此一日
其一
観くわ見んけ世んせ間けん是ぜめ滅つぽ法ふ、欲よく求ぐむ無じん尽ねは涅ん槃し処よ、怨をん親しん已いさ作びや平うど等うし心ん、世せけ間んふ不ぎや行うよ慾くと等う事じ、随ずゐ依えさ山んり林んき及ふじ樹ゆ下げ、或わく復ぶく塚ちよ間うか露んろ地ちき居よ、捨しや於おい一つさ切いし諸よ有う為ゐ、諦たい観くわ真んし如んに乞よこ食つじ活きくわつ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。実げに往いに時しへはおろかなりけり。つく〴〵静かに思しゆ惟ゐすれば、我憲のり清きよと呼ばれし頃は、力を文武の道に労つからし命を寵辱の岐ちまたに懸け、密ひそかに自ら我をば負たのみ、老病死苦の免ゆるさぬ身をもて貪とん瞋じん痴ちど毒くの業ごふをつくり、私邸に起臥しては朝暮衣いゝ食しの獄に繋がれ、禁庭に出入しては年月名利の坑あなに墜ち、小川の水の流るゝ如くに妄想の漣さゞ波なみ絶ゆる間ひまなく、枯野の萱の燃ゆらむやうに煩悩の火ほの時あつて閃めき、意馬は常に六塵の境に馳せて心猿動やゝもすれば十悪の枝に移らんとし、危くもまた浅ましく、昨日見し人今日は亡き世を夢と見る〳〵果敢なくも猶驚かで、鶯の霞にむせぶ明ぼのの声は大だい乗じよ妙うめ典うてんの御名を呼べども、羝てい羊やうの暗あん昧まい無智の耳うとくて無明の眠りを破りもせず、吹きわたる嵐の音は松にありて、空をさまよふ浮雲に磨かれ出づる秋の夜の月の光をあはれ宿す、荒野の裾のむら薄の露の白珠あへなくも、末葉元葉を分けて行く風に砕けてはら〳〵と散るは真まことに即無常、金きん口く説せ偈げの姿なれども、※ぼく※そく﹇#﹁目+︵黒の旧字/土︶﹂、117-上-19﹈﹇#﹁塞﹂の﹁土﹂に代えて﹁目﹂、117-上-19﹈として視る無き瞎くわ驢つろの何を悟らむ由もなく、いたづらに御みそ祓ぎ済すましてとり流す幣ぬさもろともに夏を送り、窓おとづるゝ初時雨に冬を迎へて世を経しが、物に定まれる性なし、人いづくんぞ常に悪あしからむ、縁に遇へば則ち庸よう愚ぐも大道を庶しょ幾きし、教に順ずるときんば凡夫も賢聖に斉しからむことを思ふと、高野大師の宣ひしも嬉しや。一ひと歳とせ法勝寺御幸の節、郎等一人六条の判はう官ぐわんが手のものに搦められしを、厭おん離りの牙げし種ゆ、欣ごん求ぐの胞はう葉えふとして、大治二年の十月十一日拙き和歌の御感に預り、忝なくも勅禄には朝日丸の御おん佩はか刀せをたまはり、女院の御方よりは十五重りたる紅の御衣を賜はり、身に余りある面目を施せしも、畏くはあれど心それらに留まらず、ひたすら世路を出でゝ菩提に入り敷ふげ華じや成うく果わの暁を望まむと、遂に其月十五夜の、玉つ兎きも仏国西方に傾く頃を南無仏南無仏、恩おん愛ない永えい離りの時こそ来つれと、髻もとゞり斬つて持ぢ仏ぶ堂つに投げこみ、露憎からぬ妻をも捨て、いとをしみたる幼きものをも歯を切くひしばつて振り捨てつ、弦を離れし箭やの如く嵯さ峨がの奥へと走りつき、ありしに代へて心安き一いつ鉢ぱつ三さん衣えの身となりし以この来かた、花を採り水を掬むすむでは聊か大恩教主の御前に一念の至誠を供くうじ、案を払ひ香を拈ひねつては謹んで無量義経の其中に両眼の熱光を注ぎ、兀こつ坐ざじ寂やく寞まくたる或夜は、灯とも火しびのかゝげ力も無くなりて熄とまる光りを待つ我身と観じ、徐じよ歩ほ逍せう遥えうせる或時は、蜘さゝ蛛がにの糸につらぬく露の珠を懸けて飾れる人の世と悟りて、ます〳〵勤行怠らず、三懺の涙に六度の船を浮めて、五力の帆を揚げ二障の波を凌がむとし、山林に身を苦しめ雲水に魂をあくがれさせては、墨染の麻の袂に春霞よし野の山の花の香を留め、雲湧き出づる那智の高嶺の滝の飛しぶ沫きに網あじ代ろを小が笠さの塵ぢん垢くを濯そゝぎ、住吉の松が根洗ふ浪の音、難波江の蘆の枯葉をわたる風をも皆御みの法り説く声ぞと聞き、浮世をよそに振りすてゝ越えし鈴鹿や神路山、かたじけなさに涙こぼれつ、行へも知れず消え失する富士の煙けぶりに思ひを擬よそへ、鴫しぎ立たつ沢さはの夕暮にを停とゞめて一人歎き、一人さまよふ武蔵野に千草の露を踏みしだき、果白河の関越えて幾いく干その山河隔たりし都の方をしのぶの里、おもはくの橋わたり過ぎ、嵐烈しく雪散る日辿り着きたる平泉、汀みぎは凍こほれる衣川を衣手寒く眺めやり、出羽にいでゝ多喜の山に薄うす紅くれなゐの花を愛めで、象きさ潟かたの雨に打たれ木曾の空くう翠すゐに咽んで、漸く花みや洛こに帰り来たれば、是や見し往むか時し住みにし跡ならむ蓬が露に月の隠るゝ有為転変の有様は、色しき即そく空くうの道こと理わりを示し、亡きあとにおもかげをのみ遺し置きて我が朋とも友どちはいづち行きけむ無常迅速の為てい体たらくは、水漂草の譬たと喩へに異ならず、いよ〳〵心を励まして、遼はる遠かなる巌の間はざまに独り居て人め思はず物おもはゞやと、数しば旬らく北山の庵に行ひすませし後、飄然と身を起し、加茂明神に御おい暇とま告まをして仁安三年秋の初め、塩屋の薄煙りは松を縫ふて緩くたなびき、小舟の白帆は霧にかくれて静に去るおもしろの須磨明石を経て、行く〳〵歌枕さぐり見つゝ図らずも此所讚さぬ岐きの国真まを尾ばや林しには来りしが、此所は大だい日にち流る布ふの大師の生れさせ給ひたる地にも近く、何と無く心とゞまりて如か斯く草庵を引きむすび、称しよ名うみやうの声の裏うちには散乱の意を摂し、禅ぜん那なの行の暇ひまには吟咏のおもひに耽り悠自ら楽むに、有がたや三世諸仏のおぼしめしにも叶ひしか、凡念日に薄ぎて中懐淡きこと水を湛へたるに同じく、罪障刻に銷せうして両りや肩うけん軽きこと風を担ふが如くになりしを覚ゆ。おもへば往事は皆非なり、今はた更に何をか求めん。奢を恣ほしいままにせば熊ゆう掌しやうの炙りものも食くらふに美よき味あぢならじ、足るに任すれば鳥てう足そくの繕したるも纏ふに佳よき衣きぬなり、ましてや蘿つたのからめる窓をも捨てゞ月我を吊とむらひ、松たてる軒に来つては風我に戯る、ゆかしき方もある住居なり、南無仏南無仏、あはれよき庵、あはれよき松。
久に経てわが後の世をとへよ松あとしのぶべき人も無き身ぞ
其二
真清水の世に出づべしともおもはねば見る眼寒げにすむ我を、慰め顔の一つ松よ。汝は三さん冬とうにも其色を変へねば我も一ひと条すぢに此心を移さず。なむぢ嵐に揺いでは翠光を机上の黄くわ巻うくわんに飛ばせば、我また風に托して香烟を木こず末ゑの幽花にたなびかす。そも〳〵我と汝とは往むか時し如何なる契りありけむ、かく相互に睦ぶこと是も他生の縁なるべし。草木国土悉しつ皆かい成じや仏うぶつと聞くときは猶行末も頼みあるに、我は汝を友とせん。菩提樹神のむかしは知らねど、腕を組み言葉を交へずとも、松心あらば汝も我を友と見よ。僧青松の蔭に睡れば松老僧の頂を摩す、僧と松とは相ふさ応はしゝ。我は汝を捨つるなからん。
