雨あま霽あがりの梅つゆ雨ぞ空ら、曇くもつてはゐるが大だい分ぶ蒸むし暑あつい。――日ひよ和りぐ癖せで、何なん時どきぱら〳〵と來こようも知しれないから、案あん内ない者しやの同つ伴れも、私わたしも、各おの自〳〵蝙かう蝠もり傘がさ……いはゆる洋パラ傘ソルとは名なのれないのを――色いろの黒くろいのに、日ひもさゝないし、誰たれに憚はゞかるともなく、すぼめて杖つゑにつき、足あし駄だで泥ぬか濘るみをこねてゐる。…… いで、戰せん場ぢやうに臨のぞむ時ときは、雜ざふ兵ひやうと雖いへども陣ぢん笠がさをいたゞく。峰みね入いりの山やま伏ぶしは貝かひを吹ふく。時じせ節つがら、槍やり、白しろ馬うまといへば、モダンとかいふ女をんなでも金こん剛がう杖づゑがひと通とほり。……人じん生せい苟いやしくも永えい代たいを渡わたつて、辰たつ巳みの風かぜに吹ふかれようといふのに、足あし駄だに蝙かう蝠もり傘がさは何なに事ごとだ。 何どうした事ことか、今こと年しは夏なつ帽ばう子しが格かく安やすだつたから、麥むぎ稈わらだけは新あたらしいのをとゝのへたが、さつと降ふつたら、さそくにふところへねぢ込こまうし、風かぜに取とられては事ことだと……ちよつと意い氣きにはかぶれない。﹁吹ふきますよ。ご用よう心じん。﹂﹁心こゝ得ろえた。﹂で、耳みゝへがつしりとはめた、シテ、ワキ兩りや人うにん。 藍あゐなり、紺こんなり、萬まん筋すぢどころの單ひと衣へに、少せう々〳〵綿めん入いりの絽ろの羽はお織り。紺こんと白しろたびで、ばしや〳〵とはねを上あげながら、﹁それ又また水みづたまりでござる。﹂﹁如い何かにも沼ぬまにて候さふらふ。﹂と、鷺さぎ歩ある行きに腰こしを捻ひねつて行ゆく。……といふのでは、深ふか川がは見けん物ぶつも落おち着つく處ところは大たい概がい知しれてゐる。はま鍋なべ、あをやぎの時じせ節つでなし、鰌どぢ汁やうじるは可おそ恐ろしい、せい〴〵門もん前ぜんあたりの蕎そ麥ば屋やか、境けい内だいの團だん子ご屋やで、雜ざふ煮にのぬきで罎びんごと正まさ宗むねの燗かんであらう。從したがつて、洲すさ崎きだの、仲なか町ちやうだの、諸しよ入にふ費ひの懸かかる場ばし所よへは、強しひて御ごあ案んな内い申まをさないから、讀どく者しやは安あん心しんをなすつてよい。 さて色いろ氣け拔ぬきとなれば、何どうだらう。︵そばに置おいてきぬことわりや夏なつ羽ばお織り︶と古こは俳い句くにもある。羽はお織りをたゝんでふところへ突つつ込こんで、空からずねの尻しり端はし折よりが、一いつ層そう薩さつ張ぱりでよからうと思おもつたが、女によ房うぼうが産さん氣けづいて産さん婆ばのとこへかけ出だすのではない。今け日ふは日にち日〳〵新しん聞ぶん社しやの社しや用ようで出でて來きた。お勤つとめがらに對たいしても、聊いさゝか取とりつくろはずばあるべからずと、胸むねのひもだけはきちんとしてゐて……暑あついから時とき々〴〵だらける。…… ﹁――旦だん那な、どこへおいでなさるんで? は、ちよつとこたへたよ。﹂ と私わたしがいふと、同つ伴れは蝙かう蝠もり傘がさのさきで爪つま皮かはを突つゝきながら、 ﹁――そこを眞まつ直すぐが福ふく島しま橋ばしで、そのさきが、お不ふど動うさ樣まですよ、と圓ゑんタクのがいひましたね。﹂ 今いましがた、永えい代たい橋ばしを渡わたつた處ところで、よしと扉とを開あけて、あの、人ひとと車くるまと梭ひを投なげて織おり違ちがふ、さながら繁はん昌じや記うきの眞まん中なかへこぼれて出でて、餘あまりその邊へんのかはりやうに、ぽかんとして立たつた時ときであつた。