一
愉おも快しろいな、愉快いな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくっても可いいや、笠かさを着て、蓑みのを着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡って行ゆくのは猪いのししだ。
菅すげ笠がさを目まぶ深かに被かぶって、※しぶき﹇#﹁さんずい+散﹂、138-4﹈に濡れまいと思って向むか風いかぜに俯うつ向むいてるから顔も見えない、着ている蓑の裙すそが引ひき摺ずって長いから、脚も見えないで歩あ行るいて行ゆく、脊の高さは五尺ばかりあろうかな、猪、としては大おおきなものよ、大方猪ン中の王様があんな三角形なりの冠を被きて、市まちへ出て来て、そして、私の母おっ様かさんの橋の上を通るのであろう。
トこう思って見ていると愉おも快しろい、愉快い、愉快い。
寒い日の朝、雨の降ってる時、私の小さな時分、何いつ日かでしたっけ、窓から顔を出して見ていました。
﹁母おっ様かさん、愉おも快しろいものが歩あ行るいて行ゆくよ。﹂
その時母様は私の手袋を拵こしらえていて下すって、
﹁そうかい、何が通りました。﹂
﹁あのウ猪。﹂
﹁そう。﹂といって笑っていらっしゃる。
﹁ありゃ猪だねえ、猪の王様だねえ。
母おっ様かさん。だって、大おおきいんだもの、そして三角形なりの冠を被ていました。そうだけれども、王様だけれども、雨が降るからねえ、びしょぬれになって、可かわ哀いそ相うだったよ。﹂
母様は顔をあげて、こっちをお向きで、
﹁吹込みますから、お前もこっちへおいで、そんなにしていると、衣きも服のが濡れますよ。﹂
﹁戸を閉めよう、母様、ね、ここん処とこの。﹂
﹁いいえ、そうしてあけておかないと、お客様が通っても橋銭を置いて行ってくれません。ずるいからね、引ひっ籠こもって誰も見ていないと、そそくさ通抜けてしまいますもの。﹂
私はその時分は何にも知らないでいたけれども、母おっ様かさんと二人ぐらしは、この橋銭で立って行ったので、一ひと人り前いくらかずつ取って渡しました。
橋のあったのは、市まちを少し離れた処で、堤ど防てに松の木が並んで植うわっていて、橋の袂たもとに榎えのきが一本、時しぐ雨れえ榎のきとかいうのであった。
この榎の下に、箱のような、小さな、番小屋を建てて、そこに母様と二人で住んでいたので、橋は粗造な、まるで、間に合せといったような拵え方、杭くいの上へ板を渡して竹を欄干にしたばかりのもので、それでも五人や十人ぐらい一いっ時ときに渡ったからッて、少し揺れはしようけれど、折れて落ちるような憂きづ慮かいはないのであった。
ちょうど市まちの場末に住んでる日ひよ傭うと取り、土方、人足、それから、三さみ味せ線んを弾いたり、太鼓を鳴ならして飴あめを売ったりする者、越えち後ご獅じ子しやら、猿さる廻まわしやら、附つけ木ぎを売る者だの、唄を謡うものだの、元もっ結といよりだの、早附木の箱を内職にするものなんぞが、目めぬ貫きの市まちへ出て行ゆく往ゆき帰かえりには、是非母おっ様かさんの橋を通らなければならないので、百人と二百人ずつ朝晩賑にぎやかな人通りがある。
それからまた向うから渡って来て、この橋を越して場末の穢きたない町を通り過ぎると、野原へ出る。そこン処とこは梅林で、上の山が桜の名所で、その下に桃谷というのがあって、谷たに間あいの小こな流がれには、菖あや蒲め、燕かき子つば花たが一杯咲く。頬ほお白じろ、山やま雀がら、雲ひば雀りなどが、ばらばらになって唄っているから、綺きれ麗いな着物を着た間屋の女むすめだの、金かね満も家ちの隠居だの、瓢ひさごを腰へ提げたり、花の枝をかついだりして千鳥足で通るのがある。それは春のことで。夏になると納すず涼みだといって人が出る。秋は蕈たけ狩がりに出懸けて来る、遊ゆさ山んをするのが、皆みんな内の橋を通らねばならない。
この間も誰かと二三人づれで、学校のお師匠さんが、内の前を通って、私の顔を見たから、丁寧にお辞儀をすると、おや、といったきりで、橋銭を置かないで行ってしまった。
﹁ねえ、母おっ様かさん、先生もずるい人なんかねえ。﹂
と窓から顔を引ひっ込こませた。
二
﹁お心ここ易ろや立すだてなんでしょう、でもずるいんだよ。よっぽどそういおうかと思ったけれど、先生だというから、また、そんなことで悪く取って、お前が憎まれでもしちゃなるまいと思って、黙っていました。﹂
といいいい母おっ様かさんは縫っていらっしゃる。
お膝の上に落ちていた、一ツの方の手袋の、恰かっ好こうが出来たのを、私は手に取って、掌てのひらにあててみたり、甲の上へ乗ッけてみたり、
﹁母おっ様かさん、先生はね、それでなくっても僕のことを可愛がっちゃあ下さらないの。﹂
と訴えるようにいいました。
こういった時に、学校で何だか知らないけれど、私がものをいっても、快く返事をおしでなかったり、拗すねたような、けんどんなような、おもしろくない言ことばをおかけであるのを、いつでも情なさけないと思い思いしていたのを考え出して、少し鬱ふさいで﹇#﹁で﹂は底本では﹁て﹂﹈来て俯うつ向むいた。
﹁なぜさ。﹂
何、そういう様子の見えるのは、つい四五日前からで、その前さきにはちっともこんなことはありはしなかった。帰って母おっ様かさんにそういって、なぜだか聞いてみようと思ったんだ。
けれど、番小屋へ入ると直すぐ飛出して遊んであるいて、帰ると、御飯を食べて、そしちゃあ横になって、母様の気高い美しい、頼たの母もしい、穏当な、そして少し痩やせておいでの、髪を束ねてしっとりしていらっしゃる顔を見て、何か談はな話しをしいしい、ぱっちりと眼をあいてるつもりなのが、いつか、そのまんまで寝てしまって、眼がさめると、また直すぐ支度を済すまして、学校へ行ゆくんだもの。そんなこといってる隙ひまがなかったのが、雨で閉とじ籠こもって、淋しいので思い出した、ついでだから聞いたので。
