きのふは仲(ちう)秋(しう)十(じふ)五(ご)夜(や)で、無(ぶ)事(じ)平(へい)安(あん)な例(れい)年(ねん)にもめづらしい、一(いつ)天(てん)澄(すみ)渡(わた)つた明(めい)月(げつ)であつた。その前(ぜん)夜(や)のあの暴(ばう)風(ふう)雨(う)をわすれたやうに、朝(あさ)から晴(は)れ〴〵とした、お天(てん)氣(きも)模(や)樣(う)で、辻(つじ)へ立(た)つて日(ひ)を禮(れい)したほどである。おそろしき大(おほ)地(ぢし)震(ん)、大(たい)火(くわ)の爲(ため)に、大(だい)都(と)は半(なかば)、阿(あび)鼻(せ)焦(う)土(ど)となんぬ。お月(つき)見(み)でもあるまいが、背(せ)戸(ど)の露(つゆ)草(くさ)は青(あを)く冴(さ)えて露(つゆ)にさく。……廂(ひさし)破(やぶ)れ、軒(のき)漏(も)るにつけても、光(ひか)りは身(み)に沁(し)む月(つき)影(かげ)のなつかしさは、せめて薄(すゝき)ばかりも供(そな)へようと、大(おほ)通(どほ)りの花(はな)屋(や)へ買(か)ひに出(だ)すのに、こんな時(じせ)節(つ)がら、用(よう)意(い)をして賣(う)つてゐるだらうか。……覺(おぼ)束(つか)ながると、つかひに行(ゆ)く女(ぢよ)中(ちう)が元(げん)氣(き)な顏(かほ)して、花(はな)屋(や)になければ向(むか)う土(ど)手(て)へ行(い)つて、葉(は)ばかりでも折(を)つぺしよつて來(き)ませうよ、といつた。いふことが、天(てん)變(ぺん)によつてきたへられて徹(てつ)底(てい)してゐる。
女(をんな)でさへその意(い)氣(き)だ。男(だん)子(し)は働(はたら)かなければならない。――こゝで少(せう)々(〳〵)小(こご)聲(ゑ)になるが、お互(たがひ)に稼(かせ)がなければ追(お)つ付(つ)かない。……
既(すで)に、大(おほ)地(ぢし)震(ん)の當(たう)夜(や)から、野(のじ)宿(ゆく)の夢(ゆめ)のまださめぬ、四(よつ)日(か)の早(さう)朝(てう)、眞(まつ)黒(くろ)な顏(かほ)をして見(みま)舞(ひ)に來(き)た。……前(ぜん)に内(うち)にゐて手(て)まはりを働(はたら)いてくれた淺(あさ)草(くさ)ツ娘(こ)の婿(むこ)の裁(した)縫(て)屋(や)などは、土(と)地(ち)の淺(あさ)草(くさ)で丸(まる)燒(や)けに燒(や)け出(だ)されて、女(によ)房(うばう)には風(ふろ)呂(し)敷(き)を水(みづ)びたしにして髮(かみ)にかぶせ、おんぶした嬰(あか)兒(んぼ)には、ねんねこを濡(ぬ)らしてきせて、火(ひ)の雨(あめ)、火(ひ)の風(かぜ)の中(なか)を上(うへ)野(の)へ遁(に)がし、あとで持(も)ち出(だ)した片(かた)手(て)さげの一(いつ)荷(か)さへ、生(いの)命(ち)の危(あや)ふさに打(う)つちやつた。……何(なん)とかや――いと呼(よ)んでさがして、漸(やうや)く竹(たけ)の臺(だい)でめぐり合(あ)ひ、そこも火(ひ)に追(お)はれて、三(みか)河(はし)島(ま)へ遁(に)げのびてゐるのだといふ。いつも來(く)る時(とき)は、縞(しも)もののそろひで、おとなしづくりの若(わか)い男(をとこ)で、女(をんな)の方(はう)が年(とし)下(した)の癖(くせ)に、薄(うす)手(で)の圓(ま)髷(げ)でじみづくりの下(した)町(まち)好(ごの)みでをさまつてゐるから、姉(あね)女(によ)房(うばう)に見(み)えるほどなのだが、﹁嬰(あか)兒(んぼ)が乳(ちゝ)を呑(の)みますから、私(あつし)は何(ど)うでも、彼(あ)女(れ)には實(み)に成(な)るものの一(ひと)口(くち)も食(く)はせたうござんすから。﹂――で、さしあたり仕(した)立(て)ものなどの誂(あつらへ)はないから、忽(たちま)ち荷(にぐ)車(るま)を借(か)りて曳(ひ)きはじめた――これがまた手(てつ)取(と)り早(ばや)い事(こと)には、どこかそこらに空(あき)車(ぐるま)を見(み)つけて、賃(ちん)貸(が)しをしてくれませんかと聞(き)くと、燒(や)け原(はら)に突(つ)き立(た)つた親(おや)仁(ぢ)が、﹁かまはねえ、あいてるもんだ、持(も)つてきねえ。﹂と云(い)つたさうである。人(ひと)ごみの避(ひな)難(んじ)所(よ)へすぐ出(で)向(む)いて、荷(にも)物(つ)の持(も)ち運(はこ)びをがたり〳〵やつたが、いゝ立(た)て前(まへ)になる。……そのうち場(ばし)所(よ)の事(こと)だから、別(べつ)に知(し)り合(あひ)でもないが、柳(やな)橋(ぎばし)のらしい藝(げい)妓(しや)が、青(あを)山(やま)の知(しる)邊(べ)へ遁(に)げるのだけれど、途(とち)中(う)不(ふあ)案(んな)内(い)だし、一(ひと)人(り)ぢや可(こ)恐(は)いから、兄(にい)さん送(おく)つて下(くだ)さいな、といつたので、おい、合(がつ)點(てん)と、乘(の)せるのでないから、そのまゝ荷(にぐ)車(るま)を道(みち)端(ばた)にうつちやつて、手(て)をひくやうにしておくり屆(とゞ)けた。