番茶話
泉鏡太郎
小(こい)石(しか)川(は)傳(でん)通(づう)院(ゐん)には、︵鳴(な)かぬ蛙(かへる)︶の傳(でん)説(せつ)がある。おなじ蛙(かへる)の不(ふ)思(し)議(ぎ)は、確(たし)か諸(しよ)國(こく)に言(いひ)傳(つた)へらるゝと記(きお)憶(く)する。大(たい)抵(てい)此(これ)には昔(むかし)の名(めい)僧(そう)の話(はなし)が伴(ともな)つて居(ゐ)て、いづれも讀(どき)經(やう)の折(をり)、誦(しよ)念(うねん)の砌(みぎり)に、其(そ)の喧(さわ)噪(がし)さを憎(にく)んで、聲(こゑ)を封(ふう)じたと言(い)ふのである。坊(ばう)さんは偉(えら)い。蛙(かへる)が居(ゐ)ても、騷(さわ)がしいぞ、と申(まを)されて、鳴(な)かせなかつたのである。其(そ)處(こ)へ行(ゆ)くと、今(いま)時(どき)の作(さく)家(か)は恥(はづか)しい――皆(みな)が然(さ)うではあるまいが――番(ばん)町(ちやう)の私(わたし)の居(ゐ)るあたりでは犬(いぬ)が吠(ほ)えても蛙(かへる)は鳴(な)かない。一(いち)度(ど)だつて贅(ぜい)澤(たく)な叱(こゞ)言(と)などは言(い)はないばかりか、實(じつ)は聞(き)きたいのである。勿(もち)論(ろん)叱(こゞ)言(と)を言(い)つたつて、蛙(かへる)の方(はう)ではお約(やく)束(そく)の︵面(つら)へ水(みづ)︶だらうけれど、仕(しご)事(と)をして居(ゐ)る時(とき)の一(ちよ)寸(つと)合(あひ)方(かた)にあつても可(よ)し、唄(うた)に……﹁池(いけ)の蛙(かへる)のひそ〳〵話(ばなし)、聞(き)いて寢(ね)る夜(よ)の……﹂と言(い)ふ寸(すん)法(ぱふ)も惡(わる)くない。……一(いつ)體(たい)大(だい)すきなのだが、些(ちつ)とも鳴(な)かない。殆(ほとん)どひと聲(こゑ)も聞(きこ)えないのである。又(また)か、とむかしの名(めい)僧(そう)のやうに、お叱(しか)りさへなかつたら、こゝで、番(ばん)町(ちやう)の七(なゝ)不(ふ)思(し)議(ぎ)とか稱(とな)へて、其(そ)の一(ひと)つに數(かぞ)へたいくらゐである。が、何(なに)も珍(めづら)しがる事(こと)はない。高(たか)臺(だい)だから此(こ)の邊(へん)には居(ゐ)ないのらしい。――以(いぜ)前(ん)、牛(うし)込(ごめ)の矢(やら)來(い)の奧(おく)に居(ゐ)た頃(ころ)は、彼(あす)處(こい)等(ら)も高(たか)臺(だい)で、蛙(かへる)が鳴(な)いても、たまに一(ひと)つ二(ふた)つに過(す)ぎないのが、もの足(た)りなくつて、御(ごく)苦(らう)勞(せん)千(ば)萬(ん)、向(むか)島(うじま)の三(み)めぐりあたり、小(こう)梅(め)の朧(おぼ)月(ろづき)と言(い)ふのを、懷(ふと)中(ころ)ばかり春(はる)寒(さむ)く痩(やせ)腕(うで)を組(く)みながら、それでものんきに歩(ある)いた事(こと)もあつたつけ。……最(も)う恁(か)う世(よ)の中(なか)がせゝつこましく、物(ぶつ)價(か)が騰(とう)貴(き)したのでは、そんな馬(ば)鹿(か)な眞(ま)似(ね)はして居(ゐ)られない。しかし此(こ)の時(じせ)節(つ)のあの聲(こゑ)は、私(わたし)は思(おも)ひ切(き)れず好(す)きである。處(ところ)で――番(ばん)町(ちやう)も下(しも)六(ろく)の此(この)邊(へん)だからと云(い)つて、石(いし)の海(くら)月(げ)が踊(をど)り出(だ)したやうな、石(いし)燈(どう)籠(ろう)の化(ば)けたやうな小(こだ)旦(ん)那(な)たちが皆(かい)無(む)だと思(おも)はれない。一(いつ)町(ちやう)ばかり、麹(かう)町(ぢまち)の電(でん)車(しや)通(どほ)りの方(はう)へ寄(よ)つた立(りつ)派(ぱ)な角(かど)邸(やしき)を横(よこ)町(ちやう)へ曲(まが)ると、其(そ)處(こ)の大(おほ)溝(どぶ)では、くわツ、くわツ、ころ〳〵ころ〳〵と唄(うた)つて居(ゐ)る。しかし、月(つき)にしろ、暗(や)夜(み)にしろ、唯(と)、おも入(い)れで、立(た)つて聽(き)くと成(な)ると、三(み)めぐり田(たん)圃(ぼ)をうろついて、狐(きつね)に魅(つま)まれたと思(おも)はれるやうな時(じだ)代(い)な事(こと)では濟(す)まぬ。誰(たれ)に何(なん)と怪(あや)しまれようも知(し)れないのである。然(さ)らばと言(い)つて、一(ちよ)寸(つと)蛙(かへる)を、承(うけたまは)りまする儀(ぎ)でと、一(いち)々(〳〵)町(ちや)内(うない)の差(さは)配(い)へ斷(ことわ)るのでは、木(きど)戸(せ)錢(ん)を拂(はら)つて時(ほと)鳥(ゝぎす)を見(み)るやうな殺(さつ)風(ぷう)景(けい)に成(な)る。……と言(い)ふ隙(ひま)に、何(なん)の、清(しみ)水(づだ)谷(に)まで行(ゆ)けばだけれど、要(えう)するに不(ぶし)精(やう)なので、家(うち)に居(ゐ)ながら聞(き)きたいのが懸(かけ)値(ね)のない處(ところ)である。
里(さと)見(みと)さんが、まだ本(ほん)家(け)有(あり)島(しま)さんに居(ゐ)なすつた、お知(ちか)己(づき)の初(はじめ)の頃(ころ)であつた。何(なに)かの次(つい)手(で)に、此(この)話(はなし)をすると、庭(には)の池(いけ)にはいくらでも鳴(な)いて居(ゐ)る。……そんなに好(す)きなら、ふんづかまへて上(あ)げませう。背(せ)戸(ど)に蓄(か)つて御(ごら)覽(ん)なさい、と一(いつ)向(かう)色(いろ)氣(け)のなささうな、腕(わん)白(ぱく)らしいことを言(い)つて歸(かへ)んなすつた。――翌(よく)日(じつ)だつけ、御(ごめ)免(んく)下(だ)さアい、と耄(ぼ)けた聲(こゑ)をして音(おと)訪(づ)れた人(ひと)がある。