此所をまた我すみ憂くてうかれなば松はひとりにならんとすらん
あら、心も無く軒のき端ばの松を寂さびしき庵の友として眺めしほどに、憶ひぞ出でし松山の、浪の景色はさもあらばあれ、世の潮しほ泡なわの跡方なく成りまし玉ひし新院の御事胸に浮び来りて、あらぬさまにならせられ仁にん和な寺じの北の院におはしましける時、ひそかに参りて畏くも御みぐ髪し落させられたる御姿を、なく〳〵おぼろげながらに拝みたてまつりし其夜の月のいと明く、影もかはらで空に澄みたる情無かりし風情さへ、今眼まの前あたりに見ゆるがごとし。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。実げに人にん界がい不ふぢ定やうのならひ、是非も無き御事とは申せ、想ひ奉まつるもいとかしこし。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏阿弥陀仏。おもへば不思議や、長寛二年の秋八月廿四日は果敢なくも志し渡どにて崩かくれさせ玉ひし日と承はれば、月こそ異かはれ明日は恰も其日なり。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。いで御みさ陵ゝきのありと聞く白峯といふに明日は着き、御おん墓しるしの草をもはらひ、心の及ばむほどの御おん手た向むけをもたてまつりて、いさゝか後世御安楽の御祈りをもつかまつるべきか。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
其三
頃は十月の末、ところは荒凉たる境なれば、見渡す限りの景色いともの淋しく、冬枯れ野辺を吹きすさむ風蕭せうと衣もす裾そにあたり、落葉は辿る径を埋めて踏む足ごとにかさこそと、小さゝ語やくごとき声を発する中を然くゝぜんとして歩む西行。衆しゆ聖じや中うち尊ゆうそん、世せけ間ん之し父ふ、一いつ切さい衆しゆ生じやう、皆かい是ぜ吾ご子し、深しん着ぢや世くせ楽らく、無むう有ゑ慧し心ん、などと譬ひゆ喩ぼ品んの偈げを口の中にふつ〳〵と唱へ〳〵、従ふ影を友として漸やく山にさしかゝり、次第〳〵に分け登れば、力なき日はいつしか光り薄れて時雨空の雲の往ゆき来き定めなく、後こう山ざん晴るゝ歟かと見れば前山忽まちに曇り、嵐に駆かられ霧に遮さへられて、九つゞ折らなる岨そばを伝ひ、過ぎ来し方さへ失ふ頃、前ゆく途ての路もおぼつかなきまで黒みわたれる森に入るに、樅もみ柏かしはの大おほ樹きは枝を交はし葉を重ねて、杖持てる我が手たな首くびをも青むるばかり茂り合ひ、梢に懸れる松さる蘿をがせはとして静かに垂れ、雨降るとしは無けれども空翠凝つて葉末より滴る露の冷やかに、衣の袖も立ち迷へる水気に湿りて濡れたるごとし。音にきゝたる児ちごが岳たけとは今白雲に蝕まれ居る峨がと聳えし彼あの峯ならめ、さては此あたりにこそ御みし墓るしはあるべけれと、ひそかに心を配る折しも、見る〳〵千せん仭じんの谷底より霧漠と湧き上り、風に乱れて渦巻き立ち、崩るゝ雲と相応じて、忽ち大地に白布を引きはへたる如く立籠むれば、呼吸するさへに心ぐるしく、四あた方りを視るに霧の隔てゝ天あめ地つちはたゞ白きのみ、我が足すらも定かに見えず。何と思ひも分け得ざる間に、雲霧自おの然づと消え行けば、岩角の苔、樹の姿、ありしに変らで眼まなこに遮るものもなく、たゞ冬の日の暮れやすく彼方の峯に既はや没いりて、梟の羽はばし初め、空やゝ暗くなりしばかりなり。木立わづかに間ひまある方の明るさをたよりて、御みさ陵ゝぎ尋ねまゐらする心のせわしく、荊いば棘らを厭はでかつ進むに、そも〳〵これをば、清せい凉りや紫うし宸しんの玉台に四海の君とかしづかれおはしませし我国の帝の御墓ぞとは、かりそめにも申得たてまつらるべきや、わづかに土を盛り上げたるが上に麁そま末つなる石を三重に畳みなしたるあり。それさへ狐こ兎との踰こゆるに任せ草さう莱らいの埋むるに任せたる事、勿体なしとも悲しとも、申すも畏し憚りありと、心も忽ち掻き暗まされて、夢とも現うつゝとも此処を何処とも今を何時とも分きがたくなり、御墓の前に平ひれ伏ふして円ゑん顱ろを地に埋め、声も得立てず咽むせび入りぬ。
其四
実げにも頼まれぬ世の果は敢かなさ、時運は禁きん腋えきをも犯し宿業は玉体にも添ひたてまつること、まことに免れぬ道こと理わりとは申せ、九重の雲深く金殿玉楼の中にかしづかれおはしませし御身の、一いつ坏ぱいの土あさましく頑ぐわ石んせ叢きさ棘うきよくの下もとに神隠れさせ玉ひて、飛ひて鳥う音ねを遺し麋びろ鹿く痕あとを印する他には誰一人問ひまゐらするものもなき、かゝる辺土の山やま間あひに物さびしく眠らせらるゝ御いたはしさ。ありし往その時かみ、玉の御みく座らに大おほ政まつりごとおごそかにきこしめさせ玉ひし頃は、三公九卿けい首かうべを俛たれ百官諸司袂をつらねて恐れかしこみ、弓きう箭ぜんの武つは夫もの伎能の士、あらそつて君がため心を傾ぶけ操を励まし、幸に慈じみ愍んの御まなじりにもかゝり聊か勧賞の御言葉にもあづからむには、火をも踏み水にも没いり、生命を塵ぢん芥かいよりも軽く捨てむと競ひあへりしも、今かくなり玉ひては皆対岸の人異いし舟うの客かくとなりて、半巻の経を誦し一句の偈げをすゝめたてまつる者だになし。世情は常に眼前に着ぢやくして走り天理は多く背後に見あらはれ来るものなれば、千鐘の禄も仙せん化げの後には匹夫の情をだに致さする能はず、狗く馬ばたちまちに恩を忘るゝとも固もとより憎むに足らず、三春の花も凋落の夕には芬ふん芳ばうの香り早く失せて、蝶けふてふ漸く情じや疎うそなるもまた恨むに詮なし。恐れ多けれども一天万乗の君なりとて欲界の網羅を脱し得玉はねば、如か是くなり玉ふこと如是なり玉ふべき筈あり、憎まむ世も無く恨まむ天もあるべからず。おもんみれば、赫たる大日輪は螻ろう蟻ぎの穴にも光を惜まず、美女の面おもてにも熱を減ぜず、茫たる大だい劫ごふ運うんは茅ばう茨しの屋よりも笑声を奪はず、天子眼中にも紅涙を餽おくる、尽じん大だい地ちの苦、尽大地の楽、没ぼつ際さい涯がいの劫ごふ風ふう滾こんたり、何とりいでゝ歎き喞たむ。さはさりながら現土には無上の尊き御身をもて、よしなき事をおぼしたゝれし一念の御迷ひより、幾いく干その罪つ業みを作り玉ひし上、浪煙る海原越えて浜千鳥あとは都へ通へども、身は松山に音をのみぞなく〳〵孤灯に夜雨を聴き寒かん衾きん旧時を夢みつゝ、遂に空くなり玉ひし御事、あまりと申せば御おん傷いたはしく、後の世のほども推し奉るにいと恐ろしゝ。