會くわいの名なは――會くわ費いひが九きう圓ゑん九きう十じふ九きう錢せんなるに起きい因んする。震しん災さい後ご、多たね年ん中ちう絶ぜつして居ゐたのが、頃この日ごろ區くく劃わく整せい理りに及およばず、工こう事じなしに復ふく興こうした。時ときに繰くり返かへすやうだけれども、十じふ圓ゑんに對たいし剩つり錢せん一いつ錢せんなるが故ゆゑに、九きう圓ゑん九きう十じふ九きう錢せんは分わかつたが、また何なんだつて、員ゐん數すうを細こまかく刻きざんだのであらう。……つい此この間あひだ、さんに逢あつて、其その話はなしが出でると、十じふ圓ゑんと怯おどかすより九くう九くう九くうと言いふ方はうが、音ねじ〆め……は粹いき過すぎる……耳みゝ觸ざはりが柔やはらかで安あん易いで可よい。それも一ひとつだが、其その當たう時じは、今いまも大たい錢せんお扱あつかひの方かたはよく御ごぞ存んじ、諸しよ國こく小こま貨かいのが以もつてのほか拂ふつ底ていで、買かひものに難なん澁じふ一ひと方かたならず。やがて、勿もつ體たいないが、俗ぞくに言いふ上あげ潮しほから引ひき上あげたやうな十じつ錢せん紙しへ幣いが蟇がま口ぐちに濕じめ々〳〵して、金かねの威ゐく光わうより、黴かびの臭にほひを放なはつた折をりから、當たう番ばんの幹かん事じは決けつして剩つり錢せんを持もち出ださず、會くわ員いゐんは各かく自じ九くう九くう九くうの粒つぶを揃そろへて、屹きつ度と持ぢさ參んの事こと、と言いふ……蓋けだし發はつ會くわい第だい一いち番ばんの――お當たうめでたうござる――幹かん事じのさんが……實じつは剩つり錢せんを集あつめる藁わら人にん形ぎやうに鎧よろひを着きせた智ちぼ謀う計けい數すうによつたのださうである。 ﹁はい、會くわ費いひ。﹂ 佐さが賀にし錦きの紙かみ入いれから、其その、ざく〳〵と銅どう貨くわまじりを扱あつかつた、岡をか田だふ夫じ人ん八や千ち代よさんの紙かみ包づつみの、こなしのきれいさを今いまでも覺おぼえて居ゐる。 時ときに復ふく興こうの第だい一いつ囘くわいの幹かん事じは――お當たうめでたうござる――水みな上かみさんで。唯たゞ見みる、日にほ本んば橋し檜ひも物のち町やう藤ふぢ村むらの二にじ十ふし七ちで疊ふの大おほ廣ひろ間ま、黒こく檀たんの大だい卓たくのまはりに、淺あさ葱ぎ絽ろの座ざぶ蒲と團んを涼すゞしく配くばらせて、一ひと人り第だい一いち番ばんに莊さう重ちように控ひかへて居ゐる。其その席せきに配くばつた、座ざぶ蒲と團ん一ひとつ一ひとつの卓たくの上うへに、古こし色よくやゝ蒼さう然ぜんたらむと欲ほつする一いつ錢せん銅どう貨くわがコツンと一いつ個こ。座ざにひらきを置おいて、又またコツンと一いつ個こ、會くわ員いゐんの數すうだけ載のせてある。煙たば草こぼ盆んに香かうの薫かをりのみして、座ざにいまだ人ひと影かげなき時とき、瀧たき君くんの此この光くわ景うけいは、眞さな田だが六ろく文もん錢せんの伏ふせ勢ぜいの如ごとく、諸しよ葛かつ亮りやうの八はち門もん遁とん甲かふの備そなへに似にて居ゐる。また此この計はかりごとなかるべからず、此これで唯たゞ初はつ音ねの鳥とりを煮にて、お香かう々〳〵で茶ちや漬づるのならば事ことは足たりよう。座ざに白おし粉ろいの薫かをりをほんのりさして、絽ろち縮りめ緬んの秋あき草ぐさを眺ながめよう。無む地ぢお納なん戸どで螢ほたるを見みよう。加しか之のみならず、酒さけは近きん所じよの灘なだ屋やか、銀ぎん座ざの顱はち卷まきを取とり寄よせて、と云いふ會くわ員いゐ一んい同ちどうの強きや請うせい。考かんがへてご覽らんなさい、九九九で間まに合あひますか。 一いち同どう幹かん事じの苦くし心んを察さつして、其その一いつ錢せんを頂いたゞいた。 何ど處こかで會くわいが打ぶつかつて、微ほろ醉よひ機きげ嫌んで來きた万まんちやんは、怪けしからん、軍ぐん令れいを忘ばう却きやくして、 ﹁何なんです、此この一いつ錢せんは――あゝ、然さう〳〵。