで少からず人の懼おそるる処である。時に糸川老人の宿った夜は恰あたかも樹木挫ひし折おれ、屋根廂ひさしの摧くだ飛けとばんとする大風雨であった、宿の主とても老夫婦で、客とともに揺れ撓む柱を抱き、僅わずかに板形の残った天井下の三畳ばかりに立たて籠こもった、と聞くさえ、……わけて熊野の僻村らしい…その佗しさが思おも遣いやられる。唯、ここに同郡羽鳥に住む老人の一人の甥、茶の木原に住む、その従弟を誘い、素裸に腹帯を緊しめて、途中川二つ渡って、伯父夫婦を見舞に来た、宿に着いたのは真夜中二時だ、と聞くさえ、その胆たん勇ゆう殆ほとんど人間の類でない、が、暴ぼう風ふう強きょ雨うう如にょ法ほうの大だい闇あん黒こく中ちゅう、かの二谷を呑んだ峯の上を、見るも大なる炬きょ火か廿にじゅうばかり、烈々として連つらなり行くを仰いで、おなじ大暴風雨に処する村人の一行と知りながら、かかればこそ、天狗道の称が起ったのであると悟って話したという、が、或あるいは云う処のネルモの火か。
なお当の南方氏である、先年西牟む婁ろ郡安都ヶ峯下より坂ばん泰たいの巓みねを踰こえ日高丹生川にて時を過ごしすぎられたのを、案じて安堵の山小屋より深しん切せつに多人数で捜しに来た、人数の中に提灯唯一つ灯したのが同氏の目には、ふと炬火数十束一度に併せ燃したほどに大きく見えた、と記されている。しかも嬉しい事には、談話に続けて、続膝栗毛善光寺道中に、落合峠のくらやみに、例の弥次郎兵衛、北八が、つれの猟夫の舌を縮めた天狗の話を、何だ鼻高、さあ出て見ろ、その鼻を引ひきいで小鳥の餌を磨すってやろう、というを待たず、猟夫の落した火縄忽たちまち大木の梢に飛とび上あがり、たった今まで吸殻ほどの火だったのが、またたくうちに松たい明まつの大おおきさとなって、枝も木の葉もざわざわと鳴って燃上ったので、頭も足も猟師もろとも一縮み、生命ばかりはお助け、と心底から涙……が可お笑かしい、面とち屋めんやと喜き多た利り屋やと、這しゃ個こ二人の呑気ものが、一代のうちに唯一度であろうと思う……涙を流しつつ鼻高様に恐おそ入れいった、というのが、いまの南方氏の随筆に引いてある。
夜の燈火は、場所により、時とすると不思議の象しょうを現わす事があるらしい。
幸に運転手が猟師でなかった、婦おんなたちが真先に梟の鳴声に恐れた殊勝さだったから、大きな提灯が無事に通った。
が、例を引き、因を説き蒙もうを啓ひらく、大人の見識を表わすのには、南方氏の説話を聴聞することが少しばかり後おくれたのである。
実は、怪を語れば怪至る、風説をすれば影がさす――先哲の識語に鑒かんがみて、温泉宿には薄暗い長廊下が続く処、人の居ない百畳敷などがあるから、逗留中、取り出ては大提灯の怪を繰返して言出さなかったし、東京に皈かえればパッと皆消える……日記を出して話した処で、鉛筆の削屑ほども人が気に留めそうな事でない、婦おんなたちも、そんな事より釜の底の火移りで翌日のお天気を占う方が忙しいから、ただそのままになって過ぎた。
翌年――それは秋の末である。糸七は同じ場所――三宝ヶ辻の夜目に同じ処におなじ提灯の顕あらわれたのを視みた。――
……そうは言っても第一季節は違う、蛙の鳴く頃ではなし、それにその時は女房ばかりが同伴の、それも宿に留守して、夜よあ歩る行きをしたのは糸七一人だったのである。
夕ゆう餉げが少し晩おそくなって済んだ、女房は一風呂入ろうと云う、糸七は寐る前にと、その間をふらりと宿を出売、奥の院の道へ向ったが、
﹁まず、御一名――今晩は。﹂
