石川啄木君は、齢三十に至らずして死なれた。﹃一握の砂﹄と﹃悲しき玩具﹄との二詩集を明治の詞壇に寄与した許りで死なれた。 石川君とは鴎外博士宅に毎月歌会のあつた頃、幾度も幾度も逢つた筈である。処が八度の近視眼鏡を二つ掛ける吾輩は、とう〳〵其顔を能く見覚える事も出来なくて終つた。 さうして今此遺著を読んで見ると、改めて石川君に逢着したやうな気がする。かすかな記憶から消えて居つた、石川君の顔が思ひ浮ぶやうな心持がした。 それは吾輩が今此詩集を味読して、石川君の歌の特色を明に印象し得たからであらう。 此詩集に収められた歌と、歌に対する石川君の信念と要求とに関する感想文とを繰返して読んで見ると、吾輩などの、歌に対する考や要求とは少なからず違つて居るから、其感想文には直に同感は出来ない。従て其作歌にも飽足らぬ点が多い。 だが読んで見れば、感想文も面白く、作歌も相当に面白く、歌と云ふものを、石川君のやうに考へ、歌と云ふものに、さういふ風に這入つて行かねばならない道もあるだらうと首肯される点も充分認められるのである。 吾輩は只石川君の所謂︵忙しい生活の間に心に浮んでは消えて行く刹那々々の感じを愛惜する云々︶といふやうな意味で作られたものが最善の歌とは思へないだけである。記述して置かなければ、消えて忘れて終ふ刹那の感じを歌の形に留めて置くと云ふだけでは、生命の附与された、創作と認めるには、顕著な物足らなさを、吾輩は思はない訳に行かないのである。 歌はこれ〳〵でなければならないなどゝは吾輩も云ひたくはない。又そんな理窟の無いことも勿論である。だから吾輩は只此集のやうな歌に満足が出来ないと云つて置くのみだ。 石川君はまだ年が若かつた、﹇#﹁若かつた、﹂は底本では﹁若かつた。﹂﹈吾輩はそれでかう云ひたい。石川君は此のやうな歌を作り作りして行つて最う少し年を取つて来たら、屹度かう云ふ風な歌許りでは満足の出来ない時が来る。それが内容の如何と云ふことでなく、技巧の上手下手と云ふことでもなくて、既成創作が含める生命の分量如何に就て、必ず著しい物足らなさを気づいて来るに違ひ無いと思ふのである。 茲は歌の議論を為すべきでないから、多くは云はないが、石川君のやうな、歌に対する信念と要求とから出発したものならば三十一字と云ふやうな事を始めから念頭に置かない方が良いのぢやなからうか。よしそれを字余りなり若くは、三十六字四十字を平気で作るにせよ、大抵三十一文字といふ概則的観念の支配下に作歌する意味が甚だ不明瞭で無かないか。吾輩は要するに詩といふものに、形式といふ事をさう軽く見たくはないのである。詩の生命と形式との関係には、石川君などの云ふよりは、もつともつと深い意味が無ければならぬと吾輩は信じて居るからである。 乍併此詩集を読んで、吾輩の敬服に堪へない一事がある。それは石川君の歌は、君が歌に対する其信念と要求とが能く一致して居るのだ。云ひ換へると石川君は、自分の考へた通りに、其要求の通りに作物が遺憾なく目的を達して居るのである。 最う少し精しく云ふて見れば、今の詞壇には、新しい歌を読む人が随分少くはない、併し其諸名家の作物を読んで見ると、其人達は歌に対する、どういふ信念と要求とから、こんな風な歌を作るのかと怪まれるものが比々皆然りで、作者の精神が何処にあるのか、殆ど忖度し難いものが多い。少し悪口云ふと、歌海の航行に碇も持たず羅針盤も持たないで、行きあたりぱつたりに、航行してゐるやうに見えるのだ。 それが石川君の歌を見ると、航行の目的と要求とが明瞭して居つて、それに対する、碇も羅針盤も確実に所有し、自分の行きたい所へ行き、自分の留りたい所へ留つてるのである。 世評許り気にして居る、狡黠な作者が能く云ふ、試作などいふ曖昧な歌が、石川君の歌には一首も無いのである。 で若し石川君が茲に居つて。
『君はさういふけれど、人には好不好と云ふものがある、僕はかういふのが好きなのだから仕方が無いぢやないか』
と云ふならば、吾輩も一議なく石川君に同情して其歌を一種の創作と認むるに躊躇しないのである。
かう云ふて来て見ると、吾輩は読者に対して、歌に対する自分の要求を、一言いふて置くべき義務があるであらう。吾輩は生活上心に浮んだ刹那の感じに、作歌の動機を認めるにしても、心に浮んだ刹那の感じを、直ぐ其儘歌にして終ひたくないのである。
心に浮んだ感じを、更に深く心に受入れて、其感じから動いた心の揺らぎを、詞調の上に表現してほしいのである。