いざや終よも夜すがら供養したてまつらむと、御みし墓るしより少し引きさがりたるところの平ひらめなる石の上に端たん然ねんと坐をしめて、いと静かにぞ誦しいだす。妙めう法ほふ蓮れん華げき経やう提だい婆ばだ達つた多ぼ品ん第十二。爾にじ時ぶつ仏かう告しよ諸ぼさ菩つき薩ふて及んに天ん人し四し衆ゆ、吾ごお於くわ過こむ去りや無うご量ふち劫ゆ中う、求ぐほ法けき華やう経む無う有げ懈け倦ん、於おた多ごふ劫ちゆ中うじ常やう作さこ国くわ王う、発ほつ願ぐわ求んぐ於おむ無じや上うぼ菩だ提い、心しん不ふた退いて転ん、為ゐよ欲くま満んぞ足くろ六くは波ら羅み密つ、勤ごん行ぎや布うふ施せ、心しん無むり悋んじ惜やく、象ざう馬めし七つち珍んこ国くじ城やう妻さい子しぬ奴びぼ婢くじ僕ゆ従う、頭づも目くし身んに肉くし手ゆそ足くふ不じや惜くく躯みや命う、……
日は全く没いりしほどに山深き夜のさま常ならず、天かくすまで茂れる森の間に微なる風の渡ればや、樹こず端ゑの小さえ枝だ音もせず動きて、黒きが中に見え隠れする星の折ふしきら〳〵と鋭き光りを落すのみにて、月はいまだ出でず。ふけ行くまゝに霜冴えて石せき床しやういよ〳〵冷やかに、万ばん籟らい死して落葉さへ動かねば、自おの然づと神しん清すみ魂たま魄しひも氷るが如き心地して何とはなしに物凄まじく、尚御経を細と誦しつゞくるに、声はあやなき闇に迷ひて消ゆるが如く存あるが如く、空にかくれてまたふたゝび空より幽に出で来るごときを、吾が声とも他ひとの声ともおぼつかなく聴きつゝ、濁ぢよ劫くご悪ふあ世くせ中ちゆう、多たう有しよ諸きよ恐う怖ふ、悪あく鬼きに入ふご其し身ん、罵ばり詈きじ毀よ辱く我が、と今しも勧くわ持んぢ品ぼんの偈げを称ふる時、夢にもあらず我が声の響きにもあらで、正しく円位と呼ぶ声あり。
其五
西行かすかに眼まなこを転じて、声する方の闇を覗うかゞへば、ぬば玉の黒きが中を朽木のやうなる光り有てる霧とも雲とも分かざるものの仄白く立ちまよへる上に、其様さま異ことなる人の丈いと高く痩せ衰へて凄まじく骨立ちたるが、此方に向ひて蕭せう然ぜんと佇たゝずめり。素より生死の際に工夫修行をつみたる僧なれば恐ろしとも見ず、円位と呼ばれしは抑そも何人にておはすや、と尋ぬれば、嬉しくも詣で来つるものよ、我を誰とは尋ねずもあれ、末葉吹く嵐の風のはげしさに園生の竹の露こぼれける露の身ぞ、よく訪とひつるよ、と聞え玉ふ。あら情無や勿体なしや、さては院の御みた霊まの猶此土どをば捨てさせ玉はで、妄執の闇に漂さす泊らひあくがれ、こゝにあらはれ玉ひし歟、あら悲しや、と地に伏して西行涙をとゞめあへず。
さりとてはいかに迷はせ玉ふや、濁ぢよ穢くゑの世をば厭ひ捨て玉ひつることの尊くも有難くおぼえて、いさゝか随ずゐ縁えん法ほふ施せしたてまつりしに、六慾の巷にふたゝび現げん形ぎやうし玉ふは、いとかしこくも口惜き御心に侍り、仮けげ現んの此界さかひにてこそ聖慮安らけからぬ節もおはしつれ、不ふけ堅んに如よじ聚ゆま沫つの御身を地水火風にかへし玉ひつる上は、旋せん転でん如によ車しや輪りんの御心にも和合動転を貪り玉はで、隔かく生しや即うそ忘くまう、焚ふん塵ぢん即そく浄じやう、無垢の本土に返らせ玉はむこそ願はまほしけれ、頓やがては迂僧も肉にく壊ゑこ骨つさ散んの暁を期し、弘ぐぜ誓いの仏願を頼りて彼岸にわたりつき、楽しく御傍に参りつかふまつるべし、迷はせ玉ふな迷はせ玉ふな、唯何事も夢まぼろし、世に時めきて栄ゆるも虚空に躍る水珠の、日光により七彩を暫く放つに異ならず、身を狭められ悶ゆるも闇夜を辿る稚をさ児なごの、樹影を認めて百鬼来たりと急に叫ぶが如くなれば、得意も非なり失意も非なり、歓ぶさへも空あだなれば如何で何事の実まこ在とならんとぞ承はりおよぶ、無むう有をん寃しん親さ想う、永えい脱だつ諸しよ悪あく趣しゆ、所詮は御心を刹那にひるがへして、常じや生うし適やう悦てき心えつしん、受じゆ楽らく無むき窮ゆう極きよく、法味を永遠に楽ませ玉へ、と思入つて諫めたてまつれば、院の御霊は雲間に響く御声してから〳〵と異こと様やうに笑はせ玉ひ、おろかや解脱の法を説くとも、仏も今は朕わが敵あだなり、涅ねは槃んも無む漏ろも肯うけがはじ、徃むか時しは人朕が光ひか明りを奪ひて、朕われを泥ない犂りの闇に陥しぬ、今は朕人を涙に沈ましめて、朕が冷あざ笑わらひの一ト声の響の下に葬らんとす、おもひ観よ汝、漸く見ゆる世の乱は誰が為すこととぞ汝はおもふ、沢の蛍は天に舞ひ、闇や裏みの念おもひは世に燃ゆるぞよ、朕は闇に動きて闇に行ひ、闇に笑つて闇に憩やすらふ下津岩根の常とこ闇やみの国の大おほ王ぎみなり、正しや法うぼふの水有らん限は魔道の波もいつか絶ゆべき、仏に五百の弟子あらば朕われにも六天八部の属あり、三世の諸仏菩薩の輩ともがら、何の力か世にあるべき、たゞ徒に人の舌より人の耳へと飛び移り、またいたづらに耳より舌へと現はれ出でゝ遊行するのみ、朕が眷属の闇きより闇きに伝ひ行く悪鬼は、人の肺腑に潜み入り、人の心しん肝かん骨こつ髄ずゐに咬くひ入つて絶えず血にぞ飽く、視よ見よ魔界の通力もて毒火を彼が胸に煽り、紅ぐえ炎んを此これが眼より迸はしらせ、弱きには怨うら恨みを抱かしめ強きには瞋いかりを発おこさしめ、やがて東に西に黒雲狂ひ立つ世とならしめて、北に南に真まが鉄ねの光の煌きらめき交ちがふ時を来し、憎しとおもふ人に朕が辛かりしほどを見するまで、朝家に酷むごく祟たゝりをなして天が下をば掻き乱さむ、と御勢ひ凛しく誥つげたまふにぞ、西行あまりの御あさましさに、滝と流るゝ熱き涙をきつと抑へて、恐る惶おそるいさゝか首かうべを擡もたげゝる。
其六
