一
糟かす谷やじ獣ゅう医いは、去年の暮くれ押おしつまってから、この外そと手でま町ちへ越こしてきた。入り口は黒くろ板いたべいの一部を切きりあけ、形かたちばかりという門がまえだ。引きちがいに立てた格こう子し戸ど二枚まいは、新しいけれど、いかにも、できの安やす物ものらしく立てつけがはなはだ悪わるい。むかって右みぎ手ての門もん柱ちゅうに看かん板ばんがかけてある。板も手ごしらえであろう、字ももちろん自分で書いたものらしい、しろうとくさい幼よう稚ちな字だ。 ﹁家かち畜くし診んさ察つじ所ょ﹂ とある大字のわきに小さく﹁病びょ畜うちく入にゅ院ういんの求もとめに応おうじ候そうろう﹂と書いてある。板の新しいだけ、なおさら安やすっぽく、尾お羽は打うち枯からした、糟かす谷やの心のすさみがありありと読よまれる。 あがり口の浅あさい土ど間まにあるげた箱ばこが、門もん外がいの往おう来らいから見えてる。家はずいぶん古いけれど、根ね継つぎをしたばかりであるから、ともかくも敷しき居い鴨かも居いの狂くるいはなさそうだ。 入り口の障しょ子うじをあけると、二坪つぼほどな板いたの間まがある。そこが病びょ畜うち診くし察んさ所つじょ兼けん薬やっ局きょくらしい。さらに入にゅ院うい家んか畜ちくの病びょ室うしつでもあろう、犬の箱はこねこの箱などが三つ四つ、すみにかさねあげてある。 ほかに六畳じょうの間まが二ふた間まと台だい所どころつき二畳じょうが一ひと間まある。これで家やち賃んが十円とは、おどろくほど家賃も高くなったものだ。それでも他た区くにくらべると、まだたいへん安いといって、糟かす谷やはよろこんで越こしてきたのである。 糟かす谷やは次じな男ん芳よし輔すけ三女じょ礼れいの親おや子こ四人の家かぞ族くであるが、その四人の生活が、いまの糟かす谷やの働はたらきでは、なかなかほねがおれるのであった。 平顔の目の小さいくちびるの厚あつい、見たとおりの好こう人じん物ぶつ、人と話をするにかならず、にこにこと笑わらっている人だ。なにほど心配なことがあっても、心配ということを知っていそうなふうのない人である。 細さい君くんはそれと正せい反はん対たいに、色の青あお白じろい、細ほそ面おもてなさびしい顔で、用よう談だんのほかはあまり口はきかぬ。声をたてて笑うようなことはめったにない。そうかといって、つんとすましているというでもない。 それは、前ぜん途とにおおくの希きぼ望うを持った、若わかい時じだ代いには、ずいぶんいやにすました人だといわれたこともあった。実じっ際さい気きぐ位らい高くふるまっていたこともあった。しかしながらいまのこの人には、そんな内ない心しんにいくぶん自じ負ふしているというような、気きり力ょくは影かげもとどめてはいない。きどって黙だまっていた、むかしのおもかげがただその形かたちばかりに残ってるのだ。 天てん性せい陰いん気きなこの人は、人の目にたつほど、愚ぐ痴ちも悔くやみもいわなかったものの、内ない心しんにはじつに長いあいだの、苦くも悶んと悔かい恨こんとをつづけてきたのである。いまは苦くも悶んの力もつきはてて、目に気き張ばりの色も消えてしまった。 生うまれが生まれだけにどことなし、人ひと柄がらなところがあって、さびしい面おもざしがいっそうあわれに見える。もうもう我が世はだめだとふかくあきらめて、なるままに身をも心をもまかせてしまったというふうである。それでもさすがに、ここへ移うつってきた夜は、だれにいうとはなく、 ﹁引ひっ越こすたびに家が小さくなる﹂ とひとりごとをくりかえしておった。 糟かす谷やはあければ五十七才になる。細さい君くんはそれより十一の年下とかいった。糟谷は本ほん所じょへ越こしてきて、生活の道が確かく立りつしたかというに、まだそうはいかぬらしい。 糟谷が上じょ京うき以ょう来いらいたえず同どう情じょうを寄よせて、ねんごろまじわってきた、当とう区くの畜ちく産さん家か﹇#﹁畜産家﹂は底本では﹁畜産科﹂﹈西にし田だという人が、糟谷の現げん状じょうを見るにしのびないで、ついに自分の手てぢ近かに越こさしたのであるが、糟谷が十年住すんでおった、新小川町のとにかく中ちゅ流うりゅうの住じゅ宅うたくをいでて、家やち賃ん十円といういまの家へ移うつってきたについては、一場じょうの悲ひげ劇きがあった結けっ果かである。二