﹁別(べつ)嬪(ぴん)でござんした。﹂たゞでもこの役(やく)はつとまる所(ところ)をしみ〴〵禮(れい)をいはれた上(うへ)に、﹁たんまり御(ごし)祝(う)儀(ぎ)を。﹂とよごれくさつた半(はん)纏(てん)だが、威(ゐせ)勢(い)よく丼(どんぶり)をたゝいて見(み)せて、﹁何(なに)、何(なに)をしたつて身(から)體(だ)さへ働(はたら)かせりや、彼(あ)女(れ)に食(く)はせて、乳(ちゝ)はのまされます。﹂と、仕(した)立(て)屋(や)さんは、いそ〳〵と歸(かへ)つていつた。――年(ねん)季(き)を入(い)れた一(いつ)ぱしの居(ゐじ)職(よく)がこれである。
それを思(おも)ふと、机(つくゑ)に向(むか)つたなりで、白(はく)米(まい)を炊(た)いてたべられるのは勿(もつ)體(たい)ないと云(い)つてもいゝ。非(ひじ)常(やう)の場(ばあ)合(ひ)だ。……稼(かせ)がずには居(ゐ)られない。
社(しや)にお約(やく)束(そく)の期(きげ)限(ん)はせまるし、……實(じつ)は十(めい)五(げ)夜(つ)の前(まへ)の晩(ばん)あたり、仕(しご)事(と)にかゝらうと思(おも)つたのである。所(ところ)が、朝(あさ)からの吹(ふ)き降(ぶ)りで、日(ひ)が暮(く)れると警(けい)報(はう)の出(で)た暴(ばう)風(ふう)雨(う)である。電(でん)燈(とう)は消(き)えるし、どしや降(ぶ)りだし、風(かぜ)はさわぐ、ねずみは荒(あ)れる。……急(きふ)ごしらへの油(あぶら)の足(た)りない白(しら)ちやけた提(ちや)灯(うちん)一(ひと)具(つ)に、小(ちひ)さくなつて、家(うち)中(ぢう)が目(め)ばかりぱち〳〵として、陰(いん)氣(き)に滅(め)入(い)つたのでは、何(なん)にも出(で)來(き)ず、口(くち)もきけない。拂(ふつ)底(てい)な蝋(らふ)燭(そく)の、それも細(ほそ)くて、穴(あな)が大(おほ)きく、心(しん)は暗(くら)し、數(かず)でもあればだけれども、祕(ひざ)藏(う)の箱(はこ)から……出(だ)して見(み)た覺(おぼ)えはないけれど、寶(はう)石(せき)でも取(とり)出(だ)すやうな大(たい)切(せつ)な、その蝋(らふ)燭(そく)の、時(とき)よりも早(はや)くぢり〳〵と立(た)つて行(ゆ)くのを、氣(き)を萎(なや)して、見(み)詰(つ)めるばかりで、かきもの所(どころ)の沙(さ)汰(た)ではなかつた。
戸(と)をなぐりつける雨(あめ)の中(なか)に、風(かぜ)に吹(ふ)きまはされる野(のわ)分(きご)聲(ゑ)して、﹁今(こん)晩(ばん)――十(じふ)時(じ)から十(じふ)一(いち)時(じ)までの間(あひだ)に、颶(ぐふ)風(う)の中(ちう)心(しん)が東(とう)京(きやう)を通(つう)過(くわ)するから、皆(みな)さん、お氣(き)を付(つ)けなさるやうにといふ、たゞ今(いま)、警(けい)官(くわん)から御(ごち)注(う)意(い)がありました。――御(ごち)注(う)意(い)を申(まを)します。﹂と、夜(やけ)警(いた)當(うば)番(ん)がすぐ窓(まど)の前(まへ)を觸(ふ)れて通(とほ)つた。
さらぬだに、地(ぢし)震(ん)で引(ひつ)傾(かし)いでゐる借(しや)屋(くや)である。颶(ぐふ)風(う)の中(ちう)心(しん)は魔(ま)の通(とほ)るより氣(き)味(み)が惡(わる)い。――胸(むね)を引(ひき)緊(し)め、袖(そで)を合(あは)せて、ゐすくむと、や、や、次(しだ)第(い)に大(おほ)風(かぜ)は暴(あ)れせまる。……一(ひと)しきり、一(ひと)しきり、たゞ、辛(から)き息(いき)をつかせては、ウヽヽヽ、ヒユーとうなりを立(た)てる。浮(う)き袋(ぶくろ)に取(とり)付(つ)いた難(なん)破(ぱせ)船(ん)の沖(おき)のやうに、提(ちや)灯(うちん)一(ひと)つをたよりにして、暗(くら)闇(やみ)にたゞよふうち、さあ、時(とき)かれこれ、やがて十(じふ)二(に)時(じ)を過(す)ぎたと思(おも)ふと、氣(き)の所(せ)爲(ゐ)か、その中(ちう)心(しん)が通(とほ)り過(す)ぎたやうに、がう〳〵と戸(とし)障(やう)子(じ)をゆする風(かぜ)がざツと屋(や)の棟(むね)を拂(はら)つて、やゝ輕(かる)くなるやうに思(おも)はれて、突(つ)つ伏(ぷ)したものも、僅(わづか)に顏(かほ)を上(あ)げると……何(ど)うだらう、忽(たちま)ち幽(いう)怪(くわい)なる夜(やい)陰(ん)の汽(きて)笛(き)が耳(みゝ)をゑぐつて間(ま)ぢかに聞(きこ)えた。﹁あゝ、︵ウウ︶が出(で)ますよ。﹂と家(かな)内(い)があをい顏(かほ)をする。――この風(かぜ)に――私(わたし)は返(へん)事(じ)も出(で)來(き)なかつた。
カチ、カチ、カヽチ
カチ、カチ、カヽチ