﹁鯒こちや黒くろ鯛だひのぴち〳〵はねる、夜よみ店せの立たつ、……魚うを市いちの處ところは?﹂﹁あの、火ひの見みの下した、黒くろ江えち町やう……﹂と同つ伴れが指ゆびさしをする、その火ひの見みが、下したへ往わう來らいを泳およがせて、すつと開ひらいて、遠とほくなるやうに見みえるまで、人ひとあしは流ながれて、橋はし袂たもとが廣ひろい。 私わたしは、實じつは震しん災さいのあと、永えい代たい橋ばしを渡わたつたのは、その日ひがはじめてだつたのである。二ふた人りの風ふう恰つき好また亦くだ如んの件ごとし……で、運うん轉てん手しゆが前ゆく途てを案あんじてくれたのに無む理りはない。﹁いや、たゞ、ぶらつくので。﹂とばかり申まをし合あはせた如ごとく、麥むぎ稈わらをゆり直なほして、そこで、左ひだりへ佐さが賀ちや町うの方はうへ入はひつたのであるが。 さて、かうたゝずむうちにも、ぐわら〳〵、ぐわらとすさまじい音おとを立たてて、貨くわ物もつ車しやが道みちを打うちひしいで驅かけ通とほる。それあぶない、とよけるあとから、又またぐわら〳〵と鳴なつて來くる。どしん、づん〳〵づづんと響ひゞく。 燒やけ土つちがまだそれなりのもあるらしい、道みち惡わるを縫ぬつて入はひると、その癖くせ、人ひと通どほりも少すくなく、バラツク建だては軒のきまばらに、隅すみを取とつて、妙めうにさみしい。 休きう業げふのはり札ふだして、ぴたりと扉とびらをとざした、何なんとか銀ぎん行かうの窓まど々〳〵が、觀くわ念んねんの眼まなこをふさいだやうに、灰はひ色いろにねむつてゐるのを、近きん所じよの女かみ房さんらしいのが、白しろいエプロンの薄うすよごれた服な裝りで、まだ二や時つ半ま前へだのに、青あをくあせた門もん柱ちうに寄より添そつて、然さも夕ゆふ暮ぐれらしく、曇くもり空ぞらを仰あふぐも、ものあはれ。……鴎かもめのかはりに烏からすが飛とばう。町まち筋すぢを通とほして透すいて見みえる、流ながれの水みづは皆みな黒くろい。…… 銀ぎん行かうを横よこにして、片かた側がはは燒やけ原はらの正しや面うめんに、野のな中かの一いつ軒けん家やの如ごとく、長ちや方うは形うけいに立たつた假かり普ぶし請んの洋やう館くわんが一ひと棟むね、軒のきへぶつつけがきの︵川かは︶の字じが大おほきく見みえた。 夜よるは︵川かは︶の字じに並ならんだその屋やが號うに、電でん燈とうがきら〳〵とかゞやくのであらうも知しれない。あからさまにはいはないが、これは私わたしの知しつた米くわ問いま屋いどんやである。――︵大おほきく出でたな。︶――當たう今こん三さん等とう米まい、一いつ升しようにつき約やく四よん十じふ三さん錢せんの値ねを論ろんずるものに、米くわ問いま屋いどんやの知ち己きがあらう筈はずはない。……こゝの御ごし新ん姐ぞの、人にん形ぎや町うちやうの娘むす時めじ代だいを預あづかつた、女ぢよ學がく校かうの先せん生せいを通とほして、ほのかに樣やう子すを知しつてゐるので……以いぜ前ん、私わたしが小ちひさな作さくの中なかに、少すこし家やづ造くりだけ借しや用くようした事ことがある。 御ごぞ存んじの通とほり、佐さが賀ちや町う一いつ廓くわくは、殆ほとんど軒のきならび問とん屋やといつてもよかつた。構かまへも略ほゞ同おなじやうだと聞きくから、昔むかしをしのぶよすがに、その時じぶ分んの家いへのさまを少すこしいはう。いま此このバラツク建だての洋やう館くわんに對たいして――こゝに見みと取り圖づがある。