散文は意味を伝へれば目的は達してるが、韻文は意味を伝へたゞけでは満足が出来ないのである。吾輩の要求する歌には、心に浮んだ刹那の感じを伝へたゞけでは足らない。云はゞ最う少し深いものを要求するのだ。
刹那の感じから受けた心の影響を伝へてほしいのだ。それでなければ、作者の個性発揮も充分でない、情調化も充分でない。かう吾輩は固く信じて居る。
さういふ意味に於て、吾輩は石川君の歌に不満足な感が多いのである。
石川君は、驚きたくないと云つてる。吾輩は敢て驚きたいとも思はないが、強て驚きたくないと猶更勉めたくはない。驚くまいとしたり、泣くまいとしたり、喜ぶまいとしたり、さう勉めて見た処でそれはさううまく行くものではあるまい、さういふのは極めて不自然であるのだ。
石川君は﹃歌は私の悲しい玩具である﹄と云つてる。さうである、石川君の歌は石川君の玩具であらう。であるから、石川君の歌を見ると、石川君其人が如何にも能く現はれて居る。
薄命なりし明治の詩人啄木は、此の詩集の如き意味に於て作られた歌に依て、明かに後世に解せられるであらう。さういふ意味から見れば、此詩集は又大に面白くもあり価値もある。
乍併さういふ意味に於て歌の価値を認めるのは、吾輩の考へでは、歌といふものを余りに侮蔑した見方であると思ふのである。歌は作者に依て作られること云ふまでも無いが、作者の為めに作者を伝へんが為に作らるべきものでは無い。其作歌に依つて作者の伝はるのは妨げないが、歌はどこまでも、作者を離れて別に生命を有して居らねばならぬ。
吾輩は我が生んだ子を、親の為に許りの考で育てたくないやうに、我が作つた歌を、我が玩具として終ひたくない、我を伝ふる犠牲として終ひたくない。作者たる自分は、どんな人間か判らなくなつて終つても、我作歌は永く人間界に存してあつてほしい。それもさういふ目的で作歌するといふのではない。
歌を尊重したいと云ふことは、歌を作ることを偉い事と思つて云ふのではない。かうは云つても石川君は前途を持つてた人であつた、思つた事をやり始めた許りで死んだ人であつた。吾輩は僅かに遺された著書だけで、石川君はかういふ考へを持つて、これ〳〵の人であると云つて終ひたくない気がしてならぬ。
最う一つ言ひ残した。此詩集の歌で見ると、石川君は酔はない人らしい、といふよりは酔へない人らしい。で他人の酔つたり狂つたりして、常規を失するやうな言動が皆虚偽のやうに見えたらしい。石川君は驚きたくないと云つたが、驚かない寧ろ驚けない人であつたらしい。かう思つて見ると石川君の歌に情調化の乏しいのは、それが当然であるのだと見ねばならぬ。
石川君は自分で自分をあまり好いて居ない、従て自分の歌を自分で好いて居なかつたであらう。さうして居て猶歌を作らねばならなかつたとせば、石川君は矢張此集のやうな歌を作るより外なかつたのであらう。
石川君に猶春秋を与へたなら、或は遂に自分の好きな歌を作つたかも知れないが、それにしても此集の歌は矢つぱり誰の歌でもない石川君の歌である。吾輩は固より此集の歌を好まないけれど、此集の如き歌が明治の詞壇に存在する事を苟にも拒みやしない。
併し集中にも左の如き歌は吾輩も嫌ではない。否非常に面白い歌である。かういふ歌を好きだの面白いのと云ふのは聊か穏かでなく思はれるが、只佳作だなど云ふのは猶をかしいからさう云つて置く。
いつしかに夏となれりけり。
やみあがりの目にこゝろよき
雨の明るさ!
まくら辺に子を坐すわらせて、
まじまじとその顔を見れば、
逃げてゆきしかな。
おとなしき家畜のごとき
心となる、
熱ねつやゝ高き日のたよりなさ。
とけがたき
不ふ和わのあひだに身を処しよして、
ひとり悲しく今日も怒れり。
猫を飼はゞ、
その猫がまた争ひの種となるらん、
かなしきわが家。
茶まで断ちて、
わが平へい復ふくを祈りたまふ
母の今日また何か怒れる。
買ひおきし
薬つきたる朝に来し
友のなさけの為替のかなしさ
これだけ抜いたのは、面白いと思ふ歌がこれだけしか無いといふのではない。吾輩も以上のやうな歌は非常に面白く佳作であると思ふのであると云ふまでゞある。外にもまだとりどり面白い歌は沢山にある。
吾輩は茲で、アラヽギ諸同人に忠告を試みたい、我諸同人の歌は、概して形式を重じ過ぎた粉飾の過ぎた弊が多いやうであるから、石川君の歌などの、とんと形式に拘泥しない、粉飾の少しもないやうな歌風を見て、自己省察の料に供すべきである。