﹁なぜだって、何なの、この間ねえ、先生が修身のお談はな話しをしてね、人は何だから、世の中に一番えらいものだって、そういつたの。母おっ様かさん、違ってるわねえ。﹂
﹁むむ。﹂
﹁ねッ違ってるワ、母様。﹂
と揉もみくちゃにしたので、吃びっ驚くりして、ぴったり手をついて畳の上で、手袋をのした。横に皺しわが寄ったから、引ひっ張ぱって、
﹁だから僕、そういったんだ、いいえ、あの、先生、そうではないの。人も、猫も、犬も、それから熊も、皆みんなおんなじ動けだ物ものだって。﹂
﹁何とおっしゃったね。﹂
﹁馬鹿なことをおっしゃいって。﹂
﹁そうでしょう。それから、﹂
﹁それから、︵だって、犬や、猫が、口を利きますか、ものをいいますか︶ッて、そういうの。いいます。雀だってチッチッチッチッて、母おっ様かさんと、父おと様っさんと、児こどもと朋とも達だちと皆みんなで、お談はな話しをしてるじゃあありませんか。僕眠い時、うっとりしてる時なんぞは、耳ン処とこに来て、チッチッチて、何かいって聞かせますのッてそういうとね、︵詰つまらない、そりゃ囀さえずるんです。ものをいうのじゃあなくッて囀るの、だから何をいうんだか分りますまい︶ッて聞いたよ。僕ね、あのウだってもね、先生、人だって、大勢で、皆みんなが体操場で、てんでに何かいってるのを遠くン処とこで聞いていると、何をいってるのかちっとも分らないで、ざあざあッて流れてる川の音とおんなしで、僕分りませんもの。それから僕の内の橋の下を、あのウ舟漕こいで行ゆくのが何だか唄って行ゆくけれど、何をいうんだかやっぱり鳥が声を大きくして長く引ひっぱって鳴いてるのと違いませんもの。ずッと川下の方で、ほうほうッて呼んでるのは、あれは、あの、人なんか、犬なんか、分りませんもの。雀だって、四しじ十ゅう雀からだって、軒だの、榎だのに留とまってないで、僕と一所に坐って話したら皆みんな分るんだけれど、離れてるから聞えませんの。だって、ソッとそばへ行って、僕、お談話しようと思うと、皆立っていってしまいますもの、でも、いまに大人になると、遠くで居ても分りますッて。小さい耳だから、沢山いろんな声が入らないのだって、母様が僕、あかさんであった時分からいいました。犬も猫も人間もおんなじだって。ねえ、母様、だねえ母様、いまに皆分るんだね。﹂
三
母おっ様かさんは莞にっ爾こりなすって、
﹁ああ、それで何かい、先生が腹をお立ちのかい。﹂
そればかりではなかった、私の児こど心もごころにも、アレ先生が嫌な顔をしたな、トこう思って取ったのは、まだモ少し種いろ々んなことをいいあってから、それから後の事で。
はじめは先生も笑いながら、ま、あなたがそう思っているのなら、しばらくそうしておきましょう。けれども人間には智ち慧えというものがあって、これには他ほかの鳥だの、獣けだものだのという動物が企て及ばないということを、私が河岸に住まっているからって、例をあげておさとしであつた。
釣つりをする、網を打つ、鳥をさす、皆みんな人の智慧で、何も知らない、分らないから、つられて、刺されて、たべられてしまうのだトこういうことだった。そんなことは私聞かないで知っている、朝晩見ているもの。
橋を挟んで、川を遡さかのぼったり、流れたりして、流なが網れあみをかけて魚うおを取るのが、川ン中に手てあ拱ぐらかいて、ぶるぶるふるえて突つッ立たってるうちは、顔のある人間だけれど、そらといって水に潜ると、逆さかさになって、水みず潜くぐりをしいしい五分間ばかりも泳いでいる、足ばかりが見える。その足の恰かっ好こうの悪さといったらない。うつくしい、金魚の泳いでる尾おひ鰭れの姿や、ぴらぴらと水銀色を輝かして跳ねてあがる鮎あゆなんぞの立派さにはまるでくらべものになるのじゃあない。そうしてあんな、水みず浸びたしになって、大川の中から足を出してる、こんな人間がありますものか。で、人間だと思うとおかしいけれど、川ン中から足が生えたのだと、そう思って見ているとおもしろくッて、ちっとも嫌なことはないので、つまらない観みせ世も物のを見に行ゆくより、ずっとまし、なのだって、母様がそうお謂いいだから、私はそう思っていますもの。
それから、釣をしてますのは、ね、先生、とまたその時先生にそういいました。あれは人間じゃあない、蕈きのこなんで、御覧なさい。片手懐ふところって、ぬうと立って、笠を被かぶってる姿というものは、堤ど防ての上に一本ぽん占し治め茸じが生えたのに違いません。
夕方になって、ひょろ長い影がさして、薄暗い鼠色の立姿にでもなると、ますます占治茸で、ずっと遠い遠い処まで一ならびに、十人も三十人も、小さいのだの、大きいのだの、短いのだの、長いのだの、一番橋手前のを頭かしらにして、さかり時は毎日五六十本も出来るので、またあっちこっちに五六人ずつも一ひと団かたまりになってるのは、千本しめじッて、くさくさに生えている、それは小さいのだ。木だの、草だのだと、風が吹くと動くんだけれど、蕈だから、あの、蕈だからゆっさりとしもしませぬ。これが智慧があって釣をする人間で、ちっとも動かない。その間に魚うおは皆みんなで悠々と泳いであるいていますわ。
また智慧があるっても、口を利かれないから鳥とくらべッこすりゃ、五分々々のがある、それは鳥さしで。
過いつ日かじゅう見たことがありました。
余よ所そのおじさんの鳥さしが来て、私ン処とこの橋の詰つめで、榎の下で立留まって、六本めの枝のさきに可愛い頬ほお白じろが居たのを、棹さおでもってねらったから、あらあらッてそういったら、叱しッ、黙って、黙って。恐こわい顔をして私を睨ねめたから、あとじさりをして、そッと見ていると、呼い吸きもしないで、じっとして、石のように黙ってしまって、こう据すえ身みになって、中空を貫くように、じりっと棹をのばして、覗ねらってるのに、頬白は何にも知らないで、チ、チ、チッチッてッて、おもしろそうに、何かいってしゃべっていました。それをとうとう突つッついてさして取ると、棹のさきで、くるくると舞って、まだ烈はげしく声を出して鳴いてるのに、智慧のある小父さんの鳥さしは、黙って、鰌どじ掴ょうづかみにして、腰の袋ン中へ捻ねじり込んで、それでもまだ黙って、ものもいわないで、のっそり去いっちまったことがあったんで。