雨(あめ)にしづくの拍(ひや)子(うし)木(ぎ)が、雲(くも)の底(そこ)なる十(じふ)四(よつ)日(か)の月(つき)にうつるやうに、袖(そで)の黒(くろ)さも目(め)に浮(う)かんで、四(しご)五(け)軒(ん)北(きた)なる大(おほ)銀(いて)杏(ふ)の下(した)に響(ひゞ)いた。――私(わたし)は、霜(しも)に睡(ねむり)をさました劍(けん)士(し)のやうに、付(つ)け燒(や)き刃(ば)に落(お)ちついて聞(き)きすまして、﹁大(だい)丈(ぢや)夫(うぶ)だ。火(ひ)が近(ちか)ければ、あの音(おと)が屹(きつ)とみだれる。﹂……カチカチカヽチ。﹁靜(しづ)かに打(う)つてゐるのでは火(くわ)事(じ)は遠(とほ)いよ。﹂﹁まあ、さうね。﹂といふ言(こと)葉(ば)も、果(は)てないのに、﹁中(なか)六(ろく)﹂﹁中(なか)六(ろく)﹂と、ひしめきかはす人(ひと)々(〴〵)の聲(こゑ)が、その、銀(いて)杏(ふ)の下(した)から車(しや)輪(りん)の如(ごと)く軋(きし)つて來(き)た。
續(つゞ)いて、﹁中(なか)六(ろく)が火(くわ)事(じ)ですよ。﹂と呼(よ)んだのは、再(ふたゝ)び夜(やけ)警(い)の聲(こゑ)である。やあ、不(いけ)可(な)い。中(なか)六(ろく)と言(い)へば、長(なが)い梯(はし)子(ご)なら屆(とゞ)くほどだ。然(しか)も風(かざ)下(しも)、眞(まし)下(た)である。私(わたし)たちは默(だま)つて立(た)つた。青(あを)ざめた女(をんな)の瞼(まぶた)も決(けつ)意(い)に紅(くれなゐ)に潮(てう)しつゝ、﹁戸(と)を開(あ)けないで支(した)度(く)をしませう。﹂地(ぢし)震(ん)以(いら)來(い)、解(と)いた事(こと)のない帶(おび)だから、ぐいと引(ひき)しめるだけで事(こと)は足(た)りる。﹁度(たび)々(〳〵)で濟(す)みません。――御(ごめ)免(ん)なさいましよ。﹂と、やつと佛(ぶつ)壇(だん)へ納(をさ)めたばかりの位(ゐは)牌(い)を、内(うち)中(ぢう)で、此(これ)ばかりは金(こん)色(じき)に、キラリと風(ふろ)呂(し)敷(き)に包(つゝ)む時(とき)、毛(けつ)布(と)を撥(は)ねてむつくり起(おき)上(あが)つた――下(げし)宿(ゆく)を燒(や)かれた避(ひな)難(んし)者(や)の濱(はま)野(のく)君(ん)が、﹁逃(に)げると極(き)めたら落(おち)着(つ)きませう。いま火(ひ)の樣(やう)子(す)を。﹂とがらりと門(かど)口(ぐち)の雨(あま)戸(ど)を開(あ)けた。可(こ)恐(は)いもの見(み)たさで、私(わたし)もふツと立(た)つて、框(かまち)から顏(かほ)を出(だ)すと、雨(あめ)と風(かぜ)とが横(よこ)なぐりに吹(ふき)つける。處(ところ)へ――靴(くつ)音(おと)をチヤ〳〵と刻(きざ)んで、銀(いて)杏(ふ)の方(はう)から來(き)なすつたのは、町(ちや)内(うない)の白(しら)井(ゐ)氏(し)で、おなじく夜(やけ)警(い)の當(たう)番(ばん)で、﹁あゝもう可(よ)うございます。漏(ろう)電(でん)ですが消(き)えました。――軍(ぐん)隊(たい)の方(かた)も、大(おほ)勢(ぜい)見(み)えてゐますから安(あん)心(しん)です。﹂﹁何(なん)とも、ありがたう存(ぞん)じます――分(わ)けて今(こん)晩(ばん)は御(ごく)苦(らう)勞(さ)樣(ま)です……後(のち)に御(ごか)加(せ)勢(い)にまゐります。﹂おなじく南(みなみ)どなりへ知(し)らせにおいでの、白(しら)井(ゐ)氏(し)のレインコートの裾(すそ)の、身(み)にからんで、煽(あふ)るのを、濛(もう)々(〳〵)たる雲(くも)の月(つき)影(かげ)に見(み)おくつた。
この時(とき)も、戸(おも)外(て)はまだ散(さん)々(〴〵)であつた。木(き)はたゞ水(みな)底(そこ)の海(み)松(る)の如(ごと)くうねを打(う)ち、梢(こずゑ)が窪(くぼ)んで、波(なみ)のやうに吹(ふき)亂(みだ)れる。屋(や)根(ね)をはがれたトタン板(いた)と、屋(やね)根(い)板(た)が、がたん、ばり〳〵と、競(かけ)を追(お)つたり、入(い)りみだれたり、ぐる〳〵と、踊(をど)り燥(さわ)ぐと、石(いし)瓦(かはら)こそ飛(と)ばないが、狼(らう)藉(ぜき)とした罐(くわ)詰(んづめ)のあき殼(がら)が、カラカランと、水(くひ)鷄(な)が鐵(かな)棒(ぼう)をひくやうに、雨(あま)戸(ど)もたゝけば、溝(みぞ)端(ばた)を突(つツ)駛(ぱし)る。溝(みぞ)に浸(つか)つた麥(むぎ)藁(わら)帽(ばう)子(し)が、竹(たけ)の皮(かは)と一(いつ)所(しよ)に、プンと臭(にほ)つて、眞(ま)つ黒(くろ)になつて撥(はね)上(あ)がる。……もう、やけになつて、鳴(な)きしきる蟲(むし)の音(ね)を合(あひ)方(かた)に、夜(やか)行(う)の百(ひや)鬼(くき)が跳(てう)梁(りや)跋(うば)扈(つこ)の光(くわ)景(うけい)で。――この中(なか)を、折(を)れて飛(と)んだ青(あを)い銀(いて)杏(ふ)の一(ひと)枝(えだ)が、ざぶり〳〵と雨(あめ)を灌(そゝ)いで、波(はじ)状(やう)に宙(ちう)を舞(ま)ふ形(かたち)は、流(りう)言(げん)の鬼(おに)の憑(つき)ものがしたやうに、﹁騷(さわ)ぐな、おのれ等(ら)――鎭(しづ)まれ、鎭(しづ)まれ。﹂と告(の)つて壓(お)すやうであつた。
﹁私(わたし)も薪(まき)雜(ざつ)棒(ぽう)を持(も)つて出(で)て、亞(トタ)鉛(ン)と一(いち)番(ばん)、鎬(しのぎ)を削(けづ)つて戰(たゝか)はうかな。﹂と喧(けん)嘩(くわ)過(す)ぎての棒(ぼう)ちぎりで擬(ぎせ)勢(い)を示(しめ)すと、﹁まあ、可(よ)かつたわね、ありがたい。﹂と嬉(うれ)しいより、ありがたいのが、斯(か)うした時(とき)の眞(しん)實(じつ)で。
﹁消(け)して下(くだ)すつた兵(へい)隊(たい)さんを、こゝでも拜(をが)みませう。﹂と、女(ぢよ)中(ちう)と一(いつ)所(しよ)に折(を)り重(かさ)なつて門(かど)を覗(のぞ)いた家(かな)内(い)に、﹁怪(け)我(が)をしますよ。﹂と叱(しか)られて引(ひき)込(こ)んだ。
誠(まこと)にありがたがるくらゐでは足(た)りないのである。火(ひ)は、亞(トタ)鉛(ンい)板(た)が吹(ふ)つ飛(と)んで、送(そう)電(でん)線(せん)に引(ひき)掛(かゝ)つてるのが、風(かぜ)ですれて、線(せん)の外(ぐわ)被(いひ)を切(き)つたために發(はつ)したので。警(けい)備(びた)隊(い)から、驚(す)破(は)と駈(かけ)つけた兵(へい)員(ゐん)達(たち)は、外(ぐわ)套(いたう)も被(き)なかつたのが多(おほ)いさうである。危(きけ)險(ん)を冒(をか)して、あの暴(ばう)風(ふう)雨(う)の中(なか)を、電(でん)柱(ちう)を攀(よ)ぢて、消(け)しとめたのであると聞(き)いた。――颶(はや)風(て)の過(す)ぎる警(けい)告(こく)のために、一(いち)人(にん)駈(か)けまはつた警(けい)官(くわん)も、外(ぐわ)套(いたう)なしに骨(ほね)までぐしよ濡(ぬ)れに濡(ぬ)れ通(とほ)つて――夜(やけ)警(い)の小(こ)屋(や)で、餘(あま)りの事(こと)に、﹁おやすみになるのに、お着(きが)替(へ)がありますか。﹂といつて聞(き)くと、﹁住(すま)居(ひ)は燒(や)けました。何(なに)もありません。――休(きう)息(そく)に、同(どう)僚(れう)のでも借(か)りられればですが、大(たい)抵(てい)はこのまゝ寢(ね)ます。﹂との事(こと)だつたさうである。辛(しん)勞(らう)が察(さつ)しらるゝ。
雨(あめ)になやんで、葉(は)うらにすくむ私(わたし)たちは、果(くわ)報(はう)といつても然(しか)るべきであらう。
曉(あか)方(つきがた)、僅(わづか)にとろりとしつゝ目(め)がさめた。寢(ねぐ)苦(るし)い思(おも)ひの息(いき)つぎに朝(あさ)戸(ど)を出(で)ると、あの通(とほ)り暴(あ)れまはつたトタン板(いた)も屋(やね)根(い)板(た)も、大(だい)地(ち)に、ひしとなつてへたばつて、魍(まう)魎(りやう)を跳(をど)らした、ブリキ罐(くわん)、瀬(せ)戸(と)のかけらも影(かげ)を散(ち)らした。風(かぜ)は冷(つめた)く爽(さわやか)に、町(まち)一(いち)面(めん)に吹(ふ)きしいた眞(まつ)蒼(さを)な銀(いて)杏(ふ)の葉(は)が、そよ〳〵と葉(は)のへりを優(やさ)しくそよがせつゝ、芬(ぷん)と、樹(き)の秋(あき)の薫(かをり)を立(た)てる。……
早(はや)起(お)きの女(ぢよ)中(ちう)がざぶ〳〵、さら〳〵と、早(はや)、その木(き)の葉(は)をはく。……化(ば)けさうな古(ふる)箒(ばうき)も、唯(と)見(み)ると銀(いて)杏(ふ)の簪(かんざし)をさした細(さい)腰(えう)の風(ふぜ)情(い)がある。――しばらく、雨(あめ)ながら戸(と)に敷(し)いたこの青(あを)い葉(は)は、そのまゝにながめたし。﹁晩(ばん)まで掃(は)かないで。﹂と、留(と)めたかつた。が、時(じせ)節(つ)がらである。落(お)ち葉(ば)を掃(は)かないのさへ我(わが)儘(まゝ)らしいから、腕(うで)を組(く)んでだまつて視(み)た。
裏(うら)の小(こに)庭(は)で、雀(すゞめ)と一(いつ)所(しよ)に、嬉(うれ)しさうな聲(こゑ)がする。……昨(ゆう)夜(べ)、戸(おも)外(て)を舞(まひ)靜(しづ)めた、それらしい、銀(いて)杏(ふ)の折(を)れ枝(えだ)が、大(おほ)屋(や)根(ね)を越(こ)したが、一(ひと)坪(つぼ)ばかりの庭(には)に、瑠(る)璃(り)淡(あは)く咲(さ)いて、もう小(ちひ)さくなつた朝(あさ)顏(がほ)の色(いろ)に縋(すが)るやうに、たわゝに掛(かゝ)つた葉(は)の中(なか)に、一(ひと)粒(つぶ)、銀(ぎん)杏(なん)の實(み)のついたのを見(み)つけたのである。﹁たべられるものか、下(げ)卑(び)なさんな。﹂﹁なぜ、何(ど)うして?﹂﹁いちじくとはちがふ。いくら食(く)ひしん坊(ばう)でも、その實(み)は黄(きい)色(ろ)くならなくつては。﹂﹁へい。﹂と目(め)を丸(まる)くして、かざした所(ところ)は、もち手(て)は借(しや)家(くか)の山(やま)の神(かみ)だ、が、露(つゆ)もこぼるゝ。枝(えだ)に、大(だい)慈(じ)の楊(やう)柳(りう)の俤(おもかげ)があつた。