糟かす谷やは明治十五年ごろから、足掛かけ十二年のあいだ、下しも総うさ種しゅ畜ちく場じょうの技ぎ師しであった。そのころ種畜場は農のう商しょ務うむ省しょうの所しょ管かんであった。糟かす谷やは三十になったばかり、若わか手ての高こう等とう官かんとして、周しゅ囲ういから多ただ大いの希きぼ望うを寄よせられていた。 新しい学問をした獣じゅ医ういはまだすくない時代であるから、糟谷は獣じゅ医ういとしても当とう時じの秀しゅ才うさいであった。快かい活かつで情じょ愛うあいがあって、すこしも官かん吏りふうをせぬところから、場じょ中うちゅうの気き受うけも近きん郷ごうの評ひょ判うばんもすこぶるよろしかった。近きん郷ごうの農のう民みんはひいきの欲よく目めから、糟谷は遠からずきっと場じょ長うちょうになると信じておった。 糟かす谷やは西せい洋よう葉は巻まきを口から離はなさないのと、へたの横よこ好ずきに碁ごを打つくらいが道どう楽らくであるから、老ろう人じん側がわにも若い人の側がわにもほめられる。時間のゆるすかぎり、糟かす谷やは近きん郷ごうの人の依いら頼いに応おうじて家かち蓄くの疾しっ病ぺいを見てやっていた。職しょ務くむに忠ちゅ実うじつな考えからばかりではないのだ。無むじ邪ゃ気きな農民から、糟谷さん糟谷さんともてはやされるのが、単たん調ちょ子うしの人ひとよしの糟谷にはうれしかったからである。 梅うめの花はな、菜なの花はなののどかな村むらを、粟くり毛げに額ぬか白じろの馬をのりまわした糟谷は、当とう時じ若わかい男女の注ちゅ視うしの焦しょ点うてんであった。糟谷は種しゅ畜ちく場じょうにおって、公こう務むをとるよりは、村そん落らくへでて農民を相手に働くのが、いつも愉ゆか快いに思われてきた。そうしてこういうことが、自じ己この天てん職しょくからみてもかえってとうといのじゃないかなど考えながら、ますます乗のり気きになって農民に親したしむことをつとめた。 糟かす谷やはでるたびにいく先さきざきで、村の青年らを集あつめ、農のう耕こう改かい良りょうはかならず畜ちく産さんの発はっ達たつにともなうべき理りゆ由うなどを説とき、文明の農業は耕こう牧ぼく兼けん行こうでなければならぬということなどをしきりに説とき聞きかせ、養よう鶏けいをやれ、養よう豚とんをやれ、牛はかならず洋よう牛ぎゅうを飼かえとすすめた。人じん望ぼうのあった糟谷の話であるから、近きん郷ごうの農民はきそうて家かち畜くを飼こうた。 糟谷はこのあいだに、三里りづ塚かの一富ふの農うの長女と結けっ婚こんした。いまの細さい君くんがそれである。細君の里さと方かたでは、糟谷をえらい人と思いこみ、なお出しゅ世っせする人と信じて、この結婚を名めい誉よと感じてむすめをとつがし、糟谷のほうでもただ良りょ家うけの女ということがありがたくて、むぞうさにこの結婚は成せい立りつした。それで男も女も恋れん愛あいに関かんする趣しゅ味みにはなんらの自じか覚くもなかった。 精せい神しん上じょうからみると、まことに無む意い味みな浅せん薄ぱくな結婚であったけれど、世せけ間んの目から羨せん望ぼうの中心となり、一時じ近郷の話わだ題いの花であった。そして糟かす谷やふ夫う婦ふもたわいもない夢ゆめに酔ようておった。三
過か渡と期きの時代はあまり長くはなかった。糟かす谷やが眼がん前ぜん咫しせ尺きの光こう景けいにうつつをぬかしているまに、背はい後ごの時代はようしゃなく推すい移いしておった。 札さっ幌ぽろ農のう学がっ校こうや駒こま場ばの農うが学っこ校うあたりから、ぞくぞくとして農のう学がく上じょう獣じゅ医うい学がく上じょうの新しん秀しゅ才うさいがでてくる。勝かつ島しま獣じゅ医うい学がく博はく士しが駒こま場ばの農うが学っこ校うのまさに卒そつ業ぎょうせんとする数十名の生せい徒とをひきいて種しゅ畜ちく場じょう参さん観かんにこられたときは、教きょ師うしはもちろん生徒にいたるまで糟かす谷やのごときほとんど眼がん中ちゅうになかった。 糟かす谷やが自分の周しゅ囲ういの寂せき寥りょうに心づいたときはもはやおそかった。糟谷ははるかに時代の推すい移いから取とり残のこされておった。場じょ長うちょうの位い置ちを望のぞむなどじつに思いもよらぬことと思われてきた。いまの現げん在ざいの位い置ちすらも、そろそろゆれだしたような気がする。ものに屈くっ託たくするなどいうことはとんと知らなかった糟谷も、にわかに悔かい恨こんの念ねん禁きんじがたく、しばしば寝ねられない夜もあった。糟谷はある夜また例れいのごとく、心細い思しあ案んにせめられて寝ねられない。 なるほど自分はうかつであった。国家のためということを考えて働いた。畜ちく産さん界かいのためということも考えて働いた。人じん民みんのためということも考えて働いた。けれどもただ自分のためということは、ほとんど胸きょ中うちゅうになく働いておった。なんといううかつであったろう。もうまにあわない、なにもかもまにあわない。 