山(やま)内(のうち)︵里(さと)見(み)氏(し)本(ほん)姓(せい)︶から出(で)ましたが、と言(い)ふのを、私(わたし)が自(じぶ)分(ん)で取(とり)次(つ)いで、はゝあ、此(こ)れだな、白(しら)樺(かば)を支(しな)那(かば)鞄(ん)と間(まち)違(が)へたと言(い)ふ、名(めい)物(ぶつ)の爺(とつ)さんは、と頷(うなづ)かれたのが、コツプに油(あぶ)紙(らがみ)の蓋(ふた)をしたのに、吃(びつ)驚(くり)したのやら、呆(あき)れたのやら、ぎよつとしたのやら、途(とは)方(う)もねえ、と言(い)つた面(つら)をしたのやら、手(て)を突(つツ)張(ぱ)つて慌(あわ)てたのやら、目(め)ばかりぱち〳〵して縮(すく)んだのやら、五六疋(ぴき)入(はひ)つたのを屆(とゞ)けられた。一(ひと)筆(ふで)添(そ)つて居(ゐ)る――︵お約(やく)束(そく)の此(こ)の連(れん)中(ぢう)の、早(はや)い處(ところ)を引(ひ)つ捉(とら)へてお目(め)に掛(か)けます。しかし、どれも面(つら)つきが前(ぜん)座(ざ)らしい。眞(しん)打(うち)は追(お)つて後(あと)より。︶――私(わたし)はうまいなと手(て)を拍(う)つた。いや、まだコツプを片(かた)手(て)にして居(ゐ)る。うまい、と膝(ひざ)を叩(たゝ)いた。いや、まだ立(た)つたまゝで居(ゐ)る。いや何(なん)にしろ感(かん)心(しん)した。
臺(だい)所(どころ)から縁(えん)側(がは)に出(で)て仰(ぎや)山(うさん)に覗(のぞ)き込(こ)む細(さい)君(くん)を﹁これ平(へい)民(みん)の子(こ)はそれだから困(こま)る……食(た)べものではないよ。﹂とたしなめて﹁何(ど)うだい。﹂と、裸(らた)體(い)の音(おん)曲(ぎよ)師(くし)、歌(オペ)劇(ラ)の唄(うた)ひ子(こ)と言(い)ふのを振(ふ)つて見(み)せて、其(そ)處(こ)で相(さう)談(だん)をして水(すゐ)盤(ばん)の座(ざ)へ……も些(ちつ)と大(おほ)業(げふ)だけれども、まさか缺(かけ)擂(すり)鉢(ばち)ではない。杜(かき)若(つばた)を一(ひと)年(とせ)植(うゑ)たが、あの紫(むらさき)のおいらんは、素(しろ)人(うと)手(で)の明(あか)り取(とり)ぐらゐな處(ところ)では次(つぎ)の年(とし)は咲(さ)かうとしない。葉(は)ばかり殘(のこ)して駈(かけ)落(おち)をした、泥(どろ)のまゝの土(どば)鉢(ち)がある。……其(それ)へ移(うつ)して、簀(す)の子(こ)で蓋(ふた)をした。
さんの厚(こう)意(い)だし、聲(こゑ)を聞(き)いたら聞(きゝ)分(わ)けて、一(いち)枚(まい)づゝ名(な)でもつけようと思(おも)ふと、日(ひ)が暮(く)れてもククとも鳴(な)かない。パチヤリと水(みづ)の音(おと)もさせなければ、其(そ)の晩(ばん)はまた寂(し)寞(ん)として風(かぜ)さへ吹(ふ)かない。……馴(なじ)染(み)なる雀(すゞめ)ばかりで夜(よ)が明(あ)けた。金(きん)魚(ぎよ)を買(か)つた小(こど)兒(も)のやうに、乘(の)しかゝつて、踞(しやが)んで見(み)ると、逃(に)げたぞ! 畜(ちく)生(しやう)、唯(たゞ)の一(いつ)匹(ぴき)も、影(かげ)も形(かたち)もなかつた。
俗(ぞく)に、蟇(ひきがへる)は魔(ま)ものだと言(い)ふ。嘗(かつ)て十(じふ)何(なん)匹(びき)、行(ぎや)水(うず)盥(ゐだらひ)に伏(ふ)せたのが、一(いち)夜(や)の中(うち)に形(かたち)を消(け)したのは現(げん)に知(し)つて居(ゐ)る。
雨(あま)蛙(がへる)や青(あを)蛙(がへる)が、そんな離(はな)れ業(わざ)はしなからうと思(おも)つたが――勿(もち)論(ろん)、それだけに、蓋(ふた)も嚴(げん)重(ぢう)でなしに隙(すき)があればあつたのであらう。
二(にさ)三(んに)日(ち)經(た)つて、さんに此(こ)の話(はなし)をした。丁(ちやう)ど其(その)日(ひ)、同(おな)じ白(しら)樺(かば)の社(しや)中(ちう)で、御(ごぞ)存(ん)じの名(めい)歌(かし)集(ふ)﹃紅(こう)玉(ぎよく)﹄の著(ちよ)者(しや)木(きの)下(した)利(りげ)玄(ん)さんが連(つれ)立(だ)つて見(み)えて居(ゐ)た。――木(きの)下(した)さんの方(はう)は、さんより三(さん)四(よね)年(ん)以(いぜ)前(ん)からよく知(し)つて居(ゐ)たが――當(たう)日(じつ)連(つれ)立(だ)つて見(み)えた。早(さつ)速(そく)小(せう)音(おん)曲(ぎよ)師(くし)逃(かけ)亡(おち)の話(はなし)をすると、木(きの)下(した)さんの言(い)はるゝには、﹁大(おほ)方(かた)それは、有(あり)島(しま)さんの池(いけ)へ歸(かへ)つたのでせう。蛙(かへる)は隨(ずゐ)分(ぶん)遠(とほ)くからも舊(もと)の土(つち)へ歸(かへ)つて來(き)ます。﹂と言(い)つて話(はな)された。嘗(かつ)て、木(きの)下(した)さんの柏(かし)木(はぎ)の邸(やしき)の、矢(やつ)張(ぱ)り庭(には)の池(いけ)の蛙(かへる)を捉(とら)へて、水(みづ)掻(かき)の附(つけ)元(もと)を︵紅(あか)い絹(きぬ)絲(いと)︶……と言(い)ふので想(さう)像(ざう)すると――御(ごき)容(りや)色(う)よしの新(しん)夫(ふじ)人(ん)のお手(てつ)傳(だ)ひがあつたらしい。……其(そ)の紅(あか)い絲(いと)で、脚(あし)に印(しるし)をつけた幾(いく)疋(ひき)かを、遠(とほ)く淀(よど)橋(ばし)の方(はう)の田(た)の水(みづ)へ放(はな)したが、三(みつ)日(か)め四(よつ)日(か)め頃(ごろ)から、氣(き)をつけて、もとの池(いけ)の面(おも)を窺(うかゞ)ふと、脚(あし)に絲(いと)を結(むす)んだのがちら〳〵居(ゐ)る。半(はん)月(つき)ほどの間(あひだ)には、殆(ほとん)ど放(はな)した數(かず)だけが、戻(もど)つて居(ゐ)て、皆(みな)もみぢ袋(ぶくろ)をはいた娘(むすめ)のやうで可(かれ)憐(ん)だつた、との事(こと)であつた。――あとで、何(なに)かの書(しよ)もつで見(み)たのであるが、蛙(かへる)の名(な)は︵かへる︶︵歸(かへ)る︶の意(い)義(ぎ)ださうである。……此(これ)は考(かう)證(しよう)じみて來(き)た。用(よう)捨(しや)箱(ばこ)、用(よう)捨(しや)箱(ばこ)としよう。