と道しるべの石碑に挨拶をする、微ほろ酔よいのいい機嫌……機嫌のいいのは、まだ一つ、上等の巻まき莨たばこに火を点けた、勿論自費購求の品ではない、大連に居る友達が土産にくれたのが、素敵な薫りで一人その香を聞くのが惜おしい、燐マッ寸チの燃えさしは路傍の小こな流がれに落したが、さらさらと行く水の中へ、ツと音がして消えるのが耳についたほど四辺は静しずかで。……あの釣橋、その三宝ヶ辻――一昨夜、例の提灯の暗くなって隠れた山入の村を、とふとしたが、今夜は素もとより降ってはいない、がさあ、幾日ぐらいの月だろうか、薄曇りに唯茫ぼうとして、暗くはないが月は見えない、星一つ影もささなかった、風も吹かぬ。
煙草の薫が来たあとへも、ほんのりと残りそうで、袖にも匂う……たまさかに吸ってふッと吹くのが、すらすらと向うへ靡なびくのに乗って、畷なわたのほの白いのを蹈ふむともなしに、うかうかと前途なるその板橋を渡った。
ここで見た景色を忘れない、苅あとの稲田は二三尺、濃い霧に包まれて、見渡すかぎり、一面の朧おぼろの中に薄煙を敷いた道が、ゆるく、長く波形になって遥はる々ばると何処までともなく奥の院の雲の果まで、遠く近く、一むらの樹こだ立ちに絶えては続く。
その路筋を田の畔あ畷ぜの左右に、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つと順々に数えるとふわりと霧に包まれて、ぼうと末うら消えたのが浮いて出たようにまた一つ二つ三つ四つ五つ、稲塚――その稲塚が、ひょいひょいと、いや、実のあとといえば気は軽いけれども、夜気に沈んだ薄墨の石燈籠の大きな蓋のように何処までも行儀よく並んだのが、中絶えがしつつ、雲の底に姿の見えない、月にかけた果知れぬ八ツ橋の状さまに視ながめられた。
四辺は、ものの、ただ霧の朧おぼろである。
糸七は、そうした橋を渡った処に、うっかり恍うっ惚とりと彳たたずんだが、裙すそに近く流の音が沈んで聞こえる、その沈んだのが下から足を浮かすようで、余り静かなのが心細くなった。
あの稲塚がむくむくと動き出しはしないか、一つ一つ大きな笠を被かぶった狸になって、やがては誘い合い、頷うなずきかわし、寄合って手を繋ぎ、振向いて見返るのもあって、けたけたと笑わら出いだしたらどうだろう。……それはまだ与くみし易い。宿縁に因よって仏法を信じ、霊地を巡拝すると聞く、あの海いる豚かの一群が野山の霧を泳いで順々に朦朧と列を整えて、ふかりふかりと浮いつ沈んつ音なく頭を進めるのに似て、稲塚の藁の形は一つ一つその頂いた幻の大おおきな笠の趣がある。……
いや、串じょ戯うだんではない、が、ふと、そんな事を思ったのも、余り夜ただ一色の底を、静しずかに揺って動く流の音に漾ただよわされて、心もうわの空になったのであろう……と。
何も体裁を言うには当らない、ぶちまけて言えば、馬鹿な、糸七は……狐こ狸りとは言うまい――あたりを海洋に変えた霧に魅みこまれそうになったのであろう、そうらしい……
で幽谷の蘭の如く、一人で聞いていた、巻まき莨たばこを、其処から引返しざまに流に棄てると、真紅な莟つぼみが消えるように、水までは届かず霧に吸われたのを確しかと見た。が、すぐに踏掛けた橋の土はふわふわと柔かな気がした。
それからである。
かかる折しも三宝ヶ辻で、また提灯に出会った。
もとの三宝ヶ辻まで引返すと、ちょうどいつかの時と殆ほとんど同じ処、その温泉の町から折曲一つ折れて奥の院参道へあらたまる釣橋の袂へ提灯がふうわりと灯も仄ほの白じろんで顕われた。
糸七は立たち停どまった。