こは口惜くも正まさなきことを承はるものかな、御言葉もどかんは恐れ多けれど、方外の身なれば憚り無く申し聞えんも聊か罪浅う思し召されつべくやと、遮つて存じ寄りのほどを言まをし試み申すべし、御憤はまことにさる事ながら、若人瞋いかり打たずんば何を以てか忍にん辱にくを修めんとも承はり伝へぬ、畏れながら、ながらへて終に住むべき都も無ければ憂き折節に遇ひたまひたるを、世よの中なかそむかせたまふ御おん便たよ宜りとして、いよ〳〵法海の深みへ渓たに河がはの浅きに騒ぐ御心を注がせたまひ、彼岸の遠きへ此土どの汀去りかぬる御迷を船出せさせ玉ひて、玉をつらぬる樹この下に花降り敷かむ時に逢はむを待ちおはす由承はりし頃は、寂じや然くねん、俊とし成なりなどとも御志の有り難さを申し交して如何ばかりか欣ばしく存じまゐらせしに、御納なふ経きやうの御望み叶はせられざりしより、竹の梢に中つて流そるゝ金弾の如くに御志あらぬ方へと走り玉ひ、鳴門の潮の逆さか風かぜに怒つて天に滔はびこるやう凄じき御祈願立てさせ玉ひしと仄に伝へ承はり侍りしが、冀ねがはくは其事の虚いつはり妄にてあれかしと日ひご比ろ念じまゐらせし甲斐も無う、さては真に猶此裟しや婆ばか界いに妄執をとゞめ、彼かの兜とそ卒つて天んに浄楽は得ず御おは坐しますや、訝いぶかしくも御みこ意ゝろの然さばかり何に留まるらん、月すめば谷にぞ雲は沈むめる、嶺吹き払ふ風に敷かれてたゞ御おん※むね﹇#﹁匈/︵胃−田︶﹂、121-上-27﹈の月明あかからんには、浮き雲いかに厚う鎖すとも氷輪無為の天そらの半に懸り御お坐はして、而も清光湛たん寂じやくの潭ふちの底に徹することのあるべきものを、雲憎しとのみおぼさんは、そも如何にぞや、降くだれば雨となり、蒸せば霞となり、凝れば雪ともなる雲の、指して言ふべき自性も無きに、まして夏の日の峯と峙そばだち秋の夕の鱗とつらなり、或あるは蝶と飛び猪ゐのこと奔りて緩くも急はやくも空行くが、おのれから為す業ならばこそ、皆風のさすことなるを何取り出でゝ憎むに足るべき、夫尺せき蠖くわくは伸びて而も還また屈かゞみ、車輪は仰いで而も亦低たる、射る弓の力窮まり尽くれば、飛ぶ矢の勢変り易かはりて、空向ける鏃も地に立つに至らんとす、此故に欲界の六天、天高けれども報尽きては宝殿忽たち地まちに崩れ、魔王の十善、善大おほいなればとて果くわ窮まれば業苦早くも逼る、人間五十年の石火の如くなるのみならず天上幾万歳も電光に等しかるべし、御おん怨うら恨みも復かへし玉ふべからむ、御おん忿いき恚どほりも晴らさせ玉ふべからん、さて其暁は如何にして御お坐はさんとか思す、一旦出離の道には入らせたまひたれど断縛の劒を手にし玉はず、流転の途は厭はせられたりしも人にん我がの空をば肯うけがひは為玉はざりしや、何とて幺いさ微ゝかの御事に忌はしくも自ら躓かせたまひて、法のりの便りの牛車を棄て、罪の齎らす火輪にも駕がさんとは思したまふ、生しや空うくうを唯ゆゐ薀うんに遮し、我がた倒うを幻炎に譬ふれば、我が瞋いかるなる我や夫それいづくにか有る、瞋るが我とおぼすか我が瞋るとおぼすか、思ひと思ひ、言ふと言ふ万よろ端づのこと皆真まこ実となりや、訝いぶかれば訝かしく、疑へば疑はしきものとこそ覚え侍れ、笑ひも恨みも、はた歓びも悲みも、夕に来ては旦あしたに去る旅路の人の野中なる孤ひと屋つやに暫しば時し宿るに似て、我とぞ仮に名を称よぶなるものの中をば過ぐるのみ、いづれか畢つ竟ひの主ある人じなるべき、客かくを留めて吾が主と仰ぎ、賊を認めて吾が子となす、其悔無くばあるべからず、恐れ多けれど聡明匹たぐ儔ひ無く渡らせたまふに、凡庸も企図せざるの事を敢て為玉ひて、千人の生命を断たんと瞋じん恚ゐの刀を提ひつさげし央あう掘くつ魔まが所ふる行まひにも似たらんことを学ばせらるゝは、一婦の毒どく咒じゆに動かされて総持の才を無にせんとせし阿あな難ん陀だが過あや失まちにも同じかるべき御迷ひ、御おん傷いたはしくもまた口惜く、云ひ甲斐無くも過あやまたせたまふものかな、烈日が前の片時雨、聖智が中うちの御一失、疾とく〳〵御心を翻ひるがへしたまひて、三趣に沈淪し四生に※れい※へい﹇#﹁足へん+令﹂、122-上-1﹈﹇#﹁足へん+屏﹂、122-上-1﹈するの醜さを出で、一乗に帰依し三昧に入につ得とくするの正きに仗より御坐しませ、宿福広大にして前ぜん業ごふ殊勝に渡らせたまふ御身なれば、一念頭の転じたまふを限に弾たん指し転てんの間も無く、神通の宝はう輅らくに召し虚空を凌いで速かに飛び、真如の浄域に到り、光明を発して長とこしへに熾さかんに御坐しまさんこと、などか疑ひの侍るべき、仏魔は一紙、凡ぼん聖じやうは不二、煩ぼん悩なう即そく菩ぼだ提い、忍にん土どそ即くじ浄やう土ど、一珠わづかに授受し了れば八歳の竜りゆ女うに当よた下うかに成仏すと承はる、五ごし障やう女によ人にんの法器にあらぬにだに猶彼が如し、まして十善天子の利根に御坐すに、いかで正覚を成し玉はざらん、御経には成じや等うと正うし覚やうがく、広くわ度うど衆しゆ生じやう、皆かい因いん提だい婆ばだ達つた多ぜん善ち知し識き故ごと説かれ侍るを、誰憎しとか思す、恐れ多けれど、そもや誰人憎しとか思す、怨敵まことは道の師なり、怨敵まことは道の師なり、眼まなこをあげて大千三千世界を観るに、我が皇きみの怨敵たらんもの、いづくにか将はた侍るべき、まこと我が皇の御おん敵あだたらんものの侍らば、痩せたる老法師の力乏ともしくは侍れども、御力を用ゐさせ玉ふまでもなく、大だい聖しや威うゐ怒ぬわ王うが折しや伏くぶくの御劒をも借り奉り、迦か楼る羅らの烈炎の御おん猛みや威うゐにも頼より奉りて、直に我が皇の御敵を粉にも灰にも摧くだき棄て申すべし、さりながら皇の御敵の何いづ処くの涯にもあらばこそ、巴は豆づといひ附ぶ子しといふも皆是薬、障しや礙うげの悪あく神じん毘び那な耶や迦かも本地は即すなはち毘びる盧しや沙なに那よ如ら来い、此故に耆き婆ば眼まなこを開けば尽大地の草木、保ほう命みやうの霊薬ならぬも無く、仏ぶつ陀だ教を垂るれば遍へん虚こく空うの鬼きせ刹つ、護法の善神ならぬも無しと申す、御敵やそも那いづ処くにかある、詮ずるところ怨親の二つながら空華の仮相、喜怒もろともに幻げん翳ねいの妄まう現げん、雪と見て影に桜の乱るれば花のかさ被きる春の夜の月が、まことの月にもあらず、水無くて凍りぞしたる勝間田の池あらたむる秋の夜の月が、まことの月にもあらじ、世間一切の種の相は、まことは戯げろ論んの名目のみ、真如の法海より一瓢の量を分ち取りて、我執の寒風に吹き結ばせし氷を我ぞと着すれば、熱湯は即仇たるべく、実相の金こん山ざんより半はん畚ぽんの資を齎し来りて、愛慾の毒火に鋳い成なせし鼠を己なりと思はんには、猫めう像ざう或は敵かたきたるベけれど、本来氷も湯も隔なき水、鼠も猫も異ならぬ金なる時んば、仮相の互に亡び妄現の共に滅するをも待たずして、当たう体たい即そく空くう、当たう事じそ即くり了やう、廓くわ然くねんとして、天に際は涯て無く、峯の木枯、海の音、川遠白く山青し、何をか瞋いかり何にか迷はせたまふ、疾とく、疾く、曲路の邪じや業ごふを捨て正道の大心を発し玉へ、と我知らず地を撃つて諫め奉れば、院の御み亡た霊まは、山さん壑がくもたぢろき木石も震ふまでに凄すさまじくも打笑はせ玉ひて、おろかなり円位、仏が好ましきものにもあらばこそ、魔か厭はしきものにもあらばこそ、安楽も望むに足らず、苦くげ患んも避くるに足らず、何を憚りてか自ら意こゝろを抑へ情おもひを屈めん、妄執と笑はば笑へ、妄執を生命として朕われは活き、煩悩と云はば云へ、煩悩を筋骨として朕は立つ、おろかや汝、四しぐ弘せい誓ぐわ願んは菩薩の妄執、五時説教は仏陀の煩悩、法蔵が妄執四十八願、観音が煩悩三十三身じん、三世十方恒がう河がし沙やす数うの諸仏菩薩に妄執煩悩無きものやある、妄執煩悩無きものやある、何ぞ瞿ぐど曇んが舌した長ながなる四十余年の託かご言と繰くり言ごと、我尊しの冗じよ語うご漫まん語ご、我をば瞞あざむき果おほすに足らんや、恨みは恨み、讐あだは讐、復かへさでは我あるべきか、今は一切世間の法、まつた一切世間の相、森しん羅らば万んし象やう人にん畜ちく草さう木もく、悉しつ皆かい朕わがみの敵あだなれば打うち壊くづさでは已むまじきぞ、心に染まぬ大千世界、見よ〳〵、火前の片羽となり風裏の繊せん塵ぢんと為して呉れむ、仏に六種の神通あれば朕に千般の業通あり、ありとあらゆる有うじ情やう含がん識しき皆朕が魔界に引き入れて朕が眷属となし果つべし、汝が述べたるところの如きは円顱の愚物が常套の談、醜し、醜し、将もち帰り去れ、※こそ※ん﹇#﹁けものへん+胡﹂、122-下-21﹈﹇#﹁けものへん+孫﹂、122-下-21﹈が瞋いかりを賺すかす胡こべ餅いの一片、朕を欺かんとや、迂なり迂なり、想ひ見よ、そのかみ朕此讃岐の涯に来て、沈み果てぬる破やれ舟ぶねの我にもあらず歳とし月つきを、空しく杉の板葺の霰に悲しき夜を泣きて、風につれなき日を送り、心くだくる荒磯の浪の響に霜の朝、独り寐覚めし凄じさ、思ひも積る片里の雪に灯とも火しの瞬く宵、たゞ我が影の情無く古びし障子に浸み入るを見つめし折の味気無さ、如何ばかりなりしと汝思ふや、歌の林に人の心の花香をも尋ね、詞の泉に物のあはれの深き浅きをも汲みて分くる、敷嶋の道の契りも薄からず結びし汝なれば、厳しく吹きし初秋の嵐の風に世を落ちて、日影傾く西山の山の幾重の外にさすらひ、初はつ雁かり音がねも言づてぬ南の海の海遥なる離れ嶋根に身を佗びて、捨てぬ光は月のみの水より寒く庇ひさ廂し洩る住家に在りし我が情おも懐ひは、推しても大およ概そ知れよかし、されば徃むか時しは朕とても人をば責めず身を責めて、仏に誓ひ世に誓ひ、おのれが業をあさましく拙かりしと悔い歎きて、心の水の浅ければ胸の蓮はち葉すばいつしかと開けんことは難けれど、辿る〳〵も闇き世を出づべき道に入らんとて、天そらへと伸ぶる呉竹の直なる願を独り立て、他あだし望みは思ひ絶つ其麻衣ひきまとひ、供ふる華に置く露の露散る暁あした、焼たく香の煙の煙立つ夕を疾とくも来れと待つ間、一字三礼妙典書写の功を積みしに、思ひ出づるも腹立たしや、たゞに朕が現世の事を破りしのみならず、また未来世の道をも妨ぐる人の振舞、善悪も邪正もこれ迄なりと入つたる此道、得たる此果、今は金輪崩るるとも、銕てつ囲ゐ劈つん裂ざけ破るゝとも、思ふ事果さでは得こそ止まじ、真夏の午ひるの日輪を我が眼の中に圧し入れらるゝは能く忍ぶべし、胸の恨を棄てなんことは忍ぶべからず、平等の見は我が敵なり、差別の観は朕が宗なり、仏陀は智なり朕は情なり、智水千頃の池を湛へば情火万丈のを拳げん、抜ばつ苦くよ与ら楽くの法可をか笑しや、滅理絶義の道こゝに在り、朕が一脚の踏むところは、柳紅に花緑に、朕が一指のそれと指すところは、烏も白く鷺も黒し、天死せしむべく地舞はしむべく、日月暗からしむべく江海涸れしむべし、頑石笑つて且歌ひ、枯草花さいて、しかも芬かをる、獅子は美人が膝下に馴れ大蛇は小児の坐前に戯る、朔風暖かにして絳かう雪せつ香しく、瓦ぐわ礫れき光輝を放つて盲まう井せい醇じゆ醴んれいを噴き、胡蝶声あつて夜深く相思の吟をなす、聾ろう者しや能く聞き瞽こし者や能く見る、劒戟も折つて食くらふべく鼎てい钁くわくも就いて浴すべし、世界はほと〳〵朕がまゝなり、黄わう身しんの匹夫、碧眼の胡こ児じ、烏を滸この者ども朕を如何にか為し得べき、心とゞめてよく見よや、見よ、やがて此世は修しゆ羅らだ道うとなり朕が眷属となるべきぞ、あら心地快や、と笑ひたまふ御声ばかりは耳に残りて、放たせ玉ふ赤光の谷山に映りあひ、天地忽ち紅くれ色なゐになるかと見る間に失せ玉ひぬ。
西行はつと我に復りて、思へば夢か、夢にはあらず。おのれは猶かつ提だい婆ばぼ品んを繰りかへし〳〵読み居たるか、其読続き我が口頭に今も途絶えず上り来れり。
︵明治二十五年五月﹁国会﹂︶
彼一日
其一
頼み難きは我が心なり、事あれば忽に移り、事無きもまた動かんとす。生じ易きは魔の縁なり、念おもひを放ほしいまゝにすれば直に発おこり、念を正しうするも猶起らんとす。此故に心は大海の浪と揺ゆらぎて定まる時無く、縁は荒野の草と萠えて尽くる期ごあらねば、たま〳〵大勇猛の意気を鼓して不退転の果報を得んとするものも、今日の縁にひかれて旧年の心を失ふ輩は、可あた惜ら舟を出して彼岸に到り得ず、憂くも道に迷ひて穢ゑ土どに復還るに至る。されば心を収むるは霊地に身をくより好きは無く、縁を遮るは浄じや業うごふに思を傾くるを最も勝れたりとなす。木片の薬師、銅どう塊くわいの弥み陀だは、皆これ我が心を呼ぶの設け、崇あがめ尊まぬは烏を滸こなるべく、高野の蘭らん若にや、比ひ叡えの仏ぶつ刹さつ、いづれか道の念を励まさゞらむ、参り詣いたらざるは愚おろ魯かなるべし。古の人の、麻の袂を山おろしの風に翻し、法ころ衣もの裾を野路の露に染めつゝ、東西に流浪し南北に行きかひて、幾いく干その坂に谷に走り疲れながら猶辛しともせざるものは、心を霊地の霊気に涵ひたし念を浄業の浄味に育みて、正覚の暁を期すればなり。鏡に対むかひては髪の乱れたるを愧はぢ、金こがねを懐にすれば慾の亢たかぶるを致す習ひ、善くも悪くも其境に因り其機に随ひて凡夫の思しゆ惟ゐは転ずるなれば、たゞ後の世を思ふものは眼に仏菩薩の尊容を仰ぎ、口に経きや陀うだ羅ら尼にの法文を誦じゆして、夢にも現にも市して栄えい花ぐわの巷に立入ること無く、朝も夕も山林閑かん寂じやくの郷に行ひ済ましてあるべきなり。首かうべを回らせば徃時をかしや、世の春秋に交はりて花には喜び月には悲み、由無き七情の徃来に泣きみ笑ひみ過ごしゝが、思ひたちぬる墨染の衣を纏ひしより今は既はや、指を※かゞな﹇#﹁てへん+婁﹂、123-下-27﹈ふれば十とあまり三みと歳せに及びて秋も暮れたり。修行の年も漸く積もりぬ、身もまた初老に近づきぬ。流石心も澄み渡りて乱るゝことも少くなり、旧縁は漸く去り尽して胸に纏まつはる雲も無し。忽こつ然ねんとして其初一人来りし此裟婆に、今は孑げつ然ぜんとして一人立つ。待つは機の熟して果このみの落つる我が命みや終うじゆうの時のみなり。