﹂ と兩りや方うはうの肩かたと兩りや袖うそでと一いつ所しよに一ちよ寸つと搖ゆすつて、内うち懷ぶところの紙かみ入いれから十じふ圓ゑん也なり、やつぱり一いつ錢せんを頂いたゞいた。 其そ處こでお料れう理りが、もづくと、冷ひや豆やつ府こ、これは飮のめる。杯さかづき次しだ第いにめぐりつゝ、いや、これは淡あつ白さりして好いい。酒さけいよ〳〵酣たけなはに、いや、まことに見みても涼すゞしい。が、折をりから、ざあ〳〵降ぶりに風かぜが吹ふき添そつて、次つぎの間まの金きん屏びや風うぶも青あを味みを帶おびて、少せう々〳〵涼すゞしく成なり過すぎた。 ﹁如いか何ゞです、岡をか田ださん。﹂ ﹁結けつ構こうですな。﹂ と、もづくを吸すひ、豆とう府ふを挾はさむ容よう子すが、顏かほの色いろも澄すみに澄すんで、風ふう采さいます〳〵哲てつ人じんに似にた三さぶ郎らう助すけ畫ぐわ伯はくが、 ﹁此この金き將んは一ひと手て上あがり過すぎましたよ。﹂ と、將しや棋うぎに、またしても、お負まけに成なるのが、あら〳〵、おいたはしい、と若わかい綺きれ麗いどころが、畫ぐわ伯はくと云いふと又また頻しきりに氣きを揉もむ。 ﹁軍いくさもお腹なかがお空すきになつては、ねえ。﹂ 一いち番ばん負まかした水みな上かみさんが、故わざと、その上うへに目めを大おほきくして、 ﹁九きう圓ゑん九きう十じふ九きう錢せんだよ。﹂ で仔しさ細いを聞きいて、妙めうに弱よわい方はうへ味みか方たする、江え戸どツ子この連れん中ぢうが、私わたしも會くわ費いひを出だすよ、私あたいだつて。――富ふの字じと云いふ稱なからして工くめ面んのいゝ長なが唄うたの姉ねえさんが、煙きせ管るを懷くわ劍いけんに構かまへて、かみ入いれを帶おびから拔ぬくと、十じふ圓ゑん紙しへ幣いが折をり疊たゝんで入はひつて居ゐる……偉えらい。戀こひか、三み十そ日かかに痩やせたのは、また白はく銅どうを合あはせて、銀ぎん貨くわ入いれに八はち十じふ五ごせ錢んと云いふのもある……嬉うれしい。寸ほんの志こゝろざしと、藤ふぢ間まの名なと取りで、嬌し態なをして、水みな上かみさんの袂たもとに入いれるのがある。……甘うまい。それもよし、これもよし、〆しめて金きん七なゝ十じふ圓ゑん――もしそれ私わたしをして幹かん事じたらしめば、忽たちまちにお盆ぼんの軍ぐん用ように充あてようものを、軍ぐん規き些いさ少ゝかも敵てきにかすめざる瀧たき君くんなれば、志こゝろざしはうけた――或あるひは新しん築ちくの祝いはひ、或あるひは踊をどり一ひと手ての祝しう儀ぎ、或あるひは病びや氣うき見みま舞ひとして、其その金きん子すは、もとの帶おびへ返かへつた。軍ぐん機きをもらす恐おそれはあるが、まぶと成なつて、客きやくの臺だいのものを私わたくしせず、いろと成なつて、旦だん那なの會くわ計いけいを煩わづらはさない事ことを、彼あの妓こ等たちのために、其その旦だん那ななるものに、諒りや解うかいを要えう求きうする。これ第だい一いちは瀧たき君くんのために、説とくこと、こゝに及およぶ所ゆゑ以んである。 さるほどに、美びじ人んたちの此この寄き附ふによつて、づらりと暖あつたかいものが並ならんで、金きん屏びや風うび﹇#ルビの﹁きんびやうび﹂はママ﹈もキラ〳〵と輝かゞやき渡わたり、燒やきのりをたて引ひいて心しん配ぱいして居ゐた、藤ふぢ村むらの優やさしい妹いも分とぶんも、嬉うれしさうな顏かほをした。 此この次じく會わいをうけた――當たうの幹かん事じがさんであつた。六ろく月ぐわ下つげ旬じゆん。午ご後ご五ご時じ。 時じか間んれ勵いか行う。水みな上かみさんは丸まるの内うちの會くわ社いしやからすぐに出で向むく。元もと園ぞの町ちやうの雪せつ岱たいさんは出でさきから參さん會くわいと。