就(つい)て思(おも)ふのに、本(ほん)當(たう)か何(ど)うかは知(し)らないが、蛙(かへる)の聲(こゑ)は、隨(ずゐ)分(ぶん)大(おほ)きく、高(たか)いやうだけれども、餘(あま)り遠(とほ)くては響(ひゞ)かぬらしい。有(あり)島(しま)さんの池(いけ)は、さしわたし五(ごじ)十(つけ)間(ん)までは離(はな)れて居(ゐ)まい。それだのに、私(わたし)の家(いへ)までは聞(きこ)えない。――でんこでんこの遊(あそ)びではないが、一(いつ)町(ちやう)ほど遠(とほ)い遠(とほ)うい――角(かど)邸(やしき)から響(ひゞ)かないのは無(むろ)論(ん)である。
久(ひさ)しい以(いぜ)前(ん)だけれど、大(おほ)塚(つか)の火(くわ)藥(やく)庫(こ)わき、いまの電(でん)車(しや)の車(しや)庫(こ)のあたりに住(す)んで居(ゐ)た時(とき)、恰(あたか)も春(はる)の末(すゑ)の頃(ころ)、少(せう)々(〳〵)待(まち)人(びと)があつて、其(そ)の遠(とほ)くから來(く)る俥(くるま)の音(おと)を、廣(ひろ)い植(うゑ)木(き)屋(や)の庭(には)に面(めん)した、汚(きたな)い四(よで)疊(ふは)半(ん)の肱(ひぢ)掛(かけ)窓(まど)に、肱(ひぢ)どころか、腰(こし)を掛(か)けて、伸(の)し上(あが)るやうにして、來(く)るのを待(ま)つて、俥(くるま)の音(おと)に耳(みゝ)を澄(す)ました事(こと)がある。昨(ゆう)夜(べ)も今(こん)夜(や)も、夜(よ)が更(ふ)けると、コーと響(ひゞ)く聲(こゑ)が遙(はるか)に聞(きこ)える、それが俥(くるま)の音(おと)らしい。尤(もつと)も護(ご)謨(む)輪(わ)などと言(い)ふ贅(ぜい)澤(たく)な時(じだ)代(い)ではない。近(ちか)づけばカラ〳〵と輪(わ)が鳴(な)るのだつたが、いつまでも、唯(たゞ)コーと響(ひゞ)く。それが離(はな)れも離(はな)れた、まつすぐに十(じふ)四(しご)五(ちや)町(う)遠(とほ)い、丁(ちやう)ど傳(でん)通(づう)院(ゐん)前(まへ)あたりと思(おも)ふ處(ところ)に聞(きこ)えては、波(なみ)の寄(よ)るやうに響(ひゞ)いて、颯(さつ)と又(また)汐(しほ)のひくやうに消(き)えると、空(そら)頼(だの)みの胸(むね)の汐(しほ)も寂(さび)しく泡(あわ)に消(き)える時(とき)、それを、すだき鳴(な)く蛙(かへる)の聲(こゑ)と知(し)つて、果(は)敢(か)ない中(なか)にも可(なつ)懷(かし)さに、不(ふら)埒(ち)な凡(ぼん)夫(ぷ)は、名(めい)僧(そう)の功(くり)力(き)を忘(わす)れて、所(いは)謂(ゆる)、︵鳴(な)かぬ蛙(かへる)︶の傳(でん)説(せつ)を思(おも)ひうかべもしなかつた。……その記(きお)憶(く)がある。
それさへ――いま思(おも)へば、空(そら)吹(ふ)く風(かぜ)であつたらしい。
又(また)思(おも)出(ひだ)す事(こと)がある。故(こじ)人(ん)谷(たに)活(くわ)東(つとう)は、紅(こう)葉(えふ)先(せん)生(せい)の晩(ばん)年(ねん)の準(じゆ)門(んも)葉(んえふ)で、肺(はい)病(びやう)で胸(むね)を疼(いた)みつゝ、洒(しや)々(〳〵)落(らく)々(〳〵)とした江(え)戸(ど)ツ兒(こ)であつた。︵かつぎゆく三(さみ)味(せん)線(ば)箱(こ)や時(ほと)鳥(ゝぎす)︶と言(い)ふ句(く)を仲(なか)の町(ちやう)で血(ち)とともに吐(は)いた。此(こ)の男(をとこ)だから、今(いま)では逸(いつ)事(じ)と稱(しよう)しても可(よ)いから一(ちよ)寸(つと)素(すつ)破(ぱ)ぬくが、柳(やな)橋(ぎばし)か、何(ど)處(こ)かの、お玉(たま)とか云(い)ふ藝(げい)妓(しや)に岡(をか)惚(ぼれ)をして、金(かね)がないから、岡(をか)惚(ぼれ)だけで、夢(むち)中(う)に成(な)つて、番(ばん)傘(がさ)をまはしながら、雨(あめ)に濡(ぬ)れて、方(はう)々(〴〵)蛙(かへる)を聞(き)いて歩(あ)行(る)いた。――どの蛙(かへる)も、コタマ! オタマ! と鳴(な)く、と言(い)ふのである。同(おな)じ男(をとこ)が、或(ある)時(とき)、小(こみ)店(せ)で遊(あそ)ぶと、其(その)合(あひ)方(かた)が、夜(よ)ふけてから、薄(うす)暗(ぐら)い行(あん)燈(どう)の灯(ひ)で、幾(いく)つも〳〵、あらゆるキルクの香(にほひ)を嗅(か)ぐ。……あらゆると言(い)つて、﹁此(これ)が惠(ゑ)比(び)壽(す)ビールの、此(これ)が麒(きり)麟(ん)ビールの、札(さつ)幌(ぽろ)の黒(くろ)ビール、香(かう)竄(ざん)葡(ぶだ)萄(う)、牛(うし)久(く)だわよ。甲(かひ)斐(さ)産(ん)です。﹂と、活(くわ)東(つとう)の寢(ね)た鼻(はな)へ押(お)つつけて、だらりと結(むす)んだ扱(しご)帶(き)の間(あひだ)からも出(だ)せば、袂(たもと)にも、懷(ふと)中(ころ)にも、懷(くわ)紙(いし)の中(なか)にも持(も)つて居(ゐ)て、眞(しん)に成(な)つて、眞(まが)顏(ほ)で、目(め)を据(す)ゑて嗅(か)ぐのが油(あぶら)を舐(な)めるやうで凄(すご)かつたと言(い)ふ……友(とも)だちは皆(みな)知(し)つて居(ゐ)る。此(こ)の話(はなし)を――或(ある)時(とき)、さんと一(いつ)所(しよ)に見(み)えた事(こと)のある志(し)賀(が)さんが聞(き)いて、西(せい)洋(やう)の小(せう)説(せつ)に、狂(きや)氣(うき)の如(ごと)く鉛(えん)筆(ぴつ)を削(けづ)る奇(きじ)人(ん)があつて、女(をんな)のとは限(かぎ)らない、何(なん)でも他(たに)人(ん)の持(も)つたのを内(ない)證(しよ)で削(けづ)らないでは我(がま)慢(ん)が出(で)來(き)ない。魔(まて)的(き)に警(けい)察(さつ)に忍(しの)び込(こ)んで、署(しよ)長(ちやう)どのの鉛(えん)筆(ぴつ)の尖(さき)を鋭(するど)く針(はり)のやうに削(けづ)つて、ニヤリとしたのがある、と言(い)ふ談(はな)話(し)をされた。――不(ふつ)束(ゝか)で恐(おそ)れ入(い)るが、小(せう)作(さく)蒟(こん)蒻(にや)本(くぼん)の蝋(らふ)燭(そく)を弄(もてあそ)ぶ宿(しゆ)場(くば)女(ぢよ)郎(らう)は、それから思(おも)ひ着(つ)いたものである。