糟かす谷やはこう考えながら、自分には子どもがふたりあるということを強つよく感じて、心持ちよく眠ねむっている妻さい子しをかえりみた。長男義ぎい一ちはふとってつやつやしい赤い顔を、ふとんから落おとしてすやすや眠ねむっている。妻つまは三つになる次じな男んを、さもかわいらしそうに胸むねに抱だきよせ子どものもじゃもじゃした髪かみの毛けに、白くふっくらした髪をひつけてなんの苦くもない面おも持もちに眠っている。糟谷はいよいよさびしくてたまらなくなった。 自分になんらの悪わる気ぎはなかったものの、妻が自分にとつぐについては自分に多ただ大いな望のぞみを属しょくしてきたことは承しょ知うちしていたのだ。そうことばの穂ほにでたときにも、自分は調ちょ子うしにのって気きや休すめをいうたこともあったのだ。 結けっ婚こん当とう時じからのことをいろいろ回かい想そうしてみると、妻つまに対たいしての気のどくな心ここ持ろもち、しゅうとしゅうとめに対して面めん目ぼくない心持ち、いちいち自分をくるしめるのである。かれらが失しつ望ぼう落らく胆たんすべき必ひつ然ぜんの時じ期きはもはや目のまえに迫せまっていると思うと、はらわたが煮にえかえってちぎれる心持ちがする。自分はなんらおかした罪つみはないと考えても、それがために苦くつ痛うの事じじ実つが軽かるくなるとは思えないのだ。 糟かす谷やはまた自分の結けっ婚こんするについてもその当とう時じあまりに思しり慮ょのなかったことをいまさらのごとく悔くいた。家とか位い置ちとかいうことを、たがいに目めや安すにせず、いわば人と人との結婚であったならば、自分の位い置ちに失しつ望ぼう的てきな変へん遷せんがあったにしろ、ともにあいあわれんで、夫ふう婦ふというものの情じょ合うあいによって、失しつ望ぼうの苦くも慰なぐさむところがあるにちがいないだろうが、それがいまの自分にはほとんど望のぞみがないばかりでなく、かえって夫ふう婦ふか間んにおこるべきいやな、いうにいわれない苦くつ痛うのために、時代に捨すてらるるさびしさがいっそう苦しいのである。それもこれも考えればみな自分のうかつから求もとめたことでまぬがれようのない、いわゆるみずから作つくれるわざわいだ……。 恋れん愛あいなどということただただばかげてるとばかり思っていたが、恋愛のとぼしい結婚はじつにばかげておった。ばかげているというよりも、いまはそのあさはかな結婚のために、たまらないいやなくるしみをせねばならぬことになった。 こう思って糟かす谷やはまた妻つまや子の寝ねす姿がたを見やった。なにか重おもいものでしっかりおさえていられるように妻つまや子どもは寝ね入いっている。 いよいよ自分も非ひし職ょくとなり、出しゅ世っせの道がたえたときまったら、妻はどうするか、かれの両親はどういう態たい度どをするか、こういうときに夫ふう婦ふの関かん係けいはどうなるものかしら。いっそのこと別わかれてしまえばかえって気は安いが、やはり男の子ふたりのかすがいが不ふほ本ん意いに夫婦をつないでおくのだろう。 ﹁しようがないから﹂﹁どうすることもできないから﹂﹁よんどころないからあきらめている﹂というような心持ちで、いかにもつまらない冷ひややかな家庭を作っていねばならないのか、ああ考えるのもいやだ……。 うっかりして過か渡と期きの時代におったというのが、つまり思しり慮ょがたらなかったのだ……。ここをやめたからとて、妻さい子しをやしなってゆくくらいにこまりもせまいが、しかたがない、どうなるものか益えきのない考えはよそう。 考えにつかれた糟かす谷やは、われしらずああ、ああと嘆たん声せいをもらした。下げじ女ょがおきるなと思ってから、糟谷はわずかに眠った。四
翌よく朝ちょうはようやく出しゅ勤っきん時間にまにあうばかりにおきた。よほど顔かお色いろがわるかったか、 ﹁どうかなさいましたか﹂ と細さい君くんがとがめる。糟かす谷やはうんにゃといったまま井いど戸ば端たへでた。食事もいそいで出しゅ勤っきんのしたくにかかると、ふたりの子どもは右から左から父にまつわる。 ﹁おとうさん、おとうさん﹂ ﹁とんちゃん、とんちゃん﹂ 糟かす谷やはきょうにかぎって、それがうるさくてたまらないけれど、子こぼ煩んの悩うな自分が、毎朝かならず出しゅ勤っきんのまえに、こうして子どもを寵ちょ愛うあいしてきたのであるから、無むし心んな子どもは例れいのごとく父にかわいがられようとするのを、どうもしかりとばすこともできない。 ﹁きょうは遅おそいからいそぐだ﹂ とすこしむずかしい顔をしても子どもは聞き入れそうもしない。糟かす谷やはますますむしゃくしゃして、手をだす気にもならない。 ﹁ねいあなたちょっと抱だいてやってくださいな、ほんのすこし、ねいあなたちょっと﹂ 細さい君くんから手てう移つしに押おしつけられて、糟かす谷やはしょうことなしに笑って、しょうことなしに芳よし輔すけを抱だいた。それですぐまた細さい君くんに返かえした。糟かす谷やはこのあいだにも細君の目をそらして、これら無むし心んの母子をぬすみ見たのである。そうしてさびしいはかない苦くつ痛うが、胸むねにこみあげてくるのである。心しん臓ぞうの動どう悸きが息のつまるほどはげしく、自分で自分の身がささえていられないようになった。糟谷は、 ﹁もう遅おそいっ﹂ とおちつかないそぶりをことばにまぎらかして外そとへでた。外へでるがいなや糟谷は涙なみだをほろほろと落おとした。いますこしのところで妻つまに涙なみだを見られるところであったと、糟谷は心で思った。 糟谷は事じむ務し所ょの入り口で小こづ使かいを見た。小使はいつもていねいにあいさつするのだが、けさはすぐわきをとおりながらあいさつもせずにいってしまった。糟かす谷やはいやな気持ちがした。事務所へはいってみると、場じょ長うちょうはじめ同どう僚りょうまでに一種しゅの目で自分は見られるような気がする。いつもは、 ﹁糟かす谷やさんこうしてください﹂とか、 ﹁これはこれしておきましょうかね﹂ とか、うちとけてむぞうさにいうところも、みょうにあらたまって命めい令れい的てきに事じ務むの話をするのである。糟谷はもうおちついて事務がとれない。 あるいは非ひし職ょくの辞じれ令いが場長の手ても許とまできてでもいやせぬかとも考える。まさかにそんなに早くやめられるようなこともあるまいと思いなおしてみる。糟谷はへいきで仕事をしてるようなふうをよそおうて、机つくえにむかっているときにはわかりきってることをわざわざ立っていって同どう僚りょうに聞いたりしている。 場じょ長うちょうが同どう僚りょうと話をしているのに、声が低ひくくてよく聞きとれないと、胸むな騒さわぎがする。そのかんにも昨さく夜や考えたことをきれぎれに思いださずにはいられない。人びとがおのおの黙もくして仕しご事とをしてるのを見ると、自分はのけものにされてるのじゃないかという考えを禁きんずることができない。 場長がなにか声こわ高だかに近くの人に話すのを聞くと、来らい月げつにはいるとそうそうに、駒こま場ばの農うが学っこ校うの卒そつ業ぎょ生うせいのひとり技ぎし手ゅとして当とう場じょうへくるとの話であった。糟かす谷やはおぼえずひやりとする。それから千ちば葉け県んの某それがしも埼さい玉たま県けんの某それがしも非ひし職ょくになったという話をしている。それはみな糟谷と同どう出しゅ身っしんの獣じゅ医ういで糟谷の知ちじ人んであった。糟谷はいまの場長の話は遠まわしに自分に諷ふうするのじゃないかと思った。 糟かす谷やはつくづくと、自分が過か渡と期きの中ちゅ間うかんに入にゅ用うような材ざいとなって、仮かり小ごや屋てき的に任ん務むにあたったことを悔くやんだ。涙なみだがいつのまにかまぶたをうるおしていた。 糟かす谷やがぼんやりしていると、場長はじめおおくの事じむ務い員んは、みんな書しょ類るいをかたづけて退たい場じょうの用意をする。そのわけがわからなかったから、糟谷はうろたえてきょろきょろしている。ようやくのこと人びとの口こう気きできょうの土どよ曜う日びというに気づいた。糟谷はいまがいままできょうの土曜日ということを忘わすれておったのだ。 糟谷は土曜と知って目がさめたようにたちあがった。なるほどそうであったな、すっかり忘わすれていた、とにかく都つご合うがえい、それではきょうさっそく上じょ京うきょうして、あの人に相そう談だんしてみよう、時とき重しげ先生が心配してくれ、きっとどうにかなる、東京にいることになれば位い置ちが低くても勉強ができる、なるべく非ひし職ょくなどいう辞じれ令いを受け取らずに、転てん任にんしたいものだ、飯めしくってすぐとでかけよう。 糟かす谷やはこう考えがきまると、よろめく足をふみこたえたように、からだのすわりがついた。ふみだす足にも力がはいって、おおいに元気づいて家に帰ってきた。 ﹁とんちゃんとんちゃん﹂ という声も、いつものごとくにかわいかった。 糟かす谷やが芳よし輔すけを抱だいて奥おくへあがるとざる碁ごな仲か間まの老人がすわりこんでいる。 ﹁きょうは先生、ぜひとも先せん日じつの復ふく讐しゅうをするつもりでやってきました。こうすこしぽかぽか暖あたたかくなってきますと、どうも家にばかりおられませんから﹂ 老人は糟かす谷やの浮うかない顔などにはいっこう気もつかず、かってに自分のいいたいことをいっている。