……其そ處こで、道みち順じゆんだから、やすい圓ゑんタクでお誘さそひ申まをさうかと、もし、もし、電でん話わ︵註ちう。お隣となりのを借かりる︶を掛かけると六ろく丁ちや目うめ里さと見みし氏た宅くで、はあ、とうけて、婀あ娜だな返へん事じが――幹かん事じで支した度くがありますから、時じか間んを早はやく、一ひと足あしお先さきへ――と言いふのであつた。 其その夕ゆふ刻こくは、六ろく文もん錢せんも、八はち門もん遁とん甲かふも何なんにもない。座ざに、煙たば草こぼ盆んを控ひかへて、私わたしが先まづ一ひと人り、斜なゝめに琵びは琶だ棚なを見み込こんで、ぽかんと控ひかへた。青あを疊だたみ徒いたづらに廣ひろくして、大だい卓たくは、浮うき島しまの體ていである。 一ひとあし先さきの幹かん事じが見みえない。やがて、二にじ十つぷ分んばかりにして、當たうの幹かん事じさんは、飛ひし車やを拔ぬかれたやうな顏かほをして、 ﹁いや、遲ちさ參んで、何なんとも……﹂ 水みな上かみさんと二ふた人り一いつ所しよ。タクシイが日ひ比び谷やの所ところでパンクした。しかも時ときが長ながかつたさうである。 處ところで、さんは、伏ふせ勢ぜいのかはりに、常じや山うざんの蛇へび、尾をを撃うてば頭かしらを以もつて、で、所いは謂ゆる長ちや蛇うだの陣ぢんを張はつた。即すなはち、一いつ錢せん銅どう貨くわ五ごじ十ふよ餘ま枚いを、ざらりと一ひと側かはならびに、細ほそい、青あをい、小ちひさい蝦がま蟇ぐ口ちを用よう意いして、小こぐ口ちから、﹁さあ、さあ、お剩つ錢りを。﹂――これは、以いら來い、九九九會くわいの常じや備うび共きよ通うつうの具ぐと成なつて、次じく會わいの當たう番ばん、雪せつ岱たい氏しが預あづかつた。 後あとで聞きくと、さんの苦くし心んは、大だい根こんおろし。まだ御ごち馳そ走うもない前まへに、敢あへて胃ゐの消せう化くわを助たすけるためではない。諸しよ君くん聞きかずや、むかし彌やじ次ら郎うと喜きた多は八ちが、さもしい旅たびに、今いまくひし蕎そ麥ばは富ふ士じほど山やま盛もりにすこし心こゝろも浮うき島しまがはら。其その山やまもりに大だい根こんおろし。おかゝは、うんと藤ふぢ村むら家やに驕おごらせて、此この安あん直ちよくなことは、もづくの比ひではない。然しかり而しかうして、おの〳〵の腹はらの冷つめたく次しだ第いに寒さむく成なつた處ところへ、ぶつ切きり、大おほ掴づかみの坊ばう主ずしやも、相すま撲ふが食くつても腹はらがくちく成なるのを、赫かつと煮にようと云いふ腹ふく案あん。六ろく丁ちや目うめを乘のり出だした其その自じど動うし車やで、自じぶ分ん兩りや國うごくを乘のり切きらう意いき氣ご込み、が、思おもひがけないパンクで、時ときも過すぎれば、氣きが拔ぬけたのださうである。 此この帷ゐあ幄くに參さんして、蝶てふ貝がひ蒔まき繪ゑの中なか指ざし、艷つや々〳〵しい圓まる髷まげをさし寄よせて囁さゝやいた計はかりごとによれば――此このほかに尚なほ、酒さけの肴さかなは、箸はしのさきで、ちびりと醤しや油うゆ︵鰹かつ節をぶしを添そへてもいゝ、料れう亭てい持もち出だし︶をなめさせ、鉢はち肴ざかなまた洗あらひと稱となへ、縁えん日にちの金きん魚ぎよを丼どんぶりに浮うかせて――︵氷こほりを添そへてもいゝ︶――後のちにひきものに持もたせて歸かへす、殆ほとんど籠ろう城じやうに馬うまを洗あらふ傳でん説せつの如ごとき、凄すごい寸すん法ぱふがあると仄そく聞ぶんした。――しかし、一いち自じど動うし車やの手てお負ひ如ごときは、ものの數かずでもない、戰たゝかへば勝かつ驕けう將しやうは、此この張ちや中うちうの説せつを容いれなかつた。勇ゆうなり、また賢けんなるかな。 第だい三さん囘くわいの幹かん事じは、元もと園ぞの町ちやう――小こむ村らせ雪つた岱いさん――受これ之をうく。 昭和三年八月