書(しよ)齋(さい)の額(がく)をねだつた時(とき)、紅(こう)葉(えふ)先(せん)生(せい)が、活(くわ)東(つと)子(うし)のために︵春(しゆ)星(んせ)池(いち)︶と題(だい)されたのを覺(おぼ)えて居(ゐ)る。……春(しゆ)星(んせ)池(いち)活(くわ)東(つとう)、活(くわ)東(つとう)は蝌(くわ)蚪(と)にして、字(じ)義(ぎ)︵オタマジヤクシ︶ださうである。
去(きよ)年(ねん)の事(こと)である。一(ひと)雨(あめ)に、打(うち)水(みづ)に、朝(あさ)夕(ゆふ)濡(ぬれ)色(いろ)の戀(こひ)しく成(な)る、乾(かわ)いた七(しち)月(ぐわつ)のはじめであつた。……家(かな)内(い)が牛(うし)込(ごめ)まで用(よう)たしがあつて、午(ひる)些(ち)と過(す)ぎに家(いへ)を出(で)たが、三(さん)時(じご)頃(ろ)歸(かへ)つて來(き)て、一(ちよ)寸(つと)目(め)を圓(まる)くして、それは〳〵氣(き)味(み)の惡(わる)いほど美(うつく)しいものを見(み)ましたと言(い)つて、驚(おどろ)いたやうに次(つぎ)の話(はなし)をした。
早(はや)いもので、先(せん)に彼(あす)處(こ)に家(いへ)の建(たて)續(つゞ)いて居(ゐ)た事(こと)は私(わたし)たちでも最(も)う忘(わす)れて居(ゐ)る、中(なか)六(ろく)番(ばん)町(ちやう)の通(とほ)り市(いち)ヶ谷(や)見(みつ)附(け)まで眞(まつ)直(すぐ)に貫(つらぬ)いた廣(ひろ)い坂(さか)は、昔(むかし)ながらの帶(おび)坂(ざか)と、三(さん)年(ねん)坂(ざか)の間(あひだ)にあつて、確(たし)かまだ極(きま)つた名(めい)稱(しよう)がないかと思(おも)ふ。……新(しん)坂(ざか)とか、見(みつ)附(け)の坂(さか)とか、勝(かつ)手(て)に稱(とな)へて間(ま)に合(あ)はせるが、大(おほ)きな新(あたら)しい坂(さか)である。此(こ)の坂(さか)の上(うへ)から、遙(はるか)に小(こい)石(しか)川(は)の高(たか)臺(だい)の傳(でん)通(づう)院(ゐん)あたりから、金(こん)剛(がう)寺(じざ)坂(かう)上(へ)、目(めじ)白(ろ)へ掛(か)けてまだ餘(あま)り手(て)の入(はひ)らない樹(じゆ)木(もく)の鬱(うつ)然(ぜん)とした底(そこ)に江(えど)戸(が)川(は)の水(すゐ)氣(き)を帶(お)びて薄(うす)く粧(よそほ)つたのが眺(なが)められる。景(けし)色(き)は、四(し)季(き)共(とも)に爽(さわや)かな且(か)つ奧(おく)床(ゆか)しい風(ふぜ)情(い)である。雪(ゆき)景(げし)色(き)は特(とく)に可(い)い。紫(むらさき)の霞(かすみ)、青(あを)い霧(きり)、もみぢも、花(はな)も、月(つき)もと數(かぞ)へたい。故(わざ)々(〳〵)言(い)ふまでもないが、坂(さか)の上(うへ)の一(いつ)方(ぱう)は二(にし)七(ち)の通(とほ)りで、一(いつ)方(ぱう)は廣(ひろ)い町(まち)を四(よつ)谷(やみ)見(つ)附(け)の火(ひ)の見(み)へ拔(ぬ)ける。――角(かど)の青(あを)木(きだ)堂(う)を左(ひだり)に見(み)て、土(つち)の眞(まつ)白(しろ)に乾(かわ)いた橘(たち)鮨(ばなずし)の前(まへ)を……薄(うす)い橙(オレ)色(ンジいろ)の涼(ひが)傘(さ)――束(たば)ね髮(がみ)のかみさんには似(に)合(あ)はないが、暑(あつ)いから何(ど)うも仕(しか)方(た)がない――涼(ひが)傘(さ)で薄(うす)雲(ぐも)の、しかし雲(くも)のない陽(ひ)を遮(さへぎ)つて、いま見(みつ)附(け)の坂(さか)を下(お)りかけると、眞(まひ)日(な)中(か)で、丁(ちやう)ど人(ひと)通(どほり)が途(と)絶(だ)えた。……一(ひと)人(り)や二(ふた)人(り)はあつたらうが、場(ばし)所(よ)が廣(ひろ)いし、殆(ほとん)ど影(かげ)もないから寂(ひつ)寞(そり)して居(ゐ)た。柄(え)を持(も)つた手(ても)許(と)をスツと潛(くゞ)つて、目(め)の前(まへ)へ、恐(おそ)らく鼻(はな)と並(なら)ぶくらゐに衝(つ)と鮮(あざや)かな色(しき)彩(さい)を見(み)せた蟲(むし)がある。深(ふか)く濃(こ)い眞(まみ)緑(どり)の翼(つばさ)が晃(きら)々(〳〵)と光(ひか)つて、緋(ひい)色(ろ)の線(せん)でちら〳〵と縫(ぬ)つて、裾(すそ)が金(こん)色(じき)に輝(かゞや)きつゝ、目(め)と目(め)を見(み)合(あ)ふばかりに宙(ちう)に立(た)つた。思(おも)はず、﹁あら、あら、あら。﹂と十八九の聲(こゑ)を立(た)てたさうである。途(とた)端(ん)に﹁綺(きれ)麗(い)だわ﹂﹁綺(きれ)麗(い)だわ﹂と言(い)ふ幼(いとけな)い聲(こゑ)を揃(そろ)へて、女(をんな)の兒(こ)が三(さん)人(にん)ほど、ばら〳〵と駈(か)け寄(よ)つた。﹁小(を)母(ば)さん頂(ちや)戴(うだい)な﹂﹁其(その)蟲(むし)頂(ちや)戴(うだい)な﹂と聞(き)くうちに、蟲(むし)は、美(うつく)しい羽(はね)も擴(ひろ)げず、靜(しづ)かに、鷹(おう)揚(やう)に、そして輕(かる)く縱(たて)に姿(すがた)を捌(さば)いて、水(みづ)馬(すまし)が細(さゝ)波(なみ)を駈(かけ)る如(ごと)く、ツツツと涼(ひが)傘(さ)を、上(うへ)へ梭(ひ)投(な)げに衝(つ)くと思(おも)ふと、パツと外(そろ)へそれて飛(と)ぶ。小(こど)兒(も)たちと一(いつ)所(しよ)に、あら〳〵と、また言(い)ふ隙(ひま)に、電(でん)柱(ちう)を空(くう)に傳(つた)つて、斜(なゝ)上(めあが)りの高(たか)い屋(や)根(ね)へ、きら〳〵きら〳〵と青(あを)く光(ひか)つて輝(かゞや)きつゝ、それより日(ひ)の光(ひかり)に眩(まぶ)しく消(き)えて、忽(たちま)ち唯(たゞ)一(いつ)天(てん)を、遙(はるか)に仰(あふ)いだと言(い)ふのである。