あら快こゝろよの今の身よ、氷雨降るとも雪降るとも、憂を知らぬ雲の外に嘯うそぶき立てる心地して、浮世の人の厭ふ冬さへ却つてなか〳〵をかしと見る、此の我が思ひの長閑さは空飛ぶ禽もたゞならず。されど禅ぜん悦えつに着ぢやくするも亦是修道の過あや失まちと聞けば、ひとり一室に籠り居て驕慢の念を萠さんよりは、歩あゆみを処の霊地に運びて寺の御仏をも拝み奉り、勝しよ縁うえんを結びて魔縁を斥け、仏事に勤めて俗事に遠ざからんかた賢かるべしとて、そこに一日、かしこに二日と、此御仏彼御仏の別ちも無くそれ〳〵の御堂を拝み巡りては、或あるは祈願を籠めて参籠の誠を致し、或は和歌を奉りて讃歎の意を表し来りけるが、仏天の御思召にも協ひけん聊か冥加も有りとおぼしく、幸に道心のほかの他あだ心しごゝろも起さず勝縁を妨ぐる魔縁にも遇はで、終に今日に及ぶを得たり。既徃の誠に欣ぶべきに将来の猶頼まゝほしく、長谷の御寺の観世音菩薩の御前に今宵は心ゆくほど法ほふ施せをも奉らんと立出でたるが、夜に霜は募りて樹に紅は増す神かん無なづ月きの空のやゝ寒く、夕日力無く舂うすつきて、晩おくれし百舌の声のみ残る、暮方のあはれさの身に浸むことかな。見れば路の辺の草のいろ〳〵、其とも分かず皆いづれも同じやうに枯れ果てゝ崩くづ折ほれ偃ふせり。珍らしからぬ冬野のさま、取り出でゝ云ふべくはあらねども、折からの我が懐おもひに合ふところあり。情こゝろを結び詞ことばを束ねて、歌とも成らば成して見ん、おゝそれよ、さま〴〵に花咲きたりと見し野辺のおなじ色にも霜がれにけり。嗚呼我人とも終には如か是く、男女美醜の別わかちも無く同じ色にと霜枯れんに、何の翡翠の髪の状さま、花の笑ひの顔かんばせか有らん。まして夢を彩る五欲の歓たの楽しみ、幻を織る四季の遊あそ娯び、いづれか虚いつ妄はりならざらん。たゞ勤むべきは菩提の道、南無仏、南無仏、と観じ捨てゝ、西行独り路を急ぎぬ。
其二
弓張月の漸う光りて、入いり相あひの鐘の音も収まる頃、西行は長はせ谷で寺らに着きけるが、問ひ驚かすべき法のりの友の無きにはあらねど問ひも寄らで、観音堂に参り上りぬ。さなきだに梢透きたる樹を嬲なぶりて夜の嵐の誘へば、はら〳〵と散る紅葉なんどの空に狂ひて吹き入れられつ、法ころ衣もの袖にかゝるもあはれに、又仏前の御みあ灯か明しの目めは瞬じきしつゝ万よろ般づのものの黒み渡れるが中に、いと幽なる光を放つも趣きあり。法華経の品ほん第二十五を声低う誦するに、何となく平つ時ねよりは心も締まりて身に浸みわたる思ひの為れば、猶誠を籠めて誦し行くに天も静けく地も静けく、人も全く静まりたる、時といひ、処といひ相応して、我耳に入るは我声ながら、若くは随喜仏法の鬼神なんどの、声を和あはせて共に誦する歟かと疑はるゝまで、上無く殊勝に聞こえわたりぬ。特ことに参りたる甲斐はありけり、菩薩も定めしかゝる折のかゝる所しよ作さをば善よ哉しとして必ず納なふ受じゆし玉ふなるべし、今宵の心の澄み切りたる此の清すゞしさを何に比へん、あまりに有り難くも尊く覚ゆれば、今宵は夜すがら此御堂の片隅になり趺ふ坐ざなして、暁あか天つきがたに猶一ト度誦経しまゐらせて、扨其後香華をも浄水をも供じて罷らめと、西行やがて三拝して御仏の御前を少し退すさり、影暗き一ト隅に身を捩ぢ据ゑ、凍れる水か枯れし木の、動きもせねば音も立てず、寂じや然くねんとして坐し居たり。
夜は沈と漸く更けて、風も睡れる如くになりぬ。右左に並びて立ちたりける御みあ灯か明しは一つ消え、また一つ消えぬ。今はたゞいと高き吊灯籠の、光り朦朧として力無きが、夢の如くに残れるのみ。此こ寺ゝの僧どもは寒さむ気さに怯ぢて所しよ化けれ寮うに炉をや囲みてあるらん、影だに終に見するもの無し。云ふべきかたも無く静なれば、日ひご比ろ焼きたる余気なるべし今薫ゆるとにはあらぬ香の、有るか無きかに自おの然づからひを流すも最いと能よく知らる。かゝる折から何者にや、此方を指して来る跫音す。御仏に仕ふる此こ寺ゝのものゝ、灯とう燭しよくを続ぎまゐらせんとて来つるにやと打見るに、御堂の外は月の光り白として霜の置けるが如くに見ゆるが中を、寒さに堪へでや頭かしらには何やらん打うち被かつぎたれど、正しく僧形したるが歩み寄るさまなり。心を留むるとにはあらざれど、何としも無く猶見てあるに、やがて月の及ばぬ闇の方に身を入れたれば定かには知れぬながら、此御堂に打向ひて一度は先まづ拝み奉り、さて静と上り来りぬ。御堂は狭からぬに灯ひは蛍ほどなり、灯の高さは高し、互の程は隔たりたり、此方を彼方は有りとも知らず、彼方を此方は能くも見得ねば、西行は只我と同じき心の人も亦有りけるよと思ふのみにて打過ぎたり。
彼方は固より闇の中に人あることを知らざれば、何に心を置くべくも無く、御仏の前に進み出でつ、最いと謹つゝしましげに危かし坐こまりて、数あま度たゝび合がつ掌しや礼うら拝いはいなし、一心の誠を致すと見ゆ。同じ菩提の道の友なり、其心こゝ操ろばへの浅間ならぬも夜深の参詣に測り得たり。衣の色さへ弁わかち得ざれば面おもては況して見るべくも無けれど、浄土の同行の人なるものを、呼びかけて語らばや、名も問はばやと西行は胸に思ひけるが、卒爾に言ものいはんは悪あしかるべし、祈願の終つて後にこそと心を控へて伺ふに、彼方は珠数を取り出して、さや〳〵とばかり擦り初そめたり。針の落つる音も聞くべきまで物静かなる夜の御堂の真中に在りて、水すゐ精しやうの珠数を擦る音の亮さやかなる響きいと冴えて神し。御経は心に誦するとおぼしく、万ばん籟らい絶えたるに珠の音のみをたゞ緩やかに緩やかに響かす。其声或は明らかに或は幽に、或は高く或は低く、寐覚の枕の半は夢に霰の音を聞くが如く、朝霧晴れぬ池の面おもにの急に開くを聞くが如く、小川の水の濁り咽ぶか雨の紫竹の友擦れ歟、山吹ふ山川の蛙鳴くかと過たれて、一声中に万法あり、皆かい与よじ実つさ相う不ふさ相うゐ違は背いと、いとをかしくも聞きなさるれば、西行感に入つて在りけるが、期したるほどの事は仕果てゝや其人数珠を収めて御仏をば礼拝すること数あま度たゝびしつ、やをら身を起して退まからんとす。菩提の善友、浄土の同行、契を此土に結ばんには今こそ言葉をかくべけれと、思ひ入て擦る数ず珠ゞの音の声すみておぼえずたまる我涙かな、と歌の調は好かれ悪かれ、西行急にはかに読みかくれば、彼方は初めて人あるを知り、思ひがけぬに驚きしが、何と仰られしぞ、今一度と、心を圧おし鎮しづめて問ひ返す。聞き兼ねけんと猜すゐするまゝ、思ひ入りて擦る数珠の音の声澄みて、と復ふたゝび言へば後は言はせず、君にて御坐せしよ、こはいかに、と涙なんだに顫ふおろ〳〵声、言葉の文もしどろもどろに、身を投げ伏して取りつきたるは、声音に紛ふかたも無き其その昔かみ偕老同穴の契り深かりし我が妻なり。厭いて別れし仲ならず、子まで生なしたる語らひなれば、流石男も心動くに、況して女は胸逼りて、語らんとするに言葉を知らず、巌いはに依りたる幽蘭の媚なまめかねども離れ難く、たゞ露けくぞ見えたりける。
