奥おう州しう白しら石いしの城じや下うかより一いち里りは半ん南みなみに、才さい川がはと云いふ駅えきあり。此この才さい川がはの町まち末ずゑに、高かう福ふく寺じといふ寺てらあり。奥おう州しう筋すぢ近きん来らいの凶きよ作うさくに此この寺てらも大たい破はに及および、住ぢう持じとなりても食しよ物くもつ乏とぼしければ僧そうも不すま住ず、明あき寺でらとなり、本ほん尊ぞんだに何いづ方かたへ取とり納おさめしにや寺てらには見みえず、庭にはは草くさ深ふかく、誠まことに狐こけ梟うのすみかといふも余あまりあり。此この寺じち中うに又また一ひとツの小せう堂だうあり。俗ぞくに甲かつ胄ちう堂だうといふ。堂だうの書かき附つけには故こし将やう堂だうとあり、大おほきさ纔わづかに二にけ間んし四はう方ばか許りの小せう堂だうなり、本ほん尊ぞんだに右みぎの如ごとくなれば、此この小せう堂だうの破はそ損んはいふ迄までもなし、やう〳〵に縁えんにあがり見みるに、内うちに仏ほとけとてもなく、唯たゞ婦ふじ人んの甲かつ胄ちうして長なぎ刀なたを持もちたる木もく像ざう二ふたつを安あん置ちせり。これ、佐さと藤うつ次ぎの信ぶ忠たゞ信のぶ兄きや弟うだいの妻つま、二ふた人り都みやこにて討うち死じにせしのち、其その母はゝの泣なき悲かなしむがいとしさに、我わが夫をつとの姿すがたをまなび、老おひたる人ひとを慰なぐさめたる、優やさしき心こゝろをあはれがりて時ときの人ひと木もく像ざうに彫きざみしものなりといふ。此この物もの語がたりを聞きき、此この像ざうを拝はいするにそゞろに落らく涙るゐせり。︵略りやく︶かく荒あれ果はてたる小せう堂だうの雨あめ風かぜをだに防ふせぎかねて、彩さい色しきも云うん々〳〵。
甲かつ胄ちう堂だうの婦ふじ人んざ像うのあはれに絵ゑの具ぐのあせたるが、遥はるけき大おほ空ぞらの雲くもに映うつりて、虹にじより鮮あざ明やかに、優やさしく読よむものゝ目めに映うつりて、其その人ひと恰あだかも活いけるが如ごとし。われら此この烈はげしき大だい都とく会わいの色しき彩さいを視ながむるもの、奥おう州しう辺へんの物もの語がたりを読よみ、其その地ちの婦ふじ人んを想さう像ざうするに、大おほ方かたは安あだ達ちヶ原はらの婆ば々ゞを想おもひ、もつぺ穿はきたる姉あねえをおもひ、紺こんの褌ふんどしの媽かゝ々あをおもふ。同おなじ白しろ石いしの在ざい所しようまれなる、宮みや城ぎ野のと云いひ信しの夫ぶと云いふを、芝しば居ゐにて見みたるさへ何なにとやらむ初はつ鰹がつをの頃ころは嬉うれしからず。たゞ南なん谿けいが記しるしたる姉きや妹うだいの此この木もく像ざうのみ、外そとヶ浜はまの砂さば漠くの中なかにも緑オア水シスのあたり花はな菖あや蒲め、色いろのしたゝるを覚おぼゆる事こと、巴ともえ、山やま吹ぶきの其それにも優まされり。幼おさなき頃ころより今いまも亦また然しかり。
元げん禄ろくの頃ころの陸むつ奥ち千ど鳥りには――木きが川わむ村ら入いり口ぐちに鐙あぶ摺みずりの岩いはあり、一いつ騎きだ立ちの細ほそ道みちなり、少すこし行ゆきて右みぎの方かたに寺てらあり、小こだ高かき所ところ、堂だう一いち宇う、次つぎ信のぶ、忠たゞ信のぶの両りや妻うさい、軍いく立さだちの姿すがたにて相あひ双ならび立たつ。
また、安あん永えい中ちうの続ぞく奥おくの細ほそ道みちには、――故こし将やう堂だう女によ体たい、甲かつ胄ちうを帯たいしたる姿すがた、いと珍めづらし、古ふるき像ざうにて、彩さい色しきの剥はげて、下した地ぢなる胡ごふ粉んの白しろく見みえたるは。
としるせりとぞ。此この両りや様うやうとも悉くはしく其その姿すがたを記しるさゞれども、一いち読どくの際さい、われらが目めには、東とう遊いう記きに写うつしたると同おなじ状さまに見みえて最いと床ゆかし。