――ところで、前(ぜん)段(だん)にいつた通(とほ)り、この日(ひ)はめづらしく快(くわ)晴(いせい)した。
……通(とほ)りの花(はな)屋(や)、花(はな)政(まさ)では、きかない氣(き)の爺(ぢい)さんが、捻(ねぢ)鉢(はち)卷(まき)で、お月(つき)見(み)のすゝき、紫(しを)苑(ん)、女(をみ)郎(なへ)花(し)も取(とり)添(そ)へて、おいでなせえと、やつて居(ゐ)た。葉(は)に打(う)つ水(みづ)もいさぎよい。
可(よ)し、この樣(やう)子(す)では、歳(さい)時(じ)記(き)どほり、十(じふ)五(ご)夜(や)の月(つき)はかゞやくであらう。打(う)ちつゞく惡(あく)鬼(き)ばらひ、屋(をく)を壓(あつ)する黒(くろ)雲(くも)をぬぐつて、景(けい)氣(き)なほしに﹁明(めい)月(げつ)﹂も、しかし沙(さ)汰(た)過(す)ぎるから、せめて﹁良(りや)夜(うや)﹂とでも題(だい)して、小(せう)篇(へん)を、と思(おも)ふうちに……四(しご)五(に)人(ん)のお客(きやく)があつた。いづれも厚(こう)情(じやう)、懇(こん)切(せつ)のお見(みま)舞(ひ)である。
打(う)ち寄(よ)れば言(い)ふ事(こと)よ。今(こん)度(ど)の大(だい)災(さい)害(がい)につけては、先(さき)んじて見(み)舞(ま)はねばならない、燒(や)け殘(のこ)りの家(いへ)の無(ぶ)事(じ)な方(はう)が後(あと)になつて――類(るゐ)燒(せう)をされた、何(なん)とも申(まを)しやうのない方(かた)たちから、先(せん)手(て)を打(う)つて見(み)舞(ま)はれる。壁(かべ)の破(やぶ)れも、防(ふせ)がねばならず、雨(あま)漏(も)りも留(と)めたし、……その何(なに)よりも、火(ひ)をまもるのが、町(ちや)内(うない)の義(ぎ)理(り)としても、大(たい)切(せつ)で、煙(たば)草(こぼ)盆(ん)一(ひと)つにも、一(ひと)人(り)はついて居(ゐ)なければならないやうな次(しだ)第(い)であるため、ひつ込(こ)みじあんに居(ゐ)すくまつて、小(ちひ)さくなつてゐるからである。
早(はや)く、この十(とを)日(か)ごろにも、連(れん)日(じつ)の臆(おく)病(びやう)づかれで、寢(ね)るともなしにころがつてゐると、﹁鏡(きやう)さんはゐるかい。――何(なに)は……ゐなさるかい。﹂と取(とり)次(つ)ぎ……といふほどの奧(おく)はない。出(で)合(あ)はせた女(ぢよ)中(ちう)に、聞(き)きなれない、かう少(すこ)し掠(かす)れたが、よく通(とほ)る底(そこ)力(ぢから)のある、そして親(した)しい聲(こゑ)で音(おと)づれた人(ひと)がある。﹁あ、長(ながし)さん。﹂私(わたし)は心(こゝろ)づいて飛(と)び出(だ)した。はたして松(まつ)本(もと)長(ながし)であつた。
この能(のう)役(やく)者(しや)は、木(き)曾(そ)の中(なか)津(つが)川(は)に避(ひし)暑(よち)中(う)だつたが、猿(さる)樂(がく)町(ちやう)の住(すま)居(ひ)はもとより、寶(はう)生(しやう)の舞(ぶた)臺(い)をはじめ、芝(しば)の琴(こと)平(ひら)町(ちやう)に、意(い)氣(き)な稽(けい)古(こじ)所(よ)の二(にか)階(い)屋(や)があつたが、それもこれも皆(みな)灰(くわ)燼(いじん)して、留(る)守(す)の細(さい)君(くん)――︵評(ひや)判(うばん)の賢(けん)婦(ぷじ)人(ん)だから厚(こう)禮(れい)して︶――御(ごし)新(ん)造(ぞ)が子(こど)供(も)たちを連(つ)れて辛(から)うじて火(ひ)の中(なか)をのがれたばかり、何(なん)にもない。歴(れつ)乎(き)とした役(やく)者(しや)が、ゴム底(そこ)の足(た)袋(び)に卷(ま)きゲートル、ゆかたの尻(しり)ばしよりで、手(てぬ)拭(ぐひ)を首(くび)にまいてやつて來(き)た。﹁いや、えらい事(こと)だつたね。――今(け)日(ふ)も燒(や)けあとを通(とほ)つたがね、學(がく)校(かう)と病(びや)院(うゐん)に火(ひ)がかゝつたのに包(つゝ)まれて、駿(する)河(がだ)臺(い)の、あの崖(がけ)を攀(よ)ぢ上(のぼ)つて逃(に)げたさうだが、よく、あの崖(がけ)が上(のぼ)られたものだと思(おも)ふよ。ぞつとしながら、つく〴〵見(み)たがね、上(あ)がらうたつて上(あ)がれさうな所(ところ)ぢやない。