四
頬白は智ち慧えのある鳥さしにとられたけれど、囀さえずってましたもの。ものをいっていましたもの。おじさんは黙だんまりで、傍そばに見ていた私までものを言うことが出来なかったんだもの。何もくらべっこして、どっちがえらいとも分りはしないって。
何でもそんなことをいったんで、ほんとうに私そう思っていましたから。
でも、それを先生が怒ったんではなかったらしい。
で、まだまだいろんなことをいって、人間が、鳥や獣けだものよりえらいものだとそういっておさとしであったけれど、海ン中だの、山奥だの、私の知らない、分らない処のことばかり譬たとえに引いていうんだから、口くち答ごたえは出来なかったけれど、ちっともなるほどと思われるようなことはなかった。
だって、私、母おっ様かさんのおっしゃること、虚う言そだと思いませんもの。私の母様がうそをいって聞かせますものか。
先生は同おな一じク組ラスの小こど児も達を三十人も四十人も一人で可愛がろうとするんだし、母様は私一人可愛いんだから、どうして、先生のいうことは私を欺だますんでも、母様がいってお聞かせのは、決して違ったことではない、トそう思ってるのに、先生のは、まるで母様のと違ったこというんだから心服はされないじゃありませんか。
私が頷うなずかないので、先生がまた、それでは、皆みんなあなたの思ってる通りにしておきましょう。けれども木だの、草だのよりも、人間が立ち優まさった、立派なものであるということは、いかな、あなたにでも分りましょう、まずそれを基どだ礎いにして、お談はな話しをしようからって、聞きました。
分らない、私そうは思わなかった。
﹁あのウ母おっ様かさん︵だって、先生、先生より花の方がうつくしゅうございます︶ッてそう謂いつたの。僕、ほんとうにそう思ったの、お庭にね、ちょうど菊の花の咲いてるのが見えたから。﹂
先生は束髪に結った、色の黒い、なりの低い巌がん乗じょうな、でくでく肥ふとった婦おん人なの方で、私がそういうと顔を赤うした。それから急にツッケンドンなものいいおしだから、大方それが腹をお立ちの原因であろうと思う。
﹁母様、それで怒ったの、そうなの。﹂
母様は合がっ点てん々々をなすって、
﹁おお、そんなことを坊や、お前いいましたか。そりゃお道理だ。﹂
といって笑顔をなすったが、これは私の悪いた戯ずらをして、母様のおっしゃること肯きかない時、ちっとも叱らないで、恐い顔しないで、莞にっ爾こり笑ってお見せの、それとかわらなかった。
そうだ。先生の怒ったのはそれに違いない。
﹁だって、虚う言そをいっちゃあなりませんって、そういつでも先生はいう癖になあ。ほんとうに僕、花の方がきれいだと思うもの。ね、母様、あのお邸やしきの坊ちゃんの、青だの、紫だの交まじった、着物より、花の方がうつくしいって、そういうのね。だもの、先生なんざ。﹂
﹁あれ、だってもね、そんなこと人の前でいうのではありません。お前と、母様のほかには、こんないいこと知ってるものはないのだから。分らない人にそんなこというと、怒られますよ。ただ、ねえ、そう思っていれば可いのだから、いってはなりませんよ。可いかい。そして先生が腹を立ってお憎みだって、そういうけれど、何そんなことがありますものか。それは皆みんなお前がそう思うからで、あの、雀だって餌えを与やって、拾ってるのを見て、嬉しそうだと思えば嬉しそうだし、頬白がおじさんにさされた時悲しい声と思って見れば、ひいひいいって鳴いたように聞えたじゃないか。
それでも先生が恐い顔をしておいでなら、そんなものは見ていないで、今お前がいった、そのうつくしい菊の花を見ていたら可いでしょう。ね、そして何かい、学校のお庭に咲いてるのかい。﹂
﹁ああ沢山。﹂
﹁じゃあその菊を見ようと思って学校へおいで。花はね、ものをいわないから耳に聞えないでも、そのかわり眼にはうつくしいよ。﹂
モひとつ不平なのはお天気の悪いことで、戸おも外てには、なかなか雨がやみそうにもない。
五
また顔を出して窓から川を見た。さっきは雨あめ脚あしが繁くって、まるで、薄墨で刷はいたよう、堤ど防てだの、石垣だの、蛇じゃ籠かごだの、中なか洲すに草の生えた処だのが、点ぽっ々ちりぽっちり、あちらこちらに黒ずんでいて、それで湿っぽくって、暗かったから見えなかったが、少し晴れて来たから、ものの濡れたのが皆みんな見える。
遠くの方に堤ど防ての下の石垣の中ほどに、置物のようになって、畏かしこまって、猿が居る。
この猿は、誰が持主というのでもない。細ほそ引びきの麻縄で棒ぼう杭ぐいに結ゆわえつけてあるので、あの、湿しめ地じた茸けが、腰弁当の握飯を半分与やったり、坊ちゃんだの、乳ばあ母やだのが、袂たもとの菓子を分けて与ったり、紅あかい着物を着ている、みいちゃんの紅べに雀すずめだの、青い羽織を着ている吉きち公こうの目白だの、それからお邸やしきのかなりやの姫ひい様さんなんぞが、皆みんなで、からかいに行っては、花を持たせる、手てぬ拭ぐいを被かぶせる、水鉄砲を浴あびせるという、好きな玩おも弄ち物ゃにして、そのかわり何でもたべるものを分けてやるので、誰といって、きまって世話をする、飼主はないのだけれど、猿の餓えることはありはしなかった。
時々悪いた戯ずらをして、その紅雀の天あた窓まの毛をったり、かなりやを引ひっ掻かいたりすることがあるので、あの猿松が居ては、うっかり可愛らしい小鳥を手てば放なしにして戸おも外てへ出してはおけない、誰か見張ってでもいないと、危けん険のんだからって、ちょいちょい縄を解いて放してやったことが幾度もあった。