糟谷は役やく所しょ着ぎのままで東京へいくつもりであるから、洋よう服ふくをぬごうともせず、子どもを抱だいたまま老人と対たい座ざした。 ﹁これはせっかくのご出しゅ陣つじんですが、じつはそのちょっと東京へいってくるつもりで……はなはだ残ざん念ねんだが……﹂ ﹁いやそりゃ残念ですな、日帰りですか﹂ ﹁今こん夜やは帰れません﹂ ﹁それじゃきょうじゅうに東京へいけばえい。二、三席せき勝しょ負うぶしてからでかけても遅おそくはない。うまくいって逃にげようたってそうはいかない﹂ 農家の楽らく隠いん居きょに、糟かす谷やがいまの腹はらのわかるはずがない。糟かす谷やはくるしく思うけれど、平へい生ぜい心おきなくまじわった老人であるから、そうきびしくことわれない、かつまたあまりにわかに変かわった態たい度どをして、いまの自分の不ふあ安んし心んをけどられやせまいかというような、あさはかなみえもあった。 とうとう二、三盤ばん打うつことにした。人間も糟かす谷やのような境きょ遇うぐうに落おつるとどっちへむいても苦くつ痛うにばかり出で会あうのである。 糟かす谷やはその夕ゆう刻こく上京して、先せん輩ぱい時とき重しげ博はく士しをたずねて希きぼ望うを依いら頼いした。 ﹁うむ、いますこし勉強するにはそりゃもちろん東京へくるほうが得とく策さくだ、位い置ちを望のぞまないというならば、どうとかなるだろう、しかしきみたちのように、まにあわせの学問をした人はみなこまってるらしい、いますこし勉強するのはもっとも必ひつ要ようだね﹂ 糟かす谷やはがらにないおじょうずをいったり、自分ながらひや汗あせのでるような、軽けい薄はくなものいいをしたりして、なにぶん頼たのむを数十ぺんくり返かえして辞じした。 ﹁これでも高こう等とう官かんかい﹂ 糟かす谷やは自分で自分をあなどって、時とき重しげ博はく士しの門をかえりみた。なに時重さんくらいと思ったときもあったに、いまは時重と自分とのあいだに、よほどな距きょ離りがあることを思わないわけにいかなかった。妻さい子しを振ふり捨すてて、奮ふん然ぜん学問のしなおしをやってみようかしら、そんならばたしかに人をおどろかすにたるな。やってみようか、おもしろいな奮ふん然ぜんやってみようか。ふたりの子どもを妻つまのやつが連つれて三里りづ塚かへいってくれると都つご合うがえいが、承しょ知うちしないかな。独どく身しんになっていま一度ど学がく問もんがやってみたいなあ。子どもはひとりだけだなあ。ひとりのほうは妻つまがつれていくにきまってる。いちばん奮ふん然ぜんとしてやってみようかな。 糟かす谷やはくるしまぎれに、そんな考かんがえをおこしてみたものの、それも長くはつづかず、すぐまたぐったりとなって、時とき重しげ博はく士しがいってくれた﹁どうとかなるだろう﹂を頼たよりにわずかに安心するほかはなかった。 よくよく糟かす谷やは苦くも悶んにつかれた。遠とおいさきのことはとにかく、なにかすこしのなぐさめを得えて、わずかのあいだなりとも、このつかれのくるしみを忘わすれる娯ごら楽くを取らねば、とてもたえられなくなった。酒さけ好ずきならばこんなときにはすぐ酒さけに走るところだが、糟かす谷やは酒はすこしもいけない。 糟かす谷やはとうとう神かぐ楽らざ坂かに親したしい友人をたずねた。そうしてつとめて、自分が苦労してる問題に離はなれた話に興きょうを求め、ことさらにたわいもないことを騒さわいで、一晩ばんざる碁ごをたのしんだ。翌よく日じつもざる碁ごをたのしんだ。 糟谷はその後ご日にち曜ようたびにかならず上じょ京うきょうしておった。かくべつ用がなくても上京しておった。種しゅ畜ちく場じょう近きん郷ごうの農家から、牛がすこしわるいからきてくれの、碁ごか会いをやるからきてくれのとしきりにいうてきたけれど、いっさい村そん落らくへでなかった。土曜日日曜日をうかがって、遊あそびにくるものがあってもたいていは避さけて会あわないようにした。 胸きょ中うちゅうに深しん刻こくな痛いたみをおぼえてから、気きら楽くな悠ゆう長ちょうな農民を相あい手てにして遊ぶにたえられなくなったのである。 糟かす谷やはついに東京に位い置ちを得えられないうちに、四月上じょ旬うじゅん非ひし職ょくの辞じれ令いを受うけ取とった。五