――斷ことわるまでもないが、地ぢつ續ゞきだからといつて、吉きら良て邸いのでは決けつしてない。米べい價かはその頃ころも高たか値ねだつたが、敢あへて夜よ討うちを掛かける繪ゑづ圖め面んではないのであるが、町まちに向むかつて檜ひのきの木き戸ど、右みぎに忍しの返びがへしの塀へい、向むかつて本ほん磨みがきの千せん本ぼん格がう子しが奧おく深ふかく靜しづまつて、間あひたの植うゑ込こみの緑みどりの中なかに石いし燈どう籠ろうに影かげが青あをい。藏く庫らは河か岸しに揃そろつて、荷にの揚あげ下おろしは船ふねで直すぐに取とり引ひきが濟すむから、店みせ口ぐちはしもた屋やも同おなじ事こと、煙たば草こぼ盆んにほこりも置おかぬ。……その玄げん關くわんが六ろく疊でふの、右みぎへり縁えんの庭にはに、物もの數ず寄きを見みせて六ろく疊でふと十じふ疊でふ、次つぎが八はち疊でふ、續つゞいて八はち疊でふが川かはへ張はり出だしの欄らん干かん下したを、茶ちや船ぶねは浩かう々〳〵と漕こぎ、傳て馬ん船まは洋やう々〳〵として浮うかぶ。中ちう二にか階いの六ろく疊でふを中なかにはさんで、梯はし子ごだ段んが分わかれて二にか階いが二ふた間ま、八はち疊でふと十じふ疊でふ――ざつとこの間ま取どりで、なかんづくその中ちう二にか階いの青あをすだれに、紫むらさきの總ふさのしつとりした岐ぎふ阜ぢや提うち灯んが淺あさ葱ぎにすくのに、湯ゆあ上がりの浴ゆか衣たがうつる。姿すがたは婀あ娜だでもお妾めかけではないから、團うち扇はで小こま間づか使ひを指さし圖づするやうな行ぎや儀うぎでない。﹁少すこし風かぜ過すぎる事こと﹂と、自じぶ分んでらふそくに灯ひを入いれる。この面おも影かげが、ぬれ色いろの圓まる髷まげの艷つや、櫛くしの照てりとともに、柳やなぎをすべつて、紫あぢ陽さ花ゐの露つゆとともに、流ながれにしたゝらうといふ寸すん法ぱふであつたらしい。…… 私わたしは町まちのさまを見みるために、この木き戸どを通とほ過りすぎた事ことがある。前まへ庭にはの植うゑ込こみには、きり島しまがほんのりと咲さき殘のこつて、折をりから人ひと通どほりもなしに、眞まつ日ぴな中かの忍しの返びがへしの下したに、金きん魚ぎよ賣うりが荷にを下おろして、煙たば草こを吹ふかして休やすんでゐた。 ﹁それ、來きましたぜ。﹂ 風ふう鈴りん屋やでも通とほる事ことか。――振ふり返かへつた洋やう館くわんをぐわさ〳〵とゆするが如ごとく、貨くわ物もつ車しやが、然しかも二にだ臺い。私わたしをかばはうとした同つ伴れの方はうが水みづ溜たまりに踏ふみこんだ。 ﹁あ、ばしやりとやツつけた。﹂ 萬まん筋すぢの裾すそを見みて、苦にがりながら、 ﹁しかし文もん句くはいひますもののね、震しん災さいの時ときは、このくらゐな泥どろ水みづを、かぶりついて飮のみましたよ。﹂ 特とくに震しん災さいの事ことはいふまい、と約やく束そくをしたものの、つい愚ぐ痴ちも出でるのである。 このあたり裏うら道みちを掛かけて、松まつ村むら、小こま松つ、松まつ賀かち町やう――松まつ賀かを何なにも、鶴つる賀かと横よこなまるには及およばないが、町まち々〳〵の名なもふさはしい、小こあ揚げれ連んぢ中うの住すま居ひも揃そろひ、それ、問とん屋やむ向きの番ばん頭とう、手てだ代い、もうそれ不ふこ心ゝろ得えなのが、松まつ村むらに小こま松つを圍かこつて、松まつ賀かち町やうで淨じや瑠うる璃りをうならうといふ、藏くらと藏くらとは並ならんだり、中なかを白しろ鼠ねずみ黒くろ鼠ねずみの俵たはらを背し負よつてちよろ〳〵したのが、皆みな灰はひになつたか。