放すが疾はやいか、猿は方々を駈かけずり廻って勝手放題な道楽をする。夜中に月が明あかるい時、寺の門を叩いたこともあったそうだし、人の庖くり厨やへ忍び込んで、鍋なべの大おおきいのと飯めし櫃びつを大屋根へ持って、あがって、手てづ掴かみで食べたこともあったそうだし、ひらひらと青いなかから紅い切きれのこぼれている、うつくしい鳥の袂を引ひっ張ぱって、遥はるかに見える山を指ゆびさして気絶さしたこともあったそうなり、私の覚えてからも一度誰かが、縄を切ってやったことがあった。その時はこの時しぐ雨れえ榎のきの枝の両股になってる処に、仰あお向むけに寝転んでいて、烏の脛あしを捕つかまえた。それから畚びくに入れてある、あのしめじ蕈たけが釣った、沙は魚ぜをぶちまけて、散さん々ざ悪わる巫ふ山ざ戯けをした挙句が、橋の詰つめの浮世床のおじさんに掴つかまって、額の毛を真まっ四しか角くに鋏はさまれた、それで堪忍をして追おっ放ぱなしたんだそうだのに、夜が明けて見ると、また平いつ時もの処に棒杭にちゃんと結えてあッた。蛇籠の上の、石垣の中ほどで、上の堤ど防てには柳の切株がある処。
またはじまった、この通りに猿をつかまえてここへ縛っとくのは誰だろう誰だろうッて一ひとしきり騒いだのを私は知っている。
で、この猿には出処がある。
それは母おっ様かさんが御存じで、私にお話しなすった。
八九年前のこと、私がまだ母様のお腹なかん中に小さくなっていた時分なんで、正月、春のはじめのことであった。
今はただ広い世の中に母様と、やがて、私のものといったら、この番小屋と仮橋の他ほかにはないが、その時分はこの橋ほどのものは、邸の庭の中の一ツの眺なが望めに過ぎないのであったそうで。今、市まちの人が春、夏、秋、冬、遊山に来る、桜山も、桃谷も、あの梅林も、菖あや蒲めの池も皆みんな父おと様っさんので、頬白だの、目白だの、山やま雀がらだのが、この窓から堤ど防ての岸や、柳の下もとや、蛇籠の上に居るのが見える、その身から体だの色ばかりがそれである、小鳥ではない、ほんとうの可愛らしい、うつくしいのがちょうどこんな工合に朱しゅ塗ぬりの欄干のついた二階の窓から見えたそうで。今日はまだお言いでないが、こういう雨の降って淋さみしい時なぞは、その時こ分ろのことをいつでもいってお聞かせだ。
六
今ではそんな楽しい、うつくしい、花園がないかわり、前に橋銭を受取る笊ざるの置いてある、この小さな窓から風がわりな猪だの、希代な蕈きのこだの、不思議な猿だの、まだその他に人の顔をした鳥だの、獣だのが、いくらでも見えるから、ちっとは思おも出いでになるといっちゃあ、アノ笑顔をおしなので、私もそう思って見るせいか、人があるいて行ゆく時、片足をあげた処は一本脚の鳥のようでおもしろい。人の笑うのを見ると獣けだものが大きな赤い口をあけたよと思っておもしろい。みいちゃんがものをいうと、おや小鳥が囀さえずるかとそう思っておかしいのだ。で、何でも、おもしろくッて、おかしくッて、吹出さずには居られない。
だけれど今しがたも母おっ様かさんがおいいの通り、こんないいことを知ってるのは、母様と私ばかりで、どうして、みいちゃんだの、吉公だの、それから学校の女の先生なんぞに教えたって分るものか。
人に踏まれたり、蹴けられたり、後足で砂をかけられたり、苛いじめられて責さいなまれて、煮にえ湯ゆを飲ませられて、砂を浴あびせられて、鞭むちうたれて、朝から晩まで泣通しで、咽の喉どがかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰なぐさみにされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口く惜やしい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、蓄生め、獣けだものめと始終そう思って、五年も八年も経たたなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡なくなんなすった、父おと様っさんとこの母様とが聞いても身みぶ震るいがするような、そういう酷ひどいめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷なめに逢って、そうしてようようお分りになったのを、すっかり私に教えて下すったので、私はただ母ちゃん母ちゃんてッて母様の肩をつかまえたり、膝にのっかったり、針箱の引ひき出だしを交ぜかえしたり、物さしをまわしてみたり、裁おし縫ごとの衣きも服のを天あた窓まから被かぶってみたり、叱られて遁にげ出したりしていて、それでちゃんと教えて頂いて、それをば覚えて分ってから、何でも、鳥だの、獣けだものだの、草だの、木だの、虫だの、蕈だのに人が見えるのだから、こんなおもしろい、結構なことはない。しかし私にこういういいことを教えて下すった母様は、とそう思う時は鬱ふさぎました。これはちっともおもしろくなくって悲しかった、勿体ない、とそう思った。
だって母様がおろそかに聞いてはなりません。私がそれほどの思おもいをしてようようお前に教えらるるようになったんだから、うかつに聞いていては罰があたります。人間も、鳥獣も草木も、昆虫類も、皆みんな形こそ変っていてもおんなじほどのものだということを。
とこうおっしゃるんだから。私はいつも手をついて聞きました。
で、はじめの内はどうしても人が、鳥や、獣けだものとは思われないで、優しくされれば嬉しかった、叱られると恐かった、泣いてると可哀相だった、そしていろんなことを思った。そのたびにそういって母様にきいてみると何、皆みんな鳥が囀ってるんだの、犬が吠ほえるんだの、あの、猿が歯を剥むくんだの、木が身ぶるいをするんだのとちっとも違ったことはないって、そうおっしゃるけれど、やっぱりそうばかりは思われないで、いじめられて泣いたり、撫なでられて嬉しかったりしいしいしたのを、その都度母様に教えられて、今じゃあモウ何とも思っていない。