然しかるに、観くわ聞んも志んしと云いへる書しよには、斉さい川がは以いせ西いよ有うち羊やう腸あり、維これ石いし厳げん々〳〵、嚼あし足をかみ、毀ひづ蹄めをやぶる、一いつ高かう坂はん也なり、是これ以をも馬つて憂うま※きく﹇#﹁虫+亢﹂、U+86A2、378-11﹈、人ひと痛けん嶮かん艱をいたむ、王わう勃ぼつ所がい謂はゆる、関くわ山んざ難んこ踰えが者たきもの、方まさ是にこ乎れに可おい信てか依しんいすべし、土どじ人んや称れあ破ぶみ鐙のさ坂かとしようす、破やれ鐙あぶ坂みさ東かの有ひが一しに堂いちどうあり、中なか置にに二ぢよ女えい影をおく、身みに着じふ戎いふ衣くを服つけ、頭かし戴らに烏えぼ帽しを子いたゞき、右うは方うき執うし弓をと矢り、左さは方うと撫うけ刀んを剣ぶすとありとか。
此この女によ像ざうにして、もし、弓ゆみ矢やを取とり、刀とう剣けんを撫ぶすとせむか、いや、腰こしを踏ふん張ばり、片かた膝ひざ押おしはだけて身みが搆まへて居ゐるやうにて姿すがた甚はなはだとゝのはず、此この方はうが真まことならば、床ゆかしさは半なかば失うせ去さる。読よむ人ひと々〴〵も、恁かくては筋きん骨こつの逞たくましく、膝ひざ節ぶし手てふしもふしくれ立だちたる、がんまの娘むすめを想さう像ざうせずや。知しらず、此この方かたは或あるひは画ぐわ像ざうなどにて、南なん谿けいが目まのあたり見みて写うつし置おける木もく像ざうとは違たがへるならむか。其その長なぎ刀なた持もちたるが姿すがたなるなり。東とう遊いう記きなるは相さう違ゐあらじ。またあらざらむ事ことを、われらは願ねがふ。観くわ聞んも志んしもし過あやまちたらむには不ふつ都が合ふなり、王わう勃ぼつが謂いふ所ところなどは何どうでもよし、心こゝろすべき事ことならずや。
近ちか頃ごろ心こゝろして人ひとに問とふ、甲かつ胄ちう堂だうの花はなあやめ、あはれに、今いまも咲さけりとぞ。
唐たう土どの昔むかし、咸かん寧ねいの時とき、韓かん伯はくが子こ某なにがしと、王わう蘊うんが子こ某なにがしと、劉りう耽たんが子こ某なにがしと、いづれ華くわ冑ちうの公こう子し等ら、一ある日ひ相あひ携たづさへて行ゆきて、土と地ちの神かみ、蒋しや山うざんの廟びやうに遊あそぶ、廟びや中うちう数すふ婦じ人んの像ざうあり、白はく皙せきにして甚はなはだ端たん正せい。
三さん人にん此この処ところに、割わり籠ごを開ひらきて、且かつ飲のみ且かつ大おほいに食くらふ。其その人ひとも無なげなる事こと、恰あだかも妓ぎを傍かたはらにしたるが如ごとし。剰あまつさへ酔よひに乗じようじて、三さん人にんおの〳〵、其その中うち三さん婦ふじ人んの像ざうを指ゆびさし、勝かつ手てに撰より取どりに、おのれに配はいして、胸むねを撫なで、腕うでを圧おし、耳みゝを引ひく。
時ときに、其その夜よの事ことなりけり。三さん人にん同おなじく夢ゆめむ、夢ゆめに蒋しや侯うこう、其その伝さん教だいふを遣つかはして使しし者やの趣おもむきを白まをさす。曰いはく、不ふつ束ゝかなる女をんなども、猥みだりに卿けい等らの栄えい顧こを被かふむる、真まことに不ふ思し議ぎなる御ごえ縁んの段だん、祝しう着ちやくに存ぞんずるもの也なり。就ついては、某それの日ひ、恰あだかも黄くわ道うだ吉うき辰つしんなれば、揃そろつて方かた々〴〵を婿むこ君ぎみにお迎むかへ申まをすと云いふ。汗あせ冷つめたくして独ひとりづゝ夢ゆめさむ。明あくるを待まちて、相あひ見みて口くちを合あはするに、三さん人にん符ふを同おなじうして聊いさゝかも異ことなる事ことなし。於これ是において蒼あをくなりて大おほいに懼おそれ、斉ひとしく牲にえを備そなへて、廟びやうに詣まゐつて、罪つみを謝しやし、哀あいを乞こふ。
其その夜よ又また倶ともに夢ゆめむ。此この度たびや蒋しや侯うこ神うじん、白しろ銀がねの甲かつ胄ちうし、雪ゆきの如ごとき白はく馬ばに跨またがり、白しら羽はの矢やを負おひて親したしく自みづから枕まくらに降くだる。白しろき鞭むちを以もて示しめして曰いはく、変へん更がへの議ぎ罷まか成りならぬ、御おん身み等ら、我わが処むす女めを何なにと思おもふ、海えび老ち茶やではないのだと。
木もく像ざう、神しんあるなり。神しんなけれども霊れいあつて来きたり憑よる。山やま深ふかく、里さと幽ゆうに、堂だう宇う廃はい頽たいして、愈いよ〳〵活いけるが如ごとく然しかる也なり。