大(おほ)きさは一(いつ)寸(すん)二(にさ)三(ん)分(ぶ)、小(ちひ)さな蝉(せみ)ぐらゐあつた、と言(い)ふ。……しかし其(その)綺(きれ)麗(い)さは、何(ど)うも思(おも)ふやうに言(いひ)あらはせないらしく、じれつたさうに、家(かな)内(い)は些(ち)と逆(の)上(ぼ)せて居(ゐ)た。但(たゞ)し蒼(あを)く成(な)つたのでは厄(やつ)介(かい)だ。私(わたし)は聞(き)くとともに、直(すぐ)下(した)の三(さん)番(ばん)町(ちやう)と、見(みつ)附(け)の土(ど)手(て)には松(まつ)並(なみ)木(き)がある……大(おほ)方(かた)玉(たま)蟲(むし)であらう、と信(しん)じながら、其(そ)の美(うつく)しい蟲(むし)は、顏(かほ)に、其(そ)の玉(たま)蟲(むし)色(いろ)笹(さゝ)色(いろ)に、一(ちよ)寸(つと)、口(くち)紅(べに)をさして居(ゐ)たらしく思(おも)つて、悚(ぞ)然(つ)とした。
すぐ翌(よく)日(じつ)であつた。が此(これ)は最(も)う些(ちつ)と時(じか)間(ん)が遲(おそ)い。女(ぢよ)中(ちう)が晩(ばん)の買(かひ)出(だ)しに出(で)掛(か)けたのだから四(よじ)時(ご)頃(ろ)で――しかし眞(まな)夏(つ)の事(こと)ゆゑ、片(かた)蔭(かげ)が出(で)來(き)たばかり、日(ひざ)盛(か)りと言(い)つても可(い)い。女(ぢよ)中(ちう)の方(はう)は、前(まへ)通(どほ)りの八(や)百(ほ)屋(や)へ行(ゆ)くのだつたが、下(しも)六(ろく)番(ばん)町(ちやう)から、通(とほり)へ出(で)る藥(くす)屋(りや)の前(まへ)で、ふと、左(ひだ)斜(りなゝめ)の通(とほり)の向(むか)側(うがは)を見(み)ると、其(そ)處(こ)へ來(きか)掛(ゝ)つた羅(うすもの)の盛(せい)裝(さう)した若(わか)い奧(おく)さんの、水(みづ)淺(あさ)葱(ぎ)に白(しろ)を重(かさ)ねた涼(すゞ)しい涼(ひが)傘(さ)をさしたのが、すら〳〵と捌(さば)く褄(つま)を、縫(ぬひ)留(と)められたやうに、ハタと立(たち)留(ど)まつたと思(おも)ふと、うしろへ、よろ〳〵と退(しさ)りながら、翳(かざ)した涼(ひが)傘(さ)の裡(うち)で、﹁あら〳〵あらあら。﹂と言(い)つた。すぐ前(まへ)の、鉢(はち)ものの草(くさ)花(ばな)屋(や)、綿(わた)屋(や)、續(つゞ)いて下(げ)駄(た)屋(や)の前(まへ)から、小(こど)兒(も)が四(しご)五(に)人(ん)ばら〳〵と寄(よ)つて取(とり)卷(ま)いた時(とき)、袖(そで)へ落(おと)すやうに涼(ひが)傘(さ)をはづして、﹁綺(きれ)麗(い)だわ、綺(きれ)麗(い)だわ、綺(きれ)麗(い)な蟲(むし)だわ。﹂と魅(み)せられたやうに言(い)ひつゝ、草(ざう)履(り)をつま立(だ)つやうにして、大(おほ)空(ぞら)を高(たか)く、目(め)を据(す)ゑて仰(あふ)いだのである。通(とほ)りがかりのものは多(おほ)勢(ぜい)あつた。女(ぢよ)中(ちう)も、間(あひだ)は離(はな)れたが、皆(みな)一(いつ)齊(せい)に立(たち)留(どま)つて、陽(ひ)を仰(あふ)いだ――と言(い)ふのである。私(わたし)は聞(き)いて、其(そ)の夫(ふじ)人(ん)が、若(わか)いうつくしい人(ひと)だけに、何(なん)となく凄(すご)かつた。
一(いつ)昨(さく)年(ねん)の秋(あき)九(くぐ)月(わつ)――私(わたし)は不(ふこ)心(ゝろ)得(え)で、日(につ)記(き)と言(い)ふものを認(したゝ)めた事(こと)がないので幾(いく)日(か)だか日(ひ)は覺(おぼ)えて居(ゐ)ないが――彼(ひが)岸(んま)前(へ)だつただけは確(たしか)だから、十(じふ)五(ごに)日(ち)から二(はつ)十(か)日(ご)頃(ろ)までの事(こと)である。蒸(むし)暑(あつ)かつたり、涼(すゞ)し過(す)ぎたり、不(ふじ)順(ゆん)な陽(やう)氣(き)が、昨(きの)日(ふ)も今(け)日(ふ)もじと〳〵と降(ふ)りくらす霖(なが)雨(あめ)に、時(とき)々(〴〵)野(のわ)分(き)がどつと添(そ)つて、あらしのやうな夜(よる)など續(つゞ)いたのが、急(きふ)に朗(ほがら)かに晴(は)れ渡(わた)つた朝(あさ)であつた。自(じま)慢(ん)にも成(な)らぬが叱(しか)人(りて)もない。……張(はり)合(あひ)のない例(れい)の寢(ねば)坊(う)が朝(あさ)飯(めし)を濟(す)ましたあとだから、午(ごぜ)前(ん)十(じふ)時(じは)半(んご)頃(ろ)だと思(おも)ふ……どん〳〵と色(いろ)氣(け)なく二(にか)階(い)へ上(あが)つて、やあ、いゝお天(てん)氣(き)だ、難(あり)有(がた)い、と御(おれ)禮(い)を言(い)ひたいほどの心(こゝ)持(ろもち)で、掃(さう)除(ぢ)の濟(す)んだ冷(ひや)りとした、東(ひが)向(しむき)の縁(えん)側(がは)へ出(で)ると、向(むか)う邸(やしき)の櫻(さくら)の葉(は)が玉(たま)を洗(あら)つたやうに見(み)えて、早(は)やほんのりと薄(うす)紅(べに)がさして居(ゐ)る。狹(せま)い町(まち)に目(め)まぐろしい電(でん)線(せん)も、銀(ぎん)の絲(いと)を曳(ひ)いたやうで、樋(とひ)竹(だけ)に掛(か)けた蜘(く)蛛(も)の巣(す)も、今(け)朝(さ)ばかりは優(やさ)しく見(み)えて、青(あを)い蜘(く)蛛(も)も綺(きれ)麗(い)らしい。空(そら)は朝(あさ)顏(がほ)の瑠(るり)璃(い)色(ろ)であつた。