そしてまだああ濡れては寒いだろう、冷たいだろうと、さきのように雨に濡れてびしょびしょ行ゆくのを見ると気の毒だったり、釣つりをしている人がおもしろそうだとそう思ったりなんぞしたのが、この節じゃもう、ただ、変な蕈だ、妙な猪だと、おかしいばかりである、おもしろいばかりである、つまらないばかりである、見ッともないばかりである、馬鹿々々しいばかりである、それからみいちゃんのようなのは可愛らしいのである、吉公のようなのはうつくしいのである、けれどもそれは紅雀がうつくしいのと、目白が可愛らしいのとちっとも違いはせぬので、うつくしい、可愛らしい。うつくしい、可愛らしい。
七
また憎らしいのがある、腹立たしいのも他ほかにあるけれども、それも一ある場合に猿が憎らしかったり、鳥が腹立たしかったりするのとかわりは無いので。詮ずれば皆おかしいばかり、やっぱり噴ふき飯だす材た料ねなんで、別に取留めたことがありはしなかった。
で、つまり情を動かされて、悲かなしむ、愁うれうる、楽たのしむ、喜ぶなどいうことは、時に因り場合においての母おっ様かさんばかりなので。余よ所そのものはどうであろうとちっとも心には懸けないように日ましにそうなって来た。しかしこういう心になるまでには、私を教えるために、毎日、毎晩、見る者、聞くものについて、母様がどんなに苦労をなすって、丁寧に深切に、飽かないで、熱心に、懇ねんごろに噛かんで含めるようになすったかも知れはしない。だもの、どうして学校の先生をはじめ、余所のものが少々ぐらいのことで、分るものか、誰だって分りやしません。
ところが、母様と私とのほか知らないことを、モ一人他ほかに知ってるものがあるそうで、始終母様がいってお聞かせの、それはあすこに置物のように畏かしこまっている、あの猿――あの猿の旧もとの飼主であった――老じ父いさんの猿さる廻まわしだといいます。
さっき私がいった、猿に出処があるというのはこのことで。
まだ私が母様のお腹なかに居た時分だッて、そういいましたっけ。
初はつ卯うの日、母様が腰元を二人連れて、市まちの卯うた辰つの方の天神様へお参んなすって、晩方帰っていらっしゃった。ちょうど川向うの、いま猿の居る処で、堤ど防ての上のあの柳の切株に腰をかけて猿のひかえ綱を握ったなり、俯うつ向むいて、小さくなって、肩で呼い吸きをしていたのがその猿廻のじいさんであった。
大方今の紅雀のその姉さんだの、頬白のその兄さんだのであったろうと思われる。男だの、女だの、七八人寄って、たかって、猿にからかって、きゃあきゃあいわせて、わあわあ笑って、手を拍うって、喝かっ采さいして、おもしろがって、おかしがって、散さん々ざ慰なぐさんで、そら菓子をやるワ、蜜みか柑んを投げろ、餅もちをたべさすわって、皆みんなでどっさり猿に御ごち馳そ走うをして、暗くなるとどやどやいっちまったんだ。で、じいさんをいたわってやったものは、ただの一人にんもなかったといいます。
あわれだとお思いなすって、母様がお銭あしを恵んで、肩ショ掛オルを着せておやんなすったら、じいさん涙を落して拝んで喜びましたって、そうして、
︵ああ、奥様、私わたくしは獣けだものになりとうございます。あいら、皆みんな畜生で、この猿めが夥なか間までござりましょう。それで、手前達の同類にものをくわせながら、人間一疋ぴきの私わたくしには目を懸けぬのでござります。︶とそういってあたりを睨にらんだ、恐らくこのじいさんなら分るであろう、いや、分るまでもない、人が獣けだものであることをいわないでも知っていようと、そういって、母様がお聞かせなすった。
うまいこと知ってるな、じいさん。じいさんと母様と私と三人だ。その時じいさんがそのまんまで控ひか綱えづなをそこン処とこの棒ぼう杭ぐいに縛りッ放しにして猿をうっちゃって行ゆこうとしたので、供の女中が口を出して、どうするつもりだって聞いた。母様もまた傍そばからまあ棄すて児ごにしては可哀相でないかッて、お聞きなすったら、じいさんにやにやと笑ったそうで、
︵はい、いえ、大丈夫でござります。人間をこうやっといたら、餓うえも凍こごえもしようけれど、獣けだものでござりますから今に長い目で御ごろ覧うじまし、此こい奴つはもう決してひもじい目に逢うことはござりませぬから。︶
とそういって、かさねがさね恩を謝して、分れてどこへか行っちまいましたッて。
果して猿は餓えないでいる。もう今ではよっぽどの年と紀しであろう。すりゃ、猿のじいさんだ。道理で、功を経た、ものの分ったような、そして生まじめで、けろりとした、妙な顔をしているんだ。見える見える、雨の中にちょこなんと坐っているのが手に取るように窓から見えるワ。
八
朝晩見み馴なれて珍しくもない猿だけれど、いまこんなこと考え出して、いろんなこと思って見ると、また殊にものなつかしい。あのおかしな顔早くいって見たいなと、そう思って、窓に手をついてのびあがって、ずっと肩まで出すと※しぶき﹇#﹁さんずい+散﹂、156-15﹈がかかって、眼のふちがひやりとして、冷たい風が頬を撫なでた。
その時仮橋ががたがたいって、川かわ面づらの小こぬ糠かあ雨めを掬すくうように吹き乱すと、流ながれが黒くなって颯さっと出た。といっしょに向岸から橋を渡って来る、洋服を着た男がある。
橋板がまた、がッたりがッたりいって、次第に近づいて来る、鼠色の洋服で、釦ぼたんをはずして、胸を開けて、けばけばしゅう襟えり飾かざりを出した、でっぷり紳士で、胸が小さくッて、下した腹っぱらの方が図ぬけにはずんでふくれた、脚の短い、靴の大きな、帽子の高い、顔の長い、鼻の赤い、それは寒いからだ。そして大おお跨またに、その逞たくましい靴を片足ずつ、やりちがえにあげちゃあ歩あ行るいて来る。靴の裏の赤いのがぽっかり、ぽっかりと一ツずつこっちから見えるけれど、自分じゃあ、その爪つまさきも分りはしまい。何でもあんなに腹のふくれた人は、臍へそから下、膝から上は見たことがないのだとそういいます。あら! あら! 短チョ服ッキに靴を穿はいたものが転がって来るぜと、思って、じっと見ていると、橋のまんなかあたりへ来て鼻はな目めが金ねをはずした、※﹇#﹁さんずい+散﹂、157-10﹈がかかって曇ったと見える。