農のう商しょ務うむ省しょうにもでた、警けい視しち庁ょうへもでた。いずれもあまりに位い置ちが低ひくいので二年とはいられずやめてしまった。そのうち府ふ下かの牛ぎゅ乳うに搾ゅう取さく業しゅ者ぎょうしゃの一部ぶが主しゅとなって、畜ちく産さん衛えい生せい会かいというものができた。ちょうど糟かす谷やが遊んでおったをさいわいに、その主しゅ任にん獣じゅ医ういとなった。糟谷は以来栄えい達たつの望のぞみをたち、碌ろくろくたる生活に安やすんじてしまった。愛あい想そよくいつもにこにこして、葉は巻まきのたばこを横にくわえ、ざる碁ごをうって不ふへ平いもぐちもなかった。 ただ一度ど細さい君くんに対しては、もはや自分は大きい望のぞみのないことをさらけだし、いまの自分に不ふそ足くがあるならばどうなりともおまえの気きままにしてくれというた。その後は細さい君くんから不ふま満んをうったえられても相あい手てにならず、ひややかな気まずいそぶりをされても、へいきに見みな流がしておった。そうして新小川町に十余よね年んおった。 糟かす谷やはいよいよ平へい凡ぼんな一獣じゅ医ういと估こけ券んが定さだまってみると、どうしても胸むねがおさまりかねたは細君であった。どうしてもこんなはずではなかった。三里りづ塚か界かい隈わいでの富ふご豪うの長女が、なんだってただの一獣じゅ医ういの妻つまとなったか、たとい種しゅ畜ちく場じょうはやめても東京へでたらば高こう等とう官かんのはしくれぐらいにはなっておれることと思っておった。ただの町まち獣じゅ医ういの妻つまでは親しん類るいに会あわせる顔もないと思うから、どう考えてもあきらめられない。それであけても暮くれても欝うつうつたのしまない。 なにかといっては月のうちに一度ども二度ども里さと方かたへ相そう談だんにいく。なんぼ相談をくりかえしても、三人の子持ちとなった女はもはや動きはとれない。いつもいつも父母兄弟から相あいも変かわらぬ気休めをいわれて帰ってくる。 運うんがわるいのだ、まがわるいのだ。若くて死しぬ人もいくらもある世の中だ。あきらめねばなるまい。あきらめるよりほかに道はない。こう百度も千度もくりかえして、われと自分をいさめてみても、なかなかその日がおもしろいという気になれないのだ。 糟かす谷やは細さい君くんがどういうことをしようといやな顔もしないから、さすがに細君もときには自分のわがままを気づいて、 ﹁わたしがなにぶん性しょ分うぶんがわるいものですから、わたしも自分の性しょ分うぶんがわるいことは心ここ得ろえていますけれども、どうもその今こん日にちをおもしろく暮くらすという気になれませんで、始しじ終ゅうあなたに失しつ礼れいばかりしておりますけれども﹂ などと遠とおまわしにわび言ごとをいうことさえあるのである。 種しゅ畜ちく場じょ以うい来らいこの人を知ってる人の話を聞くと、糟かす谷やの奥おくさんは、種畜場にいた時じぶ分んとはほとんど別べつ人じんのようにおもざしが変かわってしまった、以いぜ前んはあんなさびしい人ではなかったというている。 こればかりは親の力にもおよばないとはいうものの、むすめが苦くも悶んのためにおもざしまで変かわったのを見ては、実じつの親として心配せぬわけにはゆかない。結けっ局きょく両親は自分たちの隠いん居きょ金がねを全ぜん部ぶむすめにあたえて、 ﹁ふたりの男の子をせい一ぱい教きょ育ういくしなさい、そうしてわが世よをあきらめて、ふたりの子の出しゅ世っせをたのしめ﹂ とさとしたのである。糟かす谷やの妻つまもやっと前ぜん途とに一道どうの光をみとめて、わずかに胸のおさまりがついた。長らくのくもりもようやくうすらいで、糟かす谷やの家庭にわずかな光とぬくまりとができた。家かち畜くえ衛いせ生いか会いのほうもそうとうに収しゅ入うにゅうがある。ただ近きん隣りんから、 ﹁糟かす谷やの奥おくさんは陰いん気きな人ねい﹂ といわれるくらいのことで六、七年間はうすあたたかい平へい穏おんな月日を経けい過かした。 長男義ぎい一ちは十六才になって、いよいよ学問はだめだときまりがついた。北海道に走って牧ぼく夫ふをしている。三里りづ塚かの両親も相あいついで世を去さった。跡あと取とりの弟は糟かす谷やをばかにして、東京へきても用でもなければ寄よらぬということもわかった。細君の顔はよりはなはだしく青くなった。六
十一月も末すえであった。こがらしがしずかになったと思うと、ねずみ色をした雲が低く空をとじて雪でも降ふるのかしらと思われる不ふか快いな午ご後ごであった。
糟かす谷やは机にむかったなり目を空くうにしてぼうぜん考えている。細君はななめに夫おっとに対たいし、両手をそでに入れたままそれを胸に合あわせ、口をかたくとじて、ほとんど人にん形ぎょうのようにすわっている。この人をモデルにして不ふま満んぞ足くという題だいの絵えなり彫ちょ刻うこくなり作ったならばと思われる。ふたりはしばらくのあいだ口もきかなかった。
三女の礼れい子こが帰ってきて、
﹁おとうさんただいま、おかあさんただいま﹂