忽然として、仁王が鷲掴みにするほど大きな提灯になろうも知れない。夜気は――夜気は略ほぼ似て居るが、いま雨は降らない、けれども灯の角度が殆ど同じだから、当座仕込の南みな方かた学がくに教えられた処によれば、この場合、偶然エルモの火を心して見る事が出来ようと思ったのである。
――違う、提灯が動かない霧に据すわったままの趣ながら、静しずかにやや此方へ近づいたと思うと、もう違うも違いすぎた――そんな、古蓑で頬ほっ被かむりをした親爺には似てもつかぬ。髪の艶つや々つやと黒いのと、色のうつくしく白い顔が、丈たけだちすらりとして、ほんのり見える。
婦人が、いま時分、唯一人。
およそ、積っても知れるが、前刻、旅館を出てから今になるまで、糸七は人影にも逢わなかった。成程、くらやみの底を抜けば村の地へ足は着こう。が、一里あまり奥の院まで、曠野の杜を飛とび々とびに心覚えの家数は六七軒と数えて十とおに足りない、この心細い渺びょ漠うばくたる霧の中を何処へ吸われて行くのであろう。里馴れたものといえば、ただ遥はる々ばると畷なわてを奥下りに連った稲塚の数ばかりであるのに。――しかも村里の女性の風情では断じてない。
霧は濡ぬれ色いろの紗しゃを掛けた、それを透いて、却かえって柳の薄い朧に、霞んだ藍か、いや、淡い紫を掛けたような衣の彩織で、しっとりともう一枚羽織はおなじようで、それよりも濃く黒いように見えた。
時に、例の提灯である、それが膝のあたりだから、褄つまは消えた、そして、胸の帯が、空近くして猶なお且かつ雲の底に隠れた月影が、其処にばかり映るように艶を消しながら白く光った。
唯、ここで言うのは、言うのさえ、余り町じみるが、あの背しょ負いあ揚げとか言うものの、灯の加減で映るのだろうか、ちらちらと……いや、霧が凝ったから、花はな片びら、緋の葉、そうは散らない、すッすッと細く、毛けび引きの雁かり金がねを紅で描いたように提灯に映るのが、透すき通とおるばかり美しい。
﹁今晩は。﹂
この静寂さ、いきなり声をかけて行ゆき違ちがったら、耳元で雷……は威いがありすぎる、それこそ梟が法ほ螺らを吹くほどに淑女を驚かそう、黙ってぬっと出たら、狸が泳ぐと思われよう。
ここは動かないでいるに限る。
第一、あの提灯の小山のように明るくなるのを、熟じっとして待つ筈だ。
糸七は、嘗かつて熱海にも両三度入湯した事があって、同地に知己の按摩がある。療治が達しゃで、すこし目が見える、夜話が実に巧い、職がらで夜よ戸と出でが多い、そのいろいろな話であるが、先まず水口園の前の野原の真中で夜なかであった、茫々とした草の中から、足もとへ、むくむくと牛の突つっ立たつように起上った大おお漢おと子こが、いきなり鼻の先へ大きな握にぎ拳りこぶしを突つき出だした、﹁マッチねえか。﹂﹁身ぐるみ脱ぎます――あなたの前でございますが。……何、この界隈トンネル工事の労働しゃが、酔払って寐ころがっていた奴なんで。しかし、その時は自分でも身に覚えて、がたがたぶるぶると震えてましてな、へい。﹂まだある、新温泉の別荘へ療治に行った皈かえりがけ、それが、真夜中、時刻もちょうど丑うし満みつであった、来きの宮みや神社へ上り口、新温泉は神社の裏山に開けたから、皈り途みちの按摩さんには下口になる、隧ずい道どうの中で、今時、何と、丑うしの時とき参まい詣りにまざまざと出会った。黒髪を長く肩を分けて蓬おどろに捌さばいた、青白い、細ほそ面おもての婦おんなが、白装束といっても、浴衣らしい、寒の中に唯一枚、糸枠に立てると聞いた蝋燭を、裸火で、それを左に灯して、右手に提げたのは鉄てっ槌ついに違いない。