で、衣かく兜しから手ハン巾ケチを出して、拭ふきにかかったが、蝙こう蝠もり傘がさを片手に持っていたから手を空けようとして咽の喉どと肩のあいだへ柄を挟んで、うつむいて、珠たまを拭ぬぐいかけた。
これは今までに幾度たびも私見たことのある人で、何でも小こど児もの時は物見高いから、そら、婆さんが転んだ、花が咲いた、といって五六人人だかりのすることが眼の及ぶ処にあれば、必ず立って見るが、どこに因らず、場所は限らない。すべて五十人以上の人が集会したなかには必ずこの紳士の立たち交まじっていないということはなかった。
見る時にいつも傍はたの人ものを誰かしらつかまえて、尻上りの、すました調子で、何かものをいっていなかったことはほとんど無い。それに人から聞いていたことはかつてないので、いつでも自分で聞かせている。が、聞くものがなければ独ひとりで、むむ、ふむ、といったような、承知したようなことを独ひと言りごとのようでなく、聞かせるようにいってる人で。母様も御存じで、あれは博士ぶりというのであるとおっしゃった。
けれども鰤ぶりではたしかにない、あの腹のふくれた様子といったら、まるで、鮟あん鱇こうに肖にているので、私は蔭じゃあ鮟鱇博士とそういいますワ。この間も学校へ参観に来たことがある。その時も今被かむっている、高い帽子を持っていたが、何だってまたあんな度はずれの帽子を着たがるんだろう。
だって、目金を拭こうとして、蝙蝠傘を頤おとがいで押えて、うつむいたと思うと、ほら、ほら、帽子が傾いて、重おも量みで沈み出して、見てるうちにすっぽり、赤い鼻の上へ被かぶさるんだもの。目金をはずした上へ帽子がかぶさって、眼が見えなくなったんだから驚いた、顔中帽子、ただ口ばかりが、その口を赤くあけて、あわてて、顔をふりあげて帽子を揺りあげようとしたから蝙蝠傘がばったり落ちた。落おっこちると勢いきおいよく三ツばかりくるくると舞った間に、鮟鱇博士は五ツばかりおまわりをして、手をのばすと、ひょいと横なぐれに風を受けて、斜めに飛んで、遥はるか川下の方へ憎らしく落着いた風でゆったりしてふわりと落ちると、たちまち矢のごとくに流れ出した。
博士は片手で目金を持って、片手を帽子にかけたまま、烈はげしく、急に、ほとんど数える隙ひまがないほど靴のうらで虚空を踏んだ、橋ががたがたと動いて鳴った。
﹁母おっ様かさん、母様、母様。﹂
と私は足ぶみした。
﹁あい。﹂としずかに、おいいなすったのが背うし後ろに聞える。
窓から見たまま振向きもしないで、急せき込こんで、
﹁あらあら流れるよ。﹂
﹁鳥かい、獣けだものかい。﹂と極めて平気でいらっしゃる。
﹁蝙こう蝠もりなの、傘からかさなの、あら、もう見えなくなったい、ほら、ね、流れッちまいました。﹂
﹁蝙蝠ですと。﹂
﹁ああ、落ッことしたの、可哀相に。﹂
と思わず歎息をして呟つぶやいた。
母様は笑えみを含んだお声でもって、
﹁廉れんや、それはね、雨が晴れるしらせなんだよ。﹂
この時猿が動いた。
九
一廻まわりくるりと環わにまわって、前足をついて、棒ぼう杭ぐいの上へ乗って、お天気を見るのであろう、仰あお向むいて空を見た。晴れるといまに行くよ。
母おっ様かさんは嘘をおっしゃらない。
博士は頻しきりに指ゆびさししていたが、口が利けないらしかった。で、一散に駈かけて来て、黙って小屋の前を通ろうとする。
﹁おじさんおじさん。﹂
と厳しく呼んでやった。追懸けて、
﹁橋銭を置いていらっしゃい、おじさん。﹂
とそういった。
﹁何だ!﹂
一ひと通とおりの声ではない。さっきから口が利けないで、あのふくれた腹に一杯固くなるほど詰め込み詰め込みしておいた声を、紙鉄砲ぶつようにはじきだしたものらしい。
で、赤い鼻をうつむけて、額ひた越いごしに睨にらみつけた。
﹁何か。﹂と今度は鷹おう揚ようである。
私は返事をしませんかった。それは驚いたわけではない、恐こわかったわけではない。鮟あん鱇こうにしては少し顔がそぐわないから何にしよう、何に肖にているだろう、この赤い鼻の高いのに、さきの方が少し垂れさがって、上唇におっかぶさってる工合といったらない、魚うおより獣よりむしろ鳥の嘴はしによく肖ている。雀か、山やま雀がらか、そうでもない。それでもないト考えて七面鳥に思いあたった時、なまぬるい音調で、
﹁馬鹿め。﹂
といいすてにして、沈んで来る帽子をゆりあげて行ゆこうとする。
﹁あなた。﹂とおっかさんが屹きっとした声でおっしゃって、お膝の上の糸屑くずを、細い、白い、指のさきで二ツ三ツはじき落して、すっと出て窓の処へお立ちなすった。
﹁渡わたしをお置きなさらんではいけません。﹂
﹁え、え、え。﹂
といったがじれったそうに、
﹁俺おれは何じゃが、うう、知らんのか。﹂
﹁誰です、あなたは。﹂と冷ひややかで、私こんなのを聞くとすっきりする。眼のさきに見える気にくわないものに、水をぶっかけて、天あた窓まから洗っておやんなさるので、いつでもこうだ、極めていい。
鮟鱇は腹をぶくぶくさして、肩をゆすったが、衣かく兜しから名刺を出して、笊ざるのなかへまっすぐに恭うやうやしく置いて、
﹁こういうものじゃ、これじゃ、俺じゃ。﹂
といって肩書の処を指ゆびさした、恐しくみじかい指で、黄き金んの指環の太いのをはめている。
手にも取らないで、口のなかに低こご声えにおよみなすったのが、市内衛生会委員、教育談話会幹事、生命保険会社社員、一六会会長、美術奨励会理事、大野喜太郎。
﹁この方ですか。﹂
﹁うう。﹂といった時ふっくりした鼻のさきがふらふらして、手で、胸にかけた何だか徽きし章ょうをはじいたあとで、
﹁分ったかね。﹂
こんどはやさしい声でそういったまままた行ゆきそうにする。
﹁いけません。お払はらいでなきゃアあとへお帰んなさい。﹂とおっしゃった。