御ごし神んと燈うの影かげ一ひとつ、松まつ葉ばの紋もんも見みあ當たらないで、箱はこのやうな店みせ頭さきに、煙たば草こを賣うるのもよぼ〳〵のおばあさん。 ﹁變かはりましたなあ。﹂ ﹁變かはりましたは尤もつともだが……この道みちは行ゆき留どまりぢやあないのかね。﹂ ﹁案あん内ない者しやがついてゐます。御ごじ串やう戲だんばかり。……洲すさ崎きの土ど手てへ突つき當あたつたつて、一ひとつ船ふねを押おせば上かづ總さみ澪をで、長なが崎さき、函はこ館だてへ渡わたり放はう題だい。どんな拔ぬけ裏うらでも汐しほが通とほつてゐますから、深ふか川がはに行ゆき留どまりといふのはありませんや。﹂ ﹁えらいよ!﹂ どろ〳〵とした河か岸しへ出でた。 ﹁仙せん臺だい堀ぼりだ。﹂ ﹁だから、それだから、行ゆき留どまりかなぞと外ぐわ聞いぶんの惡わるい事ことをいふんです。――そも〳〵、大おほ川かはからここへ流ながれ口くちが、下しも之のは橋しで、こゝが即すなはち油あぶ堀らぼり……﹂ ﹁あゝ、然さうか。﹂ ﹁間あひだに中なか之のは橋しがあつて、一ひとつ上うへに、上かみ之のは橋しを流ながれるのが仙せん臺だい堀ぼり川がはぢやあありませんか。……斷ことわつて置おきますが、その川かは筋すぢに松まつ永なが橋ばし、相あひ生おひ橋ばし、海うみ邊べば橋しと段だん々〳〵に架かゝつてゐます。……あゝ、家いへらしい家いへが皆みな取とり拂はらはれましたから、見みと通ほしに仙ぜん臺だい堀ぼりも見みえさうです。すぐ向むかうに、煙けむりだか、雲くもだか、灰あ汁くのやうな空そらにたゞ一いつヶ處しよ、樹きがこんもりと、青あを々〳〵して見みえませう――岩いは崎さき公こう園ゑん。大おほ川かはの方はうへその出でつ端ぱなに、お湯ゆ屋やの煙えん突とつが見みえませう、何どういたして、あれが、霧きりもやの深ふかい夜よるは、人ひとをおびえさせたセメント會ぐわ社いしやの大だい煙えん突とつだから驚おどろきますな。中なか洲ずと、箱はこ崎ざきを向むかうに見みて、隅すみ田だが川はも漫まん々〳〵渺べう々〳〵たる處ところだから、あなた驚おどろいてはいけません。﹂ ﹁驚おどろきません。わかつたよ。﹂ ﹁いや念ねんのために――はゝゝ。も一ひとつ上うへが萬まん年ねん橋ばし、即すなはち小をな名ぎ木が川は、千ちす筋ぢ萬まん筋すぢの鰻うなぎが勢せい揃ぞろひをしたやうに流ながれてゐます。あの利とね根が川は圖づ志しの中なかに、……えゝと――安あん政せい二にね年ん乙きの卯とう十じふ月ぐわつ、江え戸どには地ぢし震んの騷さわぎありて心こゝろ靜しづかならず、訪とひ來くる人ひとも稀まれなれば、なか〳〵に暇いとまある心こゝ地ちして云しか々〴〵と……吾わが本ほん所じよの崩くづれたる家いへを後うしろに見みて、深ふか川がは高たか橋ばしの東ひがし、海うみ邊べ大だい工くち町やうなるサイカチといふ處ところより小をな名ぎ木が川はに舟ふねうけて……﹂ ﹁また、地ぢし震んかい。﹂ ﹁あゝ、默だまり默だまり。――あの高たか橋ばしを出でる汽きせ船んは大たい變へんな混こん雜ざつですとさ。――この四しご五ね年ん浦うら安やすの釣つりがさかつて、沙は魚ぜがわいた、鰈まこが入はひつたと、乘のり出だすのが、押おし合あひ、へし合あひ。