さて、藁人形と思うのは白布で、小箱を包んだのを乳の下鳩みず尾おちへ首から釣つるした、頬へ乱れた捌さば髪きがみが、その白色を蛇のように這ったのが、あるくにつれて、ぬらぬら動くのが蝋燭の灯の揺れるのに映ると思うと、その毛筋へぽたぽたと血の滴るように見えたのは、約束の口に啣くわえた、その耳まで裂けるという梳すき櫛ぐしのしかもそれが燃えるような朱塗であった。いや、その姿が真の闇くら暗やみの隧道の天井を貫くばかり、行ゆき違ちがった時、すっくりと大きくなって、目前を通る、白い跣はだ足しが宿の池にありましょう、小さな船。あれへ、霜が降ったように見えた、﹁私は腰を抜かして、のめったのです。あの釘を打込む時は、杉だか、樟くすだか、その樹の梢へその青白い大きな顔が乗りましょう。﹂というのである。
――まだある、秋の末で、その夜は網あじ代ろの郷ごうの旧大荘屋の内へ療治を頼まれた。旗桜の名所のある山越の捷しょは、今は茅ちが萱やに埋もれて、人の往来は殆どない、伊東通い新道の、あの海岸を辿って皈った、その時も夜よふ更けであった。
やがて二時か。
もう、網代の大荘屋を出た時から、途中松風と浪ばかり、路みちに落ちた緋あかい木の葉も動かない、月は皎こう々こう昭しょ々うしょうとして、磯際の巌も一つ一つ紫水晶のように見えて山際の雑ぞう樹きが青い、穿はいた下駄の古鼻緒も霜を置くかと白く冴えた。
……牡丹は持たねど越後の獅子は……いや、そうではない、嗜たしなみがあったら、何とか石しゃ橋っきょうでも口くち誦ずさんだであろう、途中、目の下に細く白浪の糸を乱して崖に添って橋を架けた処がある、その崖には滝が掛かかって橋の下は淵になった所がある、熱海から網代へ通る海岸の此処は言わば絶所である。按摩さんがちょうどその橋を渡りかかると、浦うら添ぞえを曲る山の根に突つき出でた巌いわ膚はだに響いて、カラカラコロコロと、冴えた駒下駄の音が聞こえて、ふと此方の足の淀む間に、その音が流れるように、もう近い、勘でも知れる、確たしかに若い婦おんなだと思うと悚ぞ然っとした。
寐ねど鳥りの羽音一つしない、かかる真夜中に若い婦おんなが。按摩さんには、それ、嘗かつて丑の時詣のもの凄い経験がある、そうではなくても、いずれ一生懸命の婦おんなにも突つき詰つめた絶壁の場合だと思うと、忽たちまち颯さっと殺気を浴びて、あとへも前さきへも足が縮んだ、右へのめれば海へ転がる、左へ転べば淵へ落ちる。杖を両手に犇ひしと掴んで根を極きめ、がッしりと腰を据え、欄干のない橋際を前へ九分ばかり譲って、其処をお通り下さりませ、で、一分だけわがものに背筋へ滝の音を浴びて踞しゃがんで、うつくしい魔の通るのを堪こらえて待ったそうである。それがまた長い間なのでございますよ、あなたの前でございますが。カラン、コロンが直じき其処にきこえたと思いましたのが、実はその何とも寂し然んとした月夜なので、遠くから響いたので、御本体は遥はるかに遠い、お渡りに手間が取れます、寒さは寒し、さあ、そうなりますと、がっがっごうごうという滝の音ともろともに、ぶるぶるがたがたと、ふるえがとまらなかったのでございますが、話のようで、飛んでもない、何、あなた、ここに月つき明あかりに一人、橋に噛りついた男が居るのに、そのカラコロの調子一つ乱さないで、やがて澄すまして通とお過りすぎますのを、さあ、鬼か、魔か、と事も大層に聞こえましょうけれども、まったく、そんな気がいたしましてな、千せん鈞きんの重さで、すくんだ頸く首