先生妙な顔をしてぼんやり立ってたが少しむきになって、
﹁ええ、こ、細こまかいのがないんじゃから。﹂
﹁おつりを差上げましょう。﹂
おっかさんは帯のあいだへ手をお入れ遊ばした。
十
母おっ様かさんはうそをおっしゃらない。博士が橋銭をおいて遁にげて行ゆくと、しばらくして雨が晴れた。橋も蛇籠も皆みんな雨にぬれて、黒くなって、あかるい日ひな中かへ出た。榎の枝からは時々はらはらと雫しずくが落ちる。中流へ太ひ陽がさして、みつめているとまばゆいばかり。
﹁母様遊びに行ゆこうや。﹂
この時鋏はさみをお取んなすって、
﹁ああ。﹂
﹁ねえ、出かけたって可いいの、晴れたんだもの。﹂
﹁可いけれど、廉や、お前またあんまりお猿にからかってはなりませんよ。そう可い塩あん梅ばいにうつくしい羽の生えた姉さんがいつでもいるんじゃあありません。また落っこちようもんなら。﹂
ちょいと見向いて、清すずしい眼で御覧なすって、莞にっ爾こりしてお俯うつ向むきで、せっせと縫っていらっしゃる。
そう、そう! そうだった。ほら、あの、いま頬ほっぺたを掻いて、むくむく濡れた毛からいきりをたてて日ひな向たぼっこをしている、憎らしいッたらない。
いまじゃあもう半年も経たったろう。暑さの取とッ着つきの晩方頃で、いつものように遊びに行って、人が天あた窓まを撫なでてやったものを、業ごう畜ちく、悪わる巫ふ山ざ戯けをして、キッキッと歯を剥むいて、引ひっ掻かきそうな剣幕をするから、吃びっ驚くりして飛とび退のこうとすると、前足でつかまえた、放さないから力を入れて引ひっ張ぱり合った奮はずみであった。左の袂たもとがびりびりと裂けて断ちぎれて取れた、はずみをくって、踏ふみ占しめた足がちょうど雨上りだったから、堪たまりはしない。石の上へ辷すべって、ずるずると川へ落ちた。わっといった顔へ一ひと波なみかぶって、呼い吸きをひいて仰あお向むけに沈んだから、面くらって立とうとすると、また倒れて、眼がくらんで、アッとまたいきをひいて、苦しいので手をもがいて身から体だを動かすとただどぶんどぶんと沈んで行ゆく。情なさけないと思ったら、内に母様の坐っていらっしゃる姿が見えたので、また勢いきおいづいたけれど、やっぱりどぶんどぶんと沈むから、どうするのかなと落着いて考えたように思う。それから何のことだろうと考えたようにも思われる。今に眼が覚めるのであろうと思ったようでもある、何だかぼんやりしたが俄にわかに水ん中だと思って叫ぼうとすると水をのんだ。もう駄目だ。
もういかんとあきらめるトタンに胸が痛かった、それから悠々と水を吸った、するとうっとりして何だか分らなくなったと思うと、※ぱっ﹇#﹁火+發﹂、164-5﹈と糸のような真まっ赤かな光線がさして、一ひと幅はばあかるくなったなかにこの身から体だが包まれたので、ほっといきをつくと、山の端はが遠く見えて、私のからだは地つちを放れて、その頂より上の処に冷いものに抱えられていたようで、大きなうつくしい目が、濡髪をかぶって私の頬ん処へくっついたから、ただ縋すがり着いてじっとして眼を眠った覚おぼえがある。夢ではない。
やっぱり片袖なかったもの。そして川へ落おっこちて溺れそうだったのを救われたんだって、母様のお膝に抱かれていて、その晩聞いたんだもの。
だから夢ではない。
一体助けてくれたのは誰ですッて、母様に問うた。私がものを聞いて、返事に躊ちゅ躇うちょをなすったのはこの時ばかりで、また、それは猪だとか、狼だとか、狐だとか、頬白だとか、山雀だとか、鮟鱇だとか、鯖さばだとか、蛆うじだとか、毛虫だとか、草だとか、竹だとか、松まつ蕈たけだとか、湿し地め茸じだとかおいいでなかったのもこの時ばかりで、そして顔の色をおかえなすったのもこの時ばかりで、それに小さな声でおっしゃったのもこの時ばかりだ。
そして母様はこうおいいであった。
︵廉や、それはね、大きな五ごし色きの翼はねがあって天上に遊んでいるうつくしい姉さんだよ。︶
十一
︵鳥なの、母おっ様かさん。︶とそういってその時私が聴いた。
これにも母様は少し口くち籠ごもっておいでであったが、
︵鳥じゃあないよ、翼はねの生えた美しい姉さんだよ。︶
どうしても分らんかった。うるさくいったら、しまいにゃ、お前には分らない、とそうおいいであったのを、また推おし返かえして聴いたら、やっぱり、
︵翼はねの生えたうつくしい姉さんだってば。︶
それで仕方がないからきくのはよして、見ようと思った。そのうつくしい翼のはえたもの見たくなって、どこに居ます〳〵﹇#﹁〳〵﹂はママ﹈ッて、せッついても、知らないと、そういってばかりおいでであったが、毎日々々あまりしつこかったもんだから、とうとう余儀なさそうなお顔かお色つきで、
︵鳥屋の前にでもいって見て来るが可いい。︶
そんならわけはない。
小屋を出て二町ばかり行ゆくと、直ぐ坂があって、坂の下おり口くちに一軒鳥屋があるので、樹こか蔭げも何にもない、お天気のいい時あかるいあかるい小さな店で、町まち家やの軒ならびにあった。鸚おう鵡むなんざ、くるッとした、露のたりそうな、小さな眼で、あれで瞳が動きますよ。毎日々々行っちゃあ立っていたので、しまいにゃあ見知顔で私の顔を見て頷うなずくようでしたっけ、でもそれじゃあない。
駒こ鳥まはね、丈の高い、籠ん中を下から上へ飛んで、すがって、ひょいと逆さかさに腹を見せて熟じゅ柿くしの落おっこちるようにぼたりとおりて、餌えをつついて、私をばかまいつけない、ちっとも気に懸けてくれようとはしなかった、それでもない。皆みんな違ってる。翼はねの生えたうつくしい姉さんは居ないのッて、一所に立った人をつかまえちゃあ、聞いたけれど、笑うものやら、嘲あざけるものやら、聞かないふりをするものやら、つまらないとけなすものやら、馬鹿だというものやら、番小屋の媽か々かに似て此こい奴つもどうかしていらあ、というものやら。皆みんな獣けだものだ。