とにこにこしておじぎをしても、父も母もはいともいわない。礼子は両りょ親うしんの顔をちらと見たままつぎの間まへでてしまった。つづいて芳よし輔すけが帰ってきた。両親のところへはこないで、台だい所どころへはいって、なにかくどくど下げじ女ょにからかってる。
﹁芳よし輔すけのやつ帰かえったな、芳よし輔すけ……芳輔﹂
﹁きょうはほんとに、なまやさしいことではあなたいけませんよ﹂
﹁こら芳輔﹂
父の声はいつになく荒あらかった、芳輔は上うわ目め使いに両親の顔をぬすみ見しながら、からだをもじりもじり座ざし敷きのすみへすわった。すわったかとするともうよそ見をしてる。母なる人は無むご言んにたって、芳よし輔すけの手を捕とらえて父の近くへ引ひき寄よせた。
﹁芳よし輔すけ……おまえはいま家へきしなに小川さんに会あったろ﹂
﹁知りません﹂
﹁そうか、小川さんはおまえの保ほし証ょう人にんだぞ、学校からおまえのことについて、二度ども三度も話があったというて、きょうはおまえのことについていろいろの話をしていかれた。いま帰ったばかりだがきさまといき会うはずだが、いやそりゃどうでもよいが、きさまはいくつになる﹂
芳輔はこういわれてすこし父をあなどるような冷れい笑しょうを目に浮うかべる。
﹁自分の子の年を人に聞かねたって……﹂
﹁こら芳よし輔すけ、そりゃなんのことです。おとうさんに対たいして失しつ礼れいな﹂
﹁だっておとうさんはつまらないことを聞くから……﹂
﹁だまれこの野やろ郎う……﹂
両親はもう手もふるえ、くちびるもふるえてすぐにはつぎのことばがでない。母はまたたきもせずわが子この顔を見つめている。
﹁芳よし輔すけ、きさまはなにもかもおぼえがあるだろう。きょう小川さんの話を聞くと、小川さんはおまえのために三度ども学校へよばれたそうだぞ。きのうは校長まででてきて、いま一度ど芳輔の両親にも話し、本人にもさとしてくれ。こんど不ふつ都ご合うがあればすぐ退たい校こうを命めいずるからという話であったそうな。どんな不ふつ都ご合うを働いた。儀ぎい一ちはあのとおりものにならない。あとはきさまひとりをたよりに思ってれば、この始しま末つだ、警けい察さつからまで、きさまのためには注ちゅ意ういを受うけてる。夜よあ遊そびといえばなにほどいってもやめない。朝は五へんも六ぺんもおこされる。学校の成せい績せきがわるいのもあたりまえのことだ。十五になったら十六になったらと思ってみてれば、年をとるほどわるくなる。おかあさんを見ろ、きさまのことを心配してあのとおりやせてるわ。もうそのくらいの年になったらば、両りょ親うしんの苦くし心んもすこしはわかりそうなものだ﹂
﹁おかあさんはもとからやせてら……﹂
母はこのぞんざいな芳よし輔すけのことばを聞くやいなやひいと声をたてて泣なきふした。父も顔青ざめて言ごん句くがでない。
﹁おとうさん、わたしすこし用がありますから錦にし町きちょうまでいってきます﹂
そういって芳よし輔すけは立ちかける。なにごとにも思いきったことのできない糟かす谷やも、あまりに無むし神んけ経いな芳よし輔すけのものいいにかっとのぼせてしまった。
﹁この野やろ郎うふざけた野郎だ……﹂
猛もう然ぜん立ちあがった糟谷はわが子を足もとへ引ひき倒たおし、ところきらわずげんこつを打ちおろした。芳輔はほとんど他たに人んとけんかするごとき語ご気きと態たい度どで反はん抗こうした。手足をわなわなさして見ておったかれの母は、力のこもった決けっ心しんのある声をひそめて、あなた殺ころしてしまいなさい。殺してしまいなさい。罪つみはわたしがしょいます。殺ころしてしまってください。もう生いきがいのないわたし、あなたが殺されなけりゃわたしが殺す……。こうさけんで母は奥おく座ざし敷きへとび去さった。……礼れい子こと下げじ女ょは泣なき声ごえあげて外そとへでた。糟かす谷やも殺ころすの一言ごんを耳にして思わず手をゆるめる。芳よし輔すけは殺せ殺せとさけんで転てん倒とうしながらも、真しんに殺さんと覚かく悟ごした母の血けっ相そうを見ては、たちまち色を変かえて逃にげだしてしまった。
礼れい子こは外から飛とび込こみさまに母に泣きすがった。いっしょけんめいに泣きすがって離はなれない。糟かす谷やも座ざにつきながら励れい声せいに妻つまを制せいした。隣りん家かの夫ふう婦ふも飛とび込こんできてようやく座はおさまる。
糟谷はまだ手をぶるぶるさしてる。礼子はただがたがたふるえて母を見みま守もっている。母はほとんど正しょ気うきを失うしなってものすさまじく、ただハアハア、ハアハアと息いきをはずませてる。はっきりと口をきくものもない。
ようやくのこと糟谷は、
﹁増ます山やまさん︵となりの主人︶いやはやまことに面めん目ぼくもないしだいで、なんとも申もうしあげようもありません﹂