朝あさの一いち番ばんなんぞは、汽きせ船んの屋や根ねまで、眞まつ黒くろに人ひとで埋うまつて、川かは筋すぢを次しだ第いに下くだると、下したの大おほ富とみ橋ばし、新しん高たか橋ばしには、欄らん干かん外そとから、足あしを宙ちうに、水みづの上うへへぶら下さがつて待まつてゐて、それ、尋じん常じやうぢや乘のり切きれないもんですから、そのまんま……そツとでせうと思おもひますがね、――それとも下した敷じきは潰つぶれても構かまはない、どかりとだか何どうですか、汽きせ船んの屋や根ねへ、頭あたまをまたいで、肩かたを踏ふんで落おちて來きますツて。……こ奴いつが踏ふみはづして川かはへはまると、︵浦うら安やすへ行いかう、浦うら安やすへ行いかう︶と鳴なきます。﹂ ﹁串じよ戲うだんぢやあない。﹂ ﹁お船ふな藏ぐらがつい近ちかくつて、安あた宅かま丸るの古こせ跡きですからな。いや、然さういへば、遠とほ目めが鏡ねを持もつた氣きで……あれ、ご覽ろうじろ――と、河かつ童ぱの兒こが囘ゑか向うゐ院んの墓はか原ばらで惡いた戲づらをしてゐます。﹂ ﹁これ、芥あく川たがはさんに聞きこえるよ。﹂ 私わたしは眞ま面じ目めにたしなめた。 ﹁口くちぢやあ兩りや國うごくまで飛とんだやうだが、向むかうへ何どうして渡わたるのさ、橋はしといふものがないぢやあないか。﹂ ﹁ありません。﹂ と、きつぱりとしたもので、蝙かう蝠もり傘がさで、踞しや込がみこんで、 ﹁確たしかにこゝにあつたんですが、町ちや内うな持いもちの分ぶんだから、まだ、架かからないでゐるんでせうな。尤もつともかうどろ〳〵に埋うまつては、油あぶ堀らぼりとはいへませんや、鬢びん付つけ堀ぼりも、黒くろ鬢びんつけです。﹂ ﹁塗ぬりたくはありませんかな。﹂ ﹁私わたしはもう歸かへります。﹂ と、麥むぎ稈わらをぬいで風かぜを入いれた、頭あたまの禿はげを憤いきどほる。 ﹁いま見み棄すてられて成なるものか、待まちたまへ、あやまるよ。しかしね、仙せん臺だい堀ぼりにしろ、こゝにしろ、殘のこらず、川かはといふ名ながついてゐるのに、何なにしろひどくなつたね。大だい分ぶ以いぜ前んには以いぜ前んだが……やつぱり今いま頃ごろの時じこ候うに此この川かは筋すぢをぶらついた事ことがある。八はち幡まん樣さまの裏うらの渡わたし場ばへ出でようと思おもつて、見けん當たうを取とり違ちがへて、あちらこちら拔ぬけ裏うらを通とほるうちに、ざんざ降ぶりに降ふつて來きた、ところがね、格かう子しさきへ立たつて、雨あま宿やどりをして、出でま窓どから、紫むらさきぎれのてんじんに聲こゑをかけられようといふ柄がらぢやあなし……﹂ ﹁勿もち論ろん。﹂ ﹁たゝつたな――裏うら川が岸しの土どざ藏うの腰こしにくつ付ついて、しよんぼりと立たつたつけ。晩ばん方がたぢやああつたが、あたりがもう〳〵として、向むかう岸ぎしも、ぼつと暗くらい。折をりから一いつ杯ぱいの上あげ汐しほさ。……近ちかい處ところに、柳やなぎの枝えだはじやぶ〳〵と浸ひたつてゐながら、渡わたし船ぶねは影かげもない。何なにも、油あぶ堀らぼりだつて、そこにづらりと並ならんだ藏くらが――中なかには破やれ壁かべに草くさの生はえたのも交まじつて――油あぶ藏らぐらとも限かぎるまいが、妙めうに油あぶ壺らつぼ、油あぶ瓶らがめでも積つんであるやうで、一いち倍ばい陰いん氣きで、……穴あなから燈とう心しんが出でさうな氣きがする。手てな長がえ蝦びだか、足あし長なが蟲むしだか、びちや〳〵と川かは面づらではねたと思おもふと、岸きしへすれ〳〵の濁にごつた中なかから、尖とがつた、黒くろい面つらをヌイと出だした……﹂ 小ちひさな聲こゑで、 ﹁河か、河か、河かつ童ぱですか。