歌の潤い

伊藤左千夫




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 ()※(「口+喜」、第3水準1-15-18)()調調()()()()()()調
 
 
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すもゝみのるみなみ独逸ドイツのたかきくにの中にありといふミユンヘンの町
 その語句に於て着想に於て、その題目に於て、何等の巧みも新しみもあるのではない。ただく統一した一首の声調に、物に親しみなつかしむ気持が現われて居るのである。
人もあらぬ実験室じっけんしつの夜の更けにしづかにひびく装置を聞きぬ
 この歌は題目が殊に新しく、着想も面白いが、その題目や着想が淡い情調に融合されて、少しも目立たないで能く単純化が行われて居る。それから『独都より』の「リンデン」の作は、作者も云うてる如く、前の歌の淋しい内にも嬉しい親しみのある情調とは異なり、旅情の淋しさと自然のさびれた淋しみとを独りしみじみと味わってる情調が、一句一句の端にも湛うてる。
リンデンの嫩芽どんがの萌えを見て過ぎしこゝに又来ぬ枯葉落つる日
 静かな声、物うげな調子、それを味うて見るべきである。例の如く題目も思想も取立てていう程の事ではなくていて、しかも無限の味いを持ってるのは、一首の声調に作者の淋しい内的情態が、さながらに表現されて居るからである。結句の『枯葉落つる日』この一句これを取離して見れば、ただそれだけのことで、何等作者の独創があるのでなく、唯一句の記号に過ぎない詞であるが、この歌の結句にこの一句を置いて見ると、この平凡な一句が一首全体の上に、非常に淋しい影響と共鳴とを起すのである。この平凡な一句がここに置かれて生きて来るのみでなく、一首全体に統一を促し生命を起すの働きが出て来たのである。作歌に従うものは、この不可説なる、融合統一力の依て起る神意を考うべきである。こういう歌を見て「なんだただそれだけの事じゃないか」などと軽く読過して終うような人には、到底共に詩の生命を語ることは出来ない。
葉の落ちてただ黒き幹のぬくぬくとあまた立ちならぶ様のさびしも
 初句『葉の落ちて』の極めて自然な詞つきに、はや淋しい声を感ぜられる。第四句第五句なども「あまた立ちたり見るにさびしも」と明晰に云って終えば口調は強くなるけれども、淋しい沈んだ気持は現われない。わずかの相違であるが『あまた立ちならぶ様のさびしも』と詞に淀みのある云い方が自然に作者の心持を現わして居る。是等これらの歌から受ける興味の程量は読者の嗜好に依て相違のあるべきは勿論であるが、かく生命の脈々たる歌であるのだ。
リンデンの枯葉の落つる秋もまたけおもき空は曇りてあるなり
 これは前の歌のような感じを得られない歌である。結句『曇りてあるなり』の口調はこの塲合いささか軽快に過ぎると思う。
そぼぬれてせまき歩道のしきいしを一つ一つに踏みて行きけり
 以下一連の歌はことごと金玉きんぎょくである。平淡な叙述の内に一道の寂しい情調がみなぎって居る。
夜眼さめて指針はりの光れる時計をば枕辺に見る二時にしありき
 結句「二時にしありけり」と云わないで『ありき』ととどめた処に深い感じがある。この一連の歌は、題目も新しく感じ方も新しい。そうして言外に寂しい情調が、しみ出て居る。そうして作者の心理状態が寂しい内にもようやく落ちついた処に僅かな余裕もうかがわれる。その自然の動きの現われてるのが、たまらなく※(「口+喜」、第3水準1-15-18)しい。
 以上四連の歌を通読して見ると、作者の心理状態が時処に従って動揺し変化した自然の跡が歴々として読者の胸に響いてくる。一首一首を詠んでそれぞれ生きた感情に触れ、更に全体を読去って、また全体から受ける共鳴の響きが、しばらくの間読者の胸に揺らぐを禁じ得ないのである。
 予は是等の歌を、潤いのある歌、味いをもって勝った歌として推奨したい。そうしてまた理想的に成功した連作の歌として称揚したい。
 十年以前より連作論を唱えた予は、近日更に連作に就て一論を試みたく思うて居る際に、以上の四連作を得たことは、予に取って非常に嬉しいのである。
大正2年3月『アララギ』

署名    左千夫






 
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2019628

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