欄(らん)干(かん)の前(まへ)を、赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)が飛(と)んで居(ゐ)る。私(わたし)は大(だい)すきだ。色(いろ)も可(よ)し、形(かたち)も可(よ)し……と云(い)ふうちにも、此(こ)の頃(ごろ)の氣(きこ)候(う)が何(なん)とも言(い)へないのであらう。しかし珍(めづら)しい。……極(ごく)暑(しよ)の砌(みぎり)、見(み)ても咽(の)喉(ど)の乾(かわ)きさうな鹽(しほ)辛(から)蜻(とん)蛉(ぼ)が炎(えん)天(てん)の屋(やね)根(がは)瓦(ら)にこびりついたのさへ、觸(さは)ると熱(あつ)い窓(まど)の敷(しき)居(ゐ)に頬(ほゝ)杖(づゑ)して視(なが)めるほど、庭(には)のない家(いへ)には、どの蜻(とん)蛉(ぼ)も訪(おとづ)れる事(こと)が少(すくな)いのに――よく來(き)たな、と思(おも)ふうちに、目(め)の前(まへ)をスツと飛(と)んで行(ゆ)く。行(ゆ)くと、又(また)一(ひと)つ飛(と)んで居(ゐ)る。飛(と)んで居(ゐ)るのが向(むか)うへ行(ゆ)くと、すぐ來(き)て、又(また)欄(らん)干(かん)の前(まへ)を飛(と)んで居(ゐ)る。……飛(と)ぶと云(い)ふより、スツ〳〵と輕(かる)く柔(やはら)かに浮(う)いて行(ゆ)く。
忽(たちま)ち心(こゝ)着(ろづ)くと、同(おな)じ處(ところ)ばかりではない。縁(えん)側(がは)から、町(まち)の幅(はゞ)一(いつ)杯(ぱい)に、青(あを)い紗(しや)に、眞(しん)紅(く)、赤(あか)、薄(うす)樺(かば)の絣(かすり)を透(す)かしたやうに、一(いち)面(めん)に飛(と)んで、飛(と)びつゝ、すら〳〵と伸(の)して行(ゆ)く。……前(さき)へ〳〵、行(ゆ)くのは、北(きた)西(にし)の市(いち)ヶ谷(や)の方(はう)で、あとから〳〵、來(く)るのは、東(ひが)南(しみなみ)の麹(かう)町(ぢまち)の大(おほ)通(どほり)の方(はう)からである。數(かず)が知(し)れない。道(みち)は濡(ぬれ)地(つち)の乾(かわ)くのが、秋(あき)の陽(かげ)炎(ろふ)のやうに薄(うす)白(じろ)く搖(ゆ)れつゝ、ほんのり立(た)つ。低(ひく)く行(ゆ)くのは、其(そ)の影(かげ)をうけて色(いろ)が濃(こ)い。上(うへ)に飛(と)ぶのは、陽(ひ)の光(ひかり)に色(いろ)が淡(うす)い。下(した)行(ゆ)く群(むれ)は、眞(まわ)綿(た)の松(まつ)葉(ば)をちら〳〵と引(ひ)き、上(うへ)を行(ゆ)く群(むれ)は、白(しろ)銀(がね)の針(はり)をきら〳〵と飜(ひるがへ)す……際(かぎ)限(り)もなく、それが通(とほ)る。珊(さん)瑚(ご)が散(ち)つて、不(しら)知(ぬ)火(ひ)を澄(すみ)切(き)つた水(みづ)に鏤(ちりば)めたやうである。
私(わたし)は身(み)を飜(かへ)して、裏(うら)窓(まど)の障(しや)子(うじ)を開(あ)けた。こゝで、一(ちよ)寸(つと)恥(はぢ)を言(い)はねば理(り)の聞(きこ)えない迷(めい)信(しん)がある。私(わたし)は表(おも)二(てに)階(かい)の空(そら)を眺(なが)めて、その足(あし)で直(すぐ)に裏(うら)窓(まど)を覗(のぞ)くのを不(ふだ)斷(ん)から憚(はゞか)るのである。何(な)故(ぜ)と言(い)ふに、それを行(や)つた日(ひ)に限(かぎ)つて、不(ふ)思(し)議(ぎ)に雷(らい)が鳴(な)るからである。勿(もち)論(ろん)、何(なに)も不(ふ)思(し)議(ぎ)はない。空(そら)模(もや)樣(う)が怪(あや)しくつて、何(ど)うも、ごろ〳〵と來(き)さうだと思(おも)ふと、可(こ)恐(は)いもの見(み)たさで、惡(わる)いと知(し)つた一(いつ)方(ぱう)は日(につ)光(くわう)、一(いつ)方(ぱう)は甲(かふ)州(しう)、兩(りや)方(うはう)を、一(いち)時(じ)に覗(のぞ)かずには居(ゐ)られないからで。――鄰(とな)村(りむら)で空(から)臼(うす)を磨(す)るほどの音(おと)がすればしたで、慌(あわたゞ)しく起(た)つて、兩(りや)方(うはう)の空(そら)を窺(うかゞ)はないでは居(ゐ)られない。從(したが)つて然(さ)う云(い)ふ空(そら)合(あひ)の時(とき)には雷(らい)鳴(めい)があるのだから、いつもはかつぐのに、其(そ)の時(とき)は、そんな事(こと)を言(い)つて居(ゐ)る隙(ひま)はなかつた。
窓(まど)を開(あ)けると、こゝにも飛(と)ぶ。下(げ)屋(や)の屋(やね)根(がは)瓦(ら)の少(すこ)し上(うへ)を、すれ〳〵に、晃(きら)々(〳〵)、ちら〳〵と飛(と)んで行(ゆ)く。しかし、表(おもて)からは、木(き)戸(ど)を一(ひと)つ丁(ちや)字(うじ)形(がた)に入(いり)組(く)んだ細(ほそ)い露(ろ)地(ぢ)で、家(いへ)と家(いへ)と、屋(や)根(ね)と屋(や)根(ね)と附(くツ)着(つ)いて居(ゐ)る處(ところ)だから、珊(さん)瑚(ご)の流(なが)れは、壁(かべ)、廂(ひさし)にしがらんで、堰(せ)かるゝと見(み)えて、表(おも)欄(てら)干(んかん)から見(み)たのと較(くら)べては、やゝ疎(まばら)であつた。此(こ)の裏(うら)は、すぐ四(よつ)谷(やみ)見(つ)附(け)の火(ひ)の見(み)櫓(やぐら)を見(みと)透(ほ)すのだが、其(そ)の遠(とほ)く廣(ひろ)いあたりは、日(ひ)が眩(まぶし)いのと、樹(じゆ)木(もく)に薄(うす)霧(ぎり)が掛(かゝ)つたのに紛(まぎ)れて、凡(およ)そ、どのくらゐまで飛(と)ぶか、伸(の)すか、そのほどは計(はか)られない。が、目(め)の屆(とゞ)くほどは、何(ど)處(こ)までも、無(むす)數(う)に飛(と)ぶ。