﹂ ﹁はげてる癖くせに、いやに臆おく病びやうだね――何なに、泥すつ龜ぽんだつたがね、のさ〳〵と岸きしへ上あがつて來くると、雨あめと一いつ所しよに、どつと足あしもとが川かはになつたから、泳およぐ形かたちで獨ひとりでにげたつけ。夢ゆめのやうだ。このびんつけに日ひが當あたつちやあ船ふな蟲むしもはへまいよ。――おんなじ川かはに行ゆき當あたつても大たいした違ちがひだ。﹂ ﹁眞まつ個たくですな、いまお話はなしのその邊へんらしい。……私わたしの友ともだちは泥すつ龜ぽんのお化ばけどころか、紺こん蛇じや目の傘めをさした女ぢよ郎らうの幽いう靈れいに逢あひました。……おなじく雨あめの夜よで、水みづだか路みちだか分わからなく成なりましてね。手てをひかれたさうですが、よく川かはへ陷はまらないで、橋はしへ出でて助たすかりましたよ。﹂ ﹁それが、自じぶ分んだといふのだらう。……幽いう靈れいでもいゝ、橋はしへ連つれ出だしてくれないか。﹂ ﹁――娑しや婆ばへ引ひき返かへす事ことにいたしませうかね。﹂ もう一いち度ど、念ねん入いりに川かは端ばたへ突つき當あたつて、やがて出でたのが黒くろ龜かめ橋ばし。――こゝは阪かみ地がたで自じま慢んする︵……四よツ橋はしを四よつわたりけり︶の趣おもむきがあるのであるが、講かう釋しやくと芝しば居ゐで、いづれも御ごぞ存んじの閻えん魔まだ堂うば橋しから、娑しや婆ばへ引ひき返かへすのが三さん途づに迷まよつた事ことになつて――面おも白しろい……いや、面おも白しろくない。 が、無ぶ事じであつた。 ――私わたしたちは、蝙かう蝠もり傘がさを、階かい段だんに預あづけて、――如い何かに梅つゆ雨ど時ぎとはいへ……本ほん來らいは小こぶ舟ねでぬれても、雨あめのなゝめな繪ゑに成なるべき土とち地が柄らに對たいして、かう番ばんごと、繻しゆ子すば張りを持もち出だしたのでは、をかしく蜴かう蟷もり傘がさの術じゆつでも使つかひさうで眞まことに氣きになる、以い下かこの小こだ道う具ぐを節せつ略りやくする。――時ときに扇あふ子ぎづ使かひの手てを留とめて、默もく拜はいした、常じや光うく院わうゐんの閻えん王わうは、震しん災さい後ご、本ほん山ざん長はせ谷で寺らからの入にふ座ざだと承うけたまはつた。忿ふん怒ぬの面めん相さう、しかし威ゐあつて猛たけからず、大だい閻えん魔まと申まをすより、口くちをくわつと、唐たう辛がら子しの利きいた關くわ羽んうに肖にてゐる。從したがつて古こし色よく蒼さう然ぜんたる脇わき立だちの青あを鬼おに赤あか鬼おにも、蛇じや矛ぼう、長ちや槍うさう、張ちや飛うひ、趙てう雲うんの概がいのない事ことはない。いつか四よつ谷やの堂だうの扉とびらをのぞいて、眞まつ暗くらな中なかに閻えん王わうの眼まなこの輝かゞやくとともに、本ほん所じよの足あし洗あら屋ひや敷しきを思おもはせる、天てん井じやうから奪だつ衣えの大おほ婆ばゞの組くみ違ちがへた脚あしと、眞まう俯つ向むけに睨にらんだ逆さか白しら髮がに恐おそ怖れをなした、陰いん慘さんたる修しゆ羅らの孤こを屋くに比くらべると、こゝは却かへつて、唐たう土ど桃たう園ゑんの風かぜが吹ふく。まして、大だい王わうの膝ひざがくれに、婆ばゞは遣やり手ての木み乃い伊らの如ごとくひそんで、あまつさへ脇わき立だちの座ざの正しや面うめんに、赫かく耀えうとして觀くわ世んぜ晉おん立たたせ給たまふ。小こど兒もし衆うも、娘むすめたちも、心こゝろやすく賽さいしてよからう。