西行きつと心を張り、徐しづかに女の手を払ひて、御仏の御前に乱らうがはしや、これは世を捨てたる痩法師なり、捉へて何をか歎き玉ふ、心を安らかにして語り玉へ、昔は昔、今は今、繰言な露宣ひそ、何事も御仏を頼み玉へ、心留むべき世も侍らず、と諭せば女は涙にて、さては猶我を世に立交らひて月日経るものと思したまふや、灯火暗うはあれどおほよそは姿形をも猜すゐし玉へ、君の保延に家を出でゝ道に入り玉ひしより、宵の鐘暁の鳥も聞くに悲く、春の花秋の月も眺むるに懶くて、片親無き児の智慧敏きを見るにつけ胸を痛め心を傷ましめしが、所詮は甲斐無き嗟なげ歎きせんより今生は擱さしおき後世をこそ助からめと、娘を九条の叔母に頼みて君の御跡を追ひまゐらせ、同じ御仏の道に入り、高野の麓の天野といふに日ひご比ろ行ひ居り侍はべるなり、扨も君を放ち遣りまゐらせて御心のまゝに家を出づるを得さしめ奉りし徃その時かみより、我が子を人に預けて世を捨てたる今に至るまで、いづれか世の常としては悲しきことの限りならざらん、別れまゐらせし歳は我が齢、僅に二は十た歳ちを越えつるのみ、また幼いと児けなきを離せしときは其そが六むつ歳つと申す愛あ度ど無なき折なり、老いて夫を先立つるにも泣きて泣き足る例ためしは聞かず、物言はぬ嬰みづ児こを失ひても心狂ふは母の情、それを行末長き齢に、君とは故も無くて別れまゐらせ、可愛き盛りに幼をさ児なきを見棄てつる悲しさは如何ばかりと覚す、されど斯ばかりの悲しさをも、女の胸に堪へ堪へて鬼女蛇神のやうに過ぎ来つるは、我が悲みを悲とせで偏に君が歓よろ喜こびを我が歓喜とすればなるを、別れまゐらせしより十余年の今になりて繰言も云ふもののやう思はれまゐらせたる拙さ情無さ、君は我がための知識となり玉ひぬれば、恨み侍らざるばかりか却て悦びこそ仕奉れ、彼世にてもあれ君に遇ひまゐらせなば君の家を出で玉ひし後の我が上をも語りまゐらせて、能くぞ浮世を思ひ切りぬるとの御言葉をも得んとこそ日比は思ひ設け居たれ、別れたてまつりし時は今生に御言葉を玉はらんことも復有るまじと思ひたりしに、夢路にも似たる今宵の逢瀬、幾いく年とせの心あつかひも聊か本ほ意いある心地して嬉しくこそ、と細こまと述ぶ。折から灯籠の中の灯ひの、香油は今や尽きに尽きて、やがて熄きゆべき一ト明り、ぱつと光を発すれば、朧気ながら互に見る雑い彩ろ無き仏ぶつ衣えに裹つゝまれて蕭せう然ぜんとして坐せる姿、修行に窶やつれ老いたる面ざし、有りし花やかさは影も無し。
これが徃むか時しの、妻か、夫か、心根可愛や、懐かしやと、我を忘れて近寄る時、忽たち然まちふつと灯は滅して一念未みし生やうの元の闇に還れば、西行坐を正うして、能くこそ思ひ切り玉ひたれ、入道の縁は無量にして順じゆ逆んぎ正やく傍しやうばうのいろ〳〵あれど、たゞ徃生を遂ぐるを尊ぶ、徃むか時しは世間の契を籠め今は出世間の交りを結ぶ、御身は我がための菩提の善友、浄土の同行なり悦ばしや、たゞし然さまでに浮世をば思ひ切りたる身としては、懐旧の情はさることながら余りに涙の遣る瀬無くて、我を恨むかとも見えし故、先さ刻きのやうには云ひつるなり、既に世の塵に立交らで法の門かどに足踏しぬる上は、然ばかり心を悩ますべき事も実まことは無き筈ならずや、と最いと物優しく尋ね問ふ。
慰められては又更に涙脆きも女の習ひ、御疑ひ誠に其理ゆ由ゑあり、もとより御恨めしう思ひまゐらする節もなし、御懐しうは覚え侍れど、それに然さばかりは泣くべくも無し、御声を聞きまゐらすると斉しく、胸に湛へに湛へし涙の一時に迸り出でしがため御疑を得たりしなり、其所いは以れは他ならぬ娘の上、深く御仏の教に達して宿しゆ命くみやう業報を知るほどならば、是こも亦煩ひとするに足らずと悟りてもあるべけれど然は成らで、ほと〳〵頭の髪の燃え胸の血の凍るやうに明暮悩むを、君は心強くましますとも何と聞き玉ふらん、聞き玉へ、娘は九条の叔母が許もとに、養ひ娘といふことにて叔母の望むまゝに与へしが、叔母には真まことの娘もあり、母の口よりは如何なれど年齢こそ互に同じほどなれ、眉みめ目か容た姿ちより手書き文読む事に至るまで、甚いたく我が娘は叔母の娘に勝りたれば、叔母も日頃は養ひ娘の賢き可いと愛しさと、生うみの女むすめの自おの然づからなる可いと愛しさとに孰れ優り劣り無く育てけるが、今年は二人ともに十六になりぬ、髪の艶、肌の光り、人のみ心を惹くほどに我子は美しければ、叔母も生おふしたてたるを自おのが誇りにして、せめて四位の少将以上ならでは得こそ嫁あはすまじきなど云ひ罵り、おのが真の女をば却つて心にも懸け居ざるさまにもてあつかひ居たりしが、右の大臣の御子某それの少将の、図らずも我が女をば垣間見玉ひて懸想し玉ひしより事起りて、叔母の心いと頑かた兇くなになり日に〳〵口くち喧かしがましう嘲あざみ罵り、或時は正なくも打ち擲き、密に調伏の法をさへ由無き人して行せたるよしなり、某の少将と云へるは才賢く心こゝ性ろざま誠ありて優しく、特ことに玉を展べたる様の美しき人なれば、自己が生の女の婿がねにと叔母の思ひつきぬるも然ることながら、其望みの思ふがまゝにならで、飾り立てたる我が女には眼も少将の遣り玉はざるが口惜しとて、養ひ娘を悪くもてあつかふ愚さ酷さ、昔むか時しの優しかりしとは別のやうなる人となりて、奴ぬ婢びの見る眼もいぶせきまでの振舞を為る折多しと聞く、既に御仏の道に入りたまひたれば我には今は子ならずと君は仰すべけれど、其君が子はいと美しう才もかしこく生れつきて、しかも美しく才かしこくして位高き際の人に思はれながら、心の底には其人を思はぬにしもあらざるに、養はれたる恩義の桎か梏せに情こゝろを枉まげて自ら苦み、猶其上に道理無き呵かし責やくを受くる憫あは然れさを君は何とか見そなはす、棄きお恩ん入にふ無む為ゐの偈げを唱へて親無し子無しの桑さう門もんに入りたる上は是非無けれども、知つては魂たま魄しひを煎らるゝ思ひに夜毎の夢も安からず、いと恐れあることながら此頃の乱れに乱れし心からは、御仏の御教も余りに人の世を外それたる、酷き掟なりと聊かは御恨み申すこともあるほど、子といひながら子と云へねば、親にはあれど親ならぬ、世の外の人、内の人、知らぬ顔して過すをば、一旦仏門に入りしものゝ行儀とするも理わり無なしや、春は大路の雨に狂ひ小橋の陰に翻る彼の燕だに、児を思ふては日に百もゝ千ちた度び巣に出入りす、秋の霜夜の冷えまさりて草野の荒れ行く頃といへば、彼の兎すら自己が毛を咬みてりて綿として、風に当てじと手を愛いとほしむ、それには異かはりて我の、纔に一人の子を持ちて人となるまで育てもせず、児こど童もの間なかの遊びにも片親無きは肩窄すぼる其の憂き思を四よ歳つより為せ、六む歳つといふには継まゝしき親を頭に戴く悲みを為せ、雲の蒸す夏、雪の散る冬、暑さも寒さも問ひ尋ねず、山に花ある春の曙、月に興ある秋の夜も、世にある人の姫等たちの笑み楽しむには似もつかず、味気無う日を送らせぬる其さへ既に情無く親甲斐の無きことなれば、同じほどなる年頃の他よ家その姫なんどを見るにつけ、嗚呼我が子はと思ひ出でゝ、木の片、竹の端くれと成り極めたる尼の身の我が身の上は露思はねど、かゝる父を持ち母を持ちたる吾が子の果報の拙さを可あは哀れと思はぬことも無し、況して此頃の噂を聞き又余所ながら視もすれば、心に春の風渡りて若木の花の笑まんとする恋の山路に悩める娘の、女の身には生命なる生くる死ぬるの岐れにも差し掛りたる態なる上、生みの子の愛に迷ひ入りたる頑かた凶くなの老ば婆ゞに責められて朝夕を経る胸の中、父上御お坐はさば母在らばと、親を慕ひて血を絞る涙に暮るゝ時もある体てい、親の心の迷はずてやは、打捨て置かば女は必ず彼方此方の悲さに身を淵河にも沈めやせん、然無くも逼る憂さ辛さに終には病みて倒れやせん、御仏の道に入りたれば名の上の縁えにしは絶えたれど、血の聯つら続なりは絶えぬ間なか、親なり、子なり、脈す絡ぢは牽ひく、忘るゝ暇もあらばこそ、昼は心を澄まして御仏に事つかへまつれど、夜の夢は女むすめのことならぬ折も無し、若し其儘に擱さしおいて哀しき終を余所しく見ねばならずと定まらば、仏に仕ふる自みづ分からは禽にも獣にも慚しや、たとへば来ん世には金こがねの光を身より放つとも嬉しからじ、思へば御仏に事ふるは本は身を助からんの心のみにて、子にも妻にもいと酷き鬼のやうなることなりけり、爽いさ快ぎよきには似たれども自おの己れ一人を蓮はち葉すばの清きに置かん其為に、人の憂きめに眼も遣らず人の辛きに耳も仮さず、世を捨てたればと一ト口に、此世の人のさま〴〵を、何ともならばなれがしに斥け捨つるは卑しきやうなり、何とて尼にはなりたりけん、如何にもして女と共に経るべかりしに、鈍おぞくも自ら過ちけるよ、今は後ご世せ安楽も左のみ望まじ、火くわに墜つるも何かあらん、俗に還りて女を叔母より取り返さんと、思ひしことも一度二度ならずありたりき、然れども流石年とし来ごろ頼める御仏に離れまゐらせんことも影うし護ろめたくて、心と心との争ひに何となすべき道も知らず、幼きより頼みまゐらせたる此こ地ゝの御仏に七夜参の祈願を籠めしも、女の上の安かれとおもふ為ばかり、恰も今宵満願の折から図らず御眼にかゝりて、胸には此事あり此念おもひあるに、情無かりし君が徃むか時しの家を出でたまひし時の御おん光あり景さままで一ト時に眼に浮み来りしかば、思へば女が四よ歳つの年、振分髪の童姿、罪も報も無き顔に愛あ度どなき笑みの色を浮めて、父上と慕ひ寄りつゝ縋りまゐらせたるを御心強くも、椽より下へと荒らかに落けおとし玉ひし其時が、女の憂目の見みは初じめなりしと、思ふにつけても悲さに恨めしささへ添ふ心地、御なつかしさも取り交ぜて文あやも分かたずなりし涙の抑へ難かりしは此故なり、と細こまと語れば西行も数あま度たゝび眼を押しぬぐひしが、声を和らげていと静に、云ひたまふところ皆其理あり、たゞし女の上の事は未だ知らずに御おは在すと見えたり、此の五日ほど前の事なり、我みづから女を説き諭して、既に火くわ宅たくの門を出でゝ法苑の内に入らしめ終んぬ、聊か聞くところありしかば、眼前のを縁として身後の安楽を願はせんと、たゞ一度会ひて言ものいひしに、親羞はづかしき利根のものにて、宿智にやあらん其言ふところ自ら道に協へる節あり、父上既に世を逃れ玉ひぬ、おのれも御後に従はんとこそ思へ、世に百もゝ歳とせの夫めを婦とも無し、なにぞ一期の恩愛を説かん、たとひ思ふこと叶ひ、望むこと足りぬとも、みを蒙り羨を惹きて在らんは拙るべし、もとより女の事なれば世に栄えん願ひも左までは深からず、親の御在さねば身を重んずる念おもひもやゝ薄し、あながち御仏を頼みまゐらせて浄土に生れんとにはあらねど、如何なる山の奥にもありて草の庵の其内に、荊おど棘ろを簪かざしとし粟あは稗ひえを炊ぎてなりと、たゞ心清すゞしく月日経ばやなどと思ひたることは幾度と無く侍り、睦むつぶべき兄はら弟からも無し、語らふべき朋と友もも持たず、何に心の残り留まるところも無し、養はれ侍りし恩みめ恵ぐみに答へまゐらすること無きは聊か口惜けれど、大叔母君の現げん世ぜあ安んの穏んご後しや生うぜ善んし処よと必ず日に祈りて酬ひまゐらせん、又情ある人のたゞ一人侍りしが、何と申し交したることも無ければ別れ〳〵になるとも怪けしうはあらず、雲は旧もとに依つて白く山は旧に依つて青からんのみなり、全く世をば思ひ切り侍りぬ、とく導師となりて剃度せしめ玉へと、雄しくも云ひ出でたれば、其心根の麗せきに愛でゝ、我また雄しくも丈なる烏うば羽た玉まの髪を落して色ある衣きぬを脱ぎ棄てさせ、四しぐ弘せい誓ぐわ願んを唱へしめぬ、や、何と仕玉へる、泣き玉ふか、涙を流し玉ふか、無理ならず、菩提の善友よ、泣き玉ふ歟、嬉しさにこそ泣き玉ふならめ、浄土の同行よ、落涙あるか、定めし感涙にこそ御坐すらめ、おゝ、余りの有難さに自おの分れもまた涙聊か誘はれぬ、さて美しき姫は亡せ果てたり、美しき尼君は生なり出で玉ひぬ、青としたる寒げの頭かしら、鼠ねず色みの法ころ衣も、小き数ず珠ゞ、殊勝なること申すばかり無し、高野の別所に在る由の菩提の友を訪とぶらはんとて飄然として立出で玉ひぬ、其後の事は知るよし無し、燕の忙せはしく飛ぶ、兎の自ら剥ぐ、親は皆自ら苦む習なれば子を思はざる人のあらんや、但し欲楽の満足を与へ栄華の十分を享けしむるは、木この葉はを与へて児の啼きを賺すかす其にも増して愚のことなり、世を捨つる人がまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ、たゞ幾重にも御仏を頼み玉へ、心留むべき世も侍らず、南無仏、と云ひ切りて口を結びて復言はず。月はやがて没いるべく西に廻りて、御堂に射し入る其光り水かとばかり冷かに、端然として合掌せる二人の姿を浮ぶが如くに御堂の闇の中に照し出しぬ。
︵明治三十四年一月﹁文芸倶楽部﹂︶