處(ところ)で、廂(ひさし)だの、屋(や)根(ね)だのの蔭(かげ)で、近(ちか)い處(ところ)は、表(おもて)よりは、色(いろ)も羽(はね)も判(はつ)然(きり)とよく分(わか)る。上(うへ)は大(おほ)屋(や)根(ね)の廂(ひさし)ぐらゐで、下(した)は、然(さ)れば丁(ちやう)ど露(ろぢ)地(う)裏(ら)の共(きや)同(うど)水(うす)道(ゐだう)の處(ところ)に、よその女(か)房(み)さんが踞(しやが)んで洗(せん)濯(たく)をして居(ゐ)たが、立(た)つと其(そ)の頭(あたま)ぐらゐ、と思(おも)ふ處(ところ)を、スツ〳〵と浮(う)いて通(とほ)る。
私(わたし)は下(した)へ下(お)りた。――家(かな)内(い)は髮(かみ)を結(ゆ)ひに出(で)掛(か)けて居(ゐ)る。女(ぢよ)中(ちう)は久(ひさ)しぶりのお天(てん)氣(き)で湯(ゆど)殿(のぐ)口(ち)に洗(せん)濯(たく)をする。……其(そ)處(こ)で、昨(きの)日(ふ)穿(は)いた泥(どろ)だらけの高(たか)足(あし)駄(だ)を高(たか)々(〴〵)と穿(は)いて、此(こ)の透(すき)通(とほ)るやうな秋(あき)日(びよ)和(り)には宛(まる)然(で)つままれたやうな形(かたち)で、カラン〳〵と戸(おも)外(て)へ出(で)た。が、出(で)た咄(とつ)嗟(さ)には幻(まぼろし)が消(き)えたやうで一(ひと)疋(つ)も見(み)えぬ。熟(じつ)と瞳(ひとみ)を定(さだ)めると、其(そ)處(こ)に此(こ)處(ゝ)に、それ彼(あす)處(こ)に、其(そ)の數(かず)の夥(おびたゞ)しさ、下(した)に立(た)つたものは、赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)の隧(トン)道(ネル)を潛(くゞ)るのである。往(ゆき)來(き)はあるが、誰(だれ)も氣(き)がつかないらしい。一(ひと)つ二(ふた)つは却(かへ)つてこぼれて目(め)に着(つ)かう。月(つき)夜(よ)の星(ほし)は數(かぞ)へられない。恁(か)くまでの赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)の大(おほい)なる群(むれ)が思(おも)ひ立(た)つた場(ばし)所(よ)から志(こゝろざ)す處(ところ)へ移(うつ)らうとするのである。おのづから智(ち)慧(ゑ)も力(ちから)も備(そな)はつて、陽(ひ)の面(おもて)に、隱(おん)形(ぎやう)陰(いん)體(たい)の魔(まは)法(ふ)を使(つか)つて、人(ひと)目(め)にかくれ忍(しの)びつゝ、何(いづ)處(こ)へか通(とほ)つて行(ゆ)くかとも想(おも)はれた。
先(さつ)刻(き)、もしも、二(にか)階(い)の欄(らん)干(かん)で、思(おも)ひがけず目(め)に着(つ)いた唯(たゞ)一(いつ)匹(ぴき)がないとすると、私(わたし)は此(こ)の幾(いく)千(せん)萬(まん)とも數(すう)の知(し)れない赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)のすべてを、全(ぜん)體(たい)を、まるで知(し)らないで了(しま)つたであらう。後(あと)で、近(きん)所(じよ)でも、誰(たれ)一(ひと)人(り)此(こ)の素(す)ばらしい群(むれ)の風(うは)説(さ)をするもののなかつたのを思(おも)ふと、渠(かれ)等(ら)は、あらゆる人(ひと)の目(め)から、不(ふ)可(か)思(し)議(ぎ)な角(かく)度(ど)に外(そ)れて、巧(たくみ)に逸(いつ)し去(さ)つたのであらうも知(し)れぬ。
さて足(あし)駄(だ)を引(ひき)摺(ず)つて、つい、四(よつ)角(かど)へ出(で)て見(み)ると、南(みな)寄(みより)の方(はう)の空(そら)に濃(こ)い集(しふ)團(だん)が控(ひか)へて、近(ちか)づくほど幅(はゞ)を擴(ひろ)げて、一(いち)面(めん)に群(むらが)りつゝ、北(きた)の方(かた)へ伸(の)すのである。が、厚(あつ)さは雜(ざつ)と塀(へい)の上(うへ)から二(にか)階(い)家(や)の大(おほ)屋(や)根(ね)の空(そら)と見(み)て、幅(はゞ)の廣(ひろ)さは何(ど)のくらゐまで漲(みなぎ)つて居(ゐ)るか、殆(ほとん)ど見(けん)當(たう)が附(つ)かない、と言(い)ふうちにも、幾(いく)干(せん)ともなく、急(いそ)ぎもせず、後(おく)れもせず、遮(さへぎ)るものを避(さ)けながら、一(ひと)つ一(ひと)つがおなじやうに、二(にさ)三(んず)寸(ん)づゝ、縱(じう)横(わう)に間(あひだ)をおいて、悠(いう)然(ぜん)として流(なが)れて通(とほ)る。櫻(さくら)の枝(えだ)にも、電(でん)線(せん)にも、一(ちよ)寸(つと)留(と)まるのもなければ、横(よこ)にそれようとするのもない。
引(ひき)返(かへ)して、木(きど)戸(ぐ)口(ち)から露(ろ)地(ぢ)を覗(のぞ)くと、羽(は)目(め)と羽(は)目(め)との間(あひだ)に成(な)る。こゝには一(いつ)疋(ぴき)も飛(と)んで居(ゐ)ない。向(むか)うの水(すゐ)道(だう)端(ばた)に、いまの女(か)房(み)さんが洗(せん)濯(たく)をして居(ゐ)る、其(そ)の上(うへ)は青(あを)空(ぞら)で、屋(や)根(ね)が遮(さへぎ)らないから、スツ〳〵晃(きら)々(〳〵)と矢(や)ツ張(ぱ)り通(とほ)るのである。﹁おかみさん。﹂私(わたし)は呼(よ)んだ。﹁御(ごら)覽(ん)なさい大(たい)層(そう)な蜻(とん)蛉(ぼ)です。﹂﹁へゝい。﹂と大(おほ)きな返(へん)事(じ)をすると、濡(ぬれ)手(て)を流(なが)して泳(およ)ぐやうに反(そ)つて空(そら)を視(み)た。顏(かほ)中(ぢう)をのこらず鼻(はな)にして、眩(まぶ)しさうにしかめて、﹁今(け)朝(さ)ツから飛(と)んで居(ゐ)ますわ。﹂と言(い)つた。別(べつ)に珍(めづら)しくもなささうに唯(たゞ)つい通(とほ)りに、其(そ)處(こ)等(ら)に居(ゐ)る、二(にさ)三(んび)疋(き)だと思(おも)ふのであらう。時(とき)に、もうやがて正(おひ)午(る)に成(な)る。