但たゞし浮うは氣きだつたり、おいたをすると、それは〳〵本ほん當たうに可こ恐はいのである。 小を父ぢさんたちは、おとなしいし、第だい一いち品ひん行かうが方はう正せいだから……言いつた如ごとく無ぶ事じであつた。……はいゝとして、隣りん地ち心しん行ぎや寺うじの假かり門もんにかゝると、電でん車しやの行ゆき違ちがふすきを、同つ伴れが、をかしなことをいふ。 ﹁えゝ、一ちよ寸つと懺ざん悔げを。……﹂ ﹁何なんだい、いま時じぶ分ん。﹂ ﹁ですが、閻あち魔らさ樣まの前まへでは、氣きが怯ひけたものですから。――實じつは此こ寺ゝの墓ぼ地ちに、洲すさ崎きの女や郎つが埋うまつてるんです。へ、へ、へ。長ながい突つき通とほしの笄かうがいで、薄うす化げし粧やうだつた時じぶ分んの、えゝ、何なんにもかにも、未ひつじの刻こくの傾かたむきて、――元げん服ぷくをしたんですがね――富とみ川かは町ちやううまれの深ふか川がはツ娘こだからでもありますまいが、年ねんのあるうちから、流ながれ出だして、途つひに泡うた沫かたの儚はかなさです。人ひとづてに聞きいたばかりですけれども、野のに、山やまに、雨あめとなり、露つゆとなり、雪ゆきや、氷こほりで、もとの水みづへ返かへつた果はては、妓ぎふ夫あ上がりと世しよ帶たいを持もつて、土ど手てで、おでん屋やをしてゐたのが、氣きが變へんになつてなくなつたといひます――上じや州うしう安あん中なかで旅たび藝げい者しやをしてゐた時とき、親おや知しらずでもらつた女をんなの子こが方はう便べんぢやありませんか、もう妙とし齡ごろで……抱かゝへぢやあありましたが、仲なかで藝げい者しやをしてゐて、何どうにかそれが見みお送くつたんです。……心しん行ぎや寺うじと確たしかいひましたつけ。おまゐりをして下くださいなと、何なにかの時ときに、不ふ思し議ぎにめぐり合あつて、その養やう女ぢよからいはれたんですが、ついそれなりに不ぶ沙さ汰たでゐますうちに、あの震しん災さいで……養やう女ぢよの方はうも、まるきし行ゆく衞へが分わかりません。いづれ迷まよつてゐると思おもひますとね、閻えん魔まだ堂うで、羽は目めの影かげがちらり〳〵と青あを鬼おに赤あか鬼おにのまはりへうつるのが、何なんですか、ひよろ〳〵と白しろい女をんなが。……﹂ いやな事ことをいふ。 ﹁……又また地ぢご獄くの繪ゑといふと、意い固こ地ぢに女をんなが裸はだ體かですから、氣きに成なりましたよ、ははは。……電でん車しや通どほりへ突つつ立たつて、こんなお話はなしをしたんぢあ、あはれも、不ぶ氣き味みも通とほり越こして、お不ふど動うさ樣まの縁えん日にちにカンカンカンカンカン――と小こや屋が掛けで鉦かねをたゝくのも同どう然ぜんですがね。﹂ お參まゐりをするやうに、私わたしがいふと、 ﹁何なんだか陰いん氣きに成なりました。こんな時とき、むかし一ひとつ夜と具こを被かぶつた女をんなの墓はかへ行ゆくと、かぜを引ひきさうに思おもひますから。﹂ ぞつとする、といふのである。なぜか、私わたしも濕しめつぽく歩あ行るき出だした。 ﹁その癖くせをかしいぢやありませんか。名めい所しよ圖づ繪ゑなぞ見みます度たびに、妙めうにあの寺てらが氣きに成なりますから、知しつてゐますが、寶はう物もつに︵文ぶん幅ぶく茶ちや釜がま︶――一いち名めい︵泣なき茶ちや釜がま︶ありは何どうです。﹂ といつて、涙なみだだか汗あせだか、帽ばう子しを取とつて顏かほをふいた。頭あたまの皿さらがはげてゐる。