︵翼はねの生えたうつくしい姉さんは居ないの。︶ッて聞いた時、莞にっ爾こり笑って両方から左右の手でおうように私の天あた窓まを撫なでて行った、それは一様に緋ひら羅し紗ゃのずぼんを穿はいた二人の騎兵で――聞いた時――莞にっ爾こり笑って、両方から左右の手で、おうように私の天窓をなでて、そして手を引ひきあって黙って坂をのぼって行った。長靴の音がぽっくりして、銀の剣の長いのがまっすぐに二ツならんで輝いて見えた。そればかりで、あとは皆馬鹿にした。
五日ばかり学校から帰っちゃあその足で鳥屋の店へ行って、じっと立って、奥の方の暗い棚ん中で、コトコトと音をさしているその鳥まで見覚えたけれど、翼はねの生えた姉さんは居ないので、ぼんやりして、ぼッとして、ほんとうに少し馬鹿になったような気がしいしい、日が暮れると帰り帰りした。で、とても鳥屋には居ないものとあきらめたが、どうしても見たくッてならないので、また母様にねだって聞いた。どこに居るの、翼の生えたうつくしい人はどこに居るのッて。何とおいいでも肯きき分わけないものだから母様が、
︵それでは林へでも、裏の田たん圃ぼへでも行って、見ておいで。なぜッて、天上に遊んでいるんだから、籠の中に居ないのかも知れないよ。︶
それから私、あの、梅林のある処に参りました。
あの桜山と、桃谷と、菖あや蒲めの池とある処で。
しかし、それはただ青葉ばかりで、菖蒲の短いのがむらがってて、水の色の黒い時分、ここへも二日、三日続けて行ゆきましたっけ、小鳥は見つからなかった。烏が沢たん山と居た。あれが、かあかあ鳴いて一しきりして静まるとその姿の見えなくなるのは、大方その翼はねで、日の光をかくしてしまうのでしょう。大きな翼はねだ、まことに大おおきい翼つばさだ、けれどもそれではない。
十二
日が暮れかかると、あっちに一ならび、こっちに一ならび、横縦になって、梅の樹が飛とび々とびに暗くなる。枝々のなかの水みず田たの水がどんよりして淀よどんでいるのに際立って真まっ白しろに見えるのは鷺さぎだった、二羽一ところに、ト三羽一ところに、ト居て、そして一羽が六尺ばかり空へ斜ななめに足から糸のように水を引いて立ってあがったが音がなかった、それでもない。
蛙かわずが一斉に鳴きはじめる。森が暗くなって、山が見えなくなった。
宵よい月づきの頃だったのに、曇ってたので、星も見えないで、陰々として一面にものの色が灰のようにうるんでいた、蛙がしきりになく。
仰いで高い処に、朱の欄干のついた窓があって、そこが母おっ様かさんのうちだったと聞く。仰いで高い処に、朱の欄干のついた窓があって、そこから顔を出す、その顔が自分の顔であったんだろうにトそう思いながら破れた垣の穴ん処とこに腰をかけてぼんやりしていた。
いつでもあの翼はねの生えたうつくしい人をたずねあぐむ、その昼のうち精神の疲つか労れないうちは可いいんだけれど、度が過ぎて、そんなに晩おそくなると、いつも、こう滅め入いってしまって、何だか、人に離れたような、世間に遠ざかったような気がするので、心細くもあり、うら悲しくもあり、覚おぼ束つかないようでもあり、恐しいようでもある。嫌な心持だ、嫌な心持だ。
早く帰ろうとしたけれど、気が重くなって、その癖神経は鋭くなって、それでいてひとりでにあくびが出た。あれ!
赤い口をあいたんだなと、自分でそうおもって、吃びっ驚くりした。
ぼんやりした梅の枝が手をのばして立ってるようだ。あたりをすと真まっ暗くらで、遠くの方で、ほう、ほうッて、呼ぶのは何だろう。冴えた通る声で野末を押おしひろげるように、鳴く、トントントントンと谺こだまにあたるような響きが遠くから来るように聞える鳥の声は、梟ふくろうであった。
一ツでない。
二ツも三ツも。私に何を談はなすのだろう、私に何を話すのだろう。鳥がものをいうと慄ぞ然っとして身の毛が弥よ立だった。
ほんとうにその晩ほど恐こわかったことはない。
蛙かわずの声がますます高くなる、これはまた仰山な、何百、どうして幾千と居て鳴いてるので、幾千の蛙が一ツ一ツ眼があって、口があって、足があって、身から体だがあって、水ン中に居て、そして声を出すのだ。一ツ一ツ、トわなないた。寒くなった。風が少し出て、樹がゆっさり動いた。
蛙の声がますます高くなる。居ても立っても居られなくッて、そっと動き出した。身から体だがどうにかなってるようで、すっと立ち切れないで踞つくばった、裙すそが足にくるまって、帯が少し弛ゆるんで、胸があいて、うつむいたまま天あた窓まがすわった。ものがぼんやり見える。
見えるのは眼だトまたふるえた。
ふるえながら、そっと、大事に、内証で、手首をすくめて、自分の身から体だを見ようと思って、左右へ袖をひらいた時、もう、思わずキャッと叫んだ。だって私が鳥のように見えたんですもの。どんなに恐かったろう。
この時、背うし後ろから母おっ様かさんがしっかり抱いて下さらなかったら、私どうしたんだか知れません。それはおそくなったから見に来て下すったんで、泣くことさえ出来なかったのが、
﹁母おっ様かさん!﹂といって離れまいと思って、しっかり、しっかり、しっかり襟ん処とこへかじりついて仰あお向むいてお顔を見た時、フット気が着いた。
どうもそうらしい、翼はねの生えたうつくしい人はどうも母様であるらしい。もう鳥屋には、行ゆくまい。わけてもこの恐しい処へと、その後のちふっつり。
しかしどうしてもどう見ても、母様にうつくしい五ごし色きの翼はねが生えちゃあいないから、またそうではなく、他ほかにそんな人が居るのかも知れない、どうしても判はっ然きりしないで疑われる。
雨も晴れたり、ちょうど石原も辷すべるだろう。母様はああおっしゃるけれど、わざとあの猿にぶつかって、また川へ落ちてみようかしら。そうすりゃまた引上げて下さるだろう。見たいな! 羽の生えたうつくしい姉さん。だけれども、まあ、可いい。母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。
明治三十︵一八九七︶年四月