小(こい)一(ちじ)時(か)間(ん)經(た)つて、家(かな)内(い)が髮(かみ)結(ゆひ)さんから歸(かへ)つて來(き)た。意(い)氣(き)込(ご)んで話(はなし)をすると――道(だう)理(り)こそ……三(さん)光(くわ)社(うしや)の境(けい)内(だい)は大(たい)變(へん)な赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)で、雨(あめ)の水(みづ)溜(たまり)のある處(ところ)へ、飛(と)びながらすい〳〵と下(お)りるのが一(いつ)杯(ぱい)で、上(うへ)を乘(のり)越(こ)しさうで成(な)らなかつた。それを子(こど)供(も)たちが目(めざ)笊(る)で伏(ふ)せるのが、﹁摘(つみ)草(くさ)をしたくらゐ笊(ざる)に澤(たく)山(さん)。﹂と言(い)ふのである。三(さん)光(くわ)社(うしや)の境(けい)内(だい)は、此(こ)の邊(へん)で一(ちよ)寸(つと)子(こど)供(も)の公(こう)園(ゑん)に成(な)つて居(ゐ)る。私(わたし)の家(うち)からさしわたし二(にち)町(やう)ばかりはある。此(こ)の樣(やう)子(す)では、其(そ)處(こ)まで一(いち)面(めん)の赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)だ。何(ど)處(こ)を志(こゝろざ)して行(ゆ)くのであらう。餘(あま)りの事(こと)に、また一(いち)度(ど)外(そと)へ出(で)た。一(いち)時(じ)を過(す)ぎた。爾(その)時(とき)は最(も)う一(ひと)つも見(み)えなかつた。そして摘(つみ)草(くさ)ほど子(こど)供(も)にとられたと言(い)ふのを、何(なん)だか壇(だん)の浦(うら)のつまり〳〵で、平(へい)家(け)の公(きん)達(だち)が組(くみ)伏(ふ)せられ刺(さし)殺(ころ)されるのを聞(き)くやうで可(あは)哀(れ)であつた。
とに角(かく)、此(こ)の赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)の光(くわ)景(うけい)は、何(なに)にたとへやうもなかつた。が、同(おな)じ年(とし)十(じふ)一(いち)月(ぐわつ)のはじめ、鹽(しほ)原(ばら)へ行(い)つて、畑(はた)下(お)戸(り)の溪(けい)流(りう)瀧(たき)の下(した)の淵(ふち)かけて、流(ながれ)の廣(ひろ)い溪(たに)河(がは)を、織(お)るが如(ごと)く敷(し)くが如(ごと)く、もみぢの、盡(つ)きず、絶(た)えず、流(なが)るゝのを見(み)た時(とき)と、――鹽(しほ)の湯(ゆ)の、斷(だん)崖(がい)の上(うへ)の欄(らん)干(かん)に凭(もた)れて憩(いこ)つた折(をり)から、夕(ゆふ)颪(おろし)颯(さつ)として、千(せん)仭(じん)の谷(たに)底(そこ)から、瀧(たき)を空(そら)状(ざま)に、もみぢ葉(ば)を吹(ふき)上(あ)げたのが周(しう)圍(ゐ)の林(はやし)の木(こ)の葉(は)を誘(さそ)つて、滿(まん)山(ざん)の紅(くれなゐ)の、且(か)つ大(だい)紅(こう)玉(ぎよく)の夕(ゆふ)陽(ひ)に映(えい)じて、かげとひなたに濃(こ)く薄(うす)く、降(ふ)りかゝつたのを見(み)た時(とき)に、前(さき)日(のひ)の赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)の群(むれ)の風(ふぜ)情(い)を思(おも)つたのである。
肝(かん)心(じん)の事(こと)を言(い)ひおくれた。――其(そ)の日(ひ)の赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)は、殘(のこ)らず、一(ひと)つも殘(のこ)らず、皆(みな)一(ひと)つづゝ、一(ひと)つがひ、松(まつ)葉(ば)につないで、天(てん)人(にん)の乘(の)る八(はつ)挺(ちやう)の銀(ぎん)の櫂(かい)の筏(いかだ)のやうにして飛(ひか)行(う)した。
何(なん)と……同(おな)じ事(こと)を昨(さく)年(ねん)も見(み)た。……篤(とく)志(し)の御(おか)方(た)は、一(ちよ)寸(つと)お日(につ)記(き)を御(ごら)覽(ん)を願(ねが)ふ。秋(あき)の半(なかば)かけて矢(やつ)張(ぱ)り鬱(うつ)々(〳〵)陰(いん)々(〳〵)として霖(なが)雨(あめ)があつた。三(みつ)日(か)とは違(ちが)ふまい。――九(くぐ)月(わつ)の二(は)十(つ)日(か)前(ぜん)後(ご)に、からりと爽(さわや)かにほの暖(あたゝ)かに晴(はれ)上(あが)つた朝(あさ)、同(おな)じ方(はう)角(がく)から同(おな)じ方(はう)角(がく)へ、紅(こう)舷(げん)銀(ぎん)翼(よく)の小(ちひ)さな船(ふね)を操(あやつ)りつゝ、碧(へき)瑠(る)璃(り)の空(そら)をきら〳〵きら〳〵と幾(いく)千(せん)萬(まん)艘(そう)。――家(かな)内(い)が此(こ)の時(とき)も四(よつ)谷(や)へ髮(かみ)を結(ゆ)ひに行(い)つて居(ゐ)た。女(ぢよ)中(ちう)が洗(せん)濯(たく)をして居(ゐ)た。おなじ事(こと)である。其(そ)の日(ひ)は歸(かへ)つて來(き)て、見(みつ)附(け)の公(こう)設(せつ)市(しぢ)場(やう)の上(うへ)かけて、お濠(ほり)の上(うへ)は紀(き)の國(くに)坂(ざか)へ一(いち)面(めん)の赤(あか)蜻(とん)蛉(ぼ)だと言(い)つた。惜(をし)い哉(かな)。すぐにもあとを訪(たづ)ねないで……晩(ばん)方(がた)散(さん)歩(ぽ)に出(で)て見(み)た時(とき)は、見(みつ)附(け)にも、お濠(ほり)にも、たゞ霧(きり)の立(た)つ水(みづ)の上(うへ)に、それかとも思(おも)ふ影(かげ)が、唯(たゞ)二(ふた)つ、三(み)つ。散(ち)り來(く)る木(こ)の葉(は)の、しばらくたゝずまふに似(に)たのみであつた。
大正十一年五月
●表記について
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