……思おもはず私わたしが顏かほを見みると、同つ伴れも苦にが笑わらひをしたのである。 ﹁あ、あぶない。﹂ 笑わら事ひごとではない。――工こう事じち中う土つち瓦かはらのもり上あがつた海うみ邊べば橋しを、小こや山まの如ごとく乘のり來くる電でん車しやは、なだれを急きふに、胴どう腹ばらを欄らん干かんに、殆ほとんど横よこ倒だふしに傾かたむいて、橋はし詰づめの右みぎに立たつた私わたしたちの横よこ面つらをはね飛とばしさうに、ぐわんと行ゆく時とき、運うん轉てん臺だい上じやうの人ひとの體たいも傾かたむく澪みをの如ごとく黒くろく曲まがつた。 二ふた人りは同どう時じに、川か岸しへドンと怪けし飛とんだ。曲まが角りかどに︵危きけ險んにつき注ちう意い︶と札ふだが建たつてゐる。 ﹁こつちが間ま拔ぬけなんです。――番ばんごとこれぢや案あん内ない者しや申まをし譯わけがありません。﹂ 片かた側がはのまばら垣がき、一ひと重へに、ごしや〳〵と立たち亂みだれ、或あるひは缺かけ、或あるひは傾かたむき、或あるひは崩くづれた石せき塔たふの、横よこ鬢びんと思おもふ處ところへ、胡ごふ粉んで白しろく、さま〴〵な符ふが號うがつけてある。卵らん塔たふ場ばの移いて轉んの準じゆ備んびらしい。……同つ伴れのなじみの墓はかも、參まゐつて見みれば、雜ざつとこの體ていであらうと思おもふと、生なま々〳〵と白しろい三さん角かくを額ひたひにつけて、鼠ねず色みいろの雲くもの影かげに、もうろうと立たつてゐさうでならぬ。 ――時じか間んの都つが合ふで、今け日ふはこちらへは御ご不ぶ沙さ汰たらしい。が、この川かはを向むかうへ渡わたつて、大おほきな材ざい木もく堀ぼりを一ひとつ越こせば、淨じや心うし寺んじ――靈れい巖がん寺じの巨きよ刹さつ名めい山ざんがある。いまは東ひがしに岩いは崎さき公こう園ゑんの森もりのほかに、樹きの影かげもないが、西にしは兩りや寺うじの下した寺でらつゞきに、凡およそ墓はかばかりの野のである。その夥おび多たゞしい石せき塔たふを、一ひとつ一ひとつうなづく石いしの如ごとく從したがへて、のほり、のほりと、巨おほ佛ぼとけ、濡ぬれ佛ぼとけが錫しや杖くぢやうに肩かたをもたせ、蓮はちすの笠かさにうつ向むき、圓ゑん光くわうに仰あふいで、尾をば花なの中なかに、鷄けい頭とうの上うへに、はた袈け裟さに蔦つたかづらを掛かけて、鉢はちに月つき影かげの粥かゆを受うけ、掌たなそこに霧きりを結むすんで、寂じや然くぜんとして起たち、また趺ふ坐ざなされた。 櫻さくら、山やま吹ぶき、寺じな内いの蓮はちすの華はなの頃ころも知しらない。そこで蛙かはづを聞きき、時ほと鳥ゝぎすを待まつ度どき胸ようもない。暗やみ夜よは可おそ恐ろしく、月つき夜よは物ものすごい。……知しつてゐるのは、秋あきまた冬ふゆのはじめだが、二に度ど三さん度ど、私わたしの通とほつた數かずよりも、さつとむら雨さめの數かず多おほく、雲くもは人ひとよりも繁しげく往ゆき來きした。尾をば花なは斜なゝめに戰そよぎ、木この葉ははかさなつて落おちた。その尾をば花な、嫁よめ菜な、水みづ引ひき草さう、雁ばげ來いと紅うをそのまゝ、一ひと結むすびして、處とこ々ろ〴〵にその木この葉はを屋や根ねに葺ふいた店みせ小ご屋やに、翁おきなも、媼うばも、ふと見みれば若わかい娘むすめも、あちこちに線せん香かうを賣うつてゐた。狐きつねの豆とう府ふ屋や、狸たぬきの酒さか屋や、獺かはうその鰯いわ賣しこも、薄うす日びにその中なかを通とほつたのである。 ……思おもへばそれも可なつ懷かしい……