女(をんな)の腕(うで)に大(おほ)勢(ぜい)の小(こど)兒(も)をつれてゐるんだから――いづれ人(ひと)さ、誰(だれ)かが手(て)を取(と)り、肩(かた)をひいてくれたんだらうが、私(わたし)は神(しん)佛(ぶつ)のおかげだと思(おも)つて難(あり)有(がた)がつてゐるんだよ。――あゝ、裝(しや)束(うぞく)かい、皆(みん)な灰(はひ)さ――面(めん)だけは近(きん)所(じよ)のお弟(で)子(し)が駈(か)けつけて、殘(のこ)らずたすけた。百(ひやく)幾(いく)つといふんだが、これで寶(はう)生(しや)流(うりう)の面(めん)目(ぼく)は立(た)ちます。裝(しや)束(うぞく)は、いづれ年(とし)がたてば新(あたら)しくなるんだから。﹂と蜀(しよ)江(くこう)の錦(にしき)、呉(ごか)漢(ん)の綾(あや)、足(あし)利(かゞ)絹(ぎぬ)もものともしないで、﹁よそぢや、この時(じせ)節(つ)、一(いつ)本(ぽん)お燗(かん)でもないからね、ビールさ。久(ひさ)しぶりでいゝ心(こゝ)持(ろもち)だ。﹂と熱(あつ)燗(かん)を手(てじ)酌(やく)で傾(かたむ)けて、﹁親(しん)類(るゐ)うちで一(いつ)軒(けん)でも燒(や)けなかつたのがお手(てが)柄(ら)だ。﹂といつて、うれしさうな顏(かほ)をした。うらやましいと言(い)はないまでも、結(けつ)構(こう)だとでもいふことか、手(てが)柄(ら)だといつて讚(ほ)めてくれた。私(わたし)は胸(むね)がせまつた。と同(どう)時(じ)に、一(いち)藝(げい)に達(たつ)した、いや――從(い)兄(と)弟(こ)だからグツと割(わり)びく――たづさはるものの意(い)氣(き)を感(かん)じた。神(かん)田(だつ)兒(こ)だ。彼(かれ)は生(はえ)拔(ぬ)きの江(えど)戸(つ)兒(こ)である。
その日(ひ)、はじめて店(みせ)をあけた通(とほ)りの地(ちき)久(うあ)庵(ん)の蒸(せい)籠(ろう)をつる〳〵と平(たひら)げて、﹁やつと蕎(そ)麥(ば)にありついた。﹂と、うまさうに、大(おほ)胡(あぐ)坐(ら)を掻(か)いて、また飮(の)んだ。
印(しる)半(しば)纏(んてん)一(いち)枚(まい)に燒(や)け出(だ)されて、いさゝかもめげないで、自(じじ)若(やく)として胸(むね)をたゝいて居(ゐ)るのに、なほ万(まん)ちやんがある。久(く)保(ぼ)田(た)さんは、まる燒(や)けのしかも二(に)度(ど)目(め)だ。さすがに淺(あさ)草(くさ)の兄(にい)さんである。
つい、この間(あひだ)も、水(みな)上(かみ)さんの元(げん)祿(ろく)長(なが)屋(や)、いや邸(やしき)︵註(ちう)、建(た)つて三(さん)百(びや)年(くねん)といふ古(ふる)家(いへ)の一(ひと)つがこれで、もう一(ひと)つが三(さん)光(くわ)社(うし)前(やまへ)の一(ひと)棟(むね)で、いづれも地(ぢし)震(ん)にびくともしなかつた下(しも)六(ろく)番(ばん)町(ちやう)の名(めい)物(ぶつ)である。︶へ泊(とま)りに來(き)てゐて、寢(ね)ころんで、誰(たれ)かの本(ほん)を讀(よ)んでゐた雅(がり)量(やう)は、推(すゐ)服(ふく)に値(あたひ)する。
ついて話(はな)しがある。︵猿(さる)どのの夜(よさ)寒(む)訪(と)ひゆく兎(うさぎ)かな︶で、水(みな)上(かみ)さんも、私(わたし)も、場(ばし)所(よ)はちがふが、兩(りや)方(うはう)とも交(かう)代(たい)夜(よば)番(ん)のせこに出(で)てゐる。町(まち)の角(かど)一(ひと)つへだてつゝ、﹁いや、御(ごど)同(うや)役(く)いかゞでござるな。﹂と互(たがひ)に訪(と)ひつ訪(と)はれつする。私(わたし)があけ番(ばん)の時(とき)、宵(よひ)のうたゝねから覺(さ)めて辻(つじ)へ出(で)ると、こゝにつめてゐた當(たう)夜(や)の御(ごば)番(ん)が﹁先(せん)刻(こく)、あなたのとこへお客(きやく)がありましてね、門(かど)をのぞきなさるから、あゝ泉(いづみ)をおたづねですかと、番(こ)所(ゝ)から聲(こゑ)を掛(か)けますと、いや用(よう)ではありません――番(ばん)だといふから、ちよつと見(み)に來(き)ました、といつてお歸(かへ)りになりました。戸(と)をあけたまゝで、お宅(たく)ぢやあ皆(みな)さん、お寢(やす)みのやうでした。﹂との事(こと)である。
﹁どんな人(ひと)です。﹂と聞(き)くと、﹁さあ、はつきりは分(わか)りませんが、大(おほ)きな眼(めが)鏡(ね)を掛(か)けておいででした。﹂あゝ、水(みな)上(かみ)さんのとこへ、今(こん)夜(や)も泊(とま)りに來(き)た人(ひと)だらう、万(まん)ちやんだな、と私(わたし)はさう思(おも)つた。久(く)保(ぼ)田(た)さんは、大(おほ)きな眼(めが)鏡(ね)を掛(か)けてゐる。――所(ところ)がさうでない。來(き)たのは瀧(たき)君(くん)であつた。評(ひや)判(うばん)のあの目(め)が光(ひか)つたと見(み)える。これも讚(さん)稱(しよう)にあたひする。