びへ獅し噛がみついて離れようとしません、世間様へお附合ばかり少々櫛目を入れましたこの素すあ頭たまを捻ねじ向むけて見ました処が、何と拍子ぬけにも何にも、銀いち杏ょう返がえしの中背の若い婦で……娘でございますよ、妙齢の――姉さん、姉さん――私は此方が肝を冷しましただけ、余りに対あい手ての澄して行くのに、口惜くなって、――今時分一人で何処へ行きなさる、――いいえ、あの、網代へ皈かえるんでございますと言います、農家の娘で、野良仕事の手伝を済ました晩過ぎてから、裁縫のお稽古に熱海まで通うんだとまた申します、痩せた按摩だが、大の男だ、それがさ、活きた心地はなかった、というのに、お前さん、いい度胸だ、よく可こ怖わくないね、といいますとな、おっかさんに聞きました、簪かんざしを逆手に取れば、婦は何にも可こ恐わくはないと、いたずらをする奴の目の球を狙うんだって、キラリと、それ、ああ、危い、この上目を狙われて堪たまるもんでございますか、もう片手に抜いて持っていたでございますよ、串じょ戯うだんじゃありません、裁縫がえりの網代の娘と分っても、そのうつくしい顔といい容よう子すといい、月夜の真夜中、折からと申し……といって揉み分けながらその聞きき手ての糸七の背筋へ頭を下げた。観音様のお腰元か、弁天様のお使姫、当の娘の裁縫というのによれば、そのまま天あま降くだった織姫のよう思われてならない、というのである。
こうしたどの話、いずれの場合にも、あってしかるべき、冒険の功名と、武勇の勝利がともなわない、熱海のこの按摩さんは一種の人格しゃと言ってもいい、学んでしかるべしだ。
――処ところで、いま、修禅寺奥の院道の三宝ヶ辻に於ける糸七の場合である。
夜の霧なかに、ほのかな提灯の灯とともに近づくおぼろにうつくしい婦おんなの姿に対した。
糸七はそのまま人格しゃの例に習った、が、按摩でないだけに、姿勢は渠かれと反対に道を前にして洋ステ杖ッキを膝に取った、突つき出だしては通る人の裳もすそを妨げそうだから。で、道端へ踞しゃがんだのである。
がさがさと、踞しゃ込がみこむ、その背筋へ触るのが、苅かり残のこしの小さな茄子畠で……そういえば、いつか番傘で蛙を聞いた時ここに畝うね近く蚕そら豆まめの植っていたと思う……もう提灯が前を行く……その灯とともに、枯茎に残った渋い紫の小さな茄子が、眉をたたき耳を打つ礫つぶての如く目を遮るとばかりの隙ひまに、婦の姿は通とお過りすぎた。
や、一人でない、銀いち杏ょう返がえしの中背なのが、添そい並ならんでと見送ったのは、按摩さんの話にくッつけた幻覚で、無論唯一人、中背などというよりは、すっとすらりと背が高い、そして、気高く、姿に威がある。
その姿が山やま入いりの真暗な村へは向かず、道の折めを、やや袖ななめに奥の院へ通う橋の方へ、あの、道下り奥入りに、揃えて順々に行方も遥かに心細く思われた、稲塚の数も段々に遠い処へ向ったのである。
釣橋の方からはじめは左の袖だった提灯が、そうだ、その時ちらりと見た、糸七の前を通る前後を知らぬ間に持もち替かえたらしい、いまその袂に灯ともれる。
その今も消えないで、反かえって、色の明くなった、ちらちらと映る小さな紅は、羽をつないで、二つつづいた赤あか蜻とん蛉ぼで、形が浮くようで、沈んだようで、ありのままの赤蜻蛉か、提灯に描いた画か、見る目には定まらないが、態すがたは鮮明に、その羽摺れに霧がほぐれるように、尾花の白い穂が靡なびいて、幽かすかな音の伝うばかり、二つの紅い条すじが道芝の露に濡れつつ、薄い桃色に見えて行く。