﹁いやお察さっし申しあげます、いかにもそりゃ……まことにお気きのどくな、しかし糟谷さんあまり無むふ分んべ別つなことをやってしまっては取とりかえしがつきませんよ、奥さんはよほど興こう奮ふんしていらっしゃるから、しばらくお寝ねかしもうしたがよろしいでしょう﹂
﹁どうも面めん目ぼくありません﹂
ほとんど人のみさかいもないように見えた細さい君くんも、礼れい子こや下げじ女ょや増ます山やまの家かな内いから、いろいろなぐさめられていうがままに床とこについた。やがて増ます山やま夫ふう婦ふも帰った。あとへ深川の牛ぎゅ乳うに屋ゅうや某それがしがくる、子しき宮ゅう脱だつができたからというので車で迎むかえにきたのである。家のありさまには気がつかず、さあさあといそぎたてるのである。糟かす谷やはとつおいつ、あいさつのしようにも窮きゅうして、いたりたったりしていた。
子しき宮ゅう脱だつはかれこれ六時間以いじ上ょうになるという。いちばん高い牛だから、気が気でないという。糟かす谷やはいかれないともいえず、危きけ険んな意い味みある妻つまを下げじ女ょと子どもとにまかせてでるのはいかにも不ふあ安んだし、糟かす谷やはとほうに暮くれてしまった。おりよくもそこへ西にし田だがひょっこりはいってきた。深川の乳ちち屋やも知ってる人と見え、やあとあいさつして遠えん慮りょもなくあがってきた。
﹁うちでしたな、えいあんばいであった。じつはころあいのうちが見つかったもんですからな﹂
西田の声がして家のなかの空気は見るまに変かわってしまった。陰いん欝うつな空気が見るまにうすらぐような気がした。糟谷は手てみ短じかにきょうのできごとから目の前の窮きゅ状うじょうを西田に語かたった。
﹁うん、きみもかわいそうな人だな、なるほど奥さんも無む理りはない。ああ奥さんもかわいそうだ﹂
涙なみだもろい西にし田だは、もう目をうるおした。礼れい子こもでてきて黙だまってお辞じ儀ぎをする。西田はたちながら、
﹁子しき宮ゅう脱だつならなるたけ早いほうがえいでしょう。糟かす谷やくん職しょ務くむはだいじだ。ぼくが留る守すをしてあげるから、すぐと深川へでかけたまえ﹂
西田はこういい捨すてて、細君の寝ね間まへはいった。細君も同どう情じょう深い西田の声を聞いてから、夢からさめたように正しょ気うきづいた。そうしてはいってきた西田におきて礼れい儀ぎをした。
﹁いま糟谷くんからかいつまんで聞きましたが、もうひとすじに思いつめんがようございますよ﹂
細君は、
﹁ありがとうございます﹂
と細い声でいってさんさんと泣なくのである。
﹁それじゃ西にし田ださんちょっといってくるから頼たのむ﹂
と糟かす谷やは唐から紙かみの外から声をかけてでてしまった。
西田は細さい君くんに対し、外そと手で町に家のあったこと、本ほん所じょへ越こしてからの業ぎょ務うむの方ほう法ほう、そのほかここの家やち賃んのとどこおりまで弁べん済さいしてあげるということまで話して、細君をなぐさめた。
子どもをりっぱにして自分がしあわせをしようと思うても、それはあてにならないから、なんでも人間のしあわせということは、自分にできることの上に求めねばならぬ。とかく無む理りな希きぼ望うを持もってると、自分のすることにも無む理りができるから、無理とくるしみを求めるようになるなどと話されて、細君もひたすら西にし田だの好こう意いに感じて胸が開ひらいた。
あかしのつくころに糟かす谷やは帰ってきた。西田は帰ってしまうにしのびないで、泊とまって話しすることにする。夜になって礼子や下女の笑い声ももれた。細君もおきて酒しゅ肴こうの用よう意いに手てつ伝だった。
糟谷は飲めない口で西田の相手をしながら、いまいってきた某ぼう氏しの家の惨さん状じょうを語った。
ひとりむすこに嫁よめをとって、孫まごがひとりできたら嫁よめは死んだ。まもなくむすこも病気になった。ちょうどきょう某ぼう博はく士しというのがきた。病気は胃いが癌んだといわれて、家いえじゅう泣なきの涙でいた。牛のほうはぞうさないけれど、むすこは助かる見み込こみがない。おふくろが前まえ掛かけで涙なみだをふきながら茶をだしたが、どこにもよいことばかりはないと、しみじみ糟かす谷やは嘆たん息そくした。
西田はあいさつのしようがなく、
﹁ぼくのような友人があるのをしあわせと思ってるさ﹂
と投なげだすようにいう。
﹁ほんとにそうでございます﹂
と細君はいかにもことばに力を入れていった。芳よし輔すけは、十時ごろに台だい所どころからあがってこっそり自分のへやへはいった。パチリパチリと碁ごの音は十二時すぎまで聞きこえた。