――さてこの日(ひ)、十(じふ)五(ご)夜(や)の當(たう)日(じつ)も、前(ぜん)後(ご)してお客(きやく)が歸(かへ)ると、もうそちこち晩(ばん)方(がた)であつた。
例(れい)年(ねん)だと、その薄(すゝき)を、高(たか)樓(どの)――もちとをかしいが、この家(いへ)で二(にか)階(い)だから高(たか)いにはちがひない。その月(つき)の出(で)の正(しや)面(うめん)にかざつて、もと手(で)のかゝらぬお團(だん)子(ご)だけは堆(うづたか)く、さあ、成(なり)金(きん)、小(こば)判(ん)を積(つ)んで較(くら)べて見(み)ろと、飾(かざ)るのだけれど、ふすまは外(はづ)れる。障(しや)子(うじ)の小(こ)間(ま)はびり〳〵と皆(みな)破(やぶ)れる。雜(ざつ)と掃(は)き出(だ)したばかりで、煤(すゝ)もほこりも其(そ)のまゝで、まだ雨(あま)戸(ど)を開(あ)けないで置(お)くくらゐだから、下(し)階(た)の出(でま)窓(どし)下(た)、すゝけた簾(すだれ)ごしに供(そな)へよう。お月(つき)樣(さま)、おさびしうございませうがと、飾(かざ)る。……その小(ちひ)さな臺(だい)を取(と)りに、砂(すな)で氣(き)味(み)の惡(わる)い階(はし)子(ごだ)段(ん)を上(あ)がると、……プンとにほつた。焦(こ)げるやうなにほひである。ハツと思(おも)ふと、かう氣(き)のせゐか、立(た)てこめた中(なか)に煙(けむり)が立(た)つ。私(わたし)はバタ〳〵と飛(と)びおりた。﹁ちよつと來(き)て見(み)ておくれ、焦(こ)げくさいよ。﹂家(かな)内(い)が血(けつ)相(さう)して駈(か)けあがつた。﹁漏(ろう)電(でん)ぢやないか知(し)ら。﹂――一(いち)日(にち)の地(ぢし)震(ん)以(いら)來(い)、たばこ一(いつ)服(ぷく)、火(ひ)の氣(け)のない二(にか)階(い)である。﹁疊(たゝみ)をあげませう。濱(はま)野(の)さん……御(ごき)近(んじ)所(よ)の方(かた)、おとなりさん。﹂﹁騷(さわ)ぐなよ。﹂とはいつたけれども、私(わたし)も胸(むね)がドキ〳〵して、壁(かべ)に頬(ほゝ)を押(お)しつけたり、疊(たゝみ)を撫(な)でたり、だらしはないが、火(ひ)の氣(け)を考(かんが)へ、考(かんが)へつゝ、雨(あま)戸(ど)を繰(く)つて、衝(つ)と裏(うら)窓(まど)をあけると、裏(うら)手(て)の某(ぼう)邸(てい)の廣(ひろ)い地(ぢじ)尻(り)から、ドス黒(ぐろ)いけむりが渦(うづ)を卷(ま)いて、もう〳〵と立(た)ちのぼる。﹁湯(ゆ)どのだ、正(しや)體(うたい)は見(みと)屆(ゞ)けた、あの煙(けむり)だ。﹂といふと、濱(はま)野(の)さんが鼻(はな)を出(だ)して、嗅(か)いで見(み)て、﹁いえ、あのにほひは石(せき)炭(たん)です。一(ひと)つ嗅(か)いで來(き)ませう。﹂と、いふことも慌(あわ)てながら戸(おも)外(て)へ飛(と)び出(だ)す。――近(きん)所(じよ)の人(ひと)たちも、二(にさ)三(んに)人(ん)、念(ねん)のため、スヰツチを切(き)つて置(お)いて、疊(たゝみ)を上(あ)げた、が何(なに)事(ごと)もない。﹁御(ごあ)安(んし)心(ん)なさいまし、大(だい)丈(ぢや)夫(うぶ)でせう。﹂といふ所(ところ)へ、濱(はま)野(の)さんが、下(げ)駄(た)を鳴(なら)して飛(と)んで戻(もど)つて、﹁づか〳〵庭(には)から入(はひ)りますとね、それ、あの爺(ぢい)さん。﹂といふ、某(ぼう)邸(てい)の代(だい)理(り)に夜(よば)番(ん)に出(で)て、ゐねむりをしい〳〵、むかし道(だう)中(ちう)をしたといふ東(とう)海(かい)道(だう)の里(りて)程(い)を、大(おほ)津(つ)からはじめて、幾(いく)里(り)何(なん)町(ちやう)と五(ごじ)十(ふさ)三(んつ)次(ぎ)、徒(て)歩(く)で饒(しや)舌(べ)る。……安(あん)政(せい)の地(ぢし)震(ん)の時(とき)は、おふくろの腹(はら)にゐたといふ爺(ぢい)さんが、﹁風(ふ)呂(ろ)を焚(た)いてゐましてね、何(なに)か、嗅(か)ぐと矢(や)つ張(ぱ)り石(せき)炭(たん)でしたが、何(なん)か、よくきくと、たきつけに古(ふる)新(しん)聞(ぶん)と塵(ご)埃(み)を燃(も)したさうです。そのにほひが籠(こも)つたんですよ。大(だい)丈(ぢや)夫(うぶ)です。――爺(ぢい)さんにいひますとね、︵氣(き)の毒(どく)でがんしたなう。︶といつてゐました。﹂箱(はこ)根(ね)で煙(たば)草(こ)をのんだらうと、笑(わら)ひですんだから好(い)いものの、薄(すゝき)に月(つき)は澄(すみ)ながら、胸(むね)の動(どう)悸(き)は靜(しづ)まらない。あいにくとまた停(てい)電(でん)で、蝋(らふ)燭(そく)のあかりを借(か)りつゝ、燈(ともしび)と共(とも)に手(て)がふるふ。……なか〳〵に稼(かせ)ぐ所(どころ)ではないから、いきつぎに表(おもて)へ出(で)て、近(きん)所(じよ)の方(かた)に、たゞ今(いま)の禮(れい)を立(たち)話(ばな)しでして居(ゐ)ると、人(ひと)どよみを哄(どつ)とつくつて、ばら〳〵往(わう)來(らい)がなだれを打(う)つ。小(こど)兒(も)はさけぶ。犬(いぬ)はほえる。何(なん)だ。何(なん)だ。地(ぢし)震(ん)か火(くわ)事(じ)か、と騷(さわ)ぐと、馬(うま)だ、馬(うま)だ。何(なん)だ、馬(うま)だ。主(ぬし)のない馬(うま)だ。はなれ馬(うま)か、そりや大(たい)變(へん)と、屈(くつ)竟(きやう)なのまで、軒(のき)下(した)へパツと退(の)いた。放(はな)れ馬(うま)には相(さう)違(ゐ)ない。引(ひき)手(て)も馬(うま)方(かた)もない畜(ちく)生(しやう)が、あの大(おほ)地(ぢし)震(ん)にも縮(ちゞ)まない、長(なが)い面(つら)して、のそり〳〵と、大(だい)八(はち)車(ぐるま)のしたゝかな奴(やつ)を、たそがれの塀(へい)の片(かた)暗(や)夜(み)に、人(ひと)もなげに曳(ひ)いて伸(の)して來(く)る。重(おも)荷(に)に小(こ)づけとはこの事(こと)だ。その癖(くせ)、車(くるま)は空(から)である。
が、嘘(うそ)か眞(まこと)か、本(ほん)所(じよ)の、あの被(ひふ)服(くし)廠(やう)では、つむじ風(かぜ)の火(ひ)の裡(なか)に、荷(にぐ)車(るま)を曳(ひ)いた馬(うま)が、車(くるま)ながら炎(ほのほ)となつて、空(そら)をきり〳〵とつたと聞(き)けば、あゝ、その馬(うま)の幽(いう)靈(れい)が、車(くるま)の亡(ばう)魂(こん)とともに、フト迷(まよ)つて顯(あら)はれたかと、見(み)るにもの凄(すご)いまで、この騷(さわ)ぎに持(も)ち出(だ)した、軒(のき)々(〳〵)の提(ちや)灯(うちん)の影(かげ)に映(うつ)つたのであつた。
かういふ時(とき)だ。在(ざい)郷(がう)軍(ぐん)人(じん)が、シヤツ一(いち)枚(まい)で、見(みご)事(と)に轡(くつわ)を引(ひき)留(と)めた。が、この大(おほ)きなものを、せまい町(ちや)内(うない)、何(ど)處(こ)へつなぐ所(ところ)もない。御(ごめ)免(ん)だよ、誰(たれ)もこれを預(あづ)からない。そのはずで。……然(さ)うかといつて、どこへ戻(もど)す所(ところ)もないのである。少(すこ)しでも廣(ひろ)い、中(なか)六(ろく)へでも持(も)ち出(だ)すかと、曳(ひ)き出(だ)すと、人(ひと)をおどろかしたにも似(に)ない、おとなしい馬(うま)で、荷(にぐ)車(るま)の方(はう)が暴(あば)れながら、四(よつ)角(かど)を東(ひがし)へ行(ゆ)く。……
醉(よ)つ拂(ぱら)つたか、寢(ね)込(こ)んだか、馬(うま)方(かた)め、馬(ば)鹿(か)にしやがると、異(いせ)説(つ)、紛(ふん)々(〳〵)たる所(ところ)へ、提(ちや)灯(うちん)片(かた)手(て)に息(いき)せいて、馬(うま)の行(い)つた方(はう)から飛(と)び出(だ)しながら﹁皆(みな)さん、晝(ひる)すぎに、見(み)付(つ)けの米(こめ)屋(や)へ來(き)た馬(うま)です。あの馬(うま)の面(つら)に見(みお)覺(ぼ)えがあります。これから知(し)らせに行(ゆ)きます。﹂と、商(しや)家(うか)の中(ちう)僧(ぞう)さんらしいのが、馬(ま)士(ご)に覺(おぼ)え、とも言(い)はないで、呼(よ)ばはりながら北(きた)へ行(ゆ)く。
町(ちや)内(うない)一(いつ)ぱいのえらい人(ひと)出(で)だ、何(なん)につけても騷(さう)々(〴〵)しい。
かう何(ど)うも、番(ばん)ごと、どしんと、駭(おど)ろかされて、一(いち)々(〳〵)びく〳〵して居(ゐ)たんでは行(や)り切(き)れない。さあ、もつて來(こ)い、何(なん)でも、と向(むか)う顱(はち)卷(まき)をした所(ところ)で、馬(うま)の前(まへ)へは立(た)たれはしない。
夜(よ)ふけて、ひとり澄(す)む月(つき)も、忽(たちま)ち暗(くら)くなりはしないだらうか、眞(まつ)赤(か)になりはしないかと、おなじ不(ふあ)安(ん)に夜(よ)を過(す)ごした。
その翌(よく)日(じつ)――十(いざ)六(よ)夜(ひ)にも、また晩(ばん)方(がた)強(きや)震(うしん)があつた――おびえながら、この記(き)をつゞる。
時(とき)に、こよひの月(つき)は、雨(あま)空(ぞら)に道(みち)行(ゆ)きをするやうなのではない。かう〴〵しく、そして、やさしく照(て)つて、折(を)りしもあれ風(かぜ)一(ひと)しきり、無(むざ)慙(ん)にもはかなくなつた幾(いく)萬(まん)の人(ひと)たちの、燒(や)けし黒(くろ)髮(かみ)かと、散(ち)る柳(やなぎ)、焦(こ)げし心(しん)臟(ざう)かと、落(お)つる木(こ)の葉(は)の、宙(ちう)にさまよふと見(み)ゆるのを、撫(な)で慰(なぐ)さむるやうに、薄(うす)霧(ぎり)の袖(そで)の光(ひか)